LDゲーム特集①データイーストが生んだ最高傑作サンダーストーム
LDゲーム、この言葉にピンと来たあなたはオッサン確定です😁LDゲームとは映像表示にレーザーディスクを使用したテレビゲームで、開発された1983年では桁違いの画像動画を表示できました。最新のゲーム機器が揃うゲームセンターでもその映像は際立っていて、翌84年には一大旋風を巻き起こします。しかし残念ながらLDゲームは極めて短期間で衰退していき、時代のあだ花となって消えて行きました。それでもゲームセンターで初めてLDゲームを見たゲーム少年にとって、その衝撃は脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。
今回はLDゲーム史上最高傑作と断言できるサンダーストームの体験を、小学生のナイコン少年の目線で綴ります。
❶MSXイベントで遭遇、サンダーストームの衝撃

僕は当初MSXのオリジナルゲームと思っていました😁
前回紹介した1984年末のキャプテンシステム通信費の騒動で、お年玉を全額没収された僕のMSX購入はますます遠のきました。ナイコン少年の心を癒してくれるのはMSXのイベントだけです。自転車で1時間かけて駆け付けた高田馬場のイベントで、僕はとんでもないゲームに遭遇したのでした。伝説のLDゲーム「サンダーストーム」です。その衝撃は言葉にできないほどでしたが、まずは動画をご覧ください。この映像はアーケード版ですが、MSX版も映像自体は同一で、コクピット周りが簡略化されていてより遊び易くなっています。OPは必見!😍
ノリノリのシンセサイザーサウンドが鳴り響くと、シャア専用ブルーサンダーを彷彿とさせる深紅の戦闘ヘリが漆黒の摩天楼を縦横無尽に飛び回り、破壊の限りを尽くすのです。この疾走感、爽快感のインパクトは、アフターバーナーⅡとナイトストライカーを合わせたと表現すればいいでしょうか。それが何とMSXで動いているんです!今見てもオープニングを見ると鳥肌が立ちますよ。
プレイが終了した時にジョイスティックを握っていた僕の手はビショビショになっていました。とにかくゲームでこれだけ興奮したのは初めての体験でした。


機体は「LX-3」が正式名称ですが、みんなシャア専用ヘリって呼んでました😁





この爆破の爽快感は通常のゲームでは味わえないサンダーストームの醍醐味です。

LDゲームはその性質上、ゲームセンターの大型筐体ゲームに限られていました。しかし80年代の小学生がゲーセンに出入りするのは非常に危険が伴いました。学校が厳しく禁じていましたし、陰湿な密告制度が奨励されていて、朝の朝礼でつるし上げられることも珍しくなかったのです。北朝鮮かよ!🤣
1983年にゲーム少年達のバイブルであるゲームセンターあらしの連載が終了すると、ゲーセンの情報を小学生が入手するにはマイコンBASICマガジンの特集記事など極めて限られたものになっていきます。
そんな訳で僕がゲーセンに初挑戦したのは、ベーマガで一目惚れしたタイムギャルのレイカちゃんに会いに行った、この年の暮れごろになります。それだけにこのゲームで受けた衝撃は大きかったのでした。タイムギャルの体験談と資料については以前に投稿しています。

1985年初夏と言えば、まだスーパーマリオも発売されていない時期です。ゲームと言えば「ピコピコ」なのが常識の中、現在の水準でも物凄いアニメ画像を駆使したしたサンダーストームは想像もつきませんでした。当時はとにかく情報がなかったので、MSXが本気になればこういうゲームが制作できると考えていましたよ😁
😆「アニメの機動戦士ガンダムより凄いゲームがMSXにはあるんだぜ!」
しかし翌日学校でみんなに報告しても信じてくれる友人は皆無、そんなゲーム誰も想像できなかったんです。その後腐れ縁となる秀才FM7くんが
😒「FM7版の機動戦士ガンダムでもアニメシーンなんてなかったぞ。劣化パソコンのMSXでなんて無理だろ。」

僕も遊ばせて貰いました。
こう解説すると、クラスは「嘘つきの」の大合唱。僕は泣きながら家に帰るのでした(ちょっと盛ってます😁)
🧛♂️「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」
怒りが収まらない僕はおばあちゃんの肩をもみまくり、お小遣いを貰うと、速攻で本屋にダッシュしてログインの別冊MSX号を購入しました。この別冊の目玉記事はLDゲーム特集だったのです。翌日学校に持っていくとゲーム仲間の態度は一変

