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36歳までの人生の振り返りと学び

1989年 0歳
・大阪府で生まれる

2001年 7歳-12歳
・神戸市へ引越し。六甲アイランドに住む。
・神戸の小学校入学(公立)
・転校なしで最初から最後まで唯一通った小学校

・勉強は小3まで、かなりできない
・小2の時、引き算が永遠にできず、クラスで一人だけ居残り授業。親呼び出し。親が「娘がアホすぎる・・」と泣いていた。私も何がわからないのかわからなくて泣いた。

・小3の担任中村先生のおかげで親に勉強のことをとやかく言われなくなり、ここから勉強嫌いがほぐれ、ゆるく好きなように勉強できるようになり、成績が少しずつ上がってくる。
・そろばんを5年ほどやったが、役立っているかは謎。

・公文も友達が行っていて面白そうだったので習いに行ったが、宿題が多すぎてすぐやめる。
・一度だけ読書感想文で入賞。それ以外の入賞は皆無。


・友達の影響で青い鳥文庫、ハリー・ポッターにハマる。読書習慣がつく。
・小5あたりから、自分でHPを作る。ネットで小学生の友達ができる
・小学生SNSに入り浸る。小3から小学生SNSのマグネットハマる。

・ネットに出会ってから、図工の作品作りで無双する。ネットで見つけたアイデアをそのままトレースして課題を提出すると、毎回評価がよくなることに気づく。
・モーニング娘。にハマる。なっち推し。

・アメリカ(ラスベガス・ロサンゼルス・サンフランシスコ)に1ヶ月ほど家族旅行。自由がなく行動の制限がある旅行がそもそも嫌いになる。
・英語が話せることに対する憧れ。
・スタンフォード大学に訪れ、「将来君が通う学校だよ」と父に言われ、それが言霊のように頭に残る。

・ジ・アンタンテという会員制のフィットネススパの空間がとても好きで、子供ながら、落ち着きと美しい洗練された海外のような空間に心地よさを感じた。

・テニスを6年間、水泳も幼稚園から7年ほどやっていたので、ある程度のスポーツはそこそこできる。(クラスではスポーツできる人、のイメージだが、何かに選抜されるほどではない)

・跳び箱だけ謎に得意でめちゃくちゃ好きだった。ハンドスプリント(跳び箱の上でバク転する技)がクラスの女の子で唯一できた。
・得意なものが好きになる、と気づく。
・テニスは6年やったがサーブが致命的に下手で選手になることは早々に断念。


2001年 13歳
・中学受験など一切せず、神戸の公立中学校入学、中1の1学期で転校
・神奈川県 湘南の公立中学校へ転校 中1の2学期〜中2まで


・公式テニス部がなく、テニスの役に立つかも、という軽い気持ちで陸上部へ入る。短距離では勝てる気がしないので中・長距離を選ぶ。
・転校先の湘南でもテニスを少し続けたが、雰囲気が合わずテニスを辞める。
・転校先のでも陸上部に入る。中長距離。別に全く足は速いわけではないので、特段結果を出すわけでもない。


・勉強は可もなく不可もなく。
・国語が得意かも、と感じ始める。漢字が特に得意。(他のものに比べたら、レベル)

・中1で初彼氏。「お化けっていると思う?」という彼からの質問に「おらんやろ」と答えたら「価値観があわない」と秒で振られる。彼氏って価値観一緒じゃないとあかんねや・・・と衝撃を受ける。笑

・関西から関東への引越しをした中1。カルチャーショックが大きすぎて、クラスの人に心が開けない。
・標準語で話す男性が存在することに衝撃を受ける。「ね?」とか「じゃん?」「だよね?」という言葉をクラスの男の子が使っていてびっくり。関西人ってあんな男らしかったのか、と震える。好きな人ができない。(関西から関東に行った女性なら共感してくれると思う)

・クラスメイトとの会話も、オチがなくても話し始める子がほとんどでびっくりした。笑いのないエピソードを話して、これは何の話だったんだ!?とカルチャーショックを受けた。(が、自然と自分も馴染みオチなんて気にせず話すようになった)

・クラス内のいじめがひどくて、それを見ているのもしんどいし、とめることもできないし、もどかしい。どこにも属さない転校生枠で、中1の最後までやり過ごす。

・クラス内に友達、と呼べる人は一人もできず。部活動のメンバーが唯一の救い。(部活のメンバーが一人もクラスにいなかった)

・家が貧乏になり始める兆候。
・ドラマ「ごくせん」をきっかけに、松潤が好きになる。
・人生の中でもトップクラスに楽しくない1年。休日や放課後に友達と遊びに行った記憶が皆無。嵐と松潤にリアルに助けられた。

・意見文を書いたらクラス代表に選ばれ、全校生徒の前で発表。ディープラブ、という当時流行った携帯小説を読んで書いた内容。援交してる女の子が最終的に亡くなる話。かなり際どい内容だが、当時援助交際が社会的な問題になっていたからか、選ばれたのだと思う。



