85年MSX対8bit御三家CG対決。日本の伝統芸タイル張り
初代MSX1と8ビット御三家の「超えられない壁」とはメモリでもCPUでもサウンドでもなく、1981年発売という骨董品の画面表示能力に集約されていました。MSX1の汚い画面はパソコンとして十分な能力を有していたにもかかわらず、「パソコンもどき」「劣化ファミコン」と揶揄される格好の標的にされていたのです。
同時期に発売されたファミコンと比べてもMSX1のCGの弱さは明白で、ゲームでも8ビット御三家とは明らかな格差がありました。今回は市販のゲームのCGの進化を振り返りながら、MSX1の苦闘の時代を綴ります。
今回はムチャクチャ長くなってしまったので、興味のあるゲームタイトルだけでも見て下さい🙇

販売台数では圧倒的にMSXなのに、8bit御三家との差は何?と泣きそうになりました。

😤「FM-7とFM-77は同じ機種だから実質優勝!と息まいてましたが…」


ホビーパソコンの帝王として君臨していました。
❶進化するパソコンのCG
前回まではアニメ美少女をCG化するというテーマだったので、主に投稿CGのお話がメインでした。今回は市販ゲームのCGの進化について述べたいと思います。80年代前半、パソコンのCG画面は存在そのものが貴重だったので、ゲームに登場するだけで感激という感じでした。しかしCGは無茶苦茶データーを喰うので、前回お話しした1985年位にフロッピーディスクが普及するまで、それほどゲーム画面に登場しなかったんです。

一方多種多様な規格が乱立した黎明期パソコン戦国時代は1983年あたりで決着が見えてきました。PC-8800(NEC)FM-7(富士通)X1(シャープ)の三機種が主軸になる8ビット三国志時代を迎えることになります。この三機種のグラフィック能力は640✕200ドットで8色、1ドットづつ自由に色指定が可能という共通性を持っていました。その為CGやゲームの移植がしやすく、8ビット機パソコンゲームも黄金期を迎えることになります。それでは時代を遡って黎明期から85年までのCG画像を見て行きましょう。
1984年6月『Emmy』

1984年、漆黒のPC8001画面に舞い降りた天使がEmmyことエミーちゃんでした。
・性格悪そう
・バカっぽそう
・おだてれば脱ぎそう
と言うことが一目瞭然!パンチラのアニメが眩しいです😍160×100ドットの芸術を堪能してください。

当時から「ポンコツ人工無能」やら「劣化ラブライブ!」と散々な言われようでしたが、野球拳のような単純なゲームではなく「チャット感覚で会話」と言うのがパソコンゲームとして秀逸でした。
🤷♀️「ウッソー」「ヤッダー」
ワガママに振り回されるたびに、愛機が本物の女の子であるような感覚を感じたんだと思います。

当時のゲームにしてはエミーちゃんのポーズは結構豊富なんですよね!何と当時フロッピーディスクドライブが超高級品だったにも関わらず、ディスク版専用ゲームとして販売されているんですよ。エミーちゃんに会いたいがためにFDDを購入した猛者もいたとかなんとか。パソコン少年はホントバカですね~

1984年5月『ニュートロン』

『ドアドア』を大ヒットさせた中村光一氏のタイトル第2弾となった『ニュートロン』。ドアドアと同じく1画面固定のアクションパズルの名作です。実はディスク版のみこの謎の美少女が描かれるCGが用意されているんですよ。勿論ゲーム内容とは全然関係ありません。多分容量が余ったのでロード画面のサービスで入れたんでしょうが、作者の中村さんもこのCGの反響が多くて驚いたとコメントされたりしてます。

悪友のFM7くんはテクノポリスでこの美少女を発見し、即購入を決定。テープからを起動した所、真っ黒なロード画面が表示されて逆上してました。腹の虫が収まらないFM7くんは、行きつけのパソコンショップに「ディスク版と変えてくれ」と要望したところ、「FM7のディスク版はありません」と宣告されて絶望してました。いやぁ、パソコン少年は本当にバカですね~😁(水野晴郎さん風に)

