無名ブランドの、百貨店 初出店奮闘記|売上1位になるまでの全記録
この世には、3つの「運」、というものが、存在する。
1つは、勝手にあなたのもとに降り注ぐ、運。
いわゆる、フォーチューン。日本というあり得ないほど素晴らしい国に生まれたこと。優しい家族のもとに生まれたこと。それらは良い運。そして、雷に打たれるのは不運だ。
2つめは、チャンスという名の運。
この運には、あなたの行動が必要だ。サイコロを振る、イエスという、手を挙げる、そういった行動を起こしてつかまなければ、この運は活かせない。
3つめは、ツキ、幸運、という名の運。
これは可能性を見出し、行動の結果によってもたらされるもの。たとえば、あなたがチャンスという機会を目の前に行動することで、すばらしい仕事を得る。それが、3つめの運だ。
つまりほとんどの場合、ただ待っているだけの人間には、決して「運」は微笑まない。
扉を叩き、傷つき、それでも前へ進もうとする者の頭上にだけ、細い蜘蛛の糸のように、そっと降りてくる──
ブランドを立ち上げ、コネも経験もなかった私が、初めて百貨店という舞台に立ったときのこと。いくつかの奇跡に導かれ「運」を掴みながら、自分の勝ち方を見つけるまでの、7日間の物語。
一度丸ごと私の人生を振り返り、一つの物語に再構築してみる試みの連載・第6弾です。毎週お読みくださる皆様、ありがとうございます。今日の物語は、卸売からPOP UP出店に移行する、と決めたときのこと。無名のブランドが、どのようにして百貨店出店を行っていったのか。その経緯を書きました。これから自身のブランドで、百貨店出店をしたい方への参考になりましたら幸いです。
目次
1. 大変だった過去の経験はあなたへの大切な贈り物
2. 貯金10万 26歳 無職|フリーランスになると決めた、独立前夜
3. どん底26歳 1万円起業|フリーランスとしてブランドを立ち上げるまで
4. ファン0人だった私の、ブランドのはじまり
5. 作品が「おもちゃ」と呼ばれた日
6. 無名ブランドの百貨店初出店奮闘記|売上1位になるまでの全記録 →ココ
前回の記事はこちら
この連載の人気記事はこちら(第2弾)
26歳。2015年12月。
答えは、もう出ていた。 ショーケースの向こう側にある匿名の売上ではなく、私の手元に直接届いた、たった一つの温かい言葉。私が本当にやりたいのは、お客様の顔が見える「小売」だ、と。
ならば、進むべき道は一つ。百貨店のポップアップストア。 自分が店頭に立ち、直接お客様に作品を届けられる場所。それが、私の新しい販売選択肢になった。
この選択肢が思いついたのも、知り合いが百貨店で自分のアクセサリーブランドのPOP UP出店をしている、ということを聞いていたからだった。
すでに百貨店出店をしている知人に、「どうやったら百貨店出店できますか……?」と質問してみたものの、具体的な手段は教えていただけなかった。とはいえ、"自分のブランドを作って、百貨店に出店する"という選択肢があることだけは事実として理解できた。これだけでも大きな収穫だ。
ひとまずダメ元で、Google検索してみる。
──「百貨店 出店 ハンドメイド ブランド アクセサリー」
そう打ち込むと、トップの検索結果に一つの会社がヒットした。百貨店への出店を仲介してくれる会社のようだ。出店の仲介。なるほど、こんな仕事が世の中に存在するのか、とびっくりする。その会社のページをクリックする。
