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ジゴロの表彰状

僕は、妻のトラ子さんの両親から「ジゴロ」と呼ばれていたらしい。

その衝撃の事実を知ったのは、結婚してだいぶ後になってからだ。

「お父さんがね、あいつはジゴロだから大丈夫なのかって、すっごく心配してたんだよ! あっはっは~、ジゴロだって!」

と、トラ子さんがコロコロと笑いながら暴露したのだ。

ジゴロ。
なんだそりゃ、と思った。

僕の世代でジゴロと言えば、郷ひろみさんの「How many いい顔」くらいしか思い浮かばない。あれはたしか、なんだか夜の街の匂いがする、怪しげで軽薄な男の代名詞だった気がするが。

だが、実際のところジゴロとはなんだろう? 気になってこっそり調べてみると、「女に貢がせて生活する男」「若いツバメ」といった意味合いが出てきた。

なるほど、ヒモよりはちょっとおしゃれな、フランスの風が吹くような響きがしないでもないが、……って、そういう問題ではない!

なんとまぁ、僕はそんな風に見えていたのか。
お義父さんの目にそう映っていたのなら、返す言葉もない。
これは、挽回せねばなるまい。

どうしてそんな誤解が生まれたのか。
記憶の糸をたどっていくと、あの一日に行き着く。

僕が、トラ子さんの実家に「結婚の挨拶」に行った日のことだ。

玄関のチャイムを押す直前までの記憶は、確かにあるのだ。汗ばんだ手を何度も拭いた気もする。よし、と気合を入れて、実家の玄関前に立ち、トラ子さんが「ふふっ」と笑いながらドアノブを掴んだ。

そこまでは、はっきりと記憶がある。
しかし、玄関のドアが開いてからの記憶が、すっぽりと抜け落ちているのだ。

まるでボス戦の前の暗転イベントみたいに、目の前がブラックアウトした。僕は初対面のご両親に、ちゃんと「初めまして」の挨拶くらいはできたのだろうか。

次に気がついたとき、僕は奥の和室の座卓を挟んで、初対面のトラ子さんのお義父さんと対面で座っていた。

どうやって靴を脱ぎ、どうやってこの座布団に行き着いたのか、さっぱり思い出せない。まさか僕は、緊張のあまり気絶でもして、運ばれたんじゃなかろうか。いや、それにしてはちゃんと座布団の上に正座している。

ただ、手に持っていたはずの菓子折りがなくなっているので、おそらくしかるべきタイミングで渡すミッションはクリアしたのだと思う。

台所の方からは、トラ子さんとお義母さんの楽しそうな話し声が聞こえてくる。トラ子さんの家族は、母娘が揃うとまるで何年も会っていなかった親友同士のように、何時間でもしゃべり続ける恒例行事がある。それはもう、終わりのないように延々と続く。

この「娘の結婚相手が挨拶に来る」という、親にとって人生の一大イベントの日でさえ、その恒例行事は健在だった。そしてその間、僕ら男性陣は完全な放置状態である。

気まずい。
頼む、僕を一人にしないでくれ。

目の前には、無口なお義父さんが座っている。
お互いに口数も少なく、お義父さんはぽつりぽつりと短い言葉を発するだけだった。僕も「はい」とか「ええ」とか、ふにゃふにゃした相槌を打つのが精一杯だった。ひたいには嫌な汗がにじむ。

僕は落ち着かない気持ちを悟られないように、ぐるぐると部屋の中を見渡した。

整然とした和室。物が散乱しているうちとは大違いだ。
飾り棚には、お義母さんの手作りの和紙人形がたくさん並んでいる。どれも今にも動き出しそうなほど生き生きとしていて、並々ならぬセンスを感じる。

そして、部屋のそこここにある使い勝手の良さそうな収納は、すべてお義父さんの手作りだという。プロの職人だから、その造作のクオリティは異常に高い。「僕の部屋にも何か作ってほしいな」と本気で思うレベルだ。隙間という隙間にピッタリと収まった棚を見ていると、この家の几帳面さがひしひしと伝わってくる。

そして、何よりも僕の目をひいたのは、壁の高いところに飾られた、立派な額縁に入った一枚の表彰状だった。

ただの表彰状ではない。
お義父さんは昔、川で溺れている人を、命の危険を顧みずに助けて、警察や消防から表彰されたという、正真正銘の立派な人なのだ。

燦然と輝く「本物」の表彰状。「人命救助」という四文字が、無言の圧を放っている。それは、額縁の中にあるだけで人を黙らせるような、圧倒的な「本物の人生の勲章」だった。

