素知らぬ顔で約1ヶ月ぶりの新記事をアップした、隠れ北村紗衣ファン「itchie」氏について
「itchie」氏による、私の「反論記事」に対する「3回にわたる管理者通報による削除」以来、約1ヶ月を経過した本年(2026年)1月9日に、同氏は約1ヶ月ぶりのノート記事をアップした。
・成瀬あかりと「依存症」の問題── 空虚な「自己治療」から「真剣な遊び」へ。クレーマー・呉間言実が救われた本当の理由
私と「itchie」氏の「論争」自体は、私の「itchie」氏批判に始まって、3日間2往復半ののち、「itchie」氏による「管理者通報による削除要請」によって、私の「反論記事」2本が「削除」された状態で、停止しているのだ。
「itchie」氏は、最初の「管理者通報」以降、その「やましさ」からか、「note」では私への言及を一切止めてしまい、私について批判的に言及した、自身の別SNS「読書メーター」に書いたコメントまで削除し、さらにはそのアカウントまで削除してしまった。たぶん、別名義で新たなアカウントを作成したのであろう。一一じつに徹底した「証拠隠滅」ぶりである。


そんな「管理者通報による記事削除」を結果した、私と「itchie」氏との「論争」とは、次のとおりのものである。
頭に「●」印のついたものが、三度も「削除」された記事だ。
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(N-1)三宅香帆や北村紗衣に「学ぶ」と、こうな(れ)る。 あるいは「お前はすでに死んでいる」(2025.12.04)
(I-1)年間読書人さんになぜか「死んでいる」認定された件。──機関銃のような批評より、「ハチのように刺す」スマートな批評を目指してはいかがですか?(2025.12.04)
●(N-2)北村紗衣ファン 「itchie」氏による、自称「スマートな批評」 : 三宅香帆のファンではなかったようだ。(2025.12.05)
(I-2)「的外れな批判」の有害さ──ある「オールド批評家」が教えてくれた、「令和人文主義」が支持されるシンプルすぎる理由(2025.12.06)
●(N-3)人間性が実によく出ています :北村紗衣ファン 「itchie」氏による、自称「スマートな批評」について【第2回】(2025.12.07)
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見てのとおり、私の「itchie」氏批判(N-1)に始まって、3日間で2往復半のやりとりをしたところで、「itchie」氏は私への反論を止め、沈黙したかと思うと、いきなり「管理者通報」をして、私の「反論記事」2本を削除させた。
したがって今現在も、「itchie」氏のアップした、私に対する「反論記事」だけはそのまま残っているのだが、これは、あまりにも一方的なものであり、アマチュア批評家のものとはいえ、アンフェアなのではないだろうか?
文芸評論家の与那覇潤氏が、記事にしているように、「note」運営事務局に対する「管理者通報による削除要請」というのは、「誹謗中傷されたとするその当事者」によるものでなければ、「note」運営事務局は、これに対応しない。
第三者による通報を相手にしていてはキリがないし、それを無視したところで、「note」運営事務局の対応に対し、第三者が民事訴訟を起こすおそれもないからであろう。なにしろ「実害」が無いからだ。
・"歴史否定主義者" 玉田敦子氏が行った「noteへの削除要請」について
そんなわけで、「itchie」氏との論争にかかわる「私の記事3本」(最初の2本の後、さらに1本が加わる)に関して、これを「管理者通報」し「削除」させたのは、間違いなく「itchie」氏である。
実際、「itchie」氏は、最初の「管理者通報」の後には、しばらく沈黙を守り、その後にしらっと新記事を書いていたのだが、そのあと私が削除された記事を再掲し、それをまた「削除」させた2度目の「管理者通報による削除」以降、「itchie」氏は、前記の新記事までの1ヶ月弱、沈黙を守ってきた。
