フォロワー800人、月商100万円の裏側|池袋で泣いた日
わたしは、今でも池袋駅が苦手だ。
午後18時。JR池袋駅は、人で溢れている。
気をつけないと誰かとぶつかってしまいそうなくらい、溢れている。
池袋のパルコから、逃げるようにして出てきた私の目の前には、自分の売り場の閑散とした空間が嘘みたいに、視界を埋め尽くす人の波。数時間経って、あまりにもお客さんが来なくて、心が折れて売り場を後にした。
世の中にはこんなにもたくさんの人がいる。
目の前に広がる嘘みたいな現実に、悔しくて涙が出る。
こんなにも人通りがあるのに、私のブランドの前で足を止めてくれる人は一人もいない。
悔しかった。
私、ブランド続けられるのかな。
池袋の人混みで、しばらく私は動けなかった。
この記事は、私の人生を振り返る連載の第11章です。
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2016年8月。27歳。 今から、9年前。
ドキドキしながらも、夢中になって作り上げた新しいライン、パリのヴィンテージを使ったコスチュームジュエリー。思わぬご好評をいただけて、確かな手応えを感じた。自分が接客をしなくても売れるものが、やっとつくれた。ひとつ、成長を感じる。
そして、気づけば早いもので、フリーランスになって1年が経っていた。
2015年7月20日にブランドを立ち上げ、紆余曲折ありながらも、パリのヴィンテージジュエリーという、私らしい方向性を見つけられた。まだまだ安心とはいえないものの、1年前、自分の名前で生きることなんて夢物語だった。大躍進といっていいだろう。私の人生の中、という小さな物語の中で、の話だが。
facebookに、フリーランス1年目の記録を正直に書いた。
27歳の私にとって、自分の名前で生きる、ということはあまりにも骨の折れる出来事の連続だった。1年が1年以上に思えるほど濃密だった。これまでの記録で書いたように、作品を「おもちゃ」と言われて号泣したり、セクハラまがいのことをされたり、フリーランスと名乗ってバカにされて爆笑されたり。悔しいこともたくさんあった。でも、この時には、悔しくてそれを、リアルタイムで書けなかった。だから、ちょっとオブラートに包んで書いたことを覚えている。



たくさんの方から励ましと応援のメッセージをいただけて、なんとか1年、死なずに生き延びてきたことを、ようやく自分でちょっと肯定してあげられた瞬間だった。
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そして2016年8月。
POP UPで、2度目の地元・関西へ。憧れの難波高島屋さん1F、正面玄関入ってすぐというとんでもない好立地での出店だった。

小さい頃から通い、ずっと大好きだった場所が、この難波高島屋だった。南海線沿いに住んでいた祖母と会うのも、決まってこの難波高島屋。大人になってからも、私はよく高島屋の正面玄関を待ち合わせ場所に指定していたくらいだ。恋した人とも、よくここで待ち合わせした。そんな、思い出がありすぎる場所で出店できるなんて。フリーランス2年目を静かに迎えた自分っへの、ご褒美のようだった。
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パリのヴィンテージのシリーズは、大阪でも人気だった。たくさん知り合いも訪れてくれて、懐かしい人たちにもたっぷり会えた1週間。大阪のイベントは、友達といっぱい会えるから楽しい。

maruoのイベントのスタッフ第1号になってくれた存在でもあります
そして、この大阪遠征は、2週連続でのPOP UP。高島屋さんでのPOP UPが終わると、次は、私の百貨店初出店のご縁をいただいたあべのハルカス近鉄本店さん。
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地道に1対1の接客を続け、フォロワーさんは800人を超えた。
2016年8月13日。独立から、約1年。

フォロワー1000人以下でも、POP UPを中心に出店しながら、月商100万円を超えていた、というのはわりと希望の持てる話ではないだろうか。ハンドメイド、という言葉を使わず、ハンドワーク、という言葉を選んでいるあたり、当時の私のプライドを感じる。
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しかし、内心かなり焦っていた。
パリのヴィンテージが、いよいよパーツの在庫が尽き始めていたのだ。パリに行かない限り、追加のパーツがないから売れ線が作れない。
今までは日本で手に入るもので作っていたので、売れ線に合わせて即日追加分を制作し、翌日入荷、というサイクルが回せていた。しかし、物理的にパーツがないので作りようがない。じわじわと機会損失が生まれ始めているのを感じ始めていた。
ハルカスさんでのPOP UPで、いよいよ目玉と言えるものがない、と焦っていた時。手持ちのパーツを必死に組み合わせ、なんとかありもので捻り出して生まれたのが、このあと、maruo vintageの売上をとんでもなく支えてくれるベストセラーとなるデザインだ。

