68.サービア教徒
画像はウィキペディアから転載。
最後の新プラトン主義者たち
前回に引きつづき、今回もイスラム教をお伝えします。
五二九年、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス一世(四八二年~)は、アテネのプラトン大学を閉鎖しました。
余談ですがこのユスティニアヌスは、「ゴート戦争」を開始し、一代でイタリアとローマをレコンキスタしてしまった人です。
さらに東ゴートだけでなく、アフリカ、アジア(ササン朝ペルシャ)まで版図を広げ、「ほぼローマ帝国」というくらいまで領土を回復させました。

ユスティニアヌスは有名なハギア・ソフィア大聖堂を再建した人でもあります。いろいろやり過ぎている偉大な人物です。

ということなので、ユスティニアヌスは異教徒を迫害し、ユダヤ人にも冷たく当たりました。プラトン大学の閉鎖もその一環です。
だからなのか、五四三年には「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれる黒死病が流行りました。
ペストといえばユダヤ人です。十四世紀のペストは、一説によると、ユダヤ人が井戸に毒を混入したために起きたとされています。
真偽のほどはともかく、症状の一つである壊疽は服毒以外では起こり得ません。

長すぎる余談でしたが、プラトン大学の閉鎖によって新プラトン主義者たちは居場所がなくなってしまいました。
以前お伝えしたとおり、新プラトン主義者は単に「プラトンが大好きな人たち」ではありません。新ピュタゴラス主義の影響を受けたオカルトの連中です。
最後の新プラトン主義者となった人たちは、東に移動します。はじめはササン朝ペルシャのシャー、ホスロー一世の庇護を求めたのですが、当時はよそ者を寄せ付けない状況でした。
一説によると、新プラトン主義者たちはペルシャを離れ、ハッラーンに向かい、現地のサービア教徒に加わったとのことです。

イギリスの文化人類学者で東洋学者で小説家のE・S・ドロワーは、このように記しています。
カリフの首都の学識あるサービア教徒が自分たちの宗教を語る際に新プラトン主義の用語を選んだのは、自分たちの信条に学識と哲学の雰囲気を与えるためであったことを示すものがかなりある。
サービア教徒は、コーランの中では啓典の民として言及されています。
真に信仰のある人々、ユダヤ教徒、キリスト教徒、サービア教徒(サバ人)など、だれでも真にアッラーを信仰し、最後の日を信じ、善行に勤しむ者には、主の御許で報奨があろう。かれらには恐ろしいことは起こらず、また悲しむこともないであろう。
ですがハッラーンにいたサービア教徒は、数学と天文学に関心を持っていました。
天文学、占星術といえば、カルデア人です。すなわちアストラル信仰のカルトです。
ハッラーンでは、古代からイスラム教の時代まで、月の神シンが崇拝されていました。
シンはメソポタミア神話の神で、シュメール人の都市ウルの主神です。
月の神といえば、邪教の創始者セミラミスです。ほかにもディアーナ、セーラームーンなどが挙げられます。
アストラルな邪神たちはさんざんお伝えしてきたので詳細は割愛しますが、本当にサービア教徒たちがコーランにある啓典の民なのであれば、惑星を崇拝してはいけません。
そんなわけで、ハッラーンのサービア教徒は偽サービア教徒、自称サービア教徒でした。
自称サービア教徒
この自称サービア教徒は、ギリシャ語の著作をアラビア語に翻訳した人たちでもありました。
ハッラーンは創世記にも登場します。
ハランは父テラより先に、その生まれ故郷であるカルデヤのウルで死んだ。
テラはその子アブラムと、ハランの子ロトと、アブラムの妻サライとを連れて、カルデヤのウルからカナンの地に行くためにかれらとともに出たが、ハランに着いてそこに住んだ。
ハッラーンは、元々カルラエとして知られていました。先ほど地図でお伝えしたとおり、古代シリアの北部に位置し、現在ではトルコ南東部になります。
コンマゲネの首都サモサタも、現在のトルコ南東部に位置します。地図を見るとわかるとおり、かなり近所です。