その会社のページを開くと、「あべのハルカス近鉄本店 1週間の催事 出展アクセサリーブランド募集」という文字が飛び込んできた。まるで光のように見えた。会期を確認すると、開催は翌年1月末。現在、12月も下旬に差し掛かっている。今から、約1ヶ月後だ。準備期間として十分なのかどうなのか正直全くわからないが、とりあえず1ヶ月もあればなんとかなるだろう、と楽観的に考える。最近、卸売で60点作ったばかりだ。
私はすぐに、問い合わせのメールを送った。これまでの経緯と、ブライダルのヘッドドレスブランドであること、ブランドヘッドドレスの作品写真、先日卸売でハイブランドへ納品させていただいた写真を添えて。
返事は翌日、すぐに来た。
「ぜひ出展していただきたいです。しかしながら──」
「ブライダルのヘッドドレスは、一週間の催事イベントでは売りづらいので、もしアクセサリーが作れるなら、ぜひ出店をお願いしたいのですが。アクセサリーはお取り扱いされてますか」
アクセサリー。がっつりと作ったことはほとんどなかった。趣味で、学生時代に友人へのプレゼントで作ったり、ハイブランドへのブライダル部門へのサンプル納品の際に作った程度の経験だ。そして、後者の経験は無残なまでに、けちょんけちょんに大失敗している。
さらに、もう一つ私の中でひっかかっていることがあった。
もともと服作りをしていたこともあり、アクセサリーを作るのはなんだか亜流なような気がして、メインストリームからこぼれ落ちる感覚があった。だからヘッドドレス、という謎の折衷案をブランドの商品として選択したわけだ。しかし、亜流だのこぼれ落ちるだの、そんなことを言っている場合でもない。アクセサリーはやりたくないな、と思っていた私の変なプライドを、一旦脇に投げ捨てる。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
服を作るより、ヘッドドレスを作るより、アクセサリーは物理的面積が小さいんだし、きっと簡単だろう。 そんな浅はかな考えで、私は二つ返事で「もちろん、アクセサリーの展開もできます」と返信した。どんなアクセサリーが作れるか、具体的なアイデアなど何一つないままに。私のブランドの可能性を信じてくれた担当者の方には、今も頭が上がらない。
──
こうして、思わぬほどあっけなく、初めての百貨店様へのポップアップ出店が決まった。 場所は、大阪、天王寺。当時東京に住んでいた私にとって、それは大きな賭けだった。移動費、滞在費、これから買い揃え準備しなければいけないディスプレイ什器、そしてゼロから作る新しいアクセサリーのデザイン。卸売と、オーダーメイドなどで得た約30万円の売上は、あっという間に消えていくだろう。この投資は、回収できるのか。不安が胸をよぎる。
しかし、この挑戦には、いくつもの奇跡が用意されていた。
神様は、挑戦する人に優しい。
──
出店の準備を進める中で、私は信じられない偶然を知る。
以前、百貨店への出店方法について、勇気を出して電話をかけたあのアクセサリーブランドの先輩。なんと彼女も、私が出店する百貨店、あべのハルカス近鉄本店に、全く同じ週に、全く同じフロア2階で、ポップアップを開催するというのだ。 一度しか会ったことのない、雲の上の存在。その方が、すぐ近くにいる。 それだけで、心細い挑戦の道のりに、一本の光が差したようだった。彼女は直接百貨店さんと契約していて、仲介会社を挟んでいないので、イベント自体は別なようだ。同じタイミングで出店することをご連絡し、ご挨拶に行きます、というメッセージを送る。
こんな偶然あるだろうか?なんだか、良い流れかもしれない。そんな予感を感じる。
──
イベント準備はてんてこ舞いだった。
