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塔に、鶯の鳴くころ

晴れた日だった。

まだ新しい霊園には、見渡す限りほとんど墓石が建っていなかった。むき出しの土と、区画を区切る真新しいコンクリの白さが、妙に目に痛かった。

僕は妻のトラ子さんと二人で手桶を持って歩く。
足元の砂利がジャリ、ジャリと音を立てる。

どこからか、澄んだウグイスの鳴き声が聞こえた。ホーホケキョ、と。絵に描いたようなのどかな声が、春の陽気と一緒に降り注いでいた。

ゆっくりと歩いて、真新しい石の前に立った。
出来上がったばかりの、我が家の墓である。

「……やっと、終わったね」

トラ子さんがぽつりと言った。
僕は、彼女の横顔をちらりと見て、ゆっくりと頷いた。

やっと終わった。
心の底から、そう思った。

胸の奥から湧き上がってきたのは、何かを成し遂げたというような輝かしい達成感ではなかった。もっと重くて、冷たくて、そして静かな感情。何十年も続いた果てしない泥沼の戦いが、今、ここでようやく終わったのだという、嘘みたいな静けさだった。

目の前に建つ真新しい石は、僕にはいわゆる「墓標」というより、辛く苦しいすべてを終えた証の「塔」のように見えた。

何かの記念碑ではない。誰かの偉業を讃える塔でもない。途方もない時間を、ただただ耐え抜き、僕らの人生の最も苦しかった時間を封じ込めた末に建った、辛い戦いを終えた証の塔。

そうか、墓標って、こういう意味だったのか。
ただ骨を納めるためだけの場所じゃない。生き残った人間が、背負い続けてきた重すぎる荷物をようやく下ろして、その上に立てる目印なんだなあと、ぼんやりと思った。

今この場に立って、ここに至るまでの日々を思い返すと、なんだかひどく現実味がない。

◇◇◇

思えば、長い長い戦いだった。
二十年。僕の人生の、いちばん体力があって、いちばんいろんなことができたはずの時間を、僕はすべてこの「塔」にたどり着くために費やしてしまった。

僕の人生は、この石の下に眠る両親との壮絶な戦いそのものだった。いや、戦いという言葉は正確ではないかもしれない。一方的な搾取と、支配と、そして介護という名の終わりなき泥沼。

両親は、一言で言えばモンスターだった。出会ってはいけない二人が出会い、そして家庭という密室で、その毒を濃縮させていった。

僕は子供の頃から、「親のために子供が苦労するのは当たり前」という価値観を骨の髄まで刷り込まれて育った。僕が社会人になっても、その支配は続いた。

僕の通帳と印鑑は親が握っていた。食費・家賃という名目で毎月十数万円を渡さなければならなかった。僕の名前を勝手に使い、借金の保証人の代役を立てるような犯罪まがいのことすら平気で行った。

抵抗すると、親戚中から「親に逆らうなんてとんでもない奴だ」と非難された。短気ですぐキレる親不孝者。それが、一族の中での僕の評価だった。

「親を悪く言うなんて、人間として終わっている」
「誰に育ててもらったんだ。今の自分があるのは親のおかげだろう。感謝しろ」
相談した数少ない友人たちにも、そう言われた。

誰も助けてはくれない。誰も理解してくれない。
そんな孤立無援の五十年間。僕は完全に洗脳されていたのだと思う。それが異常なことだと気づくまでに、随分と時間がかかってしまった。

父は外面が異常に良く、「いい人」を完璧に演じ切っていた。しかし、家の中では暴君だった。借金を重ね、僕の名義を無断で使い、僕には一切の自由を与えなかった。

「役に立たねえくせに、よくメシ食えるな。神経がわからねえな。もう食うな。生きてる価値がねえんだから」

それが、僕を見る時の父の口癖だった。人を傷つけることに、いささかの躊躇もない言葉の刃。だから僕は、両親が寝静まった深夜に、こっそりと台所で冷たい食事をとるのが日常だった。

そのくせ、妹はいつも優遇されて、欲しいものを買ってもらい、あちこち連れて行ってもらっていた。僕はいつも留守番だった。僕はひたすらに、搾取される側だったのだ。

逃げればよかったのにと、他人は簡単に言う。でも、逃げられないのだ。人の心はそんなに簡単なものではない。家族という見えない鎖は、物理的な手錠よりもはるかに厄介で、皮膚の下にまで食い込んでいる。今思えば滑稽なほどの幻想を捨てきれず、僕は親の元から逃げ出せなかった。

