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闇 532(真地獄変心筋梗塞二節)

闇 532(真地獄変心筋梗塞二節)

2026/04/19 sun
※この作品は、因果律に業を混ぜた小説です
前回の章


二千二十一年十月二十五日、月曜日仏滅。

再びガチガチに固まる背中。
左肩を回そうとして、左腕が妙に痺れがある事に気付く。
脇の下辺りから左手の指先までビーンっと、電気のようなものがずっと走っているような痺れ。

何だ、これは?

胡坐を掻き、左腕上腕部を右手で握り締めたまま、身体を丸める。
ちょっと酒を飲み過ぎたのか?
いや、意識はハッキリしている。

大きく息を吸い込む。
また呼吸をするのがおかしくなっていた。

右手を地面についた時、固いものが触れる。
何だ、これ?
ストレッチポールだ。
前に買ったのを部屋に置いたまま忘れていたのか。

ちょうどいいや。
部屋にも置いてあるストレッチポールを背中に引き、様々な体勢をしながら負荷を掛けていく。
少しずつ楽になっていく身体。

一旦朝まで休み、昼ぐらいには新宿へ戻っていよう。
ワクチン打ってから、どうも体調が変だ。

目を閉じ、そのまま眠る。

「うっ……」

左胸から何かが突き出てくるような痛みで飛び起きる。
何だよ、これ……。

今までの比じゃないぞ?

ストレッチポールを縦にして、左胸を上から押し付ける。
何度もその状態のまま、大きく深呼吸をした。

ワクチンを打った翌日に置きた痛みより、さらに酷かった。
念の為、右の拳で胸を何度も叩く。

大きく息を吐き出す。
しかし左腕の痺れは相変わらず残ったまま。
それでも心臓の苦しさは、何とか我慢できるぐらいまで軽減した。

これは病院へ行かないと、いけないレベルなのかもしれない。

凄い心臓が苦しい。朝になったら病院行ってみます。 岩上智一郎 2:11』

苦しい中でもまだ余裕があった俺は、フェイスブックへメモ代わりに投稿する。
この時の時刻夜中の二時十一分。

セブンスターを口に咥え、火をつけようとした時だった。
目の前の景色が歪む。
心臓から螺旋状にギュッと握りつぶされるような痛み。

思わずタバコを放り投げ、胸を掻き毟る。
これ、洒落になってねえぞ。

次第に息苦しくなり、心臓が悲鳴を上げた。
これ…、一週間ぐらい前の痛みと同じじゃん……。

結構ヤバくね?
その後呼吸もまともにできなくなり、足をバタつかせながら胸を何度も殴打し掻き毟る。

何とかしてもらわないと…、道路を這うように目の前の三井病院へ向かう。

深夜、緊急病棟のドアを何度も叩くと、守衛が開ける。
コロナ禍だった為、中へ入ろうとすると「入って来ないで下さい」と冷たい対応された。

「し、心臓が…、く…、苦し…、い……」
「いいから中に入らないで下さい!」

何だこの守衛は?

意識が朦朧とする中、息遣いだけが荒くなっていく。
呼吸が普通にできないのがこんなに苦しい事だとは思わなかった。

右手で左胸をギュッと必死に抑えながら、背を向ける。
もういいや、他の病院へ行こう……。

足音が聞こえ、二人の看護婦が駆け付けてくる。

「どうされましたか?」

死に掛けている俺に対し、症状を聞かれた。

「い…、息がで…、できない…。心臓…、が…、苦しい……」
「何故そうなったのですか?」

そんなの知らねえよ…、今それどころじゃねえだろ……。

何とか声を絞り出し、一週間前にコロナワクチンを打った事。
翌日今と同じ痛みでのたうち回った事。
胸を何度も叩き、ベランダの手すりに腕を回し心臓を圧迫したら治った事。

必死に訴える。

まず息をできるようにしてほしい。
この心臓の痛みを無くしてほしい。

無情にも看護婦の回答は、気が遠くなるような質問だった。

「当病院でワクチンを接種したのですか?」

今にも倒れようとしている人間に向かって、何馬鹿な事を抜かしているんだと思った。

息も満足にできず意識も途切れ途切れ。
こんな状況でも人間は怒れる感情がある事を自覚した。

「赤心堂病院で打ったのなら、そちらへ電話してもらえますか?」

電球の線がプッツリ切れたような感覚。
俺はフラフラになりながらも看護婦を振り払い、病院の外へ出た。
赤心堂病院の番号を検索して電話を掛ける。

症状を話すと「いつ来れますか!」と大声で言われた。

タクシー拾えばすぐだろう。

「ご…、五分……」

短く言って電話を切った。
呼吸できないと、人間あまり喋りたくないものだ。

実家と三井病院の間にある川越日高線の道路。
俺は本川越駅へ向かって歩き出す。

携帯電話でタクシー会社へ電話をする。
どこへ掛けてもコール音が無情に鳴り響くだけ。

夜中の二時半前後。
車も通りはしない。
もちろん辺りに人は誰もいない。
本当に川越が火が消えるのが早い街だ。

中央通りに出て左折、駅まで二百メートル程度……。

暗くなった明かりのついていない先輩の栄寿司の向かいを歩いていた時、不意に意識がプッツリ途切れ、気が付けばアスファルトへ顔をつけて倒れていた。

何俺は倒れているんだよ?
全身に力を入れる。
力を両手にすべて込め、何とか立ち上がった。

あとちょっとだろ?
レスラーは倒れちゃいけないんだろうが……。

起き上がれた。
一歩一歩をゆっくり少しずつ、前へとにかく進もう。

今はもう更地になってしまったクラブ姫の跡地。
岩上整体開業時、ここへ飲みに行きみゆきと出会った。
ミクシィでブロックされて以来、一度も連絡はない。

あいつも結婚して子供を産み、元気でやっているならそれでいいさ。
視界が真っ暗になる。
気付けばそこで、また前のめりに倒れていた。

十月の終わりなので、アスファルトが冷たい。
同じように全身に力を込める。
あれ、起き上がれない?

