創作大賞応募 142作品、42万字。それでも僕はまだ書き足りない
「カチッ」
マウスの左クリックを押し込み、ふうっ、と息を吐き出して、背もたれに深く寄りかかった。椅子がぎいと鳴る。全身に張り詰めていた力が、どこかへ抜けていくのがわかる。
今朝、僕のnote創作大賞への応募が終わった。最後に公開ボタンを押したのは「ジゴロの表彰状」。なんだか出し切った感がすごくて、画面を見つめたまましばらく動けなかった。
耳に突っ込んでいたイヤホンを外す。
今までYouTubeMusicの音楽で満たされていた空間に、急に現実の音がなだれ込んできた。
裏のマンションの廊下を誰かが足早に過ぎていく音。清掃員のおじさんが竹ぼうきでアスファルトを掃く、シャッ、シャッという音。遠くの幹線道路を走るトラックのくぐもった走行音。
ああ、朝だ。
世界は普通に回っている。
画面いっぱいに広げていたテキストエディタや、ブラウザの資料タブを、ひとつ、またひとつと閉じていく。「保存しますか?」のダイアログがいちいち出てくるのを、無心で消していく作業が、なんだか祭りの後の片付けのようで少しだけ寂しかった。
「……寒っ!」
急に体が震えた。
思わず肩をすくめて、両腕をさすった。
エアコンの壊れた仕事部屋で、執筆中はひたすら暑くてたまらなかった。だからサーキュレーターの風をまともに浴びていたというのに、書き終えた瞬間に熱狂が去り、急に冷えが押し寄せてくる。ぶるっと身震いして、リモコンのスイッチを切った。
note創作大賞の締め切りを迎えて振り返ってみれば、今回応募したのはなんと142作品。1作品あたり平均して3000文字以上だから、トータルで42万文字を優に超えている。42万文字ってなんだ。分厚い長編小説レベルじゃないか。我ながら、どうかしていると思う。
今年が初めての参加だった。年々レベルが上がって厳しくなっていると聞いていたから、「まぁ、参加することに意義があるしね」なんていう大人の賢い逃げ道を自ら塞いで、本気で、泥臭く出し切ってみたかったのだ。それは、今の自分から新しいステージへ行くための、自分への挑戦状みたいなものだった。
執筆中、こんなこと書いたら、誰かに何か言われるんじゃないか。そんな防衛本能が何度も顔を出したけれど、そのたびに力技でねじ伏せた。自分を飾っていたら、僕が書く意味がない。今回は徹底的に、自分の素直な内省を描き、時には情けない恥部をさらけ出してでも表現しようと決めていた。
これまでに書いたものを振り返ってみると、僕のエッセイは本当に、僕の人生そのもののショーケースだ。自分で書いて、自分で読み返して、「これ、おもしろいなぁ」なんて一人で楽しんでいるのだから、究極のコストパフォーマンスである。
僕のエッセイの原点になったのは、中学時代の部活を振り返った『幻の地元探検部と、終わらない放課後』だ。周りの強い意見に押されて、自分の好きなものを手放してしまったあの時の後悔。誰かの物差しで自分を測られる理不尽さ。あの頃の僕を、文章の力でなんとか救済してやりたかったのだ。
そして、僕の人生そのものである『塔に、鶯の鳴くころ』。
重い家族の歴史を経てお墓を建てるまでの話。これは僕の人生そのもので、いつか必ず書かなければと温めていたテーマだった。実は全十話を予定している壮大な構想のうちの、まだ第一話に過ぎないのだけれど、これを世に出せたことで、僕の中の澱のようなものが一つ浄化された気がした。
最後に公開した『ジゴロの表彰状』は、なかなかのお気に入り。妻のトラ子さんの実家に結婚の挨拶に行ったら、まさかの「ジゴロ」と呼ばれたあの日の強烈なエピソードだ。ドラクエの冒険になぞらえて、ちょっと泣けるホームドラマに仕立て上げた。キーボードを叩きながら、僕自身が一番ウルウルしていたのは内緒である。
そういえば、『ゴトン、と鳴った音が消えない』では、青森へ向かう新幹線の中で体調を崩し、楽しみにしていたおにぎりを泣く泣くゴミ箱に捨てた日のことを書いた。あの時の、ゴミ箱の底で響いた「ゴトン」という暗い音が、僕の中にはずっとこびりついていたのだなあと、書きながら気付かされた。
過去の痛みをなぞる一方で、新しい発見もあった。
『すごいこと思いついたんだけど』を書いた時、僕は初めて、物語の最初と最後を繋げる「円環構造」という技法の面白さに目覚めた。とにかく円環の技法を存分に楽しんで書いた。妻のトラ子さんが、忘れたアイデアを思い出すだけの他愛ない話なのに、伏線を張って、最後に回収して、ぐるりと円を描く。この作品以降、僕の執筆のスタイルみたいなものが、カチッと音を立ててはまったような気がする。その作品くらいからはもう、書くのが楽しくて仕方がなかった。
一方で、世間の反応というのは本当に読めないもので。
『始まりはプレピー。万年筆沼に落ちた男の記録』は、数百円のプレピーに衝撃を受けて万年筆沼にズブズブと沈んでいく僕の滑稽な姿を書いただけなのに、なぜか他の渾身の自信作をぶっちぎって、ずば抜けてアクセスを叩き出している。二位の作品の二倍以上だ。世の中、そんなに万年筆好きが潜んでいるのだろうか。謎である。
