「花散るらむ、それでも君と」16
エピローグ
教室の窓から射す斜陽が黒板を斜めに照らし、チョークの白が金色に縁取られた。十月半ば、ホームルームの終わり際。若松理香が職員机の前で書類を掲げる。
「吉野京一先生の遺志を受け継ぐ“桜奨学金”が、今日の理事会で正式に承認されました。慢性疾患や長期療養と向き合う在校生を支援します。……協力してくれたみんな、ありがとう」
拍手が起こる。蔵内櫻華は胸元に手を重ね、深い息で鼓動を確かめた。背筋を伸ばすと、美羽が片眉を上げて笑う――あの春、保健室で決意を交わしたときと同じ合図。ガラス越しに銀杏がきらめき、落ち葉が風に舞い上がった。
体育館の空気は、きしみを含んだ木の匂いと線香のような畳の香で満ちていた。三月、文化祭当日。百人一首大会「Yoshino Cup」の横断幕がステージを跨ぎ、赤いカーテンの隙間から春先の光がこぼれる。
コート中央に置かれた桜材のトロフィーを囲み、選手たちが正座した。読手に立つ理香がマイクを握る。声がマイクに乗る瞬間、体育館が水面のように静まった。
「ひさかたの――」
一字目が天井へ跳ね返り、札が走った。櫻華の右手が閃き、相手陣へ木札が吸い込まれる。乾いた音と同時に胸の奥で力強い拍動がひとつ。京一の心臓がリズムを示し、観客席で見守る一年生が息を呑む。
次の札が読まれるまでのわずかな静けさ。櫻華の耳に、遠い桜のざわめきが重なった。かつて恐れていた散華の響きではない。開花へ向かう、芽吹きの音だった。
夕刻、競技が終わる頃には西日が低く差し、体育館のドアの外に長い影を落としていた。撤収を終えた櫻華は杖をたたみ、校庭の桜へ向かう。枝先には小さな薄紅がほころび始めている。
幹に手を当て、目を閉じる。春風が髪を揺らし、胸の奥で鼓動が応えた。
「先生、見えていますか。散ることを怖れない春を――これからも一緒に生きていきます」
葉影が揺れ、花びらがひとひら指先に落ちた。軽い脈打ちが花弁を温め、やがて空へ戻す。遠く、体育館の窓に残光がきらりと跳ねた。
桜は来年も咲くだろう。そのたびに彼の声が和歌の調べとなって戻り、胸の鼓動が答える。
終わらない春の中心で、ふたりのリズムが静かに重なり続けていた。
(了)
序章 ―散った声が、胸に降る―
第1章 色のない春
第2章 薄紅の予感
第3章 桜の補習
第4章 父の影、娘の決意
第5章 揺れる教師たち
第6章 薄暮の約束
第7章 雨のドナー通知
第8章 病室の告白
第9章 白い夜明け
第10章 砕ける閃光
第11章 静かな引き渡し
第12章 新しい鼓動
第13章 雨上がりの教室
第14章 薫風の坂道
エピローグ
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