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ドストエフスキーのすごさはどこにある?その魅力を味わうためのおすすめ解説書15冊を厳選してご紹介!


はじめに

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)Wikipediaより

ロシアの文豪ドストエフスキー。

誰もがその名を知る文豪でありますが、その作品たる『罪と罰』や『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』を読み通したことのある方はこの読書離れの時代においてかなり少ないのではないかと思われます。

ですがそれもそのはず、まずこれらの作品はとにかく長い!

タイパタイパと時間の効率化がものを言うこの時代において、読んでも読んでも終わりの見えない長編小説にどうして時間を割くことができましょうか・・・。

しかもとにかく難しい・・・。聞きなれないロシア風の名前や登場人物の多さ、しかもよくわからない会話がひたすら続く・・・。これでは挫折する人が多いのもよくわかります。

が、しかしです!やはりそうは言ってもドストエフスキーの作品は間違いなく面白いのです!

かつては教養ブームということで彼の作品を読むことそれ自体がステータスだった時代もありましたが、それでもなおドストエフスキーの作品は多くの人達の心を鷲掴みにしました。一度掴まれてしまったが最後、もう引き返せないとてつもない何かを私達の胸の中に強制的に送り込むあの一撃!これがあるからドストエフスキーは恐ろしい!やはり彼の作品には「何か」があります。

タイパタイパの時代ではありますが、ドストエフスキーはやはり読む価値があると私は信じています。いや、タイパタイパの時代だからこそあえてじっくり読むことでこの時代に逆に希少な存在となれるかもしれません。

ただ、むやみやたらにドストエフスキー作品にぶつかっても正直厳しいのも事実です。いかに『罪と罰』などの作品が普遍的な人間ドラマを描いた作品だとはいえ、やはり彼の生きた19世紀後半のロシアという特有の時代背景が存在します。これを抜きにして21世紀を生きる我々日本人がいきなりその小説世界に飛び込んでもなかなかイメージがつかないというのも事実なのではないでしょうか。

例えばですが、これは日本の歴史や文化をほとんど知らないロシア人が鎌倉時代に生きた浄土真宗の開祖親鸞の伝記小説を読んでもピンと来ないのと同じです。日本人からすれば仏教の中でも様々な宗派がありそれぞれの教えが異なるのは何となくイメージがつきますが、ロシア人からすればそもそも仏教とは何かすらピンと来ません。そんな中日本人でもとまどうような宗教哲学がその小説内で展開されたらどうでしょうか。これはロシア人もとまどうのも当然です。ドストエフスキーの難しさはこういうところにもあるのです。

つまり、私達がドストエフスキーの言わんとしていることを理解するにはある程度の予備知識や読解力が必要なのです。

もちろん、事前知識なしでも読むことは可能ですが、時代背景やドストエフスキー自身のことを知ってから読んだ方がより楽しめることは間違いないです。

また、一度読んだとしても解説を読んでから再読すると驚くほど違う姿が現れてきます。私自身、解説書を何冊も読んでからドストエフスキーを再読して衝撃を受けた一人です。最初に読んだ時はそれほど感動しなかった作品でも本当に別の作品のように楽しめるのですからびっくりです。やはり解説を通して時代背景を知ることは大きなポイントなのです。

というわけでこの記事ではドストエフスキー作品のすごさをもっと味わうためのおすすめ解説書を紹介していきます。

「ドストエフスキーのすごさはどこにあるのか」という私なりの結論は記事の最後のまとめで述べていますので、先にそちらを読んで頂いても問題ありません。

また、それぞれのリンク先ではより詳しくお話ししていますので、ぜひそちらも参考にして頂けましたら幸いです。

アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』

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まず一番最初に紹介したいのがこの本です。

アンナ・ドストエーフスカヤ(1846-1918)Wikipediaより

この伝記はドストエフスキーの妻であるアンナ・ドストエフスカヤ(アンナ・グリゴーリエヴナ)夫人によって書かれた回想記です。

私が心の底からドストエフスキーを好きになれたのはこの伝記のおかげです。

この本の特徴は何と言っても、妻の視点から見たドストエフスキー像が描かれているところにあります。解説を見ていきましょう。

アンナ・グリゴーリエヴナは、起伏にとんだ十四年間の家庭生活と、主として夫としての、父親としてのドストエフスキーを深い愛情をもって冷静に、抑制のきいた筆致でえがいている。

夫の死後三十年たって書きはじめたこの回想録は、ドストエフスキーと会った第一日日から彼の死にいたる共同生活の苦闘の記録であり、文学者ドストエフスキーの私生活、人柄を知るうえでの最も近い人間によるたしかな証言である。

彼女は筆をすすめるにあたって、手紙類や速記記号でしるした日記に材をとり、当時の新聞雑誌の記事などでたしかめながら、できるだけ客観的であろうとつとめているので、記録としてきわめて信頼度のたかいものとなっている。じじつ、ドストエフスキーの多くの伝記の後半生・晩年は、いずれもこの回想記に多くの材料をあおいでいる。
※一部改行しました

みすず書房出版 松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P270

夫であり父である家庭人ドストエフスキーの姿をこの伝記から知ることができます。

アンナ夫人がドストエフスキーと出会い、婚約したのは1866年。そこから幸せな結婚生活が始まるかと思いきやいきなり窮地に立たされます。

ドストエフスキーの家庭状況が最悪だったのです。

ドストエフスキーは妻を失ったあと、兄の遺族や義理の息子などの大家族をかかえ、その後彼自身の死の一年まえまで彼と家族を苦しめた、しかも自分のものでない莫大な借金を背負い、創作を唯一の源泉とする家計は不意で、おまけにたえずてんかんの発作におそわれていた。彼をとりまく生活条件は錯雑していて、ふたりの結婚までの準備期間はごく短かった。

みすず書房出版 松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P269

ドストエフスキーはアンナ夫人と結婚する数年前、妻を亡くしていました。アンナ夫人とは再婚だったのです。

借金取りによる厳しい取り立てや、同居していた義理の息子や親族はドストエフスキーにたかることで生活していたのでその取り分が減ることを恐れてアンナ夫人を執拗にいじめ抜きます。はなから結婚生活を破綻させようと画策していたのです。

家庭の息苦しさと債権者から逃れ、たがいの愛情を確固としたものとするために、と彼女が書いている外国旅行に、彼らは結婚後まもなく出かけて行く。

そこで彼らを待ちうけていたものが、安定と落ちつきの逆だったことは、三カ月の予定で外国に出かけて行き、故国の土をふむことができたのがようやく四年後のことだったことからだけでも知られる。

それは波瀾にみちた不安なものだった。ドストエフスキーは窮乏のうちにてんかんの発作に悩まされながら、間歇的に悪夢のような賭博熱におそわれて狂乱状態におちいったりする。

そのあいだに最初の子どもが生れて死に、二番目の子どもが生れ、帰国後八日たって三番目の子どもが生れている。ドストエフスキーはそれまでに、「死の家の記録」や「罪と罰」などの傑作を発表しているが、この不安な放浪生活のなか、それだけが一家の外国生活を支えた創作に力をかたむけ、「白痴」を完成し、「悪霊」を書きついでいる。

