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100.セフェル・ハ=バヒール②

画像は以下のサイトから転載。


聖杯

前回はほぼ私見でしたが、本流に戻ります。

多くの資料によると、テンプル騎士団が巨大な権力を手に入れたのは、ある神秘的な宝物を手に入れたから、とされています。

その宝物は「聖杯」と呼ばれることもありました。

この「聖杯」によって、騎士団は恐れられ、憎まれる存在となりました。カトリック教会はテンプル騎士団を徹底的に弾圧することに執念を燃やしました。

ちなみにこの「聖杯」は、ミサで使用する杯(カリス)とは別物です。

テンプル騎士団が宝物を手に入れた場所は、十字軍がらみの人たちなのでもちろんパレスチナです。パレスチナで神秘的な宝物がありそうな場所といえば、もちろんエルサレム神殿です。

第二エルサレム神殿が破壊されたのは、紀元後七〇年です。これはイエスの予言の成就でもありました。

当時のローマ皇帝はティトス(三九年~)で、次代皇帝ドミティアヌス(五一年~)が建てた「ティトスの凱旋門」に破壊と略奪の様子が描かれています。

https://colosseumrometickets.com/arch-of-titus/より転載。メノーラーなどを運ぶ人たち。

ですが門のレリーフには、「契約の箱」を運び去る様子は描かれていません。

契約の箱にはモーセの十戒を記した石板が入っているといわれています。いつかはわかりませんが失われてしまったので、「失われた聖櫃(アーク)」とも呼ばれています。

https://wall.alphacoders.com/big.php?i=86520より転載

パレスチナのビザンチン学者、カエサリアのプロコピウス(五〇〇年ごろ~)は、四一〇年に西ゴート族のアラリックがローマを征服した際の戦利品に、「ローマ人によってエルサレムから持ち出されたエメラルドで飾られた品々、最も見るに値するソロモン神殿の宝物」を挙げています。

西ゴート族は、現在の南フランスのラングドック地方に定住しました。

ローマはさらに、ヴァンダル人によって徹底的な略奪にさらされました。プロコピウスによると、「戦利品は非常に多く、奪われたものの中にはユダヤ人の財宝も含まれており、かれらは神殿のメノーラー(燭台)をかれらの首都カルタゴに運び去った」とのことです。

五三四年、ビザンツ帝国の名将ベリサリウスはヴァンダル人を撃破し、カルタゴを略奪したあと、皇帝ユスティニアヌス一世(四八二年~)に「ユダヤ人の財宝」を献上するためコンスタンティノープルに帰還しました。

プロコピオスはベリサリウスの凱旋式について、次のように記しています。

ユダヤ人の一人が、これらのものを見て、皇帝に知られている者の一人に近づいて言った。 「これらの財宝をビザンティウムの宮殿に持ち込むのは不謹慎だと思います。ユダヤ人の王であったソロモンがかつて置いていた場所以外に、これらの宝物を置くことはできません。ガイセリック(ヴァンダル人とアラン人の王)がローマ人の宮殿を占領したのも、ローマ軍がヴァンダル人を捕らえたのも、これらのせいなのだから」。このことが皇帝の耳に入ると、皇帝は恐れおののき、すぐにエルサレムのキリスト教徒の聖域にすべてを送った。

https://www.gutenberg.org/cache/epub/16765/pg16765-images.html

のちのテンプル騎士団たちが第一回十字軍に参加したのは、これらの財宝を取り戻すためだったのかもしれません。

もう一つの可能性としては、のちのテンプル騎士団たちは、ソロモン神殿の地下にまだ埋もれていたほかの財宝を知っていたのかもしれません。

オカルトの復活と伝播

現在知られているテンプル騎士団の「発掘」は、十二世紀後半に突然、かつ不可解な形で登場した『セフェル・ハ=バヒール(輝きの書)』について説明する一助となる可能性があります。

『セフェル・ハ=バヒール』は、まずアシュケナージ・ハシディム(ドイツの敬虔主義者)のあいだで、次いでセプティマニアのカバラ主義者のあいだで広まりました。

アシュケナージ・ハシディムについては、過去に多少触れました。十二世紀から十三世紀のあいだにドイツのラインラントのユダヤ人たちが行った神秘的、禁欲的な運動のことを指します。