何でだよ?
ふざけんなって。
気合い足んねえよ。
何してんだよ。

右手で髪の毛を掴み、少しだけ頭を持ち上げられた。
そのまま道路へ頭を打ち付ける。
いてー…、息ができない苦しさの中でも痛みは感じるようだ。
ちょっと休もう。

さっきエネルギーを使い過ぎただけ。
身体中の空気を一ヶ所に集めるイメージ。
思い切り口から息を吐き出す。
目に埃が入り閉じる。
掃除ぐらいしろよ、馬鹿野郎!

あれ、ちょっと力出るぞ?
再度身体を起こす事に成功する。
進めって…、駅まで行けばタクシーあるだろ。
数センチでも足を動かせ。
本川越駅の十字路が見えてきた。
もうあとちょい……。

何故か目の前にはまたアスファルトの道路。
また倒れたのか、俺は?

まあいい、起き上がれば済む。
あれ……?

手が動かない。
顔も動かせない。
力が入らない。

「……」

そうか…、俺はこのまま死ぬのか……。

静かに目を閉じる。
目まぐるしい速度で過去の映像が頭の中を流れていく。

ああ…、俺はもう死ぬのだなと直感した。
様々な過去の記憶が頭の中でグルグル蘇ってくる。
これが走馬灯というやつか。
死の間際、その正体を肌で感じた。
人間としての生存能力が、高速でこれまでの経験を思い出させ、生命の危機を脱する方法を模索する。
おそらくこれが走馬灯の正体。

不思議と死ぬ事に対し、怖いという感情はなかった。

岩上智一郎、地元川越で散る。
うん、悪くねえや。
死の間際だというのに何故か口元がニヤリとしていた。

何故俺は笑える?
不思議とそんな事を考えた。

人に利用され、騙され続け、結婚せず、子もいない。
傍から見れば惨めで寂しい人生を送ってきた。

でも、命の蠟燭が尽きようとしている今、俺は自分のこれまでの生き方をそんな嫌いになれなかった。
いや、むしろ報われない馬鹿げた生き方だったけど、自分を好きで生きてこれたのだ。
だからこそ、自然とそれが笑みに出たのだろう。

笑いながら終われる人生。
終わりよければすべて良し。
そんな境地に達していた。

やせ我慢?
馬鹿言え。
これで終わるのに、何を誰かからの評価を気にする必要性がある?

俺は俺でしかない。
それでいいじゃないか。
そういう終わりの人生だったのだから……。


漆黒の闇の中を漂う俺。
首根っこを掴まれ持ち上げられた感覚。
何だよ、意識あるじゃん?

まだ自我がある。
不思議と呼吸も楽になっている。

瞼をゆっくり開く。
見えるのは本川越駅前の十字路と信号。

誰だよ、俺の首を触った奴?
辺りを見ても誰もいない。

え、じゃあ今の何?
背後に誰かいる気配。

振り向いても誰もいない。
違和感に気付く。

起き上がれなかったはずの俺が立っている不思議な現状。

「……」

ジャンボ鶴田師匠が、俺の首根っこを持って立たせてくれたのか……。
何となく本能的に理解できた。

じゃないとこうして起き上がれているのが理解できない。

再び襲う心臓の痛み。
左腕は背中の肩甲骨から指先までビーっと電気でも流れているような痺れ。

呼吸も満足にできなくなってきた。
分かってますって、師匠……。

進め…、数センチでも前へ足を出せ。

少しずつ交差点が近付く。
信号は赤だったが、一台も車が通っていないので信号無視して進む。

今車が来たら、避けられないぞ。
まあいい。
とにかく一歩前へ。

交番が見えてくる。
もうちょっとだ……。

ガラス張りのドアに若い警察官の姿が見えた。
俺はドアへもたれ掛かり、取っ手を掴む。

支えていないと今すぐ倒れそうなほど、意識を失い掛けている。

必死にドアを開けた。
驚いた表情の警察官。

「ど、どうしましたか?」

「し…、心臓が…、く…、苦し…、い……。タ…、タク…、タクシーを……」

息も途絶え途絶え何とか口を開く。

右手で心臓を鷲掴むよう強く押さえ、左手は壁に。
手をついていないと倒れてしまう。

「タ、タクシーでしたら、すぐそこにタクシー乗り場があるので、運良ければすぐ乗れるかと……」

死に掛けていても人間は怒りが湧く。
この馬鹿お巡りが……。

俺は朦朧としながらも、溜めを作ってからドアを蹴飛ばした。

交番を出て数歩進む。

先ほどの怒りの蹴りで、体力が無くなったようだ。
前のめりに倒れてしまう。

必死に顔を上げる。

タクシーが一台停まっているのが見えた。
距離二十メートル……。

立てない……。

でも腕はまだ動く。

両肘を地面に付き、片方の肘を少し前へ進める。
肘を支点に身体を引き摺り、左右交互に繰り返す。
まさか自衛隊の時習った匍匐前進が役に立つとは……。

次第に姿勢を低くして第一から第五まである。
これは第四匍匐。

二十メートルの距離が何キロにも感じた。

まだ行けるって。
レスラーは何やられても壊れちゃいけないんだから……。

そうっすよね、鶴田師匠。

「どうかされましたか?」

タクシーの運転手が車から出てきて、近くまで来る。

「ち…、近くで…、もう…、申し訳…、ないです…、が……。せ…、赤心…、赤心堂…、病院まで……」

「だ、大丈夫ですか?」

這うようにしてタクシーへ乗り込む。
運転手が俺の足を持って車内へ入れてくれた。

本川越駅ロータリーから車なら一分も掛からない距離。

懸命に息を整える。
胸を何度も強く叩く。

「お客さん、着きました! 着きましたよ!」

俺は寝転がりながらスーツの内ポケットへ手を入れ、財布を取り出す。
千円札を取り出し、何とか手を伸ばし渡した。

「お客さん、お釣りです」

ここまで運んでくれたのだ。
声に出せない代わりに右手を左右に小さく振った。

せめてものお礼代わり。

タクシーから降りるのも一苦労。
左膝を地面につき、転がるように身体を投げ出す。

着いた。

やっと赤心堂へ着いた……。

掠れた視界の中、病院から白衣を着た人が走って来るのが見えた。

「動かないで!」

ここの当直だったさっき電話で話した医者だろう。
俺の左腕をまくり、注射を刺している。

「意識ありますか!」
「ぁ……」

うまく声が出ない。

「意識をしっかり持って!」
「ぃ……」

「大丈夫ですか!」
「ぁ……、はぃ……」

ちょっとだけ声出た。

看護婦がタンカを運んでくるのが見えた。
あれ、少しだけ呼吸が楽になってきたぞ?