クスッと笑えるといえば、『スリッパを、脱いだだけなのに。』も外せない。口腔外科に入院したときの、暇つぶし大冒険である。スリッパで病院を徘徊し、深夜に唐揚げの自販機前で名指しの放送で呼び出された、あの公開処刑の恥ずかしさたるや。口腔外科の病棟をスリッパで冒険するくだらなさを全開で書いたつもりだ。スリッパで始まりスリッパで終わる。あの時の、病院の廊下をペタペタと歩く自分の間抜けな姿を思い出すと、今でもなんだか笑えてくる。
創作大賞という大きなお祭りに向けて、こうやって42万文字も書き散らかしてくると、なんだか少し自分の書き癖みたいなものが見えてきた気がする。
今の気持ちをおもしろおかしく書きたいなと思うのだけど、パッと書き出すということができず、必ずと言っていいほど、比喩や伏線、余韻を絡めながら、物語風に構成を組んでしまうのだ。設計図をまず書かないと、どうにも落ち着いて書き始められない。
僕のエッセイの根底にあるのは、おそらく「失われたものの影を、振り返る」ということなのだと思う。とにかく、モヤモヤしているものの輪郭を描かないと気が済まないのだ。
振り返れば、僕の書くエッセイは40年前のエピソードが多いのだ。あの時、子供の頃や若い頃に手に入れられなかったものを、今になってようやく手に入れようと、必死に楽しんでいるのかもしれない。
たとえば、弾きたくても弾けなかったピアノの鍵盤。40年越しに憧れのピアノを手に入れ、初めての一音を鳴らした瞬間の喜びを、音楽のテンポに乗せて展開した『封印された鍵盤|僕の指先が鳴らす40年遅れの招待状』。
50歳からだって新しいことができるんだと、誰より自分自身を鼓舞した『四千万歩の先で、僕はエッセイをつらつら綴る』など。
モヤモヤしているものの輪郭を、文字というナイフで少しずつ削り出していく。それらを今、文章の中で取り戻して、一人でニヤニヤ楽しんでいる。その作業が、楽しくて仕方がないのだ。
それが、僕という人間なのだろう。
そしてもうひとつ。書くことで、自分がいかに多くのものや人に囲まれ、支えられてきたかに気づいた。
仕事の話を書いた『できる人より、驚ける人でいたい。プロの仕事を目撃した日』が、note編集部に取り上げられて驚いた日や、庭の梅の木を蘇らせて自家製梅干しを作ってくれた『時間の味がするでしょ』のトラ子さんの掌。そして、近所の見事な植え込みを見て、僕がかつて夢見た成功と幸せの形を思い出した『レンガ三個分。随分と遠くまで来たものだ』のことなど。
note創作大賞というお祭りは、これでひと区切り。
でも、僕の創作が終わるわけじゃない。まだまだ、書きたいことは山ほどあるのだ。
今の僕を作ってくれた、たくさんの人たちのことを、ゆっくりと書き残したいし、クラリネットの音色に魅せられて以来、どうしても本物の楽器の音が聴きたくてたまらなくなったあの日の衝動を描いた『僕は本物の音を聴きに行く』。その後日談として、いつかミューザ川崎のホールで、本物のクラシック音楽の圧倒的な響きを全身で浴びて文章にしたい。
あるいは、AIを使って、僕のエッセイのテーマソングやCMみたいな短編映像だって作れるかもしれない。想像するだけで面白そうだ。そんな妄想すら膨らんでくる。
そして何より、トラ子さんとの、呆れるほど平和で少しだけ可笑しい日常の数々。これは僕のライフワークである。これだけは、ずっと書き続けていきたい。
そして、読んでくれた人がまるでその場にいるかのように追体験できるような、そんな没入感のある文章を書けるように、僕はこれからもつらつらと綴っていきたい。
ん?
なんだか、いい匂いがする。
誘われるようにふらふらと立ち上がり、冷える背中をさすりながら台所へ向かうと、トラ子さんがコーヒーを淹れてくれているところだった。ポコポコとお湯が落ちる音が、静かな部屋に心地よく響いている。
「あ、終わったの?」
と、彼女が振り返る。
「うん。今、最後のひとつ出した」
トラ子さんは僕にコーヒーの入ったマグカップを押し付けると、さっさと窓の方へ歩き出した。
「ほら、それ持って、庭のブルーベリーとスイカの成長、見に行こうよ。だいぶ大きくなってきたからさ」
窓の向こうでは、夏の朝の光が、すでに力強く眩しく降り注ぎ始めている。
熱気と冷気を行き来した僕の新しい物語は、またこの小さな庭から、静かに円を描き始めるのだ。
相生エッセイ
▽ 今回のお話で登場したエッセイはこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。
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他にも、創作大賞にも応募している 日々の何気ない瞬間を切り取ったエッセイを綴っています。よかったら覗いてみてください。
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