初めて商品に名前をつけたアイテムだった。
美しいシェルボタンは、パリのシャネルのアトリエから出てきたデッドストックボタン。シャツの色に合わせひとつひとつ染色されたというその色味は、印象派の絵画のように光の加減で見え方が変わる。パーツ自体に魅力も吸引力もある。しかし、そもそもシンプルなシェルボタン。"わかりやすいおしゃれなデザイン"に昇華できず苦戦していたが、ピンタレストで海外のいろいろなアーキテクチャ画像を探していた時にインスピレーションを得た。
デザインをするときは、なるべく自分から遠いところでソースを集めるようにした。というのも、ちまたでは「大ぶりイヤリング」が流行りはじめ、ハンドメイドブームの波がきていた頃。Instagramで流行っているデザインをインスピレーション源にしては、「どこかで見たことがある」ものになってしまう。差別化もできない。わたしは、同業と思われるアクセサリーのブランドの投稿をできる限り見ないようにし、自ら浦島太郎になるように情報をシャットダウンしていった。
そんな中で生まれたのが、このデザインだ。名前をつけたのはしばらく経ってから。定番として何度も作らせていただくことになってから、Lumière(ルミエール)、フランス語で光、と名付けた。シェルの反射から、という意味はもちろん、私のブランドを軌道に載せ、私が歩く道に光を当ててくれた存在だから、という意味もある。このアイテムは、私にとって、ブランドを救ってくれた光だった。

Instagramでシャネルでタグ付けして、シャネルのコスメで検索した方々が流入してくるように、あえて置き画にする。当時はタグでの流入がメインだったので、Instagramならではの戦い方を徹底した。

そして、この時期、Mame Kurogouchiもブランドとして成長期だった。さまざまなハッシュタグの中でも、 #mamekurogouchi からの流入と発見が多いことがわかり、ひたすらmameの服を着て、maruoをつけてアップしていった。そのことで、mame経由でブランドを知ってくださる方も確実に増えてきた。
そんな、地味だけれど効果が大きいハッシュタグ戦法を続け、おかげさまで、まとめサイトでも何度か取り上げていただいた。


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ハルカスでのPOP UPも無事に終了。
パリで仕入れてきたヴィンテージパーツが、もうない。とはいえ、まだ8月末。次のパリ買い付けは11月、まだ、渡航まで3ヶ月近くある。いったいそれまで、どうやって売上を作ればいいんだ・・・。
POP UPは、ありがたいことにあべのハルカス近鉄百貨店さんが終わったのち、東京伊勢丹新宿本店、池袋パルコ、新宿マルイさん、丸の内でのイベントと立て続けにお話をいただいていた。しかし、どう考えてもパーツが足りない。いや、正しくは、パーツはあるのだが、可愛いデザインが思いつかないものたちの集合体。パーツ自体は可愛いし最高に素敵なのだが、パリのあの時の興奮した状態で仕入れたものたちは、「いや、これどう使うねん」という、とんでもなく重いガラスのものなどが余っている。どうしたものか。
とはいえつべこべ言ってられないので、それらを使ってなんとか仕上げる。なんとか、あるもので作る。

結果的にこういうのがイケてるじゃん、となってきた
その頃は「アップサイクル(リメイク+付加価値をつける)」なんて言葉知らなかったわけだが、完璧なパーツがなかったおかげで、徐々に自然とアップサイクルをしていた。とにかく捨てるものはないように、全部のパーツを解体したり細かくしたりしながら作っていく。
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2016年9月。
伊勢丹新宿本店、催事場でのハンドメイドブランドさんの合同出店イベント。minneさんか、Creemaさんの主催イベントだったと思う。50cm×50cmくらいの、奥の奥の奥の方の小さなスペースで、1週間出店。商品ももう、売れ線らしきものは少ない。
しかし、この条件にしては上出来だ、といえる売上が作れた上に、連日たくさんの方が足をわざわざ運んでくださった。