「足を持って! 早くタンカに!」

薄れゆく景色をしっかり見る為、心臓を強く叩く。
タンカへ寝ながら胸ポケットから携帯電話を取り出す。

こういうの九死に一生って言うんだったっけ?
万死一生のほうがいいのか?

あ、看護婦さん…、そんなタンカを揺らさないでよ。
決定的瞬間を撮るんだから……。

2021/10/25 赤心堂病院 02:58

この瞬間の写真を撮っておかないと……。

夜間緊急出入口から入り、病院の薄暗い通路を進んでいく。

2021/10/25 赤心堂病院 03:01

本当誰もいないなあ。
時刻は三時一分。

俺はフェイスブックへ撮った写真を投稿した。
とりあえず無事病院へ着いたという報告を載せておきたかったのだ。

赤心堂病院来ました

実家の部屋で苦しいと投稿してから、たった五十分しか経っていないのか。
仰向けになったまま天井を眺めたまま、タンカは奥へ進んでいった。

先生は薬を飲ませ、今は点滴を刺している。

注射、薬、点滴の三点セット。
呼吸が楽になっていく。
仰向けのまま点滴の減っていく速度を確認。

「先生、これが終われば帰っていいんですか?」
「え? まだ点滴を打ちますよ」

「今日の夜から仕事なんですよ。なので、次の点滴終わったら帰りたいんですけど」

目を真ん丸にした状態で俺を見る先生。

「あなたは自分がどれだけ重症なのか、分かっていないんですか? 家族を呼んで下さい。今薬や点滴で抑えているだけで、次発作が来たらいつ亡くなってもおかしくない状態なんですよ? よくここまで生きて辿り着いたと正直驚いています…。まだ夜中で準備ができていないのですが、朝一番手術の準備ができ次第、即手術になります。入院する必要があります。今はご家族へ連絡を」

「え、俺が死ぬ? もう苦しくないですよ?」

「それは薬や点滴のお陰です。まず家族へ電話してもらえませんか?」
家族…、誰に掛けるよ?

クソ親父へ…、ようやく話すようになったが、こんな形で借りを作るのか?

弟の徹也は…、関わりたくない。

貴彦…、いやいや選択肢にすら入らないだろう。
弟でも何でも無いのだから。

叔母のピーちゃんなんてもっと論外だ。
あいつが岩上家に未だ居座っているからこそ、ここまで家は壊れた。
癌細胞の大元である。

死の間際の選択肢で、俺はこんな選択しかできないのか?
この四人の身内ならまだ親父しかいない。

フェイスブックを立ち上げ、入院するようになった報告をする。
三時二十五分の投稿。

先生もまさか電話を掛ける前に俺がフェイスブックへ投稿しているなど、気付きも思いもしないだろう、フヒヒ。

俺は『岩上智』の携帯番号を出して、ベッドへ寝たまま電話を掛けた。

「おまえ、こんな真夜中に何だよ……」
「あー、親父? あのさー、何か死に掛けちゃったみたいでさー、今赤心堂病院にいるんだよね」

「はあ? 何だ、そりゃ?」

「うーん、よく病名分からないけどさー。先生曰く危なかったんだって。それで家族に電話しろって言うから、親父へ電話したの。詳しい事は先生と代わるから聞いて。はい、先生」

携帯電話を手渡す。
点滴を打ち終わり、エレベーターへ乗せられベッドへ寝かされる。

2021/10/25 赤心堂病院 04:35

その間で分かった事があった。
まず俺の対応をしてくれたのは赤心堂病院の市川誠院長。
最初の三井病院を出たところでの電話に出たのがこの院長で、運のいい事に当直だった事。
症状を聞き心筋梗塞の疑いがあると判断し、五分と言っていたので注射とタンカを用意して待っていてくれた事。

つまり俺がギリギリのタイミングで間に合い、院長の機転により命を救われた形になる。

2021/10/25 赤心堂病院 04:37

点滴を刺したままなので、上を向いたまま携帯電話で写真を撮影してみた。

2021/10/25 赤心堂病院 04:37

それからフェイスブックへ投稿
四時四十五分。


心筋梗塞の疑いなようで、院長先生にほんといいタイミングで来てくれた。
次の発作や今回ので亡くなってもおかしくない状況らしい……。
ぽっくり行くなら、それはそれでも良かったんだけどなあ……。
むー、俺も弱くなってしまったものだ。



そうだ、入院になるんじゃ仕事先へ電話して伝えないといけない。

インターネットカジノ『レディー』へ電話をした。
小西にこの事を説明するの、何か嫌だなあ……。

皮肉な事に電話へ出たのは、名義社長の小西。

「岩上です」
「どうしたんです?」

「何だかよく分からないですけど、心筋梗塞とかいう病気だったみたいで今病院からなんですよ」

「はあ? 心筋梗塞? 大丈夫なんですか?」
「朝になって準備できたら手術するらしいですよ。それで仕事あるからもう帰ると言ったのに、入院で帰らせてくれないんですよ」