目の前に座っている無口なこの人は、いざという時、躊躇なく濁流に飛び込める本物の男なのだ。

それに比べて、僕はどうだ。
川に飛び込むどころか、家の中にちょっと虫が出ただけで「うわあああ!」と大騒ぎするような男だ。自分がひどくちっぽけな存在に思えた。

こんな立派な父親を持つトラ子さんが、なんでまた僕なんかと結婚しようと思ったのだろう。表彰状を見上げながら、なぜ僕はここにいるのだろう、とぼんやり考えていた。

思えば、僕とトラ子さんが付き合うきっかけになったのは、一冊の本だった。

僕らの共通の趣味は読書で、完全にかぶっているわけではないけれど、似たような作家の本をよく読んでいた。その筆頭が、京極夏彦だ。もう、「京極夏彦結婚」と言ってもいいくらいだと思う。

あれは、彼女が初めて僕の部屋に遊びに来た時のことだ。
ソファーの上に無造作に置いてあった京極の分厚い本を見つけるなり、トラ子さんは「あ、これ! なんでこれがあるの!? 好きなの!?」と前のめりになって目を輝かせ興奮した。

そして、その勢いのまま。

「ぷぅ〜」

気の抜けた、しかし明確な音が、部屋の空気を震わせた。

静寂。
一秒、二秒、三秒。
トラ子さんの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。俯いて、固まっている。

僕は脳内コンピューターをフル回転させた。この危機的状況において、僕はどう振る舞うのが正解なのだ?

どうする? 笑い飛ばしてイジるのが正解か? それとも完全にスルーすべきか? いや、それよりこの後やってくるかもしれない空気の変化にどう対処する!? さりげなく窓を開けるのは不自然か?

僕が最適解を弾き出すよりも早く、真っ赤になって俯いていたトラ子さんが、我慢できずに自ら吹き出した。

「あはははは! ひー、ひー!」
自分でやっておいて、自分で大爆笑している。

その瞬間に、何か見えない壁がぶっ壊れて、僕たちは付き合うことになったのだ。「おなら交際」である。

いや、待てよ。「ドラクエ結婚」だったかもしれない。
僕らはドラクエにハマり、メールや電話で攻略情報を報告し合っていた。ただ、プレイスタイルは真逆だった。

僕は、RPGをやる時はすぐに攻略本を買ってしまうタイプだ。効率よく、無駄なく、最短ルートでクリアしたい。取りこぼしがないように、本にチェックを入れながら進む。

一方のトラ子さんは、自力でくまなくマップを回ることに命を懸けていた。ダンジョンの構造を方眼紙に手書きでマッピングし、町の隅々の壺やタルを割りまくり、民家のタンスを勝手に開けては「小さなメダル」を一つ残らず自力で拾い集める。

僕から見れば、途方もない労力だ。でも彼女はそれが楽しくて仕方ないらしい。

ゲーム内のカジノのスロットを何時間も回し続けて、「あれが出た!」「すっからかんになった!」と報告し合った。

そのドラクエ脳は現実世界にも侵食していて、休日のデートでホームセンターに行けば、鍋コーナーを指さして「トラ子さん、ここに鍋のフタが売ってる!」とはしゃぎ、工具コーナーで「あっちには釘も売ってるよ」と笑い合う。釘はたしか、錬金釜の素材だったはずだ。

トラ子さんは、そうやって人生というダンジョンも、隅から隅まで歩いていく人なのだ。そして、その探索の途中で、たまたま落ちていた僕という人間を見つけて、拾ってくれた。
僕は「小さなメダル」だったのかもしれない。

「これ、味の素かけると旨いぞ」
お義父さんの声で、僕はハッと現実に戻った。危ない危ない、ドラクエの世界に現実逃避しすぎた。

目の前には、白菜の漬物がある。お義母さんとトラ子さんは、お茶請けの漬物を持ってきたきり、また台所へ戻ってしゃべり続けている。

「あ、いただきます」
言われるがままに味の素を振った白菜の漬物を、男二人でむしゃむしゃと食べた。

台所からは、相変わらず女性陣のノンストップ・マシンガントークが聞こえてくる。「それでねー!」「あははは、やだー!」終わらない。息継ぎをしているのか不思議になるくらい、ずっと喋り続けている。

やがて、お義父さんもしびれを切らしたのか、のっそりと立ち上がり、台所から洗ったブドウを持ってきた。

「今日のために、買ってくれたのよ」と、いつの間にか台所から顔を出したお義母さんが言う。「これ、皮ごと食べられるから」とお義父さんが不器用に勧めてくれる。

僕はそんな洒落たものを食べるのは初めてだったけれど、とても甘くて美味しかった。美味しいですね、と僕が言うと、お義父さんは「だろう」と、満足そうに頷いた。

結局、僕らはお茶を飲み、漬物をかじり、ブドウを皮ごと飲み込みながら、台所のマシンガントークをBGMにしてただ待機し続けた。

その後、ようやく全員が揃ったところでお寿司の出前を食べた。
結局のところ、「お嬢さんをください」的な展開は全くなく、女性陣が喋るのをお義父さんと僕がうんうん頷いて終わった。終始和やかなムードだったので、これはこれでよかったのだろう。

今思えば、あの味の素のかかった漬物と、わざわざ僕のために用意してくれたブドウが、あの無口なお義父さんなりの、不器用な「返事」だったのだと思う

「結婚挨拶ってこんな感じだっけ?」と拍子抜けしながら、僕たちは無事に結婚した。

その後、トラ子さんの実家には何度も遊びに行くようになったけれど、僕とお義父さんの距離感は、あの漬物とブドウの日から変わらず、穏やかなものだった。

そんな座卓を挟んでかじった漬物も、台所の笑い声も、もう思い出の中なのだけど。

ただ、ひとつだけ解せないことがある。
結婚してくれと懇願されて、こっちが折れて結婚したと思っていたのに、トラ子さんの家族の間では「僕からどうしても結婚してくれと懇願した」ことになっているのはどうしたことだろう。

だいたい、付き合っていた当時、携帯電話の会社が違っていたのに、「僕とメールがしたいから」という理由で、彼女の方から僕と同じ会社に乗り換えたくせに。

……まあいい。ジゴロの汚名を着せられているのだから、そのくらいのフィクションは甘んじて受け入れよう。

でも、客観的に見れば、そう見えても仕方がないのかもしれない。

お義父さんから見れば、娘がわざわざ相手の環境に合わせてやり、攻略本に頼るようなズボラな男は、いささか頼りなく映ったかもしれない。

だからこその「ジゴロ」なのだ。そう心配されていたのだと思うと、嫌味はなく、むしろ少し可笑しくなってくる。

僕は、人から表彰状をもらえるような人生を歩んでいない。結婚してからも、僕は自分の好きなようにさせてもらっている。まるで、トラ子さんという勇者に武器や防具を整えてもらい、のうのうと安全な後方をついて歩く、旅の仲間だ。

ドラマに出てくる、画家を目指すような「若いツバメ」は、たいてい貧乏だというのが鉄板だ。僕はもう若くはないけれど、ツバメのように自由に、好き勝手に生きさせてもらっている。

だから、周りからジゴロだと思われていたとしても、それは仕方がないことなのだ。トラ子さんには、苦労をかけていると思う。

でも、だからこそ思うのだ。
僕はいつか、でっかい賞を取りたいのだ。

僕は表彰状とは無縁の人生を歩んできた。
でも、もし僕が何かで表彰されたり、どデカい賞を受賞したりすることがあったら。

その時は、真っ先にトラ子さんにプレゼントしたい。僕の人生の攻略本には載っていなかった、自力で見つけた特大の「小さなメダル」を。

そして、お義父さんとお義母さんの墓前に行って、胸を張って報告するのだ。

「ジゴロがやっと表彰されるようになりましたよ」と。

とはいえ。
たとえそんな大きな、最高に嬉しい出来事があったとしても、トラ子さんはきっと、いつものようにコロコロと笑って、こう言うに決まっている。

「へえ、すごいじゃん! じゃあお祝いに、うちのナスと梅干しでなんか美味しいもの作ろうか!」

小さなメダルを拾い集める天才は、いつだって足元の幸せを見つけるのが上手い。

僕が追いかけているドデカい表彰状よりも、きっとそっちの方が本物なんだろうなあと、今日も漬物をかじりながらしみじみ思う。

ま、それが、うちの幸せの形なのだ。

 
  
相生エッセイ


 

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