本能寺の変1582 【信長という男】 目次 №6-019 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【信長という男】 目次 №6-019
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3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
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→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【信長という男】 目次 №6-019
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これが、信長の実像である。 『日本史』
宣教師フロイスは、歴史の証人。
信長のことを、よく見ていた (①~⑲) 。
特に、性格・人間性等について。
要注意!!
①中くらいの背丈で、華奢な体軀であり・・・声は快調で、
②極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、
③名誉心に富み、正義において厳格であった。
自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
④幾つかのことでは人間味と慈愛を示した。
⑤彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。
⑥はなはだ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、
非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。
⑦彼はわずかしか・・・家臣の忠言に従わず、
一同からきわめて畏敬されていた。
⑧酒を飲まず、食を節し、
⑨人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
⑩彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。
⑪彼は、善き理性と明晰な判断力を有し、
⑫神および仏のいっさいの礼拝、尊崇・・・の軽蔑者であった。
霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
⑬彼は自邸においてきわめて清潔であり、
⑭自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、
⑮対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、
⑯ごく卑賤の家来とも親しく話をした。
⑰愛好したのは・・・茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩・・・相撲
⑱何ぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。
⑲彼は少しく憂鬱な面影を有し・・・はなはだ大胆不敵で、
万事において人々は彼の言葉に服従した。
信長とフロイスの交流は、永禄十二年1569に始まった。 『日本史』
信長は、天文三年1534の生れ。
この時、三十六歳。
①信長は、中背・瘦せ型・快調な声の人だった。 『日本史』
②信長は、典型的な戦国武将。 『日本史』
軍事力の強化に、余念がなかった。
③信長は、誇り高い男。 『日本史』
正義感が強い。
④信長には、人間らしい一面もあった。 『日本史』
⑤信長は、目的意識が強い男。 『日本史』
時間と戦っていた。
⑥信長は、冷静沈着・激烈果断の人。 『日本史』
典型的な戦国武将。
戦巧者である。
⑦信長は、信念の人。 『日本史』
人を惹きつけるカリスマ性があった。
家臣らの意見をよく聞いた。
だが、必ずしも、それを受け容れるとは限らない。
⑧信長は、酒を飲まない。 『日本史』
⑨信長は、専制絶対君主。 『日本史』
己が、天下の支配者であることを強く意識していた。
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⑩信長は、忍耐強い。
粘り強い→しつこい=執拗→執念深い。
⑪信長は、理性的であり判断力に優れていた。
そして、このことが、信長の過度な合理主義へと繋がっていく。
⑫信長は、神仏を信用していない。
⑬信長は、清潔な人だった。
⑭信長は、完璧主義者。
なかなか、気難しい性格である。
この様な信長の期待に、見事に、応えたのが、光秀と秀吉の二人だった。
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⑮信長は、冗漫を嫌った。
せっかち・性急・気が短い。
⑯信長には、気さくな一面があった。
⑰信長の好むもの。
⑱信長は、用心深い。
注意深い→疑い深い→猜疑心が強い。
⑲信長は、人の心を引きつけた。
カリスマ性があった。
以上、①~⑲。
これで、信長の輪郭が見えて来た。
光秀は、信長の性格を知り尽くしていた。
「打てば響く」
信長は、大いに気に入った。
そして、抜擢。
以後、光秀は、出世街道を驀進する。
すなわち、
信長の性格が、光秀の意志決定に大きな影響を及ぼした。
特に、以下の部分に注意!!
信長は、典型的な戦国武将。→②⑥
猜疑心が強く、疑い深い。→⑱
粘り強く、執念深い。→⑩
信長は、絶対専制君主。→⑨
誇り高い男。→③
命に背く者は、決して、容赦しない。
信長は、目的意識が強い。→⑤⑦
信念の人。→⑦⑤
「天下布武」
「さらなる夢」
信長は、合理主義者。→⑪
無駄を嫌う。
信長は、完璧主義者。→⑭
なかなか、難しい性格である。
この様な信長の期待に、見事に、応えたのが、光秀と秀吉の二人だった。
信長は、せっかち・性急・気が短い。→⑮
「人間五十年」
時間と戦っていた。
結果として、
これらが、ベースとなり、
光秀を、最終局面に追い込むことになる。
光秀の心理面に大きなプレッシャーを与えていた。
つまり、
信長自身の性格が、光秀を突き動かし、
この事件を引き起こす大きな原因の一つになった、
と言える。
そして、ついに、その限界を突破する日がやって来る。
それが、「本能寺の変」。
天正十年1582、六月二日だった。
⇒ 次へつづく
