見出し画像

存在条件工学 |Crystal Cosmology-Love Focus Approach vol.8 

目 次

第1章 オリジン編総括――3軸トリニティとプラトン立体

第2章 オリジン編総括――観察(LOOK)→認識(SEE)→洞察(WATCH)

第3章 オリジン編総括――ストラクチャーライン・モビリティライン・クオリティライン

第4章 エージェンシーレンズ(E.L.):主体策定観点

第5章 スケールレンズ(S.L.):階層判定観点

第6章 コンテキストレンズ(C.L.):背景照射観点

第7章 パーパスポジション(P.P.):動機付けによる見立て

第8章 バリューポジション(B.P.):価値観による見立て

第9章 ネイチャーポジション(N.P.):存在意義による見立て

第10章 3つのディレクション

第11章 愛の道編総括

第12章 一つのwill


今ここでは、あなたの世界というものを、「お家」というものに例えてお話ししてきました。
そして今度は、お友達とでも、身内の方とでも、それぞれが住んでいるお家について話しているときに、

「家って、私たちにとって、なんぼのものなのかな?」

という話題になることがあると思うのです。

前回は、「どんな目的で」という、世界の見立てについて一緒に見てきましたが、今回は、

「それって、何か価値あるの?」

といった、価値観についての見立てを、考えていこうと思います。


例えば、親元を離れるまで、小さいころから長年暮らしていたご実家が、ご両親もすでに他界され、いよいよ処分される、ということがあります。
多くの場合、そこに家族が誰も住むことがなければ、貸し出されたり、売りに出されたりすることになるでしょう。

もしも売りに出される場合、そこにどれだけ思い出があったり、思い入れがあったとしても、需要と供給の関係によって、経済的な価値だけを判断基準として売買されることになります。

時には、ヨーロッパの貴族の末裔が、先祖代々受け継いできたお城やお屋敷を、維持することが難しくなり、庶民からするととても手が出せないようなものにもかかわらず、驚くほど安い価格で売りに出している、という話を耳にすることもあります。

誰かに「売る」ということになると、現在の経済価値という見立てに、従わざるを得なくなる。
そういうことを、よく表しています。


しかし時には、たとえ古くなったお家であっても、この見立てから外れて評価されることもあります。

愛知県犬山市にある「博物館 明治村」には、よく知られた人物、あまり知られていない人物を問わず、明治時代を代表する人物や出来事に関係する数々の建築物が集められ、博物館として展示されています。

ここに移設されなければ、ほとんどの建物は、取り壊されていたことでしょう。

しかし、このように「明治を代表する文化物」として残されることによって、私たちは当時の文化や人間模様に思いをはせ、歴史を振り返るための教材として、それらを受け取ることができるようになります。

このような、世界や物事の見立てを、

バリューポジション(B.P.):価値観による見立て

と呼びます。


建築物としての「教会」においても、主にキリスト教を信じる人たちにとっては、前回取り上げたように、

・福音宣教
・典礼
・奉仕

といった目的に応じた、信仰対象としてのバリュー(価値観)が存在します。

しかし現在残っている多くの教会は、キリスト教信者以外にとっては、歴史的な価値を持つ建築物として受け取られています。
さらにそこには、明治時代の個人邸宅などとは比べものにならないほどの、美術的な価値も存在しています。

ここで、現存する教会の主な建築様式を見てみましょう。
一口に「教会」と言っても、各時代ごとに、代表的な五つの建築様式が存在します。

  1. ロマネスク様式(10世紀末〜12世紀)

  2. ゴシック様式(12世紀後半〜15世紀)

  3. ルネサンス様式(15世紀〜16世紀)

  4. バロック様式(17世紀〜18世紀)

  5. ビザンティン様式(4世紀〜/主に東方教会)


これらの美術的な価値を見ていくと、そこにあるのは、単なる「建物の形」の違いではありません。
当時の人々が、神や世界をどのように捉えていたのかという、哲学や美意識の結晶が、そこには表れています。

ロマネスク様式
素朴さと「静謐」の美。
厚い石壁と小さな窓、半円アーチが特徴で、大地に根ざした重厚感は、俗世を遮断する「シェルター」のような安心感と、内省的な祈りの空間を生み出しています。

ゴシック様式
光と「垂直」の美。
「より高く、より明るく」を追求し、天に伸びる尖塔と巨大なステンドグラスは、重力から解放された「天上の楽園」を地上に再現しようとする情熱の結晶です。

ビザンティン様式
黄金と「神秘」の美。
中央の大きなドームと黄金のモザイク画が特徴で、写実性よりも象徴性を重んじ、東洋と西洋が融合した、宇宙的な広がりを感じさせます。