2002年 14歳 中2
湘南の中学で2年生へ。帰国子女の女の子がクラスにやってきて、転校生同士で空気も合い、ニコイチのように仲良くなる。初めて「2人で出かけられる友達」が関東に来てからできる。彼女から聞くアメリカ生活の話が面白すぎた。

・部活で、中・長距離リーダーに選ばれる。
・人生で初めてコーチという存在に出会う。中・長距離専門のコーチが月に数回、部活に来てくれ、さらに合宿へ来てくださった。

・コーチに何かを見出されたのか、私だけ特に追い込み練習をたくさんさせられる。めちゃくちゃきつかったし、私はこれ以上速くならない、と思っていたが、やればやるほど、面白いくらいにタイムが上がって行った。

・しかし、陸上の大会では特に入賞するところまでいかない。1500mも800mも予選落ち。
・駅伝メンバーにも選ばれるが、足の怪我があり出場を辞退する。というより、私は出ない方がチームが勝てる、と思っていたので自主的に怪我をしにいったようなところがある。


・勉強は特にできる方でもない。平均点を下回ることはないが、「めっちゃ勉強ができる」というわけでもない。
・一方、国語だけは安定して高得点をとり始める。

・この頃のあだ名が「姫」だった。中2でできた彼氏が「王子」とクラスで呼ばれていたため、流れでそうなってしまう。しかしこの時期、どんどん貧乏になっていった。プレハブのようなアパートに引っ越す。実態とあだ名が噛み合って無さすぎて、呼ばれるたびに心がちくっとした。

・14歳、嵐のコンサートへ2回ほど一人で行く。嵐のシークレットイベントにも当選したり、当時はまだそこまで人気グループでなかったのでプレゼント企画なども必ず当たっていた。心の救い。ただ、学校に嵐ファンはいなくて、誰とも共有できないままで、寂しい。

・担任の先生が始めた、日記を書いて先生に提出する、というのがめちゃくちゃ面白くて、みんなが続々とやめていく中、最後までやり続ける。書いた文章が、よくクラス通信に乗った。それも嬉しかった。
・中2も意見文でクラス代表に選ばれ、全校生徒の前で発表。ストリートチルドレンのことについて書いた。
・「文章書くの好きかも、得意かも」と思い始める。



2003年 15歳 中3

・沖縄へ転校。沖縄県の公立中学校へ転校。

・ここでのカルチャーショックが本当に、本当に、本当にすごかった。神戸で、比較的落ち着いた家庭が多い、守られたような環境から、全く違う言葉を話す関東・湘南へ行き、そして、沖縄である。もはや沖縄はソフトな外国だった。思春期ぐちゃぐちゃ。

・とにかくカルチャーが違う。違いすぎる。

・沖縄では、初対面でいきなり下の名前で呼び捨て。ここは海外?先生のことも下の名前で呼び捨てする文化。衝撃すぎた。

・うちなーぐち(沖縄の方言)とイントネーションが難しすぎて、リアルに何言ってるか本当にわからず困った。「しにしかんでよー」と言われても、「・・・?」である。(めっちゃびっくりしたー!の意味)
・逆に私が話すと「テレビの話し方!」「アナウンサーみたい!」と言われ、話しづらくなる。無口になる。

・沖縄の転校先の中学は偏差値が低く、ヤンキーも多く、当時の私には刺激が強すぎる環境だった。今まで頭いいキャラでもなんでもなかった私が、転校先に行くといきなり学年トップ5に入る学力結果に。以前の学校との難易度のギャップに驚いた。偏差値の違い、本州と沖縄のレベルの違いを体感した。

・お酒、タバコ、中学生からみんなやりすぎ。どちらも私は無理だった。ここでも「転校生カード」をフルに使い、どこにも属さないスタイルで1年やりすごす。

・中学3年でも意見文でクラス代表に選出される。「世界がもし100人の村だったら」の本を読み、そして、ちょうどそのドキュメンタリードラマが放映され、それがとてもショッキングで、心をえぐられ、それについて書いた。(この頃から、クリック募金を始める。)

・沖縄の中学に転校し、毎日が同じことの繰り返しでうんざりして、心を開ける友人もできない。生きる意味ってなんだろう、もう死にたいな、生きてる意味ってなくないか、と本気で思っていた。でも、そのドキュメンタリーの中の途上国の女の子や男の子は、生きることに必死だった。生きたい、と伝えていた。夢を語った。私よりも遥かに劣悪な環境で。涙が止まらなかった。甘ったれた自分を、その映像に映る彼女たちの笑顔で、殴られたような痛みを得た。それを、思いのままに書いた。

・学校代表に選ばれた時の審査員コメントが、「アナウンサーのような美しい発音でした」だった。それぐらい、標準語が話せることが武器になる環境。(関西出身だが、1年半湘南に住んで訛りのない標準語が話せるようになった)

・沖縄では意見文の大会があり、学校で最優秀賞受賞→町大会で最優秀賞→群大会で最優秀賞→県大会進出と初めていくつもの大きな賞をいただいた。 たぶん、"発音"が相当結果に寄与していたんだと思う。私の文章の実力ではなさそう。自分が持っている平凡な装備でも、環境を変えれば強靭な武器になることに気付き、衝撃を受ける。

