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85年美少女CGに殉じたテクノポリス。ガッツでC.G.が遺した物

当時のパソコン少年は恋愛に乾いておりました。このPC砂漠を潤してくれるのは画面に輝く美少女たちだけ。その時「心の隙間をお埋めします」とばかりに登場したのが、科学情報誌の仮面を脱ぎ捨てたテクノポリスだったのです。完全に吹っ切れた同誌はデジタル美少女の魔空空間に、次々とパソコン少年を引きずり込んで行くことになりました。今回はアニメ美少女CGと連動して、強烈な存在感を放ったテクポリの魅力を綴ります。


今回の舞台である1985年12月のパソコンゲームランキング


まだCGを多用するゲームが少なかった頃のお話です。


「MSX版笑ゥせぇるすまん」85年のテクノポリスは誰もが「😁あの雑誌やべえよ」と言いながら、どうしても読みたくなるような魔性の魅力に溢れていました。

❶美少女CGに殉じたテクノポリス


1984年5月号のテクノポリス。科学情報誌の仮面を脱ぎ捨て、完全にアニメ路線に振り切った時期です。どのキャラも懐かしいですね。


アニメージュ1985年1~6月号。Zガンダム、ナウシカを筆頭にアニメは黄金期に。
パソコンより一足先にオタク文化の中心に君臨していました。

数あるパソコン雑誌で最も美少女CGに力を入れていたのがテクノポリスでした。これは発行元の徳間書店がアニメ雑誌の老舗であるアニメージュを発行していたことの流れだったと思います。名物コーナー「ガッツでC.G.」では元祖CG職人たちが、しのぎを削ってアニメの美少女CGを投稿していました。この頃はロクなツールもなかったので、CGを製作することはただ絵心があるだけでは駄目で、プログラムの技術が必須だったのです。前回紹介したように当時のCG制作にはとんでもない手間がかかったので、ハンパな根性では完成させることは出来ませんでした。「ガッツでC.G.」というコピーは、けだし名文句だったと思います。
またFDDが付属する時代と違い、投稿CGを見るのには掲載された長いリストを打ち込むことが必須でした。CG映像だけでリストを掲載しない雑誌も多かったのですが、テクポリは積極的にリストを掲載し、解説も丁寧に添えていました。こうした取り組みは確実にCGレベルの向上に繋がったと思います。事実愛読していたFM7くんはプログラムを解析して、他の機種のCGをFM7に移植したりしていました。


1984年2月創刊「プログラムポシェットNo.1」テクノポリスの別冊で、プログラム投稿と解説に特化した雑誌でした。ときめきのプログラム、僕も打ち込みましたよ😆

テクポリは意外にもプログラム解説には定評がありました。その後の「プログラムポシェット」に繋がるテクポリ投稿者のレベルは高く、同じ投稿誌のベーマガとは別のパソコン文化を形成していきます。この流れは後年同じ徳間書店のMSXFANに受け継がれていくことになります。


84年2月プログラムポシェットNo.1に掲載された「超時空世紀オーガス」の元祖メイドロボット、モームちゃん。「私を買ってください💛」
3画面に渡る超大作で、打ち込んだFM7くんは感動してました。

投稿誌の特徴は、切磋琢磨することによって読者の技術が短期間に向上することでした。今読み返してみても数カ月単位でCGのレベルが進化しているのが解ります。こうしてアニメの美少女が誌面を占拠するという、パソコン雑誌でも稀有な存在感を確立したのが1985年のテクノポリスでした。


以下のCGはRetroGallery様より転載。こういったラムちゃんのCGが見れないので小学館を恨んでいました。当時のパソコン少年にとってラムちゃんは憧れだったんです。