ルネサンス様式
調和と「人間」の美。
幾何学的な対称性(シンメトリー)を重視し、神秘性よりも、人間が理解できる秩序とバランスを追求した、知的で清々しい開放感が特徴です。

バロック様式
情熱と「劇場」の美。
豪華絢爛な装飾と光彩のコントラストによって、見る人を圧倒し、劇的な宗教体験へと誘う、舞台装置のような動的エネルギーに満ちています。

このように、現存する教会が持つ美術的な価値(バリュー)もまた、非常に多彩な広がりを見せていることが分かります。


建築物よりも、もう少し身近な例として、自動車ではどうでしょうか。
ほとんどの場合、自動車は移動手段、交通手段として使われています。
中には、ステイタスとして車を所有されている方もいらっしゃるでしょう。

さらに、所有する車に対する価値観は、人によってグラデーションのように複雑な違いを見せます。
家族とのレジャーや送り迎え、趣味としてのドライブ、社用車としての利用など、価値観は実にさまざまです。

日本ではなかなかお目にかかれないような価値観に、遭遇することもあります。

昔、車にはなぜ「バンパー」が付いているのか、という話を聞いたことがあります。
当時のアメリカでは、路上に駐車した自分の車を動かすとき、前後に停まっている他人の車を、バンパーで押し分けながら動かしていた、というのです。

これを聞いた当時でも、かなり驚かされました。
今の日本であれば、触れただけで「即アウト」ではないでしょうか。

しかし考えてみると、アメリカという国は、日本とは比べものにならないほど土地が広大で、少しの移動でも車が欠かせない、ある意味「どうしても必要な道具」です。
ステイタス云々を言っている場合ではない、という事情も見えてきます。

そう考えると、アメリカ人にとっての自動車の価値観は、日本人にとっての自転車くらいのものなのかもしれません。
車のドアを少しこすっただけで、数日間落ち込む人は多いですが、駅の駐輪場で自転車を倒してしまったくらいで、泣き叫ぶ人を見たことはありませんからね。


このように、「家」も「教会」も「車」も、それ自体に絶対的な価値が固定されているわけではありません
私たちがどのバリューポジションに立つかによって、その価値は、経済的なものにも、芸術的なものにも、あるいは単なる道具にも変わってしまいます。

今、あなたは、目の前に広がる世界を、どんな価値観をもって見ているのでしょうか。


 今ここでは、あなたの世界というものを、「お家」というものに例えてお話ししていました。そして、今度はお友達とでも、身内の方とでも、それぞれが住んでいるお家について話しているときにでも、「家って、私たちにとって、なんぼのものなのかな?」という話題になることがあると思うのです。前回は、「どんな目的で」という、世界の見立てについて一緒に見てきましたが、今回は「それって、何か価値あるの?」といった、価値観についての見立て、について考えていこうと思います。

例えば、親元を離れるまで、小さいころから長年暮らしていたご実家が、ご両親もすでに他界されて、いよいよ処分されるということがあります。多くの場合、そこに家族がだれも住むことがなければ、貸し出されたり、売りに出されることになると思います。もしも、売りに出される場合、そこにどれだけ思い出があったり、思い入れがあったとしても、需要と供給の関係で、経済的な価値だけを判断されて、売買されることになるでしょう。時々耳にする、ヨーロッパの貴族の末裔が、先祖代々受け継いだお城やお屋敷を、維持することが難しくなって、庶民からするととても手が出せないようなものの、ビックリするくらい安く売りだされていたりすることも、誰かに売るということになると、現在の経済価値という物の見立てに、従わなくてはならなくなる、ということを表しているのです。

しかし時には、たとえ古くなったお家といえども、この見立てから外れて評価されることもあります。愛知県犬山市にある、「博物館明治村」には、よく知られた人や、あまり知られていない人物であっても、明治時代を代表する人物や物事に関連する、数々の建築物を集めて、博物館として展示しています。ここに移設されなければ、ほとんどのものが、取り壊されていたことでしょう。しかし、このように「明治を代表する文化物」として残されることによって、私たちは、当時の文化や人間模様に思いをはせ、歴史を振り返ることの「教材」となることもあり得るのです。このような世界や物事の見立てを、