僕には、親から愛されたという確かな記憶がない。
それでも僕は、親の面倒を見るのが親孝行で、自分がやるべき事なんだと思い込んでいた。そうやって気に入られるように振る舞っていれば、いつかは愛してもらえるんじゃないかと、心のどこかで信じていたのかもしれない。

「気づきたくなかったんだよね。親に愛されていないことに」

ある日、トラ子さんがぽつりと言った言葉が、僕の胸を深くえぐった。その通りだった。だからこそ、僕は懸命に尽くし続けたのだ。

違和感は日常の中にじわりと滲んできた。
ある日、車の運転中に父は平然と逆走を始めたのだ。隣に座る母はまるで危機感を持たず、後ろに乗った僕とトラ子さんだけがパニックになっていた。

正面から迫り来る対向車。けたたましいクラクションの音。急ハンドルで間一髪すれ違っていく車、車、車。それでも父は、平然と逆走を続けた。隣に座る母も、まるで景色でも眺めるように無反応だった。

あの時の、血の気が引くような恐怖。狂っている。この空間だけが完全に狂っている。本当の地獄の蓋が開いた瞬間だった。
それが、終わりの始まりだった。

父はずる賢かった。常に六法全集を引っぱり出し、法律の網の目を縫うようにして相手を言い負かすことに心血を注いでいた。自分が絶対に不利にならないように立ち回る。そんな人間が、車で平気で逆走をするようになったのだ。

ずるい人が、ずるく立ち回れなくなる。それは、父の中の何かが決定的に壊れ始めている証拠だった。

そのうち、夜の徘徊が始まった。
とっくに仕事なんて引退しているのに、深夜に着替えて「仕事に行く」と言い出すのだ。

止めようとする僕を、父は信じられないような馬鹿力で引き剥がして玄関へ向かう。鍵をかけても無駄だった。玄関から出られないとわかると、今度は二階の窓を開けて、そこから飛び降りようとした。母はというと、布団に入ったまま、ただそれをぼんやりと見ているだけだった。

その夜から、僕はまともに眠れなくなった。
「カタン」
小さな物音がするたびに、心臓が跳ね上がって目が覚める。それが何年も、何年も続いた。

ある時など、僕が必死で止めようとしたら、「親に対して何するのッ!」と、母に後ろから羽交い絞めにされ、父が古い鉄の重い体重計を振り上げて、僕を全力で殴ってきたこともあった。力の加減を知らなかった。

僕の額からは止まることを知らないように血が噴き出した。
痛いとか、悲しいとか、そんな感情すら麻痺していく。

徘徊も運転も僕が止めなければならない。僕は仕事を辞めた。積み上げてきたキャリアを捨てた。とても仕事ができる状態ではなかった。わずかな在宅の仕事で食いつなぐしかなかった。

子供を持つこともできなかった。好きな車に乗ることも、趣味を楽しむことも、外食も旅行も、すべてを諦めて、ただひたすらに介護という牢獄の中で二十年を過ごした。

同じ親から生まれたはずの兄や妹は、認知症がわかった途端に一切寄り付かなくなった。「一緒に住んでいる人が決めることだから」と、さも理解のあるような顔をして、見事に何一つ手伝おうとはしなかった。

彼らには、母の日も、父の日もある。家庭を持ち、趣味を楽しみ、海外旅行にも行ける。僕は、ただただ人生の時間を奪われていった。僕には一生、父の日は来ない。本当は、僕だって父になりたかったのに。

◇◇◇

やがて、父が死んだ。
悲しみなんて、一滴も湧いてこなかった。同時に母は認知症と弁膜症で心不全を起こして、長期入院になっていた。

毎日がジェットコースターみたいで、手続きやなんだで時間が全く足りなくて、自分たちのことなど何もできなかった。時間があれば母の病院へ行かねばならず、食事をする時間すらなく、数日に一度、何かを胃に詰め込むような日々だった。

そして、いざ葬式となって、僕は喪主になった。
やらなければならないことが山ほどある。

親戚中が集まる中で、兄はわざわざ僕のところにやってきて言った。「親戚は香典払わなくていいんだよな?」……は?何を言っているんだ。払う払わないの次元の話なのかよ。

そして、葬儀が始まろうとしているのに、誰一人として受付をやろうとしない。「私たちは無理だから」と、誰もが顔を背ける。親戚や兄、妹家族が、口々にそう言って逃げたのだ。