1984年11月『ウイングマン』

パソコン美少女CGの頂点はうる星やつらのラムちゃんでしたが、ゲームとして先陣を切ったのはウイングマンだったと思います。僕は美少女ゲームのオリジンはウイングマンじゃないかと思うんですよね。この作品については以前徹底的に特集したので、興味のある方はこちらをご覧ください。
1985年1月『エルドラド伝奇』

数多くのFM-7の傑作を作成している、漫画家の槙村ただし先生の作品。先生はすがやみつる先生の影響でパソコンを始め、富士通製のパソコンFM-8を購入したという生粋のパソコンマニアなんですよ。先生は伝説の作品『マリちゃん危機一髪』で1982年の第一回エニックスホビーゲームコンテストの優秀プログラム賞を受賞しています。中村光一さんや森田和郎さん、堀井雄二先生らが参加した、当時の最高峰のコンテストです。この時はCGを製作するのに苦労し、例のラップスキャンを行ったそうです。


当然FM7くんも持ってました。
この『エルドラド伝奇』ではザースを製作した杉江正氏のプログラムを使用してデジタイスされたそうです。二つの作品から2年間でのCGの進歩を感じてください。
つまり漫画家が片手間に作成したゲームではなく、槙村先生が真剣に取りくまれたガチの傑作なんです。漫画家という絵のプロがCGを作成した、最初期のゲームとして記憶に残っています。元祖猫耳少女「アマゾネコ」の姉妹のお色気シーンも印象的でしした。



1985年3月『サンダーフォースSR版』

メガドライブの伝説的シューティングゲーム、サンダーフォースの初代はパソコン版だったんです。作者はこの時代を代表する天才プログラマーうるにゃんこと吉村功成さん。パソコンのSTGの常識を変えた傑作で、8方向に超高速でスクロールするのがウリ。この高い技術性がサンダーフォースの伝統として継承されていくことになります。後に発売されたPC-8801mk2SR専用版は画面処理のスピードも上がり、演出も強化されました。そのためSRの販売促進用にパソコンショップでよく展示されていましたが、このタイトル画面は記憶に残っています。

1985年5月『ザ・スクリーマー』

ファミコンでは絶対に不可能な狂った世界観を誇る、イカレRPGの最高峰『ザ・スクリーマー』。基本は3DRPGなのですが、元はAVGとして企画されていたので、ビジュアルシーンも充実していました。終末戦争後の退廃的なビジュアルにマッチした、東本昌平先生のキャラクターデザインが光ります。この作品も以前特集したので、興味のある方はこちらをご覧ください。
1985年月数不明『魔法使いの妹子』

前回も紹介した最初期の同人ソフト『魔法使いの妹子』。FM-7用、PC-8801用が同じディスクで立ち上がるハイブリッド仕様で、FM-7君の家でプレイした懐かしい作品です。FM-7君は秋葉原の露店で「あやしいなあ」と思いながらも購入したそうですが、市販の作品に迫る内容に驚いていましたね。小学生の僕は同人ソフトの意味が解らずFM-7君に聞いたところ「会社じゃなくて個人で作ってるゲームを売ってるらしいぜ」と教えて貰って衝撃を受けましたよ。「そんなすげえパソコンユーザーがいるのか!」と社会の秘密をまた一つ知った気になりました。

同人ならではの破天荒な展開でしたが、画像描画も早く、美しいCGを含め非常にレベルの高い作品でした。後に九十九電機から一般販売されることになり、当時もっとも知られた同人ソフトだったと思います。まだアングラの存在だった同人ソフトが市民権を得る先駆けになった、記念碑的作品と言えます。

1985年6月『天使達の午後』

今までのCGと質が違うのがご理解頂けると思います。
アダルトゲームではなく、「美少女ゲーム」というジャンルのオリジンとなったパソコンゲームだと思います。明らかにアニメを意識した美少女が、ムフフ💛ゲームとして登場したインパクトは絶大でしたね。




