貯金10万 26歳 無職|フリーランスになると決めた、独立前夜
一度丸ごと私の人生を振り返って、一つの物語に再構築してみよう、という試みの第二弾です。今日の記事は、わたしが会社員をやめ、無職になり、フリーランスとして生きていくための方法を模索し、もがき苦しんでいた頃のこと。この時期、人生の中で3本の指に入るくらいお金がありませんでした。冗談抜きでお金がなさすぎて、貯金が10万円を切った時にいよいよ「あれ、死ぬのかな?」と不安に襲われ、収支シミュレーションをしたら月末には1万円を切る、ということがわかり発狂しそうになったこともあります。とはいえ、この時期があったから、お金に対してとってもシビアに考えてくることができたし、今では大したことでは怯まなくなったなあ、と思います。
目次
1. 大変だった過去の経験はあなたへの大切な贈り物
2. 貯金10万 26歳 無職|フリーランスになると決めた、独立前夜 →ココ
3. どん底26歳 1万円起業|フリーランスとしてブランドを立ち上げるまで
4. ファン0人だった私の、ブランドのはじまり
5. 無名ブランド百貨店、初出店奮闘記|売上1位になるまでの全記録
今日の記事を読む前にまずこちらをお読みいただくと、前後の状況がよりわかって楽しんでいただけると思います。
2014 - 2015年 (24~25歳)
2015年 (26歳)
26歳。2015年5月末日、ブラック企業退社。
わたしが会社を辞めたとき、全財産は20万円を切っていた。ちなみに奨学金という名の借金も、250万円近くあった。純資産、−230万。
新宿駅南口でナンパされた人と、わたしはその日に付き合うことになり、1ヶ月後にはその人の家に転がり込んだ。絶体絶命の資金ショートを、一時的に免れた。とりあえず、家確保。ほっ。──などと考えていた当時の自分の依存型思考に心底辟易する。
「もうこんな場所から逃げたい」というその一心でそのブラックな会社を辞めたはいいものの、具体的に次に何をしよう、なんてほとんど考えていなかった。でも、フリーランスとしてもう2,3年働いてきていた彼は、わたしの収入の何十倍も稼いでおり、わたしに対しても「ひとみにもできるよ」と全力で勇気づけてくれている。
なので、お金への焦りはあるものの、なんとかなるかな、という安易な考えもあった。いや、というよりもとりあえず、前職を辞めれたら、本当になんでもよかったのである。
晴れてその会社を辞め無職になったわたしは、初日は意気揚々だった。開放感が半端ない。大学生の時のあの自由さが戻ってきたみたいだ。やっと自由だ!嬉しい。「乾杯しよう」と、彼は、当時の私にとっての最高級ご褒美だったプレミアムモルツを2本買ってきてくれた。(今はもうお酒を辞めてしまったけれど、もともとビールが死ぬほど好きだった)
彼も同様に会社員を辞め、そこからフリーランスになったので「しばらくゆっくりするといいよ、なかなかない機会だし」と言ってくれ、確かにな、と思いのんびり構える。「失業保険というのも、もらえるんだよ」と教えてくれた。転職期間中の生活を繋ぐために次の仕事までの繋ぎとして給付されるものだという。素晴らしい国だな、と思う。
翌朝起きて、彼が「仕事をしにカフェにいく」と出掛けてしまったあと、自分が「ニート」であることを強烈に実感した。
あれ、今日、何して過ごせばいいんだろう。
──