まず、ディスプレイ。百貨店の一角という華やかな場所で、チープに見えるわけにはいかない。しかし、予算は限られている。 私はメルカリで、大理石でできた料理用の台を2,000円で2つ、見つけ出した。リサイクルショップでは、高見えするガラスの写真立てを買い、100円ショップで100円に見えない陶器のタイルなどを買い集め、ブランドヴィジュアルの写真を飾った。いかに安く、いかに高級感を出すか。このトレジャーハントする感覚が、知恵を絞ることが、とても楽しかった。
次に、商品。 一週間のイベントに、何点用意すればいいのか。値段は、いくらが適切なのか。さっぱり分からない。Google検索してみるがどこにも情報は落ちていない。困った。お手上げだ。
当時の私は、同じデザインを複数作ることが怖かった。売れ残ったらどうしよう、という恐怖。バイヤー時代、一つの店舗に同じデザインを3点以上並べることは稀だった。そんな経験も私の手を鈍らせた。 だから、一点ものに近いデザインを、とにかくたくさんの種類、無我夢中で作り続けた。
そして、値段付け。
周りを見れば、ハンドメイドのアクセサリーは1000円〜2000円が主流。ハンドメイドブームの波が押し寄せはじめており、とにかくブランドが乱立している。そして、とにかく市場の相場が安い。趣味で片手間でやるならそれでもいいかもしれないが、わたしはこれを仕事としてやっていくと覚悟を決めていたので、そんな金額では売れない。
綺麗事を抜きにして、自分が生きていくための値付けをする必要がある。私は一つ4,000円前後の値付けをした。当時のハンドメイド市場では、かなり強気な価格設定だったと思う。ただ、この金額設定でも、正直これ一本では長くはやっていけないほど、安い設定なのも事実だ。(この値段では生きていけないとわかり、すぐにこの後値上げしていくことになる)
こうしてなんとかかんとか作り上げた、約30点のアクセサリー。 これが売れなかったら、どうなるんだろう。 私は、30点の不安をスーツケースに詰め込み、深夜、大阪行きの夜行バスに乗り込んだ。



──
2016年1月26日(火)夜、20:00。
イベント開始前日、初めての搬入。
御堂筋線の天王寺駅で降り、地下通路を通りゆく人と逆方向に歩きながら百貨店の従業員通用口を目指す。営業終了後の、静まり返った百貨店。その巨大な建物の通用口で、私は弟と一緒に、その時を待っていた。
「面白そうだから」と手伝いに来てくれた、当時まだ大学生だった弟。心細い初出店の初めて経験する搬入についてきてくれたことが、どれほど心強かったか。(余談だが、弟はその後もずっと応援し続けてくれ、今ではmaruo vintageを運営する私の会社、株式会社ラトリエ・デ・ラ・ベルエポックの役員として関わり続けてくれている)
「商品、30点しかないけど、これって多いのかな、少ないのかな」わたしはずっと、そわそわしていた。
すると、私とは真反対な性格で、特殊なほどに社交的な弟が「経験者に聞いてみたらいいねん、こういう時は」と先導切って、隣で同じように搬入を待っていた別のブランドの女性に話しかけていた。
「こんばんは。僕たち初めての出店なんですけど、商品って何点くらい用意するものなんですか?」
最高に愛想のいい彼女は、申し訳なさそうに言った。
「いやあ、私、つい先週まで別の出店があって……今回全然準備が間に合わなくって、少ないんです……」
弟は重ねて聞く。「少ないって、具体的にどれくらいですか?」
「200点ぐらいしか作れなくて。どうしよかなって感じです」
──200点!!
