見出し画像

85年パソコン美少女達への憧れ。ラップスキャンとLINE&PAINT

1985年、ようやくのことでMSXを入手した僕がまず挑戦したのが美少女CGでした。レトロパソコンの美少女CGはアニメの発展とも連動した日本独自の誇るべき文化でした。しかしその作製には、あまりにも困難な壁が幾重にも立ちふさがるのです。
今回はパソコンでのCG作成の困難さと、それを乗り越えて産み出された輝ける女神たちの魅力について綴ります。


RetroGallery様より。
彼女たちに会うために、パソコン少年の道を選んだ人も多かったと思います。

❶美少女CGへの限りない憧れ

小学6年生だった1985年の夏休み明け、念願のMSXを入手した僕は何から挑戦しようか迷ってました。プログラミング、音楽、ゲーム制作とやりたいことは目白押しでしたが、どうしてもやってみたかったのが美少女CGなのでした。これはアニメファンのFM-7くんが散々『うる星やつら』のラムちゃんのCGを自慢していたからなのです。


RetroGallery様より。84年1月のFM-7版「ラムちゃんのジグソー」
FM-7くんの家に遊びに行くたびに見せつけられましたよ!

当時8ビット御三家としてホビーパソコンの主流になっていたPC-8800、FM-7、X1各シリーズは640×200ドット8色という、世界的に見ても強力なグラフィック能力を持っていました。256×240ドット、しかも家庭用テレビに接続するファミコンとの差は歴然で、これに憧れるなというのが無理というものです。前回紹介したFM7版のPC版ウイングマンに衝撃を受けたのもこの頃でした。

1984年にこのアニメ以上の美しさのCGは衝撃でした。


今回の舞台となる1985年はファミコンブームの幕開けの年でした。やはり9月に発売されたスーパーマリオブラザーズの衝撃は大きかったです。写真の右にしれっとセガSC-3000が見えますね。

僕の世代の方は皆この写真の光景を体験されたのではないでしょうか。ファミコンを持っていなかった僕でさえこの中の一人でしたよ。ゲームというものが一般のホビーとして定着しようとしていた歴史的瞬間でした。しかしその裏のデジタル世界では、ドロドロのパソコン少年達の暗闘が繰り広げられていたのです。


85年のファミコンではCGを使用したゲーム自体が殆どありませんでした。前回紹介したポートピア連続殺人事件ですが、家庭用テレビだともっと滲みがあったと思います。

僕は絵心もなく、結局CG制作も全く出来なかったので与太話として聞いて欲しいのですが、本来パソコンが得意とするのは直線で構成された画像、例えば近未来的なSF世界と言ったものの筈でした。しかし実際に制作されたCG画像は圧倒的に美少女CGだったと思います。


MSXマガジンに掲載された大野一興氏の芸術的なCG


こういったSF世界にも猛烈に憧れましたが、今回は美少女CGに話を絞ります😁

当たり前ですが美少女を構成するのは曲線で、特に髪の描写は複雑です。さらにその美しさのキモになる肌色を8色で表示するには、いわゆるタイル張りという中間色を出す神業が必要とされるのでした。


パソコン雑誌にはよくCGを使用したカセットレーベルが付録されていました。いのまたむつみ先生の幻夢戦記レダは大人気。赤い髪の朝霧 陽子ちゃんが素敵です。長髪は描くのが大変なんですよ。


その後陽子ちゃんは麗子と改名してパソコンの世界に殴り込み。赤い髪とビキニアーマーがソックリでした。夢幻戦士ヴァリスの伝説はまたいずれ…

なぜそこまでパソコン少年たちが美少女CGに惹かれたのか、悪友のFM7君やX1君と居酒屋談義したことがあります。1985年というと既にアニメが子供たちのホビーとして完全に定着していました。人気アニメの放送翌日はその話題で持ちきりでしたね。今以上にアニメが子供たちの共通言語だった時代だと思います。
その中で美少女ヒロインの重要性は高まりを見せていきました。どのキャラクターをアニメ美少女の元祖と呼ぶのかは議論の余地があるでしょうが、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』では総乗組員数は114名に対して女性乗組員は森雪一人という、まだ非現実的な設定でした。


