LDゲーム特集②史上最弱の宇宙戦艦ヤマト85年ヤマト冬の時代
日本のアニメ史上に燦然と輝く傑作「宇宙戦艦ヤマト」。宇宙戦艦を主役に据え、戦場での青春群像劇を描くという野心的な試みは、熱狂的なアニメファンを生み出すことになりました。言うまでもなくヤマトは無敵の宇宙戦艦な筈ですが、当時唯一のデジタルゲームとなったLD版ヤマトはその常識を覆す史上最弱のやられっぷりを見せてくれます。
今回は1985年の宇宙戦艦ヤマト冬の時代を、LDゲームを通じて綴ります。(ネタバレを含みますのでご注意ください🙇)
❶発進にも一苦労?史上最弱のヤマト

1985年は僕が小学校6年生で、年末あたりに初めてゲーセンに遊びに行った年でした。熱狂的なヤマトファンだった僕は、そこで目にした「LDゲーム版宇宙戦艦ヤマト」のOPを飽きることなく眺め続けていました。コクピット型の大型筐体から流れる勇壮なテーマに心を奪われていたのです。

LDゲームは前回特集しましたが、映像表示にレーザーディスクを使用したテレビゲームです。開発された1983年では他のテレビゲームとは桁違いの画像動画を表示することが売りでした。
LDゲームに使用された映像は大きく分けて3つあり、実写映像、コンピューターCG、アニメ映像とそれぞれのタイプが混在していました。しかし当時のテレビゲームは標示能力が低いため、鮮明なLDの画像と組み合わせると、どうしても違和感が出てきてしまいます。その為最終的に主流になったのはアニメ映像を使用したタイプになっていきました。
LDゲームは極めて短期間に衰退してしまったのですが、この「宇宙戦艦ヤマト」はLDゲームの代名詞とまでなったヒット作「タイムギャル」と同時期に発売された、LDゲームの最終期の作品になります。ファミコンのスーパーマリオの発売とほぼ同時期と言えば解りやすいでしょうか。初期のLDゲームについては前回投稿を参照してください。
1985年のアニメの主役は「機動戦士Ζガンダム」で、僕自身もガンプラの直撃世代になります。しかし当時から時代遅れだった僕はヤマトに熱中していたのでした。「宇宙戦艦ヤマト」初代の放送が僕が生まれる翌年の1974年ですから、もはや懐かしアニメと言う感覚です。完結編の劇場公開が1983年でしたが、この時は映画館でガチ泣きするほど感動して、付き添いで来てくれた母上にバカにされたほどですよ。2年後のLDゲーム版はこの完結編をベースにしていますが、今更感があったのも事実でした。





しかしヤマトのクライマックスシーンとも言える?発進シーンは『さらば』、『永遠に』、『完結編』の三種類が用意されるという豪華仕様。また完結編の名場面を全て網羅した構成は、ヤマトファンなら絶対にプレイしたくなるゲームなのでした。まだレンタルビデオ屋も少なかった頃では、好きな作品の映像をもう一度見るのも大変な時代だったんです。
しかし何と50円のゲームセンターでもプレイ料金は100円!月のおこずかいが500円の僕にとって現在の1万円以上の感覚です。それでも百円玉を投入したくなる魅力がこのゲームにはあったのでした。

海面から飛び立つ時の水滴の描写が凄すぎます。

LD版のOPにも使われた最も有名なシーンですね。
意を決してコイン投入!「地球を救うぞ!」と意気込み大型筐体に乗り込むと、大音響のオープニング曲と共にテンションはMAX。コックピットに座ると、それだけで宇宙戦艦ヤマトの第一艦橋にいるような興奮に包まれます。

しかし発進シーンはランダムで選ばれるのですが、一番カッコ悪い『永遠に』のアステロイドベルトのシーンだとそれだけで損した気分に。それでも気を取り直し、ディンギル帝国軍との決戦にと意気込みゲーム開始です。

👨✈️「島、障害物に気を付けろ」
そんなのお安い御用とばかりレバーを入力すると・・・僕のヤマトの運命をご覧ください🤣

島に思わず「しっかりしろよ!」と怒鳴りたくなります。




後ろで見ていた悪友のFM7君が腹を抱えて笑っていました。
😹「主砲を1発も撃たずにゲームオーバーかよ。ヤマト弱えええ」
LDゲームは「一発死」がお約束。「タイムギャル」や「ドラゴンズレア」はそれを逆手にとって「死ぬシーンを楽しむ」という独特の楽しみ方が生まれました。しかしタイムギャルのレイカちゃんのビキニスーツが破れるのをお目当てにしたゲーマーは山ほどいましたが、大海原で真っ二つに裂けて沈没するヤマトを見たい奴は誰もいません。

