『小泉八雲 東大講義録』~文学好きにはたまらないアツすぎる講義に痺れる名著!
ラフカディオ・ハーン『小泉八雲 東大講義録 日本文学の未来のために』概要と感想~アツすぎる講義に痺れる名著!

今回ご紹介するのは2019年にKADOKAWAより発行されたラフカディオ・ハーン著『小泉八雲 東大講義録 日本文学の未来のために』です。
早速この本について見ていきましょう。
物語作家ハーンが、自身の芸術や文学に関する思想の根幹を語った講義録。
まだ西洋というものが遠い存在だった明治期、将来、日本の学問や文学を背負って立つ学生たちに深い感銘と新鮮な驚きを与えた、最終講義を含む名講義16篇。生き生きと、懇切丁寧に、しかも異邦の学生たちの想像力に訴えかけるように、文学の価値とおもしろさを説いて聴かせる。ハーン文学を貫く、内なるghostlyな世界観を披歴しながら、魂の交感ともいうべき、一期一会的な緊張感に包まれた奇跡のレクチャー・ライブ。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)といえば雪女や耳無し芳一などの『怪談』で有名な文学者ですが、この本では教育者としての小泉八雲の姿を知ることができます。
小泉八雲は1890年に記者として来日し、その後すぐに記者を辞めて学校教師となっています。そして晩年の1896年から1903年まで東京大学の講師を務めました。その時の講義録が本書になります。
小泉八雲という人間は教育者として実に熱いものを持っていました。そのことについて、池田雅之著『小泉八雲 日本美と霊性の発見者』では次のように説かれています。
八雲の教師像というものを一言でいえば、まずは学生の学識レベルに立ち、学生の考え方や、彼らの想像力を引き出すことに巧みであったといえよう。さらにいえば、情緒にくるまれた平易な言葉でもって、学生の魂に訴えかける類まれな話法をもっていたゆえに、魂の教師という呼び方も、ふさわしいように思われる。
まさにこの講義録もそんな八雲節が冴えわたった講義となっています。ものすごくアツいです・・・!私もこの本を読んで「こんな話を聞けるなんてうらやましい!」と何度も思ってしまいました。超一流の先生から直接心揺さぶられるようなレクチャーを受けられるのです!こんな贅沢で刺激的な時間はないでしょう!
この記事ではそんな名講義の中でも特に私の中で印象に残った箇所を紹介したいと思います。
まず一つ目は、文学の意義と可能性について語られた次の箇所です。少し長くなりますが、非常に重要な指摘がなされていますのでじっくり読んでいきます。
他国民や他国の文明に関して、世論を形成してゆく真の力は、文学ー小説と詩ーなのである。西洋のある国民が他国民について知っていることは、かた苦しい統計学の本や、いかめしい歴史書や学究的な旅行記からではなく、その国民の文学ーその国民の感情生活の表現である文学ーからおおむね得られたものなのである。(中略)
しかも、私がみなさんに話したとおり、その世論といわれるものは、主に文学によって、哲学や科学の著作ではなく、想像力と感情による著作によって、作られるのである。純粋科学や哲学の書物を読むのは、たかだか数千人の人々にすぎないが、心の琴線に触れ、その心情を通して人間の判断力に影響を及ぼす物語や詩歌を読む人々は、幾百万人もいるのである。
諸外国に関するイギリスの国民感情というものは、おおむねそういった文学によって培われてきた。しかし、私はみなさんに一つの著しい例ーロシアの場合ーを示すだけの余裕しかない。私が子供の頃、イギリスの大衆は、ロシアの兵隊が非常に屈強な戦士であるという事実以外、ロシアについてまったく何も知らないでいた。
ところが、イギリス人は彼らの戦闘能力を称賛したけれども、そんなものは他の野蛮人にだって見出し得るものである。しかしながら、ロシア軍と交戦した経験のあるイギリス人は、彼らの軍事力以外に、高い称賛の根拠を見出そうとはしなかった。
実際のところ、十九世紀の中頃まで、ロシア人は、イギリスでは、ほとんどまともな人間の仲間として考えられていなかった。ロシアの風習や政治についてもごくわずかな事柄しか知らされていなかった。それらは、ロシア人に対する敵愾心を是正するようなものではなかった。むしろ、まったく正反対のものであった。軍律の苛酷さやシべリア監獄の恐ろしさーこれらのことは、しばしば話題にのぼった。そしてみなさんは、テニスンの初期の詩、すなわち「王女」という作品においてさえ、ロシアに対する非常にそら恐ろしい言及を見出すであろう。
