ゴトン、と鳴った音が消えない
その音が鳴った瞬間、僕は僕を有罪にした。
我が家の冷蔵庫には、僕が飲むビールの定位置がある。そのビール置き場のさらに裏側には、妻のトラ子さんが作ってくれた生チョコが入った小さなタッパーがひっそりと隠されていた。
手作りの生チョコは、口に入れるとすっと溶けて、カカオの苦味と甘味がふわっと広がる。あれは本当に美味しい。僕はこれが大好物なのだ。
「手作りだから消費期限短いからね、早く食べてよ」
そう言われていた。言われていたんだけど、美味しいものは減っていくのがもったいない。早く食べてしまうと、しばらく作ってくれないし。
だから僕は「もう食べきったよ」と嘘をついて、こっそりビールの裏に隠し、夜な夜なひとかけらずつ味わうという、なんともみみっちい楽しみを満喫していたのである。
しかし先日、その秘密基地がついに摘発された。
「ちょっとこれ、もう捨てるからね! ダメだって、手作りは消費期限あるんだから!」
トラ子さんがタッパーを取り上げて、キッチンの三角コーナーへ向かって振り上げる。
「待って! 今食べる! 今食べるから!」
僕は必死に抵抗し、残っていた生チョコをすべて口に放り込んだ。もったいないじゃないか。せっかく作ってくれたんだから。トラ子さんは呆れた顔をして何か言っていたが、僕の耳には届いていない。
その夜、大惨事が起きた。
尋常ではない腹痛に見舞われ、数分おきにトイレへ駆け込む羽目になり、その回数たるや優に十数回を超えた。
人間って、こんなに水分を失えるんだなと思いつつ、真っ青な顔をして、床を這うように廊下を進んでいると、物音に気づいて起きてきたトラ子さんが、僕を見るなり息を呑んだ。
「ちょっと! 顔が白い! 大丈夫?!」
彼女の言葉通り、僕の顔は青ざめ、全身からは冷や汗が吹き出していた。「シャワーを浴びたみたい」ではなく、完全にシャワーを浴びた状態である。
「だから言ったじゃない……」
心底呆れ返るトラ子さんに、僕は弱々しく笑い返すことしかできなかった。
どうして、あそこまでして食べてしまったのか。
それは僕が単に食い意地が張っているから……というのも否定はしないが、根底にあるのは、食べ物を残すとか、捨てるとか、粗末にすることがどうしてもできないという性質のせいである。
単なる「もったいない精神」なんて立派なものではない。食べ物を粗末にすると、バチが当たるんじゃないかという、ほとんど呪いのような恐怖がある。だから、思い返してみても、自ら食べ物を残した記憶があまりない。
ただ、ひとつだけ。
いまだに激しく後悔していることがある。
思い出すのは、捨ててしまった、おにぎりのことだ。あれは数年前、トラ子さんと新幹線で青森へ行く用事があった時のこと。
新幹線の旅といえば、駅弁だ。東京駅にある駅弁屋「祭」の、あのガヤガヤした喧騒の中で、日本中の名物弁当を前にどれにしようかと頭を悩ませるのは、旅の最高のスタートダッシュだと思う。
でも、僕の旅にはもうひとつの「外せない決まり」がある。それが、トラ子さんが握ってくれる海苔を巻いてアルミホイルで包んだ手作りのおにぎりだ。駅弁を食らい、そして手作りおにぎりも食う。これが僕にとっての最高の旅の醍醐味だった。
そもそも僕は、おにぎりというやつが大好きだ。
おにぎりなら何でもいいのかというと、ちょっと違う。コンビニに並んでいるような、フィルムを剥がして食べるパリパリ海苔のおにぎりも嫌いではないが、一番好きなのは少し時間が経って結露し、海苔がしっとりとご飯に馴染んだやつ。
アルミホイルで包まれたそれを剥くときの「シャリシャリ」という音。子供の頃の遠足の記憶が蘇るからだろうか。あの音を聞くと、日常から非日常へと切り替わるような、わくわくしたスイッチが入る。
昔、配達の仕事をしていた頃も、トラ子さんが作ってくれるおにぎりが毎日の楽しみだった。大好きな焼きたらこがおにぎりの具になっていると、ついテンションが上がる。だが、うまく食べないと具だけがポロッと足元に落ちてしまい、一日中悲しい気持ちでハンドルを握ることになる。
