零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep3 裏口
「あんた、いたのかい」
ガルドは壁際の椅子に座って外を見ていた。
宿のおばちゃんが薬草茶を運んできた。
ガルドは一口飲んで顔をしかめた。
「苦いな。ニルは?」
おばちゃんはテーブルを拭きながら言った。
「もうとっくに出て行ったよ」
「そうか」
ガルドは外を見たままだった。
「また、二日酔いかい?」
おばちゃんが卓にパンをおいた。
「そんなに飲んでない」
「それにしちゃひどい顔だね」
おばちゃんは鍋の前に立った。
皿にスープをよそった。
湯気が上がった。
ガルドは立ち上がると、パンを掴んで扉を押した。
「行ってくる」
「あんた、スープは」
扉はもう閉まっていた。
おばちゃんは、皿のスープを鍋に戻した。
「なんだい、今日は」
魔道具屋のオババが通りを掃いていた。
「飲みすぎかい」
「あぁ」
ガルドはそのまま歩いた。
道端の石を見ていた。
子どもたちが横を走り抜けた。
昨日の声はなかった。
土埃が少し立った。
猫が先を歩いて、角を曲がった。
ギルドの手前の角を曲がると声が聞こえた。
「ニルさん!」
見習い騎士が走ってきた。
ニルが封筒を受け取った。
赤い蝋封があった。
ガルドはそれを見ていた。
ニルは封筒を袋に入れた。
ガルドがニルの横に並んだ。
「知り合いか?」
「宮廷薬師から」
「……王宮?」
「うん、指名」
ギルドの前には、倒れた桶が転がっていた。
ニルが扉を押すと、向こうでリナが顔を上げた。
手前の長卓でサルカが陶杯を傾けていた。
サルカの向かいに、片目の男が座っていた。
片目の男が身を乗り出した。
「髑髏の連中が隣町に移ったらしい」
「へぇ、どうしたんだい」
「知らねぇが、もうこの町には来ないって。なんでも震えてたらしいぞ」
サルカが窓の外を見た。
「なんだろねぇ」
片目の男が頭の後ろで指を組んだ。
「まぁ、いなくなってよかったやつも多いからな」
「そうだねぇ」
サルカが陶杯を置いた。
片目の男が陶杯の中を覗いた。
「変な色だな」
「これかい? 山羊乳入りの薬草茶だよ。甘くしたのさ」
「甘いのか」
「あぁ、甘いね」
サルカは受付の方を見た。
ガルドは受付横の壁にもたれてニルを見ていた。
サルカは陶杯を持ち上げた。
もう一口飲んだ。
「甘いねぇ」
サルカは脚を組み替えた。
ニルは受付の前で止まった。
「今日は受けられない」
リナが帳面を見た。
「五の日。あれの日ですね」
「そう」
奥でパンをかじる音がした。
ニルがガルドの手前で止まった。
「あれってなんだ」
ニルはガルドを見た。
「言えない」
ガルドが一歩、ニルに寄った。
「なんで」
「契約」
ガルドは黙ったまま受付を見ていた。
リナが誰かを笑顔で送り出した。
並んでいたパーティがリナの前に出た。
「暁のみなさんは、今日は東ですか?」
リナの声が通った。
「ああ」
リーダーが書類に名を書いた。
後ろで誰かが言った。
「お前、奥さんどうした」
「帰ってきた」
「そりゃご愁傷さまだ」
笑い声が上がった。
リーダーは書類を返した。
「いってらっしゃい」
リナが首を傾けて、口元をあげた。
「じゃ、行ってくる」
リーダーが扉を押した。
暁の男たちがあとに続いた。
ガルドが言った。
「俺たちも行くか」
「うん」
ニルが扉を押した。
朝の光にガルドは目を細めた。
一歩、遅れた。
さっきの桶が、まだ倒れていた。
「いってらっしゃい」