バリューポジション:価値観による見立て

と言います。

建築物である「教会」においても、主にキリスト教を信じる人たちにとっては、前回取り上げたように、

・福音宣教
・典礼
・奉仕

といった目的に応じた、信仰対象としてのバリュー(価値観)が存在しますが、現在残る多くの教会も、キリスト教信者以外にとっては、その多くは歴史的な価値がある、ということになります。そしてまた一方で、そこには、明治時代から残された、個人の邸宅からは及びもつかないほどの、「美術的な価値」というものも存在します。先ずは、現存する教会の、主な建築様式を見てみましょう。一口に建築物の教会と言っても、各時代ごとに五つに区別される代表的な建築様式が存在します。

1.ロマネスク様式(10世紀末〜12世紀)
2. ゴシック様式(12世紀後半〜15世紀)
3. ルネサンス様式(15世紀〜16世紀)
4. バロック様式(17世紀〜18世紀)
5. ビザンティン様式(4世紀〜 / 主に東方教会)

さらに、このそれぞれの持つ美術的な価値を見てみますと、単なる「建物の形」の違いではなく、当時の人々が「神や世界をどう捉えていたか」という、哲学や美意識の結晶が見出されます。

  1. ロマネスク様式:素朴さと「静謐」の美
    厚い石壁と小さな窓、半円アーチが特徴。大地に根ざした重厚感は、俗世を遮断する「シェルター」のような安心感と、内省的な祈りの空間を生み出しています。

  2. ゴシック様式:光と「垂直」の美
    「より高く、より明るく」を追求。天に伸びる尖塔と巨大なステンドグラスは、重力から解放された「天上の楽園」を地上に再現しようとする情熱の結晶です。

  3. ビザンティン様式:黄金と「神秘」の美
    中央の大きなドームと黄金のモザイク画が特徴。写実性よりも象徴性を重んじ、東洋と西洋が融合したエキゾチックで宇宙的な広がりを感じさせます。

  4. ルネサンス様式:調和と「人間」の美
    幾何学的な対称性(シンメトリー)を重視。神秘性よりも、人間が理解できる「秩序とバランス」を追求した、知的で清々しい開放感が特徴です。

  5. バロック様式:情熱と「劇場」の美
    豪華絢爛な装飾と光彩のコントラスト。見る人を圧倒し、劇的な宗教体験へと誘う、まるで舞台装置のような動的なエネルギーに満ちています。

このように、現存する教会というものがもつ、美術的な価値(バリュー)というものも、多彩な広がりを見せる、ということがわかります。

 建築物というものよりもっと身近な例で、自動車ではどうでしょうか。ほとんどの場合は、移動手段であったり、交通手段ですよね。中には、ステイタスとして、車を所有されている方もいらっしゃるはずです。さらに、所有する車に対する価値観は、人によってもグラデーションのように、複雑な変化が見られます。家族とのレジャーや送り迎えで乗る人や、趣味に合ったものを乗る人、社用車など、価値観はまさにバラバラですが、日本ではなかなかお目にかかれないような、「価値観」に遭遇することもあります。

むかし、車にはなぜ「バンパー」が付いているのか、という話を聞いたときに、当時アメリカでは、道端に駐車した自分の車を動かすときに、少し前後に止まっている他の人の車を、バンパーで押し分けながら動かした、と聞いたことがあります。これを聞いた一昔前でも、かなりびっくりしました。今の日本であったら、触れただけくらいでお互い「即アウト!」、ではありませんでしょうかね。しかし考えてみると、アメリカという国は、日本では考えられないくらい土地が広大で、少しの移動であっても車の所有は欠かせない、ある意味どうしても必要な移動手段であって、ステイタスどうのこうの言っている場合じゃない、ということ考えたとき、アメリカ人にとっての自動車の価値観(バリュー)というものは、日本人にとっての自転車くらいの価値観(バリュー)なんじゃないのかな、と思い知れされました。ついうっかり車のドアをこすってしまって、数日間の間落ち込む人は多いのですが、駅の駐輪場に自転車を止めようとして、倒してしまったくらいで、泣き叫ぶ人を見たことはありませんからね。

このように、「家」も「教会」も「車」も、それ自体に絶対的な価値が固定されているわけではありません。
私たちがどの「バリューポジション」に立つかによって、その価値は経済的なものにも、芸術的なものにも、あるいは単なる道具にも変化してしまいます。

今、あなたは目の前に広がる世界を、どんな価値観を持ってみているのでしょうか?





いいなと思ったら応援しよう!

UZUME ACADEMY UZUME ACADEMYの探求を応援してくださる方へ。頂いたギフトは、知識を智慧へと昇華し、世界に新たな光を届けるための大切な「触媒」として活用させていただきます。知の錬金術を共に育む仲間として、愛と豊かさの循環にシェアを。イスタンブールの空の下、感謝を込めて。一緒に遊ぼ!