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85年MSX1でもアニメCGを!世界でMSXは高級機?

1985年の段階ではファミコンもゲーセンも碌なCGがなく、唯一パソコンが独占している状態でした。8bit御三家ユーザーが美少女キャラを楽しむ中、仲間外れのMSX勢は臍を噛むしかなかったのです。MSXの低解像度でディスクドライブがないというハンデは、CG製作において極めて不利でした。しかしその制約を乗り越えて、あえてMSX1で美少女CGに挑戦するユーザーは確かに存在したのです。
今回はMSX2が登場するまでというわずかな期間、「横8ドット2色」という壁に挑んだ勇者たちの軌跡を追いたいと思います。また1985年の世界のPC事情についても調べてみました。


彼女たちが今回の主役です😍

❶アニメCGの勃興は83年から?


ポプコム創刊号1983年5月号。ポプコムは創刊号から末期まで、徹頭徹尾『うる星やつら』と高橋留美子先生キャラを推していました。


やはりこの時期日本のホビーPCの中心になろうとしていたPC88のCGが多いですね。ビデオがまだ普及していなかった時代、アニメの画像を自分のパソコンで再現できる楽しみは格別の物がありました。

今回しつこく1985年におけるアニメ系CGについて投稿を続けさせてもらっています。自分の体感だと、このレトロパソコンにおける美少女CGブームの流れは、1983年位に始まったように感じます。これは様々な規格が乱立した黎明期パソコン戦国時代が、83年あたりで終結を迎えたことが一因でした。PC-8800(NEC)FM-7(富士通)X1(シャープ)の三機種が主軸になる8ビット三国志時代の到来です。この三機種のグラフィック能力は640✕200ドットで8色という、世界の8bitパソコンの中でもかなり高性能を誇っていました。ユーザーだった方には申し訳ないのですが、それ以前のパソコンのグラフィック能力では、アニメ系CGを製作するには非力過ぎたのです。


ライバル「テクノポリス」1983年5月号。CG特集の中心は投稿作品で、雑誌の読者のレベルがダイレクトに反映されました。


この時期はパソコン少年達のアイドル『うる星やつら』のラムちゃんもテクポリに登場していたんですが…


あやしいテクポリの象徴『ミンキーモモ』。パソコンという電子機材を題材にした雑誌に、低学年女子向けの魔法少女が登場するのがテクポリの真骨頂でした。表紙にも度々登場したので買うのが恥ずかしかったです。

この強力なグラフィック能力を最大限に生かした、日本の伝統芸とも言えるCG技術が所謂「タイル張り」だったことは前回紹介しました。既に日本独自の文化として先陣を切っていた「美少女アニメ」とパソコンはここに奇跡的な融合を果たし、その後日本のオタク文化の中核としての役割を担うことになるのです。


ガンダムのセイラさんも大人気でした。みんなパツキン美少女には弱いんです😁


懐かしのアイドル伊藤つかささんも登場。アイドルをCG化するのも流行りました。まだ写真をデジタイズするのは難しかったので、アニメ風にアレンジされています。


中森明菜さんのPV風のCG。当時CGの製作にはプログラムの技術が必須でした。テクポリ投稿者のレベルは高く、同じ投稿誌のベーマガとは別のパソコン文化を形成していくことになります。

この時代、画面上に光り輝くコンピューターグラフィックスは極めて貴重な存在で、眺めているだけで未来に跳んでいけるような魅力に満ちていましたね。僕はこの時期小学生でしたが、まだパソコンを趣味にするには早すぎる「ナイコン族」だったんです。ですからPCの魅惑の光に引き寄せられる蛾の如く、頻繁に行われていたコンピューター関連のイベント会場を彷徨っていました。この体験が僕をMSX狂にしたのでした。


僕も参加した1984年5月開催のマイコンショウ84。
8bit御三家プラスMSXがホビーパソコンの主役でした。

その後のパソコン文化を支えることになるパソコン雑誌もこの時期数多く創刊されています。誌面でパソコンの魅力を手っ取り早く伝える方法はやはりコンピューターグラフィックスで、カラーページの特集を多くのCGが飾りました。特に力を入れていたのがアニメ雑誌の老舗であるアニメージュを発行していた徳間書店のテクノポリスと、史上最強のキラーコンテンツ『うる星やつら』のラムちゃんを擁する小学館のポプコムでした。僕の周りで真面目にプログラムをやっている奴はマイコンBASICマガジン、通称ベーマガを愛読していたものですが、彼らは公然と

😏「テクポリ読んでる奴はヘンタイ、ポプコムはミーハー。」

と批判していましたっけ。しかしこれは勃興期のパソコン文化が多くの可能性を秘めており、高いユーザーの熱量を有していたことの裏返しだとも思うのです。この時代のパソコンはキチガイじみて高額なうえ、高度な専門知識と最新の情報を追い続けないと即座にゴミと化してしまう魔性の女のような存在だったのです。余談ですが当時のMSX仲間だったアミーガくんは1993年にMSXturboRからアミーガに乗り換えたのですが、

😨「この女に手を出したら、もう後には引けねえな。」

と呟いていたのが忘れられません。Amigaはスペイン語で女友達、ガールフレンドって言う意味なんですよ。わざわざ「ともだち」の意味である「アミーゴ amigo」ではなく「アミーガ amiga」と命名したコモドール社は、パソコン少年の心理を見抜き切っていたと思います。僕は安くても、ずっと付き合ってくれるアミーゴのMSXを選んでよかったですよ😁


