我が家にキャプテンシステムが!84年の情報機器はMSXの源流?
1983年は8bit御三家が出揃い、MSXがデビューした記念すべき年でした。当時のパソコンは未来を連想させる科学的ガジェットという位置づけだったので、とてつもなく輝いて見えたのです。しかし実用面、特に情報機器としては中々普及が進みませんでした。
そのような中で電電公社(現NTT)が日本独自に推進した家庭向け情報システムがキャプテンCAPTAINです。インターネットが登場する遥か以前にネットワーク上にサーバーがあり、双方向で情報を提示し、それを開かれたユーザーが閲覧できる画期的な構想でした。しかし残念ながらこの野心的な取り組みは一般化することなく時代のあだ花として消えて行きます。
しかしこのキャプテンが日本におけるネット文化の源流とも言え、その発展に大きな影響を与えたことは間違いありません。今回はキャプテンを幸運にも一般家庭で体験できた想い出を綴ります。


❶我が家にキャプテンがやってきた

1984年に数多く行われたMSXイベントに参加し、MSXが欲しすぎて僕の頭がおかしくなっていた頃のお話です。そこで聞いたY.M.O.のライディーンに興奮冷めやらぬ中、ある日唐突に母上が
🙋♀️「明日うちにマイコンが来るらしいわよ。」
と衝撃すぎる告白に、僕は思わず味噌汁を吹き出しました。
🤤「ほほほんとう?」
🤷♀️「ママ嘘ついたことないでしょ」
ケンタッキーフライドチキンの約束で鶏のから揚げ、コカ・コーラと言いつつ三ツ矢サイダーを買ってくる母上の言葉を信じて小学校から全速力で帰ってくると、電話の横に鎮座しているのはコイツでした。

小学生だった僕もキャプテンシステムの存在は知っていました。盛んにCMで宣伝されていましたし、当時擦り切れるほど読んだ「こんにちはマイコン」や、当時大好きだったアニメ、「ミームいろいろ夢の旅」でも紹介されていたからです。
パソコンやMSXでないことにがっかりしたことは事実ですが、それでも珍しい電子情報端末のデジタル画面に僕は魅了されていきました。

1985 - 1988年のキャプテンシステムのCM集。1986年2月に古舘伊知郎さんが登場したCMは有名ですね。ラップ調のマシンガントークが冴えわたります。1988年の藤谷美紀さんも印象的でした。
キャプテンシステムを簡単に説明すると、超原始的なインターネットと言えばいいでしょうか。情報を受け取るだけでなくこちらからも発信でき、文字以外に画像の情報も使用出来ます。操作はコマンド選択のAVG方式で、ゲーム感覚のインターフェイスも直感で解りやすい物でした。画像はMSX1に近く、漢字にも対応しているのが最大の特徴です。内容はニュースなどが中心でしたが、その後オホーツクに消ゆなどのゲームなども配信されました。
ちなみに世界初のコマンド選択式AVGである「オホーツクに消ゆ」の発売が1984年12月21日だったのに対し、キャプテンシステムは同年の11月30日と約1カ月早くサービス開始しています。



ファミコン版が有名ですが、パソコンマニアはこちらの方が馴染み深いのでは。
約1年後の1985年の通信回線開放から発展することになったパソコン通信との最大の違いは、会員制のクローズした世界ではなく、日本全国の公的なサービスに接続できることでした。このため高級デパートのネットショッピングやJRの座席予約、銀行や郵貯の振り込みも可能でした。また現在で言う有料コンテンツの支払いは電話料金として徴収されました。これはその後携帯電話でNTTドコモが豊富なコンテンツを有料化する、iモードでの情報料代行徴収システムの原型とも言えます。

チケットぴあが試験段階で協力していたので映画情報なども豊富でした。

キャプテンシステムは郵政省が主導し、電電公社が1985年4月1日の民営化に伴い現NTTグループに再編される過程で実用化されたプロジェクトでした。旧態依然とした電電公社が生まれ変わったというイメージを演出するためにも、かなり力を入れていたようです。
このピークは前回特集した1985年に開催されたつくば科学万博で、この新技術企画を実体験できる見本市として多くのパビリオンでキャプテンが稼働しました。当然NTTグループ主催の「でんでんINS館」はキャプテン端末で埋め尽くされていましたね。これは前回紹介した『ミームいろいろ夢の旅』でのINS館のCMです。



