70.暗殺教団
画像はウィキペディアから転載。
アブドゥッラー・イブン・メイムーン
今回もイスラム教をお伝えします。
暗殺教団の「暗殺」は、いうまでもなくアサシンの訳語です。この暗殺教団は、西洋にオカルトの教えを伝えたとされる重要な教団です。
つまり前回お伝えした「純正同胞会」と同じカルトです。
イスラム教シーア派は、ムハンマドの娘婿で第四代正統カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブ(六〇一年~)の後継者問題を巡り、四つの派閥に分裂しました。
シーア派は、アリーとその子孫のみが指導者(イマーム)としてイスラム共同体を率いることができる、という主張からはじまりました。
これまでのシーア派は、どの派閥もイスラム教の基本的な教義から逸脱したことはなく、ただスンニ派とはちがう、という主張を行っていただけでした。
ですが八七二年ごろ、アブドゥッラー・イブン・メイムーンという謀略家が登場し、派閥争いを掌握してしまいました。
それによってただの分裂主義だった争いは、イスラム主義だけでなく、あらゆる宗教的信仰を根底から覆すものになりました。
アブドゥッラー・イブン・メイムーンは、やはりというべきか、純正同胞会の一員とされています。
ほかにもユダヤ人、シリアのグノーシス主義者バルダイサンの信望者、ゾロアスター教の二元論者など、さまざまな説がありますが、この人のウィキペディアのページは日本語も英語も存在しません。
アブドゥッラーは、南ペルシャで生まれました。父親は医者で、学識豊かで自由な思想を持つ人でした。
息子アブドゥッラーはグノーシス的二元論の教義で育てられ、あらゆる宗教に造詣が深かったのですが、実態は父親と同じく純粋な唯物論者でした。
唯物論は物質主義とも訳されます。つまりわたしたちと同じ「カネがすべて」のタイプです。
にもかかわらずアブドゥッラーは、正統シーア派の信条に忠実であることを公言しました。策略としてです。
そして豊かな神秘主義の知識を開陳することで、イスマーイール派のトップに立つことに成功しました。
オカルト史におけるイスマーイールは、暗殺教団を生み出した重要な存在とみなされています。
山の老人
暗殺教団は、ハッサン=イ・サッバーフ(一〇五〇年ごろ~)によって創設されました。
このハッサンは、シャイフ・アル=ジャバル、または「山の老人」としても知られています。
ハッサンは天才的な革命家だったといわれています。カイロのファーティマ朝イスマーイール派の古いダワー(義務)に代わる、イスマイール派の分派ニザール派としての新しいダワーを考案し、実践しました。
暗殺教団は、アラビア語でハシーシムと呼ばれます。洗脳目的で新兵にハシシ(マリファナ)を供給していたからです。
マルコ・ポーロの記述によると、山の老人は、二つの山に挟まれた谷を「かつて見たこともないほど広く美しい庭園」に造り替えました。
……そこはあらゆる種類の果物で埋め尽くされていた。その中には、想像を絶するほど優雅な東屋や宮殿が建てられ、すべてが金箔と精巧な絵画で覆われていた。また、ワインやミルクや蜂蜜や水が自由に流れる水路があり、世界で最も美しい乙女たちが何人もいて、あらゆる楽器を演奏し、とても甘く歌い、見る者を魅了するように踊っていた。
老人は、ここが本当に楽園であると民衆に信じさせようとした。そこで老人は、ムハンマドが楽園について述べたとおりに庭園を造った。
老人は、自分が見込んだ勇敢な男になる運命にある十二歳の少年たちを宮廷に置いていた。老人は、かれらを四人、十人、または二十人のグループに分けて庭園に送り込む際、ハシシを飲ませた。かれらは三日間眠りつづけ、その後、眠ったまま楽園に運ばれ、そこで目覚めさせられた。
これらの若者たちが目覚め、楽園に素晴らしいものばかりがあることに気づくと、かれらは本当に自分が楽園にいると信じた。乙女たちは常に歌や盛大な宴を行い、かれらとともにいた。かれらは求めるものをすべて与えられたため、自らの意思でその庭園を去ることは決してなかった。
そして、老人がだれかを殺そうと思ったとき、若者を連れて行き、「これこれを行え。わたしはあなたを天国に戻すためにこれを行うのだ」といった。そして、暗殺者たちは喜んでその行為を実行した。
チャチといえばチャチなやり方ですが、クスリと宗教の組み合わせはいつでも強力です。
ウィキペディアではこの楽園は完全に伝説扱いですが、イギリス人作家のエドワード・バーマンはこのように記しています。
ハッサン=・イ・サッバーフをはじめとする初期の暗殺教団指導者が庭園を所有していた可能性は高い。なぜなら庭園は、ペルシャの貴族生活や神秘主義において重要な要素だからだ。アサシンの城塞における水路の整備や、安定した水供給を確保するための細やかな配慮は、現代のペルシャやアラビアの村落や別荘が流水の確保に注ぐ配慮と共通している。したがって、暗殺者が連れて行かされたとされる庭園の伝説は、事実に基づいている可能性が高い。
暗殺教団の教義
暗殺教団のグランドマスター、ハッサン=イ・サッバーフとラシード・ウッディーン・スィナーン(一一三一年または一一三五年~)は、どちらも純正同胞会と密接なつながりがありました。

暗殺教団の教義は、一般に認められることはありませんでした。その教義は暗殺教団自身によって秘密裡に維持され、敵対者はそれらを研究や報告することなく、単に異端として否定するだけに留まっていました。
どのような教義だったのかというと、教団の入門者は九つのイニシエーションを通過しなければならない、というものでした。ミステリーカルトあるあるです。