「いやいや、岩上さん。こっちは気にしないで。どのくらい入院するの?」

「ん-…、全然分からないです」
「落ち着いたらでいいので連絡下さい」

「分かりました。すみません…、仕事に穴を空ける形になってしまって」
「そんなの気にしないでいいですから」

あの嫌味でアスペルガー症候群の小西が珍しい事を言うものだ。
てっきり嫌味の一つでも言われるか、強引にいいから仕事へ出て来いと言うと思ったんだけどな。

まあ、今はゆっくり休もう。

点滴を打った状態でウトウトしているところを起こされる。
ベッドの上に細長いテーブルを設置してくれ、一枚の紙切れと筆記用具を置く。

ベッドの横の棚の上に置いてある携帯電話が何度もバイブで振動しながら動いている。

「岩上さん…、ちょっとすみません。さっきから携帯電話…、ここは集中治療室なので、何とかなりませんかね?」

自分では届かないので、携帯電話を取ってもらい、渡され画面を見た。

「……」

以前携帯ゲームサイトで知り合い、九州へ行って抱いたひろみからの着信やメールだった。

全部百件以上の履歴。
あらゆる方法で何度も俺の身体を心配する内容のメッセージが届いている。

人が死に掛けているのに、何を考えているのだ?
俺は着信拒否をしてから、フェイスブックもツイッターもインスタグラムも関わっていたSNSは、すべてブロックする。

「すみませんでした。これでもう連絡届かなくなります」

どさくさに紛れてカテーテル検査経皮的血管内治療同意書の写真を撮り、フェイスブックへ投稿。

六時六分。
おお、ゾロ目だ。
しかも朝になっている。

ついでに坊主さんや岡部さんと信頼の置ける人間へLINEを打つ。

『心筋梗塞で緊急入院、集中治療室にいます。でも大丈夫です。 岩上智一郎』

岡部さん、きっとこれ見たら驚くだろうな……。

昨日の夜一緒に飲んでいた後輩がいきなり入院しているのだから。

「岩上さん、手術はこちらの塚越医師が担当します。今からカテーテルの説明を彼がしますので」

市川院長が隣りにいるメガネを紹介してきた。

2021/10/25 赤心堂病院 06:04

塚越先生がボソボソ説明を始める。
よく見ると、白髪頭で昔は悪ガキだったんだろうなと思う人相。

この人に任せて大丈夫なのか?
何か変な悪戯されて足元から「へへへ」と笑っていそうな感じだ。

「また同時に静脈からカテーテルを挿入しますが、これは一ヶ所でスムーズに行けばいいですが、駄目な場合様々なところから試みます……」

小難しい事を言われても分からない。

俺はね、腐るほど色々な業界で働き上は政治家から下はヤクザまで、様々な人間を見てきた数だけは日本一だと思っている。
だから本能的に分かってしまうのだよ、ワトソン君。

真面目そうにボソボソ言っているが、内心悪巧みしているんだろ?
そういう顔つきしているんだよ。

つまらないなあ。
淡々と紙切れに書いてある長文を棒読みしているだけじゃねえか。
たまには「ガチョーン」とかジャブの効いた事できないのか。
あまり出世しないタイプだろう。

面倒なので適当に話へ相槌を打つ。
カテーテルっていうのを朝からやり出すというのだけは理解した。

カクテルはコックテールと呼ぶ場合もある。
何かちょっと似ているので一人でニヤニヤした。

2021/10/25 赤心堂病院 06:10

心拍数通常だと六十から八十らしく俺の場合酷い時で百二十あったようで、塚越先生が言うには大変よろしくないようだ。

カメラを傾けて心拍数のモニターの写真を撮る。

2021/10/25 赤心堂病院 07:30

「岩上さん…、何をしているんですか?」

「いやー、あのですね…、中々こういう機会無いので記念に撮影をと思いまして」

「……」

「あ、先生……」

「何でしょう?」
「タバコってどこで吸いに行ったらいいんでしょうか?」
「駄目に決まってるでしょ! それに病院内はすべて禁煙です。それにあなたはタバコは辞めて下さい」
「えーっ! 何て酷い事を言うんですか?」

「心筋梗塞のカテーテルが終わって退院したら、禁煙外来をお勧めします」

「先生…、俺ね…、タバコを吸えない人生なんて絶対無理です。例え寿命縮まったって、セブンスターを吸い続けますよ。それくらい愛しているんです、タバコ」

「……」
「だから先生…、一本だけ手術前にいいすか?」

「医師の立場から、それを許可できると思いますか?」

悪そうな顔つきしているから、少しは気持ちが分かってくれると思ったのに。

「……。思いません……」

タバコも駄目と……。

もう帰りたいなあ。

「検査の結果、岩上さんは先ほどの心筋梗塞の前に、もう一度心筋梗塞をしていますね」
「あっ! 多分コロナワクチン打った次の日ですよ。だって今日みたいなあんな酷い痛みって、その時と今日だけでしたから」

「間違いなくそれですね。次の発作が来ないよう薬で散らしていますが、もう少ししたらカテーテルに入りますから少し待っていて下さい」

あの何とも言えない痛みと苦しさの心筋梗塞の発作を何だかんだで二回堪えた事になるのか。
でもまたアレを堪えるってもう無理があるでしょ?

ジャイアント馬場社長が相手が受ける姿勢をできた時、思い切り責めるとか言っていたけどさ、限度ってもんがある。
あ、だから俺はチョロいから、馬場社長も怪我した時コイツは使い物にならないと放り出されたのか……。


あー、暇だ。
本当に暇だ。
俺、命助かったんでしょ?
もう自由にしてほしいよ。

もうさ、点滴の針抜いて、トイレ行ってタバコ吸いたいよ。
きっとセブンスターもそう思っているよ。
俺に吸われたいって。
俺たち相思相愛なんだから。

しかし俺もよくあんな状態からこの病院まで辿り着いたよな……。

三度目に倒れた時、本当に人生終了したと覚悟した。
何故立てたのか未だ不思議でしょうがない。

ジャンボ鶴田師匠が首根っこ掴んで立たせてくれたんじゃないか?
そう思わざる得ない。

心筋梗塞程度で倒れた俺を起こしてくれたんだろう。
こんなで壊れるなと。

うん、レスラーは何やられても壊れちゃいけない……。

人の気配がして視線を動かす。
こんな朝っぱらから誰ですか?