そして、9月末。
新宿での出店後、立て続けに翌週、池袋パルコでの出店だった。

とても小さなスペースで、この写真に写っているのが全部だ。接客で私が立つと、私が邪魔になるくらい、小さなスペース。
正直、スタミナ切れしていた。
新宿でも、かなり無理をして売った感があった。
新宿でこんなに売って、そう遠くない池袋という場所で、お客様も被っているだろうことが容易に予想できる。
そして、珍しいヴィンテージパーツのアイテムは、ほとんど伊勢丹のイベントで売り切れてしまった。さらに準備時間も全くない状態でのスタート。パルコへ並べられたのは、同じパーツを使いまわした、似たアイテムばかりになってしまった。
インスタで告知しても、これまでのPOP UPのときのご反応と明らかに熱が違うことが伝わった。商品に惹きがない。いくらなんでも、立て続けに出店しすぎである。1ヶ月に2本POP UPをやるにしても、県を別にしないとお客様はほとんど変わらない。はやくパリに行って、パーツを買いたい。補給したい。もう無理だ。
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この池袋でのPOP UPは、販売スタッフさんがいるタイプの半委託出店というスタイルだった。自分が店頭に行って販売したら、その日の掛け率は上がる。しかし自分が不在だと、委託販売の掛け率になり、お支払い手数料が増える。つまり、できる限り店頭に行った方がいい、ということである。
しかし前日まで、7日間ほぼフルで新宿の店頭に立っていたため、体力もなかなかに限界がきていた。
池袋POPUPの初日、私は初めて、オープン時間に店頭にいなかった。自分が店頭に立つタイプのPOP UPで、初めてのことだった。
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JR池袋駅に到着したのはオープン時間に十分間に合う時間だった。池袋駅に降り立つのは、初めて。人がとても多くてびっくりする。このまま普通に店頭に向かえば、オープン時間にちゃんと間に合う。しかし、「誰も来ないだろう」というネガティブな予想が、私の足を重くした。少し寝坊をして朝ごはんを食べられていなかったので、駅構内で軽い朝食を取ろうとカフェに入った。もう、この選択をした時点で、オープンには間に合わない。
「本当にいいの?」
心の中でわたしが訴えかける。
「誰かきてくださったら、申し訳ないよ」
目の前には、290円の、激安のトーストと紅茶のセット。トーストを齧る。
私の内側で、もう一人の私が答える。
「でも全然インスタの反応もないし、ラインナップもかなり苦し紛れだし、もう誰もきてくださらないよ、きっと」
彼女の声は、大きかった。
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ゆっくり朝食をとって、紅茶を飲む。ほんのりとずっと、罪悪感を感じながら。せっかく池袋まで来て、何してるんだろ、と落ち込みながら。10:00を指すスマホの画面をじっと見つめる。10時だ。オープンの時間。
店頭にはオープンして15分後くらいに到着した。店頭にお客様は、誰もいなかった。「ほらね」と、私は心の中で肩をすくめてみせる。
売り場のスタッフさんが私の姿を見つけるやいなや、
「maruoさんですよね?ちょうど今お客様帰られたんですけど、オープンに合わせて来てくださったんです。maruoさんいらっしゃるって聞いてたのでお伝えして、お客様も少し待ってくださってたんですけど、お仕事の時刻的にもう行かないといけない、とのことでちょうど今入れ違いで帰られたところで」
彼女は申し訳なさそうに話す。何も彼女は悪くないのに。
わたしはその話を聞いて、対応のお礼と、不在のお詫びをしながら、因果応報なんだな、と思わざるをえなかった。
「どうせ誰も」なんていう思いで、私は怠惰を選んだ。その姿勢を、神様が戒めているようだ。自分のつい15分前の行動を省みる。ゆったり朝食をとっていた自分。言い訳なんてできない。せっかく貴重なお時間を使ってお越しくださったのに。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。今すぐ追いかけて謝りたかった。
聞かなくてもわかる。お客様は購入なさってないだろう。
自分が誠実に仕事に向き合っていれば、ちゃんと報われる。報われてきた。
でも、誠実に向き合ってなければ、結果は出ない。いくら願っても。
そんなことを悟る。
今日、ちゃんと笑顔で接客できるだろうか。
