本能寺の変1582 【さらなる夢】 関連史料 1 №6-070 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
信長の【さらなる夢】 関連史料 1 №6-070
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1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
【さらなる夢】
関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ 3安土の夜祭り
4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
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【信長という男】 目次
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【光秀という男】 目次
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
1京都馬揃え №6-070
【重史191】 ✓ 天正09 158100123
①正月廿三日、惟任日向守に仰せ付けられ、
②京都にて、御馬揃へなさるべきの間、
③御朱印を以て、御分国に御触れこれあり。
『信長公記』
【重史192】 ✓ 天正09 158100123
①先度は、爆竹の諸道具こしらへ、
②然らば、重ねて、京にては、切々、馬を乗り遊ぶべく候、
③幾内の直奉公の者共、老若を出すべく候、
④其方(光秀)、請取り申し触るべく候、
⑤三好山城守(康長)、是れは、阿波へ遣はし候間、除くべく候、
⑥六十余州へ相聞ゆべく候の条、馬数多くしたて、
「士林証文」
【重史242】 公 天正09 158100223
①二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿、御上洛。
②二月廿日、信長御出京。
本能寺に至つて御座を移さる。
③二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
『信長公記』
【重史200】 公 天正09 158100228
①二月廿八日、
②五畿内隣国の大名・小名・御家人を召し寄せられ、
③天下に於て、御馬揃へをなされ、
④聖王へ、御叡覧に備へられ訖んぬ。
⑤儀式の御結構、美々しき有様、筆にも、詞にも、述べがたく、
⑥下京本能寺を、信長、辰の刻(8時頃)に出でさせられ、
『信長公記』1/6
【重史201】 公 天正09 158100228
①一番に、惟住五郎左衛門尉(丹羽)長秀、
②二番、蜂屋兵庫頭、
③三番、惟任日向守、
④四番、村井作右衛門、
⑤御連枝の御衆。
⑥公家衆。
⑦御馬廻、御小姓衆。
⑧越前衆。
『信長公記』2/6
【重史243】 公 天正09 158100228
①御弓衆、百人。
②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
④八番、御曲彔持ち四人。
『信長公記』
【重史244】 公 天正09 158100228
①左、御先小姓、
②右、御先小姓、
③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
④御内府の御装束。
⑤御眉にて、きんしや(金紗)を以てほうこうめされ、
⑥御頭巾、とうかむり。
⑦御後ろの方に、花を立てさせられ、
⑧御膚(はだ)にめさせられ候御小袖、紅梅に白のだん、
⑨永岡与一郎(細川忠興)、都にて尋ね、捜し求め、進上。
⑩御肩衣、べにどんすに、きりから(桐唐)草なり。
⑪御袴、同前なり。
⑫御腰に、ぼたんの作り花をさゝせられ、
⑬御腰蓑、白熊。
⑭御沓(くつ)は、猩々皮、
⑮(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
⑯各、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
『信長公記』
【重史245】 公 天正09 158100228
①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
『信長公記』
【重史246】 公 天正09 158100228
①岐阜中将信忠卿、驄(あしげ)の御馬、
②北畠中将信雄卿、河原毛御馬。
③織田三七信孝、糟毛御馬、
④後には、御馬ども懸け足にめさせられ、御叡覧に備へられ、
⑤本朝の儀は申すに及ばず、
⑥異国にも、かほどの様(ためし)これあるべからず。
⑦天下安泰にして、黎民(れいみん)、烟戸(かまど)さ(鎖)ゝず、
⑧かほど面白き御遊興、
⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、御綸言。
⑩信長の御面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
⑪千秋万歳、珍重々々。
『信長公記』
【重史202】 ✓ 天正09 158100305
①今度、御馬揃の儀、夥敷(おびただしく)、相聞え申し候事、
②参上せしめず候段、無念に存ずる計(ばか)りに候、
③爰元、(姫路城の)普請等、漸(ようや)く出来候、
「富田文書」
⇒ 次へつづく
