『変態病院』episode1 コードグリーンー爆弾を抱えて走る。《創作大賞2025#お仕事小説部門》
あらすじ
看護師・モスキートエリが遭遇する“変態病院”の非日常と、笑いと涙に満ちたリアルな日常を綴るノンフィクションお仕事小説。便意と命、検尿カップとビオトープ、ぶっ放す敬語と浣腸。——現場の混乱の中、病院の中で巻き起こるおかしな出来事の数々。
「私だって、人間です!」心の叫びと、“看護すること”の尊さと滑稽さを詰め込んだ、笑って泣ける、ハートルコメディ。そして、命と祈りの物語。
episode1 コードグリーンー爆弾を抱えて走る。
私は、かれこれ10年近くのキャリアをもつ、総合病院勤務の看護師だ。これは、私が体験したノンフィクションのお仕事小説である。
私「モスキート エリ」は、時々テロリストになる。胃腸が弱いの代名詞を持つ女だ。わかりやすく言えば、「うんこ」との相性がすこぶる悪い。肛門付近に手榴弾を抱える。これは、切実かつ、常に危機的な状況だ。
これからお話しするエピソードは、職員用トイレに向かうという、至ってシンプルな出来事である。
私は、年に数回「くとうてん」と、病院コメディカルにご指摘を受ける。余裕がなくなると、どうしたってつけられないのだ。
「あ、エリ。リハビリ入りたいんだけど、酸素ボンベ空っぽだよ!入れ替えないとリハ室いけないよ!」
理学療法士の川北くんだ。
「チェックが甘いよもう変えておいたおぬしの操作方法が悪いのだ点滴の更新で今ナースが向かっているからお待ち」
川北くんは、無言でポツーンと立ち尽くしている。
辿りついた先の6階のトイレは満室だった。だが、私は振り返らないし、はなから期待していなかったと、自分に言い聞かせて階段を使い一気に5階まで駆け降りる。
「エリ!明日の監査までに記録チェック終わったか、全科回って!終わってなかったらフォロー入ってあげて!!」
記録委員のボス、鞍上さんは、患者さんをストレッチャーで搬送しながら、早口で私に話しかける。
「はいわかりましたよろこんでー」
私は猛スピードで院内の廊下を走り抜けている。どんな風よりも、きっと、速い。ちなみに、カーブを曲がる時、どうしてもドリフトをしたくなるのはなぜだろうか。とっとっとっと、足がもつれる。
けっ、5階も満室じゃないか。
私は4階まで階段を再び駆け降りてゆく。
「エリ、術前訪問いったら、木村さんいないんだけど。見つかったら連絡くれる」
オペ室ナースの、佐伯さんだ。明日予約オペを控える患者様の状態を観察しに、会いにきていたのだ。
「はいよろこんでーちなみに木村さんは一階の売店で弾性ストッキング購入中なので今会いに行けばあえますよぅー」
佐伯は口うるさい。
「おい、くとうてーん」
うるさいなぁこっちは忙しいのよ。句読点の前にお礼だろーが。そう独り言を言いながらも、私はさらに進んでいく。トイレを求めて。6階、5階、4階、3階、2階…どれも空いていない。
最終的に私は1階の外来に到着した。職員用トイレは満室だ。だからといって、患者様用トイレを使うわけにもいかない。
当院では、お客様アンケートを定期的に実施している。職員用トイレがあるはずなのに、患者トイレを使わないでほしいと言う要望の声が上がっていたのだった。
職員1000人越え。足りるわけがない。
しかし、私たち医療スタッフは、律儀にその声を守ろうと、日々奔走している。
私の肛門事情も限界を迎え始める。肛門は弛緩することを選び始めている。まだだ、ちょっと待て。脳に信号を与えて、私は考える。
よし、新館へ行こう。
新館へ通じる渡り廊下を風のように走り抜ける。私の姿は、きっと誰にも見えていないはずだ。まだ新しい塗装剤の香りが時々鼻につく。
あ、やばいかも。私は、さらに速度を上げる。光の速さを再現できる気がした。股と尻をモジモジさせながら。
新館には健診センターが新しくオープンしたばかりだ。回復機リハビリテーション病棟も新たにそちらへ設置されていた。
小走りしながら、足取りは軽くなる。もはや、ラッキーとも思った。人はあまりいないだろし、何よりピカピカトイレだ。
大丈夫、私は大丈夫。
廊下は広く、床も壁も艶々と色気を出している。目的はひとつ。それでも、一瞬、通り過ぎざまに、回復機病棟をチラリと確認した。もはや、癖である。
白衣を着た、ある人物と目が合う。
「あ、エリ」
やっちまった。消化器外科の小久保医師だ。
「いま、聞いちゃうよ。外科行こうと思ってたんだよね」
はいはい報告ですね…。
大丈夫。
大丈夫。
4ふん、4分あれば…
それだけあれば…
私は、今日、リーダーナースだった。
トイレを探し回る女が、リーダーナースだなんて誰しもがギョッとするだろうが、一応年の功ってものがある。
医師へ患者の状態報告…それは、主要な仕事である。
でも、イマジャナイ…
今じゃないんだ…。
ウィスパーにお知らせが届いた。
『あの〜そろそろ、出ちゃいますけど?』
肛門が、うづく。
話すしかない。4...いや、2分で完結に、漏れなく、よし…。
ゆっくりと、私は息をついた。
「413室の林さんオペ後のアイテル酷いです縫合不全起きてます処置は洗浄含め診察後にしようとまだステイしてます採血培養必要ですねオーダーと結果で次第で点滴指示もらえれば拾っておきます420室小西さん家族へ連絡できる様にしてます急変に備えたIC準備できてますナースつけないかもしれません同意書に不備がない様に記録まで残してくださいね会議室抑えてますオペ前の時間ください昨日緊急入院の方3名指示でてませんレスQすっぽ抜けてますわ足立さんドレーン抜けそうです5分後わたしのスマホにお返事を細かい質問はメールにてすでに飛ばしてあるし掲示板も確認をさようなら」
看護師ラップバトルがあるなら、私はきっと優勝できる。そう確信し、その場から立ち去った。
肛門からは、緊急事態宣言が発令された。
「エリ〜くとうてんつけてよぅ。もう一回言って〜」
背中で小久保医師の声が聞こえる。
私は振り返ることもせず、いや、振り返れずに、そのまま口だけを開き捲し立てるようにぼそっと言葉を残した。
「無理です爆弾持ってますから」
すれ違いざまの検査科の伊藤主任がギョッとした様にこちらを見た。
「まじかよ。コードグリーンじゃねーか…」
コードグリーンとは、テロのことである。
消化器科内戦勃発である。
それすらも、無視し、私は全力疾走を始めた。
新館のトイレは全て空いていた。
お待たせ、うんこたち。
今なら点も、マルもつけられる。
リズムも抑揚もビートも添えられる。
モスキート エリのラップバトル。悪くない。
yoyo!!
リズムに合わせてトイレットペーパーがカラカラと踊り出す。
ガラリ。
私はハッとした。張り裂けた空気の中で小さなガラスの扉が開く。
検尿カップ置き場…。
一度、股を見た。
そして、視線をまた戻す。
私側のガラスの窓。
検査室につながるガラスの窓。
なぞの空間と、検尿カップ置き場。
人の気配がする。
「疲れ様です」
私はそう小さくつぶやき、窓の向こうからも食い気味に声が聞こえた。ーおつかれさまです。
安堵の末の排泄は、世界を揺るがす脅威ではなく、「平和」である。
────快。
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