背中にリナの声が聞こえた。
扉が閉まった。
いつもの子どもたちは、地面に石で絵を描いていた。
それを見ながら、ガルドが言った。
「契約って、なんだ」
ニルは歩いたまま答えた。
「王宮の薬師局と約束してる。何も言っちゃいけない」
「その封筒、俺が勝手に見るだけなら、言ったことにはならねぇだろ」
「不敬でガルドが牢屋」
ガルドが土を蹴った。
「お前が言わなきゃいい」
「王宮は、見てなくても分かる」
「なんだそれ」
「僕もわからない」
ガルドが空を見上げた。
「嫌な連中だな」
少し歩いて、ガルドが言った。
「牢屋は嫌だな」
「うん」
「俺は、ついて行っていいのか」
ニルは振り向かなかった。
「パーティ」
ガルドは黙ったまま、ニルの後ろを歩いた。
ローブが揺れていた。
町の門に帽子のじいさんが座っていた。
ガルドが手をあげた。
帽子のじいさんは返さなかった。
帽子のつばが目を隠していた。
「寝てるな」
「うん」
風に緑の匂いが混ざった。
土の道が終わっていた。
ニルはしゃがんで薬草を抜いていた。
「それも報酬いいのか?」
「うん」
ニルが触れると薬草が抜けた。
根に土はついてなかった。
「報酬くらいは聞いていいか?」
「宿代」
「そんなもんか」
「このくらい」
ニルが手を開いた。
「五日分か」
「五十日」
ガルドが草の上に座った。
「冒険者って何なんだろうな」
「冒険者」
ニルがまた薬草を抜いた。
「なんだよ、それ」
「うん」
茂みの奥から枝の折れる音が鳴った。
ニルが手を止めた。
ガルドが立ち上がった。
「ガルドお願い」
「お前は」
「薬草」
「そうかよ」
ガルドが柄に指をかけて大剣を抜いた。
茂みの中からコボルトが二匹、背を丸めて近寄ってきた。
ニルがまた薬草を抜いた。
ガルドは柄を握って大剣を肩に担いだ。
コボルトが二匹同時にガルドに飛びかかった。
ガルドの肩が前に出た。
遅れて大剣が横に走った。
コボルトの頭が一つ、ニルの手前に転がった。
ニルが顔を上げた。
ニルはまた薬草を抜いた。
もう一匹が低く回り込んだ。
ガルドは踏み込みを変えず、柄尻で顎を打った。
コボルトは草の上に転がった。
ニルは次の薬草に触れた。
袋の底がふくらんだ。
影が長くなっていた。
町の門には誰もいなかった。
風に草が走った。
「道、こっちじゃねぇだろ」
「うん」
ニルは袋を持ち直した。
「置いてくる」
「どこへ」
ニルが城壁を指さした。
「……王宮、か?」
「そう」
「入れるのか?」
「僕は裏口」
「俺は裏からも入ったことねぇぞ」
「そう」
服屋の前で店員が水をまいていた。
「こっちの方は来たことねぇや」
ガルドが言った。
貴族の馬車が追い越していく。
土埃は立たなかった。
「こっち」
ニルが言った。
ガルドは後ろを歩いた。
「高そうな武器屋だな」
窓には赤い石が埋め込まれた柄が並んでいた。
「騎士団の」
「そうか」
高い壁に四角い窓があった。
ガルドが見上げた。
「あの中から見てるのかもしれねぇな」
「分からない」
「入ったことねぇのか」
「僕は裏口」
「そうだったな」
長い壁の先を曲がった。
小さな橋が架かっていた。
橋を渡った。
「川、ねぇよな」
「うん」
「雨でも降ると、川になるのかもな」
「うん」
橋の先で門番が立ちふさがった。
ニルは袋から封筒を取り出した。
それを手渡した。
ガルドは踵に重さを残して立っていた。
「確認いたします」
門番が言った。
鉄の門がきしみながら開いた。
「ニル様、こちらへ」
門番は言った。