この頃は18禁もクソもない時代だったので、8bit御三家のユーザーは学生でも皆持ってましたね。中学校1年生でPCショップで購入したFM7くんはゆうしゃですけど。え、MSX版?聞かないで…😅

1985年9月『棋太平』

将棋ソフトのロングセラーで、発売元のエス・ピー・エス初期の看板製品となりました。これもパソコンショップのデモでよく使用されていたので、タイトル画面のCGが印象に残っています。
1985年の10月『セイバー』

まだホビーとして使用されていなかった16bit機であるPC9801専用として発売された異色の作品です。8bit機では不可能だったアニメーションが多用されていて、強烈なインパクトを残しました。実際の所PC98を使用するゲームユーザーは多くなく、販売的には不振だったそうです。にも拘らずこの世代のパソコン少年の認知度が高いのは、ベーマガで山下章さんが紹介したからかもしれません。



1985年9月『ウィル』

85年は名作AVGの年でしたが、16bit専用セイバーのオフェーリア姫はPC少年にとって高嶺の花。対してスクウェアが送り出した清純派アンドロイドのアイシャちゃんは多くの8bit御三家ユーザーのハートを鷲づかみにしたのでした。

『ウィル』はハードボイルドAVGのデス・トラップの続編で、アイシャちゃんのアニメが一世を風靡しましたが基本は同じ正統派AVG。彼女に会うにはかなりの試練を突破しなければなりません。彼女が目を開いた瞬間「おお!」と友人のFM7君と歓喜の声を上げたのを覚えています。

その後お決まりの展開でアイシャちゃんは同伴してくれるのですが、表情がコマンドによって変わったりと細かいサービスをしてくれたりします😍😻
1985年10月『ナナちゃんのスター誕生』

これもベーマガのチャレアベで、山下章さんが攻略して知名度が上がった作品だと思います。人気番組だった「スター誕生!」を意識した作風で、主人公ナナちゃんの愛らしいキャラクターが印象的でした。正統派美少女ゲームの隠れた傑作です。

CGの質よりもキャラデザの勝利という感じです。




天使たちの午後とはコンセプトが違うゲームです。
1985年10月『コズミックソルジャー』

前回『アニメの影響を受けたパソコンゲーム』という特集をしたんですが、すっかり忘れていたのがこのコズミックソルジャー。内容は基本的な3DRPGなのですが、SFアニメを意識した美人アンドロイドがサポートしてくれるというシステムが本作を際立たせていました。主人公より巨大に描かれたレオタードの美少女のインパクトは絶大でしたね。工画堂スタジオは元々デザイン会社だけあって、その後も独創的な世界観の作品を数多く送りだしています。

ちなみに「コズミックソルジャー」で検索すると、検索候補の最上位に「にゃんにゃん」と出て爆笑してしまいました🤣このネタは有名なんですね。全然関係ないですが、元ネタになった「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の」と書いた記者のワードセンスは最高にイカレていると思います。
また町中にあるジャンクショップに先ほど紹介した「Emmy」というアイテムが売っていたりします。敵が関西弁で話したりするのも工画堂独特のセンスでした。

毎月楽しみでしたよ。
1985年10月『ザナドゥ』

もはや説明不要ですね。起動する時に表示されるこのタイトル画面には心が躍りました。日本ファルコムはゲームのロゴデザインに非常に力を入れていて、ロゴは加藤正幸社長が自らデザインした物なのだそうです。「神は細部に宿る」と言いますが、ゲームの細かい部分にも妥協せず、品質を高める姿勢がファルコムをトップメーカーに押し上げたのだと感じました。あえて文句を言うと、このタイトル画面MSX版にはないんですよ!


