32.イエス前夜
画像は以下のサイトから転載。
https://religionsfacts.com/the-mysterious-essenes-a-religious-sect-in-judea/
だれかに似ているヒプシスタリアン
紀元前二百年ごろから、おもに小アジア(トルコ)に、ヒプシスタリアンという人たちが登場します。異端ユダヤ教の一派です。
ギリシャ語のヒプシストスは、「至高」という意味です。つまり「いと高き」神の崇拝者たちです。
つまり一神教の信者たちです。小アジアの人たちはイスラエル人の神をヒプシストスと呼んでいました。

アナトリア半島の気候は極端なものがあります。冬は超寒く超長く、夏は灼熱の太陽です。そして春には雨が降り、植生を育みます。
フリギアの暴力的な宗教は、この極端な四季に関係しているのかもしれません。
怒れる神々の信徒たちは当初、ライオンを駆るキュベレーを追いかけて森や山を駆けまわったりなどしていたのですが、ユダヤ人の植民者たちと接触することで、まさにヘレニズム的にユダヤ人の宗教概念を知りました。
フランツ・キュモンによると、あるローマの碑文は、「至高者」アッティスに捧げられていました。至高者とは唯一神のことで、明らかにユダヤ教的な語です。
同じ小アジアのカッパドキアには、サバジオス崇拝がありました。
これはアッティス崇拝とよく似ていて、フリギア人のユピテル(ゼウス)またはディオニュソス(バッカス)と同一です。
フリギアのユダヤ人植民者たちは、人数的にも知的にも勝っていたので、ゼウス・サバジオス崇拝を自分たちのヤハウェ・サバオト崇拝に意図的に融合しました。当時のユダヤ人は、カルトのマギと同様に、ユダヤ教の拡大に熱狂的に務めていました。
ヤハウェ・サバオトというのは唯一神の呼び方の一つで、サバオトは「群衆」や「多数」という意味です。サムエル記などでは「万軍の主」と訳されています。
そしてゼウス・サバジオスとヤハウェ・サバオトが融合した結果、小アジアの人たちは唯一神をヒプシストスとして受け入れ、厳格な一神教徒による団体が形成されました。

ヒプシスタリアンは安息日や食べ物など、基本的にユダヤ教の戒律に従っていたのですが、割礼だけは拒否しました。そのため、自分たちは律法からは自由であると考えていた可能性があります。
そして偶像崇拝と生贄を拒否しました。
ある信徒たちに似ています。
ヒプシスタリアンは、のちのキリスト教の爆発的な普及の一因となった人たちと考えられます。イエス誕生の前に下地があったということです。
小アジアではイエスの死後も、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもない第三派の一神教信者が九世紀くらいまで存在していたようです。
第三派の人たちは、「いと高き」至高神は崇拝するのですが、キリスト教徒に対抗して「父」という称号は使いませんでした。
だれかに似ているエッセネ派
ユダヤ人著述家ヨセフスの『ユダヤ古代誌』によると、ヘレニズム時代の紀元前二世紀には、ユダヤ人のあいだに三つの宗派がありました。
パリサイ派、サドカイ派、そしてエッセネ派です。人間の行為についての意見が異なっていたので分派しました。

福音書でおなじみの悪役パリサイ派は、ある種の行為は運命のせいで、ある種の行為は自分たちの力によるものだとしました。運命に左右はされるが運命が引き起こすわけではない、ということです。

サドカイ派の人たちは、人の行為は運命の思いのままにはならないとしました。つまりすべては自分のせい、自業自得、という意見です。

エッセネ派の一派は、運命は万物を支配しているとしました。そして決定されていること以外に人に降りかかるものはない、と断言しました。
このエッセネ派たちは、死海文書の著者とされています。
エッセネ派は、ユダヤ人が多く住むシリア・パレスチナ地域に四千人以上いたといわれています。

アレクサンドリアのユダヤ人哲学者フィロン(紀元前二〇年?)は、著書『すべての善人は自由であること』で、エッセネ派について報告しています。
ギリシャ語の方言の正確な形ではないにせよ、「敬虔さ」からその名を得ている。なぜなら、かれらはなによりも神の奉仕[therapeutai]に献身し、生きた動物を犠牲にせず、むしろ自分自身の心を神聖で純粋な状態に保つために研究しているからである。
かれらは村に住み、都会を避ける。なぜなら、都会に住む人々のあいだに不義が蔓延しているからであり、そのような人々と一緒にいると、疫病の大気がもたらす病気のように、自分の魂に致命的な影響を及ぼすことを知っているからである。
かれらのなかには、土地で働く者もいれば、平和と協力し、自分自身と隣人に利益をもたらすような手工芸をする者もいる。かれらは金銀を蓄えたり、広大な土地を手に入れたりしない。
かれらは、幸運に恵まれないというよりも、むしろ意図的な行動によって金も土地も持たなくなったという点で、全人類でほとんど唯一の存在であるが、かれらは非常に豊かであると評価されている。というのも、かれらは満足を伴う倹約を豊かだと判断するからである。
いい人たちのようです。それだけ都会の腐敗ぶりがひどく、辛抱ならなかったのでしょう。
生贄や乱痴気騒ぎもそうですが、金銭にまつわる人間性の腐敗も含まれていたようです。
時代的に、イエス・キリストの生誕と前後している点が重要です。
イエスはエルサレムに入ったあと、神殿に向かい、暴れまくります。マルコの福音書十一章にその様子が描かれています。
そして一行はエルサレムに来た。イエスは神殿に入り、神殿の中で売り買いしている者を追い出しはじめ、両替商の台や鳩を売る者の腰掛けを投げ倒し、また、どんな器であれ持って神殿を通り抜けることを許されなかった。
そして、かれらに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民のための祈りの家と呼ばれるべきである』と(聖書に)書かれているではないか。ところが、おまえたちはそれを強盗の巣にしてしまった」
祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どうにかしてイエスを殺そうとたくらんだ。群衆がみなその教えに感嘆していたので、かれらはイエスを恐れたのである。
エッセネ派が書いたとされる死海文書は、クムラン洞窟などで発見されました。
九七二の写本群なのですが、最も長いテキストは「神殿の巻物」と呼ばれています。この巻物には、理想的な神殿のデザインと、生贄や慣習に関する詳細な規定が書かれています。
神殿の設計図といえば、エゼキエル書です。
神殿は結局、建てられませんでした。第二神殿以後のエッセネ派は物理的な神殿を利用できなかったので、当時の各メンバーの目的は、自らが聖霊の神殿となることでした。それは三段階のイニシエーションを通過することによって達成されます。
神殿、三段階のイニシエーションといえば、フリーメーソンです。
エッセネ派の入信者は、 純潔の象徴としてエプロンを受け取りました。そして魔術の秘儀を守るために秘密の誓いを立てました。
神聖なエプロンといえばフリーメーソンです。
入信者はほかにも、白い衣服と、大自然でうんこをしたあとに穴を掘って埋めるための小さな鋤のような道具を受け取りました。
ヨセフスはエッセネ派についてこのように記しています。
この目的のために、彼らは聖なる書物の使用、浄化のためのさまざまな儀式、予言的(黙示的?)な発言において訓練されており、その予言でまちがいを犯すことはめったにない。
予言と占星術は、エッセネ派でも行われていました。生まれた日に基づいて地位を占ったり、人相学的にその人の将来を占ったりしていました。
洗礼者ヨハネはエッセネ派に属していたと一部の人たちにいわれています。

そしてイエス自身も、エッセネ派だったのではないかといわれています。
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