「俺は」
ガルドが言った。
ニルは振り向いた。
「パーティ」
門番に言った。
門番は何も言わずに立っていた。
ガルドはニルの後を追った。
そのまま扉の前まで歩いた。
扉が開いて、女官が出てきた。
「ニル様」
ニルは頭を下げた。
ガルドは首を反らして、上を見た。
扉の向こうには靴音がなかった。
女官の後をついていくと、また扉があった。
女官が叩くと、小さな窓が開いた。
奥の目が、ガルドと合った。
「なんか、気持ちわりぃな」
扉が開いた。
蝶番は軋まなかった。
「ニル様」
中の男が頭を下げた。
ガルドが一歩踏み出した。
女官がガルドの前に出た。
「お連れ様はこちらでお待ちください」
女官の手の先に、椅子があった。
「ニル」
ガルドが言った。
「置いてくる」
扉が閉まった。
扉の横の椅子の前に小さな卓があった。
「こちらをどうぞ」
花柄の器に薄い薬草茶が入っていた。
ガルドは器を掴んで口をつけた。
ずずっと音がした。
「ぬるいな」
ガルドは背中の大剣を外した。
肩を一度回した。
椅子の座面に、斜めに立てかけた。
椅子には座らなかった。
器の白い縁に指の跡が残っていた。
街灯が町を照らしていた。
ニルが門番に頭を下げた。
ガルドは遅れて、首を少し前に出した。
門番も頭を下げ、門を閉めた。
「こっち側は道も明るいんだな」
ガルドは街灯に目を細めた。
「行きますか、ニル、さま」
「気持ち悪い」
「俺もだ」
ガルドは笑わなかった。
ギルドの窓から明かりが漏れていた。
酒場の声が道まで届いていた。
扉を開けた。
受付には誰もいなかった。
「ミレイ、薬草の二人が帰ってきたぞ」
手前の長卓で誰かが言った。
ミレイが眼鏡を外して、受付台に立った。
「おかえりなさい」
「戻りました」
ミレイが帳面を開いた。
「今日は五の日でしたよね。報告書はこちらで記入しておきます」
ニルがガルドに目をやった。
「追加。ガルドがコボルトを二匹」
「コボルトなんてどうでもいい」
ガルドが椅子を引きずった。
そして座った。
ミレイは返事をしなかった。
「ニルさん、報酬はどうします?」
「宿代。あとは預ける。ガルドに半分」
「俺はいらねー」
ガルドは向こうを向いていた。
「パーティ」
ニルが言った。
「ニルさん、処理しておきます」
ミレイがガルドを見た。
ガルドは向こうを向いたままだった。
ミレイは口元をわずかに緩めた。
「終わった」
ニルが言った。
「おう」
ガルドは立ち上がり、そのまま酒場に入って壁に寄りかかった。
「ニールー」
奥から声が聞こえた。
サルカが小走りで来た。
「ガルド、なんだい、その目は」
「俺の目がどうした」
「帰らない目だよ、それは」
「……そうか」
「あんた、ニルを死なすんじゃないよ」
ガルドは顔を背けた。
「……今さらだ」
「ニル、連れてくよ」
サルカがニルの腕をつかんだ。
「さぁ、ニル。向こうだよ」
ニルは帽子を直しながら、サルカに腕を引かれた。
受付で革鎧の男が報告書を差し出した。
「東の道です。倒木が二本。荷馬車は通れません」
ミレイは受け取ると、紙の端を揃えた。
「怪我人は」
「なし」
「魔物は」
「足跡だけ」
ミレイは帳面に印をつけて、報告書を奥へ差し出した。
「これお願いします」
奥の机で椅子が鳴った。
「東ですね」
「はい。通行止めで回します」
「分かりました」
「ほかに報告はありますか?」
革鎧の男が振り向いた。
男たちは首を横に振った。
「わかりました。お疲れさまでした」
革鎧の男たちは酒場側の扉から出ていった。