1985年11月『夢幻の心臓Ⅱ』

同じ1985年に発売されたザナドゥやハイドライドIIに知名度で劣りますが、それらに比類する影響を日本のゲーム界に与えた作品です。全てを解説すると長くなるので割愛しますが、CGに話を絞ると全モンスターに大きな1枚絵が用意されていたことが画期的でした。これによってより戦闘に緊迫感が生まれ「次はどんな怪物が出て来るのだろう」というモチベーションにも繋がりました。言うまでもなくこのエッセンスは初代ドラゴンクエストに繋がっていくのです。

1985年11月『地球戦士ライーザ』

だってイントネーションが似てるじゃん!
当時人気絶頂だったサンライズ系ロボットアニメを強烈に意識した作品です。登場メカやキャラクター設定、シナリオ全般など、すべての面においてTVアニメの水準までパソコンゲームの世界を引き上げてくれました。ゲーム途中に挿入されるビジュアルシーンが物語を盛り上げてくれましたね。グラフィックデザインをその後のドラゴンクエストで活躍される眞島真太郎先生が担当していました。ライーザはMSX版についても後に解説します。





1985年12月『三國志』

ご存じ光栄の2大看板作品の1作目です。このゲームを語りだすときりがないのでCGに話を絞りますが、全武将にオリジナルの顔グラフィックが用意されている点が極めて画期的でした。それまでのシミュレーションゲームでは「駒」であるユニットに過ぎなかった武将一人一人に個性を与え、キャラクター性を生み出すことに成功した秀逸な演出だと思います。




注目して欲しいのは、これらのCGは基本的に640✕200ドットで8色で作製されていることなんです。同じフォーマットでも、1年間の間でCGのレベルが急激に向上していったことを感じて頂けると嬉しいです。
❷この流れに乗れなかったMSX1の悲哀
しかし、この「乗るしかない、このビッグウェーブに」全く乗れなかったのがMSX1ユーザーだったのでした。パソコンCG文化はまず市販のゲームが先行するケースが多いのですが、1985年のMSXゲームのCGのレベルも振り返ってみましょうか。8bit御三家のCGとの違いを見てMSX1のしょぼさを実感してください。基本的にテープのAVGが多いのですが、広告などは以前の投稿を参考にして頂ければと思います。
1984年発売『ミステリーハウス』

古典的名作アドベンチャーゲーム『ミステリーハウス』。この時期はカラーのCGがあるだけで嬉しいという感じでした。黎明期の代表的なAVGで、2800円という値段も時代を感じますね。ちなみにパッケージは紙のかなり安っぽい作りの箱で、まだパソコンゲームが高級感を売りにする以前の時代の作品と言えるかもしれません。


1984年発売『黄金の墓』

人気アドベンチャーゲーム『黄金の墓』。前回紹介したPAINT&LINE命令バリバリの描写で、ゲームをプレイしている時間よりCGの待ち時間の方が長いくらいです。それでもエジプト探検という夢のある冒険映画をイメージした演出や、軽薄な主人公の独特の雰囲気がいい味を出していました。
これも紙のパッケージなんです。現在手元にあるので調べてみたら、何とMSXと書かれている部分は全てシールで上から貼られていました。一番大きな「黄金の墓 MSXカセット版」というタイトル部分も実はシールでビックリしましたよ。元は多分オリジナルのPC6001版の箱みたいですね。裏箱のゲーム画面の部分もオリジナルのPC-6001版のようです。



1985年、年末発売『白と黒の伝説』

MSX史上、究極のカルトゲームとの誉れ高い『白と黒の伝説』シリーズの第一弾[百鬼編]。これまたPAINT&LINE命令バリバリです。ただこのゲームに関して言えば、ゲーム全編にわたって尋常でない狂気に包まれているので、MSX1のCGでも迫力十分でした。ゲーム内容も「深夜の精神病院→人類の敵百鬼の出現→新幹線の車内→異次元空間」と唐突過ぎる凄まじい展開になっていきます。しかし泣く子も黙るスタジオWINGは全作品このテイストで突っ走ってるので無問題。ハマる人はドはまりしますよ。最大の特徴はヤマハMSXのシンセサイザーで作成された音楽テープが付属していたところ。