1ヶ月弱が過ぎて、またもや「ほとぼりが冷めた」と判断したのか、「itchie」氏は、前記のとおり1月9日に、ひさしぶりに、前記の新記事「成瀬あかりと「依存症」の問題 ── 空虚な「自己治療」から「真剣な遊び」へ。クレーマー・呉間言実が救われた本当の理由」をアップしたのである。
さすがに、半月ほどの間に3度も「管理者通報」して、「論敵の反論記事を、管理者に削除させた」というのは、きまりが悪かったということなのであろう。それで今回は「1ヶ月弱の沈黙」ということになったのではないだろうか。
無論、この間「itchie」氏は、私に対する「反論記事」も書かなければ、自身が「管理者通報」したという事実についても「完全黙秘」を貫いてきた。
このあたり、私が氏のことを「隠れ北村紗衣ファン」と呼ぶ所以である。
「武蔵大学の教授」で自称フェミニストの北村紗衣は、自身が主導したインターネット上での公開質問状「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」が「キャンセルカルチャー」であるとスキャンダルになって以降、それに関連する自身の記事や発言ログを削除するだけではなく、他人の記事についても「管理者通報」を用いて「削除」させているのである。
つまり、「itchie」氏の「管理者通報」は、師匠である北村紗衣直伝のものなのだ。
しかし、「令和人文主義」を称揚し、若くて「スマートな」アマチュア批評家を気取る「itchie」氏は、北村紗衣との関係を、なぜか隠そうとしている。
それはたぶん、北村紗衣の評判があまりにも悪いからであろう。

・年間読書人さんになぜか「死んでいる」認定された件。──機関銃のような批評より、「ハチのように刺す」スマートな批評を目指してはいかがですか?
しかし、私に「北村紗衣ファン」であることを指摘され、その上で、私に対する北村紗衣の「虚偽の管理者通報による削除要請」について、前述のやりとりで「あなたは、北村紗衣のこうしたやり方をどう評価するのか?」と問われた「itchie」氏は、返答に窮して、「削除要請」という逃げに走ったのであろう。


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上に紹介した「itchie」氏の新記事「成瀬あかりと「依存症」の問題 ── 空虚な「自己治療」から「真剣な遊び」へ。クレーマー・呉間言実が救われた本当の理由」では、「クレーマーの本質とは何か」「クレーマーという病いを癒すにはどうすれば良いのか」という問題を論じて、
『成瀬は呉間のクレームを否定しない。それどころか的確な指摘だと褒めるのだ。そしてその観察眼を見込んで、万引き犯を捕まえるための協力を要請する。
(中略)
依存の対象を無理やり奪うのではなく、そのエネルギーを万引き犯確保のための行動に転換させたのだ。』
と、國分功一郎を援用しつつ、要は「自己治療としてのクレーム」に費やされているエネルギーを「善用」させればいいのだ、という趣旨のことを「itchie」氏は語っている。
クレーマー(苦情申告者)というのは、自身に対して「不当な不利益を与えた相手」に対して「苦情」というかたちでの批判を加える人物のことであり、そうした人物に対して、宮島未奈の人気小説『成瀬は天下を取りにいく』の主人公である成瀬あかりは、
『呉間のクレームを否定しない。それどころか的確な指摘だと褒めるのだ。そしてその観察眼を見込んで、万引き犯を捕まえるための協力を要請する。』
という対応を採る。
これはどういうことなのかと言えば、クレーム(苦情申告)自体は間違ったものではない、ということなのである。
ただし、そうした「クレーム」というのは、往々にして自身を「客」という「優位な社会的立場において(擬して)」相手を責め立てるものであり、「対等の立場」に立とうとはしないものだからこそ、しばしば世間の顰蹙を買いもするのだ。
だから成瀬は、その「批評眼」を、「被害者」でも「加害者」でもない「第三者的な批評眼」として、「善用」的に活用させたのだ。
そうすれば、そのクレーマーとされた人物の能力が正しく評価され、当人の「不満」も正しいかたちで解消されるからである。
さて、このようなことを論じている「機関銃のような管理者通報」者である「itchie」氏自身は、自分の「常習的管理者通報」癖については、いったいどのように考えているのであろうか?
