零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep2 後ろを歩いた
「おばちゃんごちそうさま!」
靴音が鳴る。
誰かが扉を開けて出ていった。
宿の食堂の窓から朝日が差し込んでいた。
ガルドは壁の影のテーブルに座って、頭を抱えていた。
テーブルにはパンとスープ。
薬草茶が置いてある。
湯気が低かった。
「しょうがないねぇ。早く食べちゃっておくれよ」
おばちゃんはガルドに言った。
「あぁ、すまない」
ガルドはそのまま頭を抱えていた。
階段の奥で扉の閉まる音がした。
足音が降りてくる。
ローブが床を擦った。
「ガルド、頭痛い?」
「あぁ」
「ご機嫌だった」
ニルが向かいで椅子を引いた。
「うるせぇ」
「まったく。飲み過ぎなんだよ」
おばちゃんがニルの前に薬草茶を置いた。
湯気が上に伸びた。
ニルが収納袋を床に置いた。
身を乗り出してガルドの頭に触れた。
ニルの唇が少し動いた。
薬草茶の湯気が、まっすぐ止まった。
ガルドが顔を上げた。
頭を振った。
「お前がやったのか?」
「魔法」
ガルドが頭を触る。
「冷えてねぇな?」
「冷えたらわかる」
「そうだな」
「あんた、昨日はひどかったんだよ?」
「そんなにか?」
ガルドが顔を上げた。
「こんな小さな子に運ばせて」
おばちゃんがニルの前にパンとスープを置いた。
「悪かったな」
「大丈夫。魔法で重さを止めたから」
ガルドは右足を持ち上げた。
床板が、戻した足の下で鳴った。
「……そうか」
「ガルド、歌ってた」
ニルが言った。
ガルドはまた頭を抱えた。
「まだ痛い?」
「そうじゃねぇ」
「二人とも、早く食べておくれ」
おばちゃんが窓を拭いた。
ガルドはパンを口に入れると皿を掴んでスープを飲み干した。
ニルはパンを収納袋に入れた。
立ち上がりながら薬草茶を一口飲んだ。
「熱っ」
ガルドが扉を開けた。
「行ってくる」
ニルがおばちゃんに頭を下げた。
通りでは、子どもたちが走っていた。
背負われた赤子が泣いている。
店先の桶から、水が道に流れていた。
「元気だなぁ」
ガルドが言った。
ニルが遅れて横に並んだ。
「なに?」
「なんでもない」
ガルドが笑った。
魔道具屋の前に差しかかった。
店先に座っていたオババが、ガルドの腰を見た。
「穴あいてんだろ。袋、安くするよ」
ガルドは肩紐を引いて、背中の袋を持ち上げた。
「まだ入る」
すれ違った子どもが、戻ってきてガルドの前に立った。
「おお、どうした」
ガルドが足を止めた。
子どもがガルドを指差した。
「足のおじちゃんだ」
そう言うと、走って向こう側の母親のところへ戻った。
「足のおじちゃん」
ニルが言った。
「うるせぇ」
ガルドは少し顎を上げた。
ギルドの扉が開いて誰かが出てきた。
「よっ」
誰かが言った。
「おぅ」
ガルドが返した。
ニルは収納袋の口を締め直していた。
入り口にいた男が、足を引いて横を向いた。
「わるいな」
ガルドが言った。
ニルは後をついて行った。
「足の英雄が来たぞ」
誰かが言った。
「歌はひどいけどねぇ」
奥で誰かが笑った。
「俺、歌ったんだな」
「うん」
ニルが頷いた。
受付の手前の長い卓で、女が足を組み替えた。
陶杯の薬草茶を片手で傾けている。
「昨日は飲んだねぇ」
「えっと」
「サルカだよ。忘れたのかい?」
「昨日、居たのか?」
ガルドがニルに言った。
「うん」
ニルが頷いた。
「昨日かぁ」
ガルドの声が少し大きかった。
それから黙った。
「この匂い……おまえ、俺の肉食った女」
「思い出したのかい?」
サルカが声を出して笑った。