そしてどちらも、オスロエネ王国に含まれています。
オスロエネ王国はローマ帝国の属国で、半分独立した状態でしたが、結局紀元後二四四年に吸収されてしまいました。
初期キリスト教時代には、ハッラーンはヘレノポリスと呼ばれていました。
『アルメニア史』には、ハッラーンはサナドルグ王子の権限下にあり、その権限はのちにアディアベネのヘレナに譲渡された、と記されています。
ヘレナさんのポリス、というわけです。
アディアベネのヘレナは、アディアベネ王国とエデッサを治めた王妃です。エデッサは十字軍でも登場する重要な場所です。
ヘレナさんは紀元後三〇年ごろにユダヤ教に改宗し、エルサレムに移り、ヘロデ家と同盟を結びました。
ハッラーンはもともと、ヘレナさんの息子で同じくユダヤ教に改宗したイザテス二世の娘の子孫によって統治されていました。
やはりなにかあるところには「ユダヤ」がいます。
神智学
ハッラーンの自称サービア教徒は、マンダ教徒と同じ、または関連していると考えられています。
マンダ教の教義によると、下等神プタヒルが自分を創造主だと錯覚し、闇の世界の助けによって地上と人間を創造した、とあります。
プタヒルはもろにデミウルゴスなので、マンダ教の教義は完全にグノーシスです。
E・S・ドロワーは、マンダ教とカバラの思想の類似点は、さまざまな宗教において根底に流れるグノーシス的起源の共通性を反映している、と示唆しています。
ここに集められた資料の中で最も重要なのは、マンダ教の様々な儀式食に関する記述である。わたしは当初、これらの儀式にマルキオン派キリスト教やバルダイサン(シリアのグノーシス主義者)のグノーシス的儀式の源流を見る傾向があったが、のちになって、マンダ教の儀式がこれまで疑われてきたよりもマズダ教の源流に近いことを知った。マンダ教の儀式、ネストリウス派キリスト教の儀式、パールシー(インドのゾロアスター教徒)の儀式のあいだには強い類似性があるが、マンダ教の儀式とパールシーの儀式の根底にある思想が同一であるのに対し、キリスト教のそれは広範囲に及んでいる。
儀式的な食事は、ミトラ教でも最重要視されていました。太陽神ヘリオスとミトラが食事をしたからです。
また、古代の素朴な民俗信仰においても、食事にはさまざまな規則やタブーが存在しました。ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』で多くの例を挙げています。
禁忌食といえばイスラム教(とユダヤ教)が思い浮かびますが、食事のタブーというものがあるのは、結局のところ昔から死肉やうんこを食ってきたからです。
グノーシスたちやチベット仏教たちはそこで、神との合一または「悟り」を開くため、あえて死肉やうんこを食べます。
食事は大事なのはいうまでもありませんが、食事は本当に大事なのです。なにかを口にすることは、「受け入れる」ことにつながるからです。
そして食べたものは内側からその人に作用します。口でいっても聞かない人には、カレー味のうんこを提供して支配すればいいのです。

神智学は、聖書や啓示などを通じ、神や世界の秘密を探ろうとする学問です。広義ではグノーシス主義、新プラトン主義などが当てはまります。
ヘレニズム時代以降、アレクサンドリアの学者などは、さまざまな宗教に触れる機会がありました。アレクサンドロス大王のアジア統一に伴い、ギリシャ語コイネーが共通語として広まったおかげです。
そのような状況で神智学を行うと、宗教たちのちゃんぽんができあがります。神や世界を解明できるのであれば、どの国の宗教だろうと学ばなければなりません。
ちゃんぽんの根底には礎としてのユダヤ教があり、それらを学んだグノーシスや新プラトン主義者と呼ばれる人たちは、新たな教義や哲学を行う際に再利用します。
そのように共通のプールが使用されるので、あちらとこちらの宗教思想に類似点があらわれる、というわけです。
マンダ教とカバラの源流が同じであるという証拠はありませんが、歴史的な展開と数々の共通点を見ると、その可能性は考慮すべきです。
錬金術の伝道
サービア教徒は図々しくも、イスラムの当局に対し、コーランの「サービア教徒」として、つまり啓典の民として保護を得ようとしました。
十一世紀のイスラム学者アル=ビルニー(九七三年~)によると、サービア教徒はもともとバビロン捕囚で強制移住させられた「ユダヤ人」の残党で、バビロンの地でマギの教えを取り入れた人たちだ、とのことです。
実際には、サービア教徒たちはヒプシスタリアンのようなユダヤ教グノーシス派の伝統を受け継ぎ、新プラトン主義とヘルメス主義の伝統をイスラム世界に伝えた人たちです。
David Margoliouthの『宗教と倫理の百科事典』にはこうあります。
ハッラーンには先史時代からメソポタミアの月の神であるシンの重要な神殿があった。どういうわけか、土着の異教は惑星崇拝という形でイスラム時代までハッラーンに残っていた。その実践者は「ハッラーン人」あるいは「サービア教徒」と呼ばれ、初期のイスラム科学と哲学において重要な役割を果たした。これは短いが完全な説明である。
サービア教徒たちは惑星を崇拝するだけでなく、子供を生け贄に捧げ、肉を煮てケーキにし、それを特定の階級の人たちが食べた、といわれています。
いつの時代も、どの場所でも、同じようなことが行われています。