・3つの中学に通ったことで、さまざまな学校の「選ばれる意見文」を聞いてきたので、"惹かれる文章"のストックがあった。弟の意見文を1000円もらって代わりに書くと、弟も入賞した。審査員コメントは「お姉さんとは違った力強い文体で!」と絶賛だった。(すみません。私が書きました。)

・中3の内申点はオール5。人生で初めてのフルスコア。実力ではなく環境でとれているので、喜びはほとんどなかった。

・高校受験は、近くの進学校を推薦入試で受験。私が通った学校からこの進学校に、塾を通わずして受験して受かったのが前代未聞らしく、学校中の噂になる。いろいろ衝撃の学校だった。



2004年-2005年 16歳-17歳
・沖縄県 球陽高校 国際英語学科 に推薦入学 高校2年まで在籍

・部活には入らないつもりが、仲良くなった子に誘われハンドボール部へ見学。マネージャーならいいかな、と思ったものの、ベンチでずっと座っているのは暇すぎて身体をうごしたくなるり即日プレイヤーに転身。1年だけハンドボール部 (永年ベンチ)

・家が貧乏すぎて、「働ける年齢になったら自分で稼いでください」スタイルに。高1で試合に出るためのユニフォーム代のお金が足りず、部活をやめ、時給690円(沖縄の最低時給)で自宅から徒歩1分のところにあった飲食店でアルバイトを始める。

・国語(現代文)と数学が好きになる。今思えば完全私立受験型。個別具体的な名前を覚える必要がある歴史・地理は圧倒的に苦手。

・意見文は高校でもあったが、大会などなく、選抜がないのが残念だな、と思っていた。

・部活のメンバーの有志5人で沖縄マラソンで、フルマラソン出場。初の42.195キロを完走、ゴールで感動してみんなで泣く。沖縄マラソンでは、道中で地元の方がめっちゃ食べ物やら飲み物やら差し入れしてくださるので、フルマラソンってただでこんなに飲み食いできて最高だな、と感じる。(沖縄特有の文化だと後々知る)完走した後、景品でもらったカップヌードルがおいしすぎて震えた。

・17歳の時に母親と大喧嘩し、こんなに喧嘩すると「お腹の子に悪いから」ということで実家を追い出される。妹は17歳差。ちなみに5人兄弟、長女。
・沖縄から出られること、実家から出られることが嬉しくて、「やっと解放される!神様ありがとう!」と涙ながらに思った。


2004年-2005年 16歳-17歳
・大阪府 春日丘高校(公立)へ高校3年生で転入。
・偏差値70を超える高校で、明らかにその当時の私の学力より高いが、内申点だけはよく、通知表のおかげで面接のみで転入。(家庭科のみ4、それ以外オール5)

・その学校では転校生はかなり珍しいようで、(200人以上いる学年で1人だけ)、転校後数日は他クラスからも休み時間に「転校生どこ!?」と人だかりになっている。中学で転校生を2回経験し、転校生3回目になるともはや何も感じなくなっていた。

・沖縄での学力無双は終わりを告げ、実際のレベルを実感することになる。周りがみんな頭良すぎる。落ちこぼれかけるが、必死にくらいつく。しかし、学力はクラスの中で下の方をうろうろすることになる。

・私服の学校。毎日コーデを考えるのが楽しすぎる。

・関西の学校、おもしろすぎる。授業が笑いでいっぱい。すごい。衝撃を受ける。ボケとツッコミがちゃんと明確にわかれている。私も自分が小学生の頃、ツッコミだったことを思い出す。久しぶりにお腹がちぎれるくらい笑えるようになった。中1で関西を離れ、約5年たって、また戻ってきた関西。こんなに笑ったのいつぶりだろう、ってくらいに笑いがたくさんある日々。やっぱ関西最高。やっと私、息してる!

・18歳から1年、大阪の祖母宅に一人で住まわせてもらう。
・祖母はスナックを経営するママだったため、私と生活リズムが真逆でほとんど一人暮らし状態。最高。

・親のいない自由な暮らし。門限のない暮らし。人生の絶頂とも思えるほどの開放感。幸せすぎる。内向的な私が、最も遊んだ時期のひとつ。
・好きな人に自転車の後ろにのっけてもらって家に送ってもらっている時は、「これ以上の幸せってあるのかな」なんて思った。
・最高の彼氏もできる。関西弁を話す男の人、なんでこんなかっこいいねんー!なんでこんな面白いねんー!とメロメロになる。
・ネットでせどりをして、転売でお小遣い稼ぎ。普通にバイトするより稼げることに気づく。
・自分でHPを作ってそこで日記を書く。

・大阪教育大学の養護教諭学科(保健室の先生になるところ)を推薦入試で受けるが不合格。今思うとなぜ?すぎるし、落ちて本当によかったが、当時はめちゃくちゃ落ち込んだ。本当に落ちてよかった。当時の彼氏が一緒に合格発表を見に行ってくれて、慰めるために学校をサボって自転車の後ろにのっけてくれて、無言でいろんなところを回ってくれた。それで随分心がほぐれた。(ありがとう。)