ひとまず「やること」を思い巡らせ、初めに思いついたわかりやすいtodoが、その失業保険とやらの申請のための準備だった。ネットで書類や必要事項を調べ、ハローワークに行った。フリーランスとしての可能性を探りながら、転職活動もしてみてるのも心の安定剤になるかもしれない。何しろ、何も決めていないし、自分が今後どうなっていくのか、1ヶ月先も見えない。1ヶ月後、「やっぱり私にフリーランスなんて無理だ」と、普通に正社員になっている可能性も、もちろんある。
失業保険をいただく手続きをするにあたっての流れを、窓口のおじさんがやさしく説明してくださる。申請のために、2社選んで書類を送り、面接に行ってください、とのことだった。なるほど。いい機会かもしれない。
わたしはどんな仕事を、次にしたいんだろう?そんな気持ちも込めてハローワークに設置された化石みたいな古いパソコンで、カチカチをマウスを動かしながら求職リストを見る。
気になるのはやはりアパレルやファッション業界だった。その中に、「ヨウジ・ヤマモト」の生産管理の求人を見つけた。ヨウジさんの会社の求人がハローワークで見つかるんだな、と意外な印象を受けつつも、気になり応募した。
──
ハローワークから帰宅し、再度、ポカン、と時間があくことに気づく。彼は夜ご飯の時間まで帰ってこない。無職ってめっちゃ暇なんだな。さてと、どうしようか。フリーランスになる、ってどういうことなんだろう。どうやるんだろう。
ハローワークで探した業界のジャンルが服飾だったし、やっぱりわたしは何はともあれ、ファッションでやっていきたいんだろうな、と考える。
それはわかった。でも、どうやって自分で仕事をするんだろう。
──
まずはフリーランスで仕事をしている周りの人を思い浮かべてみる。2人だけ、いた。(本当はもっとたくさんいたが、どこからがフリーランスで、どこからが会社員なのか、その区別さえ当時の私にとっては曖昧だった)
1人は先月付き合いはじめたばかりの彼氏。まだ謎だらけ。
彼の仕事を考えてみた。スマホアプリを作り、そこからの広告収益で生活をしているらしい。どういうこと?と理解不能だった。仕組みがわからない。何かを作って、"売る"じゃなく、広告収益でお金を得る。うーん、と唸ってしまう。当時のわたしの頭では、それを抽象化し自分に当てはめる、なんて高度なことはできなかった。全然参考にならないな、とそそくさと次のケースに移る。
もう一人フリーランスでカメラマンをやっている知り合いがいた。その方は自分で写真作品を作って売ったり、誰かから依頼された写真を撮っていた。その人の例を考えたとき、わたしにもこっちのケースなら真似できるかも、と思い至る。「自分で作って売り、依頼されたものを作る」。うん、これならできそうだ。
私にできる「自分で作れるもの」は服しかなかった。ならばとりあえずミシンがいるか、と思い、残高20万円を切っている貯金を頭の片隅に思い浮かべながら、カードで10万円のミシンを買った。来月のカード支払日までに、10万つくればいいだけの話だ、と謎の楽観的な考えをもって。
とはいえ、シミュレーションで家計簿をつけていたスプレッドシート上で、残高がガクン、と減るのを見て急激な焦りに襲われる。あれ、実質の貯金残高、もう10万切ってるけど、わたしこれから生きていけるのか・・・?来月収入が入ってくる見込みは、いまのところない。うまくいけば、失業保険が入ってくるかもしれない。でも自分で作ったお金で入ってくる見込みは今のところ、ない。冷や汗が出る。
そして、追い込まれたわたしはたぶん、自分にエンジンをかけ、フリーランスとしてやっていくためのブーストをかけるために、この辺りで、facebookで、「会社辞めました、フリーランスとして生きていきます」みたいな宣言を書いたんだと思う。もう、投稿を消してしまっていて、記憶が曖昧だけれど、そうとしか思えない。
