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【つの版】度量衡比較:貨幣編・インデックス05

 ドーモ、三宅つのです。あまりにも増えてきたのでさらにインデックスを作りました。もはや貨幣史からはみ出していますが気にしないでください。

 つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。


◆藩政改革編:甲斐

198.甲州動乱

 甲斐は信濃と同じく山に囲まれた内陸の寒冷地で、土地は痩せていましたが、馬を飼育するには向いていました。甲斐源氏はこの馬牧を支配下におさめて勢力を広げ、戦国時代には武田信玄が現れることとなります。

199.甲府勤番

 江戸時代前期の甲斐国にはしばしば親藩が置かれましたが、徳川吉宗は甲府藩を取り潰して直轄地とし、旗本・御家人の実質的な左遷地としました。

◆藩政改革編:駿河・伊豆・遠江

200.今川義元

 南北朝時代から戦国時代にかけて、駿河には今川氏が拠点を置きました。

201.今川氏真

 桶狭間の戦いで今川義元が討死した後、後を継いだ今川氏真は領国を保つべく奮闘しますが、最終的に駿河を制圧したのは徳川家康でした。

202.駿府城代

 江戸時代の駿河は大部分が駿府城代の領地となり、幕府の代官によって治められました。

203.伊豆北条

 鎌倉幕府の実権を握った北条氏、戦国時代の後北条氏は、ともに伊豆北部にルーツを持ちます。

204.韮山代官

 北条氏滅亡後、伊豆は徳川家康の領国とされ、三島と韮山に代官が置かれました。

205.遠州藩政

 遠江国には掛川藩・浜松藩ほかいくつかの藩が置かれました。

◆藩政改革編:三河・尾張

206.三河松平

 三河は鎌倉時代より足利氏が守護職をつとめ、多くの分家が本貫地を持っていました。室町時代後期にはこの地に松平氏が出現します。

207.岡崎城主

 岡崎は三河国の中心地にあり、中世には事実上の国府として栄えました。徳川家康は父祖以来この地を居城としています。

208.吉田城主

 戦国時代前期に城が築かれた今橋/吉田(豊橋)は東三河の中心地となり、江戸時代には三河吉田藩が置かれました。

209.斯波尾州

 尾張国は、室町時代には足利氏分家の斯波氏が守護職をつとめましたが、守護代の織田氏一族が勢力を強め、織田信長に至ります。

210.織田信雄

 信長は嫡男信忠に家督と尾張・美濃を譲っていましたが、本能寺の変で両者が死ぬと信忠の子の三法師、ついで信忠の弟・信雄が相続します。

211.徳川宗春

 江戸時代の尾張国は、徳川宗家の分家である尾張徳川家の領国となり、名古屋を中心地として栄えました。

◆藩政改革編:美濃

212.土岐桔梗

 東西交通の要衝である美濃国では、南北朝時代より美濃源氏の土岐氏が守護となりましたが、室町時代には守護代の斎藤氏が台頭します。

213.斎藤道三

 戦国時代、土岐氏や斎藤氏は跡継ぎを巡って分裂し、斎藤氏の分家の養子である長井新左衛門・新九郎(斎藤道三)父子が台頭します。

214.岐阜城主

 美濃斎藤氏の居城であった稲葉山城は、織田信長によって岐阜城と改名され、関ヶ原の戦いの後に破却されて加納城に移築されました。

215.東濃概略

 美濃東部の恵那郡には鎌倉時代より遠山氏が割拠し、南北朝時代に土岐氏が西へ移ると、土岐郡にも勢力を広げました。

216.中濃概略

 中濃東部の可児郡金山城には織田信長により森可成が封じられ、子の長可は甲州征伐で活躍し、天正壬午の乱の後は中濃・東濃を制圧します。

217.西濃概略

 美濃西部は濃尾平野北部にあって人口が多く、江戸時代には美濃郡代の笠松陣屋、尾張藩支藩の今尾藩・高須藩、10万石の大垣藩が置かれました。

◆藩政改革編:飛騨

218.飛騨概略

 飛騨国は信濃・美濃・加賀・越中に接する山岳地帯で、北部は美濃よりも越中と関係が強い地域でした。

219.姉小路家

 南北朝時代から戦国時代にかけて、飛騨には飛騨国司を称する姉小路氏らが割拠していました。

220.飛騨高山

 豊臣秀吉は金森長近を飛騨国主に任じ、江戸時代まで子孫が飛騨を治めましたが、鉱山や木材を狙った幕府により国替えされ、幕府領となりました。

◆藩政改革編:越中・能登・加賀

221.神保長誠

 現在の富山県にあたる越中国は、室町時代に畠山氏が守護となり、守護代の神保氏や椎名氏が実権を握りました。

222.佐々成政

 戦国時代には諸勢力の角逐の末に上杉謙信が越中を制圧しますが、彼が没すると織田信長の家臣・佐々成政が越中を平定します。

223.富山売薬

 江戸時代には加賀前田家の分家が婦負郡等10万石に封じられ、富山藩が立てられました。

224.能登概略

 能登国は室町時代に畠山氏が守護職となり、戦国時代まで存続しました。その後は前田家が領有し、加賀藩の一部となっています。