アミーガくんは1992年にウゴウゴルーガを見て「コレだ!」と全財産をはたいて人生を決定する決断に至りました。現在ではプロの3DCG作家になっています。

話が脱線してしまいましたが、この1983年から85年の僅か2年間におけるコンピューターグラフィックスの進化は神懸っていたように思います。今回5回にわたって特集したこのシリーズは、僕がこの時感じた光景をどこかに残しておきたかったからなのでした。もし興味をお持ちの方がいたら、バックナンバーを覗いて頂けると嬉しいです。


1983年10月のアニメCG特集。ミンキ―モモ、マクロス、ダンバインなど当時の人気アニメが勢ぞろい。ななこSOSがあるのがテクポリらしいです。


この時代にHな投稿CGを掲載するのは相当異質でした。
その為テクポリは哀れ図書館追放の憂き目に…


1984年5月号のテクノポリスの表紙。科学情報誌の仮面を脱ぎ捨て、完全にアニメ路線に振り切った時期です。どのキャラも懐かしいですね。

❷MSX1の輝ける美少女達


85年末に発売されたテクノポリス1986年1月号。 『くりいむレモン』のヒロインの野々村亜美ちゃんはテクポリの読者に絶大な人気を誇っていました。

しかし、この「乗るしかない、このビッグウェーブに」全く乗れなかったのがMSX1ユーザーだったのでした。悲しいかなMSXは低価格の入門機だったので、グラフィックス性能が著しく劣っていました。美少女CGの総本山であるテクノポリスでもMSX1のCG掲載は少なかったんです。8bit御三家の美少女CGが毎月大量に投稿される中、MSXユーザーは指をくわえて見ているしかありませんでした。たまに掲載されて、やった!と思ったら「ついでにとんちんかん」の抜作先生ですよ。これくらいのCGだったら僕にも出来るよ!と文句言いながら打ち込んでいました。実は吉沢先生が隠れキャラで登場するんです。こっちのほうが気合が入っていたりして…


既にMSX2が発売された翌86年6月号。これならMSX2のCG掲載してくれよ!と思ってました。それぐらいMSX1のCGは掲載されませんでした。同時掲載だったのがダーティペアのユちゃんだったのが切なかったです。


「ついでにとんちんかん」は80年代後半を代表するギャグマンガですよね。抜作先生をハンマーでぶん殴るお遊びCGです。


吉沢先生の狂人キャラはいい味出してました。

一方ライバルのポプコムはパソコン少年達に絶大な人気を誇った『うる星やつら』のラムちゃんを完全にプロテクトし、カセットレーベルの付録CGを最大のウリにしていました。時には投稿CGの8割以上を高橋留美子先生のキャラが独占したことも…様々なホビーパソコンのCGが掲載されましたが、ここでもMSX勢は不遇だったんです。


85年2月号。PC88、FM7、X1、MZ2000と様々な機種から掲載。しかし見事に留美子キャラばっかりですね。


85年3月号。考えてみると自社の版権を利用した投稿CGの掲載は殆ど経費が掛からないので上手い商売と言えます。


85年4月号。珍しくPC-6601の投稿がありますね。PC60系列もあまりCGに向いたマシンでなかったので、MSX1と同じような境遇でした。


85年7月号。4カ月でMSXの掲載は一つもありません。ある意味MSX1の全盛期なのに…

しかし「アニメキャラをMSXで再現したい!」という願いは募るばかり。となれば自分で作るしかない!ついには数は少ないながらも執念を感じる渾身の作品を投稿する猛者たちが出現します。
僕は悪友のFM7くんにテクノポリスを借りて、夢中でこれらのプログラムを打ち込んでいました。この時代のCG投稿は後年フロッピーディスクなどが付属するようになった頃とは違い、長いリストが掲載されたものを頑張って打ち込む必要がありました。手間暇をかけて彼女たちに会えた時の感動はひとしおでしたね。また打ち込んでいるうちにCGを作成するプログラムの構造についての勉強にもなりました。30年ぶりに当時の画像を復活させてYOUTUBEに投稿したので是非ご覧になって下さい。MSXのパズルのような制限のなかで最高のCGを創りたい!そんな熱意が伝わってくるような作品ばかりですよ。


無敵少女ラミー。破邪大星ダンガイオーの原案になったマンガです。


原案となったイラスト。頑張ってラップスキャンして自分で色彩したんだと思います。


バイオレンス描写を得意とした石川賢先生と『超時空要塞マクロス』の女性キャラクターの色気が評判だったというアニメーター平野俊貴先生という異色コンビ作品です。


1985年4月号に掲載

『無敵少女ラミー』。宇宙船が飛び回り、バッジと髪飾りが点灯するという演出が素敵な投稿作品です。次回紹介しますが、MSXのCGで鬼門になる制約を、スプライトで補正するテクニックが多用されています。この技術は主に女の子の瞳など重要なパーツに使用されているので動画を注目してみて下さい。最後に黒い瞳が描写されるのは美少女に魂が吹き込まれるようで感動しましたね。
この作品は1985年4月号に掲載され、FM7くんに雑誌を借りて初めて苦労して打ち込んだ想い出のCGなんです。題材がテレビ放送もされなかったので、どんな女の子なのか知ったのはかなり後でした。それぐらいマニアックな作品がチョイスされているのがテクポリらしいです。


