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映画感想(15) ヨーロッパ映画 (1990~1999)

サブスクで見た有名な作品のちょっとした感想を書いてます。順不同。
備忘録みたいなものですね。随時追加していきます。


海の上のピアニスト La leggenda del pianista sull'oceano
1998年 イタリア 170分 (イタリア完全版)
★★★★☆
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:ティム・ロス/プルイット・テイラー・ヴィンス/メラニー・ティエリー/ビル・ナン/ピーター・ヴォーン

映画黄金時代への愛を余すことなく描いた名作「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレが放つもう一つの感動作。
豪華客船の中で生まれ、生涯を船内だけで過ごし、一度も外の世界を踏まなかった天才ピアニストの生涯を冷徹な語り口で描くファンタジー大作。
20世紀初頭、大西洋を往復する巨大客船で生まれ育てられた孤児は、正式な籍も名も持たぬまま、独学で驚異的な演奏技術を身につける。彼の音楽は乗客の人生や感情を映し出し、やがて陸の世界でも評判となるが、彼自身は最後まで船を降りることを選ばない。それは人はみな自らのコントロールの及ぶ範囲でしか生きられないという冷酷な事実を示唆する。
世界認識の限界を自覚するがゆえの客観的な判断は彼を伝説化する。
ストーリーは突飛でどこかコミカルさも漂うものだが、そこで描かれる世界観は「ニュー・シネマ・パラダイス」の失われていく閉鎖世界とどこか似ていて愛おしい。「ニュー・シネマ・パラダイス」とは違った意味でとても映画らしい映画。


ハワーズ・エンド Howards End
1992年 イギリス・日本 143分
★★★★
監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブヴァーラ
出演:エマ・トンプソン/アンソニー・ホプキンス/ヘレナ・ボナム=カーター/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/ジェームズ・ウィルビー

ジェームズ・アイヴォリー監督のフォースター三部作の第三作。
20世紀初頭のイギリス、教養と理想主義を重んじる中産階級のシュレーゲル家姉妹と、実業で成功した実利的なウィルコックス家が、階級や価値観の違いを越えて交流しようとする中で、偶然遭遇した労働者階級の若い夫妻との因縁をめぐり、その関係性は複雑に交錯していく。決して交わらない思いの象徴として、実業家が所有する別荘ハワーズ・エンドの所有権を巡る軋轢が、大きな悲劇を招きながらも次の世代への資産として受け継がれていく。イギリスの階級社会間の乗り越え難い断絶を描きながら、プラグマティズムと資本主義とスピリチュアリズムにその克服を託したようなどこかオプティミスティックな匂いのする佳作。


日の名残り The Remains of the Day
1993年 イギリス・アメリカ合作 134分
★★☆
監督:ジェイムズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ/ハロルド・ピンター
出演:アンソニー・ホプキンス/エマ・トンプソン/クリストファー・リーブ/ジェームズ・フォックス/ヒュー・グラント

カズオ・イシグロの同名小説を、フォースター三部作を撮り終えたジェームズ・アイヴォリーが映画化。
大戦前後の英国で大邸宅に仕える主人公の執事は「完璧な職務」に人生を捧げ、主人の対独宥和的な政治的選択にも沈黙で従ってきた。旅先で女性の同僚と再会し、抑え込んできた感情と引き換えに失った可能性が悔恨の念として蘇る。
原作のストーリーは執事の一人称回想としてそれ自体が信頼できない語り手のものとして設定され、自己欺瞞と偏りに満ちているが、映画は三人称的に外側から出来事を見せ、執事が同席できない場面も描いて補ってしまうため、不確かさは弱まり、原作の持つ語りの綻びの解き明かしによる真実の追求という観客への挑戦要素が薄められてしまっているのが残念。


オセロ Othello
1995年 イギリス・アメリカ合作 123分
★★
監督:オリヴァー・パーカー
脚本:オリヴァー・パーカー
出演:ローレンス・フィッシュバーン/ケネス・ブラナー/イレーヌ・ジャコブ/マイケル・マロニー/ナサニエル・パーカー/ニコラス・ファレル

ウィリアム・シェイクスピア四大悲劇の一つとして知られ、舞台・映画ともに幾度となく映像化されてきた名作戯曲の通算何度目になるかわからないくらい定番の映画化。オーソン・ウェルズの1951年版が最も有名だろうが、本作は黒人俳優がオセロ役を演じた初の劇場用映画という点で歴史的価値がある。
異邦人でありながらローマ軍で成功した将軍オセロは、若い妻と駆け落ちの末結婚、更なる功を為し遂げることで信頼を勝ち得るが、側近の策謀によって疑念を植え付けられて妻への愛と信頼が毀損され、感情が暴走し自己破壊へと転じる。
シェークスピア劇にありがちな詩的な台詞の応酬による曖昧で情緒的な演出を排し、肉体的、物理的な映像力学を強調した上で、悲劇を即物的に描いているのが特徴。展開がやや単純化されてすぎている分、原作にある曖昧さや観客の想像に委ねられた余白は殆どなく、陳腐な悲劇として消費されがちなのは残念。


