小泉八雲の代表作『日本の面影』~朝ドラで話題!これはすごい名著です!
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著、池田雅之訳『新編 日本の面影』概要と感想~NHK朝ドラで話題!これはすごい名著です!

今回ご紹介するのは2000年に角川書店より発行されたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著、池田雅之訳の『新編 日本の面影』です。
早速この本について見ていきましょう。
美しい日本の愛すべき人々と風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。赴任先の松江を活写し、日本人の精神にふれた傑作「神々の国の首都」、西洋人として初の正式昇殿を許された出雲大社の訪問記「杵築―日本最古の神社」、微笑の謎から日本人の本質にアプローチする「日本人の微笑」など、ハーンのアニミスティックな文学世界、世界観、日本への想いを色濃く伝える11編を詩情豊かな新訳で収録する。日本の原点にふれる、ハーン文学の決定版。

今回私がこの本を読んだのは『あんぱん』の次の朝ドラ『ばけばけ』の影響です。
『ばけばけ』の主人公の夫、ラフカディオ・ハーン(日本名小泉八雲)は私自身、これまで名前は知っていたものの、具体的にどのようなお方だったのかはほとんど知りませんでした。
ですが、名作となった『あんぱん』の次の朝ドラにも期待が募る今、小泉八雲のことを調べてみると、実に興味深い方であったことがわかりました。
というわけで早速私はその代表作『日本の面影』を手に取ったのでした。
私が読んだのは角川ソフィア文庫版の『新編 日本の面影』です。小泉八雲の『日本の面影』そのものはかなりの大作だそうですが、この『新編 日本の面影』はその中でも彼らしさを堪能できる優れたものをピックアップして編纂されています。
そのため小泉八雲とはどのような人なのかを知りたい私のような入門者にとっては実にぴったりな一冊となっています。
しかも翻訳も新訳ということで、現代を生きる私たちにも非常に親しみやすい文体で語られています。私も読み始めてすぐに、その読みやすさに驚きました。
また、巻末の解説が充実しているのも嬉しいポイントです。ひとつひとつの章についての解説もあり、本編を読む前にこちらの解説を読むことでよりわかりやすく本文を楽しむことができます。『新編 日本の面影』は小泉八雲の代表作でありながら入門書としても楽しめる素晴らしい一冊です。
さて、ここからは本編そのものについてもお話ししていきたいと思います。
正直申しまして、私はその冒頭からしてビビッとくるものがありました。
特に次の箇所です。
本文で触れているような、日本の民間信仰、とりわけ仏教から派生した考え方や、珍しい迷信などは、新しい日本の知識階級にはほとんど受け入れられていない。(中略)
日本の知識階級は、超自然的なものに関する認識については、はなから過度に侮辱する嫌いがあり、刻下の宗教的な大事となると、完璧に無関心である。大学で近代哲学を学んでも、社会学とか心理学とか、その学問的関連性を独立して研究しようなどという気はほとんど起こらないようだ。彼らにとって、迷信はただの迷信でしかないのだ。迷信と日本人の情緒との関連性などに至っては、まったくもって興味の対象外である。
知性ある日本は、このたった二、三十年の間に不可知論を唱えるようになった。このように精神的な変革が急激に行われたことが、今の上流階級の仏教に対する態度の原因のすべてである、とまでは言わないまでも、主要な原因の説明にはなるのではなかろうか。現在のところ、彼らの態度はほとんど狭量に近いと言える。
この箇所を読み、私は痺れました。「今から130年も前にこんなことを言ってくれていた人がいたなんて!」と感嘆したのです。
私は僧侶です。
私は僧侶として「自分の仏教とは何か」をこれまでずっと研究してきたのでありますが、私にとって大きなつまずきの石となったのが日本仏教堕落説というものでした。
これを極々簡単に言うならば、「日本の仏教はお釈迦様(ブッダ)が説いた本当の仏教とは異なる堕落した教えである。だから日本の仏教は迷信的で信仰に値しないものなのだ」という説です。
私はこれにどうしても納得のいかないものがあったのですが、ここ数年の学びでようやく腑に落ちたことがありました。
それがこうした「日本仏教堕落説」が明治以後、西洋文化輸入の過程で登場してきたのだということです。つまり、西欧化を進めるために従来の考え方を全否定したい人たちがたくさんいたということです。廃仏毀釈もまさにそうした国家的な大転換の過程でなされています。
このメカニズムについて詳しく解説されているのがフィリップ・C・アーモンド著『英国の仏教発見』という本です。この本は直接的には明治維新や廃仏毀釈については書かれてはいませんが、なぜ日本仏教堕落説が語られるようになったかを実に的確に分析しています。
ここでは長くなるのでこれ以上詳しくはお話しできませんが、この本を紹介した上の記事では他にも当時の日本仏教批判の裏側を知れる刺激的な参考書をご紹介していますのでぜひご参照ください。
さて、話は少し反れてしまいましたが、小泉八雲はこうした上流階級や知識人たちが日本人の素朴な信仰を馬鹿にしたことを見抜いていました。
これに私は痺れたのです。本当はもっと話したいことがあるのですが、この話題はここまでにしておきます。
とにかく、私はこの時点で小泉八雲という方がとてつもない分析力の持ち主であることを感じ、すでにファンになりつつありました。
そしていざ本編が始まると、これはもう確信に変わりました。
日本の通りを駆け抜ける初めての人力車の旅は、とても愉快な、驚きに満ちた体験だった。どこへ行くにも、俥屋とは身ぶり手ぶり、しかも必死に手を動かすことでしか、意思の疎通が図れないそれが何とも言えず楽しく、なにより新鮮だった。それは、自分が東洋に、そう活字の世界でしか知らなかった、長年夢見た極東の国にいるんだ、という実感を初めて与えてくれるものであった。
異邦人による日本の旅の新鮮さをこれほど見事に表現した小泉八雲に私は喝采を惜しみません!
