43.コンマゲネ①
画像は以下のサイトから転載。
ミトラの仲介者
ミトラ教のカルトを発展させたのは、ヘロデ家とコンゲマネ家、シリアのエメサの祭司王たちの婚姻によって広まった子孫たちです。
ヘロデ大王については前回お伝えしました。
ミトラ教は、古代ローマで最も人気のあったカルトでした。その気があれば世界制覇も可能だったといわれています。
フランツ・キュモンによると、ミトラ教はローマ軍で流行した原始的なフリーメーソンの一種で、結局のところマギが発展に関与していました。
現代の学者の多くは、ミトラ教は正統ゾロアスター教からの影響がほとんど見られないのでキュモンの説はまちがっている、という立場を取っています。
ですがキュモンが指摘している「マギ」は、正統ゾロアスター教の祭司ではなく、カルトのマギのほうです。学者たちはカルトのマギについて理解していないか、意図的に無視しています。
マギは二神教ゾロアスター教の三位一体の一つ、ミトラを採用しました。そのじつ、裏ではサタン(悪魔)を崇拝していました。
ミトラ教を深掘りするうえで重要なのは、ペルシャのミトラ信仰からそのままミトラ教に受け継がれたのか、ローマ人が勝手にミトラを採用して教義を構築したのか、という点です。
フランツ・キュモンは、ローマのミトラ教はイラン起源だと指摘しました。直接の影響があったという説ですが、現在では完全に否定されています。実際まちがっているようです。
ミトラ教研究の世界的権威、ロジャー・ベック(故人)は、仲介者説を唱えました。
マギたちの伝統を仲介したのはコンマゲネという小王国だった、という説です。
コンマゲネは、現在のトルコの南東部、かつて大カッパドキアの一部だったユーフラテス川近くのサモサタを首都とする王国です。

マギの信仰、のちのミトラ教は、小アジアの一部、アルメニア、カッパドキア、ポントスで最も広まっていました。そして土着の宗教は、次第にマギたちの信仰に屈していきます。
ポントスは、小アジア北東部、現在のトルコに広がっていた地域の名前で、大部分はカッパドキアと呼ばれる広大な地域に含まれています。初期にはキリキアの国境から黒海まで広がっていました。
先にお伝えしたとおり、バビロン(ペルシャ)のユダヤ人は、カルトのマギとの出会いによって邪教に染まり、ユダヤ教を「変革」しました。
アルメニア
アルメニア人は伝統的に、マゴグの甥アシュケナズの子孫であると自認しています。
現在、ヨーロッパのユダヤ人はアシュケナージ・ユダヤ人と呼ばれています。

アシュケナージ・ユダヤ人は改宗者で、陰謀論者にはおなじみですが、ユダヤ人ではありません。DNA的にはトルコ人です。
ユダヤ人作家アーサー・ケストラーは、著書『ユダヤ人とは誰か』(原題:The Thirteenth Tribe)の中で、アシュケナージ・ユダヤ人の起源は中央アジアのトルコ系部族、ハザール人だと主張しています。

ハザール帝国のハザール人は、紀元後八世紀にユダヤ教に改宗しました。理由は政治です。
アシュケナージ・ユダヤ人の祖先は、ほとんどがヨーロッパと中東出身です。

ヨーロッパと中東、といわれるとピンと来ないでしょうが、かつて中東にいたのはおもに白人です。ヨーロッパ人(ゲルマン人、ケルト人、スカンジナビア人)のルーツ、コーカソイドといわれる人たちです。

繰り返しますが、アルメニア人はマゴグの甥アシュケナズの子孫であると自認しています。
マゴグは、ゴグとマゴグで有名です。マゴグはヤペテの息子で、ヤペテはノアの息子です。セムとともに神に祝福された人物です。
人類は大洪水ののちに再出発を切りました。ヤペテは子孫を各地に広げた人物とされています。
マゴグはスキタイ人の始祖です。スキタイ人はいわゆる白人で、コーカサス山脈の北、おもに南ロシアとウクライナで暮らしていた騎馬民族です。先ほど地図で見たハザール帝国のあたりです。
アルメニアとグルジアの両方の歴史家は、エルサレム第一神殿の破壊のあと、ネブカドネザルはバビロンのほか、アルメニアとコーカサスにも大量のユダヤ人捕虜を輸送したことを記録しています。
紀元前四世紀末には、アルメニアのいくつかの都市にユダヤ人が住んでいました。アルメニアのシュニク地方のエゲギスでは、多くのユダヤ人の墓石が発見されました。碑文はペルシャ語で書かれ、おそらくペルシャからアルメニアに来たことを示しています。
紀元前八世紀、アッシリアはイスラエル王国を占領したのち、「失われた十氏族」と呼ばれるイスラエル人を連れ帰りました。

この時代には「アルメニア」は存在しませんでした。
イスラエル人の祖はセムで、メシアの系譜です。そして白人です。
アルメニア人(白アルメニア人)は、コンスタンティヌス以前からキリスト教を受け入れていました。自分たちの「ルーツ」を大事にしているようで、現在もエルサレムの旧市街にはアルメニア人街区が維持されています。もちろん信仰するのはキリスト教です。
複雑ですが、カルトのマギとカルトのユダヤ人がペルシャから小アジアに入り、一部の白人にカルト的な影響を与え、現在なぜかユダヤ人を自称する白人がいる、という流れです。
そしてこの文脈では、ローマはまったく関与していません。
https://christogenea.org/essays/classical-records-origins-scythians-parthians-related-tribes
宗教と政治
アレクサンドロス大王はペルシャ軍に勝利し、紀元前三三〇年、ダレイオス三世の死によってアケメネス朝ペルシャは滅亡しました。
カルトのマギは、アレクサンドロス大王とサトラップ(州の行政官、総督)の元でもうまくやっていました。
紀元前三二三年、アレクサンドロス大王の死後、帝国は三つに分裂し、ディアドコイ(後継者)と呼ばれる人たちがそれぞれ統治しました。