セプティマニアについては、以下の記事以降で主テーマとして取り扱っています。ナルボンヌを首都としたユダヤ人王国で、たいへん重要な地域です。

諸侯の十字軍に関与した貴族ネットワークは、南フランスにおけるカバラの誕生にも関与し、聖杯伝説の出現に火をつけました。

この聖杯伝説は、テンプル騎士団と密接な関係にあったカタリ派の異端思想と結びついていました。

ユダヤ神秘主義の世界的権威、ゲルショム・ショーレムによると、カバラはメルカバ神秘主義に根ざしていたものの、出現時期は一一三〇年から一二〇〇年のあいだで、出現場所はプロヴァンス、より正確にはラングドックと呼ばれる地域だったとのことです。

https://www.britannica.com/place/Languedoc-Roussillonより転載

さらにショーレムによると、ルネル、ナルボンヌ、ポスキエールといったセプティマニアの都市、そしておそらくトゥールーズ、マルセイユ、アリエでも、最初の神秘主義者(カバラ主義者と見なされる者たち)が確認されています。

最初のカバラ主義者の弟子たちは、カバラの伝統をスペインに伝播させ、結果カバラはブルゴス、ヘロナ、トレドといった地に根を下ろしました。そこからほかのユダヤ人共同体に広がっていきました。

https://kronadaran.am/wp-content/uploads/2014/12/G.-Scholem.-Origins-of-the-Kabbalah.pdf

繰り返しになりますが、セプティマニアには多くの「ユダヤ人」が暮らしていました。

ウィキペディアによると、「現在の騎士道物語につながるヨーロッパでの封建制が早くから進展したことで知られている。」とあります。騎士道物語とは聖杯伝説のことです。

トレドの司教ユリアヌス(六四二年~)は、セプティマニアのことを「神を冒涜するユダヤ人の売春宿」と呼んでいました。

一一四三年という遅い時期にも、クリュニーの第九代院長、尊者ピエール(一〇九二年ごろ~)が、フランス王ルイ七世への書簡で、ナルボンヌのユダヤ人たちは「王はわれわれのところに住まわれている」と主張している、と非難していました。

セプティマニアの統治者は王子(ナシ)と呼ばれていました。ダビデの血を引く一族の世襲で成り立っており、初代はラビ・マヒルです。

マヒル家のナルボンヌの居住地は、公文書でCortada Regis Judaorum(ユダヤ人の王の居城)と指定されていました。

ラビ・マヒルからはじまった一族は、中世を通じて権力と富を保持し、十四世紀のはじめまで、一族の多くがトドロス、またはカロミヌスと名乗っていました。

アシュケナージ・ハシディムの共同体の指導者は、十世紀にドイツに移住したイタリア北部発祥のカロニモス家の子孫です。

カロリング朝は、ユダヤ人王(王子=ナシ)という役職を設置することで、領内のユダヤ人コミュニティーを安定させ、法的に保護することを明らかに意図していました。

一一四四年、ケンブリッジの修道院でユダヤ教に改宗したテオバルドは、「スペインに住み、ナルボンヌに集うユダヤ人の首長とラビたち」について言及し、そこには「王家の血筋が存在する」と記していました。

一三六四年の『王室書簡』にも、ナルボンヌにレックス・ユーダエオルム(ユダヤ人の王)が存在したことが記されています。

ダビデ系譜の信仰は、十三世紀後半のナシの一人カロニモス・ベン・トドロスの印章にユダのライオンが使用されていたことで裏付けられます。

創世記の四十九章にはこうあります。

ユダは獅子の子。獲物を追って、わが子よ、お前は登って行った。かれは雄獅子のようにうずくまり、雌獅子のように伏した。だれがかれを起こそうか。

https://www.biblegateway.com/passage/?search=Genesis 49&version=KJV

有名なユダヤ人旅行家で年代記作家のトゥデラのベンヤミン(一一三〇年ごろ~)は、一一六五年から一一六六年にかけてナルボンヌを訪れました。

ベンヤミンはナルボンヌについて、このように記しています。

学問において卓越した都市であり、ここからトーラー(律法)が諸国へ伝わる。賢者や偉大で著名な人々がここに居住している。その筆頭は、ダビデの子孫であり系譜が確立されたラビ・トドロスの子、ラビ・カロニモスである。かれは都市の支配者から与えられた相続財産と土地を所有しており、だれもこれを強制的に奪うことはできない。