言うまでもなくヤマトは無敵の宇宙戦艦です、しかしLDゲーム版では木っ端微塵にされるヤマトの姿をこれでもかと言うほど拝むはめになるのでした。その為大量の資金が必須で、僕はすぐに攻略を諦めてしまいました。しかしLDゲームには「もう一つの攻略法」があったのです。

アニメベースのLDゲームは、極論すれば全てのアニメ画像を見れれば目標達成とも言えます。そんな訳で僕はタイムギャルのレイカちゃんのカワイイ活躍っぷりを、全て後方から覗き見する乞食プレイで脳裏に焼き付けていたのでした。しかしアップライト筐体版があった「タイムギャル」や「忍者ハヤテ」などと違って「LD版宇宙戦艦ヤマト」は「アフターバーナー」と同様の横から中に乗り込むコックピットタイプのみでした。(僕の周りでは😅)

僕が見た筐体もこんな感じだったと思います。
さらに100円玉を積み上げていたヤマトの熱心なファンが「こんなのヤマトじゃねえ!」とキレて暴れていたりしておりました。筐体の作り的に後ろから覗き込めないので、横から覗き見するのは相当勇気がいります。そんな訳で医者の息子で小金持ちのFM7くんに
😟「宇宙戦艦ヤマト攻略してくれよ」
と頼んだのですが
😜「やだよ、今更ヤマトなんて古臭い。ガンダムかダグラムだったらやり込んだのになあ」
とにべもなく断られる始末。しかしこんなことで諦める僕じゃありませんよ、果たして僕のヤマトは地球を救えるのでしょうか?

Not even Justice, I want to get Truth. 真実は見えるか!
折角なのでLDゲーム版ヤマトのやられ集を2分でまとめてみました。よろしければご覧になってください。
復刻された「タイトー LDゲームコレクション」でLDゲーム版ヤマトを全面クリアされている方がいらっしゃいました。素晴らしい完成度で僕も買いましたが、まだクリア出来ていません😭
❷君は地球を救えるか?衝撃の完結編

そんな訳で僕が泣きついたのは僕のアニメの師匠でした。師匠は通っていた絵の教室の先生の息子さんの大学生で、僕より10歳程年上になります。世代的には現在アオイホノオを連載しておられる島本和彦先生に近く、オタクのオリジンとも呼べる存在でした。
師匠は僕のような「なんちゃってヤマトファン」ではなく、思春期にリアルタイムで初代ヤマトを視聴したガチのヤマト第一世代だったのです。言うまでもなく僕がヤマトファンになったのは師匠の影響でした。
😉「師匠、宇宙戦艦ヤマトのゲームが出たんだけど・・・」
🫡「なにぃ!ヤマトのことなら俺に任せろ」
こんな感じで予想した通りの展開となり、僕はちゃっかり横で師匠のプレイを拝見することが出来たのでした。やはり師匠も発進シーンで大感激、マニアだけあって

🤩「おお!ちゃんと沖田艦長は納谷悟朗さんがやってるんだ」
とご満悦。発進シーンが終わると「冥王星空域」「宇宙空洞」「アクエリアス」「要塞ウルク」の4ステージから自由に選んでプレイできます。これをすべてクリアすると最終決戦に進む構成です。

「冥王星空域」ではバカ殿ことルガールII世が「ハイパー放射ミサイルを持って撃滅せよ!」の名台詞と共に例のドヤ顔でポーズを決めてくれます。


「宇宙空洞」では冥王星海戦後半のコスモゼロが敵艦隊を索敵するシーンを元にしたステージ。ヤマトの基本パターンは多数の艦隊にボコボコにされ、波動砲で一発逆転と言うもの。今回は波動砲が修理中で使用できず波動カートリッジ弾での反撃になるんですが、失敗するととんでもないことに。
ここら辺の難易度もハンパなくて師匠は
😖「『こんなこともあろうかと』って真田さんは出て来ないのか」
とぼやいていました。



「アクエリアス」ではアクエリアス上空戦闘が舞台。ここでようやく「対ハイパー放射ミサイル艦首ビーム砲」の発射シーンで真田さんが登場です。マニアックな所では「完結編」本編では使用されなかった「煙突ミサイル」の発射シーンが挿入されています。恐らく新規のゲーム用の下ろし作画部分で、師匠は感動してましたね。

