MSX美少女図鑑③セーラー服とMSX・工藤夕貴さん日立H1
工藤夕貴ちゃんといえば『セーラー服とMSX』という、まるで映画のタイトルになりそうなインパクト絶大の広告ですよね。「MSXを持ち歩く女子中学生はいないだろ!」というツッコミと共にXで定期的にアップされているぐらい伝説化しています。
彼女は1983年から87年まで最も長くイメージキャラクターを務めてくれていたので、あどけない少女の成長とMSXの進化を連動して感じることが出来ました。今回は夕貴ちゃんの幼さの残る少女時代から、艶やかな大女優へ駆け上る姿を楽しんでください。

❶12歳新人のセーラー服

MSX初代規格は合計14社の参加でスタートしました。発売直後1984年度の売り上げデータによると、MSXメーカー別シェアは
1位・ソニーHiTBiT(21%) 、2位・松下キングコング(20%)3位・東芝パソピアIQ(14%)4位・日立H1(11%)
となっています。日立はMSXトップグループの1社だったんですよ。

他のメーカーが松田聖子、岡田有希子、小泉今日子といった人気アイドルを起用したのに対して、日立は12歳でデビューしたての工藤夕貴ちゃんを採用、フレッシュさでは際立っていました。前回も紹介したレトロPC情報発掘家とっきーさんのHPに資料があります。

彼女がブレイクしたのは同時期にハウス食品の袋ラーメンのコマーシャルで「お湯をかける少女」として人気者となったことでした。このCMは言うまでもなく前年の1983年の大ヒット映画、原田知世さん主演の『時をかける少女』のパロディですが、どちらも記憶に残っている人が多いと思います。
彼女がやかんを持つ構図とMSXの広告がそっくりなのは偶然でしょうが、工藤夕貴ちゃんにセーラー服のイメージがドはまりしていたのは間違いないですよね。

❷『セーラー服とMSX』はなぜ生まれたかMB-H1

統一規格で完全な互換性を掲げたMSXでしたが、販売側からしてみてみると自社のマシンに特徴を付けられないのが辛い所でした。そこで日立のMSX参入第一弾MB-H1は電源部を取り外し可能にして軽量化。本体に取手である通称「キャリングハンドル」を取り付けて「持ち歩ける」モバイルな雰囲気をセールスポイントにしていました。まあ実際はバッテリーがあるわけでもないので「なんちゃって」なんですけどね💦
ここに小柄な工藤夕貴ちゃんが屋外で手軽にMSXを使用している『セーラー服とMSX』のイメージが完成したわけです。キャッチコピーはずばり「初恋」。MSXが初恋相手というのも「せつなさ炸裂」な気がしますが…

しかし実際は電源部が巨大で1キロ以上もあり、決して小型軽量なマシンという訳ではなかったようです。Twitterで日立H1系列を使用していたユーザーさんは、この巨大電源部を「クソでかい」と必ずコメントされるので、かなり印象的だったんだと思います。
この時代のパソコン事情にお詳しいkznさんも指摘していますが、日立は入門用PCであるMSXのコンセプトを決めかね、試行錯誤の状態だったのかもしれません。他にもMB-H1の初期型はカーソルキーが縦に4つ並んでいる意味不明な配置になっていて、ゲームやプログラムをするのに超不便でした。半年後にしれっと改良版が発売されてるんですが、何と製品名と型番はそのまんま。今なら日本広告審査機構JAROに怒られちゃいそうです。


ともあれこの広告は日立MSXの印象を決定づけ、同じタイプが約一年に渡って掲載されています。この時期ベーマガを買っていた方は背表紙に1P広告が必ず乗っていたので、覚えている方も多いのではないでしょうか。






1984年のMSX日立H1のCM。制服姿の工藤夕貴ちゃんが初々しいですね😻動画が消滅してしまったようなので、僕が投稿してみました。
「だって好きになっちゃったんだもん」
そうです、MSXを好きになるのに理屈はいりません😁
❸ホリエモンも使用したMB-H2

約一年後の1984年11月に発売されたMB-H2は、MZ-2500を彷彿とさせるデータレコーダを内蔵と大きくモデルチェンジ。カセットデッキがステレオ対応というのも特徴で、通常のオーディオ機器としても使えることをプッシュしていました。広告では夕貴ちゃんがMB-H2に接続しているヘッドフォンで音楽を聴いているコンセプトに変更。これも似合って素敵でしたね。