https://www.gutenberg.org/files/14981/14981-h/14981-h.htm

テンプル騎士団の「財宝」

アシュケナージ・ハシディムは、中世カバラ思想の最古の例『セフェル・ハ=バヒール』の神秘的な伝統の一部を伝える媒介者でした。

この『セフェル・ハ=バヒール』は、現代においても歴史家たちに謎を投げかけています。

繰り返しになりますが、エルサレム第二神殿の破壊以来ユダヤ教から失われていたグノーシスの教義が、十二世紀に突然『バヒール』として再登場しました。

『バヒール』は、時代的にもやはりというか、テンプル騎士団が神殿の遺跡の発掘で発見した古代の資料に由来している可能性があります。

テンプル騎士団の富の源については、多くの伝説があります。

一三〇一年、テンプル騎士団が裁判にかけられたとき、指導者だったジャック・ド・モレー(一二四四年ごろ~)は、騎士団員にスコットランドに向かうよう指示しました。

フリーメーソンの言い伝えによると、テンプル騎士団の多くは「東方の神秘主義者」を連れていました。

この神秘主義者は、マンダ教徒、偽サービア教徒、もしくはイスラムの暗殺教団、過激派のイスマーイール派です。

これらの神秘主義者は、騎士団によって危険な聖地から「救出」され、それによってスコットランドの地でスコティッシュ・ライト・フリーメーソンの伝統がはじまりました。

またアルバート・パイクによると、テンプル騎士団はヨハネの黙示録の著者を崇拝する「ヨハネ派キリスト教徒」のグループの生徒でした。

https://www.betemunah.org/kabbalah-gershom-scholem.pdf

メーソンの伝説を検証するのは不可能ですが、この伝説自体は、十字軍の時代に西欧社会に伝えられたイスラムのオカルト知識の保存に基づいています。

この伝説は長いあいだ、テンプル騎士団と物質的または精神的価値のある「財宝」とを結びつけてきました。聖杯や聖櫃のような神話上の遺物です。

文字どおりの「財宝」の発掘過程で、古代の叡智という「財宝」が発見された、かもしれない、ということです。

イギリス人聖書学者のヒュー・J・シェーンフィールドは、テンプル騎士団は神殿の丘の地下トンネルでエッセネ派の銅の巻物を発見した可能性がある、と主張しました。

銅の巻物には、さまざまな隠された財宝、おそらくエルサレム第二神殿の財宝の目録が刻まれていました。

財宝を取り戻すための方法も記されていますが、解釈は難しいようです。

聖書学者のテオドール・H・ガスターは、著書『The Dead Sea Scriptures』で次のように記しています。

第二の説は、この財宝が第二神殿のものであり、神聖な建造物がローマ軍によって陥落したとき、あるいは陥落しようとしていたときに、砂漠の共同体(エッセネ派)に保管を託されたというものだ。しかしこれもまた難点がないわけではない。ヨセフスによれば、神殿の主要な財宝は崩壊時にまだ建物内に残されていた。これは紀元後七〇年の出来事である。一方、考古学的証拠によれば、クムランの修道院はすでにその二年前に放棄されていた。
さらに、巻物に見られるエルサレム祭司団への批判的記述が当時の実態を反映しているなら、祭司たちが聖なる器の保管をクムランの兄弟団に託すとは考えにくい!

https://thebibleisnotholy.wordpress.com/wp-content/uploads/2010/06/dead-sea-scriptures.pdf

一八六七年、ウィルソン大尉とチャールズ・ウォーレン中尉、王立工兵隊のチームを含むフリーメーソンの一団が、財宝がありそうな地域を発掘しました。

そしてテンプル騎士団の本拠地、アル=アクサー・モスクから約二十五メートルに渡って垂直に伸びるトンネルを発見しました。トンネルはソロモン神殿跡と考えられている岩のドームの下で扇状に広がっていました。