私は彼女の返答を聞いてめまいで危うく崩れ落ちそうになる。
お、終わった……
POP UPに出店するって、そんなに準備が必要なんだ……
決して舐めていたわけではないが、あまりの自分の素人準備に焦りを通り越して呆然とする。弟にも「お姉ちゃん、全然あかんやん!どうするん。もっと作らな!」と責め立てられる。「ほんまやな……」といきなり戦意喪失するわたしをみて、「とにかく、搬入を速く終わらせて帰って作ろう。手伝うから」と、弟。どっちが年上なんだ、と思わされるしっかりさで、私を勇気づけてくれる。
たった30点で、しかし、確かに、どうやって売上を作ればいいんだろう……。焦りを抱えたまま、搬入作業が始まった。慣れないディスプレイに悪戦苦闘し、全てを終えたのは23時半。出店していた30ブランドで、ほとんど最後になった。明日の朝、ここにお客様が来る。そう思うとまだ手直しをしたくなる。しかし、誰が買ってくれるんだろう?百貨店へ出店する、ということの実感が、まだ湧かなかった。

そして、運命の初日。2016年1月27日水曜日。午前10時。
興奮と焦りと緊張でほとんど眠れないまま当日を迎えた。
開店直後の百貨店では、スタッフ全員が店頭に起立し、お客様をお迎えする。販売員時代を思い出しながら、今は自分のブランドの作り手としてここに立っている、という事実に、胸が熱くなる。
午前中は、まだ人通りもまばらだ。ゆったりと営業がスタートする。まずは、一緒に出店しているブランドをひとつひとつ丁寧に見てまわる。どのブランドも、見ていてとても参考になる。そして、接客のしかたも非常に勉強になった。
別のブランドのスタンドで商品を見ていたとき、ふと一人の女性が、私のブースの前で足を止めてくれたのが横目に入った。初めてのお客様だった。わたしは飛び上がるようにして自分のスタンドに戻る。
「見てくださって、ありがとうございます!」
自分でもびっくりするほどの大きな声に恥ずかしくなる。その女性も、私の謎のテンションにちょっとびっくりしながら「可愛らしいねえ」と、1つ1つ丁寧にご覧くださる。
手に取り、耳にあて、鏡を覗き込む。そんな一連の姿がめちゃくちゃに嬉しかった。そして、とても似合っていた。嬉しかった。自分の作ったものを、こんなに真剣に見てくださっている。無名の、初出店の、何者でもないわたしの作品を、名前でなく、デザインで、見てくださっている。それが、狂おしいほどに嬉しかった。「うわあ・・めっちゃ可愛いです」「めっちゃ似合いますね」「ほんまに、見てくださってありがとうございます」と勝手に口から心の声が次々溢れ出す。
「見てるだけでこんなに喜ばれたの初めてやわ」
彼女は笑った。それを聞いて、顔が真っ赤になる。
「実は、今回が初めての出店なんです。今日が初日で、さっき始まったばっかりで、お姉さんが、一番最初に立ち止まってくださったお客様なんです」正直に伝えてみた。「そうなんや。ということは、お姉ちゃんが作りはったの?」とその方はびっくりしたように、私の方を見てくださった。
わたしは少し照れながら、でもしっかりと意思をもって、「はい、デザイナーです」と答える。「作家」とは名乗らない、と決めていた。ハンドメイドブランドとして始まりながらも、わたしは絶対に"ハンドメイド"ブランドと名乗らない、と決めていた。わたしは、これで生きていく。わたしがやるのは、「ブランド」だ。そして、私は「デザイナー」として生きていく。
とすると、彼女は一つ一つの作品を、より一層本当に丁寧に見てくれた。そして、鏡の前でイヤリングを合わせながら、こう言った。
「お姉ちゃん見てたら、応援したなるわ。これ、一つもらうわね」
時間が止まる。わたしは一瞬頭が真っ白になった。
4,200円のイヤリング。が、売れた──
「あ、ありがとうございます!!!!」
売り場に響き渡る声で、わたしは泣きそうになりながら勢いよくお辞儀した。う、売れた──
突然パニックに陥る。えっと、どうすればいいんだっけ、売れたら、どうやってお金をいただくんだっけ、梱包もしなきゃ──