・センター試験が想定よりできて、普段のレベルより上振れ。現代文は1問ミス、(古文漢文は不得意だったので全然できなかった記憶がある)得点源の英語と数学も安定してとれたこと、学校の授業でとってないがやっつけで勉強した倫理が思いの外良い結果が出て、調子にのる。

・もともと東京学芸大学の養護教諭学科に前期で受ける予定だったが、上位4位のA判定が出て欲が出る。自分にはレベルが高すぎる大阪大学の外国語学部へ。しかも、一番偏差値低いところを探し、ロシア語専攻。なぜ???ロシア語は「こんにちは」すら知らない。阪大に行けたらなんでもいい、と思っていた。ブランド信者。

・結果はもちろん惨敗。二次試験対策一切してないので当然の結果。センターの英語は得意だったし、まあなんとかなるかな、と思い挑んだら外国語学部の英語、難しすぎた。難しすぎると受験時間、やることないのでめっちゃ暇になる。笑

・お金がないから滑り止めは1つだけに、と親から釘を刺されていた。まわりは、1つの大学・学部に対しても、受かるためにいろんな方式を受けまくっていたが、そんな余裕はなく。確実に、絶対に入れる、偏差値的にも問題ないところを選ぶ必要がある。ということで選んだのが、関西学院大学の総合政策学部。文系。

・数学・英語・国語の3教科だけのテスト。受けてみた時、なんとあっけない、と拍子抜けしたのを覚えている。しかも文系の数学はとにかく簡単。「私もしかして特待生かも」なんて勘違いするくらい解けた。(実際特待はかすってもいないし、そんな賢くもない。)とはいえ受験中から受かることがわかり、ピン、と張り詰めていた糸が一気に切れた。受験って、長い。1年近く受験勉強してきているので、一度この糸が切れるともう、やる気がおきない。浪人することも考えたが、住まわせてもらっていた祖母から反対され、関学に通うことに。

・後期の前に関学の合格発表があり、後期はどこも受けずに終わった。



2007年 19歳 大学1年

・関西学院大学 総合政策学部 総合政策学科(私立)へ入学。

・一人暮らしスタート。兵庫県三田市。めっちゃ田舎。
・家賃4万9000円。
・大学入って1週間くらいで高校時代の大好きだった優しい彼氏と別れる。彼は浪人。これは、完全に私が悪い。

・その後2-3ヶ月、ちょこちょこと彼氏ができたり別れたり遊んだりを繰り返し、人生で一番惚れた、とも言えるような人に出会う。雷が落ちたように恋をする。

・しかし、付き合ったのはたった2ヶ月。一瞬の出来事。彼に好きな人ができたということで、フラれた。めちゃくちゃに泣いた。しばらく引きずった。

・生き方がとにかくかっこよかった。クズな部分もあったし、というか、めちゃくちゃ人として最低な部分もあったけれど、「自分に正直に生きてる」人だった。だからたぶん、すごく引き込まれた。

・「ひとみ、服が好き、ファッションが好きっていうけど。何も行動してないやん。言ってるだけやん」と彼に言われた言葉が、めちゃくちゃ刺さった。好きなものって、好きなだけじゃだめなんだ、と思った。私をガラッと変えてくれた。あの頃から、「まず行動する」が身についた。彼に、認められたくて。

・その後、居酒屋バイトで出会った3つ上の先輩と付き合い、同棲がはじまった(4年続く)。
・ダンスサークル所属。めっちゃ下手。2年でフェードアウト。

・大学1年の時にファッションサークル立ち上げ、流れでサークル代表に。
・居酒屋のアルバイト(4年続く)、BEAMSで販売員(1ヶ月で飛んだ、ごめんなさい)

・独学で服作りをはじめる
・ファッションショーでなんばHatchに立つ。
・mixiで日記を書きはじめ、ちょっとした話題になる。

・mixiでプロのカメラマン・ヘアメイクさんとつながり、作品撮りスタート
・美容室の広告の衣装を担当



2008年 20歳 大学2年

・ダンスサークルやめ、代表を勤めるファッションサークルに専念
・ファッションショーでZeppOsakaに立つ
・プロとの作品取りを継続。
・匿名でブログをはじめる
・アメーバピグのバカラにハマる(ゲームでよかった)
・洋服のお直しやさんでバイトを始めるが、お局さんにいじめられすぐにやめる
・彼と四六時中一緒にいる。旅行にいろいろ出かける。国内旅のみ。海外旅は苦手(だと思っていた)


2010年 21歳 大学3年
・サークルの代表を退き、2代目に引き継ぐ。
・立ち上げたサークルが学校公式サークルに認定される。
・夜行バスで東京へ行ってイケてるショップを巡るのにハマる
・暇すぎて読書をしはじめる
・伊坂幸太郎、東野圭吾、村上春樹、と家にあった彼の小説をひたすら端から順番に読んでいく
・就活は嫌すぎて最低限の労力。大手企業は全落ち。
・最初に内定が2つ出た時点で就活をやめ、彼氏と同じ土日休みで勤務ができるアパレル企業を選ぶ。