「……」

集中治療室に凄い可愛い看護婦が入ってきた。
元気だったらデートに誘うほどの上玉。

「お手洗い行けないのでちょっと痛いですけど、チューブつけますね」
「……」

え、何を言ってんの、この子?

動けない俺のズボンへ手を伸ばし、ボタンを外している。
ちょっと待ってよ、こんなところで……。

身動きが取れない。
やめてって!
ちょっと君……。

こんな感覚いつ以来だよ?
そうだ、全日本プロレスの初合宿以来だ。

体力の限界から倒れ、今は亡き泉田純さんが俺を担いでリングから降ろしてくれた。
風呂場まで連れてってくれ、丹念にマッサージしてくれたんだよな、あの時……。

何で心筋梗塞なんかで死んでしまったんだよー、泉田さん。
あれ、俺も心筋梗塞だよな?
何で俺、生きているの?

…て事はなに?
俺って泉田さん超えをした?

いやいや、あんな恩人に対して罰が当たるぞ。
そういえば三沢さんもウイリアムスも泉田さんも、もうこの世にいないんだよな……。

あの時総合格闘技なんて行かず、プリレスリングノアへ行けば良かった。

そういえば随分意識もしっかりしている。
ベッドへ固定されているから動けないだけだ。

これも薬や点滴のお陰だろう。
呼吸も苦しくなくなった。
手ぐらいは動かせるから写真くらい撮れる。

いや、ふざけんなって。
俺の下半身を撮るのか?
無理に決まってんだろ!

この子の顔だけ撮りたい。

あー、動くなよ。

ちょっと何してんのさ?
抵抗できない俺のズボンを無情にも脱がし、ボクサーパンツにまで手を掛ける可愛い子ちゃん。

君ねー、そんなはしたない真似をしろって親から教育でも受けたのか?
何とも言えない羞恥心。
俺の心の声など看護婦にはまるで届かずフルチンにされる。

あー、シアリス飲んでおけば良かったよー……。
俺のはかなりデカいほうだ。

それ見て欲情しな。
君ならいつでも万事オーケーさ、セニョリータ。

「はい、ちょっと我慢して下さいねー」

何その幼い子に言い聞かせるような優しい口調をしながら、人のチンチン持って……。

「い、痛っ!」
「ちょっと我慢して下さいねー」

ちょっと何やってんだよ?
俺のチンコの先っちょに変な管入れているぞ?

何のプレイだよ!
やめろ!
本当にやめろ!

何でおばさん看護婦を越させない?

新手の嫌がらせか?
気持ち悪い挿入感。

普段小便をするところへそんな太い管入れていいのかよ!
人としておかしいぞ!

言葉にならない叫び。

立ち上がれよ。
何で俺の身体身動きとれないの?

うわ、何か凄い妙な感じ。
チンコの先っちょにストローを差し込まれたような感覚。

「これでお小水をする場合、そのまましても大丈夫ですからねー」

何だ、その子供をあやすような優しい言い方は?
どこでそんな教育受けやがった。
可愛過ぎるじゃねえか。

俺が元気なら押し倒しているぞ、この野郎。
いや、女だから野郎じゃないか。
この女郎!

人のチンコに管なんぞ刺しやがって!
何か大切なものを奪われた喪失感半端じゃないからな。

もうお嫁に行けないよ、これ……。

いやいや、お嫁も何も俺、男じゃん。
君、責任取れよな?

その可愛らしい顔を俺にたんと見せておくれ。

「それでは失礼しますねー」

あー、何で去って行くんだよ。
せめてもっと君の顔を見ていたいのに……。


続いて青コーナーからの入場は五十代くらいの疲れた顔をした看護婦。

ブスではないが、小中時代の同級生よっちんにちょっと似ている。
いや、そもそも吉田直人は男じゃねえか。

双葉幼稚園、中央小学校、富士見中学校とずっと一緒だったのに、所沢のほうへ引っ越してしまったんだよな。
どうしているか情報すら聞かないけどさ、元気でやっているのかよ。

俺はさ、心筋梗塞で死に掛けたけど、どうやら助かったところみたいだぜ。
今度会ったら酒でも飲もうね。

ウィーン。

よっちん似が電動ベッドのスイッチを押し、徐々に俺の身体が垂直になっていく。

「はい、身体拭かせてもらいますねー」

やめろ!
服を脱がすな!
やめてくれ、よっちん似の看護婦。

彼女、絶対よっちんの親戚か何かだろ?
ちょっと酷いよ。
幼馴染だろ?
せめて男の看護師にしてよ。

看護婦はお構いなく身体を拭きまくる。
なんてこったい、セニョリータ。
無抵抗の俺をそこまで辱めて君は罪の意識というものが無いのかい?

群馬の先生よー…、これも試練だって言うのかよ?
本当もう勘弁してよ……。

ヤクザ殴って百十万取られたり、時給千円で働かせられたりさ……。

横浜二回目の時なんて、別の意味で酷かったじゃねえかよ。
新宿〇〇会のヤクザが剛の地獄なら、第二の横浜は柔の地獄。

いや、正に次から次へと様々な地獄を歩いていく感覚に近い。
灼熱地獄が終わると、次は針の山地獄、はい、次は毒ガス地獄に最後は餌も何も与えられない空腹地獄。

あれは地獄めぐりだった。
本当に嫌な時代だった二千十五年から二千十六年に掛けて……。

いや、その前のインカジ新宿クレッシェンドでもかなり酷かったぞ?