壁を叩く音が上から落ちてきた。
「おい、ギルド長がお呼びだ」
誰かが言った。
受付の横の階段を三つ上がる。
広めの床に机。
その前にギルド長が立っていた。
ガルドが見上げると、ギルド長は手のひらを出し、指を二度曲げた。
「僕は依頼見てくる」
ニルが掲示板へ歩いた。
ガルドが階段を上がった。
「ミラ」
ギルド長が手首を返した。
横にいた女がギルド長に帳面を渡した。
「苦情が来てる」
「苦情、ですか」
ガルドは収納袋を前に抱え直した。
「それだな」
ギルド長が収納袋に目をやった。
「夜に子どもが泣いたそうだ」
「俺、夜は飲んでましたけど」
「まあいい。聞け」
ギルド長が帳面をミラに渡した。
「寝てて『足が』と泣いた子どもがいたらしい」
「そりゃ怖い夢だな」
誰かが言った。
手前の長卓が笑った。
ギルド長が後ろを向いて、二度咳をした。
口元がずれていた。
「何件来てる」
ミラが帳面を見た。
「六件ですね」
ガルドが収納袋の穴に手を置いた。
「そこから出てたのか」
ギルド長が言った。
受付の奥で帳面を書いていた眼鏡の女がペンを止めた。
肩が震えていた。
ガルドは頭をかいた。
「そんなにか」
「そんなにです」
ミラが視線を下げた。
ギルド長が腕を組む。
「次から気をつけてくれ」
「あぁ」
ガルドが収納袋の穴をもう一度見た。
「よかったじゃないか、覚えられて」
サルカが陶杯を揺らしながら言った。
ガルドは両手を開いて少し上げた。
それから、収納袋を抱えて階段を下りた。
爺さんが立っていた。
「ここは村じゃないからな」
爺さんが笑った。
掲示板の前で、ニルが紙を見ていた。
ガルドは掲示板の手前で足を止めた。
「ニルさん」
受付嬢が横から紙を差し出した。
「こちらが先です」
「指名?」
「はい」
ニルは掲示板の紙から手を離した。
「じゃあ、これお願いしますね」
受付嬢が紙を渡した。
「どうした」
ガルドが言った。
「指名」
「草か」
「そう」
「討伐は?」
「指名が先」
「だよな」
「うん」
ニルが紙をたたんだ。
「行く」
「もうかよ」
ニルが扉を開けた。
ガルドは掲示板の前で足を止めた。
討伐依頼の紙が、端で揺れていた。
それから、遅れてついていった。
門の脇に、門番でもないじいさんが座っていた。
帽子を被っていた。
ガルドが手をあげた。
じいさんも手をあげた。
「知ってる人?」
「知らん」
辺りが草の匂いになった。
ガルドが横に並ぶ。
「指名依頼って多いのか?」
「多い」
「どのくらいだ」
「だいたい、毎日」
ガルドが足を止めた。
ニルも止まった。
「なんで草、なんだ」
「指名は報酬もいい」
ニルがガルドを見た。
「よし、行くか」
ガルドが前に出た。
「待って」
ガルドが止まる。
「それ、薬草」
ガルドのつま先に、薬草が寝ていた。
「大丈夫。まだ使える」
ニルが薬草に触れた。
「ゼロ」
葉の先が動かなくなった。
薬草だけが、土を残して抜けた。
「持ってみる?」
ニルが聞いた。
ガルドが摘んだ。
「土もねぇ。つめてぇな」
「うん、止めた」
「とめた?」
「止めると冷える」
「そうなのか」
ガルドが薬草を下から覗いた。
日が濃い影を落としていた。
「そろそろ帰る?」
「もういいのか?」
「依頼分は採った」
ニルは収納袋の口を縛った。
小さな木の橋を渡ったとき、鳥が鳴いて茂みが揺れた。
ガルドが立ち止まって、剣の柄に指をかけた。
茂みをかき分けてゴブリンの群れが出てきた。
「六匹だ」
ガルドが大剣を抜いた。
「魔法か」
「いらない」
ニルは杖を構えた。
「は?」
「大丈夫」
「好きにしろ」
ガルドも大剣を構えた。