やがて、このような事態は改められるに至った。ほどなくして、ロシアの偉大な作家たちの仏訳、独訳、英訳の本が次々と現われはじめたのである。直接英語に翻訳されたこの手の最初の名作は、トルストイの『コサック』であったと思う。そして、その作品の翻訳者は、べテルスブルク駐在のアメリカ公使スカイラー氏であった。フランスの大作家メリメは、すでにゴーゴリやプーシキンの傑作を幾篇か翻訳していた。これらの童易は、驚くべき関心をひき起こした。
しかし、それ以上のロシアへの驚くべき関心は、ツルゲーネフやドストエフスキー、その他の作家たちの傑作がひきつづき翻訳されるに及んで、ひき起こされたものだった。ツルゲーネフは、特に西洋のすべての教養ある階層においてもてはやされた。彼は、現存のロシアをあるがままにーロシア人の心を、すなわちその人々の心だけではなく、大帝国におけるあらゆる階級の感情と風俗習慣をー描いた。彼の著作は、たちまちのうちに世界的な書物、十九世紀の古典となり、これを読むことは、文学的教養にとって欠くべからざるものとなったのである。(中略)
私は数百もの例証の中からたったニ、三の例をあげているにすぎない。医学、言語学、その他多くの科学分野において、ロシア人の業績と思想の影響は、今や広く認められるところとなっている。しかし、いくら科学者たちがロシア人の知力に敬意を払う理由を見出したにせよ、一国民が外国で理解されるようになるのは、知力によってではない。ロシアを理解させる偉業というものは、主にロシアの小説家や物語作家によって達成されたのである。(中略)
これらの書物は、人間の心というものが、イギリスやフランスやドイツにおけるのと同様、ロシアにおいても、感じ、愛し、かつ苦悩するものである、ということを証明した。
しかしまた、それらの書物は、ロシア国民の、すなわちロシア大衆の、独自な徳性ー彼らの無限の忍耐力、勇気、忠誠、そして大いなる信仰心ーについても教えるところがあった。というのは、たとえロシア民衆の人生模様が美しいと呼べるようなものでないにしても(それらの多くは非常に恐ろしく、残酷なものである)、行間から読みとらなくてはならない人間性のもつ美しさが横溢しているからである。ツルゲーネフとその一派の小説のもつ陰翳は、対比されることによって、かえってその光明をいっそう美しく際立たせるばかりである。そしてその結果はどうだっただろうか?ロシア人に対する西洋人の感情が、まったく一変してしまったのである。
私は、ロシア政府に関して西洋人の見解がまったく変わった、といっているのではない。政治的には、ロシアは依然として西洋の悪夢である。しかし、ロシア人がどのような民族であるのか、ということについては、ロシア文学を通して理解されたーしかも、かなりよく理解された。そして、思いやりとか人間的な共感といった普遍的感情が、ロシア人全般について、従来からの一般的言説の基調となっていた憎悪や嫌悪の感情にとって代わられたのである。
かなり長くなってしまいましたがいかがでしょうか。優れた文学によって国の印象がガラッと変わった一例を小泉八雲はここで挙げています。
最後の「私は、ロシア政府に関して西洋人の見解がまったく変わった、といっているのではない。政治的には、ロシアは依然として西洋の悪夢である。」というのは現在の状況を考えると何とも言えないものがありますが、ツルゲーネフやトルストイ、ドストエフスキーらの文学はロシア人の美徳や文化を世界に知らしめ、その印象をがらっと変えてしまったというのは非常に重要なポイントであると思います。
私もドストエフスキーをはじめとしたロシア文学を学んでいましたので、たしかにそれは頷けます。(おすすめの解説書を以下の記事でまとめていますので興味のある方はぜひご参照ください)
そしてその上で小泉八雲は日本の学生たちにこう投げかけます。
西洋諸国は日本について何を知っているであろうか?ほとんど皆無である。今日、日本を見聞し、日本について何がしかのことを知っている数百人の富裕な人々がいないわけではない。こういうた旅行家たちによって、日本に関する数千冊もの書物が書かれてきた。しかし、これらの旅行者や著述家たちは、ほとんど何も表現することがない。すなわち、彼らは実際いかなる意味においても、一国の国民的見解というものを表現することができないからである。