敵要塞に強行着陸するシーンは完結編でも最高に盛り上がる場面。沖田艦長の「波動砲口よりエネルギーをリークさせ、強行着陸」のセリフでテンションは最高潮に。
ここで僕が古代の「着陸だ!」のセリフを叫ぶと、師匠が「よおし」と島の合いの手を入れてくれました。


「要塞ウルク」ではついに敵の要塞に強行着陸!まさにヤマトのお家芸です。このシーンのLD画像とゲーム画面のシンクロは、LDゲーム屈指の名場面だと思います。
この後コスモタイガー隊が出撃するシーンで、映画本編でも使用された「FIGHTコスモタイガーII」のFM音源版がかかるのですが、このイントロがまたカッコいいんですよ。もしかしたらタイトーの作曲の神様OGRこと小倉久佳さんが担当しているのかも。クレジットには名前があるんです。原曲も最高なので是非聞いてください。島が戦闘中に瀕死の重症を負いながら格納庫のゲートを開けたシーンが蘇ります。


続いてコスモタイガーでの強襲シーンになるのですが、サンダーストームのシステムをそのまま流用しているので大迫力の空中戦が楽しめます。ここからのシーンは殆どが映画などの流用ではなく新規の画像を使っているので貴重なんですよ。師匠も「こんな画像見たことないな、作画も安定しているから大したもんだ」と太鼓判を押していました。

スピード感がハンパないです。

ついに敵の心臓部に侵入!ここからは我らが古代進が「ドラゴンズレア」状態になって、数々の悲劇に見舞われます。奈落の底に墜ちたり、地雷踏んだりと結構悲惨。古代くんが死んじゃう!🤣クライマックスは敵兵とのタイマン一騎打ち。結果はいかに?






声優の富山敬さんもこんなにやられ声やるの初めてだったのでは?


くどいですが全て新規描き下ろし映像
数々の苦難を超えてついにヤマトは最終決戦へ。沖田艦長がただ一人ヤマトに残り、地球の運命を賭けて波動砲の引き金を引く屈指の名シーンの再現は果たしてなるのか?衝撃のエンディングを皆さまお楽しみください。ちなみにラストシーンは「永遠に」の映像を使っていると師匠に教えて貰いました。艦首に錨のマークが描かれているのですぐ分かったそうです。






僕は映画完結編でガチ泣きしたほど感動していたので、どうしてもこのエンディングに納得できませんでした。散々やられまくっていたのに、最後に逆にヤマトが生還する展開が読めませんでしたよ。
😡「な~にが『ヤマト地球に向けて発進!』だよ、金返せ!(払ってないけど😅)」
師匠はもっと激怒しているかと思いきや
😑「いいんだよこれで。ヤマトの整合性に一々腹立てたってしょうがないぜ。」
と、いたって冷静でした。その日の帰り道、師匠はかつての「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の想い出を語るのでした。



折角なので古代くんのやられ集も1分でまとめてみました。よろしければご覧になってください。
❸「愛の戦士たち」への葛藤とヤマト冬の時代



ヤマトブーム絶頂期の1978年に、劇場映画として封切られた「愛の戦士たち」は当初ヤマトの完結編として企画されていたそうです。現在視聴してみてもヤマトと言う物語が終結に向かっていく情念がヒシヒシと伝わってくる作品でした。
中盤で前作の宿敵であったデスラ―が白色彗星帝国の先兵として立ちふさがり、この戦闘でデスラ―とヒロインの森雪が戦死する場面で、師匠は悲劇的な終結を予感したと回想してくれました。「この二人を失って、もはやヤマトという物語は成立しない」と。女性ファンは皆目を覆っていたそうです。



白色彗星帝国との最終決戦では敵機の発射口へ進入。都市中心部を破壊するというお約束になるのですが、完結編のように手を汗を握ると言うより猛烈な悲壮感が先立ちました。主要乗組員たちが次々と戦死する衝撃的な内容で、この時点で映画館内は異様な雰囲気に包まれていたそうです。
これはアニメファンの共通の想いだと思うのですが、長く視聴した作品の登場人物はファンにとってアイドルのような特別な存在です。ましてや前作で29万6千光年の旅から生還したヤマトの勇者たちが消失してしまう衝撃は、とてつもない物だったと想像に難くありません。

大きな犠牲を払い、ついに白色彗星帝国との戦いに勝利!・・・と思った矢先の超巨大戦艦の出現。アニメ史上最強のボスキャラの登場です。その絶望感は圧倒的で、現在でもこの展開を超えるシナリオは存在しないと断言できます。