スタジオWING創業者の武田治輝氏はバンドマン出身で、サウンドには非常に拘りを持っていました。黎明期のパソゲーで音楽テープが付属しているものは多々ありましたが、この百鬼編の迫力は抜きに出ていたと思います。興味のある方は動画を見てみて下さい。赤ん坊の泣き声がサンプリングされたテープを鳴らしながらプレイしていると、マジで恐ろしくて寝れなくなりました。夜中一人でテープロードすると恐怖度倍増です。




僕は小学校低学年の弟と一緒に攻略していたのですが、弟はこの悪霊の目玉が飛び出るグラフィックがあまりにも怖くて、トイレに行けなくておねしょをしてしまうという強烈なトラウマを植え付けることになりました。バイオハザードの512倍怖かったとのことです。奴はこれが切っ掛けでMSXを憎むようになり、メガドライバーの道へ…
1985年6月発売『スターアーサー伝説I 惑星メフィウス』

他機種では1983年7月に発売された『惑星メフィウス』が、MSXではようやく85年夏に発売されています。85年のAVGとしては標準的な作品ですが、壮大なスペースオペラをMSXで遊ぶというロマンにはやはり惹かれるものがありました。ただシナリオもびっくりするほど短く、解法さえ知っていれば十分もあればクリアできます。勿論テープのロード時間やCG描写の手間を省けばですが…

1985年9月発売『サラダの国のトマト姫』

1984年3月発売の当時の人気AVG『サラダの国のトマト姫』。MSX版は1年後の85年夏にようやく発売されました。MSXユーザー待望の移植だったのですが、容量の都合もあって何とモノクロなんですよ!MSX版の箱絵にもご丁寧にも「モ・ノ・ク・ロ」とわざわざ明記されています。多分こうしないと「ウチのMSXが壊れてるんじゃないか」というクレームが来ることを恐れてたんじゃないでしょうか。どうも前年84年発売の『デゼニランド』がやっぱりモノクロで、そういう電話がハドソンに掛かってきたという話を聞いたことがあるんです。
この作品は色々な野菜や果物のキャラクターが登場するのがウリなのですが、MSXは単色なので何が素材なのかよく解らないのでした。やはり単色だった『デゼニランド』とセットで、8ビット御三家ユーザーから「MSXはショボい」とバカにされる格好の標的だったんです。


1985年10月発売『ウイングマン』

数少ない美少女キャラクターが登場する『ウイングマン』。8ビット御三家に比べると劣りますが、それでも当時のMSXとしてはかなり頑張っている作品です。この初代パソコン版「ウイングマン」については以前特集しました。前述の『サラダの国のトマト姫』直後の発売で、悪友X1君とFM7君が散々脅すんですよ。
😁「イヒヒッ、どうせデゼニランドみたいになるんじゃないの?」
😏「単色のアオイさんは見たくねえなあ。」
ですからカラーのタイトル画面が表示された時の感動はひとしおでした。



1985年11月発売『ザース』

こうして振り返ってみると、やはり『ザース』のMSX版のCGが1985年では特別な存在だったことが解ります。ミリカちゃんのCGが際立って有名ですが、その他のCGもそれまでの作品とは一線を画していました。この時期のエニックスはMSXマガジンにMSX用の独自の広告を掲載してくれていましたが、わざわざ
「これらの画面は全てMSX版です」
と書かれているのが涙を誘います。これは他の移植作品が「画面はPC8801版の物です」とか書いておいて、MSX版は全く別物だったりしていたからなんですよね。酷い場合はパッケージまで他機種の物を使用していたりしました。X1君とFM7君たちベテラン?パソコン少年達は散々痛い目にあってるので疑り深いんですよ。
😁「ケケケ、広告の写真なんか一番信用できねえだろ。」
😏「開発中の画面ですってオチもあるしな。」
実際の所、起動するまで解らないのが当時のパソコンゲームの恐ろしい所。恐る恐るピーガー音のテープロードの末立ち上がった画面を見た感動は忘れられないですね。