というのも実はこの時、その投稿によってありがたい勘違いが起きたのだった。フリーランスでやっていきます、と中身も何も決まってないのに(自分を追い込むために)宣言したおかげで、「ついに独立するんですね!」「いよいよだね!」みたいなコメントが来ていたのを覚えている。そうか、仕事をやめて、フリーランスになる、って、すなわち独立、なのか。そうか、わたし独立するんだな。と他人事みたいに思ったことを覚えている。
そして、その投稿を見た友人知人が「ひとみ、こんな仕事できる?」「こういうことできる人探しているんだけど」とどんどんメッセンジャーで依頼がきた。
す、すごい・・・神様、なんというチャンスを私にくださるのですか・・・
わたしは依頼されたことを1つも断らずに、(どれも仕事としてお金をもらってやったことがなかったけれど)「できない」と言わずに「やります」「できます」「いつやりましょう?」と返信をしていった。
──
本当にいろいろやった。
パーソナルスタイリスト。
ショッピング同行。
とある有名アーティストさんのバックダンサーさんたちの衣装制作。
アイドルさんのスタイリスト。
アーティストさんのCDジャケットの衣装制作。
どれも初めてのことだったし、やり方もわからない。ネットで急いで調べて、学びながら走りながらやっていく、というスタイルでしか進めなかった。本来であればきちんと学んでから準備万端で始めるのがいいのだろうけど、お金がないから「準備万端で走る」なんて選択肢になかった。そんな悠長なことを言っている暇はない。
──
時を同じくして、"独立"した私に興味を持っていろんな方が連絡をくれた。まだ何者でもなかったけれど、会社を辞めたことをきっかけに、これまでの知り合いや友人にたくさんあった。そして、たくさんいろんな人を紹介してくださった。紹介された人、全員に会いにいった。今思うとすごい方々に繋いでいただいた。Avexの副社長、某アイドルさん、某ダンスユニット、Amazonの日本の副社長や、アンテプリマの社長、それ以外にもいろんな会社の社長にも会った。そして、何者でもないわたしは、そんな出逢いのチャンスを何にも繋げられないまま、何も結果を出せないままだった。この1ヶ月で変化していることといえば、貯金残高が減っていることくらいだ。
そして、気づく。どんなにすごい人と出逢っても、自分が何者でもなければ全く相手にされないのだということを。そして、26歳のわたしは、"20代の若い女性"という要因だけで、企業の権力者に会えていたのだと。悔しかった。
ある日、とある日本を代表する有名レコード会社の、その企業が持っている謎の建物で行われる飲み会に呼ばれた。車でしか入れない謎の建物。全室個室のカラオケルームのようになっている妙な空間。通された大きなお部屋は四方にソファーが設置されていて、取締役たちの間に女の子が一人ずつ配置される。わたしはその"配置される女の子"の一人として呼ばれたのだった。仕事の話ができると思ってポートフォリオを持ってきた自分が情けない。
その会に呼んでくれたのが、フリーランスの仕事を何件もくれた人だったから断れなかった。でも、その空間に入った瞬間に、「わたしはキャバ嬢になりたいわけじゃない」と怒りで爆発しそうだった。みんなが嬉しそうにシャンパンを開け始め、周りが華やかな雰囲気になっていく中、わたしは「すみません、帰ります」と1分で一人外に出た。ありえない。ありえない。ありえない──こんなことをやらないといけないなら大企業の仕事なんていらない!!