1978年の革命的作品である「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」においてもキャラクター女性枠は森雪一人でした。テレサは反物質世界の住人なので除きます。サーベラー?誰それ?😁 下品な話だと現実世界だったら、 ユキ を巡って乗組員同士で内乱が起こっていたのでは🤣


1983年『クラッシャージョウ』のアルフィン姫のキャラクター造詣は、パソコンゲームに大きな影響を与えたと思います。安彦良和先生の美少女は抜きに出ていました。


というか1985年の元祖ゲーム界の見返り美人『SAVIORセイバー』のオフェーリア姫はそのまんまなような気が…


1985年になるとアニメ雑誌では盛んに美少女キャラクター特集が組まれました。

しかし1979年の『機動戦士ガンダム』では戦場での青春群像劇として複数の女性キャラクターが登場し、1981年の『うる星やつら』ではいよいよ美少女ヒロインが主人公に。1985年はガンプラブームの絶頂期で、アニメの主役は『機動戦士Ζガンダム』でした。この作品ではフォウ・ムラサメやハマーン・カーンといった本来敵役の美少女に人気が集中したことが印象に残っています。このようにアニメの進化の過程で美少女キャラクターは不可欠な存在となっていたのです。


フォウ・ムラサメのそれまでにない美少女キャラクター像と悲しすぎる終結は、凄く印象に残っています。


この頃の僕の愛読書「アニメヒロイン美少女大百科
読み過ぎてボロボロになってしまいました。

しかしまだまだビデオデッキが普及する前でしたので、アニメを見るには生放送しかなく、その全てを脳内に焼き付けていなければならないのでした。お気に入り番組の放送時間が重なることは文字通り「死」を意味します。

例えば僕は松本零士先生を崇拝していましたので、1982年に放送された『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』の裏番組が『うる星やつら』で絶望しましたよ。で、どっちを諦めたのかって?僕はそんな甘ちゃんじゃないですよ。


この時夢の中でキャプテンハーロックから井上真樹夫さんの声で
「お前はラムを取るか、それもよかろう」
と宣告されて、「違うんですキャプテン!これには訳が…」と僕が言い訳するシーンで目が覚めました😅


キャプテンハーロックに逆らえる訳ないですよ。


ハーロックの声優を長らく務められた井上真樹夫さんは「8ビット時代から25台ほどつぶしている」というパソコンマニアだったんです。この時どの機種のユーザーだったのか聞けなかったことを今でも後悔しています。もしハーロックや石川五ェ門がMSXユーザーだったら感激だなあ。
2019年にお亡くなりになる直前の投稿で凄く印象に残っています🥹

僕は通っていた絵の教室の先生の息子さんの大学生がアニメファンで、当時高価だったベータビデオデッキを所有していたことを聞きつけ、無理やり押しかけて弟子入りしたのでした。事情を聞いた師匠は笑いながら

😁「その意気やヨシ!お前マニアの素質あるぞ」

と『わが青春のアルカディア』の録画を快諾してくれたのでした。この時期はまだビデオテープの値段もバカにならなかったんですよ。このアニメの師匠との悲しい別れについては以前投稿しました。


1985年7月ソニーのMSXとの接続を売りにしたニューベータマックスBetaPRO。239,800円で、現在だと50万円近い感覚でしょうか。師匠もこの頃バイトして意地で購入したそうです。テープも1000円以上とバカにならない値段で、師匠は録画するアニメを厳選していました。


気合いの入ったアニメファンの中には8ミリ映写機を購入する人もいました。 ソフト別で398000円ですよ!現在では100万円近い感覚です。黎明期のアニメファンは恐ろしいですよ😁

そんな訳で自分のパソコンのディプレイに美少女達が写る興奮は特別な物があったのでした。

😍「いつでも好きな時に彼女たちに出会える!」

これがパソコン少年たちが美少女CGに拘る大きな原動力になったという結論になったのです。勿論その後ビデオデッキやDVDが普及してもパソコンの美少女CGの人気は衰えませんでしたが、PC黎明期において彼女たちが特別な存在だったことは間違いないと思うんです。

