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科学万博物語①つくばExpo'85開会式やコスモ星丸を大特集

僕がナイコン少年だった1985年、技術立国であった日本の象徴的イベントとしてつくば科学万博が開催されました。
未来を担う子供達へのプレゼントであった科学万博。今回は日本が未来に向けて一番輝いていた時代を、皆さんと共有できたらと思います。
僕が一番心に残っているのは子供達の笑顔でした。それは科学万博がとてつもなく楽しかったから。その想い出をどこかに残しておきたかったのです。

さあ、もう一度あの時代に戻ってコスモ星丸くんに会いに行きませんか?


❶熱狂の開会式とCM


入場券前売りリーフレット

1985年はどんな年だったかちょっと振り返ってみましょう。ダメ虎と言われた阪神タイガースが遂に覚醒。圧倒的な打撃力でリーグ優勝を果たし、常勝軍団だった西武ライオンズを破り日本一に。ゲームではファミコンのスーパーマリオブラザーズが大ヒット。いよいよファミコン時代が到来しようとしていました。そして何よりパソコン界ではMSX2規格が発表された年でもあります。


阪神タイガースの優勝は専門外のパソコン雑誌ログインでも特集。

当時は全く気が付きませんでしたが、とにかく当時の日本はイケイケでした。これは僕の時代のゲーマーは、この後凄まじい勢いで家庭用ゲーム機や国産パソコンが進化し、ゲームセンターで豪華な体感ゲームが賑わったことなどで実感していると思います。
僕はいわゆる就職氷河期世代でその後ロクな目に合っていませんが、ことゲームやパソコンに関してはその絶頂期を体感できたという自負があります。ですからその頃の想い出は大切にしていきたいんですね。


入場券前売りリーフレットの裏面

この好景気を支えていたのが日本の科学技術で、その為科学的なイベントが頻繁に行われていました。これは技術立国であった日本の将来を担う、子供達への贈り物と言う意味合いが強かったと思います。その頂点となるのが科学万博なのでした。また正式名称『国際科学技術博覧会』は「科学万博」という通称が最も浸透しています。それは科学技術の劣勢で辛酸をなめた過去を持つ日本が、世界に冠たる技術立国として再生を果たしたことを高らかに宣言した証でもあったのです。


現在もつくばエキスポセンターで展示されるWASUBOT


ロボットのハンド部はこの記事にあるWAM-7の改良版であるWAM-8が使用されました

僕は実家が町工場で、父や祖父や伯父も根っからの技術者でした。そのため多くの科学イベントに連れて行って貰うことが出来たんです。その中でも間違いなく白眉だったのが、このつくば科学万博です。
開催前からTV放送などで期待は高まっていましたが、開幕前日3月16日の開会式には度肝を抜かれました。
まず日本のヒューマノイド研究の草分、早稲田大学の加藤一郎教授が作成した音楽演奏ロボット「WABOT-2」の演奏で幕を開けます。楽譜を目で認識し、両手両足で電子オルガンを演奏するという光景は、まさに「鉄腕アトム」の世界に近づいたことを感じさせるに十分でした。


開会式のアトラクションでテーマソングを歌う西城秀樹さん。このアトラクションに参加した県内の子供達はは1000人を超えたとか。


この時使用されていたシンセサイザーDX7は、ヤマハのMSX・CX11とデザインが統一されていて無茶苦茶カッコよかったです。


また小学生が演奏しているのはヤマハの誇る伝説的シンセサイザーDX7、150台ですよ!フィナーレは人気絶頂だった西城秀樹さんのテーマソング『一万光年の愛』でその熱狂はMAXに。以前Twitterでこの動画を投稿した時に、当時参列したという熱狂的なヒデキファンのご婦人にお話を聞いたことがあります。(恐らく70代の方です)

🥹「もうねえ、あの時のヒデキはキレキレで、ファンのあたし達も一緒に踊っていた子供達もみんな号泣してたわよ」

開会式の様子はNHKで生中継されたのでアーカイブされているんですが、僕が短く1分にまとめたので是非映像を見てください。

と言う感動で終わらないのが僕の悪い癖。
科学万博が開催された昭和の感覚がいかにイカレていたのか紹介します。このダンスパフォーマンスを僕は実際に現場で見ているんですが、観客のオジサン達がニヤニヤ眺めておりました。アルファのクリスちゃんかよ!スタッフさんは必死に「下がってください!」と留めるシーンでいつも爆笑してしまいます。
未来女子の正装はこうなるに違いないと、僕の歪んだ性癖を決定づけたイベントでもありました😁


翌年スクウェアから「アルファ」が発売された時、この光景を思い出しました。

科学万博のCMも毎日のように放送されました。これは開催前の1984年に放送されたもののようです。銀河鉄道999を彷彿とさせる内容が素敵ですね。ナレーションは手塚治虫先生の御子息である手塚眞さんが担当しています。

大手企業の各パビリオンも独自にCMを打っていました。日立グループ館では3Dメガネを使用してのコンピューターグラフィックを駆使した映像が流されて大興奮でした。

❷コスモ星丸はマッピーの弟だった?