わたしがあたふたとしている状態を見て、さっと仲介会社の担当者さんがサポートに来てくださる。お客様をレジにご案内くださり、その間に商品をおつつみしてくださいね、とのことだった。震える手でラッピングする。ギフト包装に、なんて言われていないけれど、嬉しくてリボンをかける。手が震えて、うまく結べない。
それは、オンラインショップの奇跡とはまた違う、手触りのある、温かい売上だった。何者でもない私を、「応援したい」という気持ちで選んでくれた。こんな嬉しいことがあるのだろうか。
「何も予定なくハルカス来たんやけど、こんな嬉しい出逢いがあって、来てよかったわ。お姉ちゃん、頑張ってね!」
お姉さんのとびきりの笑顔に、またわたしは泣きそうになる。涙を堪えようとしながら明るくお礼を伝えようとして、変な顔になった。そんな私をみてお姉さんはまた笑う。深く深くお礼をして、その方の姿が見えなくなるまでお見送りした。彼女の人生に、わたしのアクセサリーが仲間入りした。名前もしらないお姉さんの、人生の中に。
彼女は、わたしの存在をちゃんと認めてくださり、わたしを応援したい、といって買ってくださった。他の誰でもない、私が作った、ということに価値を感じてくださった。こんな幸せ、あるだろうか。
これを感じたかったんだ──
見送ったあとも、しばらく呆然としながらお姉さんが歩いた見えない足跡を眺める。そんな私を、一緒に出店していた周りのブランドの方々が「おめでとう!」と祝福してくださった。
わたしは、ここで生きていきたい──
──
その日を皮切りに、私のブースには幸運の連鎖が起きた。 関西に住んでいた時代の友人知人たちが、SNSの告知を見て次々と会いに来てくれたのだ。周りの出店者さんから「お友達、めちゃくちゃ多いですね!」と驚かれるほど、人の波が途切れなかった。
そして、あの「奇跡」も、ちゃんと繋がっていた。 以前、電話をした百貨店出店をしているアクセサリーブランドの先輩。彼女が、近鉄百貨店のバイヤーさんに「私の友達が、偶然、同じタイミングで初めて出店してるんです」と話してくれていたのだ。
そのバイヤーさんは初日、すぐに私のブースを訪ねてくださった。
「ええやん、可愛いなあ」 気さくな関西弁で褒めてくださった。見ていただけること自体が嬉しい。「もうこんな少なくなって、売れてるやん、すごいやん」と、すかすかのディスプレイを見ておっしゃる。「あ、違うんです、これは」と訂正しようとする私を牽制しながら「謙虚やねえ」と、商品をじっくり見ながら微笑んでくれる。実際元々の準備数量が少ないからだ、とは口に出せず、もごもごする。売れてるやん、を事実にしたい。
「ひとみちゃん、ブライダルもやってるんやって?」
近鉄のバイヤーさんが、すでにもう私の名前を知ってくださっているということに一瞬理解が追いつかずびっくりする。そして、「何かあるかもしれない」と念の為準備してきていたポートフォリオをお見せした。その中には先日のハイブランドへの納品実績の写真もあり、そのハイブランドの名前もちゃっかり載せていた。バイヤーさんは、そのブランド名を見て目を輝かせ、 「すごいやんか〜!⚪︎⚪︎ちゃん(そのアクセサリーの先輩)とお友達なんやろ?そしたら、二人で、うちでイベントやったらええやん」
やったらええやん、が、どういう意味なのか掴みきれなかったが、どうやら何か、いい方向に進み始めているらしい。「メールアドレスちょうだい。連絡させてもらうね」と、話はどんどん進んでいく。え、これ、もう次の出店決まりかけてる……?あわあわと準備していたすりたてほやほや、自作のA-one用紙で印刷した名刺を渡す。
仲介会社さんなしで、直接百貨店さんと取引できるかもしれない──
細かいことだが重要なので書いておくと、仲介会社さんを通して初出店したこのイベントでは、売上の50%を手数料として支払い、50%が私の手元に残る形だった。掛け率50%。フルで店頭に立って、である。4000円を売り上げても、手元に入るのは2000円。そこから材料費を引くと絶望的な薄利だ。非常に厳しい条件ではあるが、コネもツテもないブランドが、まず繋がりを作る、という意味においては「機会を買う」先行投資であることには違いない。事実、この出店をしたことで、芋づる式に次々とイベントのお誘いが増えて行った。