ミレイは机に戻って眼鏡をかけた。
帳面を開いた。
紙を一枚めくる音がした。
報告書の端を揃え、穴に通して、紐で綴じる。
ミレイが顔を上げた。
ガルドと目が合った。
ガルドは下を向いた。
「何しとるんじゃ? こんなところで」
バルトじいが目の前にいた。
手には木のジョッキがあった。
「なんだ、爺さんかよ」
ガルドが言った。
「飲まんのか」
「気分じゃねぇ」
「そんなときは飲め」
「なんだそれ」
ガルドが少し笑った。
「座らんか」
バルトじいが円卓の椅子を引いた。
ガルドも座った。
バルトじいが木のジョッキを傾けた。
「爺さん」
「なんじゃ」
「強くなるって、どうすりゃいい」
「知らん」
バルトじいが木のジョッキを傾けた。
「お前さん、この顔が知ってそうに見えるのか」
バルトじいが自分を指さして笑った。
「知らないのか」
「知ってたら死んどる」
「なんだよそれ」
「わからんか」
店員が通りかかった。
バルトじいが手を挙げた。
「こいつに、水でもやってくれ。あと、こいつのおごりでパンも頼む」
「爺さん、なんで俺が」
「ちーとばかり、銅貨が足りなくてな」
「なら飲むなよ」
バルトじいが笑った。
「持ってきてくれ」
ガルドが言った。
店員は口元を緩めながら厨房へ行った。
「王宮へ入った」
ガルドが言った。
「ろくな所じゃなかろう」
「行きたくはねぇな」
バルトじいがジョッキを卓に置いた。
ガルドが椅子に座り直した。
「なぁ」
「なんじゃ」
「ここ変じゃねぇか。森が近ぇのに王宮がある」
「森は壁じゃよ」
「魔物は来るぞ」
「人の軍よりましじゃ」
「俺達は?」
「動く壁じゃよ」
奥の方で笑い声が上がった。
バルトじいが奥の円卓を見た。
ニルが女の冒険者に頭を撫でられていた。
「いい男じゃないか」
「触るんじゃないよ」
サルカが笑いながら木のジョッキを傾けていた。
バルトじいがガルドに言った。
「お前さんに教えといてやる」
「なんだ」
ガルドが身を乗り出した。
「膝と腰は、突然痛む」
「知ってるわ」
ガルドが椅子の背に背中をつけた。
「そのうち分かる」
バルトじいが笑った。
「お水とパンでーす」
店員が卓に水の器とパンを置いた。
バルトじいはパンをかじって、木のジョッキを傾けた。
「美味いなぁ」
「そーかよ」
ガルドは器に指をかけて水を見ていた。
肘は上がらなかった。
「お前さんは食わんのか?」
「腰が、な」
椅子の脚が鳴った。
ガルドは立ち上がると、扉へ向かった。
バルトじいは目を一度上げで、奥の笑い声を聞いていた。
高い窓に、月がかかっていた。
裏通りのゴミ捨て場で猫がゴミを漁っていた。
ギルドの窓から明かりが漏れていた。
酒場の卓には椅子が逆さに載せられていた。
灯りが階段を照らしていた。
ミラの帳面は、まだ開いていた。
机に肘をついて、ギルド長がこめかみを指で押していた。
「また寝てないんですね」
「そこで寝てる」
ギルド長が指を向けた。
壁際に、背の低い長椅子があった。
「あれは椅子です」
「あぁ、分かってる」
ミラは帳面に目を落とした。
「魔物、ですか」
「わかるのか」
「売上も増えていますから」
ギルド長が、少しだけ目を開けた。
「……嫌な増え方だな」
ミラは何も言わず、冷めた薬草茶を机の端に置いた。
ギルド長は陶杯を持ち上げて傾けた。
「苦い」
「起きている人用です」
もう一度、陶杯を傾けた。
「お前はもう帰れ」
「ええ、もう少し」
ミラが帳面をめくった。
指の影が帳面の端に落ちていた。