こうして世間から隔絶した外国生活のあいだにふたりは固く結びつき、彼らの充実した共同生活は夫の死まで十四年間つづいた。

ドストエフスキーは「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフ兄弟」などの一連の大きな作品をつぎつぎと書いた。彼女のほうは四人の子どもを生み、夫にあたたかい家庭を用意した。ふたりは莫大な借金を十三年かかってかえすことができた。この物質的安定のためには、夫の偉大な文学的才能と勤勉、妻の実務的能力と奮闘があずかって力があった。

そのうえ彼女は、主婦としてだけでなく、速記者として、ドストエフスキーの後半生の充実した創作活動に大きな役割をはたした。ロシアの文学者の誰もが、ドストエフスキーが彼女のような仕事の協力者をもっていたのをうらやんだのである。

だが彼女は、それ以上に、作家の内面的な支えをなしていた。外国生活の貧窮と悲嘆のどん底にあって、ドストエフスキーの異常な賭博にたいする熱狂を非難しもせず、かえって彼の創作欲を刺戟するためにその情熱を利用しさえするといったようなことが、この年若い女性にどうしてできたのだろうか。

そうしてとうとう、狂気じみた賭博熱を終局的に夫の肉体から追い出してしまうというようなことが、どうして実現したのだろうか、感嘆のほかはない。
※一部改行しました

みすず書房出版、松下裕訳、アンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』P269-270

「感嘆のほかはない」

この伝記から受ける感想はまさにこの一言に尽きます。

『罪と罰』以降のドストエフスキーの成功はほぼアンナ夫人のおかげと言っても過言ではありません。もし彼女のサポートがなければ金銭能力が皆無と言ってもいいドストエフスキーはすぐに破産し執筆どころではなかったでしょう。

ロシア文学者の誰もがうらやむ理由もわかるような気がします。

さて、この伝記はドストエフスキーとアンナ夫人の二人三脚の記録であります。

結婚してからドストエフスキーが亡くなるまでの14年間の結婚生活はまさしく波乱万丈なものでした。

しかしこの伝記ではたくさんの困難があったとしても、どこか明るい雰囲気が漂っています。

アンナ夫人にとってたしかに苦しいことはたくさんありましたが、夫ドストエフスキーとの生活は幸せなものだったのだろうということが感じられます。

暗くて厳めしいイメージが先行するドストエフスキーですが、この伝記では奥さんを溺愛し、驚くほどの子煩悩っぷりを発揮しています。

人付き合いが苦手で気難しい性格で知られるドストエフスキーですが、奥さんにはデレデレで、その愛妻家ぶりはこちらが恥ずかしくなるほどのものでした。その内容はドストエフスキーの書簡でも見ることができます。たった数日離れ離れになるだけでドストエフスキーは絶望し、早く会いたいと毎日手紙で書き続けるのです。驚くべきことにこれは新婚ほやほやの時期の話ではありません。結婚して10年以上たった晩年でもずっとこの調子だったのです。

人間のどす黒いものをえぐり出し、暗くて重い作品を生み出し続けたドストエフスキーですが、晩年はアンナ夫人との幸せな生活を送ることが出来ていたようです。ドストエフスキーが愛する子供たちと仲睦ましく遊んでいる姿が浮かんできます。

これは私にとっても大きな救いでした。

これだけ偉大な作家が最後まで苦しみ抜き、絶望のまま亡くなっていったのではなんとも寂しいことではありませんか。

ドストエフスキーは温かい家庭を最後には持つことが出来たのです。

私がこの伝記を読んだのはちょうど、ドストエフスキーの『作家の日記』を読んでいた頃でした。

『作家の日記』を読んでいて、その文章からドストエフスキーの優しさを感じ始めていた頃です。

そんな時にこの『回想のドストエフスキー』を読み、その優しさの予感は確信に変わりました。ドストエフスキーはただ人間のどす黒いものばかりを見る暗い人間ではない。ドストエフスキーは優しいまなざしを持っている人なのだと。

上でも述べましたが、私が心の底からドストエフスキーを好きになれたのはこの伝記のおかげです。

私が最もおすすめする伝記です。読めばきっとドストエフスキーのイメージが変わることでしょう。

私がこの記事の一番最初にこの本を紹介したのはここに理由があります。ドストエフスキーと言えば暗くて難しいというイメージが強いかもしれませんが、実はそれだけではないのです。彼には救いのイメージ、明るい世界の感覚があるのです。それが彼の作品に落とし込まれています。これがわかるかわからないかで作品から受ける印象は全く異なることでしょう。だからこそ私はこの伝記を一番最初に皆さんにご紹介した次第です。

そして私はこの伝記にあまりに感銘を受けたためその後2022年に夫妻の人生を足跡を辿るヨーロッパの旅に出ました。その記録が現在当noteでも連載している『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』でまとめられています。

この記事を読んで頂ければさらにこの伝記がいかに優れているかも伝わるかと思います。

少し長くなりましたが、ドストエフスキー作品を読む方の必読書としてこの本はぜひおすすめしたいです。


高橋保行『ギリシャ正教』

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この本はギリシャ正教とは何かということをテーマにした本ではありますが、著者はその中のかなりの分量をドストエフスキーとの関連で述べています。

ドストエフスキーが誤解されて世の中に伝わっているとすれば、それはロシア正教(ギリシャ正教)の教義が理解されていないからではないかというのが著者の問題提起であります。

カトリックやプロテスタントとはかなり違った思想がロシア正教にはあります。

この本を読んで私はとても驚きました。キリスト教といえば無意識にローマカトリックやプロテスタントのことを考えていましたが、ロシア正教はそれらとはかなり異なった教えや文化を持っているということをこの本によって知りました。

この本はキリスト教という大きな枠で一括りしてドストエフスキーを見てしまうと見落としてしまうものがあることを気づかせてくれます。

よくよく考えればたしかにそうです。日本でも仏教すべてで一括りにしてしまえば見えてこないものがたくさん出てきます。仏教といっても宗派もたくさんあり、それぞれの思想はまったく異なります。

大きくひとまとめにしてしまうことはシンプルでわかりやすくて楽なのですが、それによる危うさも存在します。この本はその危うさについても考えさせられます。

読んでみると意外な発見が出てくることでしょう。とても興味深い内容ばかりです。

やはりドストエフスキー小説の理解にはロシア正教の概要を知ることが非常に役に立ちます。ドストエフスキーとキリスト教についてさらに深く学びたい方にこの本は非常におすすめです。


3 佐藤清郎『観る者と求める者 ツルゲーネフとドストエフスキー』

この本はタイトルにもありますように「観る者」ツルゲーネフと「求める者」ドストエフスキーの気質、個性に着目して2人の文学スタイルを改めて見ていこうという試みがなされています。

この本の特徴は何より、ツルゲーネフとドストエフスキーの違いを彼らの生涯や作品を通して明らかにしていく点にあります。

冷静で中道的な観察者ツルゲーネフ、激情的で何事も徹底的にやらなければ気が済まない求道者ドストエフスキー。

なぜ二人はこうも違った道を進んだのか、そしてその作風の違いはどこからやってきたのかを著者は語っていきます。

ドストエフスキーを学ぼうとすると、どうしてもドストエフスキー側からツルゲーネフやドストエフスキーその人を見ることが多くなってしまいます。そしてそれは逆も然りです。