少女漫画雑誌「なかよし」に連載された異色SFコメディ『あおいちゃんパニック!』


竹本泉先生は大のゲーム好きで、その後多くのゲーム作品に関わることになります。


実は僕も大ファンで、ゆみみみっくすのメガCD版は発売日に買いましたよ。


今でも大切にしています。

続いては竹本泉先生の『あおいちゃんパニック!』登場キャラクターが多く、描くまで時間がかかるのでゆっくり待って下さい。僕は空手の練習を兼ねてずっと腕立て伏せしてました。
竹本先生はパソコンユーザの熱烈なファンな方が多く、昔Twitterに投稿した時に多くのコメントを頂きました。古式ゆかしいLINE&PAINTで描かれている間の待ち時間は、当時のパソコン少年なら誰もが体験してるんじゃないでしょうか。レトロパソコンでCGを描くには絵心だけでなく、限られた色数やドットを管理する独特の技術が求められたんですよ。特に初代MSXは256×192ドットでしたから、1ドットも疎かにしない気合いがCGから漲っていたように思います。


前年の1984年6月まで放送の『魔法の天使クリィミーマミ』は大人気作品でした。


僕が打ち込んだ時はまだビデオ端子入力だったので、こんな感じでぼやけてましたね。


この肌色を出す技法は85年の『はーりぃふぉっくす雪の魔王編』でも使われました。


1985年2月号に掲載。この号はローレゾCG特集だったんです。

『魔法の天使クリィミーマミ』の森沢優ちゃん。この号はローレゾCG特集だったんです。悪友FM7くんに

🤔「ローレゾって何?」と聞くと

😜「三流パソコンって意味だよイヒヒッ」

と返されて大喧嘩になりました。本当にパソコン少年はバカすぎますね~。真面目に解説すると、汚い赤をいかに肌色にするかに苦労したことが伺える神業で描かれたCGなんです。MSXは肌色を出すのが鬼門なのですが、かといって前回特集した8bit御三家のようなタイル張りは使えない。その為これは赤と白をすだれ状に配置して、疑似的なタイル張りで中間色を表現してるんです。この技法はシマシマ模様に見えてしまう事が多く、使うのが難しいそうです。当然MSX1でしか使用されないテクニックで、もはや執念ですよ。


続いて変身後のクリィミーマミちゃんのCG。アニメージュのマークが入っているのもポイントが高いですね。これも同じ技法で肌色を表現し、瞳にもばっちりスプライトのパッチが使用されています。


クリィミーマミはアニメージュなどのアニメ雑誌でも数多く取り上げられました。魔法少女アニメの枠を超えた傑作だったと思います。


クリィミーマミと言えばやっぱり変身シーンですよね。


おまけで後継番組『魔法のスターマジカルエミ』のMSX2CG。
やはりSCREEN8の256色は偉大です。RetroGallery様より。

前回ちょっとお話ししたんですが、あやしいテクポリの象徴『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、完全に低学年女の子向けのアニメだったので、男の子が見ていると「ロ💛コン」「変態」の烙印を容赦なく押されてしまいました。ですから僕は隠れて見ていたんですが、後から聞いてみると可愛すぎる変身シーンに惹かれて、みんなこっそりと見てたみたいです。ただ女子勢にばれるとヘンタイ呼ばわり確定なので、みんな知ってるくせに話題に出すことは禁句な御禁制の品なのでした。
対して『魔法の天使クリィミーマミ』のヒロイン森沢 優ちゃんは小学5年生ぐらい、お相手の大伴 俊夫くんも中学生という設定でした。基本的に物語は二人のラブストーリーだったので、こちらは大手を振って男の子も見ていたんですよ。実は僕はミンキーモモ派で、クリィミーマミ派のFM7くんと

😁「このロ💛コンが!」
😡「にゃにおう?!ドルオタの分際で」

と不毛すぎる論争をしたことがあります。お互い両作品も全話見てる同じ穴のムジナなのに。今ではいい思い出ですね。


これはテクポリから発売されたゲーム版クリィミーマミにも使用されたPC88のCG。Old Game Databaseさんからキャプチャさせてもらってます。

これらのCGはアスキーが発行していた人気シリーズ、ポケットバンクの第一号「アニメC.G.に挑戦」のツールを使用しています。ポケットバンクはMSXの貴重な入門書で、こういったアスキーの手厚いサポートがMSXの創作活動を支えていました。当時はパソコンの書籍はバカ高かったので、Ⅹ1くんなんかは本屋で延々立ち読みして、家に帰ってプログラムしていたそうです。その点ワンコインで買えるポケットバンクの存在はありがたかったですね。こういった初心者向けの解説書はテクポリの別冊「プログラムポシェット」やMSXFANに引き継がれていくことになります。この点MSXは非常に恵まれていたと思います。


ポケットバンクシリーズはかなりのナンバーが発行されました。


「アニメC.G.に挑戦」『The ♥かぼちゃワイン』のエルちゃんや、『ミンキーモモ』が登場しています。前述した「すだれ疑似タイル張り」の技法が使われていますね。

このように黎明期のパソコンでCGを描くにはプログラム技術が必須でした。ツールも碌な物がなく、特にMSXには少なかったからです。テクポリはCG投稿プログラムのレベルが高く、ちょっとしたPV風になっている物も多かったですね。
『仔猫ちゃんのいる店』のヒロインMIUちゃんは、スプライトを使用して口が動いたり瞳がウインクしたりと凝った造りになっていました。まさにMSX1を極めし者ですよ。ちなみにどんなアニメかは聞かないで下さい。僕は何故か中学生なのにダビングして持ってました😁