そしてその後、同人物から畳み掛けるように、バカにされているとしか思えない、足元を見られるようなことを頼まれた。「まるおちゃん、うちの会社宛の名前で20万円って金額で領収書つくって、送ってくれない?」この人はいったい、何を言っているのだろう。
わたしは何も"領収"していない。どこまでわたしのことをバカだと思ってるんだろう?その前にも、領収書を送って何度も「紛失したからもう一回作って」と言われ、おかしいな、と特定記録をつけて送って追跡すると届いているのに「届いていない」と言われる。この会社、こうやって経費使ったり、お金つくってんのかな。
そして、紹介いただいた別会社の社長に会った時には、帰りのタクシーでセクハラされた。ふざけんな、と怒りで狂いそうになりながらも、フリーランスって、こういうのすら耐えないといけないのか?と考え、悔しかった。わたしはこんな方法で自営業になんかなりたくない。タクシーを飛び降り、渋谷駅に走った。深夜0時、駅の蛍光灯の明るさが、どれほどありがたく感じたか。
年齢や女を武器にして作る仕事なんて、わたしはやりたくない。
──
そして、肝心な仕事の方はと言うと、依頼だけは立て込み、すぐに忙しくなったけれど、どの仕事もわたしはうまくできなかった。そして、正しい値付けもわからず一向にお金は増えない。刻一刻と時間だけが溶けていく。
そんな迷いと焦りの最中、忘れていた頃に、ヨウジヤマモトの面接の連絡をいただいた。心の安定剤になるかもしれない、と応募していた求人だった。本社に出向き、面接を受け、自分で作ったジャケットをお見せした。「こんな憧れのブランドに入れるわけないよな、でも本社が見れて嬉しかったな」とオフィスを後にした。
外に出るとすぐに電話が鳴り、「内定です。圓尾さんと一緒に働きたいと思っています。」とご連絡をいただいた。
一瞬、頭が真っ白になった。お金はない。生活は苦しい。なにより、それは学生時代から憧れ続けた大好きなブランドの会社。 でも、同じ業界で、つい先月まで、ヨウジさんのライバルブランドの服を作っていたからこそ、入社後の仕事のイメージは容易についた。そのとき、わたしはハッとした。「去年の私に戻りたいわけじゃないんだ」と。
安定した会社員に戻ることは、あの頃の自分に戻ること。わたしは、お金はなくても前に進みたいんだ。 わたしは憧れのブランドの内定を、感謝とともに丁重に辞退した。腹の底から、私の中でこの生き方に覚悟が決まった瞬間だった。
とはいえ、いよいよもう来月の入金がどう考えても10万円に届かない、とわかった瞬間に(前述の自営業で仕事をいただく上でのしがらみに人間不信も相まって)、わたしは観念してアルバイトをスタートした。週4で新宿の料亭で働きはじめ、残りの3日を、フリーランスとしての活動に充てることにした。
──
料亭のアルバイトとフリーランス活動の2足の草鞋を始めた初月。たった週4勤務で、前職の手取りをゆうに超える金額が入ってきたとき、わたしはある種の安心感を覚えた。
例えば死にそうになって、フリーランスで失敗して、にっちもさっちも行かなくなったら。アルバイトをしたらこんなに簡単に生きていけるんだな。しかも、あの地獄の1年より圧倒的に少ない時間で、0カロリーで。ただお料理を出し接客するだけでこんなにお金がもらえるのか。それはわたしの「最悪のシナリオ」を全然「最悪」じゃないな、と思わせてくれた事実だった。フリーランスで死にかけたら、今回みたいにアルバイトをすればいい。翌月15万円が振り込まれた。緊急事態は、脱出できた。
「こんな楽に稼げるなら無理にフリーランスにならなくてもいいかもな」なんて心の緩みと甘えがで始めた、アルバイト2ヶ月目のときのこと。神様の導きかなんなのか、ここでめちゃくちゃに悔しい経験をする。そして、これがわたしの決定的なスイッチになった。
──
その夜、わたしはとある有名企業の会食の席の接客担当として配膳をさせていただいた。食事も進み、みなさん楽しげにお酒を飲まれていて、お客様ともいい感じに打ち解けつつ、コースも終盤に差し掛かっていた。6人くらいの席だったと思う。わたしの接客を褒めていただけて、普段は何の仕事をしてるの?と聞かれた。
「フリーランスです」とわたしが答えるや否や、室内にどっと笑いが起きた。「フリーランス!」と繰り返され「フリーランスねえ」といいながらその席にいた人たちはみんなが顔を見合わせながら息も切れ切れ大爆笑だった。わたしは耳のはじっこまで顔が赤くなるのを感じながら、逃げるように食事を配り終え、「失礼します」と襖を閉めた。
少ない金額でも自分のお金で稼いでいても、アルバイトをしていたらフリーランスと名乗ってはいけないのか。フリーランスにルールなんてあるのか?めちゃくちゃに悔しい。悔しさと怒りで、その後わたしは彼らと目を合わせられなくなった。普通に正社員をしていたら、わからないだろう。あなたたちみたいな大企業にいたら、この生死を彷徨うような金欠だって、女であることで受けるありえない経験だって、全く想像なんてできないだろう。わたしの今の気持ちなんて。わからないんだろう。くそう!!!
