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本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 20~21/x №6-096 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【光秀という男】 結論 20~21/x   №6-096

はじめに ←目次 重要 ◎目次 【記事一覧】 
【五大要因】
 
1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【重要コメント】 001 002
 【信長という男】
 
目次 1/5  2/5  3/5  4/5  5/5
 結論
 【重史052】 【重史146】 【重史169】
 【光秀という男】
 
目次 1/7  2/7  3/7  4/7  5/7  6/7  7/7
 結論 目 1~4/x 目 5~8/x 目 9~14/x 目 15~17/x 目 18~19/x
      20~21/x 目 22~25/x 目
 1/x 目 2/x 目 3/x 目 4/x 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目 9/x
 10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目 16/x 目 17/x
 18/x 目 19/x 目 20/x 目 21/x 目 22/x 目 23/x 目
 【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】 【重史006】
 【重史007】 【重史008】 【重史098】 【重史172】 【重史173】
 【重史181】 【重史190】 【重史174】
 【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【さらなる夢】
 
概略 20/x
 関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
      4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
 
【重史140】 【重史141】 【重史142】
 【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
 【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【光秀という男】 結論 20~21/x           №6-096

結論 目  1~4/x   目 変の一因
      5~8/x   目 京都馬揃え
      9~14/x 目 ヴァリニャーノ来訪
    15~17/x 目 安土夜祭り
    18~19/x 目 スペインの野望
    20~21/x 目 信長の「さらなる夢」
    22~25/x 目 逆風

20/x

5/x~19/x 概略
信長の「さらなる夢」に関わる部分。

5/x
 天正九年年1581、「京都馬揃え」 。
 信長は、これを光秀に命じた。

 ヴァリニャーノが、上洛。
 信長に、拝謁した。

 6/x
 「御馬揃の事」
 その当日である。
 それは、正親町天皇御叡覧のもとで始まった。
 光秀は、先頭集団の三番手として登場した。

 7/x
 そして、信長が現れた。
 この時の、信長の装いである。

 8/x
 馬揃えは、辰の刻から未の刻(8時頃~14時頃)まで行われた。
 正親町天皇は、大そう御喜びになられた。
 「天下安泰」
 信長は、大衆に絶大な人気があった。

 9/x
 フロイスの見た「京都馬揃え」。
 信長は、ヴァリニャーノ一行のため桟敷(さじき)を用意した。
 
10/x
 信長が、安土へ帰った。
 ヴァリニャーノは、その後を追った。
 ヴァリニャーノの見た安土。

11/x
 本願寺を屈服させた今。
 「天下布武」は、大きく前進した。
 信長には、余裕があった。

 信長は、その後のことを考えた。
 信長は、東アジアの情勢に大きな関心をもっていた。
 なかでも、「シナ」について。
 信長は、ヴァリニャーノ一行を安土城に招待した。

12/x
 イエズス会は、シナの本拠地をマカオに置いた。
 ヴァリニャーノがマカオに赴任した。
 その翌年、来日。
 ヴァリニャーノは、「シナ」の事情に精通していた。
 信長は、「シナ」のことを、もっと知りたかった。

 ヴァリニャーノの略歴

13/x
 ヴァリニャーノは、安土にセミナリオ(神学校)を開校した。
 信長は、イエズス会の強力なスポンサー。
 信長は、幾度も、ヴァリニャーノと語り合った。

14/x
 ヴァリニャーノは、安土に一ヶ月ほど滞在した。
 ヴァリニャーノは、信長に、領内での布教(巡視)を願い出た。
 信長は、それを許可した。

 信長には、ヴァリニャーノと語り合う時間が十分にあった。
 信長は、ヴァリニャーノから大きな刺激をうけた。
 そして、覚醒。
 信長の心の中に、「さらなる夢」が芽生えた。

