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何者でもない無名の私が、"誰か"になれた日のこと|パリ・ベルギー買付記録

9年前、たった“1メートル四方のブース”が、私の人生を大きく動かすことになるなんて。

模索の中で出会った、パリのヴィンテージを使ったコスチュームジュエリー。成果も実績もほとんどない。当時のフォロワーは1000人にも満たない。

そんな無名の私に、ある日突然“取材の依頼”が舞い込んだ。

そこから始まったのは、夢と現実の狭間で揺れながらも、
私は本当にこの道で生きていくんだ
と小さな火が灯っていく旅だった。

人生の車輪が静かに、でも確実に動き始めた瞬間の日のこと。

この記事は、私の人生を振り返る連載の第12章です。

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2016年 10月 27日 (木) 今から丸9年前、27歳。

パリのヴィンテージを使ったコスチュームジュエリーを実際に試し販売してみよう、と出展したHMJ(ハンドメイドジャパン・フェス)。実はそこで、夢のような依頼をいただいた。

それが、本の取材だった。今でもあれは奇跡だった、と思う。

パネルを使って会場で、自分のブースを目立たせることに成功した私のブランドは、とんでもない方の目にまで泊まってしまったのだ。本の編集をされている方から「ハンドメイドアクセサリーの本を作る企画があり、maruoさんを掲載させていただきたい」というご連絡をいただいた時には、嘘かと思った。

ブランドを立ち上げ、まだ1年ちょっと。たいした成果も出していないし、フォロワーさんも1000人もいない。私でいいのだろうか。

しかし、私の接客をみていただいたようで、「とても素敵なお人柄が伝わってきて、ぜひmaruoさんにお願いしたくて」とありがたいお言葉を言っていただけたのだ。断る理由がない。私はありがたく引き受けることにした。

どこにチャンスが落ちているか、本当にわからないものだ。

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取材は、2度目のパリ渡航の前日にあった。ドキドキしながら指定されたスタジオに向かう。

初めて訪れる本格的な雑誌の撮影スタジオ。さらに、関わってくださったライターさんは、私が学生時代に憧れていた雑誌のライターさんだった。大好きだったモデルさんの裏話を聞いて、ときめいたり、リアルなお話をきいてああ、聞かなければよかった、と後悔したり。そんな、業界の中に足を片足突っ込めた瞬間でもあった。

持ち込んだアクセサリーの撮影が着々と始まる中、同時進行で私へのインタビューが始まった。ライターさんは私からの回答をそのまま文字に起こして書いていく。とても速い。

隣では手際よくカシャカシャと撮影が進んでいく。すごい効率だ。

そんなプロフェッショナルなテキパキしたお仕事を横目に、緊張しながらディレクターさんのご質問に答えていく。その答えをライターさんが文字にする。しかし、自分の回答がとても浅くて、薄っぺらい。こんな私の取材なんて誰が読むんだろう、と話している最中に落ち込み始める。

しかし、ディレクターさんもライターさんも、さすがのお仕事で、原稿を少しみさせていただくと、なんともそれらしい感じになっていて、私が話した拙い内容がとても読みやすく、わかりやすく整理されていた。プロのお力に呆気とられる。すごい。魔法みたいだ。

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撮影とインタビューは数時間で終了し、翌日から始まるパリでの買い付けでのお写真を何枚か提供することになっていた。自分の希望でいくパリが、本当にお仕事みたいになってきた。すごい。そんな事実が嬉しい。

翌日、私は4ヶ月ぶりのパリへの飛行機へ乗り込んだ。

まだ全身黒装束の時代

今回も経費削減で中国系のエアラインでフランスへ。トランジットは上海だ。ここで、全てのモバイルバッテリーがセキュリティチェックで没収され、パリに行けるワクワクと落ち込みで複雑な表情のわたし。

パリ買い付けは、この時まで彼と一緒に渡航した。彼は3度目のパリ。パリはもう見るところがない、ということで、ベネルクスを回るらしい。パリへは一緒に飛ぶが、現地では別行動。なんだかこの自由さが本当に、心の底から嬉しい。

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長い長いフライトを経て、夜、パリへ到着。今回は少し成長して、パリ中心地まで一本でアクセスできるロワシーバスを使った。ロワシーバスの終着点であるオペラ・ガルニエ宮に降り立ち、ああまたパリに来れたんだ、と嬉しくなる。