2011年 22歳 大学4年
・村上春樹にハマる
・暇すぎて読書。小説のみ。
・初めての一人旅で直島。一人旅の面白さに目覚める。
・卒業旅行でベトナム、ホーチミン。海外って面白いな、と、海外旅行嫌い解消。
・確定申告のコールセンター派遣バイトをする。受け答えが素晴らしいと社員にならないかと言われる
・会員制ホテル・エクシブのレストランでのバイト。朝7時出勤がキツすぎて寝坊しまくって自然フェードアウト。というか、あれは実質クビだった。

2012年 23歳 社会人1年目
・大阪にある老舗の卸売アパレル会社に入社。配属は最も小さいグループ会社のヤングレディース部門。新入社員にもかかわらず異例のバイヤーに抜擢。2年、バイヤー業務を行う。
・仕入れ・在庫管理・原価率や粗利の考え方、利益の出し方、マーケティングの基礎的ノウハウをここで学ぶ。

・定時退社し、家で服作りをしてポートフォリオを貯める
・4年付き合った彼と大国町の広いお部屋に引っ越すが、彼がゴルフを初めて休日も会えなくなったのが悲しすぎて、好きすぎて、つらすぎてお別れ。(そう、メンヘラ)

・難波に引っ越す。一人暮らし。家賃4万9000円、5.9畳。10階。風がふくと折れそうなマンションだったけど、コンパクトですごく気にいっていた。
・年収300万円くらい

・フルマラソン2回目出場。「完走したら、めちゃめちゃ感動するねん!!」と友人を熱烈に誘って3人で一緒に出たものの、2人は走ることがそんなに好きじゃなかったようで、私1人が楽しんで終わってしまった。走るのは1人でやろうと心に決める。

・休日に20kmランとかしていて、謎に走ることにハマっていた時期。


2013年 24歳 社会人2年目
・将来服作りの世界で生きていく、ということにもっと本気で取り組むため、飲み会に行くのをやめる
・ちなみに大学時代から、家にはずっとテレビなし生活。
・服を作り続け、作品取りを増やしポートフォリオを貯める
・転職を決める
・私の影響で上司が喫煙しはじめ、申し訳なくなり、禁煙し始める(28歳くらいでやっとスッパリやめれた。それ以降1本も吸っていない)
・年収はちょびっと上がっていたけれど、ほぼ一緒。ボーナスは全て貯金。
・一人でハーフマラソン出場。一人だと面白さがないことに気づき、マラソンへの熱を失う。
・転職先が決まる



2014年 25歳 社会人3年目
・東京の縫製アトリエへ転職。上京。
・定時8時〜21時。週6勤務。日曜日のみ休み。
・土曜日は会社から指定された服飾の講義へ行き、課題をこなす。
・プライベート時間はゼロに等しい。
・精神的に病む。
・仕事ができなさすぎて目の前で悪口を言われる。
・家に盗聴器がついているという錯覚に襲われ家で話せなくなる
・年収200万以下。
Instagramをスタート



2015年 26歳 社会人4年目
・26歳になった瞬間に退職。無職。
ナンパされた人とその日に付き合い、翌月に代々木にて同棲スタート
・フリーランスとしてやっていくことに決める
・貯金残高10万円を切って死にかける
・個人事業主開業届を出す
1万円で起業。
ヘッドドレスブランドスタート
アクセサリーブランドへすぐに方向転換、百貨店出店スタート
最高月商80万円
・初年度 個人事業主としての年収は100万円くらい。(経費が抜かれているので、会社員の年収と随分中身が異なる)


2016年 27歳 社会人5年目
雑誌にて特集される
・月商200万円を超える
・制作を一部内職さんへ外注
大手セレクトショップとの契約が続々決まる
・代々木から武蔵小金井に引っ越し。
・猫を飼い始める
・ヨーロッパへ3ヶ月に一度買い付けにいく、というスタイルができあがる


2017年 28歳 社会人6年目
・ブランド絶好調
彼と別れ、大阪・新町へ引っ越し
・年商2000万円くらい
・アシスタントさんを雇用する
・忙しくて、忙しいのに遊びまくり、お酒ばっかり飲んでちゃんと食事しなくなり体重がめちゃくちゃ落ちる。
・Twitter・showroomを始める
・ビジネス書・自己啓発本を読みまくるようになる。年間読書50冊くらい。


2018年 29歳 社会人7年目
・大阪で個展開催し炎上、起き上がれなくなる
ブランド無期限休止を決める。
・決まっていたセレクトブランドさんでの出店を全件辞退。

・パリ移住。期限を決めずに渡仏。まずは取りやすいワーホリビザ。
・パリ5区、カルチエラタン、賑やかなムフタール通りに住む。家賃1200ユーロ。(当時のレートで日本円18万円くらい)

・パリでは一切働かず、語学学校へ8ヶ月。エコール・レトワールという私立の学校。
・フランス語は全く喋れない状態で行き、「こんなに話せない状態できたこははじめて」とびっくりされる。A1レベル(もはやA0)からB2までクラスは上がった。実際の会話レベルはまだまだ幼稚園レベル。