ラムちゃんはやっぱり緑の髪が似合いますね。


ラムちゃんは同人界でも人気でした。


ようやく解禁されたのが1987年にマイクロキャビンが市販ゲームとして『うる星やつら~恋のサバイバル・バースディ~』を発売してからでした。

ところがライバル誌のポプコムは小学館の版権イラストを差し止めしてしまったので、パソコン少年最大のヒロイン、ラムちゃんのCGが掲載できなくなってしまったのです。僕はログインやMSXマガジン読者だったので小学館を恨んでいましたよ。
テクノポリスを定期購読し、小学生の分際で音無響子さんにぞっこんだったFM7くんは「😡ポプコム許すまじ!」とガチギレしてました。そのくせカセットレーベル目当てでこっそり購入してたみたいですが…ライバルだったX1君は「🤔まあ留美子先生の人気を考えれば独占したくなるのも解るぜ。」と冷めてましたね。まあここら辺は色々大人の事情があったんだと思います。


87年6月のめぞん一刻特集。


ラムちゃんが全盛期を過ぎると?響子さんも誌面に多く登場しました。


当然音無響子さんも小学館がプロテクトしていました。



1988年4月のらんま1/2特集


らんま1/2もポプコムが独占してました。



これはかなり後の1989年、16bit機が台頭してきた時代の物ですが、このようにポプコムは創刊時から末期まで徹底的に高橋留美子先生のCGを推しまくっていたんですよ。


これも89年のカセットレーベル。もう留美子先生キャラしかいねえ!


1988年10月。テクポリの象徴ナウシカとミンキーモモまで登場。ずるいよ!🤣


1989年6月。ここにも徳間書店のナウシカが…小学館は商売上手だなあ😁


『破邪大星ダンガイオー』のミア・アリスちゃん。OVAの美少女キャラも人気でした。


マイフェイバリットOVAガルフォースのパティちゃん。

当時はテクノポリスとポプコムがCG投稿掲載を盛んに行っていました。当然お互いバチバチに意識していて「某誌とは違い秀作」と壮絶にディスったりしてます。ここからは1985年の投稿だと思ってみて下さい。


以下動画付きのCGはOld Game Databaseさんからキャプチャさせてもらってます。可愛すぎる『メガゾーン23』の時祭イヴちゃん。当時はまだ珍しかったOVAのキャラを積極的に取り上げるのがテクノポリスの特徴でした。