ですがこの著作では2人の生涯を並べてそのどちらも見ていきます。そうすることによってそれぞれの特徴がよりくっきりと見えてきます。

やはり比べてみるとわかりやすい。特に、ツルゲーネフとドストエフスキーは真逆の人生、気質、文学スタイルを持った二人です。

違いが大きければ大きいほど見えてくるものははっきりしてきますよね。

この著作を読むことでドストエフスキーがなぜあんなにも混沌とした極端な物語を書いたのか、ツルゲーネフが整然とした芸術的な物語を書いたのかがストンとわかります。

これはすごいです。

そして何より、この本は面白くて面白くてびっくりするほどです。ものすごく興味深いことだらけです。読んでいる内にのめり込んでしまい時間を忘れてしまうほどでした。

ただ悔やまれることに、本書はすでに絶版となってしまい購入することがかなり難しい状況になっています。公共の図書館や大学図書館などでは置いている場所もあると思うのでそれらを利用するのも手かもしれません。

現在は入手が困難で、本来はおすすめ本として紹介すべきではないのかもしれませんがそれでもなお紹介したい素晴らしい名著です。この本の再販を強く望みます。ドストエフスキーを知る上でこの上ない手がかりとなること間違いなしの名著です。


4 ジョージ・スタイナー『トルストイかドストエフスキーか』

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「トルストイかドストエフスキーか」

両方はありえない。

このことは私もドストエフスキー、トルストイ両作品を読んできて強く感じたことでした。この2人はツルゲーネフとはまた違った次元で両極端です。

この本ではそんなトルストイとドストエフスキーの違いがわかりやすく、刺激的に解説されます。

いやぁ~、とにかく面白い!この本もものすごいです!これはぜひともおすすめしたい作品です!

トルストイとドストエフスキーの特徴が非常に鮮明に見えてきます。ぜひぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。ドストエフスキーが好きな人はドストエフスキーを、トルストイが好きな人はもっとトルストイを好きになることでしょう。

詳しくはここではお話しできませんが、ぜひ以下のリンク先でより詳しい解説を読んで頂ければと思います。私の言わんとしていることがそこに書かれています。


小林秀雄『ドストエフスキイの生活』

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小林秀雄は批評の神様と呼ばれたように、日本の文学界に絶大な影響を与えました。その影響は学者や文学者だけではなく、日本の読書人全体にわたります。

その小林秀雄が満を持してドストエフスキーを評論したのがこの『ドストエフスキイの生活』です。その結果、日本におけるドストエフスキー像に多大な影響を与えることになりました。

さて、この評論の特徴は E・H・カーの『ドストエフスキー』 の伝記を参考にしながら、小林秀雄独自の感性でドストエフスキーを論じていくというところにあります。

江藤淳による巻末の解説によれば小林秀雄自身、この評論の執筆動機について次のように語っています。

僕は批評文を書いているうちに、小説家とか作家とかいうのがだんだん僕の主観を離れて独立して生きて来たことを近頃感じたのだ。

だから、なるほど、小説家がほんとに人生を見てるように俺は作品を見てる―そういうところまでやって来た、という自信が出来て来たんだよ―どういう訳だか知らないけれどね。

それが、僕があれをやる動機なんだ。つまり僕はドストエフスキイという奴をどういうふうに評論しようかというよりも、どんなふうに描こうかという事が僕の評論になる。そういう自信が出来たんだよ。

だからまあどんなものが出来るか、結論なんというものは僕には全くわからない。僕は昔は結論を知らなきゃ評論が書けなかったものだ。この頃は結論を知らなくて書けるんだ。……そして非常に楽しいんだ。ドストエフスキイがどういうふうに現われるか、どういうふうに生きるか、それだけが僕には問題なんだ……(中略)

俺のドストエフスキイ論なんて、世界の一流知識人の書いた評論と同じレべルにまで行かそうと思っているよ。
※一部改行しました

新潮文庫 小林秀雄『ドストエフスキイの生活』P619

小林秀雄節全開です。何を言っているのかわかるようでわからない、イマイチ雲を掴むような歯がゆい感覚ですがなぜか格好いい。言葉が難しくて頭をひねりながらもなぜか引き込まれてしまうという小林秀雄の摩訶不思議です。

『ドストエフスキイの生活』はE・H・カーの伝記に沿いつつ、文庫版でおよそ250ページというコンパクトな分量でドストエフスキーの生涯を論じています。

以前更新した「小林秀雄に痺れる!こうして私はドストエフスキーを読み始めた~いざロシア文学沼へ」 の記事でもお話ししましたように、私はこの著作によってドストエフスキーに強い関心を持つようになりました。私がドストエフスキー作品を全て読もうと思い立ったのもこの本のおかげです。それほどこの本はドストエフスキーへのモチベーションを高める作品となっています。

小林秀雄の文章の魔力と申しましょうか、やはりこの方の言葉には何かよくわからないが人の感情を揺さぶるような謎の力があります。日本の文学青年から絶大な支持があったのも頷けます。批評の神様と呼ばれる所以をこの本から感じることが出来ました。

新潮文庫の『 ドストエフスキイの生活』には、他にも「カラマアゾフの兄弟」「罪と罰についてⅠ・Ⅱ」「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」という評論も収録されています。小林秀雄によるドストエフスキー論を学ぶには格好の一冊となっております。

文庫本サイズで手に取りやすいのも嬉しいポイントです。

小林秀雄の言葉の魔力により、ドストエフスキーがものすごく格好良く感じられてくる評伝です。


6 モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』

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いよいよ満を持してこの本のご紹介です!

ドストエフスキー解説書のキング・オブ・キング。ドストエフスキー評伝の金字塔と評される本書『評伝・ドストエフスキー』。

著者のモチューリスキーは1892年南ロシアのオデッサに生まれました。

その後亡命し文学史家、文芸評論家として活躍しパリ・ソルボンヌ大学ロシア文学部の教授を務めました。

この本は1947年にロシア語で出版され、瞬く間に多くの国で翻訳され「あらゆる言語で書かれたドストエフスキー文献のうちもっともすぐれた研究書」と呼ばれるようになりました。

では、早速この評伝の特徴を見ていきましょう。

モチューリスキーは自身の精神的危機を経て、ロシア正教と深いかかわりを持つようになり、一時は修道院に入ろうとしたほどであったそうです。以下、解説より引用します。

この大部な評伝は、こういう経歴の正教徒の文芸学者による作品だから、ドストエフスキーを世界の最も偉大な宗教的・哲学的思索者のひとり、「世界文学の偉大なキリスト教作家のひとり」(むすび」)としてとらえているところに基本的な特色がある。

著者は、「このロシアの作家の歴史的使命は、ヒューマニズムの破綻の主張とその宗教的虚偽の暴露にあつた。彼のすべての長篇小説類は、神を欠いた人間愛の誘惑との闘いに捧げられている」(二十一「一八七六、七七年の『作家の日記』)と言っている。

しかも、ドストエフスキーのようには、「だれひとりとして、これほど果敢に神と格闘した者はいなかったし、これほど大胆不敵に世界秩序の正当性について神に問いかけた者はいなかった。また、たぶんこれほど主を愛した者もいなかった」(十四「外国生活」)と結論している。
※一部改行しました

筑摩書房出版、松下裕・松下恭子訳、コンスタンチン・モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』P733

ロシア正教の教義と実践に詳しいモチューリスキーによる詳細な作品解説がこの評伝の最大の特徴です。

そして見てください。この圧倒的なボリューム感!

文庫本と比べれば一目瞭然です。新潮文庫版の『罪と罰』もなかなかの分量ですがそれですら薄く感じさせます。

これだけ大きなサイズで中身はなんと、754ページ!