「左」
「右」
声が重なった。
棍棒が振り下ろされた。
ニルは斜め前へ踏み切った。
棍棒の横を抜ける。
細い体が先に回る。
ローブが遅れて開いた。
杖はまだ後ろにあった。
足先が地面を擦る。
追いついた杖が外を走った。
先端が、一体目のこめかみに入る。
ニルは着地した。
止まらない。
着地の力を残したまま、もう一度踏み切る。
体が回る。
ローブが巻きつくように揺れた。
短い杖が円を回る。
二体目の顎が跳ねた。
ニルは足を下ろした。
回転が止まる。
ローブが遅れて体に戻った。
杖を引く。
肘をたたむ。
一歩、前へ出る。
杖がまっすぐ伸びた。
ゴブリンの喉に入った。
ガルドは踏み込んだ。
大剣が、ゴブリンの腹に入る。
刺さったまま、横へ振った。
二体まとめて飛んだ。
大剣が木に噛んだ。
ガルドの手が止まった。
残った一体が、ガルドの背中へ回った。
「ニル!」
「支えて!」
ニルが走った。
大剣の腹に足をかける。
ガルドが柄を押さえた。
ニルは踏み切った。
ガルドの頭を越える。
杖が落ちた。
ゴブリンの頭が沈んだ。
そのまま膝から崩れた。
ガルドの剣が食い込んだ木にニルが触った。
「ゼロ」
木が、剣の入ったところから割れた。
「抜けた」
「抜いたんじゃねぇ」
「そう」
ガルドは鞘に剣を戻した。
「お前、なんで杖で殴った」
ニルは杖の土を拭いていた。
「杖は硬い」
「……そうか」
「届いた」
「……そうか」
町の門に帽子のじいさんは座っていなかった。
鳥が高く飛んでいた。
ガルドは黙って歩いた。
ニルは、横を見た。
ガルドは前を見ていた。
ニルも前を見た。
貴族の紋章の入った馬車が連なって、土煙を巻き上げながら走っていった。
道端で知らない婆さんがうずくまって咳き込んでいた。
ガルドが駆け寄った。
「大丈夫か、婆さん」
背中をさすった。
あたりは白く煙っていた。
「それ」
ニルが指を差した。
「なんだ」
「剣」
ガルドは背中の大剣を、鞘ごと外した。
ニルが鞘に触れる。
「何をする」
「重さを止める」
ガルドの手から、重さが抜けた。
「……おい」
「昨日と同じ」
ガルドは黙った。
それから、大剣を横に何度も振った。
土埃が薄く揺れた。
道の先が少し見えた。
婆さんが、浅く息を吸った。
ニルが婆さんに触れた。
「ゼロ」
「何をした」
「息。これ以上、減らさない」
ガルドは剣を肩に戻した。
「水ある?」
ガルドは革水筒を出した。
「少ししかねぇ」
ニルが水筒に触れた。
「ゼロ」
「今度はなんだ」
「少しだけ、減らさない」
ガルドは水筒を見た。
「たくさんは無理」
「少しでもすげぇよ」
「飲ませてあげて」
ガルドは婆さんの前にしゃがんだ。
「ゆっくり飲め」
向かいの肉屋の店主が駆け寄ってきた。
「うちで休んでいいから」
「わるいな」
ガルドは婆さんを抱きかかえた。
「重さ、止める?」
ニルが言った。
「婆さんだ」
ガルドはそのまま歩いた。
婆さんの重さが、腕に沈んだ。
「あとはうちで預かりますよ」
「婆さん、しっかり休め」
婆さんは水筒を握ったまま、うなずいた。
ガルドは店を出た。
「大丈夫だった?」
ニルが言った。
「あぁ」
ガルドは歩き出した。
「水筒は?」
「あ?」
「……まあいいか」
ニルはまだ、店の方を見ていた。
「行くぞ」
「うん」
ニルはガルドの背中を見た。
それから、前を見た。
長く伸びた影が、石畳の上で薄くなっていた。
ギルドの扉の外まで笑い声が漏れていた。
中から誰かが出てきた。
「おつかれ」
誰かが言った。
ガルドは手をあげた。
ニルは頭を下げた。
いつもの爺さんが壁際の円卓で一人で木のジョッキを傾けていた。