何で俺がくだらない事で三百万以上失わなきゃいけねえんだよ。
一原の野郎、金少しでも返せ。

それを言うなら坂本か。
あの野郎のせいで俺はレオパレスを追い出され、三十万近くの退去金まで支払う羽目になった。
会ったらこの手で殺してやる……。

「はい、お疲れ様でしたー。ベッド倒しますねー」

くだらない過去の回想をしている内に、よっちん似の看護婦は集中治療室を出て行く。

チクショウ…、人の身体を捏ね繰り回しやがって……。

何故今のよっちん似がチンコに管をやる係じゃないんだよ?
順番絶対に逆だろ?

きっとあの塚越とかいう悪ガキが医者になったような先生の指図だろう。
ふざけやがって。


二度も身体を汚された感覚がした俺。
男だから分からなかったけど女性が力づくで犯される気持ちって、こんな感じなんだろうな。

ん、また誰か入ってきたぞ?
今度は何をしやがるつもりだ。

「失礼しまーす」

あれ?

望?
望じゃないか?
何故看護婦の格好をしているのだ?

「これから剃毛を担当する看護婦の加藤綾子です」

はあ、何を言ってんだ望……。
何故アナウンサーの名前を語っているのだ?

あれ、名札を見ると本当に加藤綾子と表記してある。
おまえ、結婚して名前も変えたのか?

彼女が俺のズボンへ手を掛けた時、いい匂いが鼻先で感じた。

違う…、望の匂いではない。
あれだけ教会の神父の妻だった望を抱いたのだ。
忘れる訳がない。

ひょっとして世界には自分にそっくりな人間が三人はいるとか言うが、あの望のそっくりさんというだけ?

おい、何をしてんだよ、アヤパン!
人のパンツを許可なく脱がしやがって!

「カテーテルで入らない場合、色々な場所からやるケースありますので、腕や腿…、などを剃毛させて頂きますねー」

おい、今俺のチンコ見ながら腿…、と変な間を空けたな?

タレ目で猫のような唇。
横顔も望そっくりだった。
おまえ、俺の大好きだったもんな……。

神父と離婚するぐらい求めたもんな。
こうなったら恥掻きついでに、俺のデカさを見せてやるよ。

「……」

あれ?
ピクリともしない……。

何で?
心筋梗塞のせい?
あの悪ガキ塚越が変な薬混ぜやがったのか?

あ、アヤパン…、何チン毛剃ってんだよ?
せめてさっきのよっちん似の看護婦呼んで来いよ。

もー、何なんだよ、この病院は……。

五十一歳にしてチン毛剃られ、つるんつるんになっちゃったよ。
これじゃお嫁に行けない……。

いや、俺は男だから違うか。
でも乙女座だから少し女の気持ちは分かる。
嫁に行けないというのはこういう事を言うのだ。
だから男は絶対に女を強引に抱いてはいけないのである。

あー、さっきの望似のアヤパン…、一回抱いてみてえなあ。
どんな顔をしてよがるんだろ?

二度の心筋梗塞により弱って寝た切りの俺ではあるが、一つ重大な事実に気付いた事があった。

赤心堂病院…、ここは何気に看護婦の質がいいという事。

健康体な時に会いたかったよ、チンコに管を入れた美人看護婦。
こんな萎んだ状態で会いたくなかったぜ、望似のアヤパン。

レベル高い看護婦陣だが、やらせる事は結構酷い。

何故美人がチンコに管を刺す?
何故アヤパンにチン毛を剃らせた?
その二つは絶対によっちん似だろう?

これさ…、絶対に群馬の先生の言う試練か、あとは悪ガキ塚越の陰謀だ。
俺は宗教なんてどうでもいいから神なんてどうでもいい。
群馬の先生が繰り返し「あなたは神に選ばれたから人より試練が多く降り注ぐ」なんて変な事を言うから、つい気にしてしまうだけだ。

でもさ、絶対におかしいよ。

何でね、コロナワクチンを打った翌日心筋梗塞になるの?
何十年も病院行ってないんだよ?

前にインカジの『牙狼GARO』で喉腫れて倒れた時だって、爪研いで喉の奥を切り、自分で直せたほどなんだ。

だいたい俺はワクチンなんて打ちたくなかったんだ。
従業員の中でも最後まで打たないでいた。

ボスの大場の鶴の一声で急遽決定したコロナワクチン接種。

三人の番頭井川、奥村、達彦…、あとダウンロードの名義だった遠藤も入れて四人か。
誰一人逆らえず、大場の声は絶対である。
大場から番頭へ。
番頭から各店の名義社長へ。
そして俺たち従業員。

情報伝達のしっかりした組織に加え、福利厚生も半端じゃないので雇われている以上文句は言えない。

初期の緊急事態宣言の時など、大場がポケットマネーで仕事へ出てくれるスタッフには時給にプラス五百円ずつ払ってくれた。
話に聞いていた大場系列。
俺がこれまで様々な裏稼業の店を行った中で、最大級に面倒見のいい組織だった。

基本三交代制の八時間勤務。
出勤すると給料とは別に飯代千円。
交通費全額支給。
出勤日掛ける日数のタバコ代。
従業員の休みの穴埋めで残業または早出をした場合、時給二百円プラス。
そして食事代もう千円。

完全にシステム化され、それを実践して金払いもキチンと払う店などこれまでほとんど無い。

そんな大場とのファーストコンタクトは、池袋のインカジ『バラティエ』。
まだ俺が初期の横浜へ行く前だから、結構前の話になる。

十卓には、最近よく来るサラリーマン風の四十代の客がいる。
毎回五十万のINをしてくるので、普通のサラリーマンではないだろう。
かなりいい太客だ。
一服を終えた岩佐がホールに出てくると、十卓のサラリーマン風の客へ親しく話し掛けている。
こんな太客に何か失礼な事があるとマズいので、俺は近くで様子を伺う。
「知り合いなの?」
小声で岩佐へ尋ねる。
「前にいた店のオーナーの大場さんなんですよ」
大きな声で言う岩佐。
「馬鹿、そういうのを大きな声で言うんじゃないよ」
俺と岩佐のやり取りを振り向いて微笑みながらこちらを見る大場。
「お見苦しいところを大変申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
「いえいえ、彼をよろしくお願いしますよ」
「畏まりました……」
こんな温和なオーナーのところにいたのに、今はここにいる岩佐。
やはりまるで使いものにならなかったのだろう。

大場系列の店『レディー』に入ってから十一月末で一年。
その一年間が経とうとする前に、こんな落とし穴があったなんて誰が想像できただろう?