スプライトのチラつきで、瞳がうまく表示できないのはご愛敬。

OVAキャラ特集と言いながらムフフ💛アニメ特集。ここら辺がテクポリならではですね。もう一枚は『くりいむレモン』の「POP♥CHASER」のリオちゃん。使用機種はパソピア7とかなりマニアックな組み合わせです。多分ツールもないので気合いで全て自前でやったんでしょうねえ。

85年7月号


『仔猫ちゃんのいる店』の広告。この妖しすぎる内容で全てを悟ってください。


同じMIUちゃんのCG。X1・MZ-2200・FM-7・PC-8801の4機種が収録されています。

こちらはオリジナルの女の子。MSXのロゴが素敵です。この時期の投稿CGの多くは漫画やアニメをラップスキャンなどでコピーしたものが大半だったので、オリジナルの物は貴重でした。


オリジナルの女の子


85年6月号。オリジナルCGの作成には高いレベルの総合力が求められました。

レトロパソコンでCGを描くには絵心だけでなく、限られた色数やドットを管理する独特の技術が求められました。特にMSX1は1ドットも疎かにしない気合いがCGから漲っていたように思います。LINE&PAINTで最後に瞳を描写するのはこの部分にスプライトを当てるためですが、漫画のキャラの最後に瞳を描きこむみたいですね。


ヒロインの若松みゆきちゃんと


鹿島みゆきちゃん


影の薄い主人公若松真人


1984年6月に発売された「みゆきメモリアル」のLP版 。タグーさんより


H2Oの「想い出がいっぱい」は名曲でしたね。


同じくテープ版。両方に音声プログラムデーターが収録されていたようです。


CGとゲームが収録されいました。


MSXマガジン1984年9月号にプログラムが掲載されました。

あだち充先生の大人気漫画『みゆき』は、1983年3月にアニメ化されてこちらも人気に。そのサントラに何とMSXのプログラムデーターが収録されていたんですよ。その後MSXマガジン1984年9月号にプログラムが掲載されました。84年6月と言うとMSX1発売の約半年後で、非常に貴重な美少女CGだと思います。OldGameDatabaseさんが動画をUpしてくれました。

こちらはカワイイCG付のゲームです。

MSXがこのぐらいの画像の中、1985年に突如登場したLDゲームは本当に衝撃でした。MSXでアニメその物が表示できるというのはにわかに信じられなかったですね。MSXでのLDゲーム特集はコチラ。

❸MSXでラムちゃんに会いたい!


1985年12月、数少ないMSXでのラムちゃんです。


1985年8月

パソコン少年永遠のヒロインである「うる星やつら」のラムちゃん。しかし邪悪なる小学館のポプコムが掲載を独占したため(個人の感想です😁)、MSXでは非常に数が少ないのでした。それでも「MSXでラムちゃんに会いたい!」という執念の作品をいくつか紹介します。


1984年5月というMSX発売直後に掲載された「ラムちゃんの15パズル」割り切ってモノクロ表示にしていますが、デッサンのセンスが素晴らしいです。このプログラムは殆どベーシックで制作されているのですが、打ち込んでいるだけで少しずつ内容の意味が解ってきて勉強になりました。


MSXマガジン1986年3月号の特集です。


サンヨーが発売したグラフィック拡張ユニットMPC-X。84年にMSXを2のCG基準にパワーアップする画期的なオプションでしたが、高額すぎてあまり普及しませんでした。

これはMSX2の前身と言えるグラフィック拡張ユニットMPC-Xを使用して、アニメを録画したビデオからCGを作成する記事。これには当然前回紹介したRGB出力対応ディスプレイが必須でした。他にもこれだけの機材を揃えるのには相当に費用が掛かり、正直画像処理などに優れていたX1シリーズなどの方が安上がりだったかもしれません。しかしそれでもMSX1でアニメ画像を取り込むことが出来るのはロマンがありました。ここでもラムちゃんは人気のようです。


MSX2は優れたCGツールが多数発売されたため、ダ・ビンチは普及しませんでした。


相変わらず留美子キャラが広告塔に。


ついには「乱馬だってラムちゃんだって簡単に描ける」と銘打っています。


ダ・ビンチで書かれたMSX2スクリーン8のラムちゃん。


SCREEN8の256色はアニメ風CGに威力を発揮しました。



エメラルドドラゴンのタムリンも広告に登場


ポプコムから発売されたサバッシュのCG


サバッシュはMSX2版が出てないのにいい度胸してます。出してよ!

ポプコムはダ・ビンチというCGツールを発売して、高橋留美子先生の版権キャラクターCGを大々的に宣伝していました。前回紹介したとおり、このツールは8色しか出せない8bit御三家でタイル張りの技術をツール側で制御し、729色の中間色が出せる革命的なツールでした。しかしMSX2は標準で256色同時に発色できるので、あまり普及しませんでしたね。


ラムちゃんCGの全盛期が丁度MSX1と重なっているのが不幸でした。MSX2は8bitパソコンの中ではかなりCG性能は良いはずなんですよ。これは1986年5月のMSX2最初期にSCREEN7・512×212ピクセル512色中16色という本気モードで描かれたラムちゃんです。


実質『モモコ120%』のFC移植版で『うる星やつら』のキャラに差し替えた作品。おかげで色々と無理のある展開が…

そういえば幼馴染のナムコ君は1986年10月発売の『うる星やつら ラムのウエディングベル』でラムちゃんのCGが一枚も出て来なかったことを嘆いていましたね。当時はまだそれぐらい1枚絵のCGが貴重だったんです。ナムコ君はEDにはラムちゃんのCGが出て来ると信じていたのですが‥‥後ろで見ていた僕はEDのあたるとのキスシーンの効果音がアーバンチャンピオンのパンチ音みたいで爆笑してました。

❹世界ではMSXは高級機?

