「花散るらむ、それでも君と」1
〈桜は散る。けれど想いは、鼓動を換えて咲き続ける。〉
十数年前、川沿いの桜吹雪のただ中で親友を救えなかった国語教師・京一。
春を恐れる彼の前に「心臓という時限爆弾」を抱えた新入生・櫻華が現れる。
百人一首の声に導かれた二人の孤独は教室の空気を密かに共振させ、止まれない鼓動へと重なっていく。
“散る”ことを嘆く歌、“咲く”理由を探す日々――そして訪れる運命の夜。
ページをめくるたび、白い紙面が桜色に染まる恋と命の物語。
序章 ―散った声が、胸に降る―
第1章 色のない春
第2章 薄紅の予感
第3章 桜の補習
第4章 父の影、娘の決意
第5章 揺れる教師たち
第6章 薄暮の約束
第7章 雨のドナー通知
第8章 病室の告白
第9章 白い夜明け
第10章 砕ける閃光
第11章 静かな引き渡し
第12章 新しい鼓動
第13章 雨上がりの教室
第14章 薫風の坂道
エピローグ
序章 ―散った声が、胸に降る―
川沿いの遊歩道は、風が吹くたび薄紅に煙った。
中二の春。――十数年前の映像が、吉野京一の脳裏で巻き戻る。
桜子が倒れたのは、満開の桜吹雪のただ中だった。
短歌のプリントを握ったまま、彼女は膝から崩れ落ち、少年だった京一の胸元に小さく凭れた。
「桜子!」 名を呼ぶ声だけが膨張し、他の音はすべて遠のく。
花びらが降り注ぐ景色は、祝福と呪いがひとつになったように眩しかった。
――そして、時は一気に引き絞られる。
四月の始業式。三十歳になった京一は、聖南学院高校の教員用控室でネクタイを締め直した。
窓の外では、同じ桜並木が揺れている。だが色がない。桜を見るたび、あの日の白い顔と血の気を失った唇が重なり、視界が灰色に落ち込む。
「吉野先生、朝礼の時間ですよ」
年配の教頭が声を掛ける。――理事長の息子、という立場が京一の背中に貼りついて久しい。
教室へ向かう廊下でも、桜の匂いが微かに入り込み、胸骨の裏を冷たく撫でていった。
講壇に立った瞬間、生徒たちのざわめきが海のように押し寄せる。
“国語科担当・吉野京一、担任――” 自己紹介の定型文を口にするたび、言葉は空洞になる。
自分は教師としてここに立っているが、“未来”を語る資格が本当にあるのか。毎年、春が来るたび問いが疼く。
ホームルームを終え、名簿をめくる指がふと止まった。
蔵内櫻華――桜の字が刃のように目を射抜く。
“桜子”と響きが近い。ただそれだけで胸がざわめき、内ポケットに入れた鎮痛薬の小瓶が存在を主張する。
放課後。校庭の桜は日差しを浴び、はらりと花を散らしていた。
京一は枝を見上げる。青空は柔らかく、しかし花びらは容赦なく宙を割る。
「ひさかたの ひかりのどけき春の日に――」
桜子が最後に口にした歌が脳裏でほろりと滑った。成仏しない旋律は、十数年経ってもまだ胸腔を叩く。
同僚たちの笑い声が遠くで混じり、チャイムがスピーカーから零れ落ちる。
“あの日”と“今日”が、桜の花びら一枚の距離で重なった。
花は咲き、散り、また咲く。けれどあのとき抱き支えた温度だけは、二度と戻らない。
――春は、今年もやって来た。
色のない桜に囲まれながら、吉野京一は胸の奥で静かに呟く。
「今年も乗り切れるだろうか、桜の季節を――」
不意に、風が吹き、教室棟の陰からどこか儚い咳き込みが聞こえた。
薄紅の残響が、次の物語の扉をかすかに叩いていた。
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