零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep1 届かない魔法
あらすじ
Aランクに届かない中年冒険者ガルドは、魔法が届かない少年魔法使いニルと出会う。
ニルの魔法は、"触れたモノの起きていること"を止める力。
けれど、届かなければ何も起きない。
ガルドは剣と経験で、その魔法を届く場所まで運んでいく。
ギルドの依頼を受け、失敗し、報告して、酒場で少し話す。
そんな現場を重ねるうちに、二人は少しずつギルドに馴染んでいく。
覚醒も勇者もない。
届かない二人が、届く場所を探していく大人の異世界現場群像劇。
木のジョッキが鳴る。
皿が卓を滑る。
受付台の前では、泥だらけの若い冒険者が、破れた依頼書を両手で伸ばしていた。
「だから、橋は落ちてたんですって」
「落ちてた橋の依頼は受けていません」
受付嬢は笑顔のまま、帳面に印を押した。
奥の長卓では、冒険者がパンをくわえたまま地図を覗き込んでいた。
向かいの女が、その地図の上に木のジョッキを置いた。
「濡れるだろ」
「読めないから同じだよ」
誰かが笑った。
扉の外に笑い声が漏れていた。
男は扉の前で足を止めた。
看板の文字を見上げる。
ギルド。
「ここか」
背中の大剣が、肩に食い込んだ。
扉に手をかけた。
卓を叩く音が、木越しに響いた。
酒の匂いと、焼いた肉の匂いが、扉の隙間から出てくる。
男は短く息を吐いた。
それから扉を押した。
蝶番がきしんだ。
「邪魔するよ」
パンをくわえた冒険者が振り返った。
すぐに背を向けて、椅子を引いた。
奥の円卓では、まだ誰かが笑っていた。
厨房の方で皿が鳴る。
受付台の前の冒険者は、紙を持ったまま振り返り、すぐ前を向いた。
背中の大剣が、扉へ向かう冒険者の剣に当たった。
鉄の重い音がした。
冒険者は片足をずらして、肩を揺らした。
振り返りかけて、上げた手で頭を掻いた。
そのまま前を向き、扉を開けた。
「わるいな」
男が言った。
冒険者は返事をせずに出ていった。
扉が閉まった。
男の腰の袋が、円卓の端にいた女の肘を押した。
腕に傷のある女の冒険者が立ち上がった。
エールが木のジョッキの外を濡らしていた。
「おい、あんた」
隣の女が、傷の女の腕を引いた。
傷の女は男の背中を見た。
それから舌打ちして座った。
円卓の上に、片足を投げ出した。
「おっと、ごめんよ」
男は振り返らなかった。
「ひでえ傷跡だな。見えてんのか?」
片目の冒険者が言った。
男は振り向いた。
「あぁ、見えてる」
片目の冒険者は木のジョッキを上げたまま止まった。
受付台の前にいた革鎧の冒険者が、男を見た。
そのまま三歩、斜め後ろへ下がって、横の受付台に並び直した。
顔は、向こうを向いていた。
男は空いた受付台の前に立った。
「リナ、お客さんだ」
誰かが言った。
リナは受付台の内側に立つと、指で髪を二度撫でた。
首を傾げて、口元を上げた。
「ご要件は何ですか?」
目は、背中の大剣を見ていた。
リナは半歩下がった。
小銭の落ちる音がした。
受付の端で爺さんが床の銅貨を拾っていた。
爺さんの手の先に男の足があった。
男がしゃがんで銅貨を拾った。
「痛むのか」
爺さんが言った。
「わかるのか」
男が拾った銅貨を渡した。
「拾う時にな」
爺さんは銅貨を袋に入れて、腰を押さえながら立ち上がった。
「お前さん、一人かい」
「あぁ」
男は爺さんの目を見た。
「若いうちの一人はだめだ」
「爺さんは?」
「わしは、もう若くない」
爺さんが、目を細めた。
手前の円卓から声が飛んだ。
「じいさん、今日はドラゴンか?」
誰かが笑った。
「ドブさらいじゃよ」
爺さんは笑いながら扉を開けて出ていった。
爺さんの左足が遅れていた。
男は床に収納袋を置いた。
胸の袋からギルドカードを出した。
端が欠けて、文字が擦れて消えかかっていた。
リナに見せると、すぐに袋に戻した。
「ガルドさんですね」
「あぁ」
「野良の魔法使いを探してる」
ガルドは受付の板に両手を置いた。
革手袋が微かに鳴った。
「無所属の魔法使い、ですか」
リナが帳面を開いた。
「条件はありますか?」
「野良でいい」
「等級は」
「問わない」
リナの指が、紙の端で止まった。
「でしたら、一人います」
「いるのか」
「います」
リナは顔を上げた。
「ただ、あまりおすすめはしていません」
「やめとけ」
後ろから声がした。
ガルドは振り返った。
木のジョッキを持った男が、こちらを見ていた。