他にも音楽演奏ソフト、グラフィックエディタ、機械語モニタなども内蔵し、創作系パソコンとしての方向性にシフトしていきました。機械語モニタはかなり本格的な機能なのですが、日立の8ビットパソコン、ベーシックマスターからの流れでしょうか。
ただあんまり意味のない「キャリングハンドル」も日立MSXのアイデンティティとばかり継続して採用しています。他にもスピードコントロール機能という3段階に動作を遅く出来る、後のソニーMSXに搭載されたスピコンのご先祖様みたいなギミックも搭載してます。




実はこの日立MB-H2はその後の日本のIT業界に大きな影響を与えているんです。あのホリエモンの初めて使用したパソコンがこの日立MB-H2なんですよ。堀江貴文氏は1985年に中学の合格祝いとして親から買ってもらい、すぐに魅力に取りつかれMSXにかじりついてプログラミングをしていたそうです。「MSX-BASIC」からスタートし様々なマシン語を習得、より高度なプログラミングをマスターした堀江氏は「IT企業を支えるプログラマーの仕事に繋がった」と当時を述懐しています。
最近ホリエモンがビルゲイツ氏対談したそうですね。流石に怖いもの知らずの堀江氏も、自分の原点である「MSX-BASIC」の生みの親であるゲイツ氏に対しては最大級のリスペクトをもって接していたのが印象的でした。堀江氏がゲイツ氏対談し、MSXや西和彦先生について語る動画がコチラ。
奇遇にもホリエモンが決別し、蛇蝎の如く嫌っているひろゆきこと西村博之氏の初めてのパソコンもMSXで、カシオPV-7だったそうです。ここはひとつ今年開催されるMSX40周年記念イベントで、お二人でMSXについてのトークイベントを開催して仲直りして欲しいものです。
ホリエモン😡「やんねーよバーカ」
ひろゆき😏「なんだろう、勝手に決めるのやめてもらっていいすか?」
ダメだこりゃ😁
日立MB-H2のCM。同年1984年公開の「風の谷のナウシカ」を彷彿とさせるイメージで、僅か一年で夕貴ちゃんの演技力が向上しているのが解ります。少女から女優への階段を確実に上っている感じが伝わってきますね。やはりカセットデッキ内臓ということを推しだしています。



日立MB-H2のパンフレット。音楽機器との連動がクローズアップされています。


MB-H25のパンフレット。1986年3月発売の廉価版でデータレコーダと内蔵ソフトをカットしてゲームに特化した感じに。
❹VRAM64KBの悲劇、MSX2・MB-H3

1985年10月に発売された日立のMSX2参入第一弾がH3。取り外し式の手書きタブレットを搭載しているのが最大の特徴で、その他『絵葉書ワープロ』がROMカートリッジで同梱されていました。これは懐かしの『プリントゴッコ』でカラー印刷を行うための原版を簡単に作成することができました。
しかしH3の最大の欠点は通常のMSX2がVRAM128KBなのに対し、64KBしかないことなんですよ。これによって高解像度のSCREEN7や8が使用できず、光栄のゲームやハイドライド3が遊べずに泣いた人も多かったみたいです。
VRAM64KのMSX2は4機種のみ発売されていて
Canon V-25
日立 MB-H3
三洋 MPC-25F
東芝 HX-23
このうち三洋のMPC-25FはMPC-25FDの廉価版で、 東芝HX-23も同時発売の兄弟機種HX-23Fが128KB。CanonはMSXのシェアが少ないため、結果的に128KBのMSX2を同時投入しなかった日立H3の被害者が一番多かった模様です。
基板にはVRAM増設用の空きパターンが設けられており、もしかしたら日立はVRAM128KBの上位機種を発売する予定だったのかもしれません。なんとメーカーが増設サービスを行っていたほか、改造でVRAM128KBに増設する猛者もいるとか。もしいたら是非お話を聞いてみたいです。

日立H3のデモ。高解像度のSCREEN7を使用できずSCREEN5なので、パッと見MSX1のように見えますね。

広告は「口ではいえず、絵はがきします。」とのキャッチコピーで工藤夕貴ちゃんが一気に大人びてきます。僕は当初セーラー服の彼女と同一人物と解らずに、別の女優さんを起用したのかと思っていました。思春期の女の子は数年で別人になってしまいますね。


あまりにも艶やかな工藤夕貴ちゃんの浴衣姿です。しかし日立の広告文にはやたらと💛が入っていますね。天使たちの午後のMSX版かよ!
💛できません🤣
「青春はゲームだけじゃない」
嘘だ!少なくとも僕はMSXだけでした😝
日立H3のCM。今回は小人さんが登場するバージョンです。