そして古代進がユキを抱えながら彗星帝国に特攻する場面で
「これが2人の結婚式だ。」
と語るシーンで、映画館全体に観客のすすり泣く音だけが聞こえていたそうです。このラストは賛否両論あったものの、従来のアニメ映画の常識を完全に覆し、通常の大作映画と同じレベルに昇華した名場面であることには間違いありませんでした。宇宙戦艦ヤマトがまさに伝説のアニメになった瞬間だったのです。
その場に立ち会えた自分は光栄であると師匠は語るのでした。

しかしそのTV放送版である「宇宙戦艦ヤマト2」ではこの結末は全て反故にされ、ヤマトも主要乗組員も全員生還し、その後ヤマトは長期シリーズ展開されていくことになります。
「愛の戦士たち」の感動が大きかった分、この改変に「裏切られた」と感じたアニメファンは多く、数々の論争が巻き起こったそうです。ビジネス上無理やり続編を作ることになった制作側に、純粋なアニメファンが強烈な拒否反応を示したのでした。師匠のアニメ仲間の中にも
「俺の中で『ヤマト』は終わった。もう二度と見ることは無い」
と宣言する人も多かったのだそうです。時には酒の席で議論がエスカレートして殴り合いになったとか・・・黎明期のアニメファンはそれだけ熱かったのですね。
師匠は生粋のヤマトファンとして悩んだ挙句「全ての矛盾を飲み込んで応援する」という道を選ぶことになります。しかしヤマトシリーズはその後も設定の矛盾や迷走が目立ち、1979年に放送が始まった「機動戦士ガンダム」にアニメの主役を完全に奪われていきました。


師匠は「機動戦士ガンダム」も高く評価していましたが、友人のアニメファンが「ヤマトを矛盾だらけの古臭いアニメ」と評するのには辛い物があったそうです。師匠曰く
「ガンダムが生まれたのはヤマトがあったからこそだ。」
が口癖でした。


結局「宇宙戦艦ヤマト」は1983年の完結編で終了することになるのですが、のっけから初代の「地球か…何もかも皆懐かしい」の名台詞を反故にしてまで沖田艦長を復活させてしまう始末。
師匠は一緒に見に行ったガンダム派のアニメファンに、散々このことをからかわれたそうです。しかし「ヤマトにはヤマトの良さがある」と師匠は反論していました。この時期のことを師匠は「ヤマト冬の時代」と言っていましたっけ。その後「宇宙戦艦ヤマト」が改めて再評価されるのにはもう少し時間がかかったのです。

僕は前述した通り「完結編」からヤマトに入り、逆行して各作品に触れて行ったため「ヤマトシリーズはこういうものなんだ」という意識でそれほど気にならなかったのです。小学生でしたし。しかしリアルタイムで追っていた思春期のヤマトファンには、そういった葛藤があったことを初めて知ることになったのでした。それでもなおヤマトに深い愛情を持ち続ける師匠の姿に、僕はオタクの先輩として大きな影響を受けることになるのです。
❹黎明期のアニメファンの恐ろしさ

師匠は1974年の初代「宇宙戦艦ヤマト」で生粋のアニメファンになった、アニメオタクの第一世代とも呼べる人物でした。黎明期のファンというのはどの分野も狂気じみているのですが、アニメファンも御多分に漏れずという感じだったそうです。

その後のアニメファンとの最大の違いは、映像を手軽に記録できなかったことです。ビデオデッキが普及する前でしたのでアニメを見るには生放送しかなく、その全てを脳内に焼き付けていなければならないのでした。師匠はアニメを見る前にトイレに行く習慣が最後まで抜けなかったそうです。


ビデオデッキが普及する前はどうしていたのかと言うと…カセットテープに音声だけ録音していたんですよ。確か師匠に弟子入りしたのは1982年の伝説巨神イデオンの再放送の頃だったと思うのですが、音声の録音中に物音を立ててしまい、凄く怒られたことを覚えています。
劇場公開された「愛の戦士たち」ではラジカセを持ち込むアニメファンも多かったとか。家に帰ってテープを再生しながら各シーンを回想する・・・当時のアニメファンはそれが当然だったと聞きました。(注、ここら辺は師匠から聞いた話なので、アニメファンの歴史の本当のことは僕には解りません。ご了解ください🙇)