オペラ・ガルニエ前にて

もう2度とくるもんか、とパリに初めてきた4ヶ月前に思ったばかりなのに。また、こんなありえない頻度で来てしまった。まだ夢のようだ。

今回は2回目のヨーロッパ、ということで、別の国にも足を伸ばして買い付けをしてみようと考えた。調べると、ベルギーがとても近いらしい。そんなわけで、パリとベルギーのブリュッセルで買い付けをすることに。まだ旅慣れしていないので、ちゃんと予定通り回れるだろうか。

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翌朝、ホテルで朝食をいただき、彼とはここでしばらくお別れする。「じゃあ、後日ブリュッセルで」と早々にバラバラに行動をスタート。初日から買い付けに回る予定だ。

そして、あの心ときめく蚤の市へ。

古い雑誌と、壊れたり片耳しかないイヤリングに出逢えた。

さらに、ここで今後長年愛用する、ヴィンテージの版画を入れるケースに出会う。この木枠にパーツを入れたら、最高に素敵じゃないか。

買ったはいいが、なかなかに大荷物

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夜は、学生時代の友人と会うことになった。今服飾関係で留学しているらしい。パリで会う人がいる。そんな些細な事実が、たまらなく嬉しい。

パンデミックを機に、もうなくなってしまったレストラン。素敵なところで、その後何度もリピートさせていただいた。

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パリで蚤の市を回った後、初めてのベルギー、ブリュッセルに向かう。パリ北駅からタリスという列車へ乗り込む。3時間もかからず到着する上、ヨーロッパなのでパスポートコントロールもない。ヨーロッパの旅のしやすさにただただ驚く。

パリ北駅

ドキドキしながらも、なんとか無事にベルギーに入国できた。しかし、びびりすぎて、なかなかスマホを取り出せない。というのも、ブリュッセル・ミディ駅の治安がパリで見てきた治安のそれとも違ったのだ。

明らかに薬でおかしくなってしまっている人や、大声で叫びながら同じところをぐるぐる歩き回っている人、完全に大麻だな、とわかるにおいで溢れているところを半泣きになりながら通り抜ける。

タンタン発祥の国らしく、いたるところにほんわかしたタンタンのイラストが点在しているが、その隣のガラスがこの世の終わりぐらいバキバキに割られている。実際目の前に広がるリアルな世界は、完全にほんわか度ゼロ。そのコントラストが、タンタンを不気味に見せた。完全にお門違いな受け取り方だが、それくらい衝撃だった。こわすぎて、お金に余裕はないがホテルまでタクシーを使うことにする。背に腹は変えられない。

タンタン

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ベルギー・ブリュッセルは、総じてパリより物価が安いようだ。ホテルの値段も、パリと同じ値段を出すとかなりランクが上がる。

自分のお金で、こんなラグジュアリーなところに泊まれるようになるなんて……と、少し前まで絶望的な貧乏だったのでしみじみしてしまう。とはいっても、一泊1万円ちょっとなので、全く法外な値段ではない。ベルギーの物価の安さのおかげだ。

写真をしっかり撮っていないのが悔やまれる。ここもコロナを機に休業してしまった。めちゃくちゃ可愛いホテルでブリュッセルの定宿だったので切ない。

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買い付けは、ブリュッセルでも蚤の市を回ることに。スリ対策でびびりすぎて、街中でスマホを出せず、蚤の市での写真がほとんどない……。

ブリュッセルの蚤の市は、ジュドバル広場というところで、ほぼ連日開催されているらしい、と調べた情報で出てきた。平日で蚤の市をやっているのは割に珍しいし、土日はパリの蚤の市を回っていたので、月曜日に移動しても蚤の市にいけるのはありがたい。しかし治安は正直なところ良いとは言いがた。ここもマリファナのにおいで充満している。

ここの蚤の市は、いわゆるガラクタ市だ。この先出会う、同業者(アンティーク・ヴィンテージバイヤー)さんたちと話していると、「え!maruoさんもジュドバル行くんですね。(目当てのもの)あります?」とびっくりされることが多い。