そんなわけねえだろ!と皆さんお怒りになると思うのですが、まあ僕の与太話を聞いてくださいよ。僕がMSX1を入手した1985年夏の段階で、MSXは入門用の低価格帯パソコンだったことは間違いありません。僕も長くそう思い込んでいたのですが、ネット時代が到来し、海外のパソコンユーザーと交流するようになると、どうも認識にズレがあることが解ってきました。特にMSXが普及していたスペインやオランダのユーザーは

😑「コッチにはもっと低性能なPCがゴロゴロあるぜ。」

🤔「コナミのゲームが遊べるMSXは憧れだったな。」

とか言っていて、衝撃を受けました。自分なりに色々調べてみたんですが、欧米のゲーム&パソコンユーザーと会話する時に基礎知識として覚えておきたいのが

『ファミコンの海外版NESが米国で発売されたのは1985年10月、欧州では1986年9月で、海外でのファミコンブームはさらにその後』

だったという歴史です。それまで欧米は例のアタリショックの影響で、家庭用ゲーム機市場は衰退傾向だったのでした(諸説ありますが)。じゃあアチラさんのゲームマニアはどうしていたのかと言うと‥‥欧州の友人のコモドールくん曰く

😭「パソコン買うしかなかったんだよ!クソ高くてもな。」

つまりですねえ、安価な家庭用ゲーム機が供給されなかった1985年の海外のゲームマニアの中核は、熱狂的なパソコンユーザーを軸に形成されていたんです。この時代の欧米のゲームユーザーにマニアックな人が多いのは、ここらへんが原因だったみたいです。これはパソコン、ファミコン、アーケードという三つのゲーム文化が拮抗して形成されてきた、日本のビデオゲーム事情と大きく異なる点でした。


『Nintendo Power』創刊号。特集されているスーパーマリオ2は1987年7月発売の「夢工場ドキドキパニック」のキャラ替えバージョン。1988年10月に発売されているので先行特集という感じなんでしょう。

一例をあげると任天堂アメリカ社が発行していた伝説的な雑誌『Nintendo Power 任天堂パワー』は1988年7月に創刊されています。日本では『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が2月に発売され、完全にファミコンブームが定着し、ファミコン雑誌が山ほど発行されていた時期ですね。


一番人気は『ゼルダの伝説』米国のゲーマーには神格化された存在になってます。


米国の野球ゲームに比べて、ファミコンの野球ゲームは完成度が高くて人気だったそうです。ファミスタの他にも『燃えろ!!プロ野球』も特集されていますね。勿論大リーグ用にデーターが変わってます。

特集記事を読んでみると、日本では1986年2月に発売された『ゼルダの伝説』や1986年12月の『プロ野球ファミリースタジアム』が目玉になっていました。ざっくりいうと米国のファミコンは2年位遅れていた感覚なのでしょうか。ユーロッパ地区は更に1年ほど遅れていたようです。ただこれは僕が直接体験した訳ではないので「そういう意見もある」位に思って貰えると嬉しいです。


ゲームランキングトップ30。『マイクタイソン・パンチアウト!!』『が入ってるのが米国らしいですね。84年に発売された『エキサイトバイク』『スパルタンⅩ』などと言った黎明期のタイトルもまだまだ人気だったようです。


同時期1988年6月の日本のトップ30。ファミコンは完全に成熟期に入っていて、全く登場タイトルが違ってます。

それでは肝心の1985年の海外のゲーム事情はと言うと…実はリアルタイムで知る方法があったんですよ!当時僕が愛読していたパソコン雑誌のログインでは、毎号必ずアメリカのパソコンゲームランキングトップ20を掲載してくれていたんです。この記事を引用して85年のアメリカの最新ゲーム事情を感じてみて下さい。


1985年7月号

1985年7月号のランキング1位は…あの伝説のクソゲー…あわわ名作の誉れ高い『カラテカ (Karateka)』
日本ではファミコンの移植が有名ですが、オリジナルはAppleII用。後述しますがAppleIIは1977年に発表という、MSXなんか比べ物にならないぐらいの老兵パソコンなんですが、85年でも現役バリバリでした。
AppleII版は空手の気合の音声合成があったり、突き蹴りのSEがファミコン版より重厚で、凄くよく出来てるんですよ。後の『プリンス・オブ・ペルシャ』を彷彿とさせる映画風のデモなども挿入されていて、1984年6月のパソコンゲームとしてはやはり傑作だと思います。せっかくなので?主人公が姫に極真空手、塚本徳臣直伝のマッハ蹴りで瞬殺される名場面をお楽しみください。(ウソ™)