作家のイドリース・シャーはこのように記しています。
これらの(九つの)段階的な知識の基礎は、純正同胞会から得たものである。
第一の段階では、教師たちは弟子たちに、宗教、政治、その他あらゆるものの考え方に疑問を抱かせます。
目的は、若者を混乱させ、結果として盲目的に忠誠を誓わせることです。
しつこくお伝えしてきましたが、学校(とくに医学部)や企業も同じカルトです。盲目的に従わなければ出世できません。
第二段階では、イスラム教の教義を遵守するだけでは神の祝福を得られないと教えられます。
なぜなら、それらの教義は単なる象徴に過ぎず、その真髄はイマームから受け継がれる必要があるからです。
第三段階では、イマームの性質と数について指導されます。
そして「七」が霊的・物質的な両世界において持つ意義を認識するよう教え諭されます。
これによって、弟子は十二イマーム派から明確に分離され、十二イマームの最後の六人を、霊的知識がなく尊敬に値しない人物だと教わります。
第四段階では、ムハンマドが最後の預言者ではないこと、コーランが神の最終啓示ではないことを学びます。
第五段階では、数秘術とタウィル(隠喩的解釈)の応用についてさらに指導を受けます。
そして弟子は、多くの伝統を捨て去り、宗教を軽蔑する言葉を学び、聖書の文字通りの解釈に注意を払わなくなり、イスラム教のすべての外形的儀式の廃止を期待するようになります。
また弟子は、数字の「十二」の意義を教えられ、十二のフジャ(証拠)を学びます。
このフジャたちは、人間の体において十二の胸椎で象徴され、七つの頚椎は七人の預言者と各イマーム七人をあらわします。
七つの頸椎といえば、クンダリニーヨガにおけるチャクラ、またはグノーシス主義その他における七つの惑星です。

第六段階では、イスラム教の儀式と義務(祈り、施し、巡礼、断食など)の比喩的な意味を教えられ、それらの外面的な行いは重要ではなく、放棄しても構わないと説得されます。
なぜなら、それらはいわゆる『愚かで無知な群衆』を抑制するための手段として制定されたものに過ぎないからです。いよいよ身も蓋もなくなってきました。
第七段階からは、教義の真の性質と目的を完全に理解した指導者的人間のみが参加を許されました。
この段階ではついに、『先在する者』と『後続する者』の二元論が導入されます。
二つの神は、いうまでもなくグノーシス、デミウルゴスやメタトロンに対応しています。
第八段階では、すべての宗教と哲学は詐欺だ、と教わります。アリストテレスもすべての宗教は人為的につくられたものだと知っていました。
重要なのは個人であり、イマームへの奉仕を通じてのみ充足を得ることができるのです。
最後の第九段階では、信仰というものは存在しないという秘密が明かされます。重要なのは行動だけです。
こうしてイニシエートを受けた者は、宗教の痕跡がほぼ完全になくなり、純粋な哲学者となります。
そして自身の好みに合うシステムなどを採用する自由を得ます。
これまでもさんざんお伝えしてきたとおり、宗教は詐欺です。暗殺教団のいうとおりです。
ただし信仰や祈りの力は本物です。なので手のひらを返して冷笑的な態度になると、それこそ詐欺師の思うつぼになります。
たとえばヨガにハマって頭が狂う、などです。
指導者の系譜
シリアの暗殺教団の首領で「山の老人」の元祖でもあるラシードは、純正同胞会の百科事典『ラサーイル・イフワーン・アル=サファー』を熱心に使っていました。
第二部の第八の手紙には、ハッサン=イ・サッバーフの人物像と理想像に近い、理想的な人間の精神的肖像が描かれています。
出自はペルシャ人、宗教はアラブ人、文化はイラク人、経験はヘブライ人、行いはキリスト教徒、禁欲主義はシリア人、学問はギリシャ人、洞察力はインド人、生き方はスーフィー、道徳は天使、思想と知識は神、そして永遠の運命にある。
十一世紀後半、ハッサン=イ・サッバーフに率いられた暗殺教団は、ペルシャの要塞アラムート(鷲の巣)に城を築きました。
ハッサン=イ・サッバーフは、当時錬金術師として著名でした。
エドワード・バーマンはこのように記しています。
暗殺教団が現在オカルトの実践とされる行為に従事していたことは、疑いようのない事実である。錬金術と占星術の「科学」は、当時哲学的研究の一部であった。
有名な十字軍は、イスマーイール派から秘密結社の概念を借用しました。
テンプル騎士団、ホスピタル騎士団、イグナチオ・ロヨラが設立したイエズス会、残虐なドミニコ会、少し穏やかなフランシスコ会、これらのすべてはカイロかアラムートに起源をたどることができます。
とくにテンプル騎士団は、宗教的信奉者からなるシステムと入会の段階において、イスマーイール派と最も強い類似性を示しています。
そんなわけで、暗殺教団はオカルト史にとってはかなり重要な存在です。
やや細かく教義をお伝えしましたが、カルトはただ教義を話して聞かせるだけではありません。クスリはもちろん、禁忌食(人肉など)の接種やセックス、拷問めいた洗脳行為も行われます。
暗殺教団はアラムートを根城に、国際的なテロ行為を繰り広げていました。
その後はカルトの末路というべきか、そのうち互いを敵対視するようになり、一二五六年、マング・ハーン率いるモンゴル軍がアラムートを占領し、暗殺教団を全滅させました。
ですが暗殺教団の指導者たちは、世襲によって生き残りました。イスマーイール派の分派ニザール派のイマーム、アーガー・ハーン四世などです。
セレブなのにはわけがあるのです。
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