VHDの説明をすると長くなるのですが、ビデオテープのVHSとβマックスの関係のようだと思ってください(余計解りずらいか😅)
😲「凄げえ!こんなゲーム見た事ねえよ」
🤩「ファミコンよりMSXって全然いいじゃん」
と教室は大興奮に包まれたのでした。医者の息子で小金持ちのFM7くんまでが
😏「俺もMSX買おうかな」
と言い出す始末。このお調子者め!「一体幾らなんだよ」とせかす彼がページをめくると・・・広告のページでみんなシーンとなってしまいました。結局僕はMSXのLDゲームをほとんどプレイできなかったのですが、あの時の衝撃と興奮は今でもはっきりと覚えています。



VHDの紹介デモディスクの中からMSXのサンダーストームをプレイするシーンを見つけました。このフルセットを揃えられた人はどれくらいいたんでしょうか。『一慶・泰葉のThe VHD World』より抜粋しています。初代林家三平さんの娘さん、歌手の泰葉さんが登場しています。

VHD機器再生機器も古いものが多く、現在でも稼働できる環境の物は貴重品です。


どこまで金とるんだ😱
❷LDゲームの進化の歴史と、その頂点サンダーストーム

LDゲームとは基本的にコンピューターゲームの背景に、レーザーディスクの映像を利用するタイプのゲームの総称です。
この実写映像をゲームに使用するというコンセプトは、1974年に任天堂の『ワイルドガンマン』というファミコンなどに移植された作品の原作となる射撃ゲームや、エレメカのメーカーだった関西精機製作所が1982年制作の『ザ・ドライバー』などに源流を見ることが出来ます。しかしこれらは映像再生をフィルムで行っているため設備が大型化し、メンテナンスも複雑だったため、それほど多くは流通しなかったのでした。

1974年のアーケードゲーム『ワイルドガンマン』はあの横井軍平さんが開発したのだそうです。16mm映写スクリーンに接続された光線銃で構成されている大型筐体です。
内部構造は手前側に2台の映写機が仕込まれており、条件を満たせば投影される映像が切り替わる仕組み。奥にあるのはブラウン管ではなくスクリーンなのですね。命中判定センサーは銃のほうにあり、引き金を引いて切り替わった先の画面上に出てくる閃光を銃がキャッチできれば命中したと判定されます。このメカニックはファミコン版の光線銃も同様で「光線銃シリーズ」のご先祖様ということになるのかもしれません。
ゲーム内容は敵の目が光ったら射撃の合図。プレイヤーの反応が速ければ、撃たれた敵ガンマンが倒れる映像に変わり、外れや時間切れ、フライングは敵ガンマンが銃を抜いて発砲する映像から勝利ポーズに。この「敵の目が光る」というギミックはファミコン版でも踏襲されていますね。

ちなみにゲームの映像は京都周辺と、今は亡き奈良ドリームランドで、地元の無名のエキストラを使って撮影されたのだそうです。これらの外人さんをどこでスカウトしたんでしょうか😁
何と2011年に撮影された実写映像タイプの『ワイルドガンマン』。流石アメリカ西部劇の本場とあって、プレイヤーも様になっています。1974年と言うとスペースインベーダーの1978年のはるか前ですから、相当インパクトがあったでしょう。僕もやってみたかったです。