大手企業は電話の独占企業だった電電公社から情報提供(今で言うコンテンツ)を求められ、自動車メーカー、百貨店、運輸会社、旅行会社、出版社、不動産会社、ゲーム会社、新聞社など様々な業種が参加していました。このキャプテン開始時の動画に参加企業の一覧がありますが、錚々たる有名企業が名を連ねています。
同時に地域情報化政策の一環として全国に情報センターが置かれ、駅構内やコミュニティセンターなどの公共施設に端末が多数設置されていきます。僕のMSXユーザー友人の中にも、地方都市の公民館でキャプテンを使用していたという人がかなりいました。

しかし専用端末機器が30万円近くするため、個人での使用や普及はあまり進まなかったようです。この後の80年代後期から90年代中期にかけて全盛期を迎えることになるパソコン通信は、多くのレトロパソコンユーザーが体験したことによって現在も語り継がれています。しかしキャプテンの体験談はネット上でもあまり例がありませんでした。これは「次の日経を考えるチーム」さんの数少ないキャプテンの体験談です。
僕が実際に使用してみると、全国津々浦々の情報をリアルタイムでアクセスする興奮にすぐにドはまりしました。同じニュースを見るのでも、新聞の味気ない活字の印刷とキャプテンのデジタルCG画像が添付されていたのではまるで違っていましたね。まるで現実世界がパソコンのAVGの世界に転送されたような感覚です。
僕はまだ当時ナイコン族でしたが、悪友FM7くんの家で散々コマンド入力式のAVGを遊んでいたので、通信世界をリアルタイムで探検できる魅力に没頭していくことになります。初期画面で現在のウェブブラウザでいうブックマークにあたる「自動接続」の欄はすぐに一杯になっていきました。仕方なくメモ帳に面白そうなコンテンツの電話番号を控えたのも懐かしい想い出です。
僕は今も毎日のようにインターネットという地下迷宮を徘徊し、情報と言うお宝を漁ると言うゲームに勤しんでいます。あの時の未知の世界を、端末のテンキーを押しながら冒険するという感覚の楽しさは、キャプテンシステムが教えてくれたのでした。

昭和が終わった瞬間で、強く印象に残っています。
❷母上大激怒、電話代の恐怖

自宅にキャプテンがあるのになぜかって?それは・・・😁
1984年の年の瀬、僕はキャプテンに夢中でした。何しろ自宅から全国にアクセスできるのです。茨城の釣り情報、山形の昆虫採集、北海道のオーロラなど、興味ある情報は無限大でした。現在から考えてもこのシステムは先進的だったと思います。文字情報だけでなくCG画像を伴ない、漢字表示をいち早く導入しているので小学生にも取っつきやすかったですね。この点は導入が難解で、テキストベースだったパソコン通信よりも先進的だったと思います。



パソコンと違って殆ど値引きされず、中古も出回らなかったそうです。
早速学校で自慢すると、悪友のFM7くんを筆頭にクラスのともだちが大勢遊びに来ました。
僕🤔「まずどこから探検しようか?」
FM7くん🙂「父ちゃんの実家が青森だからここにしよう」
X1くん😸「それより日産のR30型スカイラインの情報を見ようぜ」
初期接続の電話番号によって日本の各自治体にアクセスでき、地方の郷土情報などが見ることが出来るので、ちょっとした旅行気分を味わえました。また大手企業も新商品の情報を盛んに配信していました。
自宅に居ながら全国の情報を入手できるという斬新さは、小学生には魅力的なガジェットだったと思います。実は有料のページもあり、ちょっとHな画像も見ることが出来たのでした。1984年の年末、我が家は大いに賑わいを見せていました。あの日が来るまでは・・・


ゲームを楽しめるのもキャプテンの楽しみの一つです。有名な「オホーツクに消ゆ」の画面はMSX1より綺麗でしたし、CMにあるゴルフゲームなども楽しめました。確かどこかの出版社でアステカ文明を題材にしたアドベンチャーゲームがあったのですが、凄く印象に残っています。
実は他にも某スポーツ新聞の有料コンテンツで、野球拳のムフフなゲームがあったので僕らは固唾を飲んで攻略していたのでした(画像はイメージ)
ちなみに悪友X1くんは三鷹駅前に出来たINSセンターでこれをプリントアウトして大興奮していた所、受付のお姉さんに見つかって出禁を喰らっていました。🤣