「ニル。受付、一人でいいか」
ガルドが言った。
「置いてくる」
ニルが言った。
「リナ、ニルが戻ったぞ」
誰かが言った。
リナは受付に立つと髪を指で二度撫でた。
「はい、お疲れ様です。ニルさん」
「戻りました」
ニルは収納袋の口を開けて、カウンターに薬草を並べ始めた。
「これで全部」
ニルが言った。
横で報告書を書いている冒険者が並んだ薬草を見て言った。
「お前、ホントすげーな」
「ニルさん、ホントすごいですよね」
リナが薬草の根を紐で束ねた。
後ろで誰かが言った。
「死なねぇってのも、いいのかもな」
誰かが木のジョッキを鳴らした。
「ニルさん、報酬はどうします?」
リナが束ねた薬草を袋に入れながら聞いた。
「宿代。あとは預ける」
「はい、わかりました」
リナが袋を後ろの台において帳面を開いた。
ペンをゆっくりと動かした。
「どのくらい預けてんだよ」
後ろの誰かが言った。
「秘密です」
リナが首を傾げて口元を上げた。
「そう、秘密」
ニルが言った。
ガルドはエールを頼みながらそれを見ていた。
壁際の円卓で、爺さんが木のジョッキを持ち上げた。
ガルドはその向かいに座った。
「勇者っているのか?」
爺さんはジョッキの縁から目を上げた。
「おとぎ話が好きなのか」
「そういうんじゃねぇよ」
「そういう顔をしとる」
ガルドは受付の方を見た。
ニルが帳面の前に立っていた。
リナが何かを言って、ニルがうなずいた。
「王宮の冒険者は強いのか」
「強い奴もおる」
「じゃあ、なんでこっちに依頼が来る」
「強いだけじゃ、帰ってこんからな」
ガルドは黙った。
爺さんはジョッキを置いた。
「聖女ってのもいるのか」
「いるぞ」
ガルドが顔を上げた。
「あやつは、寄付金集めに大忙しじゃ」
「……なんだそれ」
「人を治すにも金がいる」
爺さんは笑わなかった。
「お前さん、今日はずいぶん遠くを見るな」
ガルドは答えなかった。
受付の方で、木のジョッキがまた一つ鳴った。
爺さんが片手を上げた。
「おう、サルカ」
黒い帽子のつばが、人の肩の間から見えた。
「バルトじい、今日はガルドの番かい?」
サルカが言った。
ガルドは振り向いた。
「なんだよ」
「いや。ずいぶん難しい顔してるからね」
バルトじいはジョッキを傾けた。
「若いのが眩しいんじゃろ」
「爺さん」
「バルトじゃ」
サルカは、ガルドを見た。
「あんたは、ついていかなかったのかい?」
「ついていった」
「そうかい」
ガルドはジョッキを見た。
「後ろを歩いた」
サルカは受付の方を見た。
リナが笑っていた。
「婆さんも助けた」
「いいじゃないか、それで」
ガルドはジョッキを見た。
泡が縁の下で消えていた。
「ニルは?」
サルカが言った。
「奥で飯食ってんじゃねぇか」
「そうかい」
サルカは帽子のつばを指で上げた。
「バルトじい。向こう行くね」
「ああ、好きなところに行け」
バルトじいは笑った。
ガルドは下を向いたままだった。
「ニールー」
奥でサルカの声がした。
「うわ、サルカ」
小さく笑う声が混じった。
誰かが笑った。
「こっち、エールと、ニルに肉を持ってきておくれよ」
「豆ばっかりじゃないか」
サルカがニルの頭に手を置いた。
「肉も食べるんだよ」
「かーちゃんかよ」
誰かが言った。
誰かがエールを吹いた。
サルカはニルの頭に置いた手を離さなかった。
「かーちゃんは、もっと優しいよ」
バルトじいがガルドに言った。
「飲まないのか」
「あぁ、飲む」
ガルドはジョッキを持った。
「気が抜けたら、不味くなるからのう」
バルトじいは笑って、奥のテーブルへ目を戻した。
