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温故知新(105)ポンペイ島 ナンマトル アンコール・ワット マルデン島(モールデン島) クスコ 幣立神宮 イースター島 「南極の顔」 久米島 グヌン・パダン マラケシュ 安房神社 シュメール

アンコール・ワット、ナンマトル、マルデン島、クスコ
 ナンマトルは、ミクロネシア連邦のポンペイ州に残る人工島群の総称で、玄武岩の枠の内側をサンゴや砂で埋めてつくられています。過去の発掘調査などの結果から、ナンマトル一帯に人が住むようになったのは紀元前後のことで、メラネシアから移ってきたと推測され、ラピタ人の流れを汲むとも言われています(Wikipediaナンマトル)。ナンマトルは、西暦500年頃から築かれ始め、ポンペイ島全土を支配する王朝(シャウテレウル王朝)が成立した1,000年頃から建設が本格化し、1,200年頃から1,500年(または1,600年)頃までにつくられたとされています。その景観は「ミクロネシアのアンコールワット」などとも呼ばれますが、アンコール・ワットとナンマトルを結ぶラインは、ナンマトルとクスコを結ぶラインとほぼ直線でつながります(図1、2、3)。

図1 アンコール・ワットとナンマトル、ナンマトルとクスコを結ぶライン
図2 アンコール・ワットとナンマトルを結ぶラインとナンマトルとクスコを結ぶライン(Google Earth使用
図3 ナンマトルとクスコを結ぶライン(Google Earth使用)

 ナンマトルから約5,300km離れ、南米大陸からは8,000km以上離れているマルデン島(モールデン島)(図4)は、1825年の発見時、無人島でしたが、先史時代に築かれたと考えられる遺跡が発見されています。これらの遺跡には、マラエと呼ばれる祭祀用の壇、住宅跡、墓の跡が含まれています。図1のナンマトルとクスコを結ぶラインは、マルデン島(モールデン島)の近くを通ります(図4)。

図4 ナンマトルとクスコを結ぶラインとマルデン島(モールデン島)

幣立神宮、マルデン島、イースター島
 マルデン島は、幣立神宮イースター島を結ぶラインの近くにあります(図5)。

図5 幣立神宮とイースター島を結ぶラインとマルデン島(モールデン島)

 イースター島が幣立神宮とつながっているとすると、ロンゴロンゴが神代文字で解読できたとされることも理解できます。イースター島のモアイ像は、7世紀から17世紀頃に作られたとされていましたが、最近では、もっと古い可能性が指摘されています。玄武岩で作られたモアイ像は、2万年前につくられたとする説もあり、アフ・タハイの玄武岩モアイ像の文様は、ギョベクリ・テペの石柱の文様と似ていて、アフ・タハイの土台の線を北方に延長するとハドソン湾に到達するといわれています1)。1万5千年の歴史があるとされる御神木のある幣立神宮は「南極の顔」とつながっていますが、イースター島も「南極の顔」とつながっているので、幣立神宮、イースター島、「南極の顔」を結ぶと球面三角形が描けます。

 九州の「へそ」と呼ばれた幣立神宮ケチュア語で「へそ」という意味のクスコを結ぶラインの近くには、おのころ島神社とつながる石鎚山メンフィスとつながる金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)、神武天皇社とつながる日岡神社(兵庫県加古川市)、日吉神社(朽木雲洞谷)(滋賀県高島市)、ピラミッドともいわれる位山(岐阜県高山市)、法用寺(福島県大沼郡会津美里町)、磐梯山などがあります(図6)。イースター島も「地球のおへそ」とも呼ばれ、イースター島とメンフィスを結ぶラインの近くにナスカやクスコがあるので、幣立神宮、クスコ、イースター島を結ぶ球面三角形のラインは、「へそ」でつながっていると推定されます。イースター島のアフ・ヴィナプ(Ahu Vinapu)にある石組みは、クスコにあるインカ帝国の石組みとよく似ています1)。クスコはマラケシュやパレルモともレイラインでつながっています

図6 幣立神宮とクスコを結ぶラインと石鎚山、金刀比羅宮、日岡神社、日吉神社(朽木雲洞谷)、位山、法用寺(福島県大沼郡会津美里町)、磐梯山

幣立神宮、グヌン・パダン、マラケシュ
 幣立神宮とスンダランドと関係があると推定されるグヌン・パダンを結ぶラインは、久米島の近くを通ります(図7)。久米島の下地原洞穴では、1万5,000年~2万年前の乳幼児(新生児)の人骨が見つかっています。グヌン・パダンは、マラケシュやメンフィスとレイラインでつながっています

図7 幣立神宮とグヌン・パダンを結ぶラインと久米島ヤジヤーガマ洞窟

 幣立神宮とマラケシュを結ぶラインは、高良大社(福岡県久留米市)の近くを通ります(図8)。幣立神宮、マラケシュ、グヌン・パダンや幣立神宮、マラケシュ、クスコを結ぶラインは、球面三角形を描きます。

図8 幣立神宮とマラケシュを結ぶラインと高良大社

幣立神宮、安房神社、仁徳天皇陵
 「南極ピラミッド」や「南極の顔」とつながる、忌部氏が建てたとされる安房神社と幣立神宮を結ぶラインは、熊野本宮大社フェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を通ります(図9)。このラインから、幣立神宮も忌部氏と関係があると推定されます。

図9 熊野本宮大社、安房神社、幣立神宮を結ぶ三角形のライン、熊野本宮大社とフェロー諸島を結ぶラインと大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

 皇室の菊花紋の根底にある菊の歴史は古く、仁徳天皇が即位した古墳時代にまで溯るといわれ、シュメール王朝では、その王家を象徴する家紋として菊花紋に似た十六芒星が使われたようです(天皇家の菊花紋 古代西アジアの王家紋章に酷似する菊花紋の背景を探る)。シュメールのイナンナのシンボルは八芒星または十六芒星です。忌部氏はシュメール人と関係があると推定され、また、三種の神器の八咫鏡はイナンナ(八芒星)と関係があると思われるので、シュメール文明の家紋と日本の皇室の菊花紋が似ている理由がわかります。

文献
1)大地 舜 2025 「イースター島のモアイ像は2万年前に作られた」 月刊「ムー」8月号 第537号 ワン・パブリッシング