絶対この人たちより稼いでやる、と心に誓う。悔しさとやるせなさと、今の自分の姿に、どうにかなってしまいそうだった。この時に、何か大切なスイッチが入ったのだと思う。この人たちに負けてたまるか。挑戦しようとしている人を笑う人に、わたしは屈したくない。笑われたままで終わってたまるもんか。わたしはわたしの名前で生きて、大企業の看板なんて必要ないくらいまでになってやる。負けてたまるか。絶対勝ってやる!
バイトが終わるとわたしは彼へのLINEよりも着替えよりも何よりも先に、急いでその人たちの勤める会社の平均年収を調べた。当時の金額で800万円ちょっとだった。その数字をわたしは心に刻む。いいじゃないか。800万。絶対超えてやる。
わたしはその日にアルバイトを辞めることを決めた。甘えてる場合じゃない。その料亭でのアルバイトは2ヶ月で幕を閉じることとなり、すっからかんになっていた貯金がすこし肥やせたところで、わたしは「わたしの名前一本で生きてやる」と覚悟を決めた。
生半可な気持ちから、腹をくくる、という状態に変わった瞬間だった。
──
後日談だが、負のエネルギーとはすごいもので、2年後、わたしは本当にその企業の平均年収を、フリーランスとしての"自分の仕事だけ"で、越えた。確定申告の所得金額欄を見た時に、わたしは心のそこからガッツポーズをした。
あの「負けてたまるか」という、笑われたときの強烈な恥ずかしさと悔しさは恐ろしいほどのガソリンになった。
あるいはわたしは、彼らに感謝しなければならないのかもしれない。人生を変える、覚悟を決めるきっかけをくれたわけだから。
──
執筆後記
当時の悔しさが思い出されて、フロー状態で書き殴った文章となってしまいました。昨日読んでいた本に、「考えずに書いていい」とあり、文章って本当そうだよな、と思ったのです。それで今日、特に何も決めず、「この時期のことを書こう」ということだけを決めて、書き始めました。
この本によると、「わたしたちが「こうしよう」と意識的な決定をする0.35秒前には、すでに「脳」は「決定」している」らしいのです。つまり、あーだこーだ頭で考えるよりも、流れるままに出てくる言葉のままに書くことのほうが、脳が決定したことに沿って書けて自然だよね、ということ。
夏目漱石の有名な著書に「坊ちゃん」があります。彼はこの小説を、約8~10日で書いたと言われているのですが、この坊ちゃん、めちゃくちゃ長いんですね。400字詰め原稿用紙にして約240枚。1日あたり24-30枚近く書かないといけないペースで、それは毎日1~1.2万文字、原稿用紙に書いていたという計算になるそうです。当時はパソコンなんてありませんから、原稿用紙に手書きするわけです。
わたしが何を言いたいか。こんなのね、"考えて書いて"いたら無理なペースです。溢れるままに書いて、推敲もほとんどせず出した。そして後世に残る作品になっている。考えずに書くことの良さを教えてくれる例として、これ以上のものはないんじゃないか、と思うのです。漱石は、溢れるままに書いた。
天才だから許される、とかそういうことは抜きにして、とはいえこれは、とてもわたしの気持ちを楽にしてくれるものでした。それで、今日はとにかく、出てくるままに書いてみよう、と思ったわけです。お楽しみいただけましたらこれほど嬉しいことはありません。
今日の文章が「よかった」とか「次も読みたい」、と思っていただけたら「スキ」を押していただけますと、執筆の励みになります。いつもありがとうございます。
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