兄貴分のマッピーが後ろを向いているのがカワイイですね。

「ワタシホシマル~ミンナトモダチ~」でおなじみコスモ星丸くん
全国の小中学生から公募され、応募総数830点の中から中学二年生の作品が選ばれました。UFOと土星の輪、人間の仲間である宇宙人を組み合わせたイメージだったそうです。選考委員だったイラストレーターの和田誠氏が仕上げて完成したとのこと。
科学万博に来れなかった方も、この元気いっぱいのテレビCMを覚えているのではないでしょうか。星丸くんのCMはいくつかバージョンがあるんですが、どれもわくわくもので、子供心に絶対行きたくなりましたよ。



コスモ星丸のテレホンカードも人気に

イラストやCMだけでなく、実際のロボットが万博会場に複数設置され、各種ミニゲームや会話などを楽しむ事ができました。このロボット星丸くんは実はナムコ制作なんです。ということはコスモ星丸とマッピーは兄弟なんですね。


エレメカのマッピーはゲームより先に登場してたんです。

ナムコのロボットの歴史は1980年に第1回マイクロキャット大会のデモンストレーション用に作られた「ニャームコ」まで遡ります。アーケードゲームのマッピーの発売が1983年5月のことですから、それより前のことになりますね。「ニャームコ」は実はマッピーや星丸の先輩格なんですよ。


身長65cm、重量は27kgで、入り口で、ヒゲ、尻尾、首を動かしてから迷路に挑戦。袋小路に来ると首を左右に振り、目を白黒させて「ニャンダ? ドウシタンダニャ?」とつぶやくモーションが組み込まれていました。

続く「マッピー」は翌1981年に開かれた全日本マイクロマウス大会にナムコから参加し、当時2,000万円以上したそうです。実際のデモではニャームコの描かれた風船がゴールにあり、それを尻尾に付いた針で割った後、サイレンを鳴らしながら最短コースで戻ってくるという動作が行われていました。僕もある博物館のイベントで見たことがあります。



ナムコのエレメカには長い歴史があるんです。

ナムコのロボットに対する情熱は創業者の中村雅哉社長のこだわりから来ているんです。1984年1月のインタビュー記事で「ナムコは人間とロボットの共存を目指している」とその思いを述べています。これは次回特集の手塚治虫先生の思想に相通ずるものでした。

1984年1月のインタビュー記事

恐らくこうしたノウハウの蓄積を生かしてロボット星丸くんは完成したのでしょう。会場で「ワタシホシマル~ミンナトモダチ~」と話しかけてくる星丸くんは何時も大人気でした。次回特集しますが日本の最先端技術として産業用ロボットが注目されていた時期だったので、科学万博は様々なロボットが活躍していました。その象徴的存在がコスモ星丸だったのです。


その後1999年にソニーから愛玩用ロボットのAIBOが、2014年にソフトバンクから世界で初めて量産されたヒト型ロボットPepper(ペッパーくん)が開発されています。星丸くんやマッピーは彼らのご先祖様なのかもしれません。日本におけるロボット開発は未だ世界のトップクラスを維持していますが、こうしたロボットの活躍がそれを証明していると思います。


2020年2月15日に行われたTsukuba Mini Maker Faire 2020にて、復活プロジェクトで35年ぶりに現代の技術で蘇えった星丸君。新型コスモ星丸は自分で操作もできるようにパワーアップ。また色々なイベントで子供を笑顔にして欲しいですね。


❸万博の主人公は子供達・激安入場料


学研臨時増刊 小学生のための科学万博-つくば’85 子供雑誌でも盛んに特集されました。

つくば万博の主人公は子供達でした。特に夏休みは全国から小学生がつくばに集結。万博中央駅や入門ゲートから待ち切れずに走り出す子供たちの歓声は今でも忘れることが出来ません。


意識的に大学生以下を優遇していることに好感が持てます。とにかく会場は子供たちと若者であふれていました。

子ども料金は七百円、午後4時以降は半額という良心的な値段でした。当時はまだ外食の値段が高く、小学生は皆お母さんの作ってくれたおにぎりをほおばっていましたね。ネズミーランドのように持ち込み禁止なんて野暮なことはありません😝誰もが笑顔でいられた素敵な空間でした。


会場への交通のイメージ。何と羽田からジェットヘリが運行。僅か25分で料金2万円なら激安じゃないですか?