何故我が家にキャプテンが導入されたのかと言うと、僕の実家が武蔵野市で、伯父さんがNTTと強い繋がりのある沖電気工業の系列会社で働いていたからなのでした。キャプテンシステムは武蔵野市にある電気通信研究所で開発されており、1984年には武蔵野・三鷹地区がモデル地区となり、INSネット電気通信サービスの実験が開始されていたのです。伯父さんはこう母上を説得したようです。
🙏「機材のレンタル費用は全部無料だからいい話だろ?」
この時我が家に納入されたキャプテン機材一式は東芝製で、附属したディスプレイもRGB出力に対応したものでした。キャプテンは家庭用テレビにも接続出来たそうですが、RGB出力の鮮明な画像は段違いで、僕がその後MSXを入手した時に大きな影響を受けました。
母上は全国の主婦のご多分に漏れず「無料」「タダ」というマジックワードに弱く、安請け合いしたのですが、そんなうまい話は無いのでした。確かに50万近い機材は無料、しかし通信料金は自前だったのです。

まず使用時間中は3分10円の市内の電話料金が発生します。更に全国均一で3分30円のキャプテン用の通信料金が別途必要でした。一日3時間は利用して有料コンテンツも遊びまくってましたから一月計算してみると・・・あれれMSXが2台買えちゃうじゃん!翌月の電話請求金額を見て母上の怒りは頂点に達したのでした💢💢💢

キャプテンに16文キックをかまそうとする母上を宥め、土下座しても怒りは収まりませんでした。結局クリスマスに購入予定だったMSXは凍結され、翌年のお年玉も全額没収、おこずかいは支給停止と言う惨状です😥
何より問題なのは母上がパソコンにアレルギーを持ってしまったことでした。現在80歳になる母上が未だにMSXをゴキブリを見るような目で見ると、僕は言うのでした。
🥴「それはキャプテンじゃないよ!」

ちなみに母上の携帯の着メロは「吹けよ風、呼べよ嵐」
❸キャプテンはMSX2の原型?MSXキャプテン資料集


改めてキャプテンの画像を見てみると、何となくMSXを連想しませんか?画面の解像度は横248ドット×縦204ドットで、上部の12ドットはヘッダ情報の表示領域で固定。グラフィックは4×4ドット単位で16色中の2色が使用可能というものです。 これはMSX2での標準である256×212ドットという解像度、512色中16色に近い物です。というよりその後MSXアソシエーション様が公式にこう語られています。
「MSX2では当初からネットワークを意識した仕様が組み込まれました。これは当時普及すると期待されていた“キャプテンシステム”の解像度を意識していたんですね。」

実はハイグレードタイプのキャプテン端末は496×408ドットで4096色中16色のタイプもあったのですが、対応するコンテンツはあまりありませんでした。
更にMSX2の映像プロセッサV9938はMSXのキャプテンシステムアダプタ用に開発されたと言う経緯もあります。その為度々MSXマガジンで特集されたり、MSXのキャプテン用アダプタや、ついにはNTTからMSX2を母体にした『キャプテンマルチステーション』が発売されたりしたのです。僕はMSXを入手した時からキャプテンに画像が似てるなあと思っていたのですが、そのような縁があったのですね。
残念ながらパソコンを使用しての情報ネットワークはその後パソコン通信が主流になり、MSXでは『THE LINKS』などが中心になって展開していったので、キャプテンとMSX関係は長くは続きませんでした。

ちゃんとMSX2とキャプテンの公式ロゴが印刷されています。

西和彦先生はMSXをマルチメディア化することを悲願としていたので、MSX2の理念をもっとも体現したマシンとも言えます。



MSXマガジンでは1985年にテレコン・クラブという連載を組んで、キャプテンシステムを特集していました。この頃はまだパソコン通信より、キャプテンがパソコンの情報システムの主流になるかと思われていたようです。


僕も時際に稼働している所を見たことは無いのですが、MSXのキャプテン用アダプタは多数されました。

メインRAM128KBのMSX2専用キャプテンアダプタユニットSCA-01(40000円)
キャプテンモデムMD-01(98000円)とのセット。


また僕の使用したキャプテンには搭載されていませんでしたが、キャプテン端末の中にはサウンド対応の物もあったそうです。この目的に開発された音源がヤマハのFM音源YM2413で、後にMSXのFM-PACにも採用されています。このようにMSX規格とキャプテンの縁は深のでした。このキャプテン開始セレモニーの動画の音声は恐らくYM2413(正確にはその前タイプYM3526)で鳴っていると思います。

