35.メルカバ神秘主義
画像は以下のサイトから転載。
https://www.gaia.com/article/merkabah-mysticism-the-mystery-behind-ezekiels-biblical-vision
前回、前々回は、ヘレニズム時代における黙示文学の流行、そして天使の登場についてお伝えしました。
もう一人の神
アレクサンドリアの神秘主義者たちの思想、疑問、実践は、すべて「神とはなにか」に集約されます。
クンダリニーヨガまでして神を見ようと考えるのは、結局のところ、神への不信感が根底にあったからです。
本当に神がいるなら、なぜこの世はこれほど悪に満ちているのでしょうか。一度は疑問に思ったことがあるかもしれません。また、無神論者がキリスト教徒に対して言うお決まりの「反論」です。
神はいなかったから、では、ある意味人類史が終了してしまいます。この結論は存在し得ません。
そうしてヘレニズム時代の神秘主義者たちは、ある答えにたどり着きました。世界を創造したのは神その人ではなかったのだ、という結論です。
詳しくいうと、世界を創造したのは神の現し身、わたしたちが「神」と認識できる形態の神です。万能の神は後ろに控えています。
そして世界を創造した「神」は、悪に満ちた世界を生み出したので、悪の神です。
人類の創造主は悪神だった、という結論です。
神の寸法
グノーシス主義は、耳にしたことがあると思います。グノーシスは「知識を持つ」という意味です。アレクサンドリアにはさまざまな秘教思想がありましたが、それらに共通する思想をグノーシス主義といいます。
カバラ研究の第一人者、ゲルショム・ショーレムによると、エッセネ派の終末論的文献には、ユダヤ人のグノーシス主義、「メルカバ神秘主義」の古い証拠が見つけることができます。
メルカバ神秘主義は、以後さまざまに枝分かれてしていくグノーシスたちのルーツです。メルカバはヘブライ語で「戦車」を指します。
神秘主義者たちは、手段はともかく恍惚状態に入り、神の座(戦車)を目撃し、天界の存在に出会うために天空を上昇します。文献では、ときに天使のような存在とともに描かれ、魂を神の領域に運ぶ乗り物や戦車として記述されています。
メルカバは伝統的に、カバラだけでなく、錬金術や二十世紀後半に登場したニューエイジ・ムーブメントなどの「スピリチュアル」な教えに統合されてきました。
現在も「アセンション(上昇)」などと言い出す人たちがいます。メルカバは、肉体を超越し、より高い精神領域に向かうための魂の乗り物です。
これらの実践には古典的な「実例」があります。エゼキエルの戦車、イザヤの神殿という、聖書に見られる幻視です。
エゼキエル書の冒頭には、エゼキエルが見た神の幻が描かれています。

神は戦車、チャリオットに乗っています。戦車は四頭の馬に引かれ、四人のケルビムに支えられています。
戦車はよく出てくるモチーフで、バビロニアの主神マルドゥクも乗っています。ギリシャ神話のファエトンも太陽戦車に乗っていました。強さや権力をあらわしたいのであれば、戦車です。
ケルビムはそれぞれ二組の翼を持っていて、体は人間、足はヤギで、それぞれ四つの頭を持っています。顔は前方が人、右はライオン、左は雄牛、後ろはワシです。
四は四季をあらわし、多すぎるケルビムの頭は黄道十二宮の星座と同定できます。当時すでに占星術がいかに聖書を堕落させていたかを示しています。
人の顔は水瓶座、ワシは蠍座、雄牛は牡牛座、ライオンは獅子座をあらわしています。蠍座には占星術的にワシという象徴が含まれています。
そしてエゼキエル書には、「輪の中に輪があるようである」と、車輪についての記述があります。
これは天の赤道と黄道です。天動説では、地球の赤道を天球まで延長したものを天の赤道といいます。黄道は太陽の通り道で、黄道十二星座が位置するルートです。二つの車輪を組み合わせると交点が生まれます。