デモのCG。味がありますが、これならMSX1の方が綺麗なんじゃあ💦


おなじみのプレイ画面


AppleIIはスプライトもないパソコンなんですが、ヌルヌル動くところは流石です。


作者ジョーダン・メックナーは1989年10月に『プリンス・オブ・ペルシャ』を開発してますが、これもAppleIIがオリジナルです。77年のPCが89年でも現役って怪物ですね。

ランキング2位は『F-15ストライクイーグル』米国ではフライトシュミレーターがムチャクチャ人気で、この分野では圧倒的に先行していました。このタイトルはF-15のリアルな挙動がウリで、ワシントンのソ連大使館が発売日に4本を購入したという伝説を持っています。数々のパソコンに移植され、完成度も文句なしの名作なのですが、今回はCGがテーマなのでタイトル画面をご覧ください。


Atari8bitパソコンがオリジナルなのですがタイトル画面がなかったのでAppleII版を。


これはMSX1版。こっちの方がカッコいいぞ!


しかしPC88版にはかないませんが💦

あくまで僕が調べた感想ですが、世界的に見ると80年代のホビーパソコンの主役はAppleIIだったようです。AppleIIの初代機は1977年6月に発売と、もはやパソコンの歴史の伝説的存在でした。1993年の生産終了まで総計約600万台が生産されたということですが、本国のアメリカだけでなく欧州、韓国、ブラジル、香港、インド、はては冷戦下で断絶状態だったソ連でもホビーパソコンとして使用されていた記録が残っています。


1979年2月のAppleII特集。この時期目の玉が飛び出るぐらいの価格で、外車を購入するぐらいの気合いが必要だったとか。

日本でのAppleIIユーザーはハイクラスのパソコンエリートに限られていた印象でした。まず大前提として英語が出来ないと話になりませんでしたし、当時の為替レートによる円安の影響で、本体も周辺機器もゲームも全て割高だったんです。それに加えて日本は国産のパソコンが異常な速度で進化し続けており、AppleIIがホビーパソコンの主力になることはついになかったのでした。しかしこれは日本がむしろ特殊だったのかもしれません。


1983年2月のアップルのイベント。やはりあのリンゴマークには人を魅了する何かがあるようです。


1984年11月のAppleII特集。パソコンユーザーにとってAppleIIは特別なマシンでした。


84年4月に発売されたApシリーズのコンパクト機AppleIIcは日本でも盛んに広告されました。ずば抜けてカッコいいデザインはインパクト絶大。しかし翌85年でも298000円という価格は幾らなんでも高額すぎました。殆ど値引きもされなかったそうです。

何故AppleIIがこれほど長くユーザーに愛されたのかに関しては不用意に発言できないのですが、間違いないことは1985年の段階でAppleIIは現役バリバリであり、世界のホビーパソコンの標準機であったということです。米国の人気RPGシリーズである『ウィザードリー』や『マイト・アンド・マジック』もまずオリジナル版としてAppleII版が発売されています。そんな中、ついにあの怪物ソフトがお目見えするのでした。


1986年発売の『Might and Magic Book One』のAppleII版タイトル画面


CGはこんな感じでした。


1988年の『ウィザードリィV 災渦の中心』までWIZはAppleII版がオリジナル。


怪物のCGも米国ならでは。女戦士アマゾネスはまるで昭和の悪役女子プロレスラーですよ。灯油缶とかで殴ってきそう。ナイフを咥える様はアラビアの怪人「ザ・シーク」を彷彿とさせます。


1986年1月号

1986年1月号、すなわち85年のクリスマス商戦のランキング1位は…『ウルティマIV Quest of the Avatar』この後ウルティマIVは米国の月刊ランキング1位を12カ月連続で獲得するという、日本におけるザナドゥのような地位を獲得します。パソコンゲームに哲学的な要素を持ち込んだ革命的なタイトルで、日米でトップになった数少ないソフトでもありました。僕もMSX版をプレイして想い出も山ほどあるのですが、今回はCGだけに絞って画面を比べてみて下さい。


1985年9月16日発売のオリジナル版はもちろんAppleII版。
このタイトル画面にロマンが凝縮されているようです。


ウルティマIVはOPやキャラメイクに非常に力を入れたRPGで、プレイヤーに「冒険の意義」を問う内容になっています。AppleII版の一コマ


ウルティマIVは超人気作品だったので、同時稼働していたあらゆるパソコンに移植されました。これはコモドール64版


2年後の1987年に日本のパソコンにも移植されました。


同じ場面のMSX2版、かなり綺麗ですよね。


同じくPC88版

コンピューターグラフィックスの進化を見るのに手っ取り早いのがアドベンチャーゲーム。1985年の人気AVG『Wilderness: A Survival Adventure』は野外でのサバイバルをテーマにした男臭さ爆発の硬派AVGゲーム。その頃日本で流行っていたアニメ系美少女なんて影も形も存在しません。オリジナルはやっぱりAppleIIです。
聞いた話ですが欧米では漢字ではなくアルファベットだったので、旧式なパソコンでも格調高い英文を表示出来たのが強みだったそうです。その為日本では早くに衰退してしまったテキストアドベンチャーゲームの系譜が長く温存され、CGの美しさに拘らないシナリオ重視のAVGの名作が数多く制作されたのだそうです。日本だと、どうしてもカナ、ひらがなベースのAVGはちゃちく見えちゃいますもんね。