追加記事、ジェットヘリの運航表です。かなりの便数が出てるんですね。
成田-万博会場直通で13530円は激安、消費税もないし😁

僕は幸いに茨城に親戚がいたので、夏休みの間毎日のように万博に通い詰めました。午前中は叔父さんの家のお手伝いをして回数券チケットを買ってもらい、午後一でおばさんの作ってくれたお弁当を持って電車に飛び乗りましたよ。


無料で配布された万博の会場マップ。これを片手に会場をうろついているとRPGの主人公になった気分に。

万博には全国津々浦々から子供たちが集まりました。「僕は秋田」「私は愛媛」小学生は名前を知らなくても、すぐ友だちになれました。それは万博がとてつもなく楽しかったから。楽しさを共有する空間では誰もがすぐ友だちになれる。そんな大切なことを万博は教えてくたんです。


のんきくん、それを言ってはいけません😁




小学館の小学四年生などに連載されていた方倉陽二先生の「のんきくん」このように家族で参加された方も多かったです。

茨城県映画『EXPO'85 科学の祭典』より僕が1分半ほど抜粋。万博中央駅の混雑ぶりや、ゲートから飛び出す子供たちに着目してください。僕もこの一人でしたが、走らないでくださいって言ったって無理ですよ😁

❹シャトルバスとエキスポライナー号


料金は大人600円、小人300円

臨時駅の万博中央駅から会場まで専用バスが運行されました。この連節バスの元祖とも言える、スーパーシャトルバスがムチャクチャカッコいいんですよ。バスなのに内部は列車のようで、20分揺られている間も大興奮でした。後に知ったんですがスウェーデン・ボルボ製だったそうですね。(ボディは富士重工伊勢崎製作所製)


VOLVOのエンブレムがカッコいい。この車両でワンマンバスというのも凄いです。


僕が乗った初めてのボルボ車でした。

このシャトルバスは万博輸送の切り札とされ、乗車定員は162人と桁違いで100台が用意されました。それを万博中央駅に隣接した専用の巨大ターミナルで捌いていたため、待ち時間はほとんどなかったように思います。

1985年7月撮影の航空写真。写真中央部は万博中央駅、上部がシャトルバス中央事業所、下部がバスターミナル。駅の改札からすぐに乗車できました。

超大型車両だったため、運転手の安全を確認するためのモニターテレビが装備されていたり、当時は珍しかったコンピュータを利用した運行管理システムも未来を感じさせました。


バックアイとカセットテープなどの放送装置関係。横から覗けるので興奮しました。


車内はまるで列車のよう

西城秀樹さんの科学万博テーマソング「一万光年の愛」をバックにシャトルバスが運行する貴重な映像。開催直後の熱気を感じてください。

僕は乗らなかったので詳しくないのですが、万博会場付近は宿泊施設が不足していたため、万博特急「エキスポライナー」で運用されていた寝台車をそのまま列車ホテルとして「エキスポドリーム」として使用したそうです。まず土浦駅で乗車し、そのまま留置線で一夜を明かして翌朝万博中央駅へ向かうという豪快なシステム。秋田県から来ていた子が「列車内で興奮して全く寝れなかった」と言っていました。


エキスポライナー号キハ58系。「コスモ星丸」を描いたヘッドマークが特徴


エキスポライナー号415系電車


エキスポライナー号EF81 18+12系客車


列車ホテル「エキスポドリーム」として使用された583系電車

エキスポドリームで宿泊する人々を撮影した貴重な映像。翌日を楽しみにした人々の笑顔を見ると、また科学万博に行きたくなっちゃいますよ。30秒の動画です。

コチラが日テレ鉄道部の本篇。科学万博の鉄道事情の特集で、鉄道好きにはたまらない映像が盛りだくさん。シャトルバスの説明もあります。

❺科学万博を彩ったコンパニオンたち


つくば万博'85 公式ユニフォームガイドブックより

科学万博は女性が活躍した万博でもありました。各パビリオンでは素敵な制服のお姉さんたちが、ハキハキと専門的な解説を行っていました。個性的な制服ファッションも見ているだけで楽しくなりましたね。今回は資料が見つからなかったのですが、海外のお嬢さん方の民族衣装やファッションも素敵でした。


