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奢りと崩壊の前兆|ブランドが、私の手から離れ始めてしまった日


一度丸ごと私の人生を振り返って、一つの物語に再構築してみよう、という試みの第14弾です。今日の記事は、ブランドがだんだんと軌道に乗り始め、その後自分の実力以上の人気となり、そして異常事態に突入し、歯車がおかしくなり、崩壊へと続く序章の物語。内面の成熟の伴わない、自分の実力を超えた幸運で作られた"外的な成功"を得ると人はどう崩れてゆくのか。ここから、数章にわけて、赤裸々に書いていきます。

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2017年2月。27歳。 今から8年前のこと。
3ヶ月に一度ヨーロッパへ仕入れに行くサイクルが、すっかり定着してきた。

幼い頃からずっと憧れていた国、イタリアにも買い付けを理由に訪問。ローマ、フィレンツェ、ベネチア。特にフィレンツェは『冷静と情熱のあいだ』を読んだときから“死ぬまでに行きたい場所”だった。

けれど、買い付けという意味では、イタリアはほとんど成果が出なかったのが事実。ヴィンテージパーツを扱う店も、蚤の市も、パリほど自分のブランドの方向性やわたしの好みと合わず、新規開拓は難航。

什器は蚤の市でいろいろ出逢えた

ただ、ひとつだけ、ローマでラグジュアリーブランドや貴族のお城の装飾を行っている業者さんに偶然出逢い、素晴らしい仕入れができた。

貴族のお城のために作られたトリミング
その業者さんが手掛けた、ヴァレンチノのコレクションのディテールサンプル

コロナを機にこの業者さんも廃業してしまい、美しい手仕事が時代の流れで消えてゆくことに危機感と寂しさを感じる。

水の都ヴェネチアにも

イタリアでは思った仕入れができず、フィレンツェで現地の方に教えていただいた卸業者さんへ、郊外までレンタサイクルで借りた自転車で、1時間ほどかけて買い付けにいったくらい。結局、急遽LCCで日帰りパリ往復をすることに決め、わずか4時間だけパリに滞在して、いつもの仕入れ先を回った。

むしろ、この後に訪れる“急激な潮目”との対比で、ただの助走のように思える。

本当の物語は、帰国後に始まる。



帰国後、2017年2月。すぐに横浜ルミネさんでのPOP UPがあった。
3ブランド合同のイベントで、そのうち1つがとんでもない人気のブランド だと聞いていた。これまで出店でご一緒したブランドと明らかに別格である様子が、Instagramから伝わってきた。

初めて「一つ上の世界」を間近で見られる。
私は期待で胸がいっぱいだった。

初日、オープン前からそのブランドの前には長蛇の列。横浜の店内が、まるでセール初日のようにざわつく。

初日オープン直後のイベント会場様子

私のブースにもお客様は来てくださったけれど、桁違いの熱量でブースに押し寄せる方々を見て、まざまざと理解した。

売れるブランドは、こう戦うんだ──

単価は1万円を超えている。
緻密なデザイン。
デザイナーさん自身がおしゃれで、気さくで、潔い。
そして、販売数量を圧倒的に制限している

そして何より衝撃だったのは──
ご本人はほとんど店頭に立っていなかったことだった。

育児で忙しく、イベントの時だけお願いする臨時スタッフさんに大半の接客を任せているという。それでも、ブランドは突出して売れていた。

「人に任せても、こんなに売れるんだ…」

私は自分の小ささを思い知ったし、同時に希望を感じ、世界が一気に広がった。


そして横浜でのPOP UPの途中、ある有名セレクトショップの方がInstagramで私を見つけてくださり、ディレクターさんがわざわざ店頭まで来てくださった。

ディレクターさんに売上を聞かれ、横浜でのイベント初日の売り上げを正直に答える。「初日で30万円くらいです」驚かれた。ぜひうちで取り扱わせてください、というお話をいただいた。

ただ、私はすぐに思った。

私のブランドよりも、ご一緒している人気ブランドさんの方が初日の売上も大きい。きっと、ご一緒した方が話題性が作れる──

そう直感して、わたしは彼女のブランドも勝手に全力で紹介した。

結果、先方もご興味を持ってくださり、わたしとそのブランドの2ブランドで、ベイクルーズグループ「SLOBE IÉNA スローブイエナ」 でのPOP UP展開が決まった。

ここから、明らかに世界が変わり始める。



スローブイエナさんでのお取り扱いは、渋谷店からスタートした。その後、売れ行きがいいとのことで、とんとん拍子に、全国のスローブイエナさん店舗でのPOP UPが次々と決まって行った。その毎月のイベントにあわせ、イエナさんか告知をしてくださるたびに、フォロワーが一気に数百人単位で増える。

さらに、大阪のPOP UPで出会ったアーバンリサーチ系ブランドのインフルエンサーさんが、私のアイテムを気に入ってくださり、Instagramで紹介してくださった。なんとその日、フォロワー数は一気に1000人増加した。