・語学で成果も出ず、働いてもいないので、パリでプチ鬱。初のカウンセリングを受ける。
・ほぼアル中。昼間から飲み始める。ハートランドの大瓶を2〜3本毎日飲む生活。人生最高体重に。

・スペイン・南仏へ友人と旅行。めっちゃ喧嘩する。というより、一人の時間がなさすぎて、私が一方的に不機嫌になっていた。(仲直りした。すまん)

・帰国することを決める。帰国したら、ブランドを再開してお店を持とう、と決める。
・内省魔となり、思考がとても深くなる。
・Voicyを聴きまくり、ラジオに救われる。
・ランニング習慣を改めて再開する。


2019年 30歳 社会人8年目
・ブランド再始動を決意。
・読書で得た知識でクラファン初挑戦。本にある通りに実践し、全て完売し達成。
・パリで初個展開催。

・パリでプチ鬱を経験し、日本が恋しくなり、日本の良さを感じて日本が好きになれた。帰国を決意。

・クラファン再挑戦、500人を超えるご支援者様
・POP UP 完全予約制で整理券 東京150名さま、大阪100名さま 完売
・コロナになり販売スタイルを完全オンラインへ
・月商300万円
・原宿に住む。リノベされたヴィンテージマンション。家賃13万2000円くらい。

2020年 31歳 社会人9年目
・youtuberさんが商品を紹介してくださり、アイテムがプチバズを起こす。
・月商400万
・売れ始めているが、心がそこまで盛り上がらない。パリにいく前と同じことをしている、と焦りを感じる。同じことがしたいわけじゃない。

・ブランドをパリ移住前と同じ形でやっても意味がない、これが熱を感じない原因だ、と理解。自分をとにかく圧迫し、背水の陣を切ろうと決める。
・自分を追い込むため、大学の奨学金の残金を満額一括返済し(230万くらい)、なる早で店舗を出すことに決め、貯金を一気に減らす作戦にでる。

・店舗を原宿・表参道の中間あたり、神宮前に出す。自分の家の真裏にいい物件を見つけ、契約。賃料24万円。
・初期費用や備品・什器などの購入で200万円くらい。

・コロナで海外に出れないことでフラストレーションが溜まっていく
・ゴミ拾いボランティアに毎週参加しはじめ、新しいコミュニティでのつながりができる
・お金が400万円以上一気になくなったので、再度「やるぞ!」とエンジンがかかった。

2021年 32歳 法人1期目
・ブランド運営で「やってないことをやっていこう」と思い立つ。ひとつめに思いついたのが、法人化。
・株式会社ラトリエ・デ・ラ・ベルエポック設立。代表取締役就任。
・年商は4000万円くらい。

・「東京タワーが見える家に住む」という「死ぬまでにしたい100のこと」に書いてある項目チェックのため、芝浦に引っ越す。今まで住んだ日本のお家で一番気に入っているお部屋。芝浦アイランド エアタワー。ヨーロッパの邸宅のようなラウンジがある。
・コロナということもあり、額面から2万円引きで借りられた。ラッキーすぎる。たぶん、エアタワーに住んでいた人の中で一番安い金額で住んでいた自身がある。家賃14万5000円。

・stand.fmラジオをスタートする。


2022年 33歳 法人2期目
・店舗を憧れていた代官山に引っ越し。江國香織さんの「東京タワー」を読んでから、主人公の詩史さんが代官山にお店を持っていて、私も代官山にひらきたくて、ずっと代官山でいい物件がでないか1年くらいずっと探し続け、偶然見つかった。募集が出た瞬間が海外に買い付けで出ており、ベルギーからリモートで内見させてもらい、即決。

・3ヶ月に一度買い付けにいくスタイルが再度戻りつつあるが、心のどこかで何かしらの違和感、がある。面白みが以前ほどない。同じことを繰り返していているからだ、と気づく。新しい種を探し始める。

・今までと違うことをするために、違う国に行こう、と思い、チェコへ買い付けへ。楽しみきれない自分がいる。もっとディープな旅がしたい。

・ブランド運営に対しては、とにかくお金を使って、投資して、自分を追い込んでやる気を作るスタイルをとっていた。そうでもしないと、稼ごう、という気が起こらない。自分一人だったらそれでもいいが、スタッフさんがいる。売り上げを作り、稼ぐ必要がある。なので、お金を大きく使うことで自分を追い込み、「やらねば!」という感情を作り出す。(正直、これは全然ヘルシーじゃない。)

・新しい移転先の店舗に合わせて、フルオーダーメイドの什器を依頼。160万円。移転費用は150万くらい。合計300万円くらい消え、再度熱が入る。
・しかしちまちま行動している自分に焦りを覚える。ずっと同じことをしている。私は5年後も、10年後も、これをやっているか?このままいけるか?いや、NOだ。新しい種を見つけなければ。
・学びのため、年間読書量が150冊を超えはじめる。