結果として、喪主である僕とトラ子さんが、二人で受付に立つことになったのだ。

祭壇の奥では通夜の読経が始まっている。喪主である僕らは、父を見送る葬儀そのものに出席できなかった。

ふと中を覗き込むと、喪主が座るべき最前列の席に、兄は当たり前のような顔をしてどっかりと座っていた。

斎場の人たちが、目を丸くして驚いていた。「えっ、喪主様が受付を……?」と、戸惑ったような顔が忘れられない。それはいけないと言って、斎場の人たちが受付を代わってくれた。

妹の行動も常軌を逸していた。
彼女は昔から「イベント」が大好きだ。結婚式も、そして葬式も、彼女にとっては自分が主役になれる舞台なのだ。

「一晩中、線香の火を絶やしちゃいけないのよ!」
どこで仕入れてきたのか、そんなことを言い出し、宿泊設備のない斎場の休憩室に無理やり泊まり込んだ。

翌日、斎場の人からこっそり聞かされた。
「夜中にティッシュを持ってこいと要求されたり、冷蔵庫の中のお酒を全部飲まれてしまって……本当に大変でした」

翌朝の妹は、まるでテーマパークでオールナイトを楽しんだ若者のような、妙にスッキリとしたハイテンションな顔をしていた。葬式に来た人たちを捕まえては「私が一晩中ついていたのよ」と触れ回っていた。

そこには、父親を弔う気持ちなんて微塵もなかった。ただ自分がヒロインになれるイベントを楽しんでいるだけだった。

葬儀が終わったあと。
喪主である僕は、遺骨を抱えて出口に立っていた。帰っていく参列者を見送るために。

ところが、会場の中では親戚たちがいつまでもいつまでも、大声で喋っていた。「あー、久しぶり!」「LINE交換しようよ!」そこは完全に同窓会の会場と化していた。

やがて斎場の人たちに「そろそろ……」と促され、帰り際、返礼品を受け取るときだけ、ちらりとこちらを見て、無言で車に乗り込んでいく。皆でどこかへ食事に行くらしい。

「家には、どうやって来る?」
僕は兄や妹に聞いた。これから家に帰って、祭壇を作らなきゃいけないんだから。すると、「え? みんなと待ち合わせて忙しいから」と吐き捨てるように言われ、そのまま帰ってしまった。

結局、誰も僕の家には来なかった。
重い遺骨を抱えた僕とトラ子さんだけが、静まり返った家に戻った。同行してくれた葬儀社の人も、心底驚いたような、同情するような顔をしていた。

なぜそこまで、兄妹や親戚が僕らを無視し、敵視するのか。後になって、そのおぞましい真実がわかってきた。妹や兄は、自分たちが遺産を多く分捕るために、あらかじめ親戚たちに僕の悪口を吹き込んで回っていたのだ。

兄によれば、「あいつは親の金で遊んで暮らしていて、一度も働いたことがない。父は苦労して死んだ。」らしい。そうやって、親戚中に嘘八百を言いふらしていたのだ。

それどころか、親自身も生前、自分の借金を取り繕うために「息子がお金を使ってしまって……」と僕をダシに使って借金していたことまで判明した。

だから親戚たちは、その嘘を完全に信じ込み、僕を「親不孝で最低な子供」という目で見ていたのだ。

父は生前、町内会長をやったりして威張り散らしていたくせに、葬式はひどく淋しいものだった。終わったあとに残ってくれる人は、誰一人いなかったのだ。

僕はふと、中学生の頃の宿題を思い出していた。
『将来の夢』という作文で、僕はこう書いた。

「自分の葬式に、たくさんの人が来てくれること。たくさんの人が泣いてくれること」

クラスの皆には笑われたけれど、僕は本気だった。ずっと、人の温もりや愛に飢えていたんだと思う。

葬儀の後の遺産相続は、さらに凄惨だった。
ドラマで見るようなドロドロの争いは、大金持ちの家だけの話だと思っていた。普通の家庭で起こるはずがないと。

甘かった。僕が知っているどんなドラマよりも、現実ははるかにグロテスクだった。

そもそも、父には遺産なんて一銭もなかった。あるのは、二億を超える膨大な借金だけ。完全なるマイナスの資産だ。

それなのに、ほとんど会ったこともない、相続権のない親戚から突然電話がかかってきて、「取り分はいくらか」と強引に要求された。生前、父は自分を大きく見せようとして、ビルをいくつも持っていると大ぼらを吹いていたからだ。

「遺産なんてありませんよ、マイナスですから」と事実を伝えると、親戚は急に態度を変えて「お前の親父の面倒を見たんだ、かわいそうだと思わねえのか」と、関係のない話を持ち出して遺産を要求してくる。