西洋諸国の多くの国民ーその一般大衆の大部分ーは、ちょうど十九世紀初頭にロシアについて何も知らなかったのと同様に、今日の日本についても、ほとんど何も知らない。彼らは、日本が日清、日露戦で善戦し、鉄道を保有していることは知っている。しかも、そういったことが、一般大衆の心に及ぼしたほとんどすべての印象といってもよいのである。西洋の知識階級は、もっとたくさんの知識をもってはいるが、前述したように、彼らは世論を作りだすことはない。世論とは、おおむね感情の問題であって、思想の問題ではないからである。
国民感情とは、頭脳を通して伝達され得るものではなく、心情を通して伝達されるものなのである。しかも、それが可能なのは、ただある一つの階層の人々ー日本の文学者たちーによってのみである。大臣や外交官や学会のお偉方たちーこういった人たちには、不可能なことなのである。だが、一人の偉大な小説家、一人の偉大な詩人がいさえすれぱ、彼らはたった一人でこれを首尾よくやりとげるであろう。血のつながりもなく、言葉も異なる人々には、どんな手段に依ろうと、これをなし得るものではない。それは、日本人によって考えられ、日本人によって書かれ、また外国流の思考や感覚によってまったく影響されない日本文学によってのみなし得るのである。
人は一冊の書物を著わすことによって、戦争で勝利を収めるのと同様に、大いに自国に報いることができる。しかも、先日、みなさんはこの事実を立証する証拠を見たであろう。つまり、あるイギリスの若い作家が病に倒れると、幾百万もの人々が彼に同情を示して、世界じゅうから海外電報が打たれた。国王や皇帝たちも、彼の安否を尋ねた。この若い作家は何をしたのであろうか?すべてのイギリス人をして、以前にもましてお互いの心を理解させ、なおかつ他の国民にイギリス人をいっそう理解させるような、幾篇かの短編小説と短い詩を書いたことにすぎなかった。このような人間こそ、その国にとっては、王よりも価値があると見なされたのである。
みなさんが以上のことを記憶にとどめておくなら、私のしてきたこの講義は、将来いつかよい結果を生むだろうと信ずる。
いかがでしょう!先ほども申しましたが、私はこの箇所を読んで学生たちが羨ましくてたまりませんでした!こんなアツい講義を聴けるなんて羨ましすぎます!
事実、この講義を受け感銘を受けた学生たちが後の日本文学界を背負っていくことになります。
文学好きな人間にとってこのエピソードはあまりにぐっと来るものがあります。
本書ではこの後もより素晴らしい文学を生み出すために何をすべきか、何を読むべきかという話が続いていくのですが、これもたまりません。
ゲーテやシェイクスピア、ホメロス、アンデルセン、様々なビックネームが登場し、彼らに対する小泉八雲の思いを聞くことができます。
その箇所を読んで私は嬉しくなりました。なぜなら、『怪談』の雪女を読んだ時に「アンデルセン的だな」と感じ、『日本の面影』を読んだ時に「ゲーテ的だな」と感じた私の感覚が間違っていなかったことを知れたからです。アンデルセンと雪女については以前紹介した「『新編 日本の怪談』に感動!雪女や耳無し芳一など小泉八雲の怪談を気軽に楽しめるおすすめ本!」の記事で紹介していますのでこちらをご参照ください。
やはり彼はこれら偉大な作家たちの物語に多くを学んでいます。そしてそれを日本の学生たちに惜しみなく伝えていたのです。
いやあ、めちゃくちゃアツいです。
この記事で何度アツいと言ったことか。
この本を読んでいれば、自然とそうなってしまいます。本当にアツいのですから仕方ありません。
私もそんな熱気あふれる授業ができるようこれからも励んでいきたいと思います。やはり熱気は大事ですね。これはいい本と出会えました。
ぜひぜひおすすめしたい一冊です。文学好きな方には特におすすめしたい名講義となっています。NHK朝ドラ『ばけばけ』で小泉八雲はこれからもっと注目されていくと思います。彼のことをもっと知りたい方にも非常におすすめです。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「『小泉八雲 東大講義録』~文学好きにはたまらないアツすぎる講義に痺れる名著!」でした。
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