・夏に、友人たちと5人で芸術祭を回るヨーロッパ旅へ。

・コロナが落ち着き始めた頃、百貨店さんへの依頼と出店が再度決まり始める。
・youtuberさんとのコラボ企画が決定し、準備のためにフランスへ。久々の「新しいこと」。コラボの楽しさ、一人でやらずに作り上げることへの楽しさを感じる。


2023年 34歳 法人3期目
・百貨店出店が再スタート、3ヶ月に1度程度出店するペースでご依頼いただけるようになる。

・しかしセレクトアイテム販売をやっていたこと、人員を増やしていたこと、店舗を持つ固定費を増やしていたことで、百貨店さんで売れれば売れるほど、年商数千万あっても、決算着地で利益がほぼ残らない、という状況になりはじめる。経営の難しさ、雇用と出店のバランスの難しさを学ぶ。

・さらなる危機だったのは、私の情熱が乗っていない、ということだった。
・「今のままじゃ続けられない」という強烈な焦りから、読書をしまくる。年間200冊くらい。図書館に毎日通う日々。

・その中で、1冊の本に出会い、自分の心に従って生きることの重要さを電気が走るように得る。そして、そんな生き方を体現されている方の元にいこう、とモロッコ・ムーレイイドリスへの旅を決める。

モロッコで、涙が止まらない、魂が震える2日間を過ごす。人生の大きな変わり目。ターニングポイント

・インド、ネパールへも旅する。インドのスラム街で、心震える経験をする。

・大きな流れをつかめているものの、まだ答えが見つからない。もがく時間が続く。
・人生で初めて、自分に対して自己投資で33万円を投下する。自己理解プログラム。これが革命的な変化をくれる。自己投資の威力を知る。


2024年 35歳 法人4期目
・自己理解プログラムを受けたことで、自分がブランド運営で本丸の才能を使っていないらしいことに気づき、俄然情熱が湧き出てくる。新たなる分野「コーチング」にアンテナが強烈に立つ。

・日本でやりたいことをやりきった感覚があり、日本にいても自分は変われない、と謎の圧倒的恐怖心を抱く。自分の人生の物語をすすめるために、パリと東京の2拠点生活を2ヶ月、試してみる。しかしコスパが悪すぎて(家賃がダブルでかかる・渡航費が馬鹿にならない)1回で辞める。

・しかし、この時住んだパリ郊外が最高の環境だった。パリ郊外に完全移住しよう、と心が決まる。

・半年後には移住日を設定し、パリへのビザを取得し、日本の家の家具を全て引き払い、単身渡仏。店舗は代官山で営業継続。

・同時進行で、3ヶ月伴走型のセルフプロデュースプログラムというコーチングを提供し始める。ローンチ前にモニターさんを募集すると数十名の応募があり、可能性を感じ、本格的に行うことを決める。

・コーチング事業を本格的にやることに決め、人生2度目の個人事業主の開業届を出す。屋号はmaruo design office.

・前述のプログラムを提供しながら、もっと体系的な形にしたいという思いから、120万円のプログラム構築講座を受ける。この辺から自己投資金額に思い切りが出てくる。

・プログラム構築の側ら、実際にコーチング提供をしていく中で、なにか一つ"型"と"資格"があった方が説得力がある、と考えギャラップのストレングスファインダーのコーチ資格、通称グローバルストレングスコーチの認定資格をとる。110万円。

・単発のストレングスファインダーコーチングが楽しくて、一気に50名ほど提供させていただく。コーチングのコツを掴み始める。さらに、自己投資した分だけ、どんどんリターンが増えることが事実としてわかり、それが楽しくなる。自分に、事業に、投資する威力を学ぶ。

・パリ移住。パリ市内にまず居住。11区バスチーユ。
・パリで初のPOPUPを開催。
・講座構築をブラッシュアップし、現在の「人生リデザインプログラム」が完成。ブランド事業に次ぐ、2つめの事業が本格的に走り出す。

・ブランド立ち上げ1年目から相談役として話を聞いてくれ、パリ帰国後からコンサルとして関わってくれていた弟が、株式会社ラトリエ・デ・ラ・ベルエポックの役員にジョイン。ブランド事業のマネジメントを任せる。


2025年 36歳 法人5期目
現在
・念願のパリ郊外に引っ越す。理想的な住まいに居住。
・さらに自分を成長させるため、認知科学コーチングを受ける。110万円。これが飛躍的なリターンを生み出している。
・人生リデザイン関連事業を深めるためにプログラムブラッシュアップ、サイト構築に投資。
ワークブック作成し、リリース。
人生リデザインラボ・コミュニティの発足、運営
・人生リデザインプログラム・コーチ養成講座ローンチ。


この先の予定
・書籍出版し、ベストセラー
・人生リデザイン事業を私の存在を飛び越えて広げる
・使命を全うしている(「本当の自分として生きる」)
・思想家・著述家として活動している
・社会に影響を与える事業を創る(10億規模の事業に)
・寄付だけではなく、途上国で仕事をつくる


36年間の学び


・どう生きたいのか。どんな自分でありたいのか。自分をどうしたいのか。
思い描く自分自身のヴィジョンと未来像で、人生は決まる。思い描いたところまでしか、なれない。
・積み上げてきた学びは中長期で複利的に効いてくる。インスタ投稿1700投稿以上、stand.fm配信1100本以上、読了書籍は1400冊以上。
・外的成功ではなく「自分」内側と行動の一致が重要。そのために、心の声に従う必要がある。