夢の涯てまでも Until the End of the World / Bis ans Ende der Welt
1991年 ドイツ・アメリカ・日本・フランス・オーストラリア合作 158分[オリジナル版] / 288分 [ディレクターズカット版]
★★★☆
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース
出演:ウィリアム・ハート/ソルヴェーグ・ドマルタン/リュディガー・フォーグラー/サム・ニール/ロイス・チャイルズ/ジャンヌ・モロー/マックス・フォン・シドー

「ベルリン天使の詩」で全世界で大ヒットを飛ばしたヴィム・ヴェンダースが構想十年をかけて満を持して完成させた執念の大作。
核による破滅の危機を迎えようとする世界を舞台に、ロードムービー、スパイムービー、SF、恋愛映画が交錯する野心作。
近未来、世界各地をさまよう一組の男女が出会い、「見ること」「記憶すること」をめぐる奇妙な装置と陰謀に巻き込まれていく。旅はヨーロッパからアジア、オーストラリアへと果てしなく続き、前半はロードムービーとスパイ映画のハイブリッド、後半はSFチックな展開ながらも幻想的なサイコサスペンスの様相を呈している。
最初の2時間半の劇場版に関し「ダイジェストのようだ」と不満を持っていたヴェンダースは5時間にも及ぶディレクターカットを完成させるが、正直このバージョンは完成度の低い物語を補完するような役割は果たしておらず、むしろ散漫にさせてしまったという印象の方が強い。ではあるが、作り手の意図として映像感覚と時間体験を優先させた結果、その迷走と退屈さ自体が主題となっているともいえ、強ち無意味とも言い難い。迷走の果ての最後の救済はそこまでの冷徹な構造的展開を考えると甘いが、その甘さがヴェンダースの映画愛を表しているようにも見え、違和感はあるが、不快ではない。彼はおそらく、創作にとって幻想は危険だと理解し、映画が自己陶酔に堕ちる瞬間も知っていながら、なお、世界は制御可能なのだと信じたい人なのだろうと思う。成功作とは言い難いかもしれないが、愚作ではない。

*2026年1月時点で配信では見ることができない。一定期間後にラインアップに復活する可能性があるので、要注意


時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース! Faraway, So Close! / In weiter Ferne, so nah!
1993年 ドイツ 147分
★★
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース/ウルリッヒ・ツィーガー/リヒャルト・ライヒンガー
出演:オットー・ザンダー/ナスターシャ・キンスキー/ウィレム・デフォー/ブルーノ・ガンツ/ホルスト・ブッフホルツ/ソルヴェーグ・ドマルタン/ハインツ・リューマン/リュディガー・フォーグラー

世界中で大ヒットした「ベルリン天使の詩」の設定を受け継いでその後日譚を描いた続編。ヒット作の続編に傑作なしとの格言を証明する結果となってしまった。
東西分裂時のベルリンが舞台であり重要なモチーフとなっていた前作とは異なり、この作品は統一後のストーリー。
前作は東西ベルリン分裂の緊張感を前提に実在する「壁」が、世界の彼我を分かつメタファーとして機能していたのに対し、今作ではそれが混じりあって混沌としている様を描こうとしているのだが、うまく行っているとは言い難い。むしろ謎のままにしておけば良いような天使と人間の関係に関する設定に妙な説明を加えてしまったことで、世界観の重みが薄れている。
見守るだけの天使が女性だったり、「時の父」設定の悪魔的存在がいたり、かなり陳腐。ヴェンダースとしては失敗作の部類に入るだろう。

*2026年1月時点で配信では見ることができない。一定期間後にラインアップに復活する可能性があるので、要注意


ライフ・イズ・ビューティフル La vita è bella
1997年 イタリア 117分
★★★★
監督:ロベルト・ベニーニ
脚本:ヴィンチェンツォ・チェラーミ/ロベルト・ベニーニ
出演:ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/ジョルジョ・カンタリーニ/ジュスティーノ・ドゥラーノ/セルジョ・ビーニ・ブストリッチ

イタリアのコメディアンとして名声を博していたロベルト・ベニーニが監督・主演し、ホロコーストを題材にコメディ要素を強く打ち出しながらもその悲劇性を鋭く抉った快作。
イタリアの田舎町にやって来たユダヤ系の陽気な男は、持ち前の明るさと機転で恋を成就させ、息子を授かり、幸せな家庭を築く。だがナチスの支配はイタリアまで及び、家族三人は強制収容所へと送られてしまう。父は幼い息子を恐怖から守るため、過酷な現実を「点数を稼ぐゲーム」だと信じ込ませ、笑いと即興で一日一日を切り抜ける。
ホロコーストをタブー視しない視線が貫かれており、一度として厳しさへの屈服を見せず、現実を笑い飛ばす姿勢を貫く主人公の意思の強さの描写も見事である。その強度を過度に倫理性で覆わず、親子の絆という普遍的なテーマに載せたことでこの設定は説得力を持つ。
一方で、収容所の現実はあんなに甘いものではないという指摘は妥当だし、それを軽く描いてしまうことの危うさは確かにあるが、過ぎ去った過去の悲惨さをただ直視するだけでは本質に届かないことは多い。
ミラマックスゴリ押しのせいで悪名の高い1996年アカデミー賞で7部門にノミネートされ、主演男優賞始め3部門を受賞、外国語作品として異例の大成功を収めたが、ユダヤ系言論人や左派の一部からその軽さを批判する声があがったことなどから作品賞では泡沫扱いされてしまったのは残念。