またまだ当時はゲームが発展する以前でしたので、オタク文化の最前線はアニメという時代でした。ネットの無かった時代、オタクが知識を習得するには雑誌しかありません。師匠は当時発行されていた全てのアニメ雑誌を買い漁り、片っ端から読破していました。僕は妖怪屋敷のような有様の師匠の自室で、アニメ作品のディープな知識を披露してくれる師匠に心酔していました。

師匠はその豊富な知識量からアニメ仲間でも一目置かれる存在になり、進学した美大での「アニメ研究会」では部長として辣腕を振るっていたと言います。当時どのオタクコミニティにもそういった博学な長老がいて、新しい時代のオタク文化を形成しようとしていました。
この風景は島本和彦先生のアオイホノオに鮮やかに描かれています。恐らく舞台となった「大作家芸術大学」のような光景が、全国で展開されていたのでしょう。その中で島本先生のようにプロの道に進む方もいれば、アマチュアとして在野の士となり、現在も情報発信を続けられる古参のアニメファンの方も大勢いるのだと思います。その熱量は日本の誇るオタク文化の更なる発展の礎となり、現在に至るのです。

❺ヤマトよ、師匠と永遠に…

新世紀エヴァンゲリオンが放送開始された1995年末、僕が名古屋の大学から帰省すると師匠が入院していると母から聞かされました。慌てて病院に駆けつけると、すっかりやせ細ってしまった師匠の姿に愕然とします。それでも買ってきたアニメージュを見せると、嬉しそうに
「な、俺は庵野秀明さんは必ず時代を変えるって言ってただろ。」
と笑顔で答えてくれました。『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』は師匠の一押しで、この両作品がいかにヤマトから影響を受けたのか、かつて僕に熱く語ってくれたのです。

「師匠、エヴァについても解説してよ。」
と僕がお願いすると
「駄目だ…俺は最後まで見届けられない。」
師匠は自分の死期を悟っていたのです。
「しかし俺はアニメファンとして何も残せなかったな・・・」
師匠は寂しそうにそう呟くのでした。僕は思わず怒鳴ってしまします。
「バカなこと言うなよ、師匠が教えてくれたアニメの知識、僕は一生忘れないよ!」
「・・・ありがとう」
それが師匠と交わした最後の会話になりました。師匠は美大を卒業したのち、あるアニメスタジオで働いていたのですが、持病で体力的に続けることが出来ず、自宅で療養を続けていたのでした。大学時代は同人誌や会報も出版し、黎明期のコミケにも参加していたようですが、体調を崩してからは自宅にこもることが多かったそうです。

まだインターネットが普及する以前、プロは当然のことながら、アマチュアでも自分から情報を発信したり交流することは大変な時代でした。そして自宅に引きこむようになって同好の士との交流が絶たれ、ますます師匠は精神的に摩耗してしまったのだと思います。

今の時代なら、きっと師匠はnoteやTwitterで最後までアニメファンとして情報を発信し続け、多くのフォロワーのアニメファンの仲間に看取られて逝ったのではないか・・・僕はついそんなことを思ってしまうのです。

この師匠の最後のエピソードは最後まで挿入しようか迷いました。人の死をネタにするのは冒涜ではないかという葛藤があったからです。
しかし僕も齢50を過ぎ、かつての仲間たちが旅立つことが増えてきました。そういった人達の生きてきた軌跡を書き残すことは、自分の責務のように感じるようになって来たのです。
今回「宇宙戦艦ヤマト」の投稿にあたって、師匠に教え込まれた知識がまだ僕の中で生きていることを強く感じました。そして何より「アニメ」の魅力を師匠から受け継げたことを嬉しく思うのです。

僕がnoteやTwitterの迷宮を徘徊している最中、頭のおかしい「推し」をやっているフォロワーさんを発見すると、つい師匠を思い出して嬉しくなってしまいます。好きなコンテンツを徹底的に追い求める姿勢は同じオタクとして尊敬する対象であり、自分が目指す道もまたそこにあると思うからです。


僕のnoteの投稿は、「今の自分に至ることになった作品達」を創ってくれたクリエイターの方々への感謝が大きな原動力でした。だだ、その作品を熱く愛した人々がいたことも忘れてはならないとも思うのです。
僕にとってnoteやTwitterで出会った同好の士は、同じシナリオを冒険するパーティーの仲間のような存在です。僕はこれからも、そうした名もなき勇者の物語を綴っていくつもりです。
改めて多くの素晴らしい仲間に恵まれたこと、そして最後まで読んで頂いた皆様に感謝したいと思います。
最後に偉大なる我が師匠である喜一氏に、この投稿を捧げます。
サイボーグMSX