やっぱりいつでも自分の愛機でアニメヒロインに会えるというのは感激だったんだと思います。僕はMSXだったのでダメでしたが😅Old Game Databaseさんが動画をあげてくれました、必見ですよ。この動画からキャプチャしています。

❷伝統芸ライン&ペイント


アスキーが発行していた人気シリーズ、ポケットバンク。MSXの貴重な入門書で、こういったアスキーの手厚いサポートがMSXの根底を支えていました。


ポケットバンクの第一号は「アニメC.G.に挑戦」これでCGの基礎知識やLINE&PAINTを学びました。題材がアニメというのが読者のニーズに答えてましたね。


『The ♥かぼちゃワイン』のエルちゃんや、『ミンキーモモ』が登場しています。

ではどうやってパソコンで絵を描くのかというと…一番基本的なプロブラム言語であったBASICのLINE&PAINTを習得する必要がありました。恐らくこの時代のパソコンユーザーのほとんどが経験したのではないでしょうか。LINE&PAINT命令はほとんどの機種のベーシックに採用されており、基本は同じなので僕はFM7君に教えて貰いました。


パソコンを入手すればこんな素敵なCGをすぐ制作できると思い込んでいましたが、現実はそう甘くないのでした。
これらのCGはライン&ペイントではなく、さらに上の技術を使用しています。
Old Game Databaseさんの動画からキャプチャ。

知らない方のために簡単に説明すると、定規やコンパスで絵を描き、それを塗りつぶすというイメージでしょうか。黎明期のAVGはこの方法で描写されたものが多く、テープでロードした後に画面がゆっくりと線で描写されていき、最後に塗りつぶす工程はお馴染みでした。この方式はファミコンなど家庭用ゲーム機には採用されなかったので、パソコンユーザーだけの体験だったように思います。


オカルトAVGの代名詞『白と黒の伝説』
内容も狂気じみていましたが、同梱された赤ん坊の泣き声がサンプリングされたカセットテープのサウンドが完全にイカレていました。CGはLINE&PAINT命令バリバリで、タイトル画面を見るのにカップラーメンが出来るどころか食べ終わるぐらいの時間がかかります。
夏休みに「あなたの知らない世界」を見ながらプレイすると恐怖度倍増。

しかし現在のようにマウスやペンタブレットが普及していなかったため、直接パソコンで絵を描くことは難しかったのでした。かといって紙の絵を取り込むことの出来る、便利なスキャナーなんてものはとんでもなく高価で使えません。そこで考え出されたのがラップスキャンという荒業でした。サランラップを使った原始的なコピー技法なんですが当時みんなやってましたね。12歳になる甥っ子に話したところ全然信じて貰えなかったんですが、実は90年代16bit機の時代にまで引き継がれていた長い歴史がある方法なんです。

1984年のデジタイザ。この頃は基本白黒で、お値段148000円


FM7に接続して実際に使用している所。ペン形状ではないので使いにくそう。輪郭をなぞった後にツールで色彩していきます。


手頃な価格のスキャナーは正確に定規で計りながら、分割してスキャンしなければならないので超非効率でした。このタイプは1画面に18回のスキャンが必要、しかも白黒です。所要時間が3-4分ということは合計すると…

ラップスキャンはマウスやCGツールを併用することで長く使われましたが、LINE&PAINT命令を使用する場合はさらに方眼紙などを利用して座標を肉眼で読み取る必要がありました。恐らくこのラップスキャンや方眼紙を利用したCG作成が最も原始的だったと思います。CGというデジタルを、究極的なアナログ手法で作成するのが昭和という時代の熱さでした。


1990年代の美少女ゲーム開発を描いた名著『16bitセンセーション』でもラップスキャンを使用する場面が。


1993年の美少女CGの作成工程
友達のX1君が91年頃にX68kで作製したパソコン通信用のオリジナルCG。この頃はラップスキャンもCGツールとマウスを併用していたのでかなり楽になっていたとか。


PC雑誌のCG講座。コピー機を使う場合でも慎重に適正なサイズにコピーする必要がありました。


ラップを皺などよらぬようしっかり貼り付けるのがコツです。一応これでもデジタイズになるんでしょうか💦アニメに詳しい人は、アニメセルを買って使用していました。 その後描きこんだサランラップをディスプレイ画面上に張り、カーソルでポイントして座標をカンマで区切った数列に変換する、気の遠くなるような作業が待っています。