1985年10月号。テクポリは平然と「ロ💛コン」という単語を常用していましたが、小学生の僕は意味が解らず、悪友のFM7くんに聞いたりしてました😁


僕が『くりいむレモン』の存在を知ったのもテクポリでした。
ヒロインの野々村亜美ちゃんは大人気に。


元のイラスト。『くりいむレモン』のパッケージでした。
富本起矢先生の描く亜美ちゃんは可憐でしたね。


『くりいむレモン』から派生した『レモンエンジェル』も人気でした。


テクポリはオリジナルの女の子もレベルが高かったです。


もちろんジャンプ系の美少女たちも人気でした。


『きまぐれオレンジ・ロード』鮎川まどかちゃんは80年代を代表する美少女でした。


過激なお色気シーンで人気だった『やるっきゃ騎士』の美崎静香ちゃん。

❷テクポリの守護神ナウシカ


テクポリはナウシカのゲームも発売。危機一髪ってブルース・リーかよ!🤣


FM-7くんはFM-7の名作『マリちゃん危機一髪』か!って爆笑してましたね。


PC-6001での渾身のCGが挿入されています。物凄く出来がいいんですよ!
全体にナウシカへの愛が詰まっていますね。


PC-8801mkII版も発売され、映画ポスターの画像CGが挿入されています。


これらの作品はコンテストの受賞作品を市販化した物でした。ちなみにこの88版の左の映像、CGじゃなくてアニメの画像をしれっと使ってます😅


MSX版の「忘れじのナウシカ・ゲーム」のことは忘れることにしました。MSX信者の僕ですら酷い出来だと思います。「早すぎたんだ」とかいう以前の完成度です😭

その為テクノポリスは看板娘を『風の谷のナウシカ』に据え、さらにはかなりマニアックなアニメの美少女CGまで登場させることになります。当時もっとも清純派なアニメヒロインであったナウシカと、Hアニメの美少女が同居するカオスっぷりがテクポリの真骨頂でした。その結果図書館からテクノポリスは追放され、小学校に持ち込んだFM7君は新婚の美人教師に見つかって大目玉を喰らい、変態の烙印を押される破目になるのですが…
本屋さんで学生向けのパソコン雑誌として最も硬派だった「マイコンBASICマガジン」の隣にテクポリが並べられていると、そのギャップがハンパなかったのを覚えています。しかし前回紹介した「アニメとパソコンの融合」というテーマにおいて、黎明期のパソコン文化の一翼をテクポリが担っていた意味は極めて大きかったと思います。


1984年9月号のナウシカ特集。アニメ映画公開の後位ですね。


84年のアニメは風の谷のナウシカが席巻していました。凛々しい表情が素敵です。


こうしてみると、印刷された誌面と実際のCGでは発色に差がありました。


ポプコムのラムちゃんのCG集に対抗して別冊を出すあたりバチバチ感が漂ってます。ちなみに83年9月の発行なんですが、まだ映画公開前なんですね。ブームが来る前からナウシカを推してたんです。


83年では屈指のレベルのCGです。左にあるミンキーモモは当時最新鋭機種だったPC98ならではの高画質を活かした精緻な画像でした。情報提供かんふぅさん感謝です🙇


様々な機種のCGが掲載されています。どのCGも名場面ですね。


特に優秀な作品はカセットレーベルとして付録となり、これも人気でした。


ポプコムのラムちゃんカセットレーベルに対抗してたのかもしれません。


アニメージュ1989年昭和ラスト号のキャラクターベスト10。74回という断トツのトップ人気だったそうです。ナウシカは昭和最後のヒロインなのかも知れません。


僕はヤマトファンのアニメの師匠に「😤ナウシカを観なかったら破門だ!」と宣告されて、慌てて見に行きました。風の谷のナウシカはコアなアニメファンに特に人気があった作品でした。


ドマハリした僕は本気で風の谷への移住を考えていましたよ。所有してるグッツです。

テクノポリスは1994年の休刊まで美少女CGに強い拘りを見せ、読者投稿CGも業界屈指のレベルを保ち続けました。名物コーナー「ガッツでC.G.」は文字通り気合が入った投稿が多かったですね。テクポリの投稿CGの特徴はマシン語を使用しているCGが多かったことです。ベーシックでは不可能なアニメや音楽が挿入されていたり、PV風になってるものもあって、パソコンショップで見てるだけでも楽しかったですよ。
投稿者はその後プロで活躍された方も多く、テクポリがパソコン文化に貢献した意義は大きかったと思います。後期のテクポリの表紙はいのまたむつみ先生が担当され、美少女パソコンゲーム誌としての地位を確立していきました。むつみ先生はCG塗り絵コンテストの審査員なども務められ、同誌に深く関わっていきます。ここら辺のお話は先生の追悼記事で触れました🥹


テクポリを定期購読するようになったのは、むつみ先生が表紙になってからでした。

❸狂気!128万円のナウシカ


83年10月とかなり古いCGです。ヤマハYISで制作って何か違和感がありませんか?


YIS-303/503はヤマハの初代MSX機で、83年11月頃の発売です。

ナウシカのCGを探してたら、テクポリ創刊すぐの1983年10月表紙に登場していました。「ヤマハYISで制作」とあるのでヤマハのMSXで描かれたのかと一瞬思いましたが

🤔「この時期まだMSX発売されてないよ。このCGもMSXの規格じゃないし。」

と思いついて調べてみたら、驚愕の事実が!