百貨店さんと直接契約できるとなると、掛け率は少なくとも、70%まであがる。4000円売り上げたら、2800円が手元に残るわけだ。一点あたりで考えると小さな違いだが、1週間の売上、となってくると相当な違いが出てくる。この、百貨店のバイヤーさんから直接お声がかかった、ということは百貨店直接契約ができる、ということだ──
信じられなかった。 あの時、収穫ゼロだと思った一本の電話が、こんな形で、次の仕事に繋がるなんて。 一本目のポップアップで、二本目のポップアップが決まったのだ。なんだか良い流れが来ている。未来が、ある。そう思えた。
──
ありがたいことに、たくさんの友人知人、そして、初めて目に止めてくださる方々のおかげで、毎日どんどん売れて行った。商品はあっという間に足りなくなる。10時〜20時の営業時間、1時間の休憩時間以外は、9時間休みなく一人で立ち、一人で接客し続ける。その後帰宅したら、その日売れた数量以上を睡魔の限界まで制作し、翌日持ち込む。
明らかに異常な稼働量だが、この時は若さも体力もあったのか、アドレナリンが大放出されていたからなのか、ふらふらになりながらも全力が出せた。なにせ、改善するとそれだけ売上が上がるのだ。面白くてしょうがなかった。
──
そして、三日目のこと。出店者用のバックヤードの通路に、一枚の紙が張り出されているのに気づいた。なんだろう?とよく見ると、 「売上ランキング」と書かれている。 その日までの売上が、ブランド名と順位と共に発表されていた。2日目が終わった時点の売上らしい。私のブランドの名前は中間あたりに見つけた。
その瞬間、私の中で、新しい炎が燃え上がった。ワクワクする。
ここで、1位になりたい──
私はその日から、上位のブランドさんたちから「学ぶ」ことに決めた。 ディスプレイ、梱包、インスタの発信方法、そして、接客。 彼らは決してお客様に商品を売り込まなかった。お客様の持ち物を褒め、会話を楽しみ、その方に似合うものを、まるで友達のように、でも失礼なく提案していた。そのスタイルに衝撃を受けた。売り込んでない。
私も、真似をした。売り込むのではなく、目の前の方に興味を持つ。心を込めて、その人の素敵なところを探す。そう決めてから、お客様との会話が、驚くほど弾むようになった。
そして、私はもう一つ、自分の武器を見つけ始めていた。 初日、2日目、と時間を重ねるにつれ、ある知見が溜まって行った。「売れ線」が出てきたのだ。そうなると早い。これを徹底的に量産すればいい。
私は滞在先に帰ると、眠気の限界まで、その「売れ筋」のデザインを、ひたすら作り続けた。ゴールドとシルバーで。パーツを少しだけ変えて。確実な武器を、一晩で何十個も増やしていった。


色違い、パーツ違いで徹底的に量産した
──
4日目の売上ランキングで、徐々に売上ランキングの順位が上がって行った。POP UPの戦略が見えてきた。面白くてしかたがなかった。毎日わたしはそのランキングの紙を見ては、上位ブランドさんを徹底的にリサーチし、話し込み、その売上の背景を探った。
徐々に売上が上がっていく手応えを感じ始めた。後半、如実に売上が変わってきて、隣で出店していたブランドさんが、仲介会社さんに打診しているのが聞こえた。「あの人の隣で出ると売れなくなるから場所を変えて欲しい」
ちくりと何かが心臓に刺さる。複雑な気持ちになった。しかし、この時に感じた。一人勝ちしてもしょうがないんだ──
私は、周りのブランドさんも一緒におすすめしはじめた。これはその後もずっと意識して続けるようになったことだ。「maruoさん、私のブランドのものめっちゃ売ってくれる」と、他ブランドさんからその後のイベントで感謝されるようになったのは、この初出店での申し訳なさが今もあるからかもしれない。
──
最終日、イベントが終わり、一週間の総合売上ランキングが発表された。
私は手応えを感じながら、静かにひとり、
その売上ランキングの紙を見にいく。
ゆっくり1位のブランド名を確認する
1位 Hitomi Maruo Design
:
──っよし!!
聞こえるか聞こえないかの小さな声で、わたしは誰もいないその空間でガッツポーズをした。1位だ!!
