零距離 届かない魔法使い ギルド編 ep9 魔法対決ではなかった
暁の宿の長い卓で軽口の男がパンをちぎっていた。
「なぁニル。ガルドんとこ戻らなくていいのか」
「ここのご飯は美味しい」
「なんだよお前、飯で決めてんのか」
「うん」
リーダーがニルを見た。
「サルカのところには行かないのか?」
「サルカは忙しい」
「そうなのか」
リーダーが匙でスープをすくった。
「サルカは宿どこなんだ?」
軽口の男が言った。
「分からない。たまにミルゼって人のところにいるって言ってた」
ニルが答えた。
「おい、リーダー、ミルゼって」
リーダーが匙を置いた。
「この話はここまでの方が良さそうだ」
「だな」
軽口の男がスープの皿を引き寄せた。
パンの皿が空いた。
リーダーが立った。
町の長い影に、男たちの影が重なっていた。
ニルは列の最後を歩いた。
荷車を押す商人が横を通った。
リーダーが手を上げると商人も手を上げた。
「今度、服を持ってきてくれないか」
「構いませんよ。宿の方で?」
「頼む。少し小さいやつな」
リーダーは列の最後を見た。
暁の男たちはまた歩き出した。
リーダーの視線の先でギルドの扉が開いた。
何人かの冒険者が出ていく。
誰かの剣の柄が朝日に光っていた。
リーダーは少し目を細めた。
扉を押してギルドへ入った。
男たちが続いた。
ニルが最後に入った。
リーダーは受付へ向かった。
掲示板の前にガルドがいた。
「ガルド」
ニルがガルドに寄った。
二人で掲示板の前に並ぶ。
「今日も指名依頼の草だな」
「うん」
「受付は済ませてある。行くか」
「うん」
ガルドとニルは、扉を押して出ていった。
蝶番が小さく軋んだ。
西の門の脇に、帽子のじいさんがいた。
ガルドが片手を上げた。
じいさんは目尻を下げた。
ニルは頭を下げて帽子をなおした。
森に入ると枝が落ちていた。
ニルが枝を拾った。
折れ口が白かった。
「古くない」
ガルドも枝を拾った。
「デカいのじゃねぇな」
枝を捨てて、二人は奥へ進んだ。
「待って。何か落ちてる」
ニルが足を止めた。
「なんだ?羽か。見たことねぇな」
ガルドが羽をつまんだ。
木の陰から矢が飛んだ。
小さく風を切る音がした。
ニルが足を引き、半身になる。
ガルドは背中の大剣に手をかけ、肩をずらした。
鉄が小さく鳴った。
矢は鞘に当たり、地面に落ちた。
「危ねぇな」
ニルが矢を拾いかけた。
風が吹いた。
草が横へ倒れた。
ガルドとニルは顔を背けた。
風が止むと、木の前にエルフの女が立っていた。
女は、ガルドの指先の羽を見た。
「貴様らだな。妖精狩りは」
女は杖を肩に担いでいた。
背には短い弓があった。
ガルドが一歩前に出た。
「危ねぇだろ。俺たちは冒険者だ。今日は薬草探しだ」
「ふん。どうとでも言える」
女の目が、ニルの収納袋に落ちた。
「袋に妖精を詰め込んだ者もいた」
杖が肩から降りた。
風の刃が走り、ガルドの前の枝を落とした。
「そんなもん振り回すんじゃねぇ」
ガルドが大剣を抜いた。
ニルがガルドの前に出た。
エルフの女がニルを見て口元を歪めた。
「お前も魔法使いか。よかろう。森に仇なす者の力、試してやる」
「いちいち面倒な言い方だな」
ガルドがニルを見た。
「うん」
ニルが頷いた。
ニルは杖を両手で握った。
頭上に構えた。
ガルドの手が、大剣の柄に触れたまま止まった。
エルフの女の口元が上がった。
「来るか。ならば、森の名において受けて立とう」
女も杖を高く上げた。
「風の精霊よ。森の――」
ニルが走った。
「あっ」
ガルドが言った。
エルフの目が動いた。
ニルは、もう女の懐にいた。
腰が沈む。
杖が横から走った。
ガルドの指が、大剣の柄から離れた。
杖は、エルフの横腹に入った。
女は膝を折った。
片手を地面につく。
口を開けて、閉じた。
腹を押さえた。
ガルドが近づき、大剣の先を向けた。
「痛そうだな」
「うん」
ニルが頷いた。
「ニル。なんで構えた」
「両手は強い」
「あぁ。強いな」
ガルドは女を見た。
女の指が、草を掴んでいた。
「ニル、あれどこで覚えた」
「ガルド」
「そうか」
ガルドは大剣を少し下げた。
エルフは片手を地面についたまま言った。
「汚いぞ。魔法対決ではなかったのか」