コンパニオンさん達はクソガキの僕らにも優しかったです。


この15秒CMでは科学万博で登場した女性たちが勢ぞろいしてくれています。

実際のコンパニオンさんの活躍はコチラ

とうのふきさんが科学万博でコンパニオンを務めた女性たちのイラストを投稿してくれています。どのイラストも輝いていますね。

❻心を繋ぐツールラジオきらっと


科学に恋して・・・素敵なコピーです

つくば万博で必須のアイテムがAMラジオでした。会場内にスタジオを置き、毎日会場情報を放送していたからです。万博駅前の屋台で1000円で売っていました。


MSXマガジンでも特集


このロードランナー大会についてはまたいずれ

この「ラジオきらっと」は元々交通情報を提供するラジオ放送局だったそうですが、次第に各パビリオンの紹介やテーマ曲の演奏などがメインになっていきます。次回特集しますが各パビリオンは当時のトップアーティストがオリジナル曲を提供していて、それも楽しみの一つでした。また素人の女子スタッフが、リクエストに応じて会場をレポートするなど盛りだくさんの内容でした。
YOUTUBEに「ラジオきらっと」のアーカイブをUPしてくれてる方がいたんです。39年ぶりにこの住友館のテーマ曲「空に会おうよ」を聞いた時

「みんなのほほえみ 失くしたものは みんなで探すよ」

のフレーズで涙が出そうになりましたよ。きらっとで何度もリクエストされた人気曲でした。もっと音質のいいものもUPされているのですが、今回はあえてラジオ音声の物を選びました。今聞いても幸せな気分になれる隠れた名曲ですよ!
作詞:矢野顕子さん・作曲編曲:坂本龍一教授・歌:やまがたすみこさんという超豪華作品です。

科学万博の人気パビリオンは2時間以上の待ち時間が当たり前でした。その待ち時間に子供たちは短大生女子レポーターリエちゃんとロコちゃんの突撃取材に、まだ見ぬパビリオンの期待を膨らませていたのです。天真爛漫な二人は万博のアイドルでした。
暫くすると会場の雰囲気を味わいたい聴取者の間で評判となり、北海道から九州まで全国から受信報告が届いたそうです。僕も東京に帰ってからも聞き続けていましたよ。
これは人気だった富士通パビリオンの紹介です。


きらっとは万博に来れない子供達も聴いていました。ラジオを通じて万博の楽しさを共有していたんです。あれから時がたち、通信環境や機材は急速に発達しました。しかし僕は今この最終日の放送を再び聴きながら、電子通信の本質は単なる情報伝達ではなく「心を繋ぐツール」ではないかと思うのです。

❼次回は手持ちの資料を一挙公開!


手持ちの資料から。科学万博は映像の万博でもありました

いかがだったでしょうか?資料を調べているうちに、また科学万博に行きたくなってしまいました。
1944年生まれだった父は1970年に大阪で開催された日本万国博覧会と、この科学万博両方に参加しているのですが

「万国博覧会は世界と断絶してしまった海外との交流を復活させた、終戦25周年の総決算という意味合いが強かったと思う。一方科学万博はその名の通り日本の科学技術発展の総決算だったのではないか。」


当時25歳、駆け出しの国際技術者だった父にとって万国博覧会は特別な想いがあるようです。

と回想しています。僕はとにかく頭がオーバーヒートするぐらい楽しかった記憶しかないのですが、当時参加した小学生から「つまらなかった」という感想は聞いたことはありませんでした。

僕が最も尊敬する愛のレトロゲーム伝道師、カシオ松下さんのポストを拝見すると、同世代の絶賛の声で溢れています。僕は現在理不尽なアカウント凍結を喰らって書き込めないのですが、いつかまた科学万博の話でみんなと盛り上がりたいですね。


このMSXロードランナー大会は絶対に特集しますよ

僕は会場内の超ド級TV、ジャンボトロンを使用したMSXのゲーム大会を体験したことが切っ掛けでMSXを購入することになりました。ですから自分の人生の転換点になった科学万博の資料を定期的にXにポストしていたんです。しかし残念ながらアカウント凍結で全て閲覧出来なくなってしまいました。だからこそ、その想い出と共に集めた資料をどこかに残しておきたかったのです。


そんなわけで次回は僕の手持ちの資料を一挙公開しますよ!パソコン少年のヒーローべーしっ君も科学万博をレポートしてくれました。


MSXユーザーのバイブル、MSXマガジンでも大特集。記事では東芝館の音楽などを担当されたミッキー吉野氏のインタビューなども。

次回の目玉は手塚治虫先生や小松左京先生の座談会。これは必見です!

今回も長文にも拘らず最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございます。またいつも僕の代わりにツイッターなどで記事をご紹介して頂いた皆様に、心よりお礼申し上げます🙇‍♂️
                       サイボーグMSX


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