初出店、初めて作ったアクセサリー。
そんな私のブランドが、
30以上のブランドの中で、1位となれたこと。
これは「この道かもしれない」「この方向に進んで良いのかもしれない」と思わせてくれる結果だった。
──
その結果を受けて、仲介会社さんから、すぐに次のイベント出店の話をいただいた。 こうして、私のブランドは「ポップアップストア」を主軸に、大きく動き出していくことになる。
まさか、自分がアクセサリーブランドをやっていくことになるとは。ヘッドドレスブランドとして始まったHitomi Maruo Designは、POP UP出店を機に、自然とアクセサリーブランドへとグラデーションのように変化していった。
そして、この7日間で、私はお金よりも、売上ランキング1位という結果よりも、もっと大切な、生涯の武器を手に入れた。
それは、「お客様の顔を見て、直接届ける」という、何にも代えがたい喜びだった。
<つづく>
執筆後記
「ハンドメイドブランドをはじめたのですが、どうすれば百貨店出店できるんですか?」この質問は、ブランド運営をしてきた11年で、最も多く受けてきた質問かもしれません。
私がブランド立ち上げ当初、同じように疑問を持ったからこそ、その気持ちはすごくわかります。そんな方に今回の記事は大いに参考になると思うのです。
今でも「百貨店 出店 ハンドメイド ブランド アクセサリー」でGoogle検索すると、たくさんの百貨店出店仲介会社さんがヒットします。いくらでも出店できるルートがあるんですね。試しに上記の文言で検索してみたら、私がお世話になった仲介会社さんが今でも、いくつかヒットしました。
こうしてまずは、仲介会社さんを通して百貨店さんへの出店実績を積みながら、確実にファンを増やしていくことで、百貨店さんとの直接契約の道が見えてきます。仲介会社さんを通すことのメリットは、無名のうち、自分では開拓できない百貨店さんや商業施設さんへ出店できること。そして、百貨店出店がどういうものかを経験できること。同タイミングで出店する別ブランドさんからたくさんのことを学べること。あげればキリがありません。でも同時に気を付けるべきは、掛け率です。
本文にもリアルな数字を記載しましたが、掛け率50%は正直永遠に出店できる数字ではないので、趣味ではなく本業でやっていきたい場合は、どのタイミングで関わる企業さんを変えて行ったり(中には60~65%以上の場所もあります。60%でもかなり苦しいのには違いないのですが……)、オンラインショップとの売上のバランスなどしっかり考える必要があります。でないと、めちゃくちゃ売れているのに全然お金が増えない、むしろ出店経費で赤字になっていく、という負のスパイラルになってしまうことが起こってしまいます。
とはいえ、まずはこういった仲介会社さんを通して、百貨店出店を経験してみるのは、ブランドを成長させていく上での一つの選択肢になると思います。というのも、直接会って接客をさせていただく、というのは、とてつもない強力なエンゲージメントを作れるんですね。インスタでたまたま見つけてフォローしてくださった「1フォロワー」と、接客をし、お話しし、時間をともにしてからフォローしてくださる「1フォロワー」さんは、ファンの深さがまるで違う。そして、ブランド運営を続けていく上で重要なのは、後者のような「ファン」と呼べる方を増やしていくこと。
わたしが思うに、社員さんやスタッフさんなど雇わず、一人で運営していくブランドであれば、100人の濃いファンがいれば、そのブランドは生きていける、と感じています。だからこそ、フォロワー数を増やす、よりも、100人の濃いあなたのブランドのファンを作る、ということに注力することのほうが、あなたが楽しく長くサステナブルにブランドを続けていくことに直結すると、私は経験上確信しています。その100人の濃いファンを作る上で、百貨店出店、直接の1対1の接客は最強にパワフルです。
今日の内容が、これからブランドをやられたい方や、百貨店出店をしてみたい方の少しでも参考になりましたら幸いです。
今日の文章が「よかった」とか「次も読みたい」、と思っていただけたら「スキ」を押していただけますと、執筆の励みになります。
いつもありがとうございます。
毎週土曜日に、週の日記を更新していて、
この記事の連載、人生の物語は毎週火曜日18時に更新しています。
また来週、お会いできましたら幸いです。
続編はこちら