至れり尽くせりの組織が、スタッフの身体を心配した上でのワクチン接種なのだ。
全従業員に対し、病院へ行った者にはその日の日当分も出してくれたほど。

何故全系列店で俺だけが、翌日心筋梗塞になった?
神の悪戯なのか?

二度目の横浜で自殺を考えるほどの地獄に遭い、岡部さんのおかげで川越の実家へ戻り何とか立て直した。

色々面倒を見てもらった酒井さんの系列での再出発。
五年ほど経ち責任者になった途端、また脱税で捕まった酒井さん。

俺がこの店は護ると下の人間へ宣言した矢先に勃発した番頭香川と店長橋本の抜き行為。

うまく嵌められた俺は店を辞め彷徨い、たまたま行き着いた先が、大場系列だったのだ。
そこを紹介したのが馬鹿の山下哲也だったという皮肉もあるが、俺はまた生活を立て直す事ができたのである。

〇〇会の腐れゲーム屋や、四連続コンボのように続いた二度目の横浜よりは全然マシ。
だって悪党な従業員一人もいなかったからね。

やっと桃源郷…、またはユートピアに辿り着いたと思ったら、今度は心筋梗塞。
一体何の神の悪ふざけなんだよ。
組織に文句は言えないが、絶対に流れがおかしい。

ワクチン打った翌日心筋梗塞で、一週間後二度目の心筋梗塞なんて普通あるのかよ?
まあ実際自分がそうなった訳だが、これは国でもデータを出して俺に保証金を抱いてもらいたいぐらいだ。

中々いないはずでしょ、こんな状況になるのって。
何者かが楽しみながら俺を操作されている感じがした。

狡猾に生かさず殺さず手の平で転がされているような気分だ。
だったらさ、蛇の生殺しではなく一息で殺せよ……。

実家の目の前にあった映画館ホームラン劇場の櫻井さんがジャッキーチェンの蛇拳の真似をしながら「蛇、蛇」と松永さんをからかうのを思い出す。

何で櫻井さんは蛇と言ったんだっけ?
あ、松永さんが以前婚約をして浮気され破棄した知子の仇名を蛇と名付け常にからかっていたのだ。

そういえば松永さん、笠間真理子の長男の入学金は用意できたのだろうか?

下心とか無いけどよなんて格好つけていたが、自分の家に真理子を誘い込んだ時点で思いっきりあるじゃねえか。
しかもやらせもしないで入学金がとか怒ってさ。
マッチポンプどころか、マッチガソリンだよね。
本当にあの人は面白い。

退院したらまた酒飲んだ時「松永さん、入学金は用意できたのですか?」とからかいたいなあ。
俺が二度目の横浜から戻ってきた時、最初に飲んだのが櫻井さんと松永さんだった。

「何だよ…、またこれじゃここで飲む回数が増えそうだよな」

川越に戻ってきた俺にそう言ってくれた松永さん。
嬉しかったが、それで過去なんでむんの女性店員のケツを触ろうとした写真を削除する訳にはいかない。

集中治療室に大人数の医者や看護婦が入って来る。
悪ガキ塚越先生を筆頭に、隅によっちん似の看護婦もいた。

「岩上さん…、カテーテルの準備できました。これから移動して手術に入ります」

数名の男子看護師たちが俺の身体をタンカへ乗せる。
一応ギリギリヘビー級だったから、俺は重いぞ。

身体が動かないので大人数になすがまま身を預け、俺は集中治療室を出た。

何だか意識が薄れていく。
麻酔でも使ったのか?

意識が混濁した中、手術室へ寝かせられたのだけは理解できた。
右脚腿の付け根辺りからカテーテルをすると話しているようだ。

目を閉じているから何も分からない。
先生の声だけが聞こえる。

「はい、心臓の辺りがちょっと熱くなりますよー」

え、人の心臓で何をするつもりよ?
身体が動かない……。

心臓の周りで一瞬の熱とパラパラと散る花火のようなイメージが頭の中で映像化した。
我慢できないほどの熱さではない。

血管から管を通して心臓までとか言っていたよな?
そんな事可能なのか?
しかし今しているカテーテルというのが、それなんだよな。

「はい、また熱くなります」

悪ガキの声が聞こえる。
安物の花火が身体の中で散っていく感覚は変わらない。

合図のあとでやってくる一瞬の熱ささえ、心筋梗塞で弱った心臓に喝を入れているのかと思うと心地良ささえ感じた。
朦朧としているので時間も何も分からない。

耳で音を拾い、何かチームワークいいなあと妙な感心をしていた。
赤心堂ザ・悪ガキビーチボーイズ。
ボーイズって女もいたじゃねえか……。

また熱さを感じる。
パラパラ花火が三回、四回か?

俺はそんな事すら覚えていないほど死の瀬戸際に立っていたという訳か……。

数名に身体を担がれ、再び集中治療室へ戻る。

2021/10/25 赤心堂病院 13:27

十三時二十八分。

カテーテル手術が終わったらしい。
フェイスブックへ写真と共に投稿して初めて時間が分かる。

昼をとっくに回っているじゃん。
そんなに時間掛かっていたのか?
冷静に考えると、血管から通して心臓までなんでしょ?
物理的にそんな事可能なのか?