このトンネルで発見された十字軍の遺物は、テンプル騎士団の関与を証明しています。

さらに最近では、ウォーレンとウィルソンの発見に興味を持ったイスラエルの考古学者チームが通路を再調査し、テンプル騎士団が実際に神殿の地下を発掘していた、と結論づけました。

『バヒール』の伝説と実際

カバラ学者自身は、『バヒール』はもっと時代の古いものだと考えています。

その最古の伝承は、紀元後一世紀のラビ・アキバの詩、ラビ・ベン・ハカナに帰することができるとのことです。

そして学者たちは、『バヒール』の言い伝えはタンナイームアモライームのものと信じていました。

タンナイームは、ミシュナが完成する二〇〇年ごろまでに活動したユダヤ教の賢者たちのことです。

ちなみにミシュナは、ラビによって行われたトーラーに関する註解や議論(口伝律法)を集成した文書です。

アモライームというのは、二二〇年ごろから五〇〇年ごろに主にイスラエルとバビロニアで活動したユダヤ教の賢者たちのことです。

ですがゲルショム・ショーレムによると、『バヒール』がオリジナルであるかどうかは疑わしい、とのことです。

というのも、後世の著者の名前が追加されたり変更されたりした結果であるかのように見えることがあるからです。

https://kronadaran.am/wp-content/uploads/2014/12/G.-Scholem.-Origins-of-the-Kabbalah.pdf

むしろ『バヒール』は、ユダヤ教から長いあいだ姿を消していた初期の古典的グノーシス主義の一形態で、ユダヤ教「以外」の資料にのみ残っていたようです。

言葉も概念も同じであり、古いグノーシス主義の伝統になんらかの形で関連する隠された情報源に由来するものでない限り、この専門用語がどのようにして十二世紀に生まれたのか、あるいは新たに創造されたのかという疑問に対する答えを探すのは無駄なことである。

https://kronadaran.am/wp-content/uploads/2014/12/G.-Scholem.-Origins-of-the-Kabbalah.pdf

イスラエルのユダヤ神秘主義学者、ジョセフ・ダンは、『バヒール』についてこのように記しています。

順序に関する基本的な問題は解決されたものの、無数の疑問が残されている。そして『バヒール』はその名にもかかわらず(輝きの書)、われわれにとってまったく明快とは言い難い。『バヒール』にあらわれるグノーシス主義の象徴や、その起源すらも、いまだ満足のいく説明がなされていない。さらに、この書の文学的構造は寄せ集めであり謎でもある。ある学者は、伝承の初期段階で『バヒール』の個々のページが風によって散らばり、誤った順序で再構成されたのではないかとさえ示唆している。

https://www.myjewishlearning.com/article/sefer-ha-bahir-the-book-of-brilliance/

中世のカバリストは、『バヒール』は統一された書物としてもたらされたのではなく、散在した書物や小冊子から発見された断片だと主張しました。

テキストは、ときに議論を途中で終わらせたり、トピックからトピックへとランダムにジャンプしたりします。

ゲルショム・ショーレムはこのように記しています。

東方から伝わった『セフェル・ハ=バヒール』最古の地層は、バビロニアあるいはシリアの信心深いユダヤ人の一団の中に、メルカバの理論を「イオン」の理論と結びつけた、明らかにグノーシス主義的な見解が存在したことを証明している。

