科学万博物語③史上最大ジャンボトロンMSXロードランナー大会
誰しもが人生で忘れることのできないゲームの一場面があると思います。日本の科学技術を結集したつくば万博の象徴だった、超巨大TVジャンボトロン。この怪物を使用したMSXのロードランナー大会が1985年の夏休みに開催されました。未来を担う子供達へのプレゼントであった科学万博。その最大の名場面はこの大会だったと思うのです。今回はMSXの歴史に残るイベントを体験した証人として、あの時の興奮を皆さんにお届けします。
❶超ド級ディスプレイ・ジャンボトロン


科学万博会場には特徴的な建築のパビリオンがひしめいていましたが、その頂点が2000インチの超弩級TVジャンボトロンでした。内部にはスタジオやエレベーターを設置、14階建てのビルと同じ大きさと言うまさに怪物です。つくば万博の映像や誌面では必ず紹介されるシンボル的存在でした。



トリニトロンはソニーのテレビやパソコン用ディスプレイのブランド名でした。当時ソニーのブランドは絶対的な物があり、その頂点が一世を風靡したウォークマンだったと思います。トリニトロンはそれに次ぐソニー神話の担い手の一つでした。映像表示技術としてのトリニトロン管の詳細は省きますが、使用していた方は電源オンオフ時にチリチリ音が発生することを覚えているかと思います。

「ジャンボトロン」は「トリニトロン」のテレビを巨大化した「ジャンボ版」というコンセプトで作成されました。実際は屋外設置を目的としていたため表示技術はトリニトロンとは異なるのですが、家庭用テレビがそのまま巨大化したというインパクトは絶大でした。この時期ソニーはジャンボトロンを使用したトリニトロンのCMを複数作成しています。ビック、ブラック、ビューティフルというキャッチコピーも懐かしいですね。
こちらはExpo'85の科学万博公式ロゴの入ったCM

これは11月の広告

MSXはもちろん他のパソコン機種にも対応していたので愛用者は多かったようです。

その後ジャンボトロンは大型映像表示装置ブランドとして西武ライオンズ球場や平和台野球場で採用されました。海外でもその知名度は高く、英語圏ではjumbotronが、大型ディスプレイを指す一般名詞のように用いられることがあるそうです。これは海外のジャンボトロンの内部映像ですが、ムチャクチャカッコいいです。

科学万博でのジャンボトロンはSONYのパビリオンとしても機能していました。野球、相撲、ニュース中継・ミュージシャン、アイドルなどによるコンサートなど様々な放送がされ、常に観客の注目を集めていた万博会場での目玉でした。更に本体内部にはスタジオやエレベーターが設置されており、一部の観客は内部を見学することが出来ました。

またトップ部分に遠隔式のビデオカメラが設置されており、そこからの画像をジャンボトロンに映す事ができます。これを利用して会場内のライブ映像を中継していたので、画面に写ろうとカメラの前の広場は大混雑でした。現在と違って手軽に映像を収録できない時代でしたから、テレビ画面に自分の姿が映るだけでも興奮していましたね。
ジャンボトロンの前はステージになっていて、何とカラオケ大会が開かれたことも。昭和親父のジャイアンリサイタルが2000インチで放送される様はまさに世紀末でした😁
当時のジャンボトロンの様子、また貴重なメンテナンスシーンを僕が約2分にまとめてみました。よろしければご覧になってください。
ゲーマーなら大迫力のジャンボトロンでゲームしたい!と思うのは当然です。その奇跡的な大会が何とMSXで開催されたのでした。各パソコン雑誌で夏休み前の7月号で大会の概要が告知され、応募が始まっていました。

優勝賞品は何とフロッピーディスク付きの最新型MSX、ソニーHB701!これはナイコン族だった僕にとってMSX入手の千載一遇の大チャンスです。全国から獲物を狙うゲーム戦士が集結する、ゲームセンターあらしの世界が現実のものになろうとしていました。



実はジャンボトロンでのゲーム大会は、ファミコン漫画の傑作ファミコンロッキーでも実現しています。すがやみつる先生の元アシスタントだった、あさいもとゆき先生の描くゲーム少年達の熱い戦いはゲームセンターあらしの魂を継いでいるようで大好きでした。ただジャンボトロンがちょっと小さくないかな?資料が少なかったのかも💦
あさいもとゆき先生は現在交通事故に遭って療養中とのことですが、復活されることを心から祈っています。



監修:浅田彰氏、音楽:坂本龍一教授、ビジュアル:ラジカルTVを迎えた映像ライブイベント"TV WAR"が1985年9月15日、科学万博閉幕を翌日に控えたジャンボトロンで行われました。
会場にサイレンの音が鳴り響いたかと思うと、弔いの鐘を感じさせる曲と共にきのこ雲と爆風で吹き飛ばされる映像がゆっくりと映し出されます。そして突然、爆発の映像が痙攣したかのように何度も何度も繰り返され・・・。
怒濤のように繰り出される戦争のコラージュ映像に合わせて、現代音楽のような不協和音と畳み掛けるようなインダストリアルビートが鳴り響きます。
この映像は当時小学生の僕は見ることが出来なかったのですが、科学万博が多くの文化を飲み込んだ祭典だったことを伝えるシーンだと思います。坂本龍一教授ファンの方は必見です!ラストのEx-Jazzも必聴。
❷決戦!史上最大MSXロードランナー大会