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初日はなんとか、ありがたいことにお客様がちらほらと来てくださった。
しかし、2日目。絶望的に、暇だった。まず、売り場の前を通る方がほとんどいない。そして、私自身が、全く集客できていない。
先週までの売上が嘘みたいだ。何十万も売れていたなんて、別のブランドの遠い話のように感じる。
わかりやすいパリのヴィンテージじゃないと、やっぱり売れないんだ。誰も欲しくないんだ。自分には実力がないことを痛感する。「パリ」や「ヴィンテージ」に助けてもらっているだけ。私にはデザインのセンスもなければ、知名度もない。そりゃそうだ。やれやれ、と思う。なんか勘違いしそうだった。私がすごいのかと思った。違う。パリとヴィンテージがすごいんだ。はやくパリに行きたい。じゃないと、また、私の存在意義がなくなってしまう。
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その日、私はあまりの暇さとあまりのいたたまれなさに我慢ができなくなって、ついに早退した。「委託の手数料で大丈夫です」と添え、スタッフさんに謝った。私がいた4時間程度のあいだ、販売できたのはたった1点だった。1点売れたことすら奇跡みたいだ。
空気が薄く感じる。早く、ここから出たい。
売れない現実が、痛烈に刺さる。そそくさと売り場を後にし、わたしは人でごったがえす池袋の街に出た。
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わたしは、今でも池袋駅が苦手だ。
18時を過ぎたJR池袋駅は、人で溢れかえっている。
気をつけないと誰かとぶつかってしまいそうなくらいだ。
池袋パルコから逃げるようにして出てきた私の目の前には、自分の売り場の閑散としていた空間が嘘みたいに、人の波が視界を埋め尽くしていた。やめてよ、と天を仰ぐ。なんでこんなに人がいるんだ。なんで。なんでなんだよ。世の中にはこんなにもたくさんの人がいる。目の前に広がる嘘みたいな当たり前の現実に、悔しくて涙が出る。
こんなにもたくさんの人がいて、こんなにも人通りがあるのに、私のアクセサリーの前で足を止めてくれる人はたったの一人もいない。
池袋の交差点の信号が青になり、人が流れるように動き出す。私は意味のわからない方角に、八つ当たりをする。人が少なかったら、自分を少しは慰められたのに。閑散としてたら、「売れなくてしょうがないよね」って「私のせいじゃないよね」って、私をなぐさめてあげられるのに。湧いて出てくる人混みに飲まれ、ボロボロと涙が止まらなかった。自業自得だ。初日の不誠実な態度が私に返ってきるんだ。
なんのために、わたしはアクセサリーなんて売ってるんだろう。アクセサリー、ってなんだろう。誰も目に止めてくれないものを売って、こんなことしてて、意味はあるんだろうか。街ゆく人はアクセサリーなんか、まるで興味がないように見える。みんな何かきちんとした目的に向かって進んでいるように見える。そんな目的ある人たちの光の強さで、私は消えてなくなってしまいそうだ。
私ブランド、続けられるのかな。
こんなの続いたら、やってけないよ。
池袋の人混みで、しばらく私は動けなかった。
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その後、残りの5日間、わたしは池袋パルコの店頭に一度も訪れず、委託で接客をお願いした。完全なる白旗だった。
今からどうあがいても仕方ないように思えた。だから切り替えて、再度作戦と計画を練り直すことにした。
渡仏まで1ヶ月ほど。パリに行って、次こそは在庫切れにならないように、日本にいる間に販売する分のパーツを十分に仕入れる必要がある。もう、お金なくなってもいいから、全部パーツに変えて戻ってきたい。今、いくら売上が作れても買えないならお金になんて意味がない。売れないブランドに戻るのが怖い。お金がなくなる方がましだ。
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パリ行きまで、最後に丸の内での2日間のイベント出店が控えていた。それがパリまでの日本にいる間の、最後のイベントだ。
私は改めてマーケティングとブランディングを練り直すことにした。ブランドのロゴを考えたり、見せ方を高級感あるようにする方法を試行錯誤したり、パッケージを作り直したり。細々した業務に時間を当てた。