確かに雑多な蚤の市。きれいなアクセサリーはない。アクセサリーってこんなに絡まるんだ、とびっくりするようなネックレス(だったらしきもの)の塊とか、ぐちゃぐちゃに壊れたり汚れたりしているアクセサリーばかり。わたしはそれらを綺麗に洗って、ひとつひとつ手入れして、綺麗にしてアクセサリーにした。この掘り出し感と、磨けば輝く感、が楽しかった。

ジュドバルでガラクタの中からトレジャーハントしたアイテムを抱え、ホテルに歩いて戻る。ジュドバルの大麻のにおいのせいだろうか、なんだか頭がクラクラするような気がする。喉もいがいがしてきた。なんだろう。

ジュドバルからホテルへの帰り道、隣は美術館。

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ベルギーはワッフルとビールが有名らしい、と聞いて、ひとまずタッチしてみる。こうして一人でカフェに入れるようになったことがとてつもない成長だ。

ビールが安い。(今はもうアルコールを辞め、ソーバーキュリアスになったが、とにかくビールが大好きだったこの頃)ビールが安くて幸せだ。しかし、なんだか頭がどうも痛い。喉の痛みも増してきた。おやおや、これはもしや……。


ヨーロッパに来ているが、観光らしいことはほぼしていない、と気づき、撮ってつけたようにグラン・サブロン広場に足を伸ばす。しかし、このあたりから体調の様子がおかしくなってきた。のど飴だけ買ってホテルにそそくさと帰る。

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翌日、完全に風邪を引いた。しかも、声が出なくなるくらい久々のひどい風邪だった。高熱が出て動けない。海外に来て体調を崩すしんどさを初体験する。薬も何も持っていない。困った……。

ちょうど、このタイミングで彼とブリュッセルで合流。彼に頼み込んで、薬を買ってきてもらう。こういう時、誰かと旅に来ているとありがたいな、と感じる。しかし起き上がれないくらいきつい。なんの風邪なんだ。とにかく喉が痛い。

せっかくのヨーロッパ、大金叩いてベルギーまで来ているのに、1日を風邪で無駄にすることがとっても悔しい。今日も買い付けにまわろうと思っていたのに。気持ちはどんどん落ちていく。とはいえこれ以上ひどくなっても後に響いたら悲しすぎるので、今日は徹底的に休もう、と決める。

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彼が買ってきてくれたベルギーの薬のおかげもあってか、翌日、熱は引いた。喉は痛いが、喉くらいならなんとかなる。ほっ。数日間の滞在を終え、ベルギーを後にしパリへ。また彼とは別行動。

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タリスを待つ間、スタバへ。自分の名前を伝え、お兄さんはOKOK、とウインクしながらカキカキ。受け取ると、名前は「tomi♡」になっていた。tomi、という文字と♡が可愛くて思わず笑ってしまう。これをHitomiって書いてもらえるようになったら、一人前だな。ひとつの目標ができる。


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パリに戻って、前回のパリ買い付けで大変お世話になったShigekoさんのお店Chez Dentellesへ。パリに会いたい人がいる、という事実。なんて嬉しいことなんだろう。

可愛い店内

4ヶ月ぶりに会うShigekoさんは相変わらずオレンジ色の空気。会うだけでとっても元気になる。

本の取材で、ぜひShigekoさんのお店も載せさせていただきたかった。そんなお願いをしたところ、ご快諾くださり、スマホでぱしゃぱしゃと撮らせていただく。「こんな短期間でお越しになられて、取材もあって、すごいわね〜」とShigekoさん。確かに、自分でもこんな4ヶ月というスパンで、またパリに来れるなんて思ってもみなかった。

でも、そうでもしないとブランドが続けられない、という危機感の方が強かったのが正直なところだ。貯金もほとんどないが、それでもパリでヴィンテージを仕入れたかった。

そして何より。パリに会いたい人がいる、というのがとても嬉しかった。会いたい人に会う。会いたい人になる。わたしも、会いたいと思われるような人になりたい、とぼんやりと思う。

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シェ・ダンテルがある、ランビュトー通りでカフェ(エスプレッソコーヒー)をいただく。パリジャンに混ざってコーヒーを飲んでいると、まるで自分がこの世界に溶け込んだかのような感覚に襲われ、それは至福だった。