16色固定のMSXで「100色の中間色」という際どい表現が…




1986年末発売『MORE』

貴重な16KB対応のテープゲームでもあります。
おまけでMSXでの最初期アダルトゲームの『MORE』何と翌年の1986年末の発売なんです。MSXで実用的?なムフフ💛ゲームを遊べるようになるのには時間がかかったんですよ。ちなみに動画を見て貰えば解かるんですが、ちゃんとアニメーションするんです。

1986年夏発売『地球戦士ライーザ』

今回はお話をなるべく1985年に区切っていますが、翌1986年の夏ごろに発売された『地球戦士ライーザ』はMSX1の極限に近いグラフィックで人気となりました。それまでのMSX作品とのグラフィックの質の違いを感じてください。
このMSX版のCGは、原作者でもありその後ドラゴンクエストシリーズのグラフィックデザインを担当することになる眞島真太郎先生が自ら担当されています。流石の眞島先生でもMSXへの移植は大変だったとか。しかし先生がMSX版のCGも担当してく入れたからこその完成度だったのだと思います。
前回紹介したようにこの作品はロボットアニメを徹底的に意識した作品なのですが、そのテイストを殆ど損なうことなく移植された神移植と言える完成度です。実はこのMSX版ライーザやウイングマン、後のドラゴンクエストを移植したのは西川さんというアルバイトの大学生だったそうですから驚きです。



しかし1986年の年末に廉価版MSX2の決定版とも言えるパナソニックFS-A1が普及すると、美しいグラフィックが必須となるゲーム移植の主軸はMSX2に移っていきました。メガロムの普及も相まってMSX1はアクションゲームを中心に生き残りを図ることになります。結果手間のかかるMSX1のCGを作成するメリットが少なくなってしまったため、コナミなどの例外を除くとMSX1のCGの進化はこのあたりで打ち止めとなってしまった感がありました。そういった意味でライーザはMSX1テープ時代の最後の大作という気がします。





何時か改めて特集したいですね。
見て頂いたようにMSXと8bit御三家のゲームではかなりの違いがあったことがご理解いただけたかと思います。同じゲームをMSXに移植してもドット数が違うので、ゲーム性が全く変わったりすることもざらでした。前述したとおり8bit御三家はほぼ同一のグラフィック能力だったので、先行してPC88版が発売された人気作品がFM-7やX1にすぐ移植されるのは超絶羨ましかったです。1年近く待ってようやく発売された『サラダの国のトマト姫』を起動したときは絶望的な気持ちになりましたよ。勿論現在では苦労してMSX1に移植してくれたメーカーさんには心より感謝してるんですが、当時の心境としては
😭「ザースやライーザ位頑張って移植してくれよ!」
というのが偽らざる心境でした。今考えるとザースやライーザの方が特別なんですけどね。その為MSX1はコナミを筆頭に8bit御三家の苦手とするアクションゲームに活路を見出すことになります。ところが、こっちはこっちでファミコンという怪物が立ちふさがるんですが…まあその話はいずれ。

❸8bit御三家だけの特権、秘技タイル張り

当時のパソコンの主流だった8bit御三家は640×200ドットで8色という、世界的に見ても強力なグラフィック能力を持っていました。色数はMSXの16色に比べて8色と少ないのですが、タイルパターンという職人芸で肌色などの中間色を出していました。赤、緑などの色を一定の間隔で並べて、肌色のようにみせるんです。人間の目の錯覚で細かく異なった色をならべると違う色にみえる訳ですね。この技法はドットが細かく、1ドットづつ自由に色指定が可能という8bit御三家のCG性能に非常にマッチしていました。次世代の16bit機のPC-9801シリーズにも引き継がれた、日本のレトロパソコンの伝統芸と言っても過言ではないと思います。



この時期を回想すると8bit御三家は1985年を境に全く投稿CGの質が違っています。これはこの年PC8801用の革命的CGツール、ダ・ビンチが発売され、その後様々な機種に移植されたことが理由でした。これによってタイル張りを手間をかけずに729色の中間色が使えるようになり、CGのレベルが一気に上がっていったのです。