イル・ポスティーノ Il Postino
1994年 イタリア・フランス・ベルギー合作 108分
★★★★★
監督:マイケル・ラドフォード
脚本:マイケル・ラドフォード/マッシモ・トロイージ/フリオ・スカルペッリ/アンナ・パヴィニャーノ/ジャコモ・スカルペッリ
出演:マッシモ・トロイージ/フィリップ・ノワレ/マリア・グラツィア・クチノッタ/リンダ・モレッティ/アンナ・ボナイウート

チリの伝説的大詩人パブロ・ネルーダが政治的迫害を逃れてイタリアの小さな島で亡命生活を送っていた史実を脚色し、詩人と彼の専属郵便配達人となった青年の交流を描いた感動作。
イタリア国内では圧倒的な知名度と人気を誇っていた国民的俳優マッシモ・トロイージの遺作であり、彼の名を国際的に有名にした一大傑作でもある。
小さな島で働く内気な青年が、亡命してきた詩人の郵便配達を任され、二人のぎこちない不器用な交流が始まる。詩人の比喩や創作の閃きに触れる中で、口下手だった青年は自分の感情を言葉にして届けようと詩作を始め、島のパブで出会った美しい女性と幸福な結婚にまで至る。
詩人の祖国の状況が変わり彼の亡命生活は終わりを告げ二人は別れるが、青年の心に刻まれた詩人の魂は、彼の人生を大きく変えることになる。
言葉の持つ力を強く意識させながら、その力を過信しない作り手の節度と決意が込められていて、単なる感動秘話を越えた説得性を作品に与えている。
主演のトロイージは心臓疾患を押してこの作品の撮影に臨み、クランクアップの12時間後にこの世を去っている。その悲劇性によって記憶されがちな作品だが、それを単に悲劇のストーリーとして消費するだけでなく、もう一歩進んで、言葉を信じすぎないことを伝える映画を言葉を発することが困難な身体が支えている奇蹟にこそ思いを来すべきなのだろう。名作とは、単に完成度が高い作品というだけではなく、もう二度と同じ条件では作れない作品のことでもあるのだ、と、この映画を観るとつくづく感じさせられる。


イゴールの約束 La Promesse
1997年 ベルギー・フランス・ルクセンブルク・チュニジア合作 93分
★★★★
監督:リュック・ダルデンヌ/ジャン=ピエール・ダルデンヌ
脚本:リュック・ダルデンヌ/ジャン=ピエール・ダルデンヌ/レオン・ミショー/アルフォンス・バドロ
出演:ジェレミー・レニエ/オリヴィエ・グルメ/アシタ・ウエドラオゴ/ラスマネ・ウエドラオゴ

1990年代ベルギーの工業地帯を舞台に、社会派ドキュメンタリー畑出身のダルデンヌ兄弟が現場追跡の臨場感を商業長編フィクション映画に応用したごく初期の意欲作。
手持ちカメラを用いた乾いた現実感が特徴だが、ドキュメンタリーというよりはホームムービーに近い密着感がある。
15歳の少年イゴールが強権的な父の命じるまま、違法滞在者の労働搾取を手伝う中で移民の夫婦と心を通じさせ、彼らとの約束と父の命令との間で揺れながら、自らの良心に従い、為すべき正しさを選びとるまでの逡巡と決意のプロセスを描いた力作。
シーンを俯瞰するような説明的なカットがほとんどない、密着追跡型のカメラワークは、時としてイゴールの決意や心の揺れを捉え切れていないようにも見え、テーマの重さに映像が追い付いていかないもどかしさはある。


ロゼッタ Rosetta
1999年 ベルギー・フランス合作 93分
★★★★☆
監督:リュック・ダルデンヌ/ジャン=ピエール・ダルデンヌ
脚本:リュック・ダルデンヌ/ジャン=ピエール・ダルデンヌ
出演:エミリー・ドゥケンヌ/ファブリッツィオ・ロンギーヌ/アンヌ・イェルノー