BEEPさんのⅩから。
1983年11月のコンプティーク創刊号でもプロがラップスキャンを使用しています。


1983年にApple IIで発売された『ウィザードリィIIIリルガミンの遺産』の作成でもラップスキャンが使用されています。この技術は万国共通だったんですね。

更に版権物はどのシーンをCG化するかが重要でした。漫画はまだいいのですが、人気だったアニメをCG化する場合、ビデオ収録した物をラップスキャンでコピーしなければなりません。漫画よりアニメはカラーで色彩をCG化する時に参考になるのでアニメからのスキャンの方が人気がありましたね。
僕はFM7くんとアニメの師匠の部屋に押しかけて、ビデオ録画の『巨神ゴーグ』のヒロインのドリスちゃんをトレスした経験があります。

😟「一時停止ボタンを長く使ってるとテープが痛むだろ!」

と師匠は怒ってましたっけ。しかしそういうときに限って

😲「ちょっと待ってよ、ああラップが破けちゃった!」

😡「俺様専用の14インチテレビにマジックがついただろうが!ベンジン持ってこい!」

と、こんな有様でした。でもまあアニメファンにとってもこの方法はお馴染みだったらしいので大目に見て貰えましたが・・・僕にとって小学生と大学生が同じ趣味で交流することが出来た、凄く大切な想い出です。


『巨神ゴーグ』は当時の僕が一番ハマっていたアニメでした。アニメの師匠もその完成度を絶賛していたお気に入りで、全話録画していたのです。


パソコンゲーム版も期待していたんですが…FM7くんはその完成度に怒っていました。


アニメ雑誌のポスターから。中央に悠宇とドリスの二人が見えます。どのキャラクターも魅力的で忘れることが出来ませんよね。

こうして苦労してコピーしたラップを方眼紙に張り付けて、座標を読み取って人力でデーター化するんです。この時はマウスもなかったのでFM7君は1ドットずつ心を込めてカーソールキーを叩いていましたっけ。640×200ドットでのCG作成はベーシックでは地獄のような作業でした。


RetroGallery様より。アニメの師匠はパソコンCGの進化のスピードに驚いていました。 🤔「こりゃいずれパソコンでアニメを制作することになるだろうな」それは長い時を経て現実となったのです。

当時はマウス一つ買うのも命がけでした。PC88用は29800円、MSX用は比較的安いとはいえ12800円ですよ!翌1986年に中学校に入学した際、仲間うちで一番絵が上手かったアミーガくんはお年玉をはたいて死ぬ思いをして購入してました。しかーし学校のパソコンクラブに持ってきて自慢していたら、なんと盗難の憂き目にあってしまったのです。


モンキー・パンチ先生は熱狂的なパソコンマニアだったことは有名ですが、これは先生が自らPC8801で作製された貴重なCG広告。峰不二子の大人の悪女の魅力たっぷりですね。ワルサーP38を構える意味ありげな構図が素敵です。


しかしツール附属とは言えマウスが29800円ですよ!


使用したマウスはNeosのMS-10。
CHEESE2というCGツールとセットで約2万円で販売されました。


MSX Resource Center様から

仕方なく残ったCGツールだけでカーソールキーを叩いてCG描いてましたが「こんなの出来ねえよ!」と半ベソかいてましたよ。

😡「犯人は同じMSXユーザーに違いない!」

人間不信になっていたアミーガくんは学校内のMSXユーザーを片っ端から詰問する始末。このままではMSXユーザー同士での内戦が始まってしまう!と危惧した僕は

😨「犯人は名乗り出なくていいからマウスだけ返却してくれ」

とパソコンクラブの全員に通達した所、ロッカーから無事発見されました。誰だよパクったの!MSXの神様に誓って僕じゃないですよ😅ちなみにその後アミーガくんはMSXturboRから1993年にアミーガに乗り換え、現在ではプロの3DCG作家になっています。