225.富樫一族

 加賀国は室町時代に富樫氏が守護職となりましたが、一向一揆に敗れて支配力を失い、以後「百姓の持ちたる国」となりました。

226.前田利家

 上杉謙信が没し織田信長が本願寺と和睦すると、加賀北部は佐久間盛政、次いで前田利家が制圧します。

227.加賀騒動

 前田家は加賀・能登・越中119万石余を領する大大名となり、加賀国金沢城を居城として北陸を治めました。

◆藩政改革編:越前

228.越前概略

 越前国は室町時代に斯波氏が守護となりましたが、応仁の乱の時に家来の朝倉孝景が幕府から守護代職を授かり、戦国大名となります。

229.越前朝倉

 越前朝倉氏は5代100年に渡り栄えた末、織田信長に攻め滅ぼされます。

230.柴田勝家

 朝倉氏が滅亡したのち、織田信長は北陸方面軍の総司令官として、重臣の柴田勝家を越前に封じました。

231.大谷吉継

 柴田勝家の滅亡後、越前には丹羽氏・堀氏・青木氏などが封じられ、敦賀には大谷吉継が封じられました。関ヶ原の戦いの後、徳川家康は越前国に庶長子の結城秀康を封じ、子孫は代々越前を治めました。

232.福井藩主

 北ノ庄城改め福井城を居城とした越前松平家は、家督相続問題が相次いで領地を減らされ、家格も下落していきます。

◆藩政改革編:若狭

233.若狭概略

 北陸道最南端の若狭国は、若狭湾・琵琶湖・畿内を繋ぐ交通の要衝として古来栄えました。

234.若狭武田

 15世紀中頃から16世紀後半にかけて、若狭国は武田氏が守護職をつとめました。しかし次第に衰退し、越前朝倉氏や織田信長に制圧されます。

235.小浜藩主

 江戸時代には京極高次・忠高、次いで酒井忠勝が小浜藩主となり、以後廃藩置県まで酒井家が若狭一国と越前国敦賀郡を治めました。

◆藩政改革編:近江

236.古代近江

 琵琶湖を擁する近江国は、日本の交易路の結節点かつ中枢をなし、近江南部やその近辺にはしばしば都が置かれています。

237.山寺門争

 平安京は琵琶湖の運輸能力に依存しており、その流通の利権を巡って比叡山延暦寺(山門)と分派の園城寺(寺門)は対立を深めます。

238.叡山強訴

 園城寺は摂関家や興福寺、朝廷や院庁、河内源氏と手を結び延暦寺に対抗しますが、延暦寺は強訴や焼討を行って激しく抗います。

239.近江源氏

 近江には蒲生郡の佐々木氏(宇多源氏)、浅井郡の山本氏(河内源氏/新羅源氏)などの武家が割拠し、源平合戦の時も活躍しました。

240.京極道誉

 佐々木氏は承久の乱の後に信綱が家督を継ぎますが、彼の子らのうち三男泰綱は家督と江南6郡を、四男氏信は江北6郡を相続し、それぞれ六角氏と京極氏の祖となりました。足利尊氏の腹心・京極道誉は氏信の曾孫です。

241.南北朝乱

 天下の中枢である近江を抑えた道誉は、佐々木氏宗家の六角氏頼らを娘婿として足利政権において強力な権勢を振るいました。

242.京極六角

 京極氏と六角氏はともに室町幕府の守護大名として栄えますが、家督争いに幕府が介入して混乱し、応仁の乱では両家とも東西に分かれて争います。

243.近江動乱

 六角高頼は将軍足利義尚や義材による征伐を受けますが、甲賀に撤退してゲリラ戦を仕掛け、あるいは美濃に支援を要請して返り咲いています。将軍家自体も分裂して混乱し、天下は戦国乱世に突入しました。

244.管領代行

 六角定頼は細川晴元とともに足利義晴を輔佐しますが、細川一族や家来の反乱が相次ぎ、晴元は義晴ともども近江に亡命します。

245.六角承禎

 六角定頼の子義賢(承禎)は足利義輝と三好長慶の和睦を仲介しますが、細川晴元を支援して長慶と争うようになり、内紛や浅井長政の反乱によって勢力が衰えます。

246.姉川合戦

 足利義昭を奉じて美濃から上洛した織田信長は、六角氏・朝倉氏・浅井氏や本願寺・延暦寺・三好三人衆らによる包囲網に苦しめられます。

247.安土築城

 包囲網を撃破した織田信長は、美濃から近江に拠点を移し、六角氏の居城であった観音寺城の近くに安土城を築きました。

248.安土炎上

 本能寺の変で織田信長が討たれた後、明智光秀は京都と近江を制圧しますが、山崎の戦いで敗れて討ち取られます。その数日後、安土城の天主は炎上して焼け落ちました。

249.石田三成

 賤ヶ岳の戦いの後、秀吉は近江を領国化して蔵入地(直轄地)や一門の所領とし、佐和山城には石田三成を封じました。

250.井伊直孝

 関ヶ原の戦いの後、徳川家康は佐和山城に重臣・井伊直政を入れ、畿内と西国への抑えとしました。その子らは近隣に築かれた彦根城に移ります。

251.彦根牛肉

 彦根藩主井伊家は徳川譜代筆頭の重臣として幕府大老をつとめ、畿内西国への抑えを果たしました。近江牛のルーツも彦根藩の軍備にあります。

【続く】

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