存在条件工学 |Crystal Cosmology-Love Focus Approach Pre END
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目 次
第1章 オリジン編総括――3軸トリニティとプラトン立体
第2章 オリジン編総括――観察(LOOK)→認識(SEE)→洞察(WATCH)
第3章 オリジン編総括――ストラクチャーライン・モビリティライン・クオリティライン
第4章 エージェンシーレンズ(E.L.):主体策定観点
第5章 スケールレンズ(S.L.):階層判定観点
第6章 コンテキストレンズ(C.L.):背景照射観点
第7章 パーパスポジション(P.P.):動機付けによる見立て
第8章 バリューポジション(B.P.):価値観による見立て
第9章 ネイチャーポジション(N.P.):存在意義による見立て
第10章 3つのディレクション
第11章 愛の道編総括
第12章 一つのwill
リアタイでここまでお付き合いしてくださっている方々、本当にありがとうございます。今ここで、一つの思いを語らせていただくお許しを頂けるでしょうか。私自身、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。
現在連載している、この編の記述の「クランクアップ」の時期が、とうとう見えてきたのです。
先のオリジン編の記述が終わった後、本当は別の編へ進む予定でした。ところが、このクリスタルコスモロジー(この連載で提唱している、自分というフィルターを通して世界をどう編み上げるかという術としての「統合創造認知生成学:創造認知宇宙論」)は、
この先200年くらいの世界基準でのOSのインフラとして、世界に定着していくことが予想されています。また、今後50年くらいをかけて、世の中へ普及していくことも、あわせて考えてみました。
そうすると、もしもあなたが、本当に実践され、ご自身で取り入れられるだけではなく、他の人へ、世の中へ、この世界の捉え方を教えていかれたり、紹介されていこうとされる場合を考えると、どうしても、この宇宙論の骨格、背骨の部分を強化しておかなければならない、ということに直面したのです。
世の中には、「アーリーアダプター」という概念があります。「それが世の中に普及するかどうか」ではなく、「自分にとって価値があるか」で判断し、いち早く取り入れる層のことです。
その本質を一言でいうと、「ベネフィット(利便性)のために、リスク(不具合や高価格)を許容する先駆者」です。
その主な特徴としては、
・目利き:流行に流されるのではなく、技術の本質的な価値を見抜く力がある
・インフルエンサー:自分の体験を周囲に発信し、流行の「起爆剤」になる
・橋渡し役:一般層(マジョリティ)が安心して使えるように、フィードバックを通じて製品を磨き上げる役割を果たす。
ということが挙げられます。
このクリスタルコスモロジーは本質論であり、その具体論や応用論は無数に広がっていくでしょう。このアカデミーでの発信が、人類における「車輪」の発見であるとします。
紀元前3500年頃、メソポタミアで「ろくろ」が運搬用の車輪へと転用された当初、それがのちに世界を変える「タイヤ」になるとは誰も想像できませんでした。
19世紀にドイツのカール・フォン・ドライスが自転車の原型を発明し、1886年にカール・ベンツが自動車の特許を取得するまで、数千年の時を要しています。
このように考えると、海のものとも山のものともつかないこの認知リテラシーの枠組みも、数十年、数百年の時を経て、世の中に遍(あまね)く浸透していくはずなのです。
その月日を待たずとも、いち早く理解し、自らや周りの人たちの「希望の星」となる人が現れることは、決して不思議ではありません。
このように申し上げると、大げさに聞こえるかもしれません。ですが、今現在の世界の現状を見わたしてみましょう。
そこには、およそ世界を二分する勢力が、あらゆる分野に見受けられます。
思想、社会制度の上での東西の壁。
持つ者と持たざる者との、資本や豊かさの違い。
アカデミーとプラグマティズムの、お互いが全く他人であるかのように、そ知らぬふりを続ける深い溝。
本当にもったいなくて、つまらないことです。そうではありませんか。
学校の勉強は就職のためにして、社会人になったら、学問の追求も、自己の研鑽も、専門家以外の人は「はい、おしまい」。
「世の中の仕組み?昔は少しは、考えたことはあったかもね。」
ですが、あなたも聞いたことがあるでしょう。最貧国の子どもたちといえども、その日食べる食事を気にするよりも、最も望むことは「学び」であるということを。
世界中を見て回った人たちが、よく口にする言葉です。今日一日、食べることができないかもしれない、そんな過酷な状況にありながらも、子どもたちが一番望むものは、知識や知恵なのです。
私は、そのような場面を見るにつけ、彼らの眼差しから感じるのは、もっと奥深いものです。
つまり、せっかく生まれてきたこの世の中で、自分がいかに世界と関わり、どうやって自らを表現していくべきかという、根本の意欲や欲求の表れであると感じるのです。
これは、貧しい国の人や、子どもだけに限ったことではありません。本来、生きとし生けるものすべてが、自ずから持ち合わせる、生命の発露であり、永遠の習い性なのでしょう。
もしもこれらの分断された、それぞれの分野が手を携えることができるなら、社会のありようも、個人の生き方も、どれだけ明るく、どれだけ喜びに満ちたものになるであろうかということは、
誰の目にも明らかであり、心の底ではすべての人が待ち望む環境であるはずです。
このミッシングリングをつなぐ鍵こそが、このアカデミーにおいて常々お伝えしている「認知リテラシー」——すなわち、自分というフィルターを通して世界をどう編み上げるかという術です。