「あいつは魔法使いじゃない」
リナは帳面に目を落とした。
指を一文字ずつ滑らせた。
「登録は、魔法使いです」
「撃てねえだろ」
そう言って、木のジョッキを傾けた。
隣の男が椅子に背中を預けて笑った。
「草だけは、根っこまできれいに抜いてくるけどな」
ガルドはもう一度、胸の袋に手を入れた。
ギルドカードを受付の板に置いた。
「いや、いいんだ」
カードの端が、木に当たって小さく鳴った。
「人と組めれば」
リナがカードを片手で持ち上げた。
擦れて消えかかった文字の端に、Bが残っていた。
「……B級」
ガルドは深く息を吸った。
「ソロはAに、上がれない」
リナは両手でギルドカードを返した。
「呼びますか」
「頼む」
リナは頭を下げると、奥へ消えた。
受付の向こうで、帳面を閉じる音がした。
誰かが笑って、すぐにやめた。
奥の机で帳面をつけていた眼鏡の女が、ガルドを見た。
目が合った。
ガルドは顔をそらした。
受付の板を指で三度叩いた。
顔を戻すと、眼鏡の女は帳面に目を落としていた。
奥の扉が開いた。
リナが、収納袋を抱えた少年を連れてきた。
青みがかった灰色のローブの裾が、床を擦っていた。
袋の口から、薬草の根が一本はみ出していた。
「また草かよ」
誰かが笑った。
奥の方で、木のジョッキがテーブルを叩いた。
少年は、笑った方を見なかった。
リナが言った。
「こちらの方が、あなたと組みたいそうです」
少年はガルドを見た。
「……僕、魔法、届きませんけど」
「届かない?」
「はい」
「何が」
少年は少し黙った。
「いろいろ」
「いろいろって何だよ」
「いろいろ」
少年は目をそらさなかった。
「説明する気ねぇな」
「届かないから」
ガルドは短く息を吐いた。
「名前は」
「ニル、です」
「ニル」
ガルドは繰り返した。
「行くぞ」
「あの」
ガルドが足を止めた。
「ガルドだ」
「……ニルです」
「それは聞いた」
ガルドは扉へ歩いた。
ニルは収納袋を受付台に置いて中身を出した。
「お願いします」
受付台の中でリナが木箱を持った。
ニルは頭を下げてガルドを追った。
「なんだよ、ガキの世話かよ」
誰かが言った。
「さっきから煩いやつがいるねぇ」
奥の円卓の女が足を組み換えた。
リナは木箱を机の脇に置き、帳面を引き寄せた。
陶杯の薬草茶の湯気が揺れていた。
扉の外から、子どもの声がした。
ガルドが扉を押した。
通りの向こうに、よろずやの布看板が揺れていた。
店先で、子どもたちが走っていた。
先頭の子どもが、ガルドの膝にぶつかりかけた。
「おっと。あぶねぇぞ」
ガルドが頭を撫でた。
子どもは見上げたまま、口を開けた。
ニルが遅れて出てきた。
子どもが泣き出した。
「大丈夫かな」
ニルが言った。
「当たってない」
「……子ども、泣いた」
「俺じゃ、ない」
「うん」
ガルドはそのまま森へ向かった。
ニルは収納袋を抱え直し、小走りでついていった。
「どこへ行くの」
「森。連携の確認ぐらい、したい」
「連携」
「そうだ」
ニルのローブの裾が、草を擦った。
草の露が裾に染みた。
ガルドは歩幅を緩めた。
「後衛でいいんだよな」
「それは無理」
ニルがずれた帽子を直した。
「魔法使いだよな」
「そう」
「なら、後ろだな」
ニルが足を止めた。
「帰ります」
ガルドが振り向いた。
「なんでだ」
「いつも、ここで話が終わる」
「それは?」
「連携の話」
「そうか」
「試す?」
ニルがガルドを見た。
「試さない」
「じゃあ、帰る」
「待て、確認だ」
ガルドは前を向いた。
「好きにしてくれ」
そのまま森を歩いた。
折れた太い枝が、道の脇にいくつか転がっていた。
「静かすぎねぇか」
「うん」
ガルドが足を止めた。
地面の草に、赤が擦れていた。
森猫が、山ネズミを咥えて道を横切った。
「森猫か」
ガルドが息を吐いた。
茂みが揺れた。
「来る」
ガルドが大剣の柄に指をかける。
コボルトが飛び出した。
二人の横を抜けて、奥へ走った。
「……逃げた?」
奥で、木が折れた。
茂みが倒れる。
ガルドの指が、柄をつかんだ。
「なんだ、あれ?」
「多分、はぐれ」
ニルが帽子を直した。
「はぐれで済む大きさじゃねぇだろ」
頭には、ひしゃげた鉄の輪があった。
乾いた血が、片側だけ黒く固まっている。
「王冠か」
ガルドが言った。
「どうでもいい」
ニルがローブの腰から杖を抜いた。
杖を握り直した。
ガルドが杖に目をやった。
「短いな」
「うん」
ガルドが大剣を抜いた。
「なぁ、あれ、おかしくねえか」