このタイル張りによる中間色を出すテクニックはレトロパソコンではおなじみなのですが、何とMSX1では使えないんですよ。そう、例の「横8ドットで2色」という厄介な壁がこれを阻んでるんです、またお前か!。しかしそれでも意地でMSX1での中間色に挑戦する猛者たちが現れるんですが・・・それは次回に譲ります。


❹36点も投稿!超人、木村明広先生

木村先生の描くラムちゃんは素敵ですね。
ダ・ビンチの名を一躍有名にしたのは、現在も多岐に渡って活躍される木村明広先生が常連投稿者となったことも一因でした。なんと一度に36点も投稿したこともあるんですよ、超人ですよね。
その後プロになった木村明広先生が『エメラルドドラゴン』のキャラクターデザインやMSXFANの『ルーシャオの冒険』で大活躍されたことは皆さんご承知の通りです。




『エメラルドドラゴン』は魅力的なキャラクターと惹きこまれる物語、美しい演出が印象的でした。木村明広先生の描く二人のロマンスは、ゲームに恋愛描写が入る先駆けだったように思います。



一般の方にとって木村明広先生の出世作は『エメラルドドラゴン』だと思うのですが、やっぱりMSXユーザーとしてはMSXFANの『ルーシャオの冒険』を忘れることはできません。奇跡のようなメンバーが集結したMSXFAN末期の物語は、いずれ改めて綴りたいと思っています。



❺MSXだって立派なパソコンなんだ!

いかがでしたでしょうか?今回のテーマは1985年の一般的なパソコンとMSXの格差についてです。念のために言っておくとMSXは基本性能はしっかりしており、入門用のパソコンとして十分な能力を有していました。ベーシックで初心者用のプログラムを学ぶには何の問題もなかったのです。

しかし悲しいかなやはりパッと見の「見た目」は重要で、貧弱なグラフィックにはあからさまな「格落ち感」がありました。同じパソコンと言っても主力であった8bit御三家とMSXには性能にかなりの開きがあり、その文化にもまだ分断があったのです。この分断は1985年末に強力なグラフィック性能を持つMSX2が登場することによって急速に解消されていくのですが、それまでの間のMSXユーザーの悲哀を感じて頂けたらと綴ってみました。勿論このお話は完全に僕の体験した感覚なので、違う!と感じる方がいたらゴメンナサイ🙇

と同時に日本のCGで異常発達した「タイル張り」についても触れたいと思っていました。この技法は他国のCGではあまり使用されませんでした。欧米の8bitPCに比べて日本の8bit機が高解像度なのは、漢字表記が求められたからだそうです。その利点を最大限に生かし、アニメ文化と融合した美少女CGは、日本独自の誇るべき伝統文化と言っても過言ではないと思います。
この流れは『16bitセンセーション』で描かれたPC-9801の美少女ゲームの世界で頂点を迎えるのですが、その源流は8bitパソコンにあったことをお伝えしたかったのでした。



次回は数々の制約を乗り越えて、あえてMSX1で美少女CGに挑戦した超人MSXユーザーたちのお話です。元々この1985年の美少女CGシリーズはこのお話をやりたかったのですが、書いているうちに前ふりが長くなりすぎてしまいました。毎度のこととはいえスイマセン。
「てめえ、前の投稿でも同じこと書いてるだろ!」って怒られちゃいそうですが、やはりMSXユーザーになった1985年は想い出が多すぎて、書き出すとつい止まらなくなっちゃうんですよ。
僕は格闘家の現役時代に殴られ過ぎて物忘れが激しいのですが、ことMSXやレトロゲームのことになるとギンギンに記憶が冴えてくるんですよね。人間の脳ってつくづく不思議だと思います😁そんな訳で次回もお付き合いして頂けると嬉しいです。
サイボーグMSX
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
なるべく資料を基に執筆しているのですが、内容に間違いやおかしな点があれば、コメント欄で教えて頂けると助かります🙇
僕の連載した「1985年のパソコンCG」シリーズです。宜しければ覗いてみて下さい🙇♂️