ついにジャンボトロンを使用した大会が始まりました。このド迫力の広告を見て下さいよ!
「君は歴史に残るパソコン少年になる。」
このコピーに興奮しない奴はモグリです。全国から選ばれしMSXゲーム戦士50人が集結したのでした。

優勝賞品の最新型MSX・HB701は僕の物!とばかり殺気立った視殺戦が・・という訳でもなくロードランナーの作者ダグラス・E・スミスさんのサイン会など終始和やかな雰囲気。ただ当日は大雨でスタッフさんは大変そうでした。しかしMSXマガジンや各マスコミ、果てはNHKの取材も入り一気に緊張モードに突入。現地の熱気と興奮は最高潮に達していました。

ルールは予選は1面から2分で上位10名、本戦は抽選の面から3分のハイスコア形式。試合中は本人と手元が画面に映し出され、司会者が実況する現在のEスポーツ顔負けの演出です。観客も大歓声を送っていました。その時お前はどこにいたのかって?勿論そのモブの一人ですよ。「誰か腹壊さないかな~」とサイテーなこと考えてました😅


しかしMSXの神様は僕を見捨てませんでした!休憩時間に調整スタッフが「やりたい人!」と声をかけてくれたのです。この時の僕はゲームセンターあらしばりに目が光っていましたよ🤩

参加選手は操作しやすいように手元のモニターを見てましたが、僕はジャンボトロンの大画面を凝視していました。巨大な主人公を操る快感を存分に味わいたかったからです。
僅か8ドットの白い光体は、あの時確かに僕の分身として地下要塞を駆け抜けていました。


熱戦が終わり夜の帳に包まれた頃、再びあのロードランナーの画面が夜空に浮かび上がったことをよく覚えています。やはり万博は未来の素晴らしさを子供に伝えるためのイベントでした。その最も象徴的なシーンは大会参加者の笑顔と興奮、あの時僕たちは一歩先の未来に足を踏み入れていたように思うのです。

❸ゲームセンターあらしに挑戦しよう!

以前この大会についてTwitterで投稿した所、ロードランナーファンのすがやみつる先生が同じルールで参戦してくれました。予選は2分間の得点勝負、予選突破は7000点前後なので9375点の先生は楽々通過です。さすがですよね!ちなみに予選トップは10225点です。

決勝は抽選の面からスタートしての三分勝負、面クリアのボーナス点が重要です。優勝者は15面から3面突破で12750点。すがや先生はこのルールでも参加してくれて、3面クリアという優勝ラインの得点を叩き出していますよ。皆さんも挑戦してみてはどうですか?

参加選手と僕は「俺たちあらしの気分を味わえたよ!」なんて話したりしました。ロードランナーの本質はパズルで、作者からゲーマーへの挑戦状だった気がします。この大会は子供たちがその宿題を解き合う場だったのかもしれません。実はそれはゲームセンターあらしの隠れたテーマでもあったと思うのです。

色んな人とレトロゲームのお話をしていると、誰にも「思い出の一本」というゲームがあるのだと感じます。
僕の中で科学万博でのロードランナー大会は生涯忘れえぬものになりました。思えばあの強烈な体験が僕を熱狂的なMSXユーザーにしたのかもしれないと、今改めて感じるのです。
サイボーグMSXのおすすめマークほい!
グラフィック ★★★★
ゲームシステム ★★★★★
操作性 ★★★★★
BGM ★★
ランキング王者度 ★★★★★
豆知識😲ソニーのジョイパットでないと掘る側のボタンと掘れる方向が逆になってしまう鬼畜仕様。そのためキーボードでのプレイがお勧め。
❹至高の名作ロードランナーと優しかったダグラスさん

この大会で使用されたロードランナーは、言うまでもなくアクションパズルゲームの至高の名作です。黎明期のパソコンゲームの代表格と言っていいのではないでしょうか。
またロードランナーは所謂洋ゲーとして、初めて大ヒットしたゲームだと思います。当時の欧米の人気ゲームはAVGやRPGが主流で、言葉や文化の壁もあり日本では中々受け入れられませんでした。その点ロードランナーは解りやすいルールと優れた操作性を併せ持ち、ステージエディット機能を搭載していたのでロングセラーの大ヒット作品となりました。ファミコンやアーケード版も発売され、僕の世代でプレイしなかったゲーマーは殆どいないと思います。


作者のダグラス・E・スミスさんは度々来日し、当時のパソコンゲーム雑誌などにも登場しPCユーザーにはお馴染みの存在でした。今回はそのいくつかをご紹介します。
「ログイン」1984年12月号、初来日時のインタビューの記事です。インタビュアーは現在も活躍されている金井哲夫さん。協力にその後アーケード版を発売するアイレムのクレジットがあります。