ゲーム進行は古式ゆかしいコマンド入力式。
なんと300種類のコマンドを入力する必要があります。

実はですねえ、僕のMSXの師匠のお父さんが翻訳家兼写真家の方で、熱狂的なAppleIIフリークだったんですよ。このウィルダネスも見せて貰ったのですが、英語が出来ない僕は

🥱「なあんだ、MSXのCGよりショボいじゃん。アメリカも大したことないなあ。」

と見向きもしなかったんですよ。今となっては超絶勿体ないことをしたと後悔しています。


飛行機墜落後のシエラネバダ山脈の荒野が舞台。CGは周囲の地図など最低限度の物しか用意されていません。


今となってはこの素朴なCGに超絶なロマンを感じますが、当時の僕は幼すぎました。


折角なので、ほぼ同時期1985年6月発売の『ウィル デス・トラップII』のアイシャちゃんの瞬き。孤島からの脱出という近いコンセプトのAVGですが、ウィルダネスとは全然雰囲気が違ってます。

欧米のホビーパソコンの帝王がAppleIIなことは述べましたが、そのライバルだったのがCommodore64。これまた1982年春のデビューと言うMSXより古いマシンです。AppleIIにないスプライト機能を搭載していたのがウリで、欧米のアクションゲームファンはコモドール64を熱狂的に支持していたと言います。とはいうものの、ファミコンの半分しかないと陰口をたたかれていたMSXの1画面32枚と比べてたった8枚なんですよ!プログラムでスプライトを強引に倍に表示するテクニックが多用されたそうですが、それでも16枚です。


1983年1月の広告。当時としては大容量の64キロバイトのRAMを搭載していることがC64のウリでした。


1984年11月のC64のCG特集。確かに素晴らしいとは思いますが、これならMSX1でも十分対抗できるような…

日本でも1982年の年末商戦に合わせ、日本語版コモドール64が99800円で発売されました。しかしゲームパソコンというカテゴリーを狙っため、1983年7月に任天堂からファミコンが14,800円で発売されると、C64は死刑宣告を受けたも同然の扱いになってしまいます。また1982年の為替レートは1ドル240円台と超円安だったので、その点でも不利に働き日本ではほとんど普及しませんでした。しかし欧米では80年代を通じて多くのゲームが発売され、現在でもレトロゲーム界の一大勢力を形成しています。


C64オリジナル版 『バンゲリング ベイ』

そんなコモドール64を代表するオリジナルアクションゲームが、あのクソゲー…あわわ名作の呼び声高い『Raid on Bungeling Bay』日本でも 『バンゲリング ベイ』としておなじみですね。『シムシティ』の原型になったことが有名ですが、単体のゲームとしてもSTGにリアルタイムな戦略性を導入した、革命的傑作だと思います。冗談抜きで僕が1985年に一番やり込んだゲームでした。MSX版だけでなく、ファミコン版もソフトだけ300円セールで入手して、友達の家でやりまくってましたよ。実は大会でも優勝経験があるんです。この話はまたいずれ…


MSXのOP。こっちの方がカッコよくないですか?


MSX版のOPはちゃんとアニメするんですよ。ソニーのロゴが眩しいです。


『バンゲリング ベイ』は自分の中で特別な想い出があります。素晴らしく熱い内容の攻略本も忘れられません。

アメリカではMSXは殆ど普及しなかったのですが、欧州ではMSXがそれなりに普及していたので、不用意に「MSXはショボいマシンだったから辛かったなあ。」とでも言おうもんなら

😡「てめえ、BBC Microユーザーに喧嘩売ってんのか!」(意訳)

😏「一度ZX Spectrum使ってから出直して来るんだな。」(意訳)

と怒られてしまいましたよ。勿論パソコンユーザー同士のジョークなんですけど。あるイギリスのゲームに埋もれた館にに住んでいるような、大ベテランのZX Spectrumユーザーに「ZXが大好きなんですね」とコメントしたら。

🫡「俺の住んでるウェールズのド田舎じゃあコレしか売ってなかったんだよ。だからコイツが世界で一番いいパソコンなんだ。」

と、松本零士先生の「戦場まんがシリーズ」の名作『パイロットハンター』みたいな返しをされてしまいましたよ。


彼との会話は、愛機を性能のみで語る愚かさに気が付かされた、貴重な体験でした。

当時の欧州パソコンの市場は、アメリカ系のコモドール64とイギリス系のシンクレアZX Spectrumがシェアを二分している状況でした。ここにMSX1が割って入る形になったのですが、1982年発売のZX Spectrumより新しいMSXの方がカタログスペック的にはやや優位という状況だったようです。詳しく解説するには僕は知識不足なので、1984年のZX Spectrumの大ヒット作品『Knight Lore ナイト・ロアー』と、翌85年に発売された続編とも言える『ナイトシェード』の画像を見てみて下さい。これらの作品はMSXやファミコンにも移植されました。


『ナイト・ロアー』のタイトル画面


ZX Spectrumのゲームはマシン性能の限界から、単色の物が多かったです。


『ナイトシェード』のタイトル画面。欧州のゲームは独特の色彩のゲームが多いです。


僕もMSX版をやりましたが、ゲーム自体は面白いです。ムチャクチャ難しいですが。


しかし同時期に発売されたウォーロイドとか・・・


ザースとかのCGを見るとMSX1が際立って美しく見えちゃいます。

そもそも『ZX Spectrum』は前の機種のZX81がモノクロだったため、カラーであることを強調するため「Spectrumスペクトル、虹」と名づけられたのだそうです。ZX Spectrumユーザーはカラーになった画面に感激したと言っていましたよ。そう考えるとMSXは十分に恵まれた性能で、文句を言ったらバチが当たるのかもしれません。と同時に日本におけるゲームやパソコン環境は極めて恵まれていたことを痛感させられました。