遺産相続の書類を司法書士が作ってくれて兄に送ってもらうと、「なんでこんなに時間がかかってるんだ! お前が遺産を独り占めしようとしてもそうはいかない。 親戚のみんなも怒ってるぞ。誠意を見せろ!」電話口で怒鳴り散らす兄の声が、僕のすり減った神経をさらに削っていく。

兄は「今こそ遺産をぶんどれるぞ」とばかりに親戚たちと徒党を組み、身に覚えのないことを並べ立てて、僕を悪者に仕立て上げた。僕が遺産を独り占めしようとしていると触れ回り、司法書士からの書類への押印を全員で拒否した。

「ハンコを押したら、全部あいつに持っていかれるぞ!」
親戚中でそんな言葉が飛び交っていたらしい。親戚全員が、僕が遺産を独り占めしようとしていると本気で信じ込んでいた。

一番静かに親を送りたい、いや、送らなければならない時に、血を分けた人間たちが、金、金、金と亡者のように群がってくる。
あまりのあさましさに、吐き気がした。

司法書士から「長く、この仕事をしていますが、こんなご親族は初めてです」と呆れられた。僕は司法書士に頼み、父の残した借金の明細と、それを全員で均等に負担して支払ってもらう旨の書類を新たに送りつけた。

するとどうだ。
あんなに無視を決め込んでいた親戚たちが、手のひらを返したように、慌てて「相続放棄」の書類にハンコを押して送り返してきたのだ。

金を取られると分かった瞬間の、あの逃げ足の速さ。人間の浅ましさの底を見た気がした。それでもきっと、彼らは今でも「あいつが遺産を隠し持っている」と陰で言い合っているのだろう。

ちなみに、トラ子さんの実家で相続があった時は、まるでそんなことはなかった。誰も文句など言わず、皆が協力し合って、本当に綺麗に見送っていた。その差を思うと、自分の血が呪わしく思えた。

◇◇◇

そんな地獄のような日々をなんとかくぐり抜けて、母も亡くなった後、ようやく僕たちは墓を建てることになった。これは、僕とトラ子さんが、二人のために建てる墓だ。誰にも文句は言わせない。

ある日、車を運転しながら、隣に座るトラ子さんに聞いてみた。

「墓に刻む文字なんだけどさ」
「うん」
「僕はね、いろいろ考えたんだけど……『和』がいいかなって思ってるんだ」

ずっと、争いばかりだった。
嘘と、裏切りと、搾取と、罵声。
そういうものから一番遠い文字。

誰も憎まず、いがみ合わず、ただ穏やかに、仲良く。そんな祈りを込めて、僕はその一文字を選んだ。

すると、トラ子さんが目を見開いて、少し笑った。

「すごい。私もね、和がいいって思ってた」

二人の選んだ文字は、見事に一致したのだ。

それなのに。
いよいよ墓が完成し納骨のために、霊園へと向かった晴れやかな日。またしても妹がしゃしゃり出てきたのだ。

まずは、骨壺に親の名前を書くという仕事があった。
霊園の人が「これが親御さんの名前を書く、最後のお仕事です」と、静かに筆を渡してくれた。

どれだけ憎んでも、どれだけ恨んでも、やはり最後だと思うと、手が震えて少しだけ涙がにじんだ。僕は一文字ずつ、ゆっくりと丁寧に、親の名前を書いた。

すると後ろから、妹がゲラゲラと下品な声で笑い出したのだ。
「歪んでる! 丸文字になってるし!」
霊園の人の表情が、すっと冷え切ったのがわかった。弔いの場にそぐわない、ただただ下品な嘲笑。こいつには、本当に心が欠落しているんじゃないかと思った。

その後、墓の前に移動して、いよいよ霊園の人から墓の説明を受けるという時だった。

妹は僕たちを差し置いて前に立ち、「あ、管理のことは私がやりますので! 説明は私にしてください。それで、ここの掃除はどうすればいいの?」と堂々と言い放った。自分の支配下に置かなければ気が済まない、妹の病的な承認欲求。

さらには、僕らが決めた「和」という文字を指差して、いきなり霊園の人に言ったのだ。
「この文字、変えられませんか?」

その場がスッと凍りついた。霊園の人が怪訝そうな顔をして、それからぴしゃりと言ってくれた。

「それは違います。喪主さんに説明します」
その言葉を聞いた時の、妹の怒り心頭に発したような顔は、一生忘れられないだろう。

案の定、墓の場所が判明した途端、妹はすぐに霊園の管理会社に連絡を入れて名義を奪おうとしたらしい。事前に管理会社に「こういう身内がいるので注意してください」と手を打っていたから防げたものの、本当に油断も隙もない。