まさにドストエフスキー評伝の金字塔と呼ぶにふさわしい堂々たる威容です。

なぜこれほどのボリュームなのかと言いますと、ドストエフスキーの生涯に沿って全ての作品について解説しているからであります。

つまりこの1冊で伝記と作品解説の両方がなされているということになります。

ひとつひとつの作品がドストエフスキーの人生とどのようなかかわりがあるか、これ以上ないというほど詳細かつわかりやすく解説されています。

・・・とはいえ、内容はかなり専門的です。入門書としては厳しいかもしれません。

と言いますのも私は一度この本を読むのに挫折しています。その時はドストエフスキー全集を読み始めていた時期で、まだドストエフスキー作品のあらすじすらつかめていない状態でした。

その状態でこの評伝の詳細な解説や専門的な内容を読んでもなかなかピンと来なかったのです。

そのうちこの圧倒的なボリュームと濃厚な中身に徐々に頭のエネルギーが削られていき、もうだめだと挫折してしまったのでした。

しかし多くの伝記や参考書を読み、2周目のドストエフスキー全集に入ったときにはこの評伝から受けるイメージは一変していました。

一度作品を読み、ざっくりとでもその内容が頭に入った状態でこの本を読むと、驚くほど新鮮な発見を与えてくれます。

自分が一度目に小説作品を読んだ時には気付かなかったことがこれでもかと出てきます。おかげで2周目に小説を読むときには前とは全く違ったもののように見えるようになりました。

特に『罪と罰』と『白痴』の解説はものすごいです。

ドストエフスキーはこんなにもこの作品に複雑な意味を与え芸術的技巧を凝らしていたのかと驚くばかりでした。小説のひとつひとつの文章の存在感が圧倒的に増してきます。読んでいて「うわ!これか!」と鳥肌が立つようでした。

とにかく驚きです。ものすごいです。

というわけでこの評伝はドストエフスキーを研究する際にはものすごくおすすめです。

今現在も私はこの評伝を小説を読む前の参考書として用いています。さすがに最初から最後まで一気に通し読みすることはありませんが、読みたい作品の解説部分を読むようにしています。

そうすると全体としては分厚すぎるこの本も、一作品ずつの解説としては数十ページで収まり、ちょうどよい分量になります。

ただ、今はもう絶版になっていてなかなか手に入りにくくなっています。値段もかなり高騰しています。

入手のしにくさが難点ではありますが、この本は間違いなく名著です。ドストエフスキー研究の最高峰と言えるのではないでしょうか。


7 フーデリ『ドストエフスキイの遺産』

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この作品の著者であるセルゲイ・フーデリはこれまで紹介してきた書籍の著者とは一際異なる境遇にいた人物です。

巻末の著者紹介から引用します。

1900年、モスクワの司祭の家に生まれる。1917年のロシア革命で教会が否定されていくなか、1922年に最初の逮捕・流刑。以後1956年までに計三回の逮捕・流刑を経験する。その後もモスクワでの居住は許されず、貧窮と病気に苦しみながらも多くの著作を書いた。1977年、ポクロフ市の自宅で死去。ソ連時代に「教会の人」であることを貫いた姿勢は現代のドストエフスキイ研究者に高く評価されている

群像社 糸川紘一訳、セルゲイ・フーデリ『ドストエフスキイの遺産』

1917年のロシア革命後、ロシア正教は過酷な弾圧を受けることになりました。ソビエト社会主義では宗教はタブーです。そのため多くの教会が破壊され、聖職者は厳しい処罰を受けることになったのです。(詳しくは高橋保行著『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』参照)

ソ連においては宗教者はまず認められません。今まであった生活基盤は全て国家に奪われることになります。フーデリ自身も教会弾圧に抵抗する反乱分子として1922年に逮捕され流刑となります。

そしてこの 『ドストエフスキイの遺産』 は1963年に書かれたものです。しかしこの本が世に出たのはそれから35年後の1998年のことでした。なんと、フーデリが亡くなってから20年の歳月を経ての出版です。

ソ連政権下では教会側の人間によるキリスト讃美の書物など到底認められるはずがありません。そのためフーデリの作品は日の目を見ることもなく埋もれたままになってしまったのです。

ソ連におけるドストエフスキー研究は、厳しい統制の下管理されていました。意図的に宗教的な要素を退け、ソ連のイデオロギーに沿うようなドストエフスキー像を描くことを強制していたのです。

マルクス・レーニン主義的世界観と階級的アプローチの立場から書かれた祖国の学者の研究を知り、牢獄と流刑でこのアプローチの本質を知っていたフーデリは、通読を促されるものがひどく貧弱なことに仰天した。彼にはドストエフスキイが骨抜きにされているだけでなく、無意味なものにされてしまったように思われた。

群像社 糸川紘一訳、セルゲイ・フーデリ『ドストエフスキイの遺産』P17

フーデリにとって、キリスト教を意図的に排斥したマルクス主義的世界観からのみ語られるドストエフスキーは骨抜きにされたもののように感じられたのです。

ドストエフスキイの遺産を研究する上でフーデリを真に奮いたたせ、教えてくれたのは、人生において彼の教師だった人々、そして彼が宗教哲学協会のモスクワ集会で「じかに」その声を聞いた人々だった。

ドストエフスキイを認識する真の基盤であり基本的な方法論とフーデリが見なすのは福音書、教会の神父たちの著作、聖者伝である。それらの中に、ただそこにだけ彼は作家の精神的偉業の密かな意味と彼の作品の極致を解く鍵を見るのであった。

群像社 糸川紘一訳、セルゲイ・フーデリ『ドストエフスキイの遺産』P17

このように、フーデリはロシア正教の立場からドストエフスキーを見ていきます。

以前私は、私はなぜドストエフスキー像が解説者によってこんなにも異なるのだろうという疑問についてお話ししました。(※「ドストエフスキー資料の何を読むべき?―ドストエフスキーは結局何者なのか」参照)

その一つの答えがフーデリのこの著作を読んだことでおぼろげながら感じられるようになりました。

ソ連時代におけるドストエフスキーはソ連のイデオロギーから見たドストエフスキーであり、宗教性を意図的に排斥しようとしていたのです。

だからこそソ連的なイデオロギーを参照した解説者とフーデリのように違った視点からドストエフスキーを見た解説者では全く違ったドストエフスキー像を語ることになるのです。

一方はソ連的な無神論的なドストエフスキー、さらにもう一方ではロシア正教と共にあったドストエフスキー。

時代的にはドストエフスキーはロシア革命の前に生きています。ドストエフスキー自身も正教にかなり親和的な生活をしていたことは明らかにされています。そのドストエフスキーをソ連的な無神論者として論ずるというのは私としては難があるのではないかと感じています。

ただ、現代でもドストエフスキーを研究する際はソ連時代に書かれたものを参照することは必須です。やはり資料の数や質という意味ではドストエフスキーの祖国にはかないません。

ですが、だからといってそれをまったく無批判に鵜呑みにしてしまうと、それはそれで見落とされてしまうものもあるのではないでしょうか。

このフーデリの『ドストエフスキイの遺産』は私にとって非常に目を開かせてくれた書物でありました。

内容も読みやすく、伝記のようにドストエフスキーの生涯に沿って作品を論じています。作品理解を深めるという意味でも非常に懇切丁寧でわかりやすいです。

ロシア正教の宗教者としてのドストエフスキー像を知るにはこの上ない一冊ではないでしょうか。


8 クドリャフツェフ『革命か神か―ドストエフスキーの世界観―』

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この本の最大の特徴はソ連の学者によって他のドストエフスキー論を整理し批判していくところにあります。

