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笑えるカラマーゾフ、泣けるカラマーゾフ、再読して見えてきたもの~はじめに読む【あとがき】

【はじめに読むあとがき】笑えるカラマーゾフ、泣けるカラマーゾフ、再読して見えてきたもの「カラマーゾフを読む」(93)


※この記事は現在連載中の『カラマーゾフを読む』のあとがきになります。

私は本を読むときはいつも「まえがき」と「あとがき」を読んでから本文を読み始める派です。

そんな私でありますから、この連載においても「まえがき」と「あとがき」をセットでご提供したいと思っていたのですが、何せこの連載はまだまだ続きます。連載の最後まで待っていたら「あとがき」をアップできるのがかなり先のことになってしまい、それは私としても何とも忍び難い・・・。

というわけで、連載はまだ途中でありますが先に「あとがき」を更新してしまおうというのが今回の記事になります。

実はこの連載の記事自体はすでに全て書き終えております。なので「あとがき」自体も2か月前には完成しておりました。なので私としても全く問題はありません。

「カラマーゾフを読む」の記事制作を通して感じたことをこの「あとがき」で記しています。皆様の『カラマーゾフ』読書のお役に立てましたら何よりでございます。



【あとがき】

さて、数年ぶりに通読した『カラマーゾフ』。20歳の時に初めて読んだときから15年もの月日が流れました。私自身、節目節目にこの作品を再読し、「大審問官」の章や「ガリラヤのカナ」の章などはそれこそ何十回となく向き合ってきました。

しかし、今回『カラマーゾフ』を改めて通読し、驚いたことがいくつもありました。その最たるものが『カラマーゾフ』が笑える作品だったということです。

私はかつて、フョードルの存在に嫌悪感や苛立ちばかりを感じていたものです。特に初めて読んだ時など、ドミートリイと同じように「こんな男がなぜ生きているんだ!」と叫びたくなるほどでした。

しかしそれがどうでしょう。今やフョードルの道化に笑わずにはいられないのです。そしてそんな彼を応援したくなっている自分がいます。連載の中でもお話ししましたが、これは私が年を取ったということなのかもしれません。様々な社会経験を積み、様々な本を読んだ今だからこそフョードルという人間に共感できるものが生まれたのかもしれません。

また、中巻のドミートリイの喜劇に気付けたのも今回が初めてです。セッターやホフラコワとのやりとりはまさにコントそのもの!シェイクスピアの喜劇を見ているかのような気分になりました。これも私にとっては大きな驚きでした。

私自身、これまで『カラマーゾフ』といえば「姿勢を正して真剣に向かうべき小説」というイメージがあったのですが、そのイメージが完全に覆された形です。

そうです。『カラマーゾフ』といえば難解で重厚な書物というイメージが完全に吹き飛んだのです!

もはや私にとってこの作品は「泣けて笑える超大作」という位置づけとなったのです。

この「泣ける」というのはこの作品を読んだ方なら私が言うまでもなくわかると思います。アリョーシャの復活やイリューシャの死は涙せずにはおれません。今回も私はその両箇所で泣いてしまいました。

そして泣けるシーンはありつつも、フョードルやドミートリイ、ホフラコワらの喜劇はやはり場を明るくするのです。

もちろん、イワンが語る大審問官の叙事詩は私達人間の本質に迫る恐るべき問いを私たちに投げかけます。ここを笑って通り過ぎるなどということは私にはありえません。

ただ、私はもしかするとこの大審問官の叙事詩に引っ張られ過ぎていたのかもしれません。この章の深刻さを真っすぐ受け止め過ぎたせいでこの小説全体もそのトーンで読み進めてしまっていた可能性があります。

ですがドストエフスキーその人は、はたしてそれを望んでいたのでしょうか。

もちろん、ドストエフスキーも自身のありったけを詰め込んだ小説ですから真剣に読み込んでもらうことを期待していたでしょう。ですがだからといってずっと眉間にしわを寄せて読み続けるのもはたしてそれが正解だったのか、今や私にはそれが確信できません。

楽しむときは楽しめばよいのではないでしょうか。ドストエフスキーも喜劇的シーンは楽しみながら書いていたはずです。この連載でも何度もお話ししましたが、ドストエフスキーはシェイクスピア的な作家です。特にこの小説はまるで舞台を観ているかのようなタッチで進んでいきます。実際に舞台を観るがごとく読んでいくとその面白さが見えてくるというのが今回の再読での私の実感です。

この再読を通してドストエフスキーの偉大さが改めて身に沁みました。『カラマーゾフ』は広いです、広すぎるくらいです。

「大審問官」の章のような重厚な章があり、そうかと思えば俗なる道化がいる。敬虔なゾシマとアリョーシャの物語があり、喜劇的なホフラコワと中二病のリーザもいる。狡猾なラキーチンに邪悪なスメルジャコフ、高潔で高慢なカテリーナに、気性の激しいグルーシェニカ・・・

それぞれの登場人物にそれぞれの物語があります。そしてそれらが『カラマーゾフ』という大きな物語の中に重層的に折り重なっていく、それがこの小説なのだと。だからこそ悲劇的場面では私達も悲劇的になり、喜劇的場面では喜劇に浸ればよいのです。だから「泣けて笑える『カラマーゾフ』」なのです。

きっとまた数年後、私はこの作品を通読するでしょう。この作品はもはや私のライフワークです。年を経たら経たでその時にはまた新たな発見があることでしょう。何度読んでも新たな発見がある。これぞ時代を超えて読み継がれる傑作たる所以です。

ずっとやりたいやりたい、いや、やらねばやらねばと思っていた「カラマーゾフを読む」の連載もこれにて終了です。記事を書き始めてからここまで2か月弱・・・。記事のアップはゆっくりしたペースで行いましたが執筆自体は猛烈な速度で進めました。『親鸞伝』を書き終えてのリフレッシュのつもりがさらに自分を追い込むという本末転倒な結果になってしまいましたが、この連載を書ききれたことは私にとってひとつの区切りになったかなと思います。

また明日からは『親鸞伝』の校正や仏教の教科書作りに邁進します。

これまでこの連載にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。90回以上という冗談のような長さになってしまいましたが、そもそも『カラマーゾフ』が長いのですから仕方ありませんよね(笑)お許しください。

ぜひ今後ともお付き合い頂けましたら嬉しく思います。

2025年10月26日 真宗木辺派函館錦識寺 上田隆弘


※ちなみに、「まえがき」にあたる記事はこちらになります。未読の方はぜひこちらもどうぞ


連載記事「『カラマーゾフ』を読む」記事一覧はこちらのマガジンにて


以下の記事ではドストエフスキー小説をもっと楽しむためのおすすめの解説書をまとめています。ぜひこちらもご参照ください。

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