アミーガくんは92年にウゴウゴルーガを見て「コレだ!」と全財産をはたいて人生を決定する決断に至りました。翌年秋葉原に「英語が出来ねえから一緒に来てくれよ。」「僕だって出来ないよ」とか言いながら購入しに行ったのでした。


ZZのルー・ルカとエル・ビアンノ。いろいろ経験していると、毎月投稿するCG職人たちが超人であることが解ってきました。


RetroGallery様より。

色々当時を思い出して書いてみたんですが、ホント冗談のような話の連続ですよね。しかし現在も活躍されているプロの方も、ここから出発したと回想される方も多いんです。
以前僕のTwitterアカウントが生きている時に、漫画家の彩画堂先生が日立の初期型MSXのMB-H1ユーザーで、当時の想い出を語ってくれたことがあります。彩画堂先生は同人誌界でいち早くフルカラー本を出版された方で、その源流にMSXがあると聞いて本当に嬉しく思ったのでした。この経緯は「工藤夕貴さん日立H1特集」で紹介しました。

❸RGB出力の衝撃


1984年のモニタ特集。当時は所有するにしても14インチが精一杯でした。
RGB出力に対応したタイプは倍近い値段がします。

MSXが入門用パソコンとして普及した理由の一つに「家庭用テレビに接続できる」というものがありました。パソコン専用のディスプレイは値段がバカ高く、当時はテレビが1台しかない家庭も多かったのです。小学生が自分のTVを所有するのは到底無理な話。MYラジカセを所有するのが夢という時代です。


85年のラジカセ、子供達の人気アイテムでした。FM番組(ここ重要!)で、自分が好きな曲や番組の内容を、カセットテープに録音して後で聴く、いわゆる「エアチェック」は必須の技術でしたね。現在では完全に死語となっていますが。 パソコン少年はそれとは別の理由で「ダブルラジカセ」の所有が重要でした。その理由はまたいずれ…


RF出力に対応したコンバーターも色々ありました。

MSXの接続方法は大きく分けて3つありました。

RF出力
ビデオコンポジット出力
RGB出力


サヌキテックネット様より。
ナショナルのMSX1「CF-3000」の背面。三つの接続方法に対応しています。

仕組みを説明すると面倒なのですが、RF出力<ビデオ出力<RGB出力の順に鮮明な画質になると思ってください。まだ家庭用テレビの多くには外部入力端子がなく、そのためアンテナ端子からチューナーを通すことでテレビ放送のように表示させる「RF出力」での接続が一般的でした。ちなみにファミコンではRF出力にしか対応していません。


RF出力を疑似的に再現。今考えるとよくプログラムできたと思えるレベルです。


ビデオ出力はその後標準になりました。発展型のS端子出力はかなりきれい。


しかしドットがはっきりと見えるRGB出力の美しさはやはり別格でした


このアニメをRGB出力ディスプレイで見れた時は感動しましたよ。

我が家もご多分に漏れずRF出力で接続していたのですが、これがまた猛烈に汚いのでした。

😞「MSXマガジンの映像と全然違うなあ。僕の松下CF2700、壊れてるんじゃないの」

前回紹介したように僕のCF2700は従弟のお兄さんのお下がりだったんですよ。FM7君は

😒「アホ!お前はRGB出力も知らんのか。」

この当時RGB出力の鮮明な画像を楽しめるのは専用ディスプレイに接続した8ビット御三家ユーザーに限られていました。1ドット単位で鮮明に映るCG画像と、滲みまくったRF出力画像では雲泥の差があります。MSXと8ビット御三家との超えられない壁を痛感した瞬間でしたね。

😏「ゲーセンの画像もファミコンとは段違いだろ。あれもRGB出力なんだぜ」


当時FM7くんが攻略していたメトロクロス。ゲーム少年がRGB出力の美しさを一番簡単に味わえる場所はゲーセンだったと思います。僕は85年あたりからゲーセンに通うようになって、MSXや家庭用ゲーム機との違いに驚愕していました。

そう言われると、益々RGB出力ディスプレイが欲しくなるんですよ。その後知り合うことになるMSXの師匠は『ヒットビットPRO』の異名を持つソニーMSXのフラッグシップモデル、HB-F900を所有していたので当然RGB出力ディスプレイに接続していました。