1982年2月の広告。ヤマハの社運を賭けた一大プロジェクトだったことが伺えます。

ヤマハが1982年に発売した超高級パソコンYISのことだったんですよ。翌83年に発売されたヤマハMSXの初期シリーズYIS-303/503とは全く別のマシンです。パソコンというよりデジタル機器の総合システムみたいな感じで、電子オルガンやビデオディスクまでオプションで計画されていたそうです。木目のラックに収納されているのが凄い。価格は128万円、当時の日本最高級パソコンですよ!このモンスターマシンでわざわざナウシカのCGを製作する拘りこそがテクポリの狂気でした(誉めてます😁)


設計も既存の物ではなくて一から設計したらしいので、そのノウハウがヤマハのコンピューター開発技術の礎になったのだと思います。

流石に先進的すぎたのかほとんど普及せず、そのCG機能を生かして使用されたのだそうです。CG性能は512×384ドット表示256色中8色。1982年というPC9801発売前では破格の性能だったのですが、3年後1985年に発売されたMSX2のCG性能はこれを上回っています。しかも初期のMSX2は10万円以下の価格帯だったので10分の1以下の値段ですね。パソコンの進化のスピードは凄まじい物があったことが伺えるお話でした。

❹あやしいテクポリの象徴ミンキーモモ


1982年12月というパソコン創世記に、表紙をミンキーモモが飾ったこともあります。

もう一人、テクポリを代表とする美少女ヒロインと言えば『魔法のプリンセス ミンキーモモ』。パソコンという電子機材を題材にした雑誌に、低学年女子向けの魔法少女が登場するのは強烈なインパクトがありました。わざわざベンチマークテストにロ💛コンアニメの筆頭と呼ばれたミンキーモモのCGを使用していた変態ぶり・・・アワワ拘りを見せています。


最新の電子機器の性能テストにミンキーモモを選択するのがテクポリのスタイル。


PC-8800他FM-7、X1といった所謂8bit御三家。640×200ドットで8色という、世界的に見ても強力なCG性能を誇っていました。


一世代前のPC-8001のミンキーモモ。


これは多分PC-6001じゃないかなあ、違っていたらゴメンナサイ🙇


ミンキーモモ放送中の1983年6月の投稿。「のめりこみ過ぎてロ💛コンにはなるなよ」ってテクポリには言われたくないよ!😁


84年2月のプログラムポシェット創刊号に掲載されたミンキーモモ。OPテーマ 「ラブ・ラブ・ミンキーモモ」が流れ、小鳥のピピルがアニメするなど、当時としては屈指のレベルのCGでした。


1985年9月号に掲載されたミンキーモモ。ダーティペアとセットなのがイイですね。


どんだけミンキーモモ好きなんだよ!と言いつつ僕も大好きだけど😍


1982年に放送された『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は当然女の子向けの魔法少女アニメなのですが、可愛すぎる変身シーンに惹かれてこっそりと男の子も見てましたね。ただ見てるのが女子にばれるとむちゃくちゃ恥ずかしかったので、みんな知ってるくせに話題に出すことは禁句でした😅


ロ💛コンアニメ筆頭と呼ばれたミンキーモモですが、脚本やクオリティの高い作画が評価されている傑作アニメなんです。僕は「空モモ」も「海モモ」も見てましたよ😻


勿論ライバル?の『魔法の天使クリィミーマミ』も登場


そのほかでは超時空要塞マクロスのリン・ミンメイや…


きまぐれオレンジ☆ロードの鮎川まどかちゃんが人気でした。


人気OVA『戦え!!イクサー1』当時黎明期だったOVAも積極的に取り上げていました。

❺美少女CGの伝道師LOLI山田さん


創刊当初はこのような硬派な科学情報誌路線でしたが…

テクノポリスは創刊時は硬派な科学情報誌の色彩が強く、僕の通っていた図書館でも置かれているぐらいでした。しかし名物編集者のLOLI山田さんが美少女ゲーム路線を強烈に打ち出すことによって、他誌との差別化に成功。結果表紙からして他のパソコン雑誌と別格のあやしいオーラを放つほどに変貌してしまいました。当時はまだアダルトゲームはアングラ臭が強い時代で、購入する奴はもれなく変態の烙印を押されていましたね。悪友FM7くんは小学生の分際で平気で定期購読していましたが…。僕は図書館のおばちゃんに「テクノポリスというパソコン雑誌をまた置いてください」とお願いしたところ、翌月目を三角にして「😡あんな雑誌、絶対読んじゃいけません!」と怒られましたよ。