余談ですが1990年位になるとファミコンでもキャプテン用のアダプタが発売されています。ただ1990年だとスーパーファミコン発売直前で、全く普及しなかったようですが…
元々は「郵便貯金の電信をファミコンでできるようにする」というのが目的だったようですね。


なんとアーケードゲームのような硬貨作動式のキャプテン端末機も発売されています。テーブル型とアップライト型両方あるのが凄い。100円で3分間の利用が可能だったそうです。アーケード版グラディウスとメトロクロスの発売と同時期のようです。

先ほど述べたようにキャプテンのグラフィックは4×4ドット単位で16色中の2色が使用可能というものですが、これは初代MSXの横8ドット中に16色中2色に近い独特の規制がある仕様です。
この仕様で美しいグラフィックを描くのにはかなりの技術が必要なのですが、実はキャプテンのコンテンツのグラフィックを担当していたのは、パソコンPC-8801版『オホーツクに消ゆ』のグラフィックを担当されていた株式会社シフカさんだということを知りました。ただ残念ながらキャプテン版『オホーツクに消ゆ』は別の会社の担当のようですね、残念です。
このなるおさんの記事はレトロゲーマーには必読ですよ!
❹何故ニューメディアの旗手は敗れたのか?

でも僕達が求めた未来はコレだったんでしょうか?
キャプテンは1980年代の日本でニューメディアの代表格として扱われていました。ニューメディアとはISDN(デジタル公衆交換電話網)など高速度ネットワークを軸にした情報メディアの総称です。しかしキャプテンは大きなムーブメントを起こすことなく消えていくことになりました。

この理由は行政主体であったために、魅了的な情報コンテンツを供給できなかったことが大きな要因であったと現在では総括されています。確かにキャプテンのコンテンツは行政や大企業が主体で、現在のネット社会でも不可欠な一般ユーザーからの情報発信は皆無でした。これは機材費用が莫大で、参入障壁が高かったからです。

しかしその後パソコン通信を体験することになった僕の感覚では
「ユーザー同士の交流が存在しなかった。」
ということが一番の要因でないかと感じます。
その後大きなムーブメントとなるパソコン通信は、まだまだマニアだけに限られた空間ながらも、未知なるユーザーとの出会いが最大の魅力でした。そこではたやすく同好の友人を見つけられるため、デジタル通信空間の中でも強力なコミュニティ共同体を形成することになりました。以前紹介した1989年のパソコン通信がテーマのテレビドラマ「空と海を越えて」ではその光景を鮮やかに描いています。

この流れは現在のTwitterやフェイスブック、日本のミクシィなどにも引き継がれているのではないでしょうか。
僕は人は単に情報を求めるためにではなく、新しい友人と繋がるために通信技術を発達させて来たのではないかと思うのです。

キャプテンは双方向で情報をやり取りすることが出来、原始的なチャットや電子掲示板も存在しましたが、残念ながらキャプテンユーザー同志による大きなコミュニティは派生しませんでした。
これは当時の郵政省が、通信技術の発展を従来のテレビ、ラジオ、新聞などの既存のマスメディアの発展形だと読み違えたことが最大の要因だと思います。この思想はオールドメディアに対するニューメディアという名称にはっきりと表れています。
しかし人は単なるコンテンツではなく、人との繋がりこそを求めていたのではないでしょうか。
これは僕がTwitterから不当に締め出され、出会いに飢えているため、あくまで個人的な意見ですけれども😁

しかしキャプテンシステムが現在のパソコンや携帯電話などのインターネットの発展に大きな影響力を与えたことに間違いありません。1980年代初期はビデオテックスと呼ばれる似たサービスが世界各国で実用化されていましたが、その中でもキャプテンは非常に完成度の高いシステムでした。当時僕の父親が国際技術検査員だったため、ソ連や台湾の技術者達が我が家に遊びに来た際、キャプテンシステムに驚愕し
「我が国でこのシステムが導入されるのは何時になるだろうか」
とため息をついていたことが忘れられません。
僕の実体験では1980年代から現在に至る過程で、最も発展したのが情報インフラだと思います。その最先端を子供の時に体験したことは非常に幸運でした。皆さんも新しい世代に
「インターネットがなかった時代はどうしてたの?」
と聞かれる機会があるかもしれません。その時に「こんなものが日本にあったんだよ」というネタになっていただければ幸いです。
サイボーグMSX