実はこのワイルドガンマンについて海外のサイトを追っていたら、横井軍平さんが試作したとされる「ファッシネーション」という実写脱衣シューティングがあったそうなんです😳
横井軍平さん曰く
『ワイルドガンマン』の発表会には男性記者しか来ないだろうと分かっていたので、彼らを魅了するような変わった演出で大成功を掴むことはできないかと考えました。そこで『ファッシネーション』を思いつきました。
このゲームは、若い女性が音楽に合わせて踊っています。女性が服のボタンを見せるところで映像が止まります。ターゲットに命中させると映像が再開し、彼女の服が脱げ落ちるのを見ることができます。完璧なショットを連続で決めることができれば、若い女性の全裸を見ることも可能でした(笑)。ご想像の通り、このゲームは大成功を収め、『ワイルドガンマン』よりも人気を博しました!
実は、『ワイルドガンマン』よりもはるかに複雑で繊細なメカニズムを採用していたため、販売するつもりはありませんでした。新宿にプロトタイプをいくつか設置したところ、ご存じの通り大成功を収めました。
スウェーデン人の若い女性をモデルに迎え、撮影に参加したかったのです。撮影は素晴らしく、彼女は本当に美しかったです!当時はCGなんて存在していなかったので、映像をインタラクティブにするという挑戦は特に楽しかったです。
1996年発行の「横井軍平ゲーム館」からの抜粋とのこと
何処までが本当なのかちょっと確証が持てないのですが、実在したとすれば任天堂のゲームとしては唯一のお色気作品になるのかもしれません。新宿にプロトタイプが設置されていたとのことですが、もし見かけたことのある方は是非コメントください😁

1982年発売の関西精機製作所『ザ・ドライバー』は「あの赤い車を追え」の見出しのほうが知られているかも知れません。僕の記憶が正しければ、後楽園のゲームセンターで見たことがありました。
内容は目前を走る赤い車を追跡するというもので、運転の成否はランプやパネルで知らせてくれます。動画の撮影は東映が行なったそうですが、今見ても迫力があります。
これらの作品は映像再生をフィルムで行っているため、映像の分岐を機械的に行わねばならず、そのためエレメカに分類されることが多いようです。それに対して頭出ししたい場所をすぐ出せるというレーザーディスクのメリットを活かしたLDゲームが1983年に登場しました。

よくドラゴンズレアがゲーム史上初のLDゲームと呼ばれていますが、実際には1983年4月に日本で出荷されたセガの『アストロンベルト』が史上初のLDゲームなのだそうです。ただゲーム背景の映像は『宇宙からのメッセージ』と『宇宙刑事ギャバン』からの流用でした。


一方初期のLDゲームのヒット作となった『ドラゴンズレア』の最大の特徴は、既存の映像は一切使用せず、ディズニーなどで作画監督をしていたドン・ブルースがアニメーション製作に携わっていることでした。ディズニーアニメ映画に匹敵するなめらかな動きは画期的で、現在でも根強いファンがいます。
LDゲームはその特性上一発で即死するシチュエーションが多いのですが、その場面が流用ではなく個別の映像になっているため「死ぬシーンを楽しむ」というLDゲーム独特の楽しみ方が生まれました。この系譜はその後「タイムギャル」などに受け継がれています。

現在でも多数移植され、手軽に遊ぶことが出来ます。
一方でLDゲームの欠点としてLDの元映像自体は美しいのですが、当時のビデオゲーム用の画面とではあまりにも差が大きいため、合成した際に違和感が出ることでした。
例えばタイトーが1984年に米国から輸入販売した『マッハ3(M.A.C.H. 3)』は背景にLDの動画を使用した野心的シューティングゲームでした。
プロが撮影した航空写真を本格的に使用していて、米国で1983年発売の16種類のアーケード用レーザーゲームで一番の人気だったそうです。プロモーションにも力を入れ、ベトナム戦争中に MiG-21を5機撃墜した実績を持つ戦闘機エース、スティーブ リッチー氏と契約し、ゲームを宣伝することで、この作品のリアリティを強調していたとか。

戦闘機を選ぶとアフターバーナーⅡを彷彿とさせる3Dシューティング、爆撃機を選ぶとよくあるゼビウスタイプの縦シューティングになります。しかし動画を見て貰えれば解かるのですが、背景とゲームが完全に乖離していて違和感ありまくりです。そのためか日本ではあまり人気が出なかったようです。
また日本未発売の「USvsTHEM」(地球人vs宇宙人)は縦+横+3Dの三つのシューティングゲームが遊べるという意欲作なのですが、これも全てのシーンで背景とゲームが乖離していて苦笑する完成度😅
さらにベタベタの「宇宙人が攻めてきた!地球を救え」みたいなミニドラマが各シーンで挿入されていて、UFOの姿を発見して悲鳴を上げるお婆さんや姉ちゃんがドリフのコントみたいで爆笑ものです🤣日本にもし輸入されていたら伝説のバカゲーになっていたでしょう。オープニングは必見ですよ!