・才能が活かせれば、お金はついてくる。
・全ての人に唯一無二の才能がある。才能がない人なんていない。「ないと思い込んでいる」人が多いだけ。
・最高最強の投資は、自分への投資。資産運用と比にならないリターンがある。
・一度、ありえないほど働いている経験があると、自分の限界がわかるので自分の働き方の塩梅がわかる。

・自営業はメンタル維持が必須科目。毎日8000歩以上歩き、毎日15分走り、自分に足りていないサプリをとり、健康に投資する。
・睡眠に命をかける。睡眠が全ての基礎。寝て、運動してたら大したことは起こらない。

・誰かの正解ではなく、自分の心が納得する道を選ぶこと。どんな道も正解。どう生きてもいい。誰がなんと言おうと。
・正解はない。選んだ道を正解にする。
・インプットメタボにならないように気を付ける。アウトプットをしてはじめて自分の血肉となる。

・情熱が乗ると結果が出る。情熱が乗らないなら即辞める。売上に直結する。
・自分の資金のセーフティネットをいくつかもっておく。
・資産運用は自分のリスク許容度に合わせて行い、それ以外はガンガン自分に投資する。

・コーチかメンターがいると、事業も自分も飛躍が何倍速にもなる。
・自分の手を動かしていては永遠に事業拡大できない。信頼して任せることが必要。社長がプレイヤーで作れる売り上げはしれている。
・常に新しいプロジェクトを走らせる。一人でやらず、人を巻き込む。

・撤退の目安を決めておく。
・最強の自己投資は読書。時間がないから本が読めない、は嘘。本を読まないから時間がない。
・アウトプットにSNSを使う。

・人生を変えるには3つしかない。時間の使い方を変えること。住む場所を変えること。会う人を変えること。
・小さな成功体験を積み上げることで自己効力感が積み上がる。
・全ての土台となるのは「心身の健康」。

・幼少期にすでに才能の卵が落ちている。過去を振り返り、自分が評価されてきたことを洗い出すと宝物が溢れている。
・やりたいことで稼げないのは、「求められること」に重なっていないから。テストマーケする。
・打席に立ち続ける。ホームランを狙わない。ポテンヒットでいい。バットを振り続ける。

・基本任せる想定で組み立てる。属人性を剥がす。社長がプレイヤーでいるうちは自分の稼働の範囲内でしか売り上げが作れない。
・100点を目指さない。60点でOK。done is better than perfect.

・winwinになるように仕事する。相手を勝たせようとしすぎて自分をすり減らしていてもサステナブルじゃない。
・テイカー的な関わり方の人と仕事をすると致命的にミスるので、見極めが重要。気づいた時点でどんなに話が進んでいても撤退する。

・休息、超重要。休みもスケジュールにブロックする。
・自分が本当に注力すべき仕事はなにか?本質は何か?を考え続ける。
・孤独にならないと、本心は聞こえない。

・ゴールをイメージし、毎朝をそれを見て1日をはじめる。
・毎月フォーカス領域を決めて実践するのは超有効。
・苦手なことはやらない。得意な方に任せる。その方が圧倒的成果が出る。そして喜ばれる。

・仕事をする側ではなく、仕事を作る・任せる側にまわる。
・多読より深読。刺さった本は、自分の思想になるまで読み込む。
・自分が思い描いたところまでしか到達できない。ビジョンも夢もありえないくらい大きく描く。

・ドリームキラーとは即距離をとる。一発レッドカード。
・自分はできる、と圧倒的に自分の可能性を信じる。
・同じことの繰り返しをしている、と気づいたすぐに辞める。任せる。新しいことをスタートする。

・境界線をひく。雑に扱われている、大切されていない、と感じたら離れていい。誰しも、大切な人を粗雑に扱ったりしない。大切にしてくれる人と豊かに過ごす。
・自分なりの「成功」「豊かさ」の定義を持っておく。

・内面的成長が伴っていないと成功してもうまくいっても必ず崩壊する。徳を積み、謙虚さを持ち続ける。心の豊かさを学ぶ。
・全てのことから学びが得られる。どんなにきつい局面でも、必ず教訓がある。解釈力を持つ。

・数字を追いかける前に「意義・意味」を明らかにする。数字だけ追いかけても虚無に陥る。達成してもバーンアウトしてしまう。
・本だけはケチらない。即ポチする。こんなコスパのいい投資はない。
・自信があるものは届く。買ってくださる方がいる。自信がないものは届かない。

・失敗はない。全て学び。経験値になる。
・知識も経験も読書によって複利の効果が増す。
・howでもwhatでもなくwhyを考える。why(コア)を濃くし続ける。

・学び続けている人と共に歩む。自分も学び続ける。
・自分史上最高の自分は、毎年更新し続けられる。
・自分の心と本心にしたがって生きれば、だいたいのことはうまくいく。


もっと、自分として生きていい。


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