自説を前面に押し出して述べていくのではなく、他のドストエフスキー論を次々と批判していくという形でこの本は進んでいきます。この批判によってソ連のイデオロギーに沿うドストエフスキー像が明らかになっていきます。この本を読めばドストエフスキーがいかにしてソ連化されていくのかがわかります。

そして興味深いのはソ連以外のドストエフスキー論だけはなく、ソ連内のドストエフスキー論にも多く批判を加えているところです。まずは国内におけるドストエフスキー論をしっかり整理し思想的偏りや誤っているところを指摘してから、亡命した有名なドストエフスキー学者ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』を徹底的に批判していきます。

ざっくりとその批判をまとめると、
「ベルジャーエフは現実の社会を見ていない。彼には貧困をもたらす社会体制、資本主義思想が悪いのだという視点が欠けている。人間の悪は社会環境が引き起こす。だから物質世界を見ない彼の論は誤りである。」と彼は述べるのです。そして彼は『現代における二つの体制の間において、ドストエフスキーは人間の人間による搾取に反対する闘士として、われわれと共にある※P224』」
と結論付けるのです。

この辺りから露骨にソ連的な雰囲気が漂ってきます。

そして彼はこうも言います。

「ドストエフスキーは『悪霊』によって革命家を否定してはいるが、それは「悪霊的な」革命家を否定しているのに過ぎない。彼らはエゴイスティックで真の社会主義者ではない。だからこそドストエフスキーは『悪霊』で彼らを否定したのだ。ドストエフスキーは真の革命を否定しないのであり、彼は『革命運動における「悪霊主義」の敵として、われわれと共にある※P225』」

という理論を説くのです。いよいよドストエフスキーがソ連のイデオロギーと同化していきます。

そして終盤ではドストエフスキーは不信仰者であるという論に入っていきます。

やはりソ連からすると宗教はタブーです。そして宗教とはまったく取るに足らぬものとして述べられていきます。

彼はドストエフスキーの作品、特に『罪と罰』や『白痴』、『カラマーゾフの兄弟』を例に挙げ、宗教が実際に生活面で苦しむ者を救ったことがないという点を指摘します。

彼によれば宗教の救いは現実世界で物質的に救いをもたらすものではないのだからすべては欺瞞であるとします。そしてそれは時代が証明している。いまやソ連において宗教は何の力もないではないかと彼は言うのです。(※実際ソ連は宗教を厳しく弾圧し、教会は完全に力を失っていました。もし神がいるならこの状況をどう説明するのかと彼は述べるのです)

神に祈っても何も現実は変わりはしない。貧困に嘆き苦しんだ者に神はパンを、金を降らせはしなかったではないか。だから宗教など取るに足らないのだ。

ドストエフスキーはそれを小説で描いた。ドストエフスキーは不信仰者だからこそそう書いたのだと述べるのです。

さて、ドストエフスキーが信仰したキリストの教えははたしてそういうものだったのでしょうか。祈ればたちまち物質的に豊かになることが宗教だと、はたしてそう思っていたのでしょうか。

色々と思うことはありますがソ連ではそのように宗教を見ていた、あるいはそのように見ようとしていたというのが彼の論を読んでいるとよくわかりました。

また、ドストエフスキーの手紙などについても、「ドストエフスキーは官憲の検閲を恐れていたから生活のあらゆる場面で嘘をついている。だから書簡に書かれたことや日々の行動を信用してはいけない」と言います。そしてそれをふまえて「実はドストエフスキーはこう考えていたのである」と述べるわけです。これではもはや何でもありです。

ソ連という大きなくくりで言ってしまうのは問題があるかもしれませんが、こうして主流な理論が形成されていくんだなというのがなんとなく感じられて非常に興味深かったです。

現在日本でも売られているドストエフスキー関連の本でもこうしたソ連的な解釈をベースにしたものが多々あります。それがよいか悪いか私はここでとやかく言うつもりはありませんが、何をベースにそれが書かれているのかというのは読者にとっても重要なポイントです。ソ連的なドストエフスキーを唯一無二の真実であるかのように書かれている本には注意した方がよいです。しかも巧妙なことに、そうした本ではそれがソ連のイデオロギー解釈がベースとなっていることをまず言わないので初学者には判断不可能です。

そんな判断不可能な状況な時に「ドストエフスキーの権威」とされている方が「ドストエフスキーは実はこうだった」と断言するのですから、これはもう信じるしかありません。

こうしてソ連的なドストエフスキーが再生産されていきます。この平成、令和の時代に・・・

これも「ドストエフスキー現象」のひとつとして見ていくしかないのかもしれませんが、本を愛する人間としてはこうした事象というのは何とも悲しい限りです。出版不況の中で「本を売る」ためには面白おかしく、刺激的でゴシップ的な本を書かねばならない。仕方ないと言えばそれまでですが、何ともしこりが残る状況です・・・。

このソ連的ドストエフスキーの宣伝という問題については千葉大学名誉教授でドストエーフスキイの会会長の木下豊房氏が『ドストエフスキーの作家像』という書を世に問うています。

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この本は私がドストエフスキーを学んで直面した「色んなドストエフスキー像が語られているけど結局ドストエフスキーは何者なの?」という疑問に国内外の研究を駆使して丁寧に答えてくれた1冊です。

皆さんはドストエフスキー作品、特に『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』を買おうとした時にどの出版社のものを買おうかと悩んだことはありませんか?

私は新潮文庫版をおすすめしていますがその理由がこの本にすべて凝縮されています。

外国小説や古典における読みやすさ、わかりやすさとは一体何なのかということをとても考えさせられます。

私は新潮文庫を強くおすすめします。おそらくどの翻訳を選ぶかは「読みやすさ」が一番の基準になるかと思いますが、私はその点でも新潮社版をおすすめしています。間違いなく読みやすい文章です。それが読みにくく感じられたとしたらそれは翻訳の問題ではなく、これまでお話ししてきましたように時代背景や予備知識、現段階での読書力の問題です。

少し話はそれてしまいましたが、クドリャフツェフの作品はソ連的なドストエフスキーを知る刺激的な作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。


9 高橋保行『神と悪魔 ギリシャ正教の人間観』

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上で紹介した高橋保行の『ギリシャ正教』 ではギリシャ正教とは何か、そしてロシア正教とドストエフスキーの関係性が解説されています。(※この本ではギリシャ正教の教えを忠実に継承しているのがロシア正教であるということが解説されています。ざっくりいえば、ギリシャ正教とロシア正教の関係はほとんどイコールの関係と考えてもよさそうです。)

それに対し、この著作ではギリシャ正教の思想により焦点を当てて解説をしています。

従来、キリスト教は「原罪」に特徴づけられるヨーロッパの信仰として理解されてきたが、本来のキリスト教は、西洋的な思想とは異なっている。霊魂を肉体から分離させて、その永遠性を説くようなこともしない。もともとのキリスト教は、霊を改め、そして高める場としてこの世の生をとらえてきた。その伝統を守り続けているのがギリシャ正教である。聖書の言葉やドストエフスキイの作品を鍵として、その思想と信仰のあり方の全貌を伝える。