米国でもバカゲーの類みたいですね。
これに対してサンダーストームはビデオゲーム用の画像をコクピット周りと照準だけに限定し、敵機だけでなく爆発シーンまでも全てLD画像に書きこんでいます。これはアニメ―ション作成側に多大な負担を掛けることになりますが、ゲームにより没入感が高まり、シューティングゲームのキモである爽快感を得ることが出来たのでした。これらはデータイーストの制作側が意図的に企画したと雑誌の解説で語られています。
また自機を戦闘機でなく戦闘ヘリに設定したことで、縦横無尽に動き回る独特の挙動と疾走感を産み出したことも特徴でした。OPにもある最終基地を爆破した後の垂直上昇のシーンなどはその最たるものだと思います。

また『ドラゴンズレア』は米国アニメの最高峰であるディズニーの系譜を引くアニメーションでしたが、対してサンダーストームは当時の日本アニメ界最高クラスのクリエイターたちが集結して作成されました。日本アニメの真骨頂である精密なメカニックや豪快な爆破シーンが存分に使用されたサンダーストームは、その後当たり前となる日本のアニメとゲームの融合の走りだったのではないでしょうか。これについて次章で詳しく説明します。
❸サンダーストームが生まれた奇跡

サンダーストームは既存のアニメ映像を一切使用しない、データイーストの完全オリジナルLDゲームとして開発されました。開発者はリアル『熱血硬派くにおくん』こと岸本良久氏。
アニメパート部分は東映動画が担当したとありますが、実際は当時の新進気鋭のアニメーター達が集結した、スタジオZ5などが中心となって作成されたようです。
セル画枚数は5万枚以上で通常の30分TVアニメの約5倍と、劇場用アニメをも上回るクオリティです。制作期間は1年、のべスタッフ500人以上、制作費は1億円、BGMは1980年代前半に活動していたロックバンドTAOが担当と何もかもが桁違いでした。
総監督に宇宙戦艦ヤマトシリーズの高山秀樹監督を起用し、メカデザインと作画監督は現在でも第一線で活躍している亀垣一監督が務めています。更には全10ステージの原画をそれぞれ別の一流アニメーターが担当しているという豪華っぷり。実力派アニメーター達が存分にその作画力を発揮しました。貴重な絵コンテと共にそれを詳しく解説しているパソコン雑誌があったので紹介しちゃいます。


しかし全く手を抜かれていません。
オープニング原画は初代ガンダムの作画やガンダムの小説の挿絵などをされた青鉢芳信氏が担当。何とボクサーを夢見て上京され、その後アニメの道に進んだということです。あの夕焼けをバックに戦闘ヘリが上昇するシーンはもはや伝説ですよね。
仕事前の筆ペン落書き、今朝はdrop (グロス請けのアニメ会社) 時代に大変お世話になった原画マンのお一人、青鉢芳信さんの想い出語りです。
— 鳩野高嗣 (@t_8100_14) May 16, 2024
ここ数年、ご無沙汰なのですが、元気にされているといいなぁ。#青鉢芳信 pic.twitter.com/UjEoUHU3S8


ステージ1 このゲームを象徴するニューヨークの原画は亀垣一監督が担当。
自由の女神からスタートし、ビル群を縫うようにし激走した後、ホバリングを経由してのDECOビルへの垂直上昇は戦闘ヘリの挙動を十分に堪能できます。

ステージ2 グランドキャニオンの原画は八島義孝氏が担当。デジモンアドベンチャーなどの作画監督をなどが代表作。


ステージ3 海上シーンは亀垣一氏が源が担当。
巡洋艦、潜水艦と撃破して戦艦が最終ボスと思いきや、最後には航空母艦が出現。どんなテロリストなんだよ!🤣豪快な爆破シーンの連続は伝説のアニメーター金田伊功氏の流れをくむスタジオZ5の真骨頂ですね。



ステージ4 イースター島の原画は湖川友謙氏が担当。
代表作は作画のほとんどを自ら手がけていたという映画『伝説巨神イデオン 発動篇』。ちなみに音楽はすぎやまこういち先生です、最高!😍