「イゴールの約束」で注目を集めたダルデンヌ兄弟がカンヌでパルム・ドールを受賞し、その名を決定的にした一本。手持ちカメラでのリアルな映像手法を極限まで研ぎ澄まし「生きること」そのものを追いかける究極の密着ドキュメント風ムービー。
キャンプ場のトレーラーハウスでアルコール中毒の母親と暮らす少女ロゼッタは、働いていた工場から突然解雇され、生きるためにただひたすら「普通の仕事」に就くことだけを求めて苦闘する。同年代の青年リケの優しさを信じられないロゼッタは彼を拒否し、裏切り、そして傷つく。
ロゼッタは立ち止まることができない。カメラは常に彼女の背後や横に張りつき、息遣いと足取りを追い続ける。
この作品の美点は、ロゼッタの心理も動機も一切説明せず、世界との接点も救済も与えず、ただ、ひたすら彼女を追いかけることで生存への渇望を可視化する映像手法にある。その荒々しい手法は、内面の逡巡を描いた前作「イゴールの約束」以上に主題と噛み合い、冷酷なほどの切実さを生む。観終えた後に残るのは感動というよりは、息苦しさとそれでも生き延びようとする意志の重さだ。リケが差し伸べた手を少なくとも拒否しなかったロゼッタは生きる糧を捨てていない。
世界はやさしくない。それでも絶望はしない。それが最後の希望だ。切なすぎるが、「生きる」ことへの希求の切実さを確認するためにも必見の一本と言える。


親愛なる日記 Caro diario
1994年 イタリア 101分
★★★★
監督:ナンニ・モレッティ
脚本:ナンニ・モレッティ
出演:ナンニ・モレッティ/ジェニファー・ビールス/アレクサンダー・ロックウェル/カルロ・マッツァクラーティ/レナート・カルペンティエリ/クラウディア・デラ・セタ

三大映画祭すべてで賞を受賞してる凄い人、のはずのイタリアの鬼才ナンニ・モレッティが自身の体験や思考を三章構成で綴ったシネ・エッセイ的小品。本作でカンヌの監督賞を受賞。
ローマの街をスクーターで彷徨い、ジェニファー・ビールスと出逢って返事扱いされ、陳腐な商業主義が蔓延る映画界に活を入れ、映画の脚本を仕上げるために孤島へと渡り、テレビに毒された衆愚社会を嘲笑う。最後は自らの体験も踏まえた医療システムの無責任さへの揶揄で終わる。まるで統一感のないバラバラなスナップショットを繋げただけのような散漫なストーリーで、モレッティ自身の妙な拘りと風変わりな世界観が伺えるが、それらもどこまで本気にしていいか不明。半笑いで緩く受け流すくらいの呼吸がちょうどよいのかもしれない。


ナンニ・モレッティのエイプリル April
1998年 イタリア・フランス合作 78分
★★★★
監督:ナンニ・モレッティ
脚本:ナンニ・モレッティ
出演:ナンニ・モレッティ/シルヴィオ・オルランド/シルビア・ノノ/ピエトロ・モレッティ

カンヌで監督賞を受賞した「親愛なる日記」に続いてナンニ・モレッティが監督・脚本・主演を務めた同工のシネ・エッセー風コメディ。当時のイタリア政治状況(とりわけベルルスコーニの台頭)への苛立ちと、長男の誕生の喜びをフィクションともドキュメンタリーとも判断付かぬ形で綴った不思議な肌触りの作品。
劇中のモレッティは、永年温めて来たミュージカル映画の企画を、いざ撮影という段になって「自信がない」とキャンセル、右派が躍進した選挙結果に危機感を抱き、政治ドキュメンタリーを撮るのが自分の使命だなどと言い出すが、折しも家庭では妻の妊娠と長子の誕生という大事件が重なり、焦点の定まらない撮影企画に右往左往しながら、結局政治ドキュメンタリー映画も放棄、元の予定通りミュージカルの撮影に入るという顛末。
相変わらずどこまでが事実でどこまでが虚構なのか不明だが、ここで描かれる彼の政治姿勢は、映画の重要な要素として語られるはずが、最終的には個人の神経を逆なでする程度のノイズとして処理され、逆に出産と子育ては私事のはずが社会の現実そのものに触れてしまう。
主張はあるが、気分でしかなく、メッセージはあるが説教にならず、本気と冗談の境目が最後まで揺れる。世界を変えられない無力感を、憤りではなく記録するという「悪癖」に変換してしまうところが、モレッティらしい強さであり、同時に情けなさでもある。
最後に撮影されるミュージカル映画がいかにも楽しそうで愛おしい。


ファニーゲーム Funny Games
1997年 オーストリア 108分
★★☆
監督:ミヒャエル・ハネケ
脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:スザンヌ・ロタール/ウルリッヒ・ミューエ/アルノ・フリッシュ/フランク・ギーリング