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たしかに、キリスト教といえば人間は罪深い人間であるという原罪や、原罪から救われるために神に祈るというイメージがあります。

ですが著者の高橋保行は、それは伝統的なキリスト教の思想ではなく、西洋的な発想の下、後から付け足された思想であって、ローマカトリック教会の思想はヨーロッパ独特の産物であると述べます。

これには驚きました。原罪はキリスト教の根本的な考え方だと思っていましたがその原罪の解釈が異なれば他のあらゆることも変わってくることでしょう。

この本ではなぜそのようにカトリックではヨーロッパ特有の思想が見られるようになったか、またギリシャ正教がそれに対してどのような反応をとったかが歴史面だけではなく思想面でもわかりやすく説かれています。

また、この本でもドストエフスキー作品についても触れられていて、特に『カラマーゾフの兄弟』の修道院について多く言及されています。

『カラマーゾフの兄弟』の主人公、アリョーシャは見習い修道僧です。

そして彼が尊敬するゾシマ長老はまさしくギリシャ正教の精神を体現した修道僧として描かれています。

『カラマーゾフの兄弟』では有名な「大審問官の章」の後に、このゾシマ長老の生い立ちや信仰の秘密、そして主人公アリョーシャの救いについて語られていきます。

特にゾシマ長老が死ぬ直前にアリョーシャに語った次の言葉は重要です。

「わたしはお前のことをこんなふうに考えているのだよ。お前はこの壁の中から出ていっても、俗世間でも修道僧としてあり続けることだろう。大勢の敵を持つことになろうが、ほかならぬ敵たちでさえ、お前を愛するようになるだろうよ。人生はお前に数多くの不幸をもたらすけれど、お前はその不幸によって幸福になり、人生を祝福し、ほかの人々にも祝福させるようになるのだ。これが何より大切なことだ。お前はそういう人間なのだ。」

新潮文庫、原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(中)』P58-59 

ゾシマ長老は修道院の閉じられた世界から俗世間へ出ていくことをアリョーシャに求めます。

そして俗世間の中でも修道僧として歩めと勧めるのです。

これはまさに、親鸞と師匠である法然の関係性と驚くべきほどの類似です。

法然という偉大なる師匠の教えの下、親鸞も山を捨て俗世間の中へ還っていく道を選んだのです。

この話はなかなか込み入ったものになってしまうのでここでその具体的な内容はお伝えすることは出来ませんが、ここにも親鸞とドストエフスキーの大きな共通点を感じることが出来ました。これはとても重要な問題であると思います。

『カラマーゾフの兄弟』をさらに深く読み込みたいという時にはこの著作は特におすすめです。ドストエフスキーが人間の救いをどこに見出していたのかを探る大きな手掛かりになることでしょう。


10 川端香男里『ロシア その民族と心』

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この本では「都市、農村、風土、自然、民族、女性、宗教、フォークロア、旅、毛皮」など様々なテーマからロシア人の精神についてわかりやすく解説してくれます。

そして同時にそれらがプーシキンやドストエフスキー、トルストイ等ロシアを代表する作家たちとどのようにつながっているかも解説してくれます。

ドストエフスキーやトルストイというと小難しく哲学的なイメージがあるかもしれませんがこの本ではそのようなことはまったくありません。

気候や風土、文化という具体的で身近なものを題材にしたロシア精神の解説ですのでとても気楽に読むことができます。

ロシア精神を学ぶ入門書として非常におすすめです。


11 モンテフィオーリ『ロマノフ朝史1613-1918』

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この本の著者サイモン・セバーグ・モンテフィオーリは以前当ブログでも紹介した『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』『スターリン 青春と革命の時代』の著者でもあります。

この2冊ですが、とにかくものっっっっすごく面白いです!

スターリンの生涯をこれだけ緻密、かつドラマチックに描きながら、さらには時代背景や人間と権力の問題をかなり深く掘り下げていくモンテフィオーリには心の底から驚愕しました。

私にとってモンテフィオーリは絶大な信頼を寄せる歴史家なのですが、今回の『ロマノフ朝史1613-1918』も安定のモンテフィオーリクオリティーでした。「素晴らしい」の一言です。

写真を見てわかりますように、この本はとんでもない大ボリュームです。上下巻合わせて1200ページを軽く超えてきます。

ですが驚くべきことに、すらすら読めてしまうんです。

さすがモンテフィオーリ。とにかく読みやすい!

ロマノフ王朝の始まりからいかにしてロシアが拡大し、力を増していったのかをドラマチックにテンポよく学ぶことができます。

それぞれの皇帝ごとに章立ても進んでいくので時代の流れもとてもわかりやすいです。

ロシアという国がどんな歴史を経て今に繋がっているかを学ぶのにこの本は最適です。

たしかに分厚くてなかなか手が出にくいかもしれませんが、買う価値はあります。これを読めば歴史の流れをかなりはっきりとイメージすることができます。

信頼のモンテフィオーリクオリティーですので、読みやすさ、面白さ、資料のレベルの高さは折り紙つきです。

この本と合わせてスターリン伝を読めばさらにロシアについて学ぶことができるので強くおすすめします。


12 V・セベスチェン『レーニン 権力と愛』

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上の『ロマノフ王朝史』ではドストエフスキーも生きたロシア帝国時代を学ぶことができましたが、本作『レーニン 権力と愛』はドストエフスキー没後からロシア革命以後のロシアを知れるおすすめ作品です。

レーニンはロシア革命の立役者であり、その後のソ連世界の道筋を決定づけた人物です。また、彼は1870年生まれで1924年に亡くなりました。つまりドストエフスキーの最晩年の10年は同じロシアで生活していたのです。本書では直接はドストエフスキーその人については言及されませんが、彼の最晩年のロシア事情やその後のドストエフスキー受容についても本書は大きな示唆を与えてくれます。

そしてこの本ではソ連によって神格化されたレーニン像とは違った姿のレーニンを知ることができます。

『レーニン 権力と愛』はレーニンその人だけでなく、当時の時代背景まで詳しく知ることができます。そして何より、私たちの生きる世界がどのようなものなのかを解き明かしてくれます。

ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思えましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ血塗られた歴史を繰り返さないためにも、今レーニンを学ぶ意義があるのです。

そして何より、この伝記はとにかく面白いです!なぜロシアで革命は起こったのか、どうやってレーニンは権力を掌握していったのかということがとてもわかりやすく、刺激的に描かれています。筆者の語りが実に見事で小説のように読めてしまいます。あまりに面白かったので私は当ブログで「レーニン伝を読む」という連載記事を書いたほどです。

この本では直接的にはドストエフスキーは語られませんが、ドストエフスキーがその後どう受容されていったのか、ソ連的なドストエフスキーが生まれる素地は何だったのかということを考えることができるのでドストエフスキーの参考書としても大いにおすすめしたい作品となっています。


13 O・ファイジズ『ナターシャの踊り ロシア文化史』

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まずはじめに述べさせて頂きます。

「この本は素晴らしいです!びっくりするほど面白いです!」

この本は間違いなく名著です。これだけの本にお目にかかれるのはめったにありません。

ロシアの文化、ロシアの精神性を学ぶのに最高の本です。

私個人としては、この本を読んで特に印象に残ったのはオプチナ修道院についての記述です。

以前当ブログでもオプチナ修道院のことは紹介しましたが、この修道院は晩年のドストエフスキーが訪れた、ロシアのとても名高い修道院で、あの偉大なる文豪トルストイも何度も足を運んでいます。

今作の『ナターシャの踊り』ではチェトヴェーリコフの本よりもさらに俯瞰的にオプチナ修道院のことが解説され、この修道院がいかにロシア人のメンタリティーに影響を与えたのかが語られます。

単にオプチナ修道院の歴史だけを見ていくのではなく、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイらとの繋がりからロシア人のメンタリティーを探っていくというのが非常に興味深かったです。これはドストエフスキーのキリスト教理解を学ぶ上でも非常に重要な視点を与えてくれると思います。

他にもこの本では興味深い内容がどんどん出てきます。正直、この記事では紹介しきれません!この本はすごすぎます!