ステージ5 中間ボス森林要塞の原画は佐々木正光氏が担当。
わが青春のアルカディア・無限軌道SSXやパーマンが代表作。


ステージ6 ローマの原画は白土武氏が担当。宇宙戦艦ヤマトの絵コンテ、キン肉マンの演出、作画監督などが代表作。
ボンベイの廃墟から始まり、ローマ、バチカン市国を経由してサンピエトロ広場上空での大空戦。ローマ寺院、チェスタ城塞、エルバ島など世界遺産を舞台に大暴れできます。凄まじい資料から描き起こされたんでしょうねえ。
ステージ7 ヒマラヤ山脈の原画は亀垣一監督の相棒本橋秀之氏。キャラクターデザイン・作画監督、原画を担当された六神合体ゴッドマーズは女性アニメファンを激増させた記念碑的作品です。

ステージ8 ジャングルの原画は白土武氏が担当
ステージ9 油田基地の原画は大島城次氏が担当。銀河漂流バイファムやトランスフォーマーシリーズが代表作。


「オペレーション・タイトロープ、やって貰おう!」


ステージ10 テロリストの本拠地の原画は白南烈氏が担当。ふしぎの海のナディアなどが代表作。
最終シーンは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」からの伝統よろしく?敵の心臓部に突入します。連続する遮蔽シャッターを潜り抜け、最終要塞を破壊したのちに垂直上昇で脱出するカタルシスは最高です!
え?お前はクリアしたことがあるのかって?やだなあ、ゲーセンで名前も知らない凄腕プレイヤーの後ろで見学していたんですよ😅ギャラリーも手を汗握る興奮を味わえるのもLDゲームのいい所でした。
今回この投稿をするにあたって、サンダーストームが通常のゲームに比べて、膨大な人の手によって創られたことが改めて解りました。素晴らしいゲームを創ってくれたことに、関わられた全ての人達に感謝したいと思います🙇

同時期のゲームがボンジャックやドルアーガの塔という点に注目してください。
❹一瞬のきらめきだったLDゲームが残したもの


いかがだったでしょうか?本当はLDゲームに関してちょっとしたまとめにしようと思っていたのです。しかし書いているうちにサンダーストームの興奮が蘇ってきて、相変わらず膨大な量になってしまいました、スイマセン🙇
サンダーストームは傑作揃いの1984-5年のアーケードゲームの中でも間違いなく名作で、インカムや販売実績も良かったようです。僕はこのサンダーストームやタイムギャルのような高い完成度のLDゲームが量産されれば、LDゲームのブームももう少し続いていたかと思っていました。しかし今回その制作過程を調べて、それは到底不可能だったと痛感しました。サンダーストームはあくまで例外な、奇跡的な傑作だったのです。翌1985年8月にデータイーストが続編として開発したロードブラスターも名作でしたが、セル画枚数は10万枚以上と前作を超えながら、残念ながらサンダーストームの域には達していませんでした。

ギミックも凝っていて面白い名作なんですけど。
LDゲームは1985年を境に急速に衰退していき、構造上故障の多発が避けられないことも相まって、僕の体感では1988年頃にはゲーセンからすっかり姿を消してしまいました。
しかしその後1988年発売のPCエンジンのCD-ROM2から始まった大容量デジタルゲームにその系譜は引き継がれていき、現在映像動画を駆使したゲーム演出は当たり前の物となっています。

また『ドラゴンズレア』で笑いのネタだった「一発死」のテイストはQTE(クイックタイムイベント)の元祖とも言えると思います。1996年の『ダイナマイト刑事』をプレイした際にLDゲームを思い出した人は僕だけではないでしょう。現在QTEは「ゲームプレイと映画の融合」と評価されており、それはLDゲームの目指した到達点と言えるのかもしれません。そう考えるとLDゲームの果たした役割というものは大きかったのではないでしょうか。

LDゲームは僕の世代のゲーマーにとって、時代の最先端を象徴したゲームだったように思えます。旬が短かった分実機で遊んだ人も限られていると思うのですが、だからこそ体験の記録を残しておきたかったのでした。
そんなLDゲームがMSXで遊べるかもしれないと言うことは夢のような話だったんです。次回はMSXで発売された、あるオリジナルLDゲームが、後年のゲーム文化に多大な影響を与えたことを綴りたいと思います。今回も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。
サイボーグMSX