https://www.betemunah.org/kabbalah-gershom-scholem.pdf

本質的に、『バヒール』はメルカバの伝統をグノーシス的なものに変容させました。

これによって『セフェル・イェツィラー(創造の書)』の十のセフィーロートは「イオン」となりました。

神の発露は樹木の寓意によってあらわされ、この樹木が原形的な人間のイメージを形成します。樹木はソフィアによって水を与えられ、そこから魂が花ひらきます。

この木の枝は、黄道十二宮の十二支のように十二の方向を向いています。これらの枝は世界の三つの領域、サーペントまたはドラゴン、スフィア、ハートに対応しています。

それぞれには十二人の「監督者」またはアルコンがいて、合計三十六の権力になります。これは占星術の三十六デカンに対応します。

三十六のアルコンは互いの中に存在し、すべてのアルコンはドラゴンの中に存在します。

ドラゴンは、『セフェル・イェツィラー』によると、「王座につく王のように宇宙を覆って」います。

https://www.betemunah.org/kabbalah-gershom-scholem.pdf

『セフェル・ハ=ゾーハル』

スペインから南フランスのタルムード学院に学びに来た初期のカバリストたちの弟子たちは、カバラを南フランスに「移植」する役割を担っていました。

この弟子たちは、中世カバラの最も重要なテキストである『セフェル・ハ=ゾーハル』を基にしたテキスト制作に責任を負っていました。

神秘主義の伝統によると、『ゾーハル』は、これが書かれた以前の純正同胞会による「アラビア語カバラ」に基づいているともいわれています。

盲目のイサク(一一六〇年ごろ~)は、カバラの父で『バヒール』の著者のアブラハム・ベン・ダヴィドの息子と広く疑われています。

一般にイサクの肖像画と考えられている画像

盲目のイサクは十三世紀のラングドックのカバラ主義者の中でも中心的な人物で、ユダヤ教だけでなく、初期のキリスト教グノーシス主義の著作や純正同胞会についても研究していました。

歴史家の中には、盲目のイサクが『セフェル・ハ=バヒール』の作者ではないかと疑う人もいたそうです。

純正同胞会やスーフィーは、アブラハム・イブン・エズラ、モーセ・マイモニデス、ユダ・ハレヴィ、バヒヤ・イブン・パクダ、イブン・ガビロール(一〇二一年ごろ~)などののちのユダヤ神秘主義者たちによって広く研究されました。

ユダヤ教イスラム教の織りなす世界を最も体現した哲学者は、十一世紀のスペイン系ユダヤ人、イブン・ガビロールです。

イブン・ガビロールは、純正同胞会の百科事典『ラサーイル・イフワーン・アッ=サファー』の思想を吸収し、聖書に次ぐ主要な霊感源としました。

またイブン・ガビロールは、スペインにスーフィズムを導入した偉大な神秘主義者ムハンマド・イブン・マサッラ(八八三年~)の教えに従っていました。

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イブン・ガビロールは、イブン・アラビーとともに、イブン・マサッラの偉大な追随者の一人と見なされていました。

イブン・マサッラはスペイン最初のスーフィーであると同時に、スペインのムーア人の最初の哲学者の一人とも考えられています。

イブン・アラビーは、『ラサーイル・イフワーン・アル=サファー』から多大な影響を受け、『ゾーハル』の中核となる思想の多くを定式化しました。

『ゾーハル』は十三世紀のスペインにあらわれ、ユダヤ人ラビのモーシェ・デ・レオン(一二五〇年~)によってによってカスティーリャで出版されました。

モーシェ・デ・レオンは、この著作を自分の名ではなく、紀元後二世紀にローマ帝国に迫害されたラビ、シモン・バル・ヨハイによるものとしました。

ウィキペディアによると、そのほうが売れるから、という判断だったようです。

ユダヤの伝説によると、シモン・バル・ヨハイは十三年間洞窟にこもってトーラーを学び、エリヤに触発されて『ゾーハル』を書いたとのことです。

ですがゲルショム・ショーレムによると、『ゾーハル』は実際には、長い年月にわたって書かれた複数の著作を編纂したものです。

ユダヤの伝説はことごとくショーレムに「論破」されてしまっていますが、だからユダヤ人は嘘つきだ、ということにはなりません。伝説は歴史と同じくらい重要です。

『ゾーハル』の著者は、『イェツィラー』や『バヒール』といった初期の神秘主義の書、中世初期のアシュケナージ・ハシディムの著作、そしてラシ・ド・トロワ、アブラハム・イブン・エズラ、ダヴィド・キムキ、さらにナフマニデスやマイモニデスといった中世のラビたちによって書かれた聖書の注釈書を参考にしています。