マギはこのディアドコイたちにもうまく取り入りました。
のちにアルメニア、カッパドキア、ポントス、そしてコンマゲネに王朝が築かれるわけですが、系図学者はアケメネス朝の始祖アケメネスにまで遡る王家の系図をでっち上げました。
当時の支配者は神々を崇拝しなければなりませんでした。小学生のような物言いですが、まわりがみんなやっているからです。それに無宗教を貫いて戦に負けたら最悪です。
そこでこの地域の王侯は、文化としてのギリシャ(つまりローマも含む)に対抗するかたちで、宗教的、政治的に、古代の伝統を代表する立場を取りました。
キュモンによると、これらの王侯と側近の大物たちは、アジアの古代の巨人たちを模倣することに一種の貴族的な誇りを感じていたのだそうです。とくにゾロアスター教の神々の寺院には特別な好意を抱いていました。
ゾロアスター教にはアフラ・マズダー、ウォフ・マナフ、アナーヒターなどの神々がいるのですが、その中でもミトラは愛されました。アルタクセルクセスやダレイオスもそうで、ミトラはなにより勝利を与えてくれる神だったからです。
コンマゲネは、紀元前五七〇年から紀元前五六〇年にかけて、アルメニアの王朝、オロンティド朝に統治されていました。

オロンティド朝は、ペルシャからアルメニアのサトラップ(州の行政官)に任命されたオロンテスによって創設されました。アケメネス朝の属州だったのがのちに独立した、というわけです。
オロンテスは、紀元前六世紀、スキタイとメディアが侵入したころにアルメニアの覇権を確立します。しつこいようですがどれも白人の国です。
そしてオロンテスは、ペルシャ皇帝アルタクセルクセス二世(紀元前四三五年~)の娘ロドグネと結婚しました。
アルタクセルクセス二世は、クセルクセス一世(紀元前五一九年~)の孫にあたります。
クセルクセスといえば、旧約聖書のエステル記に登場するアハシュエロスです。
エステル記

エステル記のあらすじは以下のとおりです。
アハシュエロス(クセルクセス一世)は、宴の最中に七人の侍従に命じ、王妃ワシテに冠をかぶらせて王の前に来させようとしました。美しいので見せびらかしたくなったのです。
ですが王妃ワシテは命令を拒みました。
アハシュエロスは憤り、ワシテは別れを告げられます。その後王の侍臣たちは、美しい若い処女を集め、その中からワシテの代わりの王妃を選ぶよう王に進言します。
ユダヤ人のモルデカイは、叔父の娘エステルを引き取り、育てました。エステルはとても美しい乙女でした。
王の勅令が下ると、エステルももれなく王宮に向かいます。エステルは王のお気に入りとなり、寵を受け、王妃になりました。ユダヤ人であることは隠したままです。
アハシュエロスは重臣ハマンを重用し、昇進させ、ハマンにひざまずくようほかの侍臣たちに命じました。
侍臣たちは命令どおりひざまずいたのですが、モルデカイだけはひざまずきませんでした。ハマンは腹を立て、王国のユダヤ人を皆殺しにする許可を王から得ます。
ヒロインのエステルはこの計画を阻止します。ハマンを処刑させ、逆にユダヤ人が敵を殺す許可を王から得ました。モルデカイはハマンの代わりに宰相になりました。
十九世紀後半、一部の批評家たちは、エステル記はバビロニア神話に由来する物語で、バビロニアの神マルドゥクとその女神イシュタルがエラムの神々に勝利したことをあらわしている、という説を展開しました。
エステルは、女神イシュタルのアラム語名です。モルデカイは 「マルドゥクのしもべ」という意味があります。マルドゥクはバビロニアの主神ベルの別名です。
一九二三年、ジェイコブ・ホシャンダー博士は、著書『The Book of Esther in the Light of History』の中で、アルタクセルクセス二世の治世に、まだ一神教だったゾロアスター教の信奉者と、ミトラとアナーヒターのマギ信仰を復活させようとする人々との闘争の中でエステル記の出来事が起こったと仮定しました。
ユダヤ教にはプリムというお祭りがあります。
このお祭りのときにシナゴーグで読まれるのがエステル記です。
社会人類学者のジェームズ・フレイザーは、プリムはバビロニアの新年祭に由来すると考えていました。祭りの日に神々はくじ引きで人の運命を決める、と信じられていました。
バビロニア語でくじを意味する言葉はプルです。
エステル記に登場する、王衣に身を包んで通りを練り歩くパレードや模擬戦闘などの出来事は、バビロニアの新年の祝祭に似ています。
プリムはもともとペルシャから取り入れたものでした。ペルシャとバビロニアのユダヤ人に非常に人気のあった祭りで、仮面舞踏会に、陽気な遊びといたずらの年中行事でした。

やがてユダヤ人は、この祝祭を自分たちの祝祭とするためにエステルの物語を創作しました。
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