❺悲運の名機、日立最後のMSX・MB-H50

日立のMSX2高級機のMB-H70は三菱ML-G30とほぼ同一で、OEMの可能性が噂されていますので、実質の最終機種はMSX1のMB-H50でした。
MSX2が主流になりつつある1986年10月発売ながら本体価格は24,800円とかなりお手頃でした。それでいてRAMはMSX1最高の64KBを搭載、珍しいセパレート型キーボード、例のおにぎり型のジョイパッドも付属とコストパフォーマンスは抜群でした。
ライバル機となった同じ廉価版MSX1のカシオMX-101は19,800円でRAMが16KB、キーボードもゴム製でかなり安っぽいことを考えると雲梯の差があります。ただ悲運だったのは同月にパナソニックが廉価版MSX2の決定版であるFS-A1を29,800円でリリースしたため、時代に埋もれてしまった感があります。




デザインもかなり凝っていて、野暮ったい日立MBシリーズのイメージを完全に払拭。現在の感覚でもかなりクールでカッコいいと思います。
「冒険者のためのMSXパソコン」
「ポテンシャルを秘めた異次元デザイン。サウンドイルミネーションも光る精かんなブラックボディの<H50>」
このキャッチコピーに偽りはありません。MB-H1の時からこのスタイルなら売り上げも変わっていたのではないでしょうか。さらに「サウンドイルミネーションディスプレイ」というパソコン少年が喜びそうなギミックまで搭載。通電すると1の部分が緑に光るほか、2-5までは音によって明滅する仕掛けになっています。H50でMSX版『ハイドライド』を動かしてみた幻想的な映像です。グラディウスとかも見てみたいですね。

恒例になっていたベーマガ背表紙の最後の日立広告。この時16歳になった夕貴ちゃんはH1の時のあどけない表情の面影はなく、アンニュイな大人の雰囲気を漂わせていました。これをもって彼女はMSXを「卒業」するのですが、その後世界に舞台にする大女優になったことは皆さんご承知の通りです。
❻漫画家の彩画堂先生もMB-H1ユーザー

僕がTwitterにハマっていた2022年頃、毎日アホのようにMSXネタを呟いていると、漫画家の彩画堂先生が自身もMSXユーザーだったことをコメントしてくれました。大ファンだったので感激です。ファンだった方がMSXユーザーだったと言うだけで嬉しくなってしまいますよ。先生のようなプロでも初めはMB-H1に梱包されていた原始的なお絵描きツールや、ベーシックでCGを描かれていたことは感慨深いものがありました。
彩画堂先生はMSX2ではビクターHC95をお使いになっていたそうです。その他にも日立H1の面白いお話もお聞きすることができました。やっぱりあの巨大な電源部のことをボヤいていましたね。先生お忙しい中ありがとうございました。

彩画堂先生の同人誌はSNKのKOFシリーズを中心とした格闘ゲーム系を扱っていて、当時僕の所属していたゲームサークルでも大人気でした。このサークルにはゲーム関係のプロも多く在籍していたのですが「個人でフルカラー同人誌やるとはすげえなあ」と皆驚いていました。

彩画堂先生は同人誌界でいち早くフルカラー本を出版された方で、その源流にMSXがあると聞いて本当に嬉しく思ったのでした。1996年頃にマックでCGを描かれていたそうですが、大変な作業だったと思います。
先生には若い頃大変お世話になったのですが、残念ながら結婚を機に故あって「聖なるほこら」に封印してしまいました😭なお写真は奥さん対策で特殊なモザイクがかかっております😝

秋葉原のコミックとらのあなで買ってましたよ。
❼最後に...次回完結編

いかがでしたでしょうか?日立のMSXはややマイナーなのですが、工藤夕貴ちゃんの魅力で印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
僕にとって彼女は世代が近いこともあって、アイドルというよりクラスメイトの女の子がMSXを使てくれているというイメージでした。MSXを卒業後、彼女が国際派女優として確固たる地位を確立し、現在もご活躍なのは前回紹介した岡田有希子さんの件があっただけに嬉しく思っています。


さて三回目を迎えたMSX美少女図鑑ですが、次回で最終回です。完結編はその他のMSX機や周辺機器に登場した美少女の特集ですが、意外な女優さんが担当されていたりするんです。お楽しみに!