いわゆる旧約聖書の研究者たちは、エゼキエルのビジョンがどこから来たのか、いかにして神学的真理を描き出そうとしたのか、などを夢中になって解明しようとしました。
ですがユダヤの神秘主義者たちは、合理的に説明しようとせず、ありのままを受け止めました。「考えるな、感じろ」「行けばわかるさ」というわけです。
エゼキエルは「人の姿のような形」をした神を見ました。なのでメルカバの神秘主義者たちは、神の体について具体的に描写しました。
神の描写は、『シウール・コマ』という神秘主義文学に記されています。意味は「身長の測定」です。
記されているのは、頭、冠、ヒゲ、目、手、足、首などの寸法、同時に手足の秘密の名前、そしてわけがわからない文字の組み合わせで構成された名前です。
かれ(神)の高さは1,000パラサンの237ミリアルド倍であり、かれの右腕と左腕のあいだの距離は77ミリアルドであり、かれの右眼球と左眼球のあいだは30ミリアルドである。かれの頭蓋骨は3ミリアルドであり、かれの冠は60ミリアルドである。
このようにして過剰な擬人化を行っていきます。とにかく神は超巨大です。カバラ的プレローマともいえます。
ふざけているのかまじめなのかはともかく、後世のカバリストたちは衝撃を受けたようです。中世の学者は古代に憧れを持っていたので、この神秘的な象徴表現は大歓迎されました。
『雅歌』
メルカバの文献は、ソロモンの歌、旧約聖書の『雅歌』と結びついています。
ソロモンは魔法の指輪で悪魔を使役し、ソロモン神殿(エルサレム第一神殿)を建てたエルサレムの王でした。
『雅歌』は、男女が交互に語る愛の詩のコレクションです。神と女神の神秘的でエロティックな関係を象徴しています。
行かせてください。わたしたちはあなたの後を追いかけます。王はわたしをその寝室に連れていかれました。
『雅歌』五章十節から十六節は、神の姿をあらわしているとされています。乙女が「わたしの恋しい人」を歌っています。つまり神の描写です。
頭は最も良い純金、その髪はうねっていて、カラスのように黒い。
目は水の河のほとりの鳩、乳で洗われ、整っている。
頬は香り草の花床、唇は百合の花のように、甘い香りの没薬を滴らせている。
手は緑柱石のはめ込まれた金の指輪。腹はサファイアの嵌め込まれた明るい象牙。
足は純金の台に据えられた大理石の柱。顔はレバノン、立派な杉。
口はとても甘い。ああ、かれはすべてが美しい。エルサレムの娘たち、これがわたしの恋する人、わたしの慕う人。
神秘主義者としては、ただの「エッチな歌」で終わらせるわけにはいきません。これは秘教的なテキストであり、メルカバの玉座にあらわれた神についての崇高かつ途方もない神秘なのです。
ゲルショム・ショーレムの『ユダヤ教グノーシス主義、メルカバ神秘主義、そしてタルムードの伝統』には、古代キリスト教最大の神学者、アレクサンドリアのオリゲネスが『雅歌』注解の書に載せた一説を紹介しています。
ユダヤ人の習慣では、成人に達しない者はこの書を手にすることを許されないといわれている。それだけでなく、ラビや教師たちは、すべての聖典と口伝を若い少年たちに教える習慣があるが、かれらは次の四つのテキストを最後に読むのを延期する。世界の創造が記されている創世記の冒頭、天使の教義が説かれているエゼキエル書の預言の冒頭、未来の神殿についての記述があるエゼキエル書の終わり、そしてこの『雅歌』である。
創世記はともかく、ほかはどちらもいわくありげな書です。
歌の中で「最愛の人(シェキナ)」は、花嫁、娘、姉妹として描かれています。
シェキナは「住居」「定住」を意味するヘブライ語で、神の存在の住居または定住を意味しています。
カバラでは、シェキナを女性と結びつけます。
ゲルショム・ショーレムによると、「このアイデアの導入は、カバリズムの最も重要で永続的な革新の一つだった。カバリズムの他の要素は、これほどの人気を獲得しなかった」[5]。「女性的なユダヤ教の神聖な存在であるシェキナは、カバラ文学を初期のユダヤ文学と区別している」[6]。
人気取りの定番、女の子です。住居が女の子というのは、エッチです。
シェキナは元々、ユダヤの歴史に登場する星のようなもので、しばしば神の光と表現されます。
紀元前九六七年のソロモン神殿奉献の際、シェキナがあらわれました。同じ年、水星と金星が重なりました。重なると非常に明るく輝きます。
水星と金星は、四八〇年ごとに最も接近します。
四八〇×二は九六〇です。九六〇年後の紀元前七年も、もちろん最接近しました。このシェキナは「マギ」たちが見たベツレヘムの星かもしれません。
そしてシェキナが再登場した四七二年は、ローマ帝国が滅亡したころです。
金星といえばヴィーナスで、古代の愛と戦争の女神です。「あらゆる不純物の母」でもあります。
『雅歌』の中でシェキナは、モロクやサトゥルヌスのような暗い側面もあらわしています。
わたしは黒いが美しい。
乙女は六章でこう描写されています。
曙のように姿をあらわす彼女は何者か? 月のように美しく、太陽のように輝き、旗を持った軍隊のように恐ろしい。
この乙女は、これまで見てきた闇の部分も合わせ持った女神です。惑星と女神はよくも悪くも、わたしたちと世界の運命を司っているようです。
メタトロン
グノーシス主義はユダヤの神秘主義から派生したものですが、ユダヤ教グノーシス主義者は邪神を崇拝してはいなかったと論じられてきました。
ですがユダヤ教グノーシス主義者たちは、メタトロンを崇拝していました。