「うん」
王冠のそれは、大きな剣を振り回しながら叫んでいた。
叫び声は、森の奥へ抜けていった。
「見えてねえだろ」
「たぶん」
ニルが杖を上げた。
ガルドを見てすぐに下ろした。
ガルドが柄を絞った。
「デカブツは俺がやる」
ガルドがすり足で距離を詰めた。
腰を落とし、一歩踏み込む。
草が潰れた。
身体が前に出る。
遅れて、大剣が横から走った。
鈍い音。
大剣が跳ねた。
ガルドは半歩流れた。
靴底が土を削った。
デカブツが遅れて横を向いた。
「見えてんのかよ」
ガルドが回り込む。
デカブツは、さっきガルドがいた場所へ剣を振った。
木の幹が裂けた。
ガルドが踏み込む。
大剣を振り下ろす。
デカブツが受ける。
刃が滑った。
ガルドの肩が落ちる。
上から来る。
ガルドは大剣を立てた。
重い音が、胸に入った。
足が後ろへずれた。
土がめくれる。
「重いな、こいつ!」
ガルドが奥歯を噛んだ。
両手で押し返す。
デカブツがぐらついた。
二歩、下がる。
ガルドも下がった。
右の手首を振った。
柄を握る指が震えていた。
「あいつ、近くは見えてやがる!」
「うん、わかった」
「何が!」
「大丈夫」
ローブの裾が、ガルドの視界を横切った。
「おい」
ニルだった。
ガルドは手を伸ばしかけた。
足が横に流れた。
「前に出るな!」
「届かない!」
「何が!」
「魔法!」
ニルが杖を振り下ろした。
袖が遅れて開いた。
デカブツが剣で払う。
杖が跳ねた。
「何か投げて!目の前!」
「なんだ?」
「早く」
ニルが半歩引いた。
体を横に逃がす。
デカブツの剣が、ローブの前をかすめた。
ローブの裾が揺れて止まる。
もう一度、杖を振り下ろす。
その杖が、上に弾かれる。
「何かって言われてもよぉ!」
ガルドは足元の枝を踏んだ。
葉のついたまま、折る。
「おい!かんむり野郎!」
ガルドが投げつけた。
デカブツが剣で払う。
葉が散った。
音が消えた。
デカブツの顔の前で、葉が一枚、揺れた。
杖は弾かれた勢いのまま、円を描いている。
ニルの左手が、柄を押さえる。
右肘が前に出る。
袖が遅れてついてくる。
手首が返る。
人差し指と中指が伸びる。
デカブツの横腹に触れた。
「ゼロ」
囁く声だった。
デカブツの喉が鳴った。
膝が落ちる。
剣に体を預ける。
口から泡がこぼれた。
そのまま、剣ごと、前のめりに倒れた。
白い息が漏れた。
「何をした」
「触った」
「触っただけで倒れるかよ」
「中、止めた」
「止めた?」
「そう、魔法。届いたから」
ニルがガルドを見上げる。
「とどめ、お願い」
「とどめだ?」
「まだ少し、生きてる」
デカブツの指が草を何度か掴んだ。
「しょーがねぇな!」
ガルドが大剣を振り下ろした。
転がった首の目は閉じなかった。
「こっち見てんじゃねーよ」
ガルドは大剣を振って血を払った。
草に血が飛んだ。
帰り道、ニルの帽子の先が枝に引っかかった。
「お前、帽子邪魔じゃないのか」
ガルドが言った。
ニルが帽子のつばを下に引いた。
「僕は魔法使いだから」
ガルドが先を歩いた。
「ねぇ」
「なんだ」
ガルドが振り向いた。
肩から下げた収納袋が揺れた。
袋の横から出た大きな足も揺れている。
「足が出てる」
「そうだ」
「破れてる」
「見りゃわかる」
ガルドが足を止めた。
「僕の使う?全部入る」
ニルが収納袋を持ち替える。
「いや、いい」
ガルドは袋の口を押さえた。
「俺のから、出したい」
「そう」
ニルの口元が緩んだ。
ギルドの扉を押すと、いくつかの顔がこちらを向いた。
すぐに戻った。
テーブルの上に足を乗せていた冒険者が足を下ろした。
背を向けて椅子を引いた。
「ひっ」
入り口ですれ違った冒険者が、横に跳んだ。
「足だ!」
誰かが椅子から立ち上がった。
エールが床に溢れた。
「お疲れさまです」
リナが首を傾げて口元を上げた。
「土産だ」
ガルドが顎を上げた。
袋の口が開いた。
黒い毛の塊が、受付の板に落ちて、転がった。
奥の職員が立ち上がった。
椅子が倒れた。
「ギルド長!」
足音が増えた。
ギルド長が階段を下りてきた。
リナが一歩下がる。
ギルド長は、板の上の頭を見た。
眉間にしわを寄せた。
それから、毛を掴んで持ち上げた。
血が、板の端から垂れた。
受付の板の奥で、職員が書類の束を崩した。
紙が床に散った。
そのままギルド長の掴んだものを見ていた。
ギルド長は頭を見たまま、黙っていた。
「……キング、だな」
ニルの後ろで、誰かが言った。