上の記事の理屈で言えば、「クレーマー」とされた人物でさえ、自分に加害した相手を、自分の言葉で直接批判しただけなのに、「itchie」氏の場合はそれさえせず、「第三者権力」を利用することで、自身に対する「批判」を(北村紗衣式に)封じさせたのである。
つまり、クレーマーにも劣る自身の行いを、どのよう考え、どのようにすれば「善用」できると、「itchie」氏は考えるのであろうか。
私が思うに、それは、まず「意見を異にする相手と、フェアに直接議論する」ことだ。
当然のことながら、「対等な立場」において。
当然、「itchie」氏と私は、「note」利用者として、完全に「対等な立場」にある。
にもかかわらず、「itchie」氏は私との「議論」を避けて、「第三者権力」の力によって、論敵である私を黙らせようとした。すでに「三度も」である。
つまり、上のような記事を書く「itchie」氏だからこそ、自身の行いについて、多少なりとも「やましさ」を感じているはずであり、だから、自身が「管理者通報」をしたという事実について口を拭って隠すだけでは安心できず、「管理者通報」の後は「ほとぼりが冷めるまで沈黙」したりもするのである。
だが、姑息にも裏でこんなことをしてまで、自身の批評能力を世間に認めて欲しいというのであれば、むしろ堂々と、認めるところは認めた上で、私に反論すべきなのではないだろうか。
つまり、自身が「北村紗衣ファン」であることを隠さずに認め、しかし、それにもかかわらず、北村紗衣の「虚偽の管理者通報による記事削除要請」については、決して擁護できないと、そう認めれば良いだけなのではないだろうか。
「是々非々(それはそれ、これはこれ)」だからである。
「itchie」氏は、何らかの理由で「隠れ北村紗衣ファン」としての面子に拘らざるを得ないのだろう。
だが、そんな「批評的な態度に反すること」を裏でやっているかぎり、いつまでも「卑怯な裏技に頼る」という依存体質が解消されることはなく、北村紗衣がそうであるように「嘘に嘘を重ねる偽善」を続けるしかないだろう。
だが、それを続けているかぎり、「itchie」氏が心の底から「癒される」ことはない。
だから、そろそろ認めるべきは認めた上で、自身の自負する「批評家」としての能力を、まっすぐに発揮して見せてはどうだろうか。
最近では、不人気な「政治批評」的な記事を控えて、もっぱら人気作家の本を扱った記事を書いているようだから、それならそれなりに、「itchie」氏が「常習的な管理者通報者」であるという事情を知らない人からなら、通りすがりの「いいね」をもらえもするだろう。
だが、そんなものによる喜びは、所詮一過性のものでしかなく、「itchie」氏の「やましさ」を癒してくれることはない。
このくらいのことは、「itchie」氏だってわかっているはずなのだが、「わかっちゃいるけど止められない」というのが、「依存の依存たるところ」なのである。
他人のことを「抽象的に論評して満足する」だけではなく、そろそろ「itchie」氏も、その批評眼を自分自身に向け、その現実を直視するべきなのではないか。
でなければ、いつまで経っても、何十年経っても、「偽善的な三流」に止まらざるを得ず、自分自身でも決して満足はできないはずだ。
目先のことに惑わされず、その先を見通す目こそ、「批評眼」と呼ぶに値するものでだからである。
(2026年1月13日)
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(※ 以下の2本は、「itchie」氏管理者通報により削除)
https://note.com/nenkandokusyojin/n/nbaf89b1ecd73
https://note.com/nenkandokusyojin/n/nfb997741821b
https://note.com/nenkandokusyojin/n/n11a40ac00cd6(※ 前の2本と同じ)
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