買い付けたヴィンテージたち。

この生活を、少しでも長く続けたい。パリの景色を眺めながら思う。こうして、ヨーロッパに来るスタイルを、続けたい。3ヶ月後にまた、ヨーロッパに来ることを誓う。

初めてのパリでの買い付けでの仕入れ量を反省し、今回はありったけ買い込んだ。3ヶ月、なんとかもつだろう。帰国したら翌日からすぐに、新宿ルミネさんでのPOP UPがスタートする。

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このようにして、ヨーロッパで買い付けをして日本で販売する、というブランドスタイルが確立していった。自然にそうなった、というより、ある種強制的に、次の旅のスケジュールをブロックし、その日にまたヨーロッパにいけるように、日本のPOP UPで販売し、売上をつくってそのお金をまたありったけヨーロッパで使う。

この時の買い付け時も、ブランドのことばかり考えていて、せっかくヨーロッパに行ったのに、自分のための何か、はひとつも買っていなかった。帰国してから、「パリで自分用には何を買ったの?」と人に聞かれて気づいたくらいだ。

自分のための何かを買うくらいなら、全部仕入れ代にまわしたい。そして、自分のためにお金を使うよりも、このブランドに投資する方が、明らかにリターンが生まれる。そんなことを思っていたのかもしれない。

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そして、取材いただいた本が、帰国後2016年12月に発売された。
現在では、Kindle Unlimited で無料で読めるよう。

掲載いただいた誌面

自分自身がどーんと1ページに掲載されるなんて人生初めてのこと。なんだか、この中にいる自分が自分でないような気がした。

掲載いただいた誌面

いつまで続くかわからないハンドメイドブームの中で、いかに他と差別化できるかが重要。「夢は自分のお店を持つこと。それまでには、ハンドメイドという切り口ではなく、1人のアーティストとして自分の立ち位置をしっかり作っていきたいです」

誌面より

当時からハンドメイドで戦っていてはいけない、という危機感がずっとあった。それをそのまま吐露している。一人のアーティストとして、自分の立ち位置をつくること。まだまだそれは道半ばだが、なんとか今も生きているよ、と27歳の私に伝えてあげたい。

撮影には、もちろん大好きな、自分の信念が重なるmame (現在のMame Kurogouchi)のワンピースを着て行った。私の戦闘服。





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雑誌に載ったことそのものが嬉しかったわけじゃない。

“無名の私でも選ばれることがある”

その事実が、心の奥に火をつけた。

パリでひとり買い付けて、蚤の市で宝物を探し回って、手を真っ黒にしながら洗い、磨き、つくり、売る。

大袈裟じゃなく、あの雑誌の1ページは、
私にとって
「もう逃げない」
という誓いの証のようだった。

“誰にも相手にされない無名の私”が終わっていく。
そう確かに感じたのだ。

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本に載ったからといって、何かが劇的に変わったわけじゃない。
相変わらずお金はギリギリで、貧乏圏内を脱しているとは言い難いほど貯金がなかったし、相変わらず小さな不安を抱えたまま。

だけど
「この道を進んでいい」

そんな小さな確信が、静かに胸の奥に灯っていたのも事実だ。

行けるところまで行ってみたい。

そして、名実ともに、ハンドメイドの枠を、飛び越えたい。「ハンドメイドアクセサリーBOOK」というど真ん中「ハンドメイド」の代表として載ってしまったようなこの書籍掲載。

それは喜びと、揺るぎない覚悟をくれたきっかけとなった。

そして、数ヶ月後、私のブランドに、とある「爆発」の兆しが訪れる。ブランドが異常事態に入る直前の、嵐の前の静けさのような出来事。あの時から、maruoというブランドは私の手から離れて行ってしまった気がする。苦しい時期が始まる。でも、この時には、まだそんなこと、知る由もなかった。

<つづく>



本日もお読みくださりありがとうございます。本文で言及した雑誌、ムック本はこちら。Amazonのレビューが鬼悪すぎて()、掲載いただいた身として実力がなく申し訳ない……と編集者さんやご協力くださったライターさん、カメラマンさんにめっちゃ申し訳ない気持ちです。。Kindle Unlimitedで無料対象作品になってましたので、9年前の私の様子を、気になる方はどれどれとみていただけましたら幸いです。8ページくらい特集してもらっています。

改めまして、素敵なご縁をいただけたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。

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いつもありがとうございます。


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また来週、お会いできましたら幸いです。



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