自分の身体で体験したばかりなのに、イマイチ信憑性に欠ける。
この目でそれを見た訳でなく、あくまでも体内で感じたものをイメージしただけだからかな。

悪ガキ塚越先生が何かを説明していた。

「先生……」
「ん、どうされました? 気分悪いですか?」

顔を近付けて来たので必死に口を開く。

「タバコ…、セブンスターを一本だけ……」
「駄目です! 安静に寝てて下さい」

それだけ言うと病室を出て行った。
美女軍団まで引き連れて。

おいおい、そりゃないぜ、コロンブス。
せめて望似のアヤパンかチンコに管を入れた美人看護婦を傍へ置いてってくれよー……。

きっとああ無情って、こういう事を言うのだろうな。

手術が終わったはずなのに、チンコの管を取らない。
カテーテルの手術が終わってもずっと点滴をしたまま。
トイレに行きたくなってもその場でしろと言う。

我慢できなくなり小便を仰向けですると、チンコの先の管からそのまま排出される仕組みになっているようだ。

不思議な感覚であるが、こんな状態絶対に嫌だ。
いつまでこんな事やらせんだよ!

タバコも吸わせろ。
セブンスターじゃなきゃ吸わないからな!

ついでにグレンリベットを持ってこい。
チェイサーもな、セリョリータ。

ナースコールを押してそれらを伝えると、よっちん似の看護婦はプイとそっぽを向いて出て行く。
おいおい、よっちん、そりゃあないぜ。

入院一日目は飯も出ず、こんな感じで終了した。
ああ無情……。


それにしても俺は塚越先生に命をこれで救われたのだなと実感する。

何故あんな状況で今こうして生き残ったのか?
市川院長もよく生きていたと驚いていた。
まあ心臓止まらなかったからだろう。

三度目に中央通りで倒れた時、本当に駄目だと実感した。
それでも死ぬのが本当に怖く感じなかった。

強がりでも何でもなく死の瀬戸際で、俺は笑いながら覚悟を決められたのだ。
結局鶴田師匠に立たされちゃったけど。

仮にあそこで命を落としていたとしても、俺の死に顔は笑みを浮かべたままのはず。
これをインターネットで叩く輩がいたとしても、死人に口なしだしな。
死を克服したまでは大袈裟だろうが、今の俺は笑って最後を受け入れる事ができたのは確か。

もしいつかこの話を誰かにした時「でも死んでないじゃん」とか突っ込む奴がいたら、俺は張り手をお見舞いしてやろう。

とにかく俺は死を目前に笑えた。
それが今回一番の収穫。

二番目がアヤパン…、いや、美人度で言ったらチンコに管の看護婦だよな。
アヤパンはノスタルジーであり、チンコ管はリアリティー。
唯一ケチをつけるとすれば、彼女はあまり胸が無い点に尽きた。
けいこの看護婦バージョンみたいなものか。

俺がもし世界的に有名な作家になったとしたら、世界平和を唱えるだけでなく実際に解決できる方法を知っている。
あの死の淵で悟ったのだ。

世界平和とは一言で表現すれば『おっぱい』。
よく女は偉大だと言われるが、あれは本当に偉大なのだ。
それはおっぱいに尽きる。

何故ならば、戦争で精も根も尽き疲れ果てた兵士百人を集めて聞いてみたい。
銃を持って人を撃つのと、目の前のおっぱいをむしゃぶりつくの…、どちらがいいか。
一部の戦争をする事で莫大な利益を目指す権力者以外、すべての人間はおっぱいを選ぶ。

つまり世界平和とはおっぱいなのだ。
おっぱいを揉みながら怒っている人間を見た事があるだろうか?
おっぱいを触りながらキレている奴を見た事なんてないはずだ。

おっぱいは正義。
これは絶対に断言したい。

アヤパンが検温に来た。

この哲学的な悟りの境地へ辿り着いた俺。
知的なところを見せつけてやろう。

「ねえ、看護婦さん」
「どうしました?」

「世界平和を解決する術を俺は知っているんだ」
「今はいいから安静にお願いします」

体温を計るとアヤパンは去って行く。
おいおい、いくら何でもそりゃあないんじゃないのかい、セニョリータ。

暇潰しにフェイスブックを眺めると、色々な人からコメントが入っていた。

『救急車呼んだ方が……。 いしかわまさゆき

『心臓って、きっとそうなんですよ。私も意識なくしてましたから。でも、病院へ行ってくれてよかったです! 命の洗濯も大切てすよ。 Masaya Tejima

『ヤバいと感じた時は、待たないで病院に行った方が良いです。 平田正多嘉

『お大事に! 小宮山泰子

『お大事に。 山崎照夫

『ゆっくり静養して下さい。 久保洋

『お大事にして下さい。びっくりですが他人事に思えない。お互い養生しましょう。 須賀栄治

『とりあえず良かった。もう若くないんだからね。 一柳始

『ともさん、とにかくゆっくり休んでくださいね。 金子修一

『岩上さん、お大事にしてください。 中嶋康博

『お大事になさってください。 KimikoHashimoto

『まずは静養ですね。お大事に。 和泉康

『危なーーーーい! 体は無理しちゃ駄目です。 青木怜子

『ご自愛ください。 いしかわまさゆき

『おい。頼むぜ友。これからも遊んでくれよ。 神田浩典』

『岩上さん十分にお気をつけて下さいね。とにかく無理をなさらずに今はゆっくりと静養なさってください。 中川広吉

『五日目…。因果関係なし…か…。どうかお大事に。 渡邉祐美子

『ゆっくり静養するようにして下さい。 横内剛

『お大事に。 河合貴行

『川越に居て異変感じたら二十四時間車出すので。お大事に。 飯野誠

『早くてよかったですね。お大事にです。 成田ゆかり

『お大事になさって下さいね。 TsuChe

『おいらの知合いもそこで心臓のカテーテルやってる。心配するな、大丈夫だよ。 一柳始

『俺もカテーテルやってるよ! 大丈夫。 MasayaTejima

『お大事にしてください。 栗原傑

『タバコ吸ったら死にます。 いしかわまさゆき

「……」

とりあえず九死に一生を得たんだな……。





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