HB-F900はソニーが威信を賭けて開発した映像編集用のプロ仕様モデルで、猛烈に憧れました。この海外版がソ連の宇宙ステーションミールで使用されています。

😩「師匠はRGB出力で羨ましいなあ」

🤔「そういえばおめえの家、キャプテンシステムがあったじゃねえか。アレRGB出力ディスプレイだぞ。」


キャプテンシステムはMSX2に近い映像システムだったので、同じアナログRGB21ピン端子に対応していたのでした。

以前紹介したように、我が家は当時NTTが推進していたキャプテンシステムのモニターに選ばれていました。しかし高額過ぎる電話代の壁に阻まれて、そのまま置物と化していたのでした。

😲「まままマジで!」

大至急師匠に我が家に来てもらい見て貰うと

😏「おお、21ピン接続端子じゃねえか。これならイケルかも・・・ああ、ダメだ。お前のCF2700、そもそもRGB出力が付いてねえよ。ご愁傷様。」

😭「うわああああああああ」

MSX Resource Center様からCF2700の背面。RGB端子がないことに絶望しましたよ。 MSX1のRGB端子は高級機に限定されていました。MSX2では標準の機能になります。

もうね、この頃のパソコン少年は金と知識が豊富にないと何にも出来なかったんですよ。しかしこの出来事が僕がMSX2を購入する大きな動機になったのでした。翌1986年にMSX2を購入した際、RGB出力で映し出されたレイドックのタイトル画面の感動は忘れることが出来ません。


MSX、いやパソコン史上最高のCGの一つだと思っています

「RGBが正義!」と拘る人は、やはりCGを製作する絵師さんに多いようです。前述したアミーガくんが学校にマウスを持ち込んだのは、パソコンクラブのRGB出力対応ディスプレイでCGを製作したかったからなのでした。盗難後は警戒して我が家に入り浸り、狂ったようにドットを打ち込みまくっていましたね。アミーガくん曰く「🤔俺んちのビデオ出力じゃ話にならねえ」ということらしいです。


20インチを超えるRGB対応テレビは20万円を超えました。現在の50万円以上の感覚です。当時のブラウン管テレビの最高ブランド、ソニーのトリニトロンの特集はコチラ。

しかし現在振り返ってみると、RGB出力に対応した家庭用ゲーム機が定着するのはかなり後のことになります。(意外なところでは1984年のスーパーカセットビジョンがありますが…)
数は少ないながらも初代MSXからRGB出力に対応していたことは、やはりMSXがパソコンとしての創作活動を重視していたことの証明だと思います。


スーパーカセットビジョンはMSXと同じ21ピンマルチコネクタに接続してRGB出力に対応させることが出来ました。


1996年電波新聞社からPC用ディスプレイに家庭用ゲーム機を接続するコンバーターが発売されました。このとき見たメガドライブの鮮明な画像を忘れることが出来ません。

❹次回…実践編!


1985年のパソコンの美少女と言えば…天使たちの午後も外せませんね。実は映像機器の発展にはムフフ💛な文化が必要不可欠だったりします。

とまあ色々挑戦したのですが、そもそも紙に絵を描くのもおぼつかない僕が、CG作成するのは到底無理だと悟りました。それでもディスプレイ上の輝ける女神たちに会いたくてたまらず、FM7くんに借りたテクノポリスのプログラムをせっせと打ち込んでいましたよ。


RetroGallery様より。
正直いつでもこんな美しい響子さんに会える8bit御三家ユーザーが羨ましかったです。

今回はMSX1でもアニメキャラを見たい!というテーマの投稿だったのですが、前ふりだけで力尽きてしまいました。もう一度資料を整理し直して、改めて後編を投稿したいと思っています。


RetroGallery様より。ラムちゃんのCGもMSXは数が少なくて悔しかったです。

今回もなるべく資料を調べながら記述したのですが、もし内容に間違いがあればコメント欄にてお知らせください。すぐに修正いたします🙇
それではまた次回の投稿でお会いしましょう!今回も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。

                       サイボーグMSX

僕の連載した「1985年のパソコンCG」シリーズです。宜しければ覗いてみて下さい🙇‍♂️ 

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹



いいなと思ったら応援しよう!