家族・メディア・暴力といった主題を徹底した冷却視線で描いた「感情の氷河化三部作」で国際的評価を得たミヒャエル・ハネケが、更に表現の強度を高め、暴力への欲求を観客のカタルシス装置として逆説的に批判した問題作。1997年のカンヌ国際映画祭でコンペティション部門に出品され、一部審査員は上映途中で席を立つなど物議を醸した。
湖畔の別荘で休暇を過ごす裕福な一家が見知らぬ二人の青年の訪問によって理由も説明も与えられない意味不明な暴力へと引きずり込まれていく様を無感動に描いた不条理劇。加害者は映画の世界構造の外に位置するメタ的な存在であり、世界の因果律も意味も規律も全てが彼らの手に委ねられている。被害者は抵抗も逆転の反撃も許されない。暴力は直接描写のみを避けた上で淡々と反復され、観客が期待する恐怖やカタルシスは意図的に排除される。
暴力を物語として消費する観客の欲求とそれを煽る商業映画への批判を込めた作品なので、意識的に観るものに不快さと苛立ちだけを残すよう設計されている。その意図は果たされているが、それが何らかの創造的な革新性をもたらしているかどうかは微妙だ。世界を規定する側よりもそれを消費する側を批判対象にするのは創作としてどこかフェアじゃない。


トリコロール/青の愛 Trois Couleurs: Bleu
1993年 フランス・ポーランド・スイス合作 94分
★ (トリコロール三部作としては★★★)
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ/クシシュトフ・キェシロフスキ/アニエスカ・ホランド
出演:ジュリエット・ビノシュ/ブノワ・レジャン/シャルロット・ヴェリ/フロランス・ペルネル

フランス革命200周年を記念し、フランス建国の理念「自由・平等・博愛」を主題に据えた三部作の第一作。本作は「自由」がテーマ。
交通事故で夫と幼い娘を失った女性ジュリーは、すべての人間関係と感情を断ち切ろうとする。新しい住居に移り、過去の遺物を捨て去り、人間関係も全て遮断しようとする。彼女が求める「自由」は、社会的な解放ではなく、痛みから解き放たれることなのだが、このあたりの展開はやや即物的で逼迫感に乏しい。
結局、彼女は過去の人間関係の繋がりを確認しつつ、結果的に他者との関係へ引き戻されていく。そこには過去の束縛が存在するが、彼女はそれを甘受する。「自由」の難しさと曖昧さ、不完全さを描こうとする意図はわかるが、三作全部観ないと収束しないので、本作単体で見るとやや消化不良気味。
あと、邦題に「愛」と付いてるけど、現在進行形の「愛」は作品中では描かれないので注意。少なくとも愛を描いた映画では全くない。


トリコロール/白の愛 Trois couleurs: Blanc / Trzy kolory: Bialy
1994年 フランス・ポーランド・スイス合作 91分
★★★
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ/クシシュトフ・キェシロフスキ
出演:ズビグニェフ・ザマホフスキ/ジュリー・デルピー/ヤヌシュ・ガヨス

トリコロール三部作の第二作は「平等」をテーマとして掲げつつ、むしろ支配/被支配の関係とそれに依拠する欲望を「平等」という名のオブラートで包んだような乾いたブラックコメディとして出色の出来を示している。
移民に対して「不平等」なフランスでの離婚裁判によって無一文となり、祖国ポーランドで再起を図る男カロルは、裏稼業も厭わない実業家として成功を収め、莫大な資産を手にする。彼は自らの死を偽装し妻を遺産相続殺人犯に陥れるという復讐を企図する
ここで語られる愛の平等はほぼセックスの平等と同義だ。
不能者だったカロルがセックスの能力を取り戻した時、妻との愛も再び平等化する。だが、彼はすでに擬装死によりこの世には存在しない人間となっており、後戻りはできない。可笑しさと切なさと後味の悪さが同居する、三部作の中でも最も俗っぽい出来だが、一本の映画としての収まりは最も優れているかもしれない。
だからこそテーマに掲げる理念の空虚さが露骨に表された一篇となっている。


トリコロール/赤の愛 Trois Couleurs: Rouge
1994年 フランス・ポーランド・スイス合作 96分
★★★
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ/クシシュトフ・キェシロフスキ
出演:イレーヌ・ジャコブ/ジャン=ルイ・トランティニャン/ジャン=ピエール・ロリト/フレデリック・フェダー

キェシロフスキが三部作の掉尾として「博愛」を掲げ、赤一色の画面設計と偶然の連鎖で「人が他者と結ばれる」尊さを描く感動のフィナーレ。
若いモデルのヴァランティーヌは、孤独な元判事と出会い、彼の、盗聴という非倫理的な行為を介して他人の人生に関与しようとする試みを断ち切る。本作で語られる「博愛」は、語義通りの「遍く愛」を指しており、単なる善意のヒューマニズムでは救い切れない世界の不穏さと人は無関係ではいられないという連帯を志向するものだ。
その意味では三部作で唯一正面から「愛」を描いていて、やや過剰にロマンティックでもある。
ラストシーンのやや唐突にも見える三部作回収は構成としては美しい反面、無理やり落とした感も強く、個々の作品での登場人物たちの物語が置き去りにされているとの誹りは免れないだろう。だが、その作為込みで、理念を現実の人間関係の中で具現化するという壮大な試みを描いた連作としては及第点と言えるのではないか。