1985年5月号では完全に吹っ切れた表紙に。これを本屋さんで買うのは相当恥ずかしかったです。


同時期のマイコンBASICマガジンの表紙。同じパソコンを扱う雑誌でも別世界でした。テクポリを定期購読していたFM7くんは「たまにはベーマガも買わないと本気で変態になっちまうからな」とか言ってましたが、もう手遅れだよ!😁


同時期のログイン。僕はテクポリはFM7くんに借りて、ログインを愛読していました。

表紙をめくると、そこには尋常ではないデジタル美少女愛が!このLOLI山田さんの「もてなくてもキミにはパソコンという生涯かけた恋人がいるではないか!」という煽りに僕やFM7くんは洗脳されていきました🤣

凄まじい熱気が誌面からほとばしっていました。


中野豪先生のイラストから。僕は美少女ゲームの底なし沼に自分から飛び込んだことを全く後悔していませんよ😁

この号で完全にテクポリの変態イメージが定着したほどのインパクトのある特集で、凄く印象に残っています。風の谷のナウシカとエニックスの黒歴史と言われるロ💛ータ・シンドロームを、あえて同じページに掲載するというイカレっぷりがテクポリの真骨頂でした。宮崎駿先生に怒られなかったのかなあ😅

当時ここまで突き抜けたPC雑誌は存在しませんでした。

しかしなんだかんだ言って、どの作品も忘れられないですね。お前MSXなのに何で知ってんだって?そりゃ
「😁俺の恋人見せてやるぜ!」
ってFM7くんにさんざん自慢されたからですよ。リアルなガールフレンドの自慢は悔しくないけど
「😜MSXはくるみ姫のパンチラでで我慢してろ」
とか煽られると血が逆流したものです。

これを小学校に持ち込んだFM7くんは真のゆうしゃです😁


ちなみにこれは1987年ですが、MSXの姫はこんな感じでした。

❻2025年駿河屋のテクポリ差別

その後一世を風靡するコンプティークの福袋が全てのエロ関連を網羅したのと対照的に、テクポリは二次元美少女にこだわって生身の女性のエロは一切掲載しない点が徹底していました。
しかし2025年の現在においても「テクポリは変態」という偏見は根強く残ってるみたいです。ホビー通販の老舗である駿河屋さんで検索してみると、数あるパソコンゲーム雑誌の中でテクノポリスは何故か成人向け商品に指定されている号が多いんですよ!(一般に分類されている号も混在してますが)エロ本と言う意味ではド真ん中なコンプティークは大丈夫なのに何故なんでしょうね。まあ僕は18歳の3倍近い年齢なので無問題。嫁さんに隠れてこっそり購入してます😅


理不尽な駿河屋さんのテクノポリス差別だと思います🤣


いのまたむつみ先生の美少女がいやらしく見えちゃいますよ😁

❼黎明期の同人ソフトとテクポリ


今回は僕の知識不足で纏められませんでしたが、テクポリは同人文化にも貢献していました。コミケですら同人ソフトが少なかった創世記から、最も積極的に同人サークルを紹介していたのがテクポリでした。1985年最初期の同人ソフト『魔法使いの妹子』はFM-7用、PC-8801用が同じディスクで立ち上がるハイブリッド仕様で、FM-7君の家でプレイした時衝撃を受けました。


