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『変態病院』episode2 私は今日ーーおしっこ係。【創作大賞2025#お仕事小説部門】


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   episode2  私は今日ーーおしっこ係。

 職員健康診断の季節はやってきた。

 今年度より、健診車は廃止され、院内での職員健康診断をすることになり、職員は普段の仕事と、健診業務との兼務に追われていた。

 院内は、いつもに増して忙しそうだ。昨日すでに健診を終えていた私は、休日出勤をしていた。所属していた委員会の仕事も、看護研究に必要な参考論文はあっけなく見つかった。やっと、休日に戻れる。さぁ帰ろう。

  yo!yo!

 私は誰にも見つからないように、小躍りをした。特に意味もないビートを刻みながら、図書室の扉をあける。


「エリ」
「ぎゃっ!!」
 私は小さく叫び、バンザイをした。

 ぬぼっとした、検査科の伊藤主任が扉の目の前に立っていたのである。ビートを刻んでた頃が懐かしい。私の心臓はバクバクとさせ、
アドレナリンが全身を走り抜けたことを感じた。

「お疲れ様です…なんすか…」
「見えたから、きた」
「はぁ…」
「ちょっときて」

 私は伊藤主任についていく。嫌な予感しかしない。

「はい、これ」

 感染用のビニルエプロンと、グローブを手渡される。私は、戸惑いながらも、手を差し出した。悲しき、断れない性格よ。私は検査室前の廊下の目の前にある光景にブラックアウト寸前だった。

 そこには、検尿カップがずらりと並んでいた。

 色とりどりのおしっこだ。
 黄色と一口に言っても、赤みのあるおしっこ、黄色味が強いおしっこ、橙を基調としたものや、砂地の様な色のおしっこもある。

 圧巻だ。
 おしっこ展覧会だ。

 もう笑うしかない。だけど、その笑いの裏側には、どこか拭えない虚無がうっすらと顔を出していた。


「我々はパンクしている。大量のおしっこを捌ききれない。頼む、エリが必要なんだ」

 死んだ顔をしている。どうやら、外来患者のおしっこと、職員のおしっこで溢れかえってしまっていたのだ。

 せめて、外来患者と、職員のおしっこを分けて、ひたすらに並べる人間がほしいという理由で、私はchoiceされた様だった。

 私は、うなづいた。伊藤主任には、日頃からお世話になっている。いつだって検査室に走り込んで、「早く結果だせー!」と、催促しかしない我々を優しく包み込み、迅速に検査結果をくれるのだ。最後にお礼を言ったのはいつだろう。「検査結果」という、お便りを私たちはどれだけ無下にしてきたのだろう。

 私は、おしっこ係になった。 
 昔も、こういう「係」をやらされたことがあった気がする。

 それよりも、気になるのが、紙コップの形と、量だ。検尿は約25mℓほどカップに収まっていれば事足りる。

 職員の検尿カップを眺めてみる。
 おおっ、並々のリアルゴールドもある…

 ん?

 チラリと名前を見ると、ゴルゴ13風の風貌と、アタッシュケースを持ち歩く、眼科の竹田医師のものだった。

 あいつめ、普段細かいくせに溢れるくらい尿を入れてくるタイプだっか、チッ。
 私は淡々と捌き始めた。

「おしっこたりますか?」

 ピュアである。心が洗われるような…そんな眼差しの外来患者だった。
 胸があたたかくなる。

「十分ですよ、お預かりしますね。検査結果が出るまで、自販機に無料の白湯がありますので、お飲みになってお待ちくださいね」

 患者はほっと肩を撫で下ろし、私もガウンとゴーグルを纏った不審者の風貌に笑顔を添える。外来患者様スペースにそっと、おしっこを置く。

 かっ、かっ、かっ、かっ…。
 こ、この足音は…。

 慢性期病棟の横柄を体現した管理職ナースの塚原だ。今日も、ブチギレている。

「はい」

 乱暴に私の手のひらに検尿カップを握らせてくる。

 中身を確認してみる。
 数滴…。

「てんとう虫かよ」

 心の声が、ダダ漏れた。
 足りない。足りないのだ。

「25は欲しいです。改めて持ってきてもらえませんか?」

「たりるでしょ」

 塚原はぶっきらぼうに言い放ち、くるりと背を向けて歩き出す。

 理不尽だ。
 理不尽の模範解答だ。

 こんなんじゃ足りないに決まってる。知ってるだろう?このおしっこ展覧会の一つ一つを、検査科の人たちは捌くのだ。尿が足りないと連絡するのも、泣きたくなるほどの手間である。

「足りませんよ!これ、受け取れないです!」

 私は叫んだ。声だけが、空気に吸い込まれていく。

 ポツーン。

 私は取り残された。
 その時、私は小学校の頃の牛乳係だった頃を思い出した。

 あの時、私は牛乳係だった。
 学校給食では、当時毎日200mlのパック牛乳が提供されていた。どの時代にも一定数、牛乳嫌いと、アレルギーの子供は存在する。

 飲みきれず、残された牛乳は、銀色のバケツに一つにまとめ、校庭の隅まで捨てに行く。
 何故だか、理由はわからない。他の残飯には、混ぜられないーー。理由はただ、それだけだった。

 牛乳を捨てに行くまでの道のりは長い。
各クラスを周り、総量6ℓにもなる牛乳を、何度も階段を往復しながら、外にまで運びだす。
 さらには、校庭の隅の隅、200mほど進み、通称“ミルクマウンテン”の麓に流していく。

 ミルクマウンテンのすぐ脇には、「自然を守ろう ビオトープ!」という看板と、人工的な小さな水辺があった。

 牛乳を捨てる場所と、自然を守る場所が、わずか数歩の距離にあることに、私はうすぼんやりとした矛盾を感じていた。

 世の中の醜さと不条理と、教職員のエゴ。
 9歳の私には、そこまで言葉にできなかったけれど、あれは確かに「変」だった。でもなぜか、私にはそのバケツの重さが心に残っている。

 外来患者の検尿カップは、握りしめた様な、少しふやけたカップが並んでいる。一生懸命、採尿した跡が哀愁を持って佇んでいる。

 職員健康診断なんて無くしてしまえ。
 ビオトープの近くで、てんとう虫が無邪気に飛び回る姿を想像しながら、私は大量のおしっこの前で憂いていた。
 この作業に、一円たりとも私にはメリットは、ない。誰にも褒められず、感謝もされないのだ。

 たぶん、私はいつもどこかで「係」をやらされている。望まなくても、誰かが決めた持ち場に立って。

 それでも、私は今日も踊り出すだろう。
 おしっこ係として。牛乳係として。
 それが、私なりのリズムで、きっと使命だから。

 脳内のビートが、止まらない。
 てんとう虫の検尿カップを抱えて。

     

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