名前がメガトロンを思わせるのですが、メタトロンは神の名を持つ最高天使です。
元々はヤホエルと呼ばれていました。ユダヤ教では天使の名前の末尾にエルをつけるのですが、メタトロンはオンです。ある意味神です。
ユダヤ教のアポクリファ(外典)では、天に昇ったエノクがメタトロンとして知られていました。
比喩的な意味でメタトロンの後ろにいるのが、どうやっても見えない唯一神です。メタトロンは、エノク書によると小イェホアで、ミカエルと同じ機能を持っています。
こうして神が二人になったのですが、メタトロンの考えは、出エジプト記の奇妙な記述から来ています。
出エジプト記二十四章では、モーセに語りかけている存在は、「わたし」ではなく「主」という言葉を使っています。ほかの箇所では「わたし」と言っています。
これを説明するため、メタトロン的考えがバビロニア・タルムードで発展しました。
ラビたちは、出エジプト記の「主」はメタトロンのことで、主人の名前のようなものだと説明しています。ただし神とメタトロンを混同するなと付け加えています。
カバラの書、後期のゾーハルにはこのような記述があります。
火、空気、水、土の四大元素を内に持つすべての人のために、四人の天使がかれとともに右に、左に降臨する。右側の四人はミカエル、ガブリエル、ラファエル、ヌリエルであり、左側の四人は罪、破壊者、怒り、激情である。そして体の側には、右側にメタトロン、左側にサマエルが降臨する。
サマエルは悪魔の王です。この記述はエゼキエルの幻視と似ていますが、ここにあらわれる「神」は善と悪の両方を体現しているようです。
カバラにおいては、まず唯一神があり、無の空間に無限の光が流れ込み、なにかを想像します。
そこで創造された最初の人間は、アダムです。このアダムは肉体を持つアダムではなく、ヒト的なものです。
これをアダム・カドモンといい、メタトロンと同一視されます。つまり神の像、現し身です。
アダム・カドモンは生命の樹、のちの十のセフィーロートとも同一視されます。
アシェラの柱のように、この神もちんことして描かれます。
テリ
ちんこは世界の柱や軸をあらわしていて、テリという蛇が絡みついています。WHOのロゴでおなじみの、医療の神アスクレピオスの杖にも蛇が巻きついています。
テリはカバラの書、セフェル・イェツラーに出てくる神秘的な言葉で、吊すという意味のタラーから来ています。
世界でのテリ、竜は、自らの玉座に座る王のようなものである。年でのサイクルは、その地方にいる王のようなものである。魂での心は、戦争での王のようなものである。
また神はこれとあれとを対立するように造られた。善は悪と対立し、悪は善と対立する。善からは善があり、悪からは悪がある。善は悪を定義し、悪は善を定義する。善は善人が保ち、悪は悪人が保つ。
ラビの権威はテリを「極(地軸)の蛇」と見なしました。聖書のリヴァイアサンであり、竜座(ドラコ)とも関連しています。つまりすべての星々は竜座にぶら下がり、ぐるぐる回転しているのです。
カバラの書セフェル・ハ=バヒール(輝きの書)にはこうあります。
ラビ・ベラヒアーは座ると述べた。
では、軸(テリ)とは何か?
これは、祝福された聖なる御方の御前にあるものと似ている。よって、(雅歌 5章11節に)「その髪の毛はうねっていて(タルタリム)」と書かれている。
「祝福された聖なる御方の御前にあるもの」とは、もちろんメタトロンのことです。
うねる髪というのは、ユダヤ人のペヨットのことです。切ってはいけないもみあげです。

頭には隠された知恵があり、それがうねった「髪の毛」を通してあらわれます。そして「カラスのように黒い」インクで書に記されます。
つまりもみあげ、ペヨットは、宇宙を吊す蛇、ということです。
また、ヘブライ語では蛇を「ナハシュ(Nachash)」といいます。
メシアは「Moshiach」です。ゲマトリアでは同じ数字三五八です。

この画像を逆さまに見ると、もみあげとヒゲを持つメシアがあらわれます。
ユダヤ人を救うメシアは蛇だった、ということになります。
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