四千万歩の先で、僕はエッセイをつらつら綴る
気づけば、一日五時間もエッセイに費やしている。
読むのに二時間、書くのに三時間。
仕事を除いた大部分の時間を、誰かの愛おしい日常にお邪魔することと、自分の日常をつらつら綴ることに注ぎ込んでいる計算になる。
人生の折り返し地点を過ぎた五十代の、残された貴重な人生の一日が、こんなにも「文字漬け」になるとは思ってもみなかった。
パソコンの前やソファの上で、誰かが食べたお昼ごはんの話や、ちょっとした失敗談を読んで「ふふっ」と笑い、自分のどうでもいい日常をうんうん唸りながら書き連ねている。
……これでいいのだろうか?
ふつう、この年代の「有意義な時間の使い方」といえば、老後に向けた資産運用とか、健康のためのウォーキングとか、やるべきことがあるように思える。その時間をエッセイに費やしている……。
ふと我に返ると、睡眠時間を削ってまで僕は何をやってるんだ、という軽い自嘲みたいなものがこみ上げてくる。でも、今はこれが楽しくて仕方ないのだからしょうがない。
これといった趣味もなく、休日は家でゴロゴロしているだけの僕にとって、今のところ「読むこと」と「書くこと」が最大の娯楽なのである。
僕はもともと、かなりの本好きだった。自宅の部屋は数千冊の蔵書に囲まれていて、手には常に何らかの本を持っているのが当たり前の活字中毒者だった。ところが、ちょっと心の体調を崩してしまって、なんとなく本が読めない時期があった。
そんな僕を再び文字の世界に引き戻してくれたのが、エッセイだった。
noteなどのエッセイと出会い、少しずつ「読める」自分を取り戻してきた。クスッと笑える日常の切り取り方に、「エッセイって楽しいなぁ」と、ガチガチだった肩の力がふっと抜けるようになった。
それからというもの、ブックオフや書店に立ち寄っては、ついエッセイ本を手に取るようになった。なんだか昔の自分を取り戻したようで、少し嬉しい。
今、僕が読んでいるのは、柴門ふみさんの『老いては夫を従え』という本。もう、タイトルからしてただ者じゃない。
その中に、五十歳を超えてから新しいことを始める、というくだりが出てくるのだ。そこから柴門さんは、伊能忠敬だって五十五歳から地図作りを始めたんだから、と話を展開させていく。
伊能忠敬と聞いて、僕の脳裏にふと、ずっしりとした本の重みが蘇ってきた。
井上ひさしさんの『四千万歩の男』。
全五巻、合計二千九百八十四ページという、物理的な重さもさることながら、内容の濃さも半端じゃない大作である。
あれを夢中になって読みふけっていたのは、いつ頃だっただろうか。伊能忠敬と一緒に、雨の日も風の日も、日本の海岸線をひたすら歩き回った気分になったものだ。
あの頃の僕は、伊能忠敬の果てしない歩みに圧倒されながらも、「人はこんなにも膨大な時間を、ひとつのことに注ぎ込めるのか」と純粋に感動していた。

なんだか既視感がある。
そうか。今、毎日五時間をエッセイに費やしている僕の姿は、あの頃の、四千万歩の男の世界にどっぷりと没入していた僕と、実は何も変わっていないのだ。そう考えると、なんだか少しだけおかしくなってくる。
さらに柴門さんのエッセイには、こうも書かれていた。
中高年になってから全く新しいことを始めるのは、体力的に上手くいかないことも多いらしい。だから、「マイナーアップデート」がいいのだと。
なるほど。たしかにそうかもしれない。
僕だって、自由に使える時間が増えたら、あれもこれもやってみたい!なんて鼻息を荒くしていた時期があったけれど。いざ新しいことにチャレンジするとなると、思いのほか体力を削られる。
道具を揃えたり、新しい人間関係を築いたり、考えるだけで腰が重くなってしまう。結局、途中で面倒くさくなって投げ出すのがオチだ。
だから、フルモデルチェンジではなく、今ある土台を少しだけ改修するという考えは、とても腑に落ちる。
そう考えると、今の僕の状況は、まさにマイナーアップデートなのかもしれない。
僕の場合、長年技術畑を歩いてきて、ブログといえばもっぱら仕事のための技術的な備忘録だった。いかに正確に、いかに無駄なく情報を伝えるかが全てであり、読者の役に立つことが至上命題だったのだ。
そこから、日常の些細なことを綴る「エッセイ」という形へと舵を切った。言葉を紡いで文章を作るという行為自体は、長年やってきたことの延長線上にある。
フルモデルチェンジではなく、ちょっとした部品の交換。
飛躍じゃなくて、延長線。
でも、そのほんの少しの角度の違いが、僕の目に映る景色を劇的に変えてくれた。全く新しい言語を覚えるような苦労はないのに、新大陸を発見したようなワクワク感がある。
だから、こんなにも没頭してしまっているのだ。
延長線の先に、自分がこんなに没頭できる場所があったなんて。
伊能忠敬は、五十五歳から日本全土の地図を作り始めた。井上ひさしさんは、その足跡を途方もない文字数に収めた。
そして僕は、五十代の今、毎日五時間をエッセイに費やしている。見知らぬ誰かの日常を「ふふっ」と笑いながら読んで、今度は自分の日常をつらつらと書き連ねる。それだけのことが、こんなにも楽しい。
伊能忠敬に倣うなら、僕は今、ようやく自分の足で歩き出した、いや「書き出した」ところなのかもしれない。
エッセイを読む。書く。また読む。
あっという間に五時間が溶けていく。
これでいいのだろうか。
いや、これでいい。むしろ、これがいいのだ。
それが僕の、ささやかな「四千万歩」の始まりなのだから。
相生エッセイ
▽ Substackで、このエッセイの裏話を書いています。
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