「はぐれのか」
「すげーな」
扉が開いた。
外の笑い声が入って、すぐ消えた。
ガルドが笑った。
「そう、キングだ」
「ガルドがやった」
ニルが言った。
「そう、俺がやった」
「僕が中を止めた」
ガルドが声を落とした。
「それは言わなくていい」
リナが目を伏せた。
後ろの方で、木のジョッキが小さく鳴った。
誰かが吹き出した。
奥の机でペンを持った眼鏡の女が、ガルドを見ていた。
すぐに視線を紙に戻した。
「うん?」
ニルがガルドを見た。
「なんでも、ない」
ガルドが言った。
酒場は、さっきより少しうるさかった。
椅子が軋んでいた。
酔っ払いが歌っていた。
誰かが木のジョッキを床に落としたまま、テーブルに伏せていた。
「組む?」
ニルがパンを千切った。
「お前はいいのか」
「うん」
「そうか」
ニルがガルドと目を合わせた。
「やってみるか」
ガルドが手を差し出した。
ニルも手を出した。
指先が近づく。
ガルドの肘が止まった。
「……触って、大丈夫なのか?」
「何かしようと思ってない」
「それが怖いんだよ」
ニルは手を下ろさなかった。
ガルドは少し迷ってから、その手を握った。
「少し、冷たいか」
「うん、魔法使ったから」
「おい、こっちはエール二つだ」
ガルドが手を挙げながら声を張った。
奥の卓で器が倒れた。
「ごめんよぉ、こぼしちまった」
「気にすんじゃねぇよ」
誰かが卓を拭いていた。
しばらくすると店員が両手に木のジョッキを抱えて来た。
「ありがとな」
ガルドが木のジョッキを受け取った。
ニルの前に一つ置いた。
「肉、持ってきてくれ。オークでいい」
ガルドが店員に言った。
「今日は飲む。そして食う」
ガルドが笑った。
「いいことでも?」
店員が首を傾げた。
「まぁな」
ガルドが答えた。
「オークのステーキ、お願いしまーす」
店員が声を張って厨房へ歩いていった。
ニルは木のジョッキを触っていた。
口が小さく動いた。
声は聞こえなかった。
ガルドが木のジョッキを鷲掴みにした。
ニルとジョッキを合わせる。
ジョッキが鳴った。
泡が少しこぼれた。
ガルドは一口飲んで、ジョッキを見た。
「冷たいな」
そう言ってまた一口飲んだ。
「触った」
「何を」
「ジョッキ」
「……冷やせるのか」
「触れば」
ガルドは、もう一度見た。
「便利だな」
ニルは少し下を向いた。
「言われたこと、ない」
「そうか」
ガルドはジョッキを持ち上げた。
「じゃあ、覚えとけ」
店員が大きな皿を運んできた。
「ありがとな」
ガルドが笑った。
ニルが帽子を直した。
ガルドは、冷えたエールをもう一口飲んだ。
奥の円卓で、誰かが歌を間違えた。
笑い声が上がった。
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep2 後ろを歩いた
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep3 裏口
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep4 だめな弱さ
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep5 草の返事
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep6 前は横
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep7 お散歩
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep8 死なない形
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep9 魔法対決ではなかった
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep10-1 妃の腕
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep10-2 待つのも役目
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep11 炊き出しの順番
零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep12 ご要件は何ですか