また、それをアクティベートさせたなら、その後だれでも必ず発揮される、自然界の創造の発露である「クリエイティビティー」にほかなりません。
もちろんそれを成し遂げていくのは、あなた自身の言葉と、体験と、気づきに基づいた、その人なりのオリジナルな手法によってです。
どこかで述べましたように、例えば算数の足し算の教え方についても、様々な方法や、例え方、語り方があることと同じです。
それがこの場合、つまりクリスタルコスモロジーでいう場合は、オリジン編で明らかとなった、認知世界では常に循環し、分離せず、対立もしない宇宙や世界。
それを、どうすれば主観と客観、自己と他者、過去と未来を対立させずに、主体的に引き受けていくことができるのか、という道筋になります。
それはあたかも、算数の教え方が確立していない時代に、足し算や引き算、掛け算、割り算というものを、小学校一年生くらいの子供に教えるとすると、どれだけ困難な道のりになるかを考えると、お分かりいただけるものであると思います。
たとえあなたが、学校の先生をされていない場合であっても、自分では理解している簡単な足し算や引き算を、お子さんや親戚の子どもに不足なく教えるとなると、それがいかに難しいことかを考えていただければ、より実感がわくのではないかと思います。
だからこそ私は、このクリスタルコスモロジーを単なる知識の伝達としてではなく、あなたがこの文章を読み進めるという「体験」そのものを通して、自然とその回路が体得されるよう、構成の隅々にまで骨を折って記述を続けてきました。
ですからもし、読み進め、学び進めるあなたが、分かりづらかったり、腑に落ちないところがあった場合、それはあなたのせいではなく、記述した私の責任であり、力不足、説明不十分であるとして、今はご容赦ください。
本来であれば、相互の対話を通して訂正や改善を行いながら、双方の学びを深めていかなければならないところですが、如何せん、まずは青写真だけでも提示しなければ、批判することも議論することもかなわず、こうしてひたすら書き進めている次第です。
また、この「認知リテラシー」による社会の分断の再構築は、ひそやかに時代が要請するものでもあります。
ですから、決してこの場所だけから世の中に普及していくものではありません。それゆえに、社会のインフラとして定着した後は、誰も学ぶ必要もなくなるはずです。
なぜなら、そのような環境に身を置くなら、一人の認知の在り方も、生まれながらに備わっていくはずだからです。
それは、私たちが普段話す「日本語」を取り上げてみても、同じことが言えます。
日本に生まれ育つなら、そこにすでに用意された、インフラとしての日本語という言語に触れるうち、誰も学ぶことなく身につけていきます。
学校の文法の時間になって、初めて、
「なるほど、名詞と動詞って違うんだな。」
「文には、主語と述語という関係があったのか。」
と、その特徴に気づくことになるのと同じです。
そのような環境になるのが、先にもお伝えしましたように、およそ200年後くらい。
占星術で言われるところの、現在の風の時代が終わり、次のステージである水の時代に入りかけるころには、すべての人たちがこの意識の持ち方が当たり前の世の中になっているであろうと、そのように予測されるのです。
さらに考えてみてください。
今私たちは、家に帰ると普通に靴を脱ぎます。ところが、もしあなたが、靴を脱ぐことをしない文化の国へ行って、
「家に帰ったら靴を脱ぐと、とてもいいよ。」
と話してみても、
「面白いね。」
「え、そうなの、きっと気持ちがいいんでしょうね。」
というリアクションだけで終わるのではないでしょうか。
しかし、その外国人のお友達が日本に遊びに来て、周りの誰もが家に帰ると靴を脱ぎ、あなたの家に上がるときも同じように靴を脱いで、しばらく生活してみたら、きっとその素晴らしさに気づくことでしょう。
実際、来日中にその習慣の良さに気づき、本国に帰ってからも続けているという話は、あなたも耳にされたことがあるのではないでしょうか。
そういうこともあって、まずは発見者自身が、のべつ幕なしに喚き散らすように、ひたすらこの場で、新しい世界の枠組みを述べてきた、といういきさつもあるのです。
さらに、もう一つ感慨があります。
それは、手掛ける当初から、この編の記述が最も困難を極めることが予想されていましたし、途中、泣きながら書き進めたこともありました。
それが、こうして終わりが見えたときには、私自身が
「いえ、もっとこの状況が続いてほしい。」
と思い始めてしまっているのです。
言葉にすると、名残惜しいのです。
それはちょうど、何千メートルかの頂を目指して、死に物狂いで足元だけを見つめて、一歩一歩と足を進めるうち、とうとう山の頂上が目の前に現れ、今までの道のりをふと振り返ったときの気持ちに、同じであるように思われます。
人の人生も、きっと同じなのでしょうね。
目標を目指しているとき、そこまでの道のりは、単なるマップに示された道のりやナビのルートのように思えるかもしれませんが、実はそれこそが人生の目的であるということ。
それが、本当に輝いていて、豊かさに満ちているとき、本当の幸せなのかもしれません。
この編に続く次の内容は、まさにそこを語っていくことになるのですが。
実際、私自身が、困難と見えたこの道のりの中で、本当に多くの気づきや発見があり、言葉に尽くせないほどの宝物を得ていました。
ですので、まだ見ぬあなたに、わずかながらでもお礼を申し述べさせていただきたく、このような場を設けさせていただきました。
あなた無しでは、ここまでたどり着くことができなかったことは、明らかです。 ありがとうございます。
心からの感謝と共に、引き続きこの先へと向かってまいります。
本当にありがとうございました。
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