世界の見え方が変わった。

「たまたまの運」
「偶然の出会い」

そう思われてしまうかもしれない。
それもそうだ。

しかし、これらの幸運を掴めた背景には

全部、“1対1で丁寧に接客した結果”だった。

誰に対しても、有名かどうかも関係なく、目の前の方と誠実に向き合ってきた。その積み重ねの中の“たった1人”が、実は大きな影響力を持つ方だった。

奇跡でも、魔法でもない。
“人と人の関係性”だった。


そして迎えた、運命の新宿高島屋でのPOPUP。

忘れもしない、2017年5月。

開店前、高島屋新宿店2階の正面玄関前に、異常な長さの行列ができていた。

「すごいな、高島屋さんってオープン前でもこんなに並ぶんだ…」

そう思っていたら、
オープンと同時にその人たちが まっすぐ私の売り場へ走ってきた

押し合いへし合い、でも皆さん必死に選んでくださる。
中には20点以上まとめ買いされる方もいた。

初日だけで、売上は100万円を超えた。

maruoの売り場は、初日でほぼ空っぽになった。

何が起こっているのだろう──

わかることはひとつ。

このブランドは、もう自分の手だけでは制御できないところに入ってしまったみたいだ──



売れることは嬉しかった。
でも、それ以上に恐怖があった。

・全然在庫が足りない
・接客に時間が割けない
・お会計でお待たせする
・欲しいものを届けきれない
・毎週のようにPOP UP依頼がくる
・作っても作っても追いつかない
・クオリティに満足できていない
・新作も出さなきゃいけない
・セレクトショップからの要望もある

高島屋さんからは、
「圓尾さんはもう店頭には立たなくていいから、とにかく作ってください」と言われ家に帰された。
私はひたすら機械のように手を動かしていた。

嬉しさよりも、
申し訳なさ、プレッシャー、孤独が勝つ。

とにかく「数を作る」ことに必死で、ご迷惑をおかけしないことに必死で、売れているのに、"幸せ"なんて感じる余裕がなかった。自分のボロが出てしまいそうで、怖くてとにかく必死に波に乗らねばとしがみついていた。

初めて、作りながら涙が溢れた。



そして、その巨大な波のうねりはさらに加速する。

大阪でのイベントでの出会いをきっかけに、アーバンリサーチグループのKBFさんとのコラボレーションが決まった。「コラボはね、同等レベルのブランドが行って、相乗効果をつくるものなのよ」フリーランスなりたての頃、ハイブランドの社長が教えてくれた。

同等レベル。KBFさんとmaruoが。そんなわけなかった。圧倒的な格差があった。

6型のデザインを各30個納品。
全てイヤリング。
合計、180点を納品。

発売開始は、お昼12時だったと記憶している。

そして、当日。
販売開始とともにみるみる在庫は飛ぶように売れてゆき、180点が、10分以内に完売した。目を疑った。

それはもう完全に私の実力ではない。

KBFさんの力、
影響力のあるインフルエンサーさんの投稿、
雑誌、
SNS。

私はただ、その波の中にいたに過ぎない。

その完売をふまえ、第二弾のコラボがすぐに決まる。その第二弾は、さらなる加熱で販売開始直後アクセスが殺到し、KBFさんのサイトのサーバーがダウンした。30分ほどで復旧し、復旧後、すぐにアイテムは全量完売した。

完全なる異常事態に突入した。

ここから少しずつ、
自分の内側が歪み始める。


今だからわかる。

内面的成熟の伴わない成功は、人を確実に狂わせる。

外側だけが先に急拡大するとき、
人は“それを扱える器”をまだ持っていない。

急激な成功は、
静かに傲慢さを育てる。

最初は、ちゃんと状況を理解していた。
「私の実力じゃない」
「周りの方々のおかげ」
「お客様のおかげ」

なのに。
人間とは、いや私とは、
なんと愚かな生き物なのか。 

毎月のように完売し、口座に毎月何百万と振り込まれるにつれ、私の感覚は次第におかしくなっていった。

「私の実力かもしれない」
と感じ始め、次第に
「これはわたしの実力だ」
そんな勘違いに変わった。

そんな小さな、でも危険な傲慢さが、
少しずつ、確実に、
私の中で芽生えてゆく。

今思えば、
神様が、
人生が、
「内側を先に育てなさい」と言っていたのだと思う。

私はそれに、全く気が付かなかった。


これは、どの世界にもある真理だ。

宝くじを当てた人が大金を手にして破滅するように、
人間の内面的な成熟度合いを越えた大きな成功は、
その人を必ず試す。そして、相応しくないと判断されると、崩壊の一途を辿る。

そして私は、このあと、例に倣って
人生で最も痛い崩壊を経験することになる。

あの頃の私はまだ知らなかった。

この幸運の塊のような「成功」の正体が、
 “試練の入り口” だったことを。、

そして、
私のブランドと、私自身は、
崩壊へと着実に駒を進めていた。


<つづく>

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