同人ならではの破天荒な展開でしたが、CGも含め非常にレベルの高い作品でした。


魔法使い見習いのリアちゃんのサービスカット


後に九十九電機が販売を行なっていました。
当時もっとも知られた同人ソフトだったと思います。


翌1986年の同人ソフト『りみちゃんの危険な夜

グラフィックを担当したY人さんはその後やはり同人ソフトが評価されてテクノポリスソフトから発売された『まじゃべんちゃー・ねぎ麻雀』を経て、名作『カオスエンジェルズ』を手掛けることになります。当時キワモノ視されていた同人ソフトを市販する流れはソフトベンダーTAKERUが本格的に導入したのですが、その先鞭をつけたテクポリはやはり先見の明があったと思います。


お嬢様くらぶとまじゃべんちゃーは同人が評価されてテクノポリスソフトから発売。


カオスエンジェルズは高いゲーム性とお色気が両立した作品でした。

❽FDDの普及の影には美少女CGが?


若干13歳の子役モデル時代の中山美穂さん。3Mのフロッピーディスクの広告です。この時代はまだフロッピーディスク自体も高額でした。

最後にちょっとだけ真面目なお話を。体験したレトロパソコンユーザーなら解って貰えると思うのですが、この時期急速にフロッピーディスクドライブの普及が進んでいました。元々8bit御三家もFDDは別売りが標準で、パソコンのゲームは基本的にテープで供給されていました。僕の周りでもX1くんはFDDが搭載されていないX1Cを長く愛用していましたし、FM-7くんはやはりFDDのないFM-NEW7を愛機としていました。このことをX1くんに聞いたところ

🤔「FDDは魅力だったけど、あの頃の単純なプログラムを動かすのにはテープで十分だったしな。X1はテープの性能も良かったし。」

とのことでした。しかしFM-7くんに言わせると

😟「そりゃそうなんだけど、CG製作に手を出すとテープじゃ追いつかなくなってくるんだよ。」


SHARP X1C。特徴はなんといってもテープレコーダーが内蔵されていること。この赤いタイプはポルシェのようなイメージでムチャクチャカッコよかったです。


FM-NEW7はFM-7の廉価モデルでしたが極めて完成度の高いマシンでした。


PC-8801mkIIはFDDを標準で搭載。これ以降FDD標準搭載のPCが増えて行き、一気に高級化することによって値段も上がっていきました。

確かにパソコンのCGは非常にデーターを喰うので、テープが記憶媒体だと効率が悪すぎるのも事実でした。市販のゲームも豪華なCGを使用するタイトルが増えるにつれ、テープからフロッピーディスクに供給が移っていきます。85年の段階ではまだ多くのタイトルがテープとFD両方で供給されていましたが、時代の流れは急速にフロッピーディスクに移行していきました。これは1986年になるとMSXユーザーの僕ですら実感する流れになります。


1985年の外付けフロッピーディスクドライブの広告。やはり本体以上に高額でした。


1984年のFDD特集。かなり複雑なメカニックみたいですね。
1985年のパソコンショップ。FDDが普及すると安いFDを求めてパソコン少年が秋葉原を徘徊するようになりました。この話はまたいずれ…


1985年6月のプロCGクリエイターがFDを使用しているという広告。


ところがMSXではFDDの普及が全く進んでいませんでした。元々MSXは低価格の入門用パソコンだったので、本体を超える値段のFDDは需要が少なかったのです。MSXでFDDが一般化するのはFDD内蔵型MSX2のベストセラー機であるFS-A1Fが発売された1987年11月以降、つまり実質1988年まで待たねばなりませんでした。つまりMSXは標準的なパソコンの発展から約3年ほど遅れていたとも言えます。