そんなくだらない悲喜こもごもも含めて、僕はやっぱり、おにぎりという食べ物を愛しているのだ。
ところが、どうしたことだろう。
東京駅に着いたあたりから、急激に体調が悪くなってきた。駅弁屋「祭」につく頃には、完全に具合が悪くなってしまった。
それでも「駅弁は絶対に食う」という意地だけは残っており、少しでも食べやすそうな助六寿司を選んだ。いなり寿司と海苔巻きの詰め合わせである。いや、助六は大好きなのだ。普段なら喜んで食べるし、甘じょっぱいお揚げの味には心が落ち着く。
でも、今は新幹線というハレの舞台で、もっとこう、牛肉がどーんと乗ったやつとか、いくらがキラキラしているやつとか、そういう豪勢な駅弁を食べたかったという謎の敗北感が漂っていた。
なんとか新幹線に乗ることができたが、揺れる車内で助六を腹に収めるのが精一杯で、大切なおにぎりには手をつけることができなかった。
「おにぎりは、ホテルに着いてから食べよう」
僕はアルミホイルの包みを、そっとカバンの奥にしまった。
青森のホテルに着いて、少し休むと体調は回復し始めた。ほっとして、「さあ、おにぎりを」とカバンからおにぎりを取り出した時、僕は絶望した。
長時間の移動と、劣悪な保管状況のせいで、おにぎりは完全に傷んでしまっていたのだ。鼻を近づけるまでもなく、それはもう食べ物ではなくなっていた。
どうしようもない。
ホテルのスタッフの方にお願いして、処分してもらうことになった。
案内されたのは、蓋つきの金属のゴミ箱のようなものだった。ペダルを踏むとパカッと開く、よくあるやつだ。ごめんなさい、という強烈な思いを抱えながら、ふたを開け、おにぎりを手放す。
底に落ちたとき、「ゴトン」という音が響いた。
無機質で重たい音。
その音が、僕の耳にこびりついて離れない。
まるで裁判官の木槌のように、罪の意識を告げる音に聞こえた。
せっかく作ってくれたのに。あんなに楽しみにしていたのに。食べ物を、愛情を、無駄にしてしまったという強烈な罪悪感が、胸の奥で黒く広がっていく。
その精神的ダメージたるや凄まじく、実はそれ以来、僕は数年間おにぎりを食べることができなくなってしまったのだ。
そして、あの夜の生チョコに話は戻る。
真夜中のトイレの床を這いずり回り、全身から汗を吹き出しながら、人間ってこんなに水分が抜けるんだと絶望しながらも、それでも僕の心の中にはひとつの確かな思いがあった。
「食べられてよかった」
腹痛でのたうち回りながら、僕は本気でそう思っていた。
愛情を捨てられなかった結果がこれである。
食べ物には、それを作った人の時間が詰まっている。台所に立ち、ボウルをかき混ぜ、冷やし、タッパーに詰める。その時間と愛情を、僕はどうしても捨てることができなかったのだ。たとえその判断が、真夜中のトイレに僕を十数回叩き込もうとも。うん、やっぱり食べてよかった、と思っていた。
今ではすっかりおにぎりのトラウマも癒え、あるお米屋さんが作っている素朴なおにぎりを、美味しい美味しいと頬張れるようになった。おにぎり好きの情熱は健在である。
思い出の消費期限は、きっと生チョコよりもずっと長い。たぶん僕はこれからも、同じようなことを繰り返すのだろう。我ながら馬鹿だなぁと思う。
でも、あの冷たい金属の箱に落ちる「ゴトン」という音を、もう一度聞くくらいなら。僕はきっと、また迷わずに腹を壊すほうを選ぶのである。
相生エッセイ
▽ Substackで、このエッセイの裏話を書いています。
ぜひ読んでみてください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました😌
この記事が少しでも心に響いたら、スキやフォローで応援していただけると、とても励みになります!
他にも、日々の何気ない瞬間を切り取ったエッセイを綴っています。よかったら覗いてみてください。
Threads 、Substackで、このエッセイができるまでの裏話とnoteには掲載しきれなかったイメージ画像を投稿しています。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!