文化はいかにして生まれてくるのか。それは自然発生的なものなのか、人為的なものなのか、はたまた相互作用的なものなのか・・・

こうしたことを幅広い視点からじっくりと考えていくのがこの本の最大の特徴です。ものすごく面白いです。

ロシアの文化、精神性を学ぶのに最高の1冊です!


14 ジイド『ドストエフスキー』

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アンドレ・ジイド(1869-1951)Wikipediaより

今回ご紹介するアンドレ・ジイドの『ドストエフスキー』は1923年に出版され、ドストエフスキー論の古典として知られている作品です。

ジイドといえばソ連といえば『ソヴェト旅行記』が有名です。

以前紹介したこの記事ではジイドが1936年に憧れのソ連に旅をするも、大きな幻滅を味わったことをお話しました。

ジイドの『ドストエフスキー』もいつか読みたい本だなとずっと思っていたのですが、『ソヴェト旅行記』がとても面白かったのでこの機会にいざ読んでみようと私は図書館へ向かったのでした。

『ソヴェト旅行記』と同じく新潮社版のジイド全集は旧字体で書かれているので一瞬面を食らうのですが、読み始めてみるととジイドの筆が素晴らしいのかとても読みやすいものとなっていました。

そして何より、ドストエフスキーに対する興味深い見解がいくつもあり、目から鱗と言いますか、思わず声が出てしまうほどの発見がいくつもありました。今まで疑問に思っていたことや、かゆいけど手が届かなかった微妙なところをとてもわかりやすく解説してくれます。

フランス人作家ということでバルザックなどフランス文学との対比によってドストエフスキーを語ってくれるのも非常にありがたかったです。

とにかく明瞭でわかりやすい!これが読んでみての率直な感想です。

そして本書の中で驚いたのですが、ドストエフスキーは仏教的でさえあるとジイドは言うのです。

ジイドが仏教をどのように捉えているかはわかりませんが、おそらく西洋の理性・自我信仰に対し、ドストエフスキーの「彼らの知性を断念し、彼らの個人的意志を放擲することによってのみ、自我の放棄によってのみ、神の天国に入る」という思想がヒントになっていると思われます。それと、ロシアがアジア的な国であるというのも大きなポイントであると思います。

ジイドのこの指摘は非常に興味深いです。

ドストエフスキーが西欧社会を批判していたことについては以下の記事でも紹介していますので興味のある方はご参照ください。

他にもこの本についてまだまだ紹介したいことがたくさんありますが記事の分量上、そうもいきません。

この本は本当にすごいです。出版は1923年ということで、ドストエフスキー論の古典として有名な本ですがその内容は全く古びていません。

ただ、本そのものがかなり古いので文字が旧字体であったり、なかなか手に入りにくい本であることが玉に瑕です。函館図書館にこの本があったからいいものの、そうでなければ私は読んでいなかったかもしれません。この本が復刻版として新たに出版される日が来ること願っております。(私は図書館で借りた後に、あまりに面白かったので中古で購入しました)

この本と出会えて本当によかったなと思います。これはかなりおすすめです。ものすごく興味深い内容が満載です。ぜひ手に取って頂けたらと思います。


15 萩原俊治『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』

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萩原俊治氏は大阪府立大学の教授として勤められ2012年に名誉教授となられました。

また、現在も大阪府立大学の公開講座「ドストエフスキーを読む」を開講されています。

上のプロフィールにもありますが、私も萩原氏のブログ「こころなきみ」https://yumetiyo.hatenablog.com/のファンで、特に『カラマーゾフの兄弟』について書かれた記事に大きな感銘を受けました。ぜひおすすめしたいです。

この本は萩原氏の熱いメッセージで溢れています。この本は単にドストエフスキーを解説するだけでなく、ドストエフスキーを通して人生そのものを探究していく1冊です。とてもおすすめな作品です。

この記事のラストにこの本を紹介したのも、ドストエフスキーとは何かを学んだ上で実際に作品を読み、その上で自分が何を思い、感じたのかというのが大事だからだと思うからです。

上でも少しお話ししましたが、かつての教養ブームでドストエフスキーは「読まねばならないもの」として仰がれ、読んだことそれ自体に価値があるかのような面もありました。ですが、それで終わってしまうのも何か悲しいですよね。

これまで15冊の本を紹介しましたが、知れば知るほど味わいを増すのがドストエフスキーです。私もこうした解説書をふまえてさらに何度も何度もドストエフスキー作品を再読しています。毎回読むたびに新たな発見や味わいがあるのですから面白い。さすが世界最高峰の文豪と言われるだけあります。本当に恐るべき作家です。

ぜひ、この『ドストエフスキーのエレベーター』を参考に皆さんもドストエフスキーと戦ってみてはいかがでしょうか。

おわりに

以上、15冊のおすすめ参考書をご紹介しました。

この記事では紹介しきれなかった本がまだまだあります。

「おすすめドストエフスキー伝記一覧」
「おすすめドストエフスキー解説書一覧」
「ドストエフスキーとキリスト教のおすすめ解説書一覧」

それについては上のリンク先でご紹介していますので興味のある方はぜひご覧ください。

さて、ここまで様々な本を紹介してきましたが、タイトルで書いたように「ドストエフスキーのすごさはどこにあるのか」、これはもう私はひとりひとり自分で探してくださいとしか言いようがありません。

「何を元も子もないことを言っているのだ」と思われるかもしれませんが、この「人それぞれ答えが異なる」という点こそドストエフスキーの魅力であると私は思うのです。

このことについてはインドについて書いた「インド旅行はやめたほうがいい?その注意点と対処法を知れば万全です!」という記事の中でもお話ししたのですが、ここでも改めてお話しすることにしましょう。

つまり、こういうことになります。

【結論】ドストエフスキーは読者に「答え」ではなく「問い」を与える。

インドは「好きになってハマる人」と「二度と行くものかと大嫌いになる人」の両極端で分かれるというのは有名な話です。

私はどちらかというともちろん、大嫌いな方に分類されます。とはいえ、3度も行っているのだからもはや大嫌いでは通用しません。なので先ほども申したように私はよく「大嫌いだが大好きだ」と言うようにしています。

私がインドを嫌いなのはやはりその衛生面と食事、そしてそのカオスっぷりに理由があります。特に衛生面と食事はもう完全にアウトです。これはどうしようもありません。私にはトラウマがあります。

ですが、そのカオスっぷりに関して言えば、嫌いではあるがやはり面白いというのも正直なところです。

「(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日」の記事では次のようなエピソードを紹介しました。

そしていよいよ最終日、私は空港へと向かっていたのだが、珍しく高速道路が空いていたのである。

「明日はお祭りなので道が空いています」

ガイドさんはそう説明してくれた。ほお、そうなのか。

だが、しばらくするといつの間にか渋滞にはまり出した。

すると彼はこう言ったのである。

「明日はお祭りなので道が渋滞します」

え?さっきと言ってることと真逆では?ものの30分ですよ?