この間、住んでいた武蔵小金井界隈からほとんど出ず、パリまでの時間を過ごした。
この時期、武蔵小金井にひっそりと佇む「自然館」という不思議なカフェを見つけ、入り浸った。いつも空いていて、いつも静かだった。限りなくボリュームが絞られた音で、スフィアン・スティーヴンスが流れている。ここで、甘いホットカモミールミルクティーにハマった。もちろん、スフィアン・スティーヴンスにも。とてもやさしい音と味が閉じ込められた空間で、池袋での痛みをゆっくりと溶かしてくれた。
立ち止まる時間の重要性を感じた。この間にディスプレイや売り方を練り直し、デザインも落ち着いて、手元にあるパーツで練り直した。

高級感を出すため、ずっとやめたかった「台紙にアクセサリーを取り付けて売る」のをこのタイミングでやめた。仲介会社さんを通して出店する際、ハンドメイド系のところは値札をつけないといけないルールで、「台紙につけて欲しい」と要望をいただいていたことで、この台紙スタイルをやめたくてもやめられなかった。しかし、そもそもハンドメイドブランドとして生きていきたいわけではない、とハッとして、その要望を出されるところでは出ない、と覚悟を決めた。
さらにこの時期、図書館でマーケティングの本を借りて、読み漁った。そこでの学びを経て、イベントの限定品を作った。それがこのバレッタだ。1万円以上の値付けなんて、挑戦だった。

さらに、このイベントからプチギフトサービスをスタートした。武蔵小金井の商店街の中のリサイクルショップで買い物をした時、「はい、これお土産ね」と紅茶と小さなクッキーをいただいたことがきっかけだ。びっくりした。そして、嬉しかった。ただのクッキーだったし、ただの紅茶。100円もしてないと思う。自分でも買える。でも、もらえると思っていないものがいただけたときの特別感ってこんなにもすごいのか、とびっくりしたのだ。すぐにメモした。「自分のブランドでもプチギフトサービスをする」と。
さらにこの時から、顧客様に向けた秘密のサービスをはじめた。
常連さんの中に、とんでもない量を買ってくださる、という方がちらほらといらっしゃって、その方がに向けた秘密のVIP商品を準備しはじめた。私が古着屋さんに行った時に「これ、表に出してないんだけど似合いそう」と奥から店頭に並んでいない商品を出してもらった、という経験がめちゃくちゃ嬉しかったことがきっかけだ。この「うしろからこっそり出すサービス」をVIPの方向けにやろう。これがVIPの方々にどハマりし、後々の売上の基盤を作るようになったほどだった。
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池袋パルコでは、1週間で10万円も売れなかったような記憶がある。
しかし、この丸の内での出店では、パーツがもうほとんどない、という普通に売ったら売れないという制約の中、見せ方を変え、じっくりと商品を準備し、販売戦略も変えたことで、2日間で30万円以上を作ることができた。
立ち止まること。そして、見せ方を工夫すること。価格に対して違和感を感じないディスプレイをすること。台紙をやめたらこんなに売れるのか、とびっくりした。そして何より、デザインセンスがない私だからこそ、「売り方」で戦うこと。それを改めて、骨身に沁みて感じたイベントだった。
池袋の涙は、無駄じゃなかった。
私は、この学びを携えて、もう一度パリへ行く。
今度こそ、本当の意味で、ブランドを次のステージへ進めるために。
<つづく>
【執筆後記】
夢中になって書いているこの人生の物語。未熟な文章ですが、それでも4-5時間があっという間に溶けてしまうほど、フロー状態に没入できる時間でもあります。お読みくださる皆様、ありがとうございます。
今回の物語には、ブランド運営における、いくつかの重要な教訓をしのばせました。
ターゲット顧客はどこにいるか?:「#mamekurogouchi」のように、自分のブランドと親和性の高い顧客が集まる場所を見つけ、そこにアプローチすることの効果は絶大です。今だと、Threadsが非常に伸びやすいのと、フォロワーさん外にリーチしやすいので、自分の属性に近い方に届くような投稿を意識してみましょう。
ピンチはチャンス:パーツ不足という危機が、「アップサイクル」という新しい価値を生み出しました。制約こそが、創造性をくれることを痛感しました。
立ち止まる勇気:走り続けるだけでなく、本文中での「自然館」での時間のように、一度立ち止まって戦略を練り直すことが、次の飛躍に繋がります。この辺りから、私が内省を入れ、経験を振り返り、その上でどう応用していくか、というサイクルができてきました。これ、後々学んでいって知ったのですが、経験学習サイクルというもので、自分の行動を振り返ってその振り返りをもとに、内省→抽象化→転用実践、というPDCAをまわすこと。これをすると、行動の精度があがるよね、というものです。
「売り方」もデザインの一部:商品だけでなく、価格、パッケージ、ディスプレイ、そしてプチギフトやVIPサービスのような「体験」全体をデザインすること。それが、ブランドの価値を高めます。
これらの試行錯誤が、今まさにブランドで悩んでいるあなたの、小さなヒントになれば嬉しいです。
今日の文章が「よかった」とか「次も読みたい」、と思っていただけたら「スキ」を押していただけますと、執筆の励みになります。
noteフォロワーさん800人を超えました!本当にありがとうございます。とても励まされます……!
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また来週、お会いできましたら幸いです。
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