本体に描かれた虹が『ZX Spectrum』のトレードマークでした。


『シンクレア ZX81』は日本でも入門機用のパソコンとして、大型書店などを中心にMSXが登場する1983年あたりまで販売されていました。しかし日本のパソコンのレベルには到底太刀打ちできず、撤退を余儀なくされています。

❺あの熱い時代に感謝を…


日本のPCゲームはビジュアル的に進んでいました。1984年3月発売の『夢幻の心臓』


1984年12月『リザード』入門者向けRPGとして傑作でした。

いかがだったでしょうか?今だから言えることですが、当時の僕はMSX1のグラフィックが大嫌いでした。8bit御三家との「超えられない壁」であり、ファミコンユーザーに「MSXはショボい」とバカにされる格好の標的だったからです。しかし今振り返ると、パズルのような制約を乗り越えて輝く美少女たちの姿は、MSXの文化が停滞することなく進化し続けた象徴のように思うのです。


1984年12月『ハイドライド』はARPGという革命を起こした歴史的作品。
いつか絶対特集します!  


1987年6月『サイキックウォー』は美少女キャラとRPGの融合を果たしました。

僕は結局挑戦した結果、MSXでのCG作成は到底無理だと悟りました。そもそも絵心もないのにチャレンジすること自体が無理だったのかもしれません。それでもその悪戦苦闘した無謀な試みにこそ、夢が詰まっていたように思い返したりもします。


1987年6月『キングスナイトスペシャル』このタイトル画面好きなんですよ。


1987年8月『天使たちの午後2』アニメ風美少女ゲームも日本特有の文化でした。

そしてパソコンでCG作成をする大変さを学ぶことが出来たことは大きかったです。市販の作品はもとより、貧弱な機材でCG作成を成し遂げたパソコン少年は、まさに一握りの天才たちでした。今でもTwitterなどで輝く女神たちのCGを見ると、限りないリスペクトの気持ちが自然に湧いてくるのです。それはあの時の体験から来るのでした。


1989年4月『維新の嵐』歴史上の人物CGは光栄が神懸っていました。


1989年10月『ラ・ヴァルー』工画堂はデザイン会社だけあって、芸術的なCGを得意としていました。まるで西洋絵画のようです。

と同時に世界的に見ると、MSXは決して性能的に劣っているホビーパソコンではないことも解ってきました。欧米のPCは決して高性能ではありませんでしたが、その制約の中で偉大なゲーム&パソコン文化を形成するに至っています。しかしことCGに関する限り、日本のパソコン環境は極めて恵まれており、その進化も目を見張るものがあったことは間違いなかったと思います。その過程を実体験出来たことは幸運でした。この記憶を皆さんと共有できるような投稿をこれからも続けて行きたいですね。


PC98時代に移ってもその技術は継承されていきました。原画をうるし原智志先生が担当した1992年1月発売『秘密の花園』は美少女CGの頂点とも言えます。


1992年3月『ふしぎの海のナディア』
ガイナックスの参入はアニメとゲームの融合を完成させたと思います。

一方限られた環境の中での「美少女CGを創りたい!」という怨念にも似た情熱は、安価でCG性能の高いMSX2の登場によって一気に爆発することになります。MSXの文化最後の担い手であった『MSX・FAN』でもCG連載は目玉の一つで、現在から見ても驚異的なレベルの作品が投稿されています。1995年まで10年にも渡る同一プラットフォームでの創作活動の継続は、今思い返しても胸が熱くなるものがあります。しかしその原点は「まだMSXが格落ちだった1985年」から始まったことを皆さんにお伝えしたかったのでした。
勿論このお話は完全に僕の主観なので、違う!と感じる方がいたらゴメンナサイ🙇


MSX・FANの常連投稿者だったMade in Japanさんの美少女CG。1995年2月号掲載

次回は現在でもMSX1のCGにこだわり続ける、横8ドット2色を極めた超人たちについて語りたいと思います。商業作品ではコナミが芸術的なMSX1作品を次々と発売していましたが、コナミのMSX1撤退と共にその技術も歴史の狭間に消えていくことになると思われました。しかしエミュレーターなどの発達でMSXが再評価されるようになると、伝統文化を復活せんとするMSX1職人たちの神作品が、ネット上を賑わすことになるのです。

やはりMSX・FANの常連投稿者だったFly☆Duckさんのカードキャプターさくら。RetroGallery様より

今回で1985年のパソコンCG文化についての投稿は5回目を迎えることになりました。これは僕の連載で最長記録です。何時も書き始めは「今回で終わりにしよう」と固く心に誓うのですが、書いてるうちに次々とネタが溢れてきて止まらなくなっちゃうんですよ。読んで頂いている皆さんにはしつこくて申し訳ないと毎回反省しているんですが…🙇今回も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。次回もまたお付き合いして頂けると嬉しいです。

                       サイボーグMSX

今回もなるべく資料を調べながら記述したのですが、もし内容に間違いがあればコメント欄にてお知らせください。すぐに修正いたします🙇

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 
僕の連載した「1985年のパソコンCG」シリーズです。宜しければ覗いてみて下さい🙇‍♂️



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