テンプル騎士団の「財宝」は、発掘が事実なのであれば、文字どおり歴史を変えました。

先にメーソンの伝説をお伝えしましたが、あの寓意は、ミトラ教や暗殺教団のような「邪教のテンプレ」が復活し現在も守られている、という事実を示しています。

邪教のテンプレとは、位階制や入信儀式、後ろに隠れた神(邪神)、などの要素です。小学校の入学式に異様さを感じた方は何人もいらっしゃると思いますが、学校や会社も邪教のテンプレに則っています。「おかしい」と感じて当然なのです。

「騎士」という概念は非常に東洋的で、騎士とはなにか、騎士の役割、という分類自体がオカルト的です。このNoteをお読みの方はなんとなくでも感じられているかと思われます。

簡単にいえば、ロールプレイングゲームです。スキタイの騎馬戦士は、馬に乗っていますが騎士ではありません。単に「馬に乗った戦う人」です。

サウスパークのゲームで「戦士、魔法使い、盗賊(シーフ)、ユダヤ人」というギャグがありましたが、役割があって世界の均衡が保たれているという考えは、みなさんが思っている以上に危険な思想です。

https://www.huffingtonpost.co.uk/andrew-edney/preview-of-ubisofts-south-park-the-stick-of-truth_b_4838984.htmlより転載。職業選択。

ですが日本ではドラゴンクエストやファイナルファンタジー、アメリカではダンジョンズ・アンド・ドラゴンズの影響で、「職業の選択」に違和感を覚える人は皆無です。

アメリカ(洋ゲー)でこのロールプレイングゲーム的職業選択が一般に認められたのは、意外と最近のことです。現実とは相容れないオカルト的な要素だからです。

ちなみに「アメリカは日本より優れている」と伝えたいわけではなく、なかなか広まらなかったのは向こうの社会基盤がキリスト教的だからです。日本人にはわからない違和感があった、ということです。

アルバート・パイクは、『道徳と教義』で「均衡の神秘」を解説しています。

共感と反感、引力と斥力は、人間の魂においても、球体と世界の宇宙においても相反する。そして互いの作用と反作用から、調和と運動が生じる。この運動こそが宇宙と魂の生命そのものである。

https://sacred-texts.com/mas/md/md33.htm

オーストラリア生まれの民俗学者、ジョセフ・ジェイコブズ(一八五四年~)は、著書『Jewish Contributions to Civilisation(ユダヤの文明への貢献)』で、このように記しています。

カバラは、ユダヤ教が通過したあらゆる文化の神秘的要素を内包している。聖書の神顕現の恍惚、アレクサンドリアの新プラトン主義、アラブのスーフィズムである。

http://www.themasonictrowel.com/Articles/General/about_individual_files/albert_pike_mystic.htm

ジョセフ・ジェイコブズはまた、以下のようにも記しています。ほぼこの記事のまとめですので載せておきます。

『ゾーハル』はおそらく十三世紀に編纂されたが、より古い神秘主義教義の痕跡を多く含んでいる。ラモン・リュイやピーコ・デッラ・ミランドラといった人物の関心を惹き、ダンテの作品にもその痕跡が見られる。しかしヨーロッパ思想への主たる影響は宗教改革期にあらわれ、プロテスタントに、古い信仰形態の主要な魅力であった神秘的要素を供給する役割を果たした。……ピュタゴラス主義の復興と結びつき、ロイヒリンやコルネリウス・アグリッパを惹きつけた。自然科学の新研究と結びついては、パラケルスス、カルデン、ファン・ヘルモント、ロバート・フラッド、そしてケンブリッジ・プラトニストのほかの者たちにも影響を与えた。ルターが哲学的であった限りにおいて、かれの哲学はカバラに由来し、グノーシス主義の要素とマニ教の色合いを帯びていた。この点でかれはメランヒトンに継承された。ヴァイゲルやヤコブ・ベーメのような偉大なドイツ神秘主義者たちも、大筋ではカバラ的であった。カトリックがマイモニデスの合理主義によって神の神秘を和らげようとしたように、プロテスタントもまた、カバラの神秘主義に依拠することで自らの合理主義的傾向を修正したのである。

http://www.themasonictrowel.com/Articles/General/about_individual_files/albert_pike_mystic.htm


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謎の賢人 この記事はリサーチにかなりの時間を費やしています。有料にはしたくないので無料で公開していますが、チップをいただけましたら精神的にも励みになります。