美しき諍い女 La Belle Noiseuse
1991年 フランス 238分
★★★☆
監督:ジャック・リヴェット
脚本:パスカル・ポニツェール/クリスティーヌ・ロラン/ジャック・リヴェット
出演:ミシェル・ピコリ/ジェーン・バーキン/エマニュエル・ベアール/マリアンヌ・ドニクール/ダヴィッド・バースタイン/ジル・アルボナ

ヌーヴェルヴァーグの中心的存在だったジャック・リヴェットがバルザックの「知られざる傑作」を原案に創作行為のエゴイズムと残酷さを創作のプロセスを克明に刻むことで曝け出した作品。
人生を賭けた大作の完成に挫折し、長く筆を断っていた老画家が、若い画家とその恋人マリアンヌの来訪を機に、彼女をモデルに未完となっていた大作の制作再開の誘惑に取りつかれる。モデルとなったマリアンヌの身体は、日常から切り離され、老画家の暴力と観察と欲望の対象へ変質していく。しかし、その関係性はいつしか共依存的、共犯的なものへと変化し、最後には二人は一体化することで創作の完成を見る。
だが、そうやって「完成」した「作品」を、画家は世に出すことを厭い、壁の中に封印してしまう。
最高の芸術は形而上的なもので概念としてしか存在しない、みたいな話なのか、あまりにパーソナルなので個人間の関係に留めておきたかったのか、あるいは倫理や羞恥に関わるものなのか、映画は語らない。
モチーフとしては理解できないでもないが、創作の過程をほぼリアルタイムの長尺で延々と語っておきながら、肝心の完成作品は見せないというのはさすがに映画としては敗北と言わざるを得ないのではないか。プロセスの映像が優れているだけに、その一点が残念だ。


遙かなる帰郷 La tregua
1997年 イタリア・フランス・ドイツ・スイス合作 118分
★★★☆
監督:フランチェスコ・ロージ
脚本:フランチェスコ・ロージ/ステファノ・ルッリ/サンドロ・ペトラリア
出演:ジョン・タトゥーロ/ラデ・シェルベッジア/テコ・セリオ/マッシモ・ギーニ/ステファノ・ディオニジ/クラウディオ・ビシオ

アウシュヴィッツからの生還者であるイタリアのユダヤ人作家プリーモ・レーヴィが収容所から解放されて祖国イタリアに戻るまでの回想を綴った記録文学のベストセラー「休戦」を、イタリアのポストネオレアリズモを代表する存在となった名匠フランチェスコ・ロージが映画化した名品。ロージの遺作となった作品でもある。
1945年、アウシュヴィッツ解放後もすぐには故郷へ帰れないレーヴィは、旧ソ連圏の収容施設や闇市、難民の群れを経由しながら、列車と徒歩で遠回りの帰還の旅を続ける。勝者も敗者も区別なく荒れた戦後の大地とそこで生き延びようとする人々の力強さに触れながら、レーヴィは「生きること」の価値を再発見していく。感動巨編といった趣は全くなく、むしろ突如与えられた「自由」に戸惑いつつも、淡々と、しかし着実に、祖国と人間の尊厳へと回帰していく様が描かれる。社会派でありながら「人」を描くことに長けたロージらしい、社会洞察と人間ドラマが融合した秀作。


リトル・ブッダ Little Buddha
1993年 フランス・イギリス 141分

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:マーク・ペプロー/ルディ・ワーリッツァー
出演:イン・ルオチェン/キアヌ・リーブス/アレックス・ヴィーゼンダンガー/ブリジット・フォンダ/クリス・アイザック

「ラスト・エンペラー」が西洋的勘違いオリエンタリズムの琴線に触れて馬鹿受けしてしまったベルトルッチの東洋趣味路線第二弾。
現代アメリカの少年がチベット仏教の高僧の生まれ変わりかもしれない、というトンデモ設定と、王子シッダールタが悟りに至るまでの釈迦の生涯を並走させる構成。
前半の「転生探し」は、異文化への畏敬というよりエギゾチシズムへの共感として処理されがちで、仏教が宗教ではなく、ニューエージ的な「癒しの思想」に変換されている。釈迦パートも豪華な絵巻でしかなく、苦の哲学や修行の苛烈さより、悟りが物語的な着地としてポストモダニズムっぽく処理されている感もあり、ポストコロニアリズムの裏返し的な安直なオリエンタリズム消費の域を出ていない。
かなりひどい作品だが、植民地主義的傲慢さからは一歩引いてる分、彼なりに学習はしている。


キカ Kika
1993年 スペイン・フランス合作 111分
★★★☆
監督:ペドロ・アルモドバル
脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:ベロニカ・フォルケ/ビクトリア・アブリル/ピーター・コヨーテ/アレックス・カサノバス/ロッシ・デ・パルマ