FS-A1Fの出現でMSX2は完成の域に近付いたと思います。実売5万円を切るコストパフォーマンス抜群のマシン。


ライバルのソニーのHB-F1XD。この頃からMSXの創作活動が本格化していきます。

FDDの普及がCGレベルの向上と連動していたことは間違いないと思います。この点においてMSXは非常に不利でした。もっともこの時代のフロッピーディスクドライブはパソコン本体以上の値段が当たり前だったので、仕方ないとも言えるのですが…。ここら辺の事情はあくまで僕の主観なので、違う!と感じる方がいたらゴメンナサイ🙇

❾異端児テクポリが遺した物


その後も美少女CGは進化していきました。1990年に同人から派生した『サイバーブロック メタルオレンジ』はその頂点とも言えます。


PC-8801の8色で描かれていたとは信じられません。

いかがでしたでしょうか?レトロパソコン文化を語る上で絶対に外せないのが当時多数発行されていたPC雑誌の存在です。プログラム小僧はベーマガ、ゲーム少年はログインという両横綱に対して、独自色を出せない他誌は苦戦を強いられていました。そこにアニメ美少女という「異文化」を融合させたことで、テクノポリスは強烈な存在感を放つことになったのです。
今回は少し煽りっぽい内容になってしまったので、もし不快に思われる方がいましたらゴメンナサイ🙇ただ小中学生が「物凄く読みたいけど、堂々と人前で読むのは恥ずかしすぎる。」という葛藤を、自分の体験として残しておきたかったんです。


日本のCGのレベルは世界屈指だったと思います。それはアニメとの融合がもたらした奇跡だったのです。

パソコンに限らないのですがネットのなかった時代、黎明期のホビーの進化は雑誌が握っていました。その中でアニメとパソコンを繋いだテクポリは、日本のパソコン文化の方向性に大きな影響を与えたように思うのです。


市販ソフトのCGのレベルも向上していきました。
90年エニックスの『ミスティ・ブルー』PC88版

40年という時を超え、改めて当時のパソコン誌を読み返すと、その圧倒的な熱量に驚かされます。テクポリはその中でも「狂気」とも言える美少女CG愛を貫いていました。現在アニメ風の美少女CGは当たり前のものになっていますが、その源流には「最も尖ったパソコン雑誌」テクノポリスの存在があったことを皆さんにお伝えしたかったのでした。 雑誌の編集発行は多大な人材と人脈が不可欠です。当時のテクノポリス編集に携わられた全ての方々に対して心より感謝したいと思います。


ゲームクリエイターの道に進んだX1くんによると、8bitPCにおける究極のCGはエニックスが91年に発売した『ジーザス2』なのだそうです。


、グラフィックを眞島真太郎先生が担当しているのですが、640×200ドット8色という初期の8bit主力機の制限で描かれていることが信じられません。この炎のドットとか、もはや芸術品です。

暫く1985年の美少女CGについて投稿を続けていましたが、実はこの「乗るしかない、このビッグウェーブに」全く乗れなかったのがMSX1ユーザーだったのでした。同じパソコンと言っても主力であった8bit御三家とMSXにはCG性能にかなりの開きがあり、その文化にも分断があったのです。


うわああ。MSX究極のカルトゲーム『白と黒の伝説』
85年のMSXのCGってこのレベルだったんです。


もちろんMSX2になると一気にCGのレベルが上がっていくのですが…


次回はその制約を乗り越えて、あえてMSX1で美少女CGに挑戦した超人MSXユーザーたちのお話です。元々この1985年の美少女CGシリーズはこのお話をやりたかったのですが、書いているうちに前ふりが長くなりすぎてしまいました。毎度のこととはいえスイマセン。しかしやはり僕がMSXユーザーになった1985年はレトロパソコンの過渡期にあたり、想い出も多いので書き出すとつい止まらなくなっちゃうんですよ。そんな訳で次回もお付き合いして頂けると嬉しいです。

                       サイボーグMSX

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 

僕の連載した「1985年のパソコンCG」シリーズです。宜しければ覗いてみて下さい🙇‍♂️


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