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「花散るらむ、それでも君と」14

第13章 雨上がりの教室
月曜の朝礼は、いつものざわめきが嘘のように静まっていた。職員会議を終えた石川教頭が壇上に立ち、緊張で硬い声を絞り出す。
「国語科・吉野京一先生が二十三日未明、病院にてご逝去されました。享年三十歳。全校で黙祷を捧げます」
椅子のきしむ音ひとつなく、体育館は沈んだ。理香は列の最後尾で目を閉じ、胸の奥で小さく名を呼んだ。息を吐くと、あの日図書室で聞いた笑い声が遠ざかるように揺らいだ。
 
午前中の授業は代講で埋めた。二年B組の古文は理香が入る。京一の机にはまだ赤ペンと栞の挟まれた教科書が置かれている。黒板に「伊勢物語」と書き、振り向くと教室の空気が張り詰めていた。 
「今日は十五分だけ、吉野先生の思い出に触れたいと思います」
生徒がノートを閉じる。誰かがすすり泣き、隣の席がそっと肩を抱く。理香は板書のチョークを握り直し、声が震えないように喉で言葉を丸めた。 
「“もの思ふと 人の問ふまで 心には かくる涙を 袖やしるらむ”──先生が最後に配ったプリントです。質問は大丈夫、ゆっくりでいいから」
大きな沈黙のあと、前列の男子が手を挙げた。「先生、本当に事故なんですか?」
「ええ。突然の病です」
事実はそれだけで充分だった。教室の空気がわずかに緩む。 
 
昼休み、理香は保健室で弁当を広げた。味がわからず、箸はすぐ止まる。石川教頭が戸口に立ち、手にした書類を渡してきた。
「吉野のクラス担任、二学期まであなたが兼任してくれ」
押しつけがましい響きがない。理香は伏し目がちに受け取る。「はい。……教頭先生、櫻華さんのことですが」
「医師から“今は経過順調”との報告を受けた。復学時期は未定だが、転学は勧めない。彼女はこの学校の生徒だ」
短い返答に、理香は胸が温かくなるのを感じた。 
 
終業チャイムのあと、理香はタクシーで病院へ向かった。面会証を受け取り、循環器病棟の階段を上がる。個室の扉を叩くと、櫻華がゆっくり起き上がり、胸に手を当てて微笑んだ。
「若松先生……」
肌にはまだ手術の蒼さが残るが、頬に赤みが差している。理香は花束の代わりに青い表紙のノートを差し出した。
「クラスのみんなからの寄せ書き。落ち着いたら読んでね」
櫻華はページをめくり、震える指で一行をなぞった。
“また一緒に百人一首やろう 松本美羽”
瞳が潤むのを見て、理香は声を低くした。
「葬儀は家族と職員だけの小さな式になったわ。──行きたいでしょうけど、身体が最優先よ」
櫻華は小さく首を振る。「先生にお願いがあります。代わりに短歌を一首、読み上げてほしいんです」
枕元のメモ用紙に書かれた走り書きは紀友則の歌だった。
ひさかたの ひかりのどけき春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
理香は読み返し、胸の奥に痛いほど透明な風が吹くのを感じた。「わかった。必ず届けるわ」
 
葬儀の日、四月最後の雨が止みかけた午後、祭壇の前で理香は深呼吸し、声帯を震わせた。朗読が終わると同時に遺影の下の百合がほのかに揺れ、窓から差した光が京一の笑顔を淡く照らした。
(先生、あなたの春は生徒たちが続けます。私も、その先を見守ります)
合掌した指先に、あの夜屋上で感じた冷たい風はもうなかった。代わりに柔らかな拍動が、遠い病室の少女とこの場を静かに結びつけていた。

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序章 ―散った声が、胸に降る―
第1章 色のない春
第2章 薄紅の予感
第3章 桜の補習
第4章 父の影、娘の決意
第5章 揺れる教師たち
第6章 薄暮の約束
第7章 雨のドナー通知
第8章 病室の告白
第9章 白い夜明け
第10章 砕ける閃光
第11章 静かな引き渡し
第12章 新しい鼓動
第13章 雨上がりの教室
第14章 薫風の坂道
エピローグ

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金森努@マーケティング・研修講師/コンサルタント ありがとうございます! これからも頑張ります。