記事によると、プロトタイプは1982年の夏休みに制作されたそうです。ダグラスさんはワシントン大学で使用されていたミニコンピュータ(大型汎用機の小型版) VAX11/780 で150ステージまで作った所、学生の間で大評判となったそうです。しかしあまりにもたくさんの学生がこのゲームにアクセスするので大学に怒られてしまう事態に。それを聞いた甥が、ホームコンピュータ用に作ればいいと勧めたということです。この展開は以前紹介したウイザードリィ創作秘話のウッドヘッド氏とアンドリュー氏に通じるところがありますね。


これは1985年10月の記事。8月の大会の時は御夫婦で参加してくれていて、この写真も夫婦で写っているので、もしかしたら科学万博に参加した後にインタビューを受けたのかもしれません。このインタビューで
「おかげで寝室4つにプール付きの家、モーターボート、ポルシェ2台が手に入った」
と語っています。この時点での販売本数はアメリカで約15万本、日本で約200万本とのことで、一番売れたのはファミコン版だったそうです。

前述のMSXマガジンの記事にも登場しましたが、幻となった新作の情報が乗っています。その後ダグラスさんは1990年代にスクウェアに移籍し『聖剣伝説2』や『クロノ・トリガー』の英語版ローカライズを担当していますが、「ロードランナー」以降に新作を発表した情報は無いのでお蔵入りになってしまったのだと思います。
インタビューで構想中の新作ゲームの情報では
・疑似3Dで立体感のあるもの
・漫画家の人にキャクターデザインを担当させている
・タイトルは「ラルフ」で、ラルフは主人公の男の子
・森林警備隊員で敵から森林を守るアクションパズル
・ジャングルの中で走り回り、島から島を渡って行く
・全20ステージくらい
是非プレイしたかったですね、残念です😭


実は日本国内で初めて発売されたロードランナーは1983年10月13日発売のPC-100版で、システムソフトが移植を担当しました。以前システムソフトのサイトに当時のエピソードが掲載されていました。残念ながら現在では消滅してしまっているので、そのアーカイブを紹介します。初代「現代大戦略」の製品企画担当者(プロデューサー)宮迫靖氏が執筆されています。

それによるとロードランナーのソースリストが米国ブローダーバンド社に無く、ダグラスさんの元まで取りに行くのが一苦労だったそうです。彼はロッキー山脈の山奥に住んでいて、当然交通機関はなく、ジープを借りて道なき道を突き進んで行ったとのこと。大げさでなく命賭けでようやくたどり着いたのは、まさに映画に出てくるような山小屋であったそうです。まさにアドベンチャーゲームのようなエピソードですね。前回テトリスの投稿で紹介したように、黎明期のパソコンゲームの裏話は本当にドラマチックです。

この時はまるで世捨て人のような生活をしていたダグラスさんが、一躍億万長者になるのはまさにアメリカンドリームその物です。

実はMSXマガジンでもダグラスさんは紹介されていました。ただMSXマガジンは低年齢向けの雑誌なので難解なゲーム業界の事情や創作秘話などは無し。もっぱら日本での観光についてのインタビューです。

ダグラスさんは大会にゲスト出演した時に、小学生だった僕達に凄く優しく接してくれたことを覚えています。難しい面の攻略法を図解で懇切丁寧に教えてくれました。当時の僕は英語が解らなかったのですが、今考えると恐らくダグラスさんは
「作者は解法を必ず創っている、だからプログラムした人の立場で考えなさい。これはロードランナーだけじゃなく全てのゲームで大切なことだよ。」
と言っていたように思えます。これはパソコン少年になろうとしていた僕にとって、物凄く印象的なメッセージでした。
2014年9月13日、突然のダグラスさんの訃報に僕はあの時の笑顔を想い出し、一日中喪に服しました。53歳、あまりにも早すぎるお別れでした。改めて追悼の意を表したいと思います。
システムソフトで移植に関わっており、その後ソニーでMSXパソコンの設計もされていた樋口理氏もご自身のサイトで訃報について触れておりました。
ロードランナーは世界中のパソコンユーザーに愛され、多くのゲームに影響を与えました。前回紹介したたテトリスの作者・パジトノフ氏は冷戦時代に海賊版で入手したロードランナーを「最もお気に入りのゲーム」と述べています。またテクザーの作者の五代響氏もロードランナーの大ファンで、ライズアウトというゲームをMSXで作成しています。
❺あの夏の一日が僕の人生を変えた


僕は毎年夏休みになると、あの大会のことを必ず思い出します。つくば万博は科学技術によって夢のような世界がやってくることを暗示したイベントでした。当時のパソコンは未来を連想させる科学的ガジェットという位置づけだったので、そのパスポートとしてMSXはとてつもなく輝いて見えたのです。
「何が何でもMSXを入手しないと時代に取り残される…」
そんな危機感を抱きながら、帰りのシャトルバスに揺られていたことを覚えています。そしてその後MSXユーザーになったことで、僕は最高のパソコンライフを送ることが出来、現在に至ります。
誰にでもある忘れられない一日、それが僕にとってのつくば万博だったのでした。
そしてこの投稿を素晴らしいゲームを創ってくれた、ダグラスさんに捧げます。
サイボーグMSX