これがインド人なのか。適当。矛盾を気にしない。

神様は気まぐれだ。神様が笑っていればいいことがある。もし怒れば悪いことが起こる。首尾一貫した神様などいない。

因果や論理はあまり考えない。「神様のご機嫌次第」。これは何が起こるかわからないカオスの国インドならでは思考法なのかもしれない。

そう考えると、因果関係を厳密に追い求めようとする仏教がいかに論理的なことか。

だが、この瞬間ふと思ったこともある。

「空いている道もある。それはお祭りのため」。だが同時に「お祭りのために混んでいる道もある」。

こういう風に考えることもできるのではないか。となるとあながち矛盾でもないか・・・あぁ、もうやめよう、このままではどつぼにはまってしまう。

「(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日」の記事より

そう、インドでは何が起こるかわかりません。そしてそれに対しての明確な答えも存在しません。「こうだからこうなった」というのが通用しない世界なのです。それこそ神様のご機嫌次第。

このような世界にいると、当然自分の頭で物事を解釈していかなければならりません。何かよくわからないものが目の前に現れるのですが、それに対する答えやその糸口すらも見つかりません。そうなると自分で何か答えをひねり出すしかないのです。

そしてそれが積み重なると自分なりのインド像なるものが出来上がってきます。これが面白いのです。

この自分なりのインド像はもちろん、「インドそのもの」ではありません。それはあくまで「自分だけのインド」です。この明確な因果関係が見えないカオスたるインドには「空白」がありすぎます。その空白を埋めるのが私達ひとりひとりであり、そこに各々の個性が見えてくるのです。

世の中には無数のインド旅行記や体験記があふれていますが、それが面白いのもこれが理由ではないでしょうか。インドには空白が多すぎる。そしてそれを埋めるべくそれぞれの個性が現れてくる。その個性に我々読者は惹かれるのです。

そしてこれも強調したいのですが、こうした空白の多さはまさにロシアの文豪ドストエフスキーも同じなのです。

世の中には膨大なドストエフスキー論があふれています。トルストイやチェーホフなどと比べてもその差は歴然です。ドストエフスキーは他の作家と比べても圧倒的に論じられることが多い作家です。

実際、このドストエフスキーの作品も空白だらけです。「こうだからこうなった」という論理が存在しません。だからこそその空白を埋めるべく各読者が自らの内から必死に(あるいは無意識に)答えをひねり出すのです。

「ドストエフスキーは答えを与えるのではなく、問いを与える作家である」ということをジェルジ・ルカーチやアンドレ・ジイドは述べています。(※ルカーチ『トルストイとドストイェフスキイ』、ジイド『ドストエフスキー』参照)

私もまさにそう思います。そしてドストエフスキーと同じようにインドも私達に問いを与える存在なのです。

ですが、そう考えればひとつの恐ろしい問題も生じてきます。

インドやドストエフスキーについて語ることは「その人自身」を開示することでもある。つまり、インドやドストエフスキーについて論じた事柄はその人自身の思想やあり方をかなりの部分示してしまうということでもあるのです。

そう、インドやドストエフスキーはその人自身を映す鏡なのです。

これは実に恐ろしい。私自身ここに書いて戦慄しています。これはもう迂闊にインドやドストエフスキーについて語ることは控えた方がよいかもしれません。

まあ、冗談はよしとして、インドの面白さはこうした「空白の多さ」によるものが大きいのではないかと私自身は考えています。

この空白があるからこそ各人が様々に思考を巡らし、自然と自己の内面を問うていくことになる。「インドに行けば人生観」が変わるとよく言われますが、それはこうした側面があるからこそなのではないかと私は思います。

ちなみに言えば、私はインドに行って人生観が変わったとは思いません。なぜなら私はすでに答えを持ち、その答え合わせに旅に出るからです。何を言っているのかポカンかもしれませんが、私の旅のスタイルについては以下の記事でお話ししていますので興味のある方は覗いてみてください。

さて、話はインドにまで広がってしまいましたが、ドストエフスキーがなぜこんなにも多くの人の心を打ったのか、そしてなぜこんなにも多くのドストエフスキー論が語られるようになったのかが見えて来たのではないでしょうか。

つまり、彼の作品を読むことで知らず知らずの内に私達は自分自身の世界観や「自分にとって何が大切なのか」を自問自答させられるのです。そして自分の奥深く奥深くに潜った結果、人それぞれハッとさせられるものが浮かび上がってくるのです。私自身、『カラマーゾフの兄弟』を読んでそれこそ一生を変えられてしまったひとりです。あの衝撃は今も忘れられません。

これはあくまで私の仮説ではありますが、ドストエフスキーのすごさや魅力はこうしたところにあるのではないかと私は感じています。もちろん、彼の小説における高度な技巧や思想の深さ、物語の強さなど批評的に見ていけばいくらでもそのすごさは語ることができるでしょう。ただ、私としてはこの「問いを与える存在」としてのドストエフスキーに最もその偉大さを感じるというのが正直なところです。

では、長々とお話ししてきましたがこの記事はこれで以上とさせて頂きます。この記事が皆様のお役に立てましたら何よりでございます。

以上、「ドストエフスキーのすごさはどこにある?その魅力を味わうためのおすすめ解説書15冊を厳選してご紹介!」でした。


追記「ロシア文学のおすすめ名作10選!刺激的な参考書も合わせてご紹介」

以下の記事ではロシア文学のおすすめ作品10選と刺激的な参考書を合わせて紹介していきます。

それぞれのリンク先ではより詳しい内容をお話ししていますので興味のある本があればぜひご参照頂ければと思います。


連載「『カラマーゾフ』を読む」

2025年9月より当noteにて「『カラマーゾフ』を読む」を連載しています。

記事一覧は上のマガジンにまとめられていますが、その「まえがき」と「あとがき」にあたる記事が以下になります。

私の渾身の連載になります。ぜひご笑覧下さい。


※2025年4月29日追記 おすすめ記事のご紹介

ドストエフスキー研究者の齋須直人氏による「シベリアのドストエフスキー博物館について」という記事がnoteにて公開されました。

この旅行記ではロシアのドストエフスキーゆかりの地が紹介されるのですが、これがまたすごいんです!

記事タイトルにもありますように、齋須氏はこれまで日本人はおろか研究者ですらほとんど訪れることがなかったシベリアのドストエフスキーゆかりの地を巡っていきます。

ドストエフスキーは若き頃政治犯としてシベリアに流刑となっています。その流刑体験が後の彼の文学を形成したと言っても過言ではありません。

そんなドストエフスキーの足跡を辿るこの記事は非常に刺激的です。現地写真も豊富で、今のロシアの雰囲気も知ることができてとても興味深いです。ぜひおすすめしたい記事となっています。

また、その齋須氏によるロシア語講座もおすすめです。

この講座ではロシア語で『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章を読んでいくという、非常に貴重な授業となっています。詳しくはぜひ上の記事をご参照ください。


「ドストエフスキーの旅」連載記事はこちら


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