ペドロ・アルモドバル初期の問題作
性とメディアと暴力がごちゃ混ぜになった90年代的カオスを、毒々しい色彩で露悪的に描いたブラックコメディ。
メイクアップアーティストのキカは、妻に自殺された作家の男性と付き合ううち、彼の息子の死化粧を依頼される。しかし、死んでいたはずの息子はなぜか生き帰りキカと関係を持つ。キカは作家との関係も継続し、三角関係、脱獄犯による強盗とレイプ騒動、下世話なテレビ番組のレポーターの覗き趣味などが入り混じり、混沌となる人間関係は、いつの間にか凶悪な連続殺人の真相を暴き、破局を呼ぶ。
盗撮と性暴力とイエロージャーナリズムが生活へと侵入し、私的な悲喜劇が「見世物」に変質していく様を、アルモドバルは露悪趣味的にグロテスクな描写で観るものの嫌悪感を煽りつつ、それを消費する構造の醜悪さをシニカルに提示する。


シャロウ・グレイブ Shallow Grave
1994年 イギリス 93分
★★☆
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
出演:ユアン・マクレガー/クリストファー・エクルストン/ケリー・フォックス

「トレインスポッティング」で一躍時の人となる前のダニー・ボイルの監督長編デビュー作で、道徳を踏み外した友情が不信と背徳へと変質していく様を描いたブラックな密室スリラー。「トレインスポッティング」同様無名時代のユアン・マクレガーが主演している。
ルームシェア中の3人の若いエスタブリッシュメントたちが迎えた新しい同居人は大金の入ったスーツケースを残して部屋で不審死する。大金を目の前にした3人は倫理観を失い、死体を始末し金を横領することで共謀する。だが、罪の意識と発覚への恐怖心は彼らの精神を蝕み、疑心暗鬼と裏切りが日常生活を侵食していく。
露悪趣味と狂暴性が同居する後味の悪い展開だが、これが初期のボイルが持っていた持ち味であり、次作「トレインスポッティング」で見事に開花、商業的に大成功を収める。


トレインスポッティング Trainspotting
1996年 イギリス 94分
★★★
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
出演:ユアン・マクレガー/ロバート・カーライル/ジョニー・リー・ミラー/ユエン・ブレムナー/ケヴィン・マクキッド/ケリー・マクドナルド

スコットランドを舞台に、ヘロイン中毒の若者達を描いたダニー・ボイル監督の野心作。
日本ではサブカルチャーの中心としてのミニシアターブームの最後の大爆発のような形で大ヒットした。
スコットランドのエディンバラに住む若い主人公レントンはどこか世間ずれした危ない友人たちに囲まれドラッグ依存の自堕落な生活を送っている。彼はそんな環境から抜け出そうともがくが、友人たちとの共依存関係や腐れ縁が彼を何度も依存の沼へと引き戻す。社会への怒りは若さに起因する無知ゆえに批判メッセージとして着地せず、登場人物の醜さも滑稽さも同じ熱量で単なる記号のように突き放されているのが特徴だ。いかにもイギリスの伝統文化ともいうべきステレオタイプなパンク風演出は、スタイリッシュに見えて実はスタイル自体が麻薬という自家撞着でもあり、どこか生々しいリアリティに欠けている。尖っているように見えて、尖らされているだけだし、牙を剥いているけど、その牙は社会には刺さらないタイプの安全ピン的な装飾に近い。
主人公のホームタウンがロンドンではなくエジンバラだったり、主人公がイギー・ポップ愛聴してたり、いろいろと「あの時代」を安全な位置から回顧してるっぽいのが却って新鮮に見えたところはあるのかも。


ハムレット Hamlet
1996年 イギリス・アメリカ合作 242分
★★☆
監督:ケネス・ブラナー
脚本:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナー/ケイト・ウィンスレット/リチャード・ブライアーズ/ジュリー・クリスティ/デレク・ジャコビ/ブライアン・ブレスド/ニコラス・ファレル/マイケル・マロニー/リチャード・アッテンボロー/ロビン・ウィリアムズ/ジョン・ギールグッド

ケネス・ブラナー監督・脚本・主演、シェイクスピアの歴史上最も有名な悲劇と言っても差し支えない名作を豪華キャストと共に約4時間の尺でほぼ原作に忠実に全編映画化した野心作。舞台を19世紀末の無国籍的な王国の大宮殿に置き換え、豪華キャストと長回しで劇場の肌触りを再現しようとしている。一方、19世紀末に時代を移したことで、現代風のモダンな装飾で近代国家を模した作りになっており、近代人の萌芽としてのハムレットの性格劇という位置づけは後退し、劇全体が近代国家の暴走の寓話として機能している。ハムレットの苦悩は西洋近代主義的な教養と倫理を手放せない知識人が、権力国家の暴力ロジックに適応できない姿を表していると言える。
意図はわかるし、プロットとしては完成度が高いが、実際に観ると違和感は消せない。


ヨーロッパ Europa
1991年  デンマーク・スウェーデン・フランス・ドイツ・スイス合作 112分 ★★★☆
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー/ニルス・ヴァセル
出演:ジャン=マルク・バール/バルバラ・スコヴァ/ウド・キア