ニルがエルフを見た。
「言ってない」
「そうだな。言ってないな」
ガルドが笑った。
ガルドは大剣を鞘に戻した。
エルフの腕を取って、自分の首にかける。
「立てるか」
エルフが膝を伸ばしかけた。
また折れた。
「しょーがねぇな」
ガルドがエルフを引きずり上げた。
「歩けるか」
「……すまない」
エルフは下を向いた。
「ニル。ギルドへ連れて行くぞ」
「うん」
ニルがエルフの杖を拾い上げた。
ガルドがニルを見た。
「お前、それ、似合わねぇな」
「僕は魔法使い」
ニルは帽子を深くかぶった。
しばらく歩いて、ガルドが足を止めた。
エルフが顔を上げる。
「どうした」
ガルドは前を向いたまま言った。
「俺も、魔法だと思った」
エルフは口を開けた。
すぐに閉じた。
そのまま、足元を見た。
小さな岩を過ぎたとき、茂みが揺れた。
ボアとガルドの目が合った。
「また面倒な時に」
ガルドがエルフの腕を持ち直した。
ニルがガルドを見た。
「問題ない」
ガルドが口を開けて止まった。
それから言った。
「今のは誰だ」
「リーダー」
ニルが答えた。
ガルドが笑った。
ボアが前脚で土をかいた。
真っ直ぐガルドへ走った。
ニルが間に入った。
ボアの鼻先が、ニルの前に来た。
ニルは半身を引いて、指を伸ばした。
ボアの胴に触れる。
「ゼロ」
森の音が落ちた。
ボアは前脚を折った。
そのまま倒れ、草の上を少し滑った。
エルフがガルドを見た。
「今のはなんだ」
ガルドが笑った。
「魔法対決じゃなくてよかったな」
ニルは収納袋にボアを入れていた。
ギルドの受付台の奥で、ミレイが肩を回した。
リナが指を組んで頭の上で腕を伸ばしていた。
ギルドの扉が開いた。
ガルドがエルフの女を支えて入ってきた。
そのまま酒場の長卓へ座らせた。
ニルは受付台の前に立った。
「おかえりなさい。早いですね」
リナが口元を上げた。
「報告書をお願い」
「はい、ニルさん」
リナが帳面を開いた。
「討伐はなんでしょう」
「ボアとエルフ。中を止めて、殴った」
「えーと、エルフですか?」
「うん」
ミレイが酒場に視線を向けた。
「エルフの女性ですね」
リナが身を乗り出して長卓を見た。
「ニルさん、薬草は」
「ない。途中でエルフ」
「わかりました。報告書記入しておきます」
ニルは頭を下げて長卓に歩いた。
エルフの女は下を向いていた。
「すまなかった」
「なんで話を聞かなかった」
「隣町で、妖精が売られていてな、冒険者が狩っていると聞いたんだ」
「そうなのか」
ガルドが手を上げて店員を呼んだ。
「薬草茶、三つだ」
扉の軋んだ音がした。
サルカが受付台に歩いた。
リナが長卓を見ながら帳面を開いていた。
サルカが長卓へ来た。
「誰だい、そいつは」
サルカの声が低かった。
「俺たちとやり合ったエルフだ」
「うん」
サルカが踏み出した。
エルフの前に立つ。
エルフは、そのまま立ち上がった。
「ニルに何かしたのかい」
エルフが視線を外した。
「ニルに何かしたのかいって聞いてるんだよ」
カタカタと床が震えだした。
「地震か?」
奥の円卓から声がした。
厨房で桶が倒れた。
こぼれた水が、ゆっくりと水滴になって浮いた。
床の釘が少しずつ持ち上がった。
長卓で片目の男がエールを一口飲んだ。
それから両手で木のジョッキを抱えた。
「私は、何も、できなかった」
エルフがサルカに答えた。
指笛が短く鳴った。
「サルカ、町ごと持ってく気か」
ギルド長が上から言った。
床の震えが止まった。
片目の男が周りを見回した。
それから木のジョッキを卓に置いた。
エールが一滴、浮いていた。
「ほらな、おっかねぇ」
窓の外、向かいのよろずやでは、店主が倒れた皿を並べ直していた。
事務方の奥の方、備品倉庫の扉が開いて、バルトじいが歩いてきた。
受付台に寄りかかった。
「倉庫は家じゃありません」
「丸めてあった縄は洗って干しておいた」
リナは顔を上げた。
「それは、ありがとうございます」
「いいんじゃよ。暇なやつがやればいい。さっきのは地震かのう。わしが揺れてるのかなぁと思っての」
リナが帳面を閉じながら言った。
「嫌な揺れでしたよね」
バルトじいは酒場に目をやった。
「ところで、あのエルフはなんじゃ」
「ニルさんが討伐したらしいです」