アラブのイスラム学者で書誌学者のイブン・ナディーム(九三二年ごろ~)は、図書目録『フィフリスト』を書いた人です。
『フィフリスト』には、当時のバグダッドにあったすべての書籍の目録が書かれています。もちろんサービア教徒の書も含まれています。
サービア教徒の書は、預言者アガトダイモンやヘルメスの啓示を伝えるために書かれていましたが、「科学的」な特徴がありました。
なのでこの書物たちは、『フィフリスト』では錬金術の分野で列挙されています。
またサービア教徒は、預言者アガトダイモンやヘルメスを、セスやエノクと同一視していました。
錬金術は、以前お伝えしたとおりヘルメス主義から派生しました。
このサービアたちの錬金術は、イスラム教徒を経由し、ヨーロッパに伝わっていくことになります。
サービア教徒たちのヘルメス主義の教えは、イスラムの科学者たちの「化学」の追求に役立ち、化学はおもに錬金術と関連して研究されることになりました。
ヨーロッパは十字軍のおかげで、またアラブの哲学と科学がシチリアとスペインに浸透したおかげで、ギリシャ語の文書をアラブの注釈書とともに知るようになりました。
その結果ヨーロッパでは占星術の名声が高まり、十二世紀から十四世紀にかけてかつてないほどの好評を博しました。
「化学」のルーツ
そもそも錬金術(Alchemy)という名称は、アラビア語のal-kimiyaに由来します。そして化学は英語でケミストリー(Chemistry)といいます。
アラブで最も偉大な錬金術師は、アル・ラーズィー(八六五年~)です。

アル・ラーズィーはペルシャ人の医者で、九世紀後半から十世紀初頭にかけてバグダッドで暮らしていました。
医学、錬金術、哲学の基礎をつくっただけでなく、「実践的」な医者でもありました。そして観察や発見により、医学に多くの「進歩」をもたらしました。
アル・ラーズィーはまた、四体液説の誤りを証明した人なのですが、現代の医者や研究者と同様、「観察」を行った結果でした。

そしてアル・ラーズィーは、サービア教徒の教義から中心的な概念を引き出していました。医学と錬金術は同じで、現在も分派はしていません。
一方、最も有名な錬金術師は、ジャービル・イブン・ハイヤーン(七二一年~)です。西洋ではラテン語名のゲーベルとして知られていました。

ジャービル・イブン・ハイヤーンの著作は十二世紀にラテン語に翻訳され、西洋の錬金術の基礎となりました。
そしてその著作たちによって、西洋人の「賢者の石」の探求が正当化されました。
賢者の石は、鉛などを金に変える際に使われる触媒なのですが、これにはうんこが入っています。
本当に鉛を金に変えられたのかというと、変えられませんでした。ただし詐欺だったかどうかよりも、オカルトたちの執拗な努力の歴史こそが重要です。西洋医学にもろにつながっているからです。
錬金術の「理論」は、九世紀から十四世紀にかけて、イスラムの化学者たちから批判を受けることになりました。アル=キンディー、アル=ビルニー、イブン・スィーナー、イブン・ハルドゥーンなどからです。
アラブ人が錬金術にハマったきっかけは、世界最古の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスの手によるとされるエメラルド・タブレットにあったようです。

エメラルド・タブレットは、ヘレニズム時代には知られていませんでした。タブレットというだけあって石に刻まれた碑文なのですが、実物は現存していません。
ヘレニズム時代から紀元後三世紀にかけて、アレクサンドリア界隈でヘルメス文書たちが成立したのですが、その時代に書かれたエメラルド・タブレットらしきギリシャ語などの原文もやはり存在しません。
エメラルド・タブレットは、ラテン語とアラビア語の写本に存在する『創造の秘密の書』という書物に由来します。
『創造の秘密の書』は、テュアナのアポロニオス(一世紀ごろ)の著作とされています。アラブ人からはバリーヌースと呼ばれていました。
テュアナのアポロニオスはちょくちょくお伝えしてきた人で、フィロストラトス(一七〇年ごろ~)の『テュアナのアポロニオス伝』で知られています。ピュタゴラスの信望者、魔術師、奇術師で、イエスとさまざまな共通点があるので一部の人たちからは同一視されています。
『テュアナのアポロニオス伝』を書かせたのは、ローマのセウェルス朝(シリア)の開祖セプティミウス・セウェルスの妻ユリア・ドムナです。
ユリア・ドムナは、太陽神エラガバルス(バアル)を崇拝するエメサの祭司王の血を引く女でした。
アラブ人はヘルメスを、コーランに登場する預言者イドリスと同一視し、エノクとも同一視しました。
同様にアダムの息子セトは、預言者アガトダイモンと同一視されました。アガトダイモンは天使の助けによって月、年、星座を石に刻んだ人です。
セトは知恵をゾロアスターに伝え、ゾロアスターからピュタゴラス、エンペドクレス、プラトン、アリストテレスに伝わり、さらに新プラトン主義者たちに伝わりました。
歴史家のヘロドトス(紀元前四八四年ごろ~)は、フェニキアのヘラクレスの柱についてこう記しています。
わたしは、その(フェニキアのティルスの)神殿が多くの奉納物で豊かに飾られていること、とくにその中に二本の柱があることを見た。一方は純金で、もう一方は夜でも輝くような大きさのエメラルドの石であった。
ヘロドトスがいう「フェニキアのヘラクレス」は、カナン人のバアルです。つまりヘラクレスの柱はアシェラの柱です。
やはりイスラエル、いわゆる「ユダヤ人」にすべては帰します。
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