ラース・フォン・トリアーのヨーロッパ三部作の最終章。
ヨーロッパの戦後処理を敗戦国ドイツを舞台に、モノクロ基調の映像に赤や黄を滲ませながら描いた異形のフィルム・ノワール風政治ミステリー。
1945年、アメリカから祖国ドイツの再建を支援に来たドイツ系アメリカ人の青年レオポルトは寝台車の車掌として働き始めるが、敗戦国の混乱は遥か彼方の国から来た男の善意を踏みにじる。
彼は鉄道会社の社長令嬢のドイツ人女性と恋に落ち結婚するが、彼女はナチ残党と関係していた。妻をナチ残党に人質に取られたレオポルドは鉄道破壊工作に否応なく関与させられ、破滅へと導かれる。
戦後ヨーロッパの復興に外部から来た再建者であるアメリカが果たした役割を史実に忠実な歴史劇ではなく、外部性の限界として描く汎ヨーロッパ主義的色彩の濃い映画。
荒廃した敗戦国の戦後処理の困難さをアメリカという外部性による「悪夢」として体験させる映画ではあるが、トリアーにしては悪意が設定の内部にとどまっており、観終わっての後味の悪さはさほどではない。


奇跡の海 Breaking the Waves
1996年 デンマーク・スウェーデン・フランス・オランダ・ノルウェー・アイスランド・スペイン・イギリス合作 158分
★☆
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:エミリー・ワトソン/ステラン・スカルスガルド/カトリン・カートリッジ/サンドラ・ヴォー/エイドリアン・ローリンズ/ウド・キア

ラース・フォン・トリアーの悪意が剥き出しになり始めた胸糞映画。
カンヌでパルム・ドールを獲得しているが、その事実こそがカンヌのマチズモ的権威主義の象徴と言えるだろう
スコットランドの小さな共同体で、「神と会話できる」と信じて生きている信仰深い女性は、教会の反対を押し切って外から来た男と結婚するが、男は事故で半身不随となる。彼女は愛する夫を救うため、夫が望む通り複数の男性と性交渉を持ち、神への祈りを代替する。それが奇跡を呼ぶというある意味ご都合主義的な展開なのだが、閉鎖的な共同体の規範に正面から批判的にぶつかる「純粋な献身」を女性の身体性のみに依拠させた演出は悪趣味で非倫理的であり、その構造も含めて男性原理が裁かれない不条理を「神との対話」のようなファンタジックな筋立てで美化してしまうのは、「信仰」を云々する以前の問題だ。このような歪な非対称性を無批判に再生産させることは究極的には表現を殺すことに繋がりかねない。割とマジで悔い改めた方がいい。


憎しみ La Haine
1995年 フランス 98分
★★★★☆
監督:マチュー・カソヴィッツ
脚本:マチュー・カソヴィッツ
出演:ヴァンサン・カッセル/ユベール・クンデ/サイード・タグマウイ

移民が多く住むパリ郊外バンリューを舞台に、移民二世の若者たちの反抗とも暴走とも付かぬ一日を追った作品。白黒映像と即時性の高い演出によって、当時のフランスの階層社会が抱える矛盾と緊張を強烈に可視化した。
警察による暴力で仲間が瀕死となり、怒りと虚無を抱えた三人の青年は、行き場のない時間を街で浪費する。彼らは犯罪者でも活動家でもなく、ただ抑圧と侮蔑の中で自尊心を削られ続けている存在だ。銃を手にしたことで反逆の意識に一瞬めざめるが、それは救済ではなく破滅への加速装置にすぎなかった。映画は彼らの反抗や仲間たちの暴動や社会の不公正さの理由を説明しない。代わりに世界から疎外されがちな若者の感情の停滞と、暴力が避けられない構造そのものを観るものに鮮明に突きつける。結末の一瞬まで続く緊張は生と死が隣り合わせのものとして常にすぐそばにある彼らの不安定さを象徴している。
落下は始まっている。問題は着地だ。ラストで語られる言葉の重さが切ない。名作。


more to come…(近日公開予定)

秘密と嘘 Secrets & Lies
1996年 イギリス 142年
★★★★★
監督:マイク・リー
脚本:マイク・リー
出演:ブレンダ・ブレッシン/マリアンヌ・ジャン=バプティスト/ティモシー・スポール


その他、1990年代のヨーロッパ映画の名作のレビューはこちらにもあります



★★★★★ 映画史に残る名作、必見
★★★★☆ 傑作、見ないと損
★★★★ 秀作、見るべき
★★★☆ 快作、見た方がいい
★★★ 良作、見る価値あり
★★☆ 佳作、悪くないので見て損はない
★★ 凡作、時間があれば見てもいいかも
★☆ 迷作、色々ダメだが見たいなら止めない
★ 駄作、ダメな映画のサンプルとして見るなら止めない
☆ 愚作、人生の苦難に耐える訓練として見るなら止めない
💀 見るべき理由が一切ないゴミ、時間の無駄


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