「いろんなことがある日じゃのう」
バルトじいがこめかみを掻いた。
ミレイの手が止まっていた。
肩が震えていた。
通りの店の灯りが道を照らしていた。
ギルドの扉が開いて暁が入ってきた。
リーダーが受付台の前に立った。
酒場の端から端までを見た。
「この頃人が少なくないか?」
リナが机の紙を見た。
指が文字を追っていた。
「蒼月さんたちは長期で海の町へ出てます。あとは堕天使が謹慎処分ですね。髑髏さんたちは隣町へ所属を変えてて、歪さんたちは昼間に帰ってくることが多いみたいです」
「わかった。報告書頼む」
「はい」
「討伐、オーク二体、ゴブリン一体。薬草はこれだけだ」
後ろの男が木箱に薬草を入れていた。
リーダーは振り返った。
「解散」
男たちはバラバラに出ていった。
リーダーが酒場に入った。
ニルを見て、サルカに言った。
「ニルを連れて帰っていいか」
「あたしは遅くなりそうだ」
「ニル、帰って食事だ」
リーダーはニルを連れてギルドを出ていった。
軽口の男が奥の円卓に座った。
片目の男に言った。
「リーダー、弟ができたみてぇに面倒見てんだよ」
「顔が変わったよなぁ」
「だろ」
軽口の男が手を上げた。
「エールとパンと肉だ」
店員が厨房へ入った。
「門の石が崩れててよ、鳥も騒いで飛んでくし、変な一日だった」
片目の男が木のジョッキを傾けた。
「サルカだろ」
軽口の男が長卓を見た。
「あのエルフは?」
「あれが怒らせた」
「あーそりゃやべえわ」
「だろ」
「なんか見たか?」
「見てねぇ。見ても言わねぇ」
「なんだよそれ」
軽口の男が笑った。
店員が皿を運んできた。
皿が鳴って、木のジョッキが置かれた。
軽口の男は木のジョッキに指をかけると、片目の男の木のジョッキにあてた。
低い木の音が鳴ってエールが揺れた。
長卓の椅子が続けて引かれた。
ガルドがエルフに肩を貸していた。
サルカが階段を上がって、その後をエルフとガルドが上がった。
「妖精狩りはいつ頃からだ」
ギルド長が机を指で叩いていた。
「少し前から、らしい。私もまだ、詳しくはわかっていない」
「隣町か」
「そう聞いている」
「ミラ、なにか分かるか」
ミラが帳面を開いた。
指を置いてギルド長に傾けた。
ギルド長が腕を組んだ。
「ミラ、羽振りのいい冒険者は」
ミラが帳面をめくる。
指が文字を追った。
「隣町へ移籍した髑髏ですね」
「この件は預かっていいか」
エルフの女はサルカを見た。
「いろいろとあるんだよ、面倒なことが」
サルカがギルド長を見た。
「王宮かい?騎士団かい?あたしがやろうか」
サルカが口元を上げた。
ギルド長が眉間にしわを寄せた。
「これもあいつらの仕事だ」
「そうかい」
サルカがエルフを見た。
「預けな」
エルフが頷いた。
「頼むしか、ないな。すまない」
ギルド長が前髪をかきあげた。
土の道は乾いていた。
月が道を照らしていた。
「もう大丈夫か」
ガルドがエルフの女の横顔を見た。
「あぁ、いろいろすまない。こんな醜態を晒して」
「醜態なのか。俺には、守りたいもんがあるやつに見えた」
「……それは」
「まぁいい。宿のおばちゃんも喜ぶ」
「そうか」
宿の灯りが窓から漏れていた。
「戻ったぞ」
おばちゃんが卓を拭いていた。
手が止まって顔を上げた。
「誰だい」
「知り合いだ」
「女かい」
「見たら分かるだろ。女だ」
おばちゃんは卓を拭き始めた。
「この前の子はどうするんだい」
「この前の子」
「あんたにパンを持ってきた女だよ」
「どうするって」
「ほったらかして他の女かい」
ガルドがエルフと顔を見合わせた。
「おばちゃん、そうじゃねぇ」
「何がだい」
「これはエルフの女だ」
「じゃあこの前の子は」
「あれは人間の女だ」
おばちゃんが手を止めた。
エルフの顔を見た。
「バカとは離れた方がいいよ」
ガルドが大剣を下ろして、椅子を引いて座った。
「バカはひでぇだろ」
「自分の顔を見てごらん」
「泊まりでいいのかい」
「あぁしばらく頼む」
おばちゃんは奥へ行くと引き出しを開けた。
鉄の音が鳴る。
「じゃあこれが鍵だ」
小さな卓の上に鍵を置いた。
卓が小さく鳴った。
「ガルド」
「なんだ」
「ちゃんとしな」
おばちゃんが奥へ入った。
皿の音が重なった。