何より、「自分が東洋に、そう活字の世界でしか知らなかった、長年夢見た極東の国にいるんだ、という実感を初めて与えてくれるものであった。」という言葉は彼の言葉です!日本への憧れが込められたこの熱い言葉に私はぐっときます。
こうした異国への憧れとその旅の記録というのはあのゲーテの『イタリア紀行』を連想してしまいます。
私は彼の『イタリア紀行』が大好きなのですが、その旅行記もまさに憧れの国への熱い思いが満ちた作品となっています。そして単にその地の地理風土を記すだけでなく、そこで感じた自分の思いや人々の分析まで赤裸々に語るのが『イタリア紀行』の魅力でもあります。
小泉八雲の『日本の風景』もまさに日本の『イタリア紀行』のような作品です。「日本のイタリア紀行」なんて謎な言い方をしてしまいましたが、そうとしか言えないほど見事な旅行記となっています。冒頭からして私はノックアウトでした。上の引用の直後も実に素晴らしい文章です。
しかし、これまでまったく未知だった世界を、この目はたしかに見ている。そんな当たり前の事実を十分承知しながらも、私はどこかうっとりとしていた。その日のあまりの神々しい美しさに、私の意識も尋常ではなかった。日本の春のひんやりした、雪を頂く富士の高嶺から風の波が運んでくる、その朝の空気には、言葉にならない魅力があった。それは、むしろはっきりした色調というより、やさしい透明感による魅力ではないだろうか。異常なまでに染み渡る、その青みを帯びた空気の透明感に、遠くのものまで驚くほどくっきりと見えている。日ざしは気持ちのいい暖かさだ。人力車ほど居心地のよい小型の車は、想像ができない。そして、わらじ履きの車夫の動きに合わせて揺れる、キノコのような笠越しに見える通りの景色には、けっして飽きることなく、あれこれと空想をかき立てられるばかりだ。
これを読んでいると、ファンタジー要素すら感じられますよね。異邦人から見た日本というのはこういうものだったのかと私も胸打たれずにはいません。私もそんな日本に行ってみたいです(笑)
そして日本の芸術や文化に対するリスペクトもこの作品からはひしひしと伝わってきます。
北斎や広重をはじめとした芸術家についての分析も実に興味深いです。もはや日本人以上に日本の本質を見抜いていたとすら言えるかもしれません。ここにも異邦人だからこその視点があります。
これはものすごい名著です。これまでこの本を読んでこなかったなんてなんともったいないことをしてきたことでしょう!それほど刺激的な一冊です。
これから先朝ドラの放送でもっとこの本は注目されることでしょう。日本人にとっても異邦人から見た古き良き日本を知る上でこの本は非常に重要な作品だと思います。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
次の記事では小泉八雲のライフワークたる怪談話を楽しめるおすすめ本『新編 日本の怪談』をご紹介します。
有名な耳無し芳一や雪女、のっぺらぼうなどの怪談を楽しめる本書。
私はこの本を読んで衝撃を受けました。特に雪女には痺れました!ぜひこれは皆さんにも読んで頂きたい一冊です。怖い話が苦手で、これまで怪談話とは全く無縁だった私でしたが、この本を読んでその思いはガラッと変わりました。ぜひ合わせておすすめしたい一冊です。
以上、「小泉八雲の代表作『日本の面影』感想~朝ドラで話題!これはすごい名著です!」でした。
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