15/x
 ヴァリニャーノは、布教(巡視)を終え、再び、安土に帰った。
 信長は、ヴァリニャーノに対して格別な好意を示した。

 一、信長は、ヴァリニャーノに気に入りの屏風を贈った。

16/x
 二、信長は、ヴァリニャーノに経済的援助を約束した。

17/x
 三、信長は、ヴァリニャーノのために「夜祭り」を執り行った。

 信長は、ヴァリニャーノに大きな親愛の情を示した。
 信長は、ヴァリニャーノに出発の許可を与えた。
 信長は、ヴァリニャーノに強烈な印象を残した。

18/x
 東アジアを取り巻く国際情勢と「イエズス会」の動向にについて。

 1580年1月。
 スペイン、ポルトガルを併合。

 但し、領土については干渉せず。

 1582年12月。
 ヴァリニャーノはマカオにいた。
 ヴァリニャーノは、スペインのフィリピン総督に書簡を送った。

 スペインは、東アジア各地を征服しようとしていた。
 イエズス会の布教活動とこれら征服事業は、同時並行で行われた。
 スペインの最大の目的は、シナを征服することだった。
 ヴァリニャーノは、スペインの征服事業に加担していた。
 イエズス会は、スペインに従属していた。


19/x
 ヴァリニャーノは、日本についても論じている。

 日本への布教は、最も重要な事業の一つである。
 ヴァリニャーノの日本人観。
 高貴・有能・理性。

 日本は、征服事業の対象外。
 不向きな国である。
 理由は、二つ。

 一、日本の国土。
   不毛で貧しい。

 一、日本の軍事力。
   きわめて、強力。
   征服不可能である。


 日本は、利用すべき国。
 重要なパートナーである。

 ヴァリニャーノの心の中には、信長がいた。
 信長の存在が抑止力になった。
 結果、日本は、侵略されず。

21/x

信長の「さらなる夢」は、次第に、熟成されて行く。       →14/x
時間の経過・状況の変化とともに、少しづつ、少しづつ・・・・・。

信長は、きわめて目的意識の強い男。     →【信長という男】 目次
己の「夢」は、必ず、実現する。
「天下布武」は、手に届く距離にあった。

となれば、
それを成し遂げた後・・・・・。

信長は、この年、四十八歳。              →【重史052】
天正九年1581。

まだ、若い。
正に、男盛り。
気力・体力が漲っていた。

信長は、きわめて健康だった。       →【信長という男】 目次
「中背・瘦せ型・快調な声」                   2/5
「酒を飲まない」                        3/5
「清潔な人」                          4/5

「人間五十年」                    →【重史169】
信長は、幸若舞を好んだ。
特に、「敦盛」の、この一節。

  敦盛を一番より外は、御舞ひ候はず候。
 
  人間五十年、
  下天の内をくら(比)ぶれば、
  夢幻の如く也、
  一度生を得て、
  滅せぬ者の有るべきか、
                           (『信長公記』)

信長は、この「五十年」を強く意識していた。
心の奥底に、深く刻み込まれていた。
          →【四国問題】  5月12日 2/7 【重史169】

「滅せぬ者の有るべきか」
「死」は、誰にでも、必ず、訪れる。
信長とて、それは同じ。

信長は、時間を制約されていた。
=急がねばならなかった。

その様な年代だった、ということ。

「天下布武」に、あと五年・・・・・。
これまでの進行速度を見れば、その位になるのではないだろうか。
とすれば、五十三歳。

そして、
準備に、二年・・・・・。
これで、五十五歳。

「シナ」は、その先にあった。
「間に合う」
否、「間に合わす」・・・・・。

おそらく、この頃は、その位のスパンで考えていたものと思う。

すなわち、ギリギリのタイミングであった。

【重要コメント】002

要注意!!

光秀は、出来る男。              →【光秀という男】 4/7
キレ者である。
洞察力に優れていた。
信長の心の内を知りつくしていた。

したがって、
光秀は、当然、信長の「さらなる夢」を知っていた。       →14/x

また、
光秀の妹 妻木氏が、信長のすぐ側に仕えていた。   →【重史006】 14/x
光秀にとっては、貴重な情報源。

となれば、尚更である。
光秀が、これを知らぬわけがない。

信長が、「天下布武」を標榜して、早、十五年。     →【重史098】
ようやく、ここまで、辿り着いた。
「なれど、道は、遠い」
これまでに、要した時間・労力等を考えれば、当然、そうなるであろう。
「一寸先は、闇」
何が起きるかわからぬ時代。
光秀が、そう考えるのも不思議はなかろう。

それ故、
この時(天正九年1581)は、
光秀は、信長の「さらなる夢」について、まだ、それ程、深くは、考えていなかった。                          →14/x

これすなわち、「油断」。
結果としては、そういうことになる。

ここからである。
光秀に、逆風が吹き始めるのは・・・・・。



 ⇒ 次へつづく




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