その後も、親戚が死んだとか、入院したとか、結婚式だとか、そういう連絡は僕らには一切届かない。妹が勝手に「お兄ちゃんは忙しいって」と嘘をつき、連絡を遮断している。その結果、「あの人は香典もよこさない非常識な人間だ」という悪口が、さらに上塗りされる。

僕を完全に村八分にするための、完璧な包囲網だった。
口下手で、人付き合いが下手だと、こういう風に都合よく悪者にされてしまう。人間とは、どこまでもあさましい生き物だ。

縁を切りたいが、今の日本では出来ないようだ。

でも、もういい。
もう、あんな連中とは関わらない。

毎月の命日。
僕とトラ子さんは、必ずあの霊園に足を運ぶ。

トラ子さんはいつも、自分で丁寧に縫った十数枚の雑巾を持っていく。その雑巾を霊園の管理事務所へ持っていき、「よろしければ、他のお参りの方に使っていただいてください」と手渡すのだ。

管理事務所の入り口には、トラ子さんが縫った真っ白な雑巾が、いつもきれいに重ねて置いてある。誰でも自由に使えるように。生前、あれほど周囲に泥を塗りたくり、他人の人生を汚し続けた両親の罪を、一枚一枚の白い布が、静かに拭い去っていくかのように。

霊園にやってくる見ず知らずの参拝者たちが、その雑巾を手にして大切な人の墓を磨く。誰かの役に立ってくれればそれだけでいい。それが、僕たちなりの、静かで、精いっぱいの供養だった。

「虐待されてきたからね。あなたは間違ってないよ。間違ってるのは向こうだよ」

かつて、僕の心を覆っていた濃い霧を晴らしてくれた、トラ子さんのあの言葉を思い出す。彼女が一生懸命に墓を拭くその後ろ姿を見ながら、この人と一緒だから、辛い戦いを乗り越えられたんだと、心の底から思った。

この家系は、人の足を引っ張り、人を貶めることしかできない呪われた家系だ。その血が、僕の中にも流れていることは否定できない。

でも僕は、絶対にそうはなりたくない。
人の足を引っ張るんじゃなく、倒れている人がいたら、そっと手を引っ張り上げるような人間になりたい。子供の頃から、ずっとそう思い続けてきた。だから、僕のnoteの表紙も、手を差し伸べる画像にしている。それが、僕のアイデンティティだからだ。

きゅっきゅっと、石を拭く音が響く。
「和」と深く刻まれた墓石が、太陽の光を反射して静かに光っている。ここにはもう、怒号も、理不尽な暴力も、あさましい金の要求もない。

やっぱりこれは、墓標なんかじゃない。
僕とトラ子さんが、理不尽という名の怪物たちとの長い長い戦いを生き延びて、ようやく手に入れた、平和の塔だ。

僕たちは、逃げなかった。
狂気と暴力と金にまみれた泥沼の中で、お互いの手だけは絶対に離さなかった。

「終わったね」
雑巾を絞りながら、トラ子さんが僕を見上げて微笑んだ。

「ああ。終わった」
はっきりとトラ子さんを見て頷いた。

「ホーホケキョ」
ウグイスが、また鳴いた。

僕たちの奪われた二十年は、決して戻ってはこない。
それでも、僕の隣にはトラ子さんがいて、二人で決めた「和」の文字が、春の陽光を反射して静かに光っていた。
この塔は、僕らが生き抜いた証なのだ。

さあ、帰ろう。
僕たちの、本当の人生を取り戻すために。

 
  
相生エッセイ


 

このお話が、連続投稿 第200話 です。

僕がこのエッセイを書いたのは、「自分はこんなに大変だった」と、同情してほしかったわけではありません。ただ、少しでも多くの人に、こうした現実もあると知ってほしかったのです。

今この瞬間も、かつての僕と同じように、理不尽な地獄の中で辛く苦しんでいる人がきっといます。そんな人たちに、そっと手を伸ばしたくて書きました。

あなたは、間違っていない。
あなたの味方は、きっといる。


このお話で、7月7日にコングラボードをいただきました🎉


▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました😌

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他にも、創作大賞にも応募している 日々の何気ない瞬間を切り取ったエッセイを綴っています。よかったら覗いてみてください。

ThreadsSubstackで、このエッセイができるまでの裏話